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「の憂鬱」を含む日記RSS

はてなキーワード:の憂鬱とは

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2025-12-16

都会に住んで、雨の憂鬱度が上がった

都会の生活は、自宅の快適機能の大半を外部に外注してるような感覚がある。

家に本棚がなくても、大型の書店図書館が近く、家に絵を飾らなくても美術館があり、家に急須がなくてもカフェがある。

しかしだ、だからこそ雨天は憂鬱だ。

イメージでは自然と向き合う田舎のほうが生活が天候に左右されそうだが、都会の雨への耐性の無さと言ったらない。

何もなければ、それもよい。

スマホをいじってインスタントコーヒーを飲んでやり過ごすのも楽しかった。

雨に向かひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

というやつだ。

しかし、現実は雨でも外出を強いられる。

おむつを切らしたまま明日まで待つことは出来ない。

狭い玄関で少し濡れたコートを脱ぎ、中まで濡れた靴に新聞紙をつめ、田舎車社会を懐かしく思う。

冷蔵庫ほとんど空だが、スーパーまで梯子する元気はなかった。

モノに溢れる都会にいながら、夕飯は缶詰料理

Uber eatsが流行るのもわかる。

私は幸せなのか?

Permalink |記事への反応(0) | 11:41

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2025-12-15

コモンドールの憂鬱

コモンドールとは犬種である

モップみたいな毛が生えている。

よって「コモンドールの憂鬱」の意味は以下の通りである

モップのような縄状被毛を持つ存在は、外部からの刺激が増えるほど、内面的な憂鬱が蓄積し、被毛の絡まり度が比例して増加する

まり、モップみたいな毛なので、外部からの刺激によって絡まりやすく、それに伴い憂鬱さが高まるということである

対策は、外からの刺激をなくすことである

じっとしていれば、絡まり自然と解ける。

ここから転じて「絡まった心は、放っておくほど解ける」という教訓を生んでいる。

使用例】

「なんか今日だるいわ…3コマ休もうかな」

コモンドールの憂鬱だね」

「それな」

Permalink |記事への反応(0) | 16:44

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2025-12-14

ボードレールの『巴里の憂鬱』(三好達治訳) 2025

ボードレールの『巴里の憂鬱』(三好達治訳)

異常者の奇行「あるある」であるかのように書いてるのがヤバい

「けしからぬ硝子屋」とか, キチゲ発散にしてもやりすぎ.

https://portaly.cc/thebreak2bgaudio

https://portaly.cc/thebreak2bgsub

https://portaly.cc/thechristmasmousehuntbgaudio

https://portaly.cc/thechristmasmousehuntbgsub

https://portaly.cc/zootopia2bgaudio

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

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ボードレールの『巴里の憂鬱』(三好達治訳)

異常者の奇行「あるある」であるかのように書いてるのがヤバい

「けしからぬ硝子屋」とか, キチゲ発散にしてもやりすぎ.

