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はてなキーワード:なかにとは

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2025-12-14

anond:20251214023209

中学一年のころ、英語教材のなかにでてくる一枚の挿絵女の子に恋してたよ。なまえはわすれた

Permalink |記事への反応(0) | 02:52

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2025-12-11

ジャップさん、失恋して虐殺してしま

丘の上から民間人を「狙撃」─サラエボの「人間狩りツアー」に参加していた日本人がいた?

https://news.yahoo.co.jp/articles/328c64be63d7a8ddc46d4418b3145440c0b080d1

ガーディアン人狩りの詳細をこう説明する。

イタリア人を含む複数国籍グループ、いわゆる『狙撃観光客』らは、ボスニアセルビア人指導者だったラドヴァンカラジッチ率いる軍隊兵士に多額の金銭を支払い、虐殺に加担したとされる。

カラジッチは後にジェノサイド集団殺害)およびその他の人道に対する罪有罪判決を受けている。観光客サラエボ周辺の丘陵地帯へと連れていかれ、娯楽として住民狙撃した」

こうした観光客なかに日本人もいたという記述もある。11月12日付のイタリア紙「イル・フォリオ」では、イタリア人ジャーナリストアドリアーノ・ソフリが当時の通信文の一部を公開している。

そのなかには、ロシア人志願兵ギリシャ人狙撃兵部隊、さらには失恋の怒りをサラエボ住民にぶつけるためにやってきた日本人についても言及されている。

Permalink |記事への反応(0) | 16:04

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2025-12-10

anond:20251210112914

まぁ気付いたのはよかったよ。

誰でもできるをそのまま育児に当てはめる人が多いからな。

仮に、当時がんばってたことがあったとしても、大人になったら忘れているし、

その忘れているなかに頭を鍛えるための大事な要素があったにもかかわらず、

それを無視して誰でもできることができないとね。なるのだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:00

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狙いと使われかた

はてな匿名ダイアリーがどういう意図で開発されたとしても、結局はどのように使用されているか重要です。


個人的観測している範囲では、(自覚的であれ無自覚的であれ)読み手からレスポンスを求める文章がちらほら見受けられます


そのような文章の是非についてはなにも言いませんし、そもそも言えるものではありません。


ただ、読み手からの反応を期待する文章なかに読み手特定感情を呼び起こさせることを企図したものがあります


いわゆるアジテーションです。


書き手アジテーションのつもりはなくとも、そのような機能を持っているのであれば、それはアジテーションでしょう。


最初に述べた、どのように使用されているか、ということです。


メディアオールドメディアソーシャルメディア分化し、だれでも大衆(マス)に呼びかけることが可能になりました。


まり私たちの接する情報には、思想宣伝的ないし情報工作的なものが(正確な割合はわかりませんが)いくらか含まれている、ということになります


なぜなら、情報について利害を有しているのは会社政党のような法人だけではないからです。無数の個人利害関係者であり、先述したようにその個人メディアに参入できるようになったのが現代です。


言わずもがな、発信される情報というのは本質からして思想宣伝的であったり情報工作的であったりします。しかし、ここで言っているのはあきらかにそのような効果がある文章です。


さて、長々と書いてきましたが、結局のところ私がなにを申しあげたいのかというと、やはりここにもアジテーション的な文章はあるのではないか、と半ば自問自答的に述べたかっただけなのです。


それならチラシの裏にでも書いておけばいいじゃないか、とお言葉をいただくことは私にも想像できます想像できるのですが、


自明に思えることを確認する作業というのは、人間の営みにおいて重要意味を持ちます。むろん私のしたことは重要であると主張したいわけではありません。


ただ、文章というもの機能の一つに、情報もしくは思考の共有がありますので、そのような用途文章を書くことができればと思った次第です。


この文章は以上ですが、私が意図したような文章になったのか、はたまたならなかったのか、時折見返して考えたいと思います

Permalink |記事への反応(0) | 06:59

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2025-12-09

読解力より物分かり

役所でお父さんと書類関係更新に行った。

パスワード登録が求められるというのでその登録するパスワードメモ封筒入りで事前に渡されている。お父さんが私の分まで持っている。

役所についてから封筒を渡され、職員の前にカウンターで紙を渡されてそこにメモの内容を書く。

何も問題なく済んだと思ったのだが、自分は他の用で別れ、帰宅したら揉めていた。

お父さんがお母さんに、メモが入れ替わったとか、職員が気づかなかったのが悪いと言わんばかりのことを延々とごねている。

ちょうどカウンターで書くときメモを見ながら書くわけだがそのとき入れ替わったというらしい。

でも実際はお父さんが私に渡した時点で間違っているものを渡したこと以外あり得なくて、他の原因は今回の一連の行動のなかには見いだせないということが、母がどんなに説明をしても理解できていないようだった。

お父さんはお父さんで既に怒り口調で説明しているお母さんにうんざりしているようでまともに聞く耳を持っていない。これがさら理解の困難に拍車をかけているように見えた。

お母さん、諦める。お父さんも不機嫌。

世の中では読解力をいかに高めるかに焦点が当たっていることが多い気がするが、このようなトラブルは読解力以前の、物分かりという部分に根差しているだろう。

読解力をいくら高めたって、こうなるんだ。

お父さんはもし人生がやり直せたら東大にも受かるように勉強するとか言っていた。無理だよその物分かりじゃ、と思う。

一般庶民文字が読めなくてもなにもおかしくない時代があった。その事実に立ち返って、読解力とか物分かりとかいうことにこだわらず、生活上でトラブルを起こさないための理解力とはどのようであるべきかを見つめ直すべきではないだろうか?

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(1) | 17:40

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2025-12-07

真逆(まぎゃく)」はいから使われだしたか

前提


1927年アルス写真大講座 第二巻』

記念したい被写体を取り入れたいために時には真逆の方向(カメラ太陽に向ふ)に向ふ場合もあるでせうが、このとき直射日光レンズに当らないやうに注意をして頂きます

フリガナがないので「まぎゃく」と読むかはわからないが、意味的には「正反対」の意味で使われていそうだ。

いまのところ「正反対」の意味で使われている最古の用例である

追記1937年写真月報』

只逆光線で太陽を前景のカメラもつている人でシエードした事が、レンズ太陽の直射を避けて雲海にあたつた真逆の光線をうまく捉へる事が出来ました。

写真関連で検索してみたが、なるほど。

写真用語では太陽光の当たり方を「順光線(順光)」「斜光線(斜光)」「逆光線(逆光)」などと分類するが。

逆光をさらに「半逆光線(半逆光)」と「真逆光線(真逆光)」に分けることもあるというわけか。

検索してみるかぎり、用例としては「真逆光」が圧倒的に多いが、「真逆の光線」「光を真逆に受ける」のような例もわずかに見られる。

1959年富士岡田紅陽

太陽富士山頂の上に輝やき、眼前の雲海の表面を真逆に照しつけていた。

一気に時代が飛ぶが、こちらは「まぎゃく」とフリガナがあるので間違いない。

ネット検索できるかぎりでは、いまのところ最も古い「真逆(まぎゃく)」であろう。

ここまでは用例が少ないので、もちろん「真逆(まぎゃく)」が広まっていたとは言えないだろう。

しかすると、文章にならないような口語俗語として使われていた可能性はあるが、それはわからない。

さて、1970年代に入ると一人の男が颯爽と登場する。映画評論家松田政男である

この人物が「正反対」の意味の「真逆」を広めたと言っても過言ではないのではないか

彼はそのくらい「真逆」を多用しているのである

1971年風景死滅松田政男

コスタガブラスが『Z』にひきつづいてつくった第三作『告白』は、いわば、日本の喪名の永久革命家の理念とは真逆視点から革命反革命弁証法をとらえようとした政治的茶番劇である


1972年キネマ旬報』「映画批評 わが緑の大地」松田政男

往年の安部公房テーゼ"猛獣の心に計算器の手を"とまさに真逆に、ポール・ニューマンは"ハトの心にタカの爪を"と、後行する世代叱咤しているのである


1973年不可能性のメディア松田政男

自動車から飛行機への発明ベクトルがひたすら上昇の方角にのみ向けられているのとまさに真逆に、グーテンベルグ以降におけるエレクトロニクスメディアの発達は、ひたすら私たちの<内部世界>の深部に向って下降するベクトルをもっているのではないか

エンツェンスベルガーは、エレンブルグの「作家ならば、ドゥルティの生涯のものがたりを書いてみようとは、けっして思うまい。それはあまりにも冒険小説そっくりだった」というしたり顔とはまさに真逆に、そういった意味合いでの「物語作者は、自己否定しなければならない」が故に「集団的フィクションとしての歴史」――正確には「反歴史」を書くべく試みたのだ。

チャップリンが、常に、可哀想ヒロインのために献身するのに対し、キートンはまさに真逆禁欲的にまで非情に、アクション共同体映画のなかへ制度化すべきことを他者に向って要求するのである

そしてエイゼンシュタインは「人に秀でた人間」として、しかトロツキーとは真逆に、スターニスト・レジームへの自己批判を倦むことなくつづけることによって生き延びて行ったのだ。


