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はてなキーワード:どんちゃんとは

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2025-09-02

ラララ!!

ドラウィもん

ドラウィんボール

クレヨンどんちゃん

ドラウィーモンスター

ドラウィータイム

マイリトルドラウィー

おかしなドラウィール

ドラウィーガール

ドラウィー着ぐるみショー

ドラウィーズラボ

ドラ10

ドラウダー

Permalink |記事への反応(0) | 15:44

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2025-05-06

太鼓の達人が原因で彼氏と別れました

彼氏ゲーセンでよく太鼓の達人をしていました

その度にこれ100円たけーよなーと言ってました

から私は中古ショップにそそくさと行って太鼓の達人コントローラーを買っておきました

そして彼氏が家に来た時に

押入れからホコリかぶったタタコンを取り出したんです

そしたら彼がどんちゃんみたいな顔色をして

「無理やわお前のそういうとこ無理やわ。もう別れるわじゃあな」

って言って去っていきました

うっ

うっ

ううううううううううううう!

なにがダメだったんですか!

Permalink |記事への反応(0) | 11:10

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2025-02-16

ずんだもんの羊毛フェルト講座 入門編【コマ撮りアニメ

https://www.nicovideo.jp/watch/sm43456421

この動画の中で、完成した一頭身ずんだもんが動き出すシーンを見て、やっぱり私は「心を込めて作った造形物に命が宿る」系の話が好きなのだなと思った。

「おうちにかえれば」という作品もそういう設定だった。私が情緒不安定なだけかもしれないが、しみじみする場面が多かった。

太鼓の達人どんちゃんかっちゃんも実はそういう経緯の生き物なんだよね。自分の嗜好を再発見し、身近なものに対する見方が変わってくるというやつなんだろう。

dorawiiより。

Permalink |記事への反応(0) | 17:00

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2025-02-13

Mリーグ面白い理由

若い女性が熟練オジさんを倒す

スポーツだと女性男性に勝てることがほとんど無い

将棋囲碁のような頭脳ゲームでも勝てることはほとんど無い

しか麻雀のような運の要素や駆け引き要素が出てくると女性がオジさんを倒すこともそれなりに起きる

個人スコアを見ても必ずしも男性が有利ではないし女性でも十分に勝てる

運ゲーだと言われるかもしれないがだからこそ面白い

チーム戦なので2位でも3位でも4位でも良い

トーナメント戦や賞金争いみたいな戦いだと1位以外には意味が無い

なのでオーラスで4位に沈んでいると一発逆転の役満直撃を狙うしか無いがそんなことはほぼ起きない