Permalink |記事への反応(0) | 19:47

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2025-12-10

朝ごはんパンをいつも車で食べるんだけど、今日うっかり持ってくるの忘れて腹ペコ

昼まで空腹なの憂鬱だなあ

Permalink |記事への反応(1) | 08:27

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2025-11-18

なぜ自分は「おでんご飯のおかずにならない」と思っているのだろう

インターネットおでんの話をするとレシピ地域差が違いすぎて大混乱に陥るけれど

そもそも自身の中のおでん観を見つめたことがなかった、いい機会だ

思い返してみれば、実家時代に母が作ってくれたおでんしか食べたことが無い

コンビニおでんなどお店で買っておでんというものを食べたことが無い

母が作ってくれたそれはどんなおでんだったか……

良く言えば上品な……悪く言えば薄味の……しょうゆベース鰹節or昆布?のだしだった気がする

汁の色は透き通った薄い色

思い出せる具は……

大根、卵、こんにゃくちくわ、餅入り巾着、丸天、棒天(中にごぼうが入っていた気がする……)、がんもどき牛すじ

思い出すだけでティーンエージャー時代の当時の憂鬱な気分がよみがえる

やっぱり味が薄いのが好みじゃないのだろうな

ここにつくねウインナーがあるだけで一気にうれしくなるだろうし

そして私はゆで卵が嫌いなので食べない、それも大きい理由な気もする

それにしても今思うとこのおでん練り物ばっかりじゃないか

私が「おでんご飯のおかずにならない」と言うとき、本当に言いたかたことは「母が作ってくれたおでんは私の好みじゃなかった」なのかもしれない

ちょっと悲しい事実に今更気付いたのかもしれない日記

---

それはそれとしてご当地おでん一覧を眺めてみたけれど

地理:日本のご当地おでん | おでん教室 | 紀文アカデミー | 紀文食品

濃い味のおでん地域結構ある そりゃ「おかずになる」という人だって当然いるわな

インターネットおでんの話をするときはどの地域のどんな味付けのおでんかを併記してほしくなる

Permalink |記事への反応(0) | 10:51

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2025-11-04

連休明けの憂鬱なのか

仕事ない人が出勤のつらさを嘆く人を見て沸き立っているのか…

Permalink |記事への反応(1) | 07:43

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2025-10-30

生存本能 植物絶滅

化学反応もおれからしたら生物

脳汁 生存のため

木の実 発見 脳汁

今日の流れ

憂鬱になる

すべてどうでもよくなる

の憂鬱設計されたもの

じゃあ無視すればいいじゃん

考えすぎたら負け

まじめに考えると悲観的になる

Permalink |記事への反応(0) | 18:10

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2025-10-16

排卵の憂鬱

憂鬱憂鬱憂鬱だ頭が重いし何もしたくないし何をするにも普段の5倍くらいしんどいイライラする。

ああ憂鬱

多分排卵日が近いからこんな憂鬱なんだ。

熊って着床遅延があって栄養を蓄えないと着床できなくて凶暴になったりすることもあるんだってな。

ワイも排卵なのに何もねえぞって体がキレてるから憂鬱イライラしてしまうのか???

本能妊娠したいぜって言ってるみたいで困る。

ももう産めねえよもう3人産んだんだ。

まだまだ赤ちゃん育てたいぜ!って思うけど家もそんなに広くないし車もキツキツだ。会社にも申し訳ない。さすがに何回目の育休だよ???ってなるだろ。

でもまだ30代前半だ。あと10年くらいこれに苦しむのかよ。ピルは前に飲んだけど血栓できて飲めなくなってしまった。あああしんどい

どうしたら良いんだ。毎月毎月こんなに憂鬱できついの嫌だ。でもそんな無計画にまた子供産めないだろ。うわあああしんどい

Permalink |記事への反応(2) | 08:38

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2025-10-09

村上ハルキの憂鬱

Permalink |記事への反応(0) | 21:39

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2025-10-05

ガラス天井と裸の王様モチーフAI小説を書いてもらった

###高潔なる天井

####第一章:仕立て屋の憂鬱

日本初の女性総理大臣誕生する、その歴史的な前夜。社会学者東山教授は、自室の書斎で苦虫を噛み潰したような顔をしていた。テレビ画面の中では、次期総理の座を確実にした、天城(あまぎ)るり代表が、勝利宣言で満面の笑みを浮かべている。

「天城さん、初の女性総理として、長年この国を覆ってきた『ガラス天井』をどう打ち破りますか?」

記者紋切り型質問に、天城はマイクの前で小首を傾げ、悪戯っぽく笑った。

天井申し訳ありませんが、わたくし、上ばかり見て走ってきたので、道中に天井があったことには気づきませんでしたわ。そもそも存在しない壁や天井の話をするのは、もうやめにしませんこと?」