1973年キネマ旬報』「キネ旬試写室化石の森」松田松男

この点いかに苦悩の色を露わにしつつ純文学を志そうと、できあがった作品が常に一つの社会現象として、つまりエンターテインメントとして消費されてしま石原慎太郎と、篠田正浩はまさに真逆であると言っていい。


1974年キネマ旬報』「今号の問題作キャロル斎藤正治松田政男

私たちは「スティング」のあの不愉快なだまされ方とまさに真逆に、龍村らが「キャロル」に仕掛けたさわやかな詐術を愉しんでおけばいいのだから······


1974年朝日ジャーナル』「密室国家難民キャンプ なぜ、いま、パレスチナ革命なのか』松田政男

レーニン以前に、もとよりレーニン以上に楽観的に「生産者たちの自由平等な協力関係の基礎のうえに新たに組織する社会は、全国家機関を、そのばあいしかるべき場所へ移しかえる、すなわち、紡ぎ車や青銅の斧とならべて、考古博物館へ」と断定したエンゲルス理想とはまさに真逆に、いま紡ぎ車や青銅の斧と共に博物館へ並べられているのは、彼らエンゲルスレーニンや、その他もろもろの革命理想である


1975年現代の眼』「シネマ・マンスリー

この密林の猟師年齢不詳だがむろん年老いており、したがって初めキャステイングされていた三船敏郎のような精悍さとは真逆の、むしろ志村喬だとか千秋実だとか黒沢一家長老ふうな中央アジア出身の老優が起用されていて、これがかえって野生の賢者という風格をかもし出してなかなかにいい。

これは匿名記事だが文体からして松田政男か?

1976年キネマ旬報』「自主映画の新作その(3)」松田政男

この静謐な、余りにも静謐な〈自然〉は、ゴダールとは真逆の"観念論的記録の試行なのか?


1978年シナリオ』「77から78へ日本映画の秋冬アイデア燃えあがる日」松田政男

そこへ行くと、日活ポルノ裁判被告として四年間の沈黙余儀なくされていた山口清一郎が、初めてATG提携製作した新作『北村透谷・わが冬の歌』は、『原子力戦争』とまさに真逆に、開かれた映像空間の造型に、一定程度の成功を収めえている。


1979年『日付のある映画論』松田政男

高橋明庄司三郎ら日活独特のポルノ男優たちが、画面のなかでいかにタフに振舞おうとも、私たち観客に対しては常に控え目な存在であるのとまさに真逆に、ここにおけるホストどもは、私たちの目の保養を邪魔立てする文字通りに目ざわりな夾雑物なのだ

しかし、『25時の舞踏派』『貘をぶっ殺せ』『造花の枯れる季節』と一九七五年に三連作された8ミリ長編劇映画とは真逆に、このうまさは、なぜか上すべりするうまさなである


1979年現代の眼』「和製B級映画現在形」松田政男

亀和田武は、そこで、私とはまさに真逆に、自らの石井隆論を全面展開しながら辛辣きわまりない反撃を重ねて行くのだが、先述したように、私がヨリ関心を惹かれるのは、個別作家論というよりも、その大前提たるべき情勢論なのだ


1979年現代の眼』「松田政男映画戦線への斬り込み」松田政男

そして、面白いのは、西欧的な父性原理依拠する『くるみ割り人形』とはまさに真逆に、信州フォークロアに原型をもつ物語真相には、東洋的な阿闍世コンプレックスに由来する母性原理が、不十分ながら貫徹していることだろう。


といった具合に、松田政男は「真逆」を使いまくっている。

いずれもフリガナは振られていないので、本人は「まさか」の読みで使っていた可能性もあるが、少なくとも意味的には「正反対」で間違いなかろう。

1970年代から1980年代にかけて、この「正反対」の意味の「真逆用法は、特に映画系のライターあいだで広まっていったようである

たとえば田原総一朗もその一人である

1975年大統領を知らない人たちアメリカで見たしたたか生き方田原総一朗

もっと地獄絵は、その猥褻さ、はなはだ幽玄的でない表現に寄って、裸や性器露出がいやらしいこと、不自然なこと、いわば忌み嫌うべきこと、非人間的なことであることを強調しているわけで、これは、古代ギリシャをはじめヨーロッパ絵画彫像が裸の美を強調し、裸こそ人間自然の姿だといわんばかりに表現しているのとはちょうど真逆である


1978年穀物マフィア戦争田原総一朗

「当然でしょ。”緑の革命“とは、発展途上国にとっては、自立とは真逆の、アメリカへの依存度をより高めさせ、アメリカ政府と、多国籍企業世界支配システムにより深く組み込まれることでしかなかったのですからね」


1979年『潮』「二都物語1新潟VS山口総理大臣をうんだ街」田原総一朗

松陰は、この狂を愛し、みずから狂夫たろうとしていた。だが、岸信介には、狂はない。むしろ吉田松陰とは、真逆のように思える。


仮に、このあたりの記述が「まさか」という読みを意図していたとしても、フリガナがないので「まぎゃく」と読む人は多かっただろう。

よって「真逆(まぎゃく)」が広まったのは1970年代ではないか、というところで結論としたい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:57

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2025-12-06

日大から車で自宅(実家住みです)に帰ってきたらうちの駐車場を塞ぐ感じで私道に見知らぬ車が止まっていました。

田舎なので車じたい所有している人が少ないため必然的駐車場を確保している家がすくなく

こっちに帰省や車での来客がある場合は駐車スペースのある家に

事前に伝え置く事もしばしば。

けど今回止まってた車は見たことない車でした。

事前に話しも聞いていないし、母も今日中学生の妹の下宿先に出ていたので家にもいないので

いつも停めているご近所のA、B、Cにききにいきました。

ですが3人とも知らないようで、

「Dさん(母)が出てすぐに停めてあったから5時間は止まってるよ~」と

教えていただいた。

とりあえず車入れれなくて困るので知り合いのレッカー車あっかってる人に連絡。

そしたら一様Kにも連絡しとけと言われKにも電話しました。

最近近隣では不法投棄が多発していたのでKもレッカー車も直ぐに来てくれ車はお持ち帰り。

Kに持ち主が来るかもだから来たら連絡をと言われた。

それから3日くらいした夕方。母と近くのスーパーから徒歩で帰ってきたら

我が家駐車場に見知らぬギャルままがいて

車に蹴りをいれてるのがみえた。

ビックリして声をかけるとギャルままは

車返せ!って言っていました

なにいってんだこの人とか思いつつも

「車のナンバーは○○○ですか?」とたずねたら

「そうよ!○色の××」とつかみかかってきました

それなら警察に引き取って貰いました

と言うと

ちょっと置いただけでしょ!ってまた暴れだした

ギャルまま暴れ放題で

我が家の車にコンサートかなんかで振る蛍光ライト?をぶつけてきました。

どうやらこのまま隣の県で行われた某アイドルコンサートに2日間連続で参加した模様…

残っていた蛍光ライトインクが車にべっとりつきました

母はレッカー車屋さん、Kに連絡し近くし、20分後くらいにKが駆けつけてくれました。

Kが駆けつけてくるまでにギャルままの子Eが○を漏らしてしまい(3才くらい)家に凸無理矢理凸され

何故か床の間に飾ってある書道師範看板を盗もうとしていました

必氏で止めるのギャルままと私の体格差ありすぎて阻止できませんでした

Kが来てから

ギャルままおとなしくなりましたが

レッカー車代をKが支払うように促すと

こいつ(私)が勝手に動かしたんだとダダをこねていました。

しばらく暴れ続けていると応援で来たKが何処かに連絡。しばらくして沢山のパトカーが。

ご近所、私、母は(゜ロ゜;状態

ギャルままは無理矢理連行されて行きました。

えっ、えっ、と戸惑っていると

そのギャルまま

3つ離れた町で色々やらかしたあと行方くらました人しくて、両親から捜索願いが出ていたそうな。しかもこのギャルままの旦那行方不明の様。

車は盗んだ物だったらしい…

何はともあれギャルまま回収されたけど車はめちゃめちゃなので

ギャルまま両親と明日話し合いです…

一様レコーダーかいるのかな?向こう弁護士つれてくるらしいがそんな大事なのかな?