その瞬間、スタジオは凍りつき、SNSは沸騰した。そして、東山教授の堪忍袋の緒は、見事に切れた。

愚か者めが…!」

東山教授は、長年にわたり日本社会に蔓延る、見えない構造差別」としての『ガラス天井』を研究し、その存在を説いてきた第一人者である彼女にとって『ガラス天井』は、単なる比喩ではない。それは彼女学問のすべてであり、彼女自身が丹精込めて織り上げた、知的で高尚な、しかし目には見えない「至高の御衣(ぎょい)」だったのだ。

この御衣の存在理解できる者こそが、現代社会知的エリートであり、ジェンダー意識の高い「わかっている人間」。逆に、これが見えない者は、時代遅れで、差別的で、救いようのない「馬鹿」なのである

それなのに、天城るりという女は、その御衣の存在のものを、国民の前で一笑に付したのだ。まるで、裸の王様を指さす無邪気な子供のように。いや、子供より性質が悪い。彼女は、圧倒的な実力と国民の支持という「権力」を持って、それをやってのけたのだから

彼女は家父長制に取り込まれた『名誉男性』に過ぎない。天井が見えないのではない、見る能力思想がないのだ」。

東山教授はすぐさまメディアコメントを発表し、取り巻き学者コメンテーターたちも一斉に同調した。彼らは、来る日も来る日も、テレビ新聞ネット上で「ガラス天井」という御衣の素晴らしさを語り続けた。

「この緻密で複雑な構造が見えないとは、なんと浅はかなことか!」

「天城総理成功は、天井に偶然空いた小さな穴をすり抜けただけの例外だ!」

「我々『賢い人間』には、その透明な天井がはっきりと見えているのだ!」

彼らは、自分たちけが見える高尚な天井画を、互いに褒めそやし続けた。

#### 第二章:パレード野次

天城るりが総理大臣就任し、組閣は驚くべきスピードで進んだ。能力主義を徹底し、性別や年齢、派閥など一切関係なく、適材適所人材を抜擢していく。彼女政策は明快で、実行力に満ちていた。国民支持率は、うなぎのぼりだった。

そんな中、東山教授とその一派は、国会議事堂の前で奇妙なデモ計画した。プラカードにはこう書かれている。

天井はここにある!』

『見えないからって、無いわけじゃない!』

『我々の知性を無視するな!』

彼らは空に向かって指をさし、「見よ、この分厚く、冷たいガラス天井を!天城総理あなたにもこれが見えないのか!」と代わる代わるシュプレヒコールを上げた。しかし、道行く人々は、何もない空を指さして熱弁をふるう一団を、ただ不思議そうに眺めるだけだった。中には、不審者を見るような目で、足早に通り過ぎていく者もいた。

「どうして見えないのだ、この愚民どもには!」

東山教授は苛立った。彼女が何十年もかけて織り上げてきた、世界で最も高尚で、最も知的な「見えない御衣」が、誰にも理解されない。それどころか、天城総リは、そんな騒動を意にも介さず、外交に、経済政策に、次々と目に見える成果を上げていく。

国民は、もはや空虚天井画には興味がなかった。彼らが見たいのは、自分たち生活が良くなるという、具体的な未来予想図だった。

####最終章王様の新しい服

就任後、初の所信表明演説の日が来た。国民の注目が、官邸から国会へと注がれる。東山教授も、テレビの前で腕を組み、天城がいつ「天井」の存在言及し、自分たち知識人謝罪するかと待ち構えていた。

壇上に立った天城るりは、朗々と、しかし力強く語り始めた。経済外交社会保障。具体的な数値と計画を伴った演説に、野党からさえも感嘆の声が漏れた。そして、演説最後に、彼女はふと笑みを浮かべ、こう言った。

「さて、一部の賢明な方々が、わたくしが打ち破るべき『天井』の存在について、大変ご心配くださっているようです」

議場がざわめいた。東山教授テレビにかじりついた。

「その方々が仰るには、わたくしには見えていないだけで、この国の空には、それはそれは分厚いガラス天井が広がっているのだとか。そして、それが見えない者は、愚か者なのだそうです」