30分くらいXに

このままだと娘が檻のなかに行かなきゃいけなくなるから

被害届は出さないでくれ

子どもお金がかかる

あんたはもうすぐ社会人から車の破損は我慢しろ云々で

話が進みませんでしたが

Yの登場で空気が変わりました。

現れたらYはUと私の高校の元担任だったのです。Yは被害者が私だと分かると平謝りでXもYに従う感じでした

結局Yの意見

車の修理費

看板の修理費

車が治るまでの交通費

迷惑

こちらの弁護士費用

出してもらう事になりました。

しかし先輩Uは二次被害を出さないためにもギャルままの引っ越し

接近禁止念書を書かせていました

その後ギャルままが直接謝罪をとのことでXがギャルままを家に連れてきましたが

なんでパパの年金あんたが使うのよ!氏になさい!というギャルまま

それに加勢する母親

自宅の門が壊されたので遠慮なくKに連絡

担任には悪いが被害届は取り下げるのやめることにし、いち早くギャルまま一家が退散する事を約束してもらい

退散確認被害届を下ろすことにしました

尊敬していた先生だったのでイザコザを作りたくなかったですが仕方ないです。

午後から大学の予定が全てパーになりました

余談?ですが

ギャルままは地元で色々やらかしたので(万引きなど)後々遠くに引っ越す事は決まっていたらしく

今回の件で引っ越すのが早まったみたいです

ギャルまま夫は傷害?でタイホーされたみたいです。

なんか怖い一家だな…

Permalink |記事への反応(0) | 09:21

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anond:20251206075206

横浜国立大横浜師範ルーツ

千葉大東大空襲疎開ルーツ

筑波大は東京師範核戦争最終戦争に備えてくそなかに疎開させたのがルーツ

ぜんぶDSの陰謀

Permalink |記事への反応(0) | 08:07

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2025-12-04

エッホエッホ起源騒動、あるいは流行語大賞表彰式を巡るインターネット集合愚

高市総理「働いて×5」流行語大賞受賞が左派界隈で大きく炎上する傍ら、もう1つの炎上が起きていた。エッホエッホ構文でパクツイ犯が勝手表彰されたというものだ。

どう炎上していたかは後で解説するとして、初めに結論を書くと授賞式で表彰された「うお座」氏は紛れもなくエッホエッホ構文の創始者である炎上は完全な冤罪だ。

事実として、エッホエッホ構文は彼の3つのネタツイから始まった。

エッホエッホ構文を生み出したうお座氏のツイート分析する

エッホエッホ

早くたかみなの具合が悪いからふざけないように国に伝えないと

エッホエッホ

エッホエッホ

ママ夜ご飯いらないって伝えないと

エッホエッホ

【なぜ?】

エッホエッホ

の子に嫌いって伝えなきゃ

エッホエッホ

1つ目と3つ目はうお座氏のサブ垢@selfsatisfac、2つ目の投稿本垢の@zlatanera17から投稿されている。どうも、クセのあるネタはサブ垢から、万人受けする本命ネタ本垢から投稿するという運用のようだ。

ネットミームには、人々の中で伝播する中で徐々に形を変えていったものと、原型がほぼそのまま流通するものと2種類ある。エッホエッホ構文は後者だ。エッホエッホ構文のほぼ全ての要素がうお座氏のツイートに詰められている。

まず、最初の「たかみなの具合が悪いから〜」の段階で、「エッホエッホ (任意の内容伝える) エッホエッホ」という構造となっている。

流行語大賞の選評でも、

これを、さして緊急でもない話を「伝えなきゃ」という動作見立てたところが秀逸で、一気に拡散したのもうなずける。

と述べられているように、これこそがエッホエッホ構文のコアの独創性である

次に、本垢から投稿されたうお座氏の最も拡散されたエッホエッホ投稿では、「可愛らしい子供がお母さんに頑張って何かを伝えようとしている」というエッホエッホ構文のイメージ確立している。

エッホエッホ構文に詳しくない人向けに例をあげると、うお座氏の後にエッホエッホ構文で最もバズったツイートの1つである霜田氏のツイートも、このイメージ継承するものだ。

エッホエッホ

明日の図工でラップの芯2本使うって、お母さんに教えないと

エッホエッホ


最後に3つ目の「あの子に嫌いって伝えなきゃ」で「伝えなきゃ」というフレーズ使用している。エッホエッホ構文は現在では、「伝えないと」ではなく「伝えなきゃ」という形を取るものが主流だと思われるが、これもうお座氏が初である

エッホエッホ構文を使用したネット大喜利は、うお座氏のこの3つのツイートがバズったことで始まった。

これは、ツイート検索すれば明らかなことである

日本時間2025年2月24日21時までの「エッホエッホ」検索結果

うお座最初ツイート2月24日4時7分、3つ目のツイートは15時42分投稿のものだが、

うお座氏以外でエッホエッホ構文を使い始めたのは、24日16時58分のツイートが初で、それまではうお座氏以外にエッホエッホ構文使いは存在しない。

誰もが参加できるエッホエッホ構文ネット大喜利自然発生したのは、うお座氏が3つの巧みなネタツイをそれぞれバズらせることで構文としての汎用性を立証したからこそなのだ

うお座氏はパクツイ犯だというデマはどう間違っているのか

エッホエッホ構文の生みの親がうお座であるという明白な事実があるにもかかわらず、ネット民は別のツイッタラー「はじめ」氏をエッホエッホの「始祖」と崇め、うお座氏らを「パクツイで受賞」「ミーム横取り」「お前らが受け取るべきじゃないって伝えなきゃ」などと中傷している。

しかし「はじめ」氏がエッホエッホの「始祖」だというのは、デマである

エッホエッホ構文の起源ははじめ氏ではない理由

端的に、初出でもなければ拡散もされていないかである。彼はエッホエッホのブームが一通り落ち着いた2025年6月に「てかエッホエッホってほぼおれ発祥やったよな」とツイートしたことで、この構文の起源だという認識を獲得した。しかし丁寧に検証すれば、これは不当な「あれ俺」主張であるとみなさざるを得ない。

はじめ氏が証拠として提示したのは、以下のツイートである

運動するか

えっほっえっほっ

このツイートが真の起源であると誤って信じられた理由について、1つ1つ解体していこう。

誤解1: このツイートは、12月4日現在およそ1万RT10万いいねを記録している。ここまで拡散したツイートであるならば、うお座氏のツイートにも影響したに違いない。

これは誤った推論である。なぜならばこのツイート2025年6月投稿者が「あれ俺」主張するまではほぼ知られていなかったからだ。

現に、うお座氏のオリジナルのエッホエッホ構文ツイート投稿された2月24日までの、はじめ氏のツイートの公開リツイート数を取得するとわずか1件しかリツイートされていない。

念の為、はじめ氏が2022年投稿した類似内容のツイートについてもリツイート数を取得すると、9件である。身内にはウケたのかなという程度の数字だ。

検索する限り、うお座氏とはじめ氏の間にリプライ/RTなどの交流確認できないので、合計10RTしかないツイート依拠したと考えるべき理由は何も存在しない。

誤解2:ミームになるはるか4年前2021年10月にこの画像を発掘するなんてすごい

2021年10月画像日本画像話題にしたのははじめ氏ではなく、およそ4万RTを記録した最多情報局(@tyomateee)の投稿であるアカウント名でわかる通り、これは転載系のアフィアカウントであり、この元ネタ英語圏で同じく4万RTを記録したRosi@rosiyesrosiの投稿だろう。

なんにしろ、はじめ氏は、海外でバズった投稿画像転載して日本でバズった投稿さら転載して投稿しただけであり、発掘の功はまったく存在しない。

誤解3:メンフクロウヒナに「えっほっえっほっ」というキャプションを初めてつけたのがすごい

あの写真を見て「えっほえっほ」と形容したくなるのは日本人にはある程度普遍的感覚らしく、2021年10月だけで少なくとも4人が同じ投稿をしている。はじめ氏は3番目だ。

仮に、「えっほえっほ」という文字列に何らかの尊重されるべき新規性を見出すのであれば、中でも最古と考えられるジロ助🐶🐾氏の投稿を称えるべきであろう。

とはいえ、こういうある程度誰でも思いつく発想を個人に紐づけてしまうのは望ましくない。新規性はないと考えるのが常識的結論だろう。ちなみに、2025年2月でも写真に対する「えっほえっほ」という反応はうお座氏の前に2件発見できる。

うお座氏にパクツイ犯の汚名が擦り付けられる至った経緯

陰のTwitter文化の陽のTikTok文化に対する反感、文化盗用感情

流行語大賞表彰者に対する異議の声は、パクツイデマが発生する前から大きかった。理由はおそらくTikTok文化への反感である

表彰写真には「うじたまい」と「うお座」の2人が並んでいた。両方白系の服で陽の雰囲気を漂わせており、ぺことりゅうちぇるのようなコンビを思わせるところである

そして「エッホエッホの歌」の作者うじたまい氏は、TikTok/YouTube文化人間である。ゆえに、X民側のはずのうお座氏もまとめてTikTok民の仲間か何かだと思われてしまったのだ。

「Xで生まれミームなのにTikTok勢が表彰されやがって」これが、初期の異議の背景にあった感情である


また、うじたまい氏が一部Twitterからミームを終わらせた人」と敵視されていたことも、反感感情燃え上がらせた。

しかし、うじたまい氏が「ミームを終わらせた人」だという評価妥当なのだろうか。動画文化圏には土地勘がないので、本稿ではうじたまい氏の表彰が適切だったか本格的に検証するのは範囲外とするが、明らかな事実として「エッホエッホの歌」でミームは終わっていない。むしろミームとしてのピークは「エッホエッホの歌」の後に来ている。

Googleトレンド確認しよう。人気度の動向では2つの山がある。まずひとつ目の山はエッホエッホ構文が生まれ2月末、人気度47である。ここから徐々に人気度は下がるが3月第3週に反転、4月初旬の人気度は100、エッホエッホミームの人気度のピーである

うじたまい氏の「エッホエッホの歌」は3月1日TikTokYouTube投稿され、YouTubeでは1,459万回再生されている。私としてもなにがおもしろいのか全くわからないネタでありTwitter民が冷めたと感じるのは理解できるのだが、再生数は正義だ。

ミームピークがこの後4月に来ることを考えると、Twitterよりさらに活力のあるTikTok/YouTubeミーム移植したという功績は大きい可能性が高いのではと思う(なお動画化の初出については調査していないので、より適切な人選がある可能性については留保する)。

そんなこんなで表彰の人選に対して疑問の声が集まる中、「エッホエッホは火付け役うお座ミーム終わらせたのがうじたまいで始祖この人だよね 」と、はじめ氏のツイートが紹介されたのである。これがパクツイデマの発端であるが、ここまでは火付け役としてうお座氏の功を認めており、パクツイまでは認定していない。

競合ネタツイッタラー私怨

本格的にうお座氏にパクツイ冤罪が着せられるようになったのは、有力ネタツイッタラー理解のある蟹くん」氏の投稿きっかである

理解のある蟹くん氏は、はじめ氏に対し「流行語大賞おめでとうございます 」と皮肉げに祝福し、続けて、証拠としてあるスクショを掲げて、うお座氏を「親父気をつけろ 奴は他人のツイートを盗む」と誹謗した。

まりネタツイッタラーうお座パクツイ常習犯であり、エッホエッホもその一部だと言わんとしたのである

しかし、理解のある蟹くん氏のスクショを見てみると、これはうお座氏の素行の悪さの立証には到底なっていないと思われる。スクショの内容を文字化すると以下のとおりである

1.5月26日理解のある蟹くん氏が、「ANA機内騒動、ドア開けようとする御奈新日ヶ万出」というGrok自動生成ニューススクショコメントなしでUPする。66リツイートされる。

2.6月9日、うお座氏が「これ何だったんだ」というコメント付きで同じスクショをあげる。コラでなく実際に見たとも主張する。1,271リツイートされる。

検討しよう。まず、そもそもコラでなければうお座氏のツイートになにも問題はないので、これは理解のある蟹くんの作成したコラであったのだろう。が、コラであるという注記はどこにもない。Grok自動生成見出しに誤りが多いことはよく知られた事実であるので、これを見た人は本物のスクショであると誤認したとしてもある程度やむを得ない。

そして、うお座氏/理解のある蟹くん氏ともにネタツイッタラーであり、他人がUPした画像転載しておもしろコメントをつける芸で人気を集めている。当然、日々ネタツイ芸に使える画像を大量に集めていることだろう。おそらく、うお座氏の画像ストックの中に理解のある蟹くん氏のコラが混ざっていて、後日ネタツイを考えているとき記憶違いでコラを実際に見たものと誤解してしまったのではないかネタツイッタラーありがちなミスだろう。

なんにせよ、理解のある蟹くん氏がこれをパクツイだと感じたならば、この件に限ってクレームをつければいいのであり、デマに乗っかってこれ幸いと競合ネタツイッタラーを貶めようとする行為正当性はない。ネタツイッタラー倫理として、ライバルにはデマではなくネタを以って勝利すべきだ。

その後集まる中傷

一度、パクツイと思い込んでしまえば、中傷は止まらない。中傷ツイートなかには数万規模でいいねを集めたもの複数存在した。

例えば、“空也上人像”コスプレで有名なクリエイター、中埜氏は2人の写真晒し上げ、以下のようにツイートした。

パクツイした人の顔がこんな大々的に披露されるの、滅多にないと思う。デジタルタトゥーじゃないのこれ。

パクツイ犯として、一生風当たり強く生きてほしいですね。

この件について、ウェブメディアラノベ作家三国陣にインタビューしてください。

願うことなら、「デマに真に受け、人の顔をデジタルタトゥーにしようとした人」として、一生風当たり強く生きてほしいもである

またライブドアニュース投稿には一時「初出は『うお座』氏ではありません」というコミュニティノートが付いた。少数の人間の地道なデマ訂正の努力もあり、このコミュニティノート現在消えているが、「集合知」に依存するコミュニティノート脆弱性が露わになったと言えるだろう。

結論と教訓

このような記事を作るとおそらく、「ネットミームの初出がなにかなんてどうだっていい」「初出なんて明らかにするなみんなのものだ」のような反応があるだろう。それはそれでいいと思う。一貫性をもたせることができるならの話だが。

実際は、言葉に反して多くの人は初出をそれなりに尊重している。尊重しているからこそパクツイなる言葉で人を責めようとするのだ。すべてが匿名であった2ちゃんねる時代と違い、ツイッター時代ネットミームはそこそこ高い精度で初出を辿ることができる。ネットミームに対する倫理は当然に変化している。自分に都合よく、あるときパクツイあるときはみんなのものと、倫理つまみ食いをするのはいけない。

多くの人がデマに騙された理由としては、ネット自分の庭であり流行語大賞なんかにはわかるはずがないという驕りもあるだろう。思い出すのはだいしゅきホールド三国事件顛末である医学博士号を持つ科学者で、ネットでは科学啓蒙者としても活動していた高山理図先生は、だいしゅきホールド起源僭称した友人である三国陣氏を信じ庇ってしまたことで、今もなおネット空間中傷を受けている。しかし今回の事件起源僭称者を祭り上げ庇ったのは誰だったのか、ネット多数派ではないのか。三国事件を風化させないという題目掲げながら、起源僭称者を称える倒錯に至る宿痾を一度考え直すべきではないだろうか。

参考リンク

はてな匿名ダイアリーには、記載できるURL数に制限があるのでいくつかのURLを省略した。大方は以下から確認できるはずである

エッホエッホとは (エッホエッホとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

【デマ】新語・流行語大賞はパクツイ犯を表彰した?【エッホエッホ】 - posfie

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2025-12-02

大人うんこを漏らす理由を雑にまとめてみた話

なんかさ、「大人なのに漏らすなんてありえないでしょw」みたいな空気あるけど、

普通にありえるし、別に珍しくもないんだよね。

自分のまわりでも何人か聞いたし、わりと「運が悪いと誰でも起きる」類のやつ。

というわけで、大人が漏らす理由をざっくり分類してみた。

ついでに小学生でもわかるぐらいの説明つけておく。

おなかの調子ガチで悪いやつ

これはもう避けようがない。

ウイルスとか、冷えとか、食べすぎとか、そういうの。

おなかが「いま! いま出すぞ!」みたいになって、

人間側が「待て!」って言っても聞いてくれないタイプ

対策

なんか怪しいと思ったら即トイレ

合わない食べ物を雑に食べない

手洗いしっかりしとく(地味に大事

トイレが遠い・行けない環境のやつ

電車会議渋滞

「行きたいけど行けない」状況が長いと、普通に事故る。

大人になると地味にこれが多い。

体より環境問題

対策

出かける前にワンチャン行っておく

トイレ場所を先に確認(これ、地味に効く)

不安な人は携帯トイレ持ってる

しりを締める筋肉が弱ってるやつ

歳とか、病気のあとの影響とか、そういうやつ。

マンボタンが弱くなると、急にピンチが来る。

対策

しりを締める筋トレ(意外と効く)

毎日決まった時間トイレいく習慣

気になるなら素直に病院いったほうが早い

せき・くしゃみときに出ちゃうやつ

風邪ひいてるときにありがち。

せき1発でおなかにドンッて力が入るやつ。

対策

せきのときは体を少し前に倒す

体を冷やさな

なんか続くなら病院

まとめ

というわけで、「漏らす=だめ」みたいな話ではなくて、

だいたい理由があるし、わりと誰にでも起きる。

大人でも漏れ

だいたい“タイミングか体調”の問題

ちょっとした準備や習慣で結構ふせげる

気になる人は病院いけばだいたい改善できる

以上、「うんこを漏らす」というだけで人生終わりみたいな風潮がちょっと気になったので書いた。

生きてるといろいろある。ほんとに。

Permalink |記事への反応(0) | 21:36

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2025-11-28

祖母危篤になった

祖母危篤になった。

80を超えても元気で明るい祖母だった。

なかなかに破天荒性格で、10から酒とタバコを嗜み(あの時代では普通だった)、半ばヤクザのような祖父とは2回離婚して3回結婚したようだった。

祖父背中には大きな龍がいたとのことだが、

私が幼い頃に亡くなったので覚えていない。

祖父は手先が器用な上に気遣い上手で話も上手いので、大層モテたらしい。

ある日突然愛人の元へ行ってしまい、帰ってこなくなることもザラにあったという。まだ幼かった父の手を引いて色々なところを転々と働いたと、いつだったかタバコの煙を燻らせながら話していた。

祖父借金まで背負って、祖母は懸命に働いた。高校を出ていない祖母飲食店転々とし、朝から晩まで働いたうえで幼き父の世話もした。ここだけ聞くと祖父一方的悪者のようにも聞こえるが、祖母祖父を恨んでいるようには思えなかった。

愛人作って出ていっちゃう時もあったけど、モテる人だったから」

「あの人は本当に手先が器用でね、こんなものだったら手作りしてたよ」

祖母祖父を語る時はいつも楽しそうで、幸せそうであった。

恋や愛というもの理解していない私にはそんかものか、と思われて聞いていたが、今思うと間違いなく祖母祖父を愛していたのだろう。(沢山のしなくてもいい苦労もさせられたと思うが)