天城はそこで言葉を切り、満場の国会議員と、その先にいる全国民に向かって、堂々と宣言した。

「ならば、わたくしは、喜んで愚か者でありましょう。わたくしには、見えない天井を見上げて嘆いている時間はありません。わたくしが見ているのは、天井の先にある、この国の未来です。国民一人ひとりの、笑顔です」

彼女は両腕を広げた。

「皆様。存在するかどうかもわからない天井の話は、もう終わりにいたしましょう。それよりも、わたくしが仕立てた『繁栄』という名の新しい服を、共にご覧いただきたい!」

その瞬間、割れんばかりの拍手が議場を包んだ。それは、もはや誰にも止めることのできない、新しい時代ファンファーレだった。

テレビの前で、東山教授呆然と立ち尽くしていた。彼女が心血を注いで織り上げたはずの「至高の御衣」は、いつの間にか、誰の目にも見えないどころか、誰の記憶にも残らない、ただの空気に成り果てていた。

王様は裸だ…」と叫んだのは誰だったか。いや、そもそも王様などいなかったのだ。いたのは、自分の仕立てた服こそが最高だと信じて疑わなかった、時代遅れ仕立て屋だけだったのである

Permalink |記事への反応(2) | 10:39

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2025-09-28

バレリーナの憂鬱

X見てたらTLにAVの告知が流れてきて、元バレリーナの人らしい。全国大会で3位になったことがあるとか。

正直、全国3位って怪しいな、小学校の時とかじゃねえの?とか思いながら、そもそもバレエのことはよく知らんし、特に調べもしなかったんだけど、そのうち「こんな姿勢人間バレエで全国3位なわけがない!経歴詐称だ!」みたいな引用が付き始めて、前にも元バレリーナAV女優がプチ炎上してたなあ、と思い出したんだ。

その時も、その人の所作(の写真)に「こんなので元バレリーナを名乗るな!」みたいな非難のされ方してて、なんでそんなにバレリーナだけ厳しいんだよ、と思ったのよね。

AV女優の肩書なんてエロさの箔付けみたいなもんで、みんな真剣に見てないもんだと思ってるし、正直元アナウンサーも元アスリート眉唾だと思ってる(元アイドルガチなのいるけど)。弓道女子とか相当胡散臭い(弓道のこと知らんから見てもわからんけど)と思ってるけどあんまり弓道を穢すなみたいなこと言う人見ない。なんかバレエだけそういうの湧いてくるイメージ

やっぱ、子供に習わせるものとしてはちょっとハードル高いのかな。挫折する子も多そうだし。でもAVだよ?そんなに怒る?とは思う。

Permalink |記事への反応(2) | 05:07

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2025-08-26

書店BL棚状況調査を見たけど少女漫画衰退論と同じ道では?

以前挙がっていた話題「女性作家の憂鬱、【推しの子】は何で少女漫画誌で生まれなかったのか」漫画『推しの子』は何で少女漫画誌で生まれなかったのか「以前の少女漫画にはホラーもギャグもあり多様性があったが逆に進んでいった」など様々な記事の中で語られ、はてなやXなどを中心に多くの人々が補足してくれた。

これらの情報Web検索などを駆使して様々読んでザックリと振り返ると、少年漫画少女漫画表現技法を取り込んで表現の幅を広げて多くの女性読者を獲得した一方で、少女漫画多様化戦略を取らず恋愛テーマの追求をし、恋愛の延長線上にある性交渉を頻繁に取り上げるようになり、性交渉の正と負の両側面を表現している内に過激化がどんどん進行し、教職員PTAなどに目をつけられ、プラトニックな方向へ舵を戻したものの、既に女性読者層は少年漫画へ多く流出しており女性作家さえも少年漫画(青年漫画)レーベルで連載をするようになってしまった。

既存少女漫画性交渉表現は、性を扱う傾向のあったBL漫画へ退避し、前述の女性読者層を取り込んだ少年漫画ジャンルと再合流することでオタク一般化と共にBL漫画が非常に伸長し、女性向けとしてのNL漫画やTL漫画も伸長して過激時代少女漫画読者層の受け皿となった。

この歴史を振り返ると、教職員PTAなどに毒抜きされた少女漫画の性の過激化という推進力は女性向けとしてのBL漫画NL漫画やTL漫画が引き継いでいて、今現在BL漫画NL漫画やTL漫画少女漫画が毒抜きされた当時のように自主規制しなければならない水準まで過激化が進行しているのではないかな?