祖母祖父が亡くなってから一人で暮らしていた。「誰かの負担になりたくないから」と快活に笑う祖母は70すぎまで働いていた。

遊びに行くと、タバコを吸いながら店のオーナー愛人悪口や、不倫をやめられないどうしようもない同僚の女の悪口など(今思えば不倫話ばかりである)を言う祖母はなんというか、世間一般での「おばあちゃん」らしくなくて好きだった。

彼女趣味も若く、60すぎできゃりーぱみゅぱみゅライブに行っていた。今流行りの芸能人祖母に聞けばすぐわかった。

愛人を囲っていたり、不倫を続けたりする人間祖母の周りには多くいたようだが、ともすると祖母にとっての愛人タバコではなかろうか。

10から吸っているタバコの量は減ることなく、祖母の肺を黒くし続けた。

ついに肺気腫になり、3時間に一度酸素吸入をせねばなくなった祖母は、紙タバコから電子タバコへ変えた。(紙タバコでは酸素により引火するため)

10から50年以上積み上げた習慣を崩せる人間はなかなかいないだろう。

酸素吸入器を部屋の端に置きながら、祖母はそれでも元気にタバコを吸い続けた。


今年の冬はインフルエンザが昨年の4倍流行していた。

もはや家とスーパー病院の往復しかしていなかった祖母ですら、見逃されることさなかった。

ウイルス祖母の体に入り込み、肺にまで悪影響を与えた。

急に入院が決まったのが2週間前、意識を失ったのが昨夜だった。

から電話をもらい駆けつけた時には、

祖母はその細い体にたくさんの管が巻き付かれていて、腕はアザまみれだった。

苦しそうに、なんとか息をさせられている状態であった。意識がないのでもはや痛みも感じないらしいが。

から、何か言葉をかけてほしいと言われたが祖母状態へのショックが大きく、何を伝えたらいいかからない。

先に到着していた弟が、手を握ってあげてと言った。

祖母の痩せ切った手はとてもあたたかかった。思えば祖母の手を触ったことなど、20年ぶりかもしれない。

生きている。

変な言い回しだが、祖母は当然今までも生きていて、その体は熱を持っていたはずである。だが、生と死の狭間にいる祖母に触れて初めてその熱を知り、生を実感した。

上手く言葉にできない。しかし、あの手の熱はきっと一生忘れないであろう。

握り返されることはなかったが、私に熱を分け与えてくれた左手には結婚指輪が光っていた。シミや皺も多く、手首には管もたくさん巻かれていたその左手はとてもきれいだった。

医者は今夜が山場だという。

父は病院に一晩つきそう。

祖母のあのきれいな手を、天国祖父は握るのだろうか。

Permalink |記事への反応(2) | 00:00

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2025-11-27

清潔感と「きれい/きたない」のあい

清潔感」が燃えるの何度目だよ。

anond:20251126100645

清潔感」のミソは「清潔」という言葉だろう。「清潔」であることと「きれいであることは厳密にいえば違うのだが、人間日常生活では「きれい」の感覚のほうが重視され、なおかつヒューリスティック判断ではきれいなものは「きたないもの比較して」おおむね清潔であるので、この2つの概念はごっちゃにされやすい。

既に使い古された例示ではあるが、あなたがこれから2つのマグカップのうちどちらかを使って水を飲めと言われたら、どちらを使うだろうか。

どう考えても、「清潔」なのはカップBだ。しか人間認知カップBを「きたない」と感じるようにできている。実際にはカップAのほうが「不潔」なのだが、カップBと比較するとカップAのほうが「きれい」に感じられる。

近代以前であれば、つまり細菌という概念が見つかっておらず、また除菌技術も発達しておらず、身分によって享受できる衛生環境に差があった時代にあっては、「きれい/きたない」と「清潔/不潔」はおおむね対応していた。水で洗ったものは洗っていないものに比べてきれいであり、清潔である。整えられた貴族の髭は農民の無精髭に比べてきれいであり、清潔である。つるりとした富豪の肌は皮膚病で荒れた貧民の肌と比べてきれいであり、清潔である。それで何の問題もなかった。

しか現代社会ではこの2つがズレる局面が多々出てくるようになった。多くの人が毎日風呂に入るようになった時代にあっては、短い無精髭よりも丁寧に梳られた豊かな髭のほうが雑菌が多いだろう。伝染性の皮膚病が少なくなった社会にあっては、アトピーが目立つ風呂上がりの肌よりもシャワーを浴びる直前の滑らかな肌のほうがよっぽど不潔だ。コーヒーの染みが落とせていない洗いたての白衣と当直で着たきりの真っ白な白衣なら、多くの医師が前者を清潔だと判断するだろう。

そして現代人も、多くのひとは「清潔」ではなく「きれい」を重視して生きている。スマートフォンという雑菌の塊をレストランテーブルに置くひとは大勢いる。多くの店舗では手袋をはめたまま食事の準備と会計を行う(素手で都度手を洗ったほうがよっぽど清潔だろうに)。増田風呂を浴びてメガネをかけてから洗い物をする習慣があるが、メガネをかけるときに手が雑菌まみれになることはあまり気にしないようにしている。気にしていたらきりがないからだ。

清潔感」はうまい言葉だ。「~感」といったとき対象が実際に「~」であるか否かは場合による。AIの絵に「ジブリ感出てる」と言うときAIの絵はジブリの絵ではないことが明らかだが、いっぽうで、「それってどうなのよ感がある」と言ったら「それってどうなのよ」と言いたいのだ。

では「清潔感」はどちらか。伝染性のないアトピー患者シャワー浴びたての無精髭やシワが寄った洗いたてのシャツに発動され、水虫美男子や立派な髭をたくわえたイケオジや昨日から着たままの洒落た服に発動されない感覚は、どう考えても実際の「清潔」を推し量っているのではない。それは「きれい」さを推し量っている。

「~感」がついている以上、「清潔感」が実際の清潔を表していなくとも間違いではない。その意味で、「論理的」に概念破綻を示そうとする人たちはおかしい。しかし同時に、「清潔感」を必死になって正当化しようとするのもおかしい。それは原始的ヒューリスティック認知に過ぎず、倫理的正当化しうるものではない。カップAを反射的に選びたくなる本能美辞麗句で飾り立てているだけだ。

もちろん本能に従うことは別に悪いことではないが、本能に基づいてくだされた判断道徳的正当化することはできない。「巨乳女性が好き」という本能にしたがっておっぱいの大きな配偶者を選ぶのは個人自由だが、それを道徳的に正しいと言い募ることができないのは誰にだってわかるだろう。私たちは、清潔感という言葉定義をめぐる不毛な論争にかまけるのではなく、清潔感意味を持たせようとするのをやめるべきなのだ。それは本能的な反射にすぎないのだから

Permalink |記事への反応(8) | 10:58

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2025-11-22

フェミニズム日本を救っている

完璧国家運営など不可能なので、どうしても国民なかには不満を抱く層がでてくる

これまで歴史の中でそれらの不安の受け入れ先になり、集め、組織してきたのは

民族主義運動だったり、社会主義共産主義、そしてそれらに対するカウンターとなる右翼運動だった

この3つには共通点があって、いずれも現在体制破壊し、

自分たちの思い通りになる新たな体制をつくろうと先鋭化していくというものである

しかし、フェミニズムは違っていて、いくら先鋭化しても党をつくって国政に進出することはないし

組織体を作ってそれを足掛かりに社会の実際の権力を握ろうとすることもない

あくま権力体の外から声掛けをするだけである

日本人特に若年女性という巨大な層の不満をフェミニズム運動が回収している限り

ほかの体制にとって本当に危ない民族主義社会主義右翼思想がとれる不満のパイは減っていく

日本の安定性を高めているのはフェミニズムなのである

Permalink |記事への反応(1) | 16:15

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anond:20251122104231

https://b.hatena.ne.jp/site/megalodon.jp/

このなかに増田をおいつめる魚拓があるということか。

けしからん話だな。

Permalink |記事への反応(0) | 10:51

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2025-11-21

ヤマレコという登山アプリがある。

登山者が山行記録を載せたり、山行計画を立てたりするのに使用しているアプリ

SNS的な要素もあり、山行記録をあげると「いいね」がついたり、なかに友達申請して

相互フォローしたりしている人たちも多い。

わたし自分の山行記録をあげるだけで特定アカウントの記録を追いかけたりはしない。

つぎどこの山に登ろうかなぁと下調べする際に参考程度にのぞいたりはするくらいだ。

先週、燕岳に登ろうと思ってヤマレコをちらちらみていたら、燕岳はもう雪で真っ白になっていた。

本格的な冬山装備をまだ揃えきれていないわたしは、雪の燕岳来年からだな、と気持ちの整理がついた。

最近燕岳山行記録をいくつか開いてみて、すでに雪の燕岳女性単独で登っていて印象に残った。

すごい人もいるもんだと思ったが、その女性過去の山行記録を覗きにいくこともしなかった。

今日女性劔岳で滑落死したというニュースを目にした。滑落したのは燕岳を登っていた女性だった。

Permalink |記事への反応(1) | 17:55

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山上被告の答弁のニュースを聞いてて思ったこ

母親統一教会にハマってめちゃくちゃになった家庭をクローズアップしています


男性だってそうじゃないかという意見は認めます


女性は法に触れないだけで、暴力性などは男性とあまり変わらないなと思います

多額の献金のために経済的に困窮し家庭内がめちゃくちゃになりました。これは法的になにかに抵触することではないが暴力だなと考えました。

それはこの件だけでもなく、ネットによる女性発言でもわかります

自身安全確認しながらも、しなくていい”暴力”を振るっています

それは基本的関係ないものです。

政治におけるそれや、女性差別などは、多少なり(少のほうですが)関係はありますが、タレント不倫などはもう全く関係ないと言えます。あとはオタク気持ちさなど。

彼らに向けて容赦ない暴力を振るっております

厳密には法律で裁くこともできるのですが、大勢の人は見逃されてますし、それを見越しての暴力です。


男性だってそうじゃないかという意見は認めます


女性狡猾です。必ず安全を確保してから攻撃する。ただ、なかに性格能力から詰めが甘く馬脚を表していることもあります。そのおかげで暴力性が計測されました。

物理的な暴力はわかりやすく法に触れるので男性的な暴力は激減し、安全から女性的な暴力がもはやメインとなってます

それでいて「女性怖い」というと差別といってまた攻撃されてしまます安全から攻撃というのはこういうことでもありますカウンターが当てやすいのです。

山上被告母親法律には触れていないので現在統一教会信仰シャバに住んでいます山上被告殺人というわかりやす暴力のために逮捕されて裁判されている最中です。

頭の悪いことを言っています自覚しています。でも、そう思わずにいられないのです。

Permalink |記事への反応(3) | 08:53

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2025-11-20

anond:20251120165440

そもそもがColabo のお世話になるような子は、なんらかの発達障害知的障害があるんやないの。

発達障害なかにもいろんなタイプがあって、救いやすい子から順に救われていってるだけなんちゃうん。

Permalink |記事への反応(0) | 17:02

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普段から暴走行為してるアホが単独自損事故で首がもげたとしても悲しむやつはまずいない。むしろよかったねとせせら笑うくらいのものだ。

安倍首相が殺されたのも、「安倍極悪人」という世界観の人にとっては暴走首もげと大差ない事象だろう。それはまあどうでもいい。

しか犯人の山なんとかにとってはどうなのだろう。罪悪感というのはなかなかに複雑なものであるからただのバカにはわからいかも知れない。しかし山なんちゃれはそこそこ頭は悪くなさそうである

統一教会の偉いやつを殺すでなく、母親を殺すでなく、「自分の苦境は間接的に安倍のせいだ」という理屈で、また「元総理を殺せば注目を集めて統一教会ダメージを与えられるだろう」という打算によって、一人の人間を殺す。

銃を手に向かってくるのを返り討ちにするのでもなく、何も気づいてない話したこともないおっさんを射殺する。

いまどんな気分かな?

あらゆるテロある意味ヘイトクライムであると思う。「コイツの命なんか自分目的を遂げるための道具にすぎないんだ」と、文字通りにひとをモノ視しているから。

そのまま罪悪感のスイッチを切ったまま平気で生きていくか、どこかで「自分はなんということをしたんだ」と後悔に捕まるか。どっちも普通にありえるとは思うが。

見沢知廉内ゲバ殺人については特に反省するようなことは書いてなかったと思うが、後悔しすぎて触れられなかったのだろうか。自殺したのも自責のあまりか。それとも単にうつ病か何かか。

フィクションではよく盛大に反省してひたすら贖罪人生を送るナイスガイが出てくる。その反動で、いや人間なんてもっと血も涙もないもんでしょと思ったりもする。

しか自分の都合のために直接知り合いでもない他人人生を終わらせることの重みは、まともに考える頭があるなら軽いものであるはずがないのだ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:16

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2025-11-18

銀座を歩き疲れた午後に、中国人観光客のことを思う

先週末、銀座歩行者天国を、私はいつもより少し早い足どりで歩いていた。

と言いたいところだが、実際には“歩かされていた”というほかない。

から来る人、横から割り込む人、後ろからじわじわ迫る気配。

ひとの体温が、ちょうどぬるめの風呂のように肌にまとわりつく

私は自分の足なのに、どこに向けて運ばれているのかわからなくなってきて、ふと「これは私の散歩なのか?」と疑いたくなった。

その渦のなかに中国語の一団がいた。

語尾の跳ね方からして、おそらく中国の人たちである

歩道の真ん中で写真を撮り、店先に群れ、声も大きい。

私は、まるで自分の神経がむき出しになったような顔つきで、これを眺めていた。

実を言うと、こういうことを書くと、いまではあちこちから叱られる。

から普段は言わない。

しかし、ここでは思い切って白状すると、私は最近中国観光客と同じ空間にいるだけで、ちょっとイライラするようになってしまった。

もちろん、これは立派に私の問題である

疲れか、年齢か、単なるわがままか。

そのへんの判断が、最近は少し怪しい。

さて、そこで私は考えた。

——そもそも私は、何に怒っているのだ?

まり気の利いた答えは出なかったが、どうやら相手の行動そのものよりも、

“怒ってしま自分”に驚いているらしい。

考えてみれば、日本中国に随分と世話になっている。

文字も教わり、思想も手ほどきを受け、食べものから建物のつくりまで、大なり小なり影響を受けている。

その事実を忘れたことはないつもりだが、銀座人いきれに押されていると、そんな立派な話はどこかに飛んでしまう。

それで私は、観光客のざわめきの中で、

「ああ、私は今たいへん小さい人間になっている」と気づいたわけである

この気づきは、銀座のどの高級店に入るよりも、よほど身にこたえた。

とはいえ日本人が公共の場所で静けさを好むのは昔からだ。

列を守り、空気を読み、声をひそめる。

それが美徳とされてきた。

ただし、これは日本語で書かれた“暗黙のマニュアル”なので、外国の人が読めるはずがない。

それでも私は、心のどこかで「少しは気を使ってほしい」などと思っている。

勝手な話である

だって海外へ行ったときにどれほど現地の人を困らせているかわかったものではない。

そこで、一つ大事なことに気がついた。

——私は、観光客に怒っているのではなく、“自分文化特別扱いされない状況”に、なんとなく戸惑っているのだ。

なんとも情けない話だが、そう考えると肩の力が抜けた。

文化というのは、所有物でも家宝でもなく、ただそこにあるだけのものだ。

それに褒め札をつけてもらえないからといって、いじけるのはどうかしている。

ひとの流れが緩んだ瞬間、私は歩調を少し落とした。

胸のあたりの熱がすっと引いていく。

観光客の声は相変わらず大きかったが、なぜかさっきほど気にならなかった。

ひとの文化は違うし、違って当たり前だ。

それを文化の“摩擦”と呼ぶなら、その摩擦音に少しくらい耳を傾けるのも悪くない。

しろこちらのほうが正しい街の歩き方かもしれないとすら思えてきた。

さて、思う。

——私はいったい、誰に怒っていたのだろう?

相手か。

それとも、説明なしには伝わらない日本文化を、どこか“偉そうに”抱え込んでいた自分自身か。

おそらく後者だろう。

そして、まあ、それならそれで仕方がない。

人間、時々は“自分の小ささ”が可笑しくなるくらいで、ちょうどいいのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 22:04

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ホストクラブという邪教

ホストクラブは、ただの散財でも、盲目的な恋でも、ちょっと過激オタク活動でもない。

ホストクラブは、姫とホストを供物とし邪神に捧げる現代の悪しき慣習だ。

※このブログでは便宜上、「ホストクラブ=店」「ホスト=キャスト」として表現する。

ホストクラブはよくない、それはなぜか。

悪い男に騙されるから? 借金をすることになるから? 風俗に堕ちるから

それらは正しいようで全くもって浅薄な指摘だ。

枝葉の問題のみならず、私はホストクラブのもの構造自体を徹底的に批判する。

まず、根本的な勘違いを正す。

インターネットの皆さんは勘違いをしている。

一般層の「なんか怖い」「近づきたくない」これらの感想はほぼ正しい。

だが、何に対しても穿った見方をする皆さんの、ホストクラブへの見解基本的に次の2つの意見二極化される。

ホストクラブへの「冷笑

…「バカな女が金を使いまくっている、そのぶん投資に回せばいいのに」など。

また、「楽観視」

…「私もオタク活動してるから気持ちはわかる」「熱烈な恋にお金が掛かっているだけ」などなど。

このような発信を、インターネットの皆さんなら見かけたことがあるのではないだろうか? もしくは自ら発信した人もいたのではないだろうか。

貢ぐ姫を蔑む「冷笑」と、共感擁護のように見せかけた「楽観視」……このような意見ホストクラブという構造のものに対して本質的に的を射ていない。

冷笑意見への反論から話していこう。

まず、擦り減っているのは姫だけではないということだ。

ホストもまた、金銭を得る代償に肉体を削る。過度な飲酒で荒れる内臓嘔吐によって溶ける歯、そして慢性的睡眠不足

まり大事なのはお金が減ることではないということだ。

ホストクラブに通う姫は得てして過酷労働をしている。皆さんが考えられないような時間を使って、労働に充てている。そしてそのような仕事感染症リスクが高い。健康被害が出るのは当然だ。