私は「自主規制しろ!」とか「プラトニックへ舵を切れ!」と主張したいわけではなく、過去から現在に続く今として当時の少女漫画表現していた女性読者のための性の過激化の火は消えておらず、BL漫画NL漫画やTL漫画燃え続けていて、その火はどんどん大きくなって世間の目に映る段階まで来てしまったんだと言いたいんだ。

先ず世間の目へ映る段階へ来ているを自覚しないと会話も議論共感も出来ないんじゃないかな。

そして、今のまま放置で行くとBL漫画NL漫画やTL漫画がどうなるのか?というのは少女漫画過去歴史を振り返れば判ることなので、界隈はよく話し合って方針を決めていかなければならないと思うよ。

Permalink |記事への反応(3) | 07:46

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2025-08-25

旅行計画する時の憂鬱

国内のある施設に行きたいと思っているのだが、アクセスが非常に悪く、計画段階ですでに憂鬱になっている。

飛行機でその施設の最寄りの空港まで行き、そこからバスで大きい駅に移動し、さらバス複数回乗り継がないといけない。運転不安があるためバスがつながっているだけありがたいのだが、いかんせん接続が悪く、車で行くことも検討してはいる。飛行機ホテルバスあるいはレンタカーという行程と複数手続きを考えるだけでうんざりしていて、今までに自分が取り決めた旅行は行きやすいところにしか行っていなかったし、計画と言えるほど大したことをしていなかったんだなとしみじみ実感した。

旅行好きな人でも出発前に憂鬱になって中止にしたくなるのはあるあるらしいが、それは本当に出発直前の話で、計画自体はワクワクしながら考えるらしい。今まで自分旅行好きだと思っていたけど、そうでもなかったとこの年になって自覚した。これまでプランを考えて色々連れて行ってくれた家族や友人にもっとちゃん感謝しておけばよかった。

Permalink |記事への反応(1) | 02:28

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2025-08-18

トマト人間の憂鬱

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

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2025-08-10

AIミュージックビデオ制作を完走した感想でしてよ!

いつか空から札束が降ってきましたら、わたくし、歌だのキャラデザインだの動画だのを片っ端から外注して、豪華絢爛なミュージックビデオをお作りあそばせようと思っておりましたの。

……ところがどっこい、AI様がその夢を叶えてくださる時代が来たのですから、これはもうやらねば詐欺ですわよね!?ということでJust Do Itいたしましたの。

https://www.youtube.com/watch?v=Znw6q9o3Ssw

長年わたくしの脳内という狭苦しい檻でカビていた世界観が、ようやく陽の目を浴びましてよ……あぁ、涙でモニターが見えませんわ。

でも、この魔法のような力にもすぐ慣れてしまいそうですので、今のうちに自慢と感想を置き逃げいたしますわ。

お歌の生成でしてよ

お試しにボカロ風の楽曲作ってみたくなりまして「ボカロといえばメンヘラ曲ですわよね?」という根拠不明偏見をフル装備。

じいやに出してもらった狭心症のお薬をガン見しながらデカフェコーヒーをがぶ飲み、心臓テーマにした歌詞をSuno様にえいやっと投げ捨てましたの。

ジャンルは「心拍ビートの憂鬱アンビエント+ウィスパー女子」でしてよ。ええ、きっとアンビエントですわ。

出来上がりは……もぅ最高❤

文字数てきとーな歌詞なのに完璧リズムで歌い上げ、吐息混じりで耳に直接ささやいてくるんですのよ。わたくし、思わず結婚して」と言いかけましたわ。

しかもこのボーカル様と作曲者様、実在しないのですって! この世にいないのにわたくしの脳を直撃してくるとか罪深いにも程がございますわ。

テクとしては、漢字は時々お中国語読みをしでかしますので、怪しいところは平仮名に開くのが吉ですわ。

再生成で微修正もできるので、間違えても泣く必要はございませんの。

画像の生成でしてよ

複数キャラ並べるのは大変ですって? あら、そんな面倒なこと庶民にお任せあそばせ。

わたくしは「少女天使!羽!骸骨!心臓!」という王道厨二キャラ一択で、niji・journey様に丸投げいたしましたの。

余計な物を切り捨て、体を差し替え、お着替えさせ、全身を拵え、Midjourney様の背景と合体……もうモデルさんもビックリ撮影会でしてよ。

実写背景に二次キャラを置くのって、本当に背徳的で大好きですの。アクスタで世界旅行してるみたいでウフフ。

さらにちびキャラ、線画、油絵風まで取り揃えて、MV宝石箱のように彩って差し上げましたの。

物語の都合上、世界中に心臓が溢れ返ったのでキャラと同数くらい心臓を量産いたしましたの。

洞窟から覗く巨大心臓を巡って兵士が撃ち合う? 意味不明ですわね。でもAI様は文句も言わず描いてくださいますの。

なお「heart」だけですとハートマーク祭りになるので、「heartorgan」や「humanheart」で命を吹き込むのがコツですわ❤

血飛沫はお上品に、おセンシティブフィルターが怒りますので。

動画の生成でしてよ

まさか画像生成から動画生成の時代ワープするとは……技術革新って怖かわですわね。

ノンアルビールをたしなみつつ、Kling様にスチルをぶん投げて延々ガチャ

実写背景二次キャラも線画も油絵も全部動きますのよ。ええ、怖いくらい。

とはいえ破綻は盛りだくさん。空と海の速度がバラバラ、傘の骨が頬骨を貫通マジックして、宙を舞う金魚フュージョンしては分裂……まるで深夜のテンションですわ。

こういう時はプロンプト調整沼に沈むより、編集マスク抜きやエフェクトで誤魔化すのが勝ち筋。そもそも生成させるシーンがおかしい? それはもうお約束ですわよ❤

裏技として、背景とキャラを別々に当たりガチャし、合成してから中割りさせる方法もございますの。

AI生成なのにグリーンバック? ええ、わたくしも笑いましたわ。けれど抜きやすいのですもの

感想なのですわ

年初に歌を生成、「あらこれイケますわ!」と確信してGWに仮完成。

そこからワインのように「寝かせて熟成させましょう」と思ったら、お盆になっておりましたの……。

言い訳はございますのよ? 幾度も引退したソシャゲに復帰してしまったり、ギックリ腰になったりと、庶民アクシデントに見舞われまして。

気づけばAIモデル一世代前に……うふふ、時代はお待ちくださらないのですわ。

それでも、この虚弱体力でも四半期に一本くらいは作れそうな手応えがございますので、今後も優雅に量産して参りますわ。おほほほほ……

https://www.youtube.com/watch?v=Znw6q9o3Ssw

Permalink |記事への反応(0) | 19:19

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2025-06-23

人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

[#改頁]