次に「楽観視」への反論をする。こちらのほうが重いテーマとなる。

「楽しんでるんだからいいじゃん」という意見がある。

かに楽しい時間が全く無いと言っては嘘になるかもしれない。だが、さきほど話した通り、その裏で姫もホスト想像も付かないほど心身共に摩耗している。

そして、推し活と同じという意見

ホストクラブコンテンツではなく、関係性そのものに対価を支払うシステムだ。そこに搾取構造がある。

また、ホストクラブには姫同士の横の繋がりはない。使った金で競わされ、各々を孤立させる。

キャラクターアーティストへの課金とは異なり、文化のもの再生産性がないのだ。

ホストクラブ悪い男に騙される愚かな女という構図ではない。散財でもなければ、推し活の延長でもない。そこには、頑張る人間を消耗させるだけの構造がある。

ホストクラブという邪教

それは若い男女を供物に捧げる現代の悪しき慣習だ。

だが、そのなかに姫とホストが紡いできた関係があるのもまた事実である。それらの犠牲は儚く、刹那的で、美しいと感じることも否定はできないのかもしれない。

「私には関係ない」は間違いだ。夜の世界に近づく貧困や家庭環境不和はほんの少しの差で、ホストクラブは誰しもを飲み込む魔力がある。そして、人間のものの消費を加速させる装置により、逃れられなくなる。

ホストクラブには行くな!男も女も!

Permalink |記事への反応(0) | 18:31

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2025-11-16

[日記][感想]到津の森公園福岡県 北九州市

読みは「いとうづ」

ちょっとした遊園地動物園アスレチック複合施設

入場料600円

映画とかその他ふつう遊園地入園料とかと比べると動物園って激安だよなあと改めて思う

ただ北九州は車がほぼ必須なのが面倒

バスもあるけど電車より不便

博多とか天神とかだと歩きとバス地下鉄で気軽に移動できるけど、それができない

ともあれ到着

小学生が2校遠足にきててこりゃうるさそうだわと思ったけどそこまでではなかった

猿の前で猿の泣き声の真似してるのはうるさかったけど

マップ←の北ゲートから入る

園内マップ見ながら書くから読むときも一緒にミロ

https://www.itozu-zoo.jp/map/

入ってすぐ右手にあるのはロバ

1頭が木陰でぼーっとしてる

説明を読むとすげーおじいちゃんロバだった

そんでそばではロバに乗る体験コーナーがあったけど子供しかのれないとのことだった

ロバがかっぽかっぽ歩いて柵に近寄ってきて、その子の親が写真をとる

弟だか妹だかがベビーカーにのってて、ロバが顔を近づけたら怖いのかぐずりだした

写真で止まったままで飽き始めたのかロバは地面の草を食べ始めた

フリーダム

そのまま少し進んで右手にヤギコーナー

平地にヤギがいる感じじゃなくて、三匹のヤギのガラガラ丼の方のヤギ

展示もガラガラ丼と同じような岩場と丸太の橋が用意してあってそこをまさにガラガラ丼にでてくるみたいな八木がわたっててすげー感動した

地味にハイライトだよここ

振り返って猿山

あかちゃん猿を連れた母親と、父親と思われる猿が3頭でふらふら歩いてる

あかちゃん母親のおなかにくっついてるけどたまに落ちる

でも落ちても母親はすぐに気づかない

父親があかちゃんさわろうとすると母親はおこる

エサタイムはいわゆる猿山でホッホホッホウキーってうるさくなる

次シセンレッサーパンダ

いないなーみえないなーって思ったらいた

笹もあったしなんかパンダ分を補給できた感じになった

これもさっきのガラガラ丼みたいな感じでエリア移動用の通路が人が歩く上にあってそこでとどまって人間をみおろしてたりもしてた

さすがに立ったりはしなかったけど

プレーリードッグ

エサタイムで新しい木の枝がきたらみんながうわああああって感じで食べまくってた

すげー太って手くいいじ貼ってるやつがい

あとで帰り際にきたら食い終わってほとんどもうエサがなくなってみんなぼーっとしてた

そのうち2頭がすげーうごいてた

1頭がさきにうごいたらもう1頭がそれついていって2頭ともたちあがって2頭目が1頭目に無理やりちゅーしてるみたいな感じになった

頭目はいやがらないけど虚無みたいな表情してた

頭目恍惚としてたけど

頭目がなんども逃げて2頭目ちょっかいというか毛づくろいというかラブコールするのをなんども 繰り返してた

ウサギ

年取ったウサギがいた

エサもぐもぐしてると思ったらエサ箱にはいってるのをむちゃくちゃに散らかしてた

吸取れすたまってたんかな

オウムの展示も近くにあったけど

白くてでかいたまにつべショート動画でも見るやつ

こっちを少しだけちらっと見たけど奥の方でじっとしてた

キツネザル

ちょうどお昼だったか太陽のあたるところで日向ぼっこしてた

リクガメ

地面におかれたみじんぎりキャベツを食べてた

そのあと小屋がゴソゴソ音するなと思ったら一番でかいボスっぽいのが出てきてそれもエサたべたりエリアを歩いて散歩したりしてた

キャベツの芯もおいてあったけど全然かみきれずあきらめてた

ここでルート分岐

右側にいくことにする まずは

里のいきもの

室内

ここではじめてカヤネズミ見た!