第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-05-24

anond:20250504135404

チャイナさんの憂鬱鶴田謙二代表

Permalink |記事への反応(0) | 06:47

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2025-05-16

ボスマンの憂鬱

Permalink |記事への反応(0) | 19:58

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2025-05-08

anond:20250508012531

死にたいってより、その憂鬱で生きていたくないという気持ちがなくなるような状態に変化したいってことだよなー

自分の事なんてどうでもよくなれるくらい夢中になれるものだったり

ずっとだべってられる友達とかがいればいいんだろうけど

学生時代ならともかく、ある程度年行くと相手時間を奪い続けるのも気兼ねするようになるから

結局一人で鬱々とした気持ちになるしかないんだよな

なんかお金とか使ってれば気も紛れるんだけど、不景気すぎてその手も封じられたって感じ

結局気にしても何も解決はしないから、憂鬱なまんまでいいじゃん

生き続けてるだけで実は結構すごいんだぞ

それすら維持できずにいなくなってる人なんて、毎日大量にいるんだぞ

勝手言語化してみた

全然的外れなことも書いてるかもしれないけど、なんとなくわかるぞ

Permalink |記事への反応(0) | 01:30

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2025-03-28

嫌なことが起きる前のストレスやばい

嫌なこと、例えば怒られるとか、発表とか、いろいろあるとするじゃん

 

3日前 憂鬱30

1日前 憂鬱100

時間前 憂鬱500

その瞬間 憂鬱10

おわり 憂鬱

 

これどうにかならん?

その瞬間の冷静さに自分で引く

さっきまでの憂鬱なんだったの

Permalink |記事への反応(3) | 18:14

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2025-03-26

仕事ままごとに見える

誰も読まないだろうけど書く。

年収の人からしたら大したことないと思われるかもしれないが、自分は割といい年収(1000万↑)をもらっている。

それでまあ、そんな金の話はどうでもいいが、仕事をしていてみんなままごとをしているなと自分はよく感じている。

たとえば1on1がいい例だが、1on1をしている間にも人件費がかかってるという意識がない人が多いなと。自分としては1on1雑談したら金がもらえるのでちょろいと思っているが他人はどう考えているのだろうか。自分1on1ミーティングは休憩だと考えていて、30分ミーティングをしたらその日のご飯代をもらったと考えている。正直1on1必要ない。それからマネージャー必要ない。それより実務進めて利益出そうと思っている。

仕事は楽で、完全にサボれるわけではないが普通に働いていれば高評価される。自分としてはかなり手を抜いているつもりだ。

会社で話していてよく思うのが、結論が見えていることや今話してもしょうがないことをいつまでも議論していることが多い。

それから表面的な業務プロセス改善議論など。自分としては「それは単に実力不足なんじゃないか」とか「単に当事者意識がないのではないか」とか「顧客目線が足りていないのではないか」と思うことでも、業務プロセス設計をすることになっていてなんだかなあと感じる。みんな今の作業以上に仕事したくないだけじゃないんか?というのをかなり感じている。形式的というか。

これで儲かるんだから企業って謎だなと。

自分が話していることが結構あとの方になってから理解されることがあり、その場では関係なくないか不思議な顔をされるし説明が面倒なので「そっすか」と身を引くのだが、あとになってその人達自分で気付いたかのように振る舞っていることがあり「今さら何言ってんだ…?」と憂鬱になる。お前はAIか?みたいな感じの憂鬱さだ。そういうときはサッとあらかじめ持っていた対策案を出すとか、すでにしておいた対策説明するようにしている。

周りの様子を見るとなんと表現すればいいのか、全体的に遅い。怠けてるのかと思うと特にそういうわけでもなく、一生懸命働いている様子がうかがえる。そして別に遅いことを遅いとは感じていない様子。

自分仕事では何事も先手をとるようにしている。予防策を先に打つのアップダウンは激しくなく、基本的に予想通りに着地するかむしろ予想より早くなる。また予想から遅くなりそうなら早めに調整するかリソース投入する。プロジェクトはいちばん最初の余裕ある時期に一人で炎上して「あの人は何を騒いでるんだ」という顔をされる。そしてプロジェクトの終わりが近づくと何も問題なく終わることが多い。それで大体他の遅れているプロジェクトヘルプに入ることが多い。それが片付いたら別のプロジェクトを進めることになる。

仕事中暇なことがあるのであちこちに顔を出してヘルプしていると勝手に高評価される。とても感謝されると気分がいいのだが、なんで自分がこんなことやってるんだろう、他にやるべき人がいるのではないかと思うことが多い。ただまあ、自分は今までそういうふうに仕事をしてきたので、ちょっと損してんなと思いながらも淡々仕事をしている。

自分としてはこれぐらいの能力普通よりやや上だと感じているので物足りない。みんな一生懸命やっていて、サボってるわけじゃないんだよなというのはわかっているが、いつもモヤモヤしながら働いている。

かと言って必死に血眼になって労働労働したいわけでもないので、なんだかなあ、ままごとでもいいのかなあなどと考えている。転職してどこ行ってもあまり変わらないんだよな。

JTCが悪いんかな?でも外資外資でウザいんだよな。

Permalink |記事への反応(13) | 22:38

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2025-03-22

anond:20250322105045

μ's内ユニットBiBiが歌う「ダイヤモンドプリンセスの憂鬱」のリリース日は2011年6月22日やで

https://www.youtube.com/watch?v=Ptja6yej7s4

ええ曲やったよなあ

2011年!?!?

じ、十四年前やん?!?

その間ワイなんもしとらんで

Permalink |記事への反応(0) | 11:02

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2025-03-20

今日は俺の誕生日

 

 今日は俺の誕生日。やあ!Happy Birthday to me!

 …馬鹿馬鹿しい。

 こうやって空元気を出して俺が道化になってみたところで、笑ってくれる相手はいない。

 俺の声は、一人暮らしで1Kの部屋に虚しく響く。

 ケーキなんて無い。

 レンジで作れるパスタを作っていた。過剰に温められたパスタ調理器を無心で掴む。何も考えないようにしていた。だって一人で蝋燭に火をつけたって楽しくないだろう?

 パスタの味付けのために、にんにくスプーンで入れようとしているが、ぬめりとした油によって不器用にも中々取れない。スプーンからそれが何度もこぼれ落ちた時に、「ああ、俺の人生では沢山取りこぼしがあったんだ」と感傷的に思った。

 自意識過剰だ。でも仕方がない。今日は俺の記念日なんだと意識せざるを得ない。

***

 誕生日を祝うLINEは来なかった。

 俺は怒りというよりも悲しかった。これは報いだ。人間関係を切り捨てていると、こういうところでツケが来るのだ。

 いや、普段は「俺は一人で生きていける」と俺は俺のことをそういう人間だと信じている。ただ、時々無性に他の人間のことが、一緒に寄り添える相手がいる人間のことを羨ましく思ってしまう。

 ただ同じく、俺は日常の憂鬱を知っていて、普通に過ごすだけで忙しい日々の中で、近しい人間とで起こる煩わしさに耐えきれないと思っている。

 怠惰なのだ、俺は。さっきのスプーンも、洗うのが面倒だから使った小さすぎるスプーンのせいで問題が起こっていた。

***

 めんどくさい。LINE毎日返せない。

 昼に寝てるせいで深夜にしか起きてなくて、LINEを送れる時間じゃない。

 それでLINEを一文送るのも面倒くさいくせして、一万文字を超える自分語りインターネット投稿したことがある。今書いてるこれも、その一環だろう。

 俺は、誰かに何かを伝えることが、誰かに何かを受け取ってもらうことが、全てを諦めきることは出来なくて、匿名の海でこうやって何かを書いている。

 継続的に付き合うことが出来なくても、その文だけでも誰かの記憶の片隅を占領することが出来たら満足だから

 そうやって、誰にも伝えたことのない感情を誰かが受け取ってくれると願って、怠惰な俺はこの悪癖を止めることはないんだろう。

 長文で草。自分語り乙!

 …でも許してほしい。今日は俺の誕生日なんだから

Permalink |記事への反応(0) | 22:53

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2025-03-06

氷河期世代の憂鬱

社会保障の手厚さが氷河期世代恩恵になりそうなタイミングでなくなっていき

子育て支援等の若い頃にほしい社会支援氷河期世代支援を受けられなくなったタイミングで増えていく

なんともやるせない

Permalink |記事への反応(1) | 10:38

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