1匹しかおらんかったけど・・・

カヤネズミのちゅるりという絵本、全人類が読んだことあるとおもうけどあれね

ほんとちっちゃいのよねえ・・・

これ絵本にでてきてたあかちゃんもっと小さいんだろうなという感じ

目はつぶらでかわいかった

あとは爬虫類とかがちょっといた

イモリはほんと水の中にいるんやなあとか

バードケージ鳥インフル対策で入れず外から見るだけだった・・

でも黒トキ?とフラミンゴオシドリは見えた

トキフラミンゴと同じように片足で立ってた

へー片足で立つのフラミンゴだけって印象だったけどトキもそうなんやと思って新発見だった

ひそかな木陰にホンドフクロウ

昼間ってこともあってかなり薄暗い中でじっとしてた

こっちをチラ見したりはしてたから寝てはいなかったみたいだけどお尻向けてた

ホンドタヌキ

みんな陰に隠れてるのか1頭も見つけられず

ここは動物園全体にいえるけど、檻がでかくてかつ木とか自然物のオブジェがすげー多いから、動物が隠れて探しにくいんよね

動物にとってはそっちのほうが断然いいとは思うけども

ムササビの森

ここもクソほど檻がでかいのとオブジェおすぎ全然見つけられず

ムササビ用のどんぐり貯金箱コーナーみたいなのがあって、園内でひろったどんぐりをここに入れてね!みたいなのがあった

ただの貯金箱じゃなくて、駄菓子屋にあるようなゲーム形式になってた

どんぐりを上から入れて左右からそれをはじきながら下まで落としていくゲームみたいな

そのあと下に戻る

姿見の池は水がぬかれていて何もいなかった

檻もなかったし本当にただの池ってだけって感じ

また左側に戻る

アムールトラ

奥の方で横になって寝てて顔も見えなかった

そりゃ顔見える方向だったらトラとしては落ち着かないからそうなるとは思うけどつまんなかったな

オウギバト

おおきめの鳩の頭にクジャク羽根みたいな冠羽がついてる感じ

セイロンゾウ

モナカの外側の皮をおやつとしてあげられるみたいなやつでそれで写真とってる人がたくさんいた

おばさんがゾウといっしょに写真とってもらおうとしてて、

何度も撮影者の方にいってアングル確認するせいでお預け状態みたいになってて笑ってしまった

そのあと小さい子供は鼻をさわろうとして手をのばすけどさわれなくてさわりたいと文句をいっていた

ゾウは2とういるけど、ケンカするから1頭ずつ半日交代で出てるってことだった

ただやっぱ見た目でかいのはインパクトあるねえ

動物園きてる!って感じがするわ

コンゴインコ

15分前くらいはすげーうるさかったけどしずかになってた

派手なインコ

フクロテナガザ

52歳のやつとかいてやばかった

すげー見た目からおじいちゃんって感じした

人間を観察してる感じもした

ワライカワセミ

かにとまってたから声は聴けなかった

縄張り争いとかで鳴くから縄張りくそもない動物園で鳴き声きくのはほぼ無理だよなと

マンドリル

やっぱ顔のインパクトあるよなあ・・・

あと地味に驚いたのが群れの数が世界一らしい

数百頭

ニホンザルも群れあるし多い方だと思ってたけど、世界的にはもっとかい群れがあるんだねえ

マンドリンって楽器あるけどマンドリルからきてるのかなあ・・・

クモザル

ドリトル先生クモザル島ってでてきたよなあ・・・

こんなマニアックなのをチョイスするってロフティングやっぱやべえわと思った

ずっとドリトル先生で見た文字イメージしかなかったけど初めて実物見たわ

ライオン

オスメス1頭ずついた

最初はメスがこっち見てくれててオスはお尻向けて寝そべってた

メスもすぐ寝そべって寝始めた

でもライオンって思ったより体でけえなって思った

オスよりメスの方が体格よかった

マサイキリン

模様が星型とかでふつうのやつとはちょっと違うらしい

まだ3歳ってことで小さめのキリンだった

シマウマ

フンがくさかったのとフンによってきたハエが来園者のまわりまで飛ぶくらいだったかちょっとひどいエリアだった

ただシマウマのケツや後ろ足あたりがまるまるとしていて、こりゃ肉食からみたらうまそうにみえるわと思った

ミーアキャット

端っこにいたやつが立ってた

アライグマ

箱慣れ中ということでなんか訓練中らしい

檻の中に体重計がだしっぱだったのがちょっと気になった

ホオジロカンムリヅル

人がくるとエサと思うのか一番檻の前まできて左右にうろついてた

これでほぼ動物全部

お土産コーナー

この動物園特有ってよりかは普通動物園おみやげうりばって感じで独自ぬいぐるみとかはなかった

キリンぬいぐるみもマサイキリンじゃない模様のやつだったし

動物園にいるのはムササビなのに、ぬいぐるみおいてるのはももんがだったり

お土産で儲ける気をちょっと出した方がいいと思った

あと動物園自体廃園危機だったけどいろいろ寄付とかサポーターとかあって存続してるんだって

いろいろスポンサー名前をいろんな場所でみた

あとただの併設遊園地と違うポイントとして、サイクルモノレールがあるんだけど、これに動物園ガイドの人がいっしょにのって上から動物たちの解説をしてくれるってやつだった

これはなかなかよさげだった

うーんバードケーじ入りたかったなー

大人だけだとだいたい3時間くらいかなー

芝生広場弁当くったり自由時間ちょっとあったら1日の遠足にはちょうどいいね

プレイランドワニワニパニックって笑ってしまったわ

動物園動物虐待のゲーム(笑)って思って

やぱ改めて考えても一番インパクトあったのはガラガラ丼のヤギコーナーだなあ

動物園で一番よかったのがやぎ (笑)って思われるかもだけど

旭川動物園朝日山動物園?も1回くらいいってみたいなー

なんか動物園ってせまく感じちゃう

大人になったせいか・・・

でも福岡市動物園はうちっぱなしのコンクリの檻のイメージの印象がつよかったから、

それに比べるとここの動物たちは少しはマシな環境だなと思った

今の福岡市動物園もどっかで行きたいな

Permalink |記事への反応(3) | 10:07

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2025-11-13

anond:20251113231210

そういう理想を描いて導入してみたら、

その環境を与えられたら大部分がサボるのが現実だった。

新入社員なんて4年間遊んでた学生上がりのガキだ。最初の緊張が抜けてしまえば、代返サボる学生の頃から何も成長しちゃいねえ。

管理が悪い? ちゃん管理されなきゃサボるって自白でもしてんのか?

なかには本当に3倍成果出せる奴もいるんだろうが、

そういう奴はそもそも国内企業に応募する必要すら無いから、もともと縁が無いしな。

結果として国内企業リモートワークなんて導入しても、喜ぶのはサボりたい奴だけ。

最適化だというのなら、テレワーク環境サボりにも副業にも最適化してるのも否定できないだろうよ。

まあ、じゃあ管理がしっかりしてる外資の巨大IT企業なら皆さんバリバリ在宅3倍速かといえば、現実はお寒い状況のようだな。サボりたい奴をリモート制御するのは不可能から、出社させるしかない。

共産主義みたいなもんだ。全員が無私無欲で勤勉有能なら成立するが、そうでなければ崩壊する。

で、現実の前に崩壊したのも共産主義と同じだ。

Permalink |記事への反応(1) | 23:25

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2025-11-12

ゲームエンディングに辿り着ける権利もっと守られるべき

ドラクエリメイクをやっててつくづく思うのだが、ゲームエンディングに辿り着ける権利もっと守られべきだ。

このシリーズには「楽ちんプレイ」というモードが搭載されていて、いつでもオンオフできるようになっている。

オンにすると戦闘ダメージによるキャラクターの死がなくなり、攻略必要とせず先に進めるようになる。

隠れボスや真のエンディング必要な要素に関係なく、これさえオンにしてしまえばほぼ誰もが用意されたエンディングにたどり着くことができるようになるのだ。

賛否ありそうな機能ではあるが、自分にとってはものすごく歓迎できる機能だった。

ドラクエリアタイ世代だった自分にしてみれば歳を取ったということが一番大きな理由ではあるが、趣味嗜好が多様化している現代ライフスタイルにしてみても、時間をかけて何度もリトライするようなゲーム性は恐ろしくタイパが悪いと感じられてしまうようになってしまった。

そもそもゲームタイパを求めてどうするという意見はわかる。

ゲーム中の体験のもの楽しいというのであれば、それはタイパが悪いと感じることはない。

そういった意味では、ドラクエリメイクゲームバランス自体自分にとってNot for meなだけだった話ではある。

しかし、だからといってそのままエンディングにたどり着けないことを納得できるかと言われると、一体自分ゲームの何にお金を払ったのかがわからなくなってしまうような理不尽さがある。

例えば最近賛否のあったHollow nightのSilk Songを例に挙げてみる。

いわゆる死に覚えゲーではあるのだが、その難易度の高さやリトライ性の悪さによってかなりの意見割れることとなった。

評判の良かった前作から発売までに時間がかかったことや大作級の作品であるのに価格が2,000円台と安価だったこともあり、たくさんのプレイヤーが発売直後に飛びついたことも大きな要因ではあるが、自分にしてみればやはり大半のプレイヤーがエンディングにたどり着くことを諦めてしまった、諦めざるを得ないほどの難易度だったことが一番の要因だと思っている。

せっかくゲームを購入したのに、それ以上先のストーリーを知るためにはさら時間をかけて技術習得したり相手パターン理解できるまで何度もリトライしなくてはならない。

いわばゲームの値段以上の人生リソースというコストを消費する必要があるのだ。

もし自分が若くて、まだまだいくらでも人生リソースを浪費できる立場にいるならよい。

しかし、自分にはそんなに自由に使える時間は許されていないし、仕事疲れた頭と体にムチを打ってまでゲームに打ち込むほどの気力も体力も熱量もない。

そうなったときに、そもそもエンディングに辿り着けるために必要リソースが足りないと感じただけで、そういったゲームの購入を躊躇してしま自分がいることに気がついたのだ。

ゲーム好きを自負する自分にとっては、なかなかに受け入れがたい現実だった。

そういったこともあり、最近では大体のゲームsteamで購入するようになってしまった。

Swtich2もPS5も入手困難時期に購入するくらいにはゲームが好きである自負はあるが、そのゲーム機でしかプレイできないゲーム以外は殆ど場合steamで購入している。

その理由は単純で、チートが使えるからだ。

いわゆるチーター的な利用ではなく、シングルゲームで体力などのステータス消耗品や消費ポイント無限にするなどに使っている。

目的はもちろん、自らに残された少ない人生リソースでそのゲームエンディングに確実に辿り着くためだ。

例えば映画を視聴しているとき、突然謎解きゲームが始まって解くことができなければ結末を見ることができないとなったらどうだろう。

もともとそういう作品だと宣言されているなら納得できなくもないかも知れないが、やはりそれが理由で結末を見ることができなかった人にしてみれば返金を求めるくらいには問題になるのではないだろうか。

しかゲームではそれが当然のようにまかり通っている。

ちなみに先程のSilk Songでいうと、ノーマルエンドの実績取得率は26%。

初期の道具を獲得するというゲームを開始すればほぼ取得できる実績の取得率が約92%なので、雑に計算しても4人に3人はエンディングにたどり着けていないことになる。

ストーリーを全て踏破した上でクリアしたときの実績に至っては約15%。

このゲームプレイした6人に1人しかこのゲームストーリーをすべて知ることができていないのだ。

製作者サイドは自分が作ったゲーム難易度を誇るのも良いのだが、自分が生み出した良質なストーリーが大半のプレイヤーが知り得ていない現実もっと目を向けるべきではないか

チートを使い始めてからというもの、今までエンディングに辿り着けそうにないからと購入を諦めていたようなゲームも買うようになった。

これは制作者側にしてみても単純にプラスと言えるのではないか

かと言ってこのままチートを使い続けることが健全状態だなんてことは微塵も思っていない。

実績というシステム自体が、そうした難易度という壁を乗り越えてこそはじめて得られる名誉だということも理解している。

その上で、ゲームを購入した人間にとってのエンディングに辿り着ける権利というものをもう一度考えてみてはどうだろう。

購入時に”エンディングに辿り着けないかもしれないという不安”がないということは、ゲームお金を払おうとする上で大きな安心感になるのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 11:54

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2025-11-09

今夜もしあわせなオナニーをした

しあわせはみんなの心のなかにある

おやすみなさいみんな

Permalink |記事への反応(0) | 23:21

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anond:20251109100349

じぶんのなかにいく

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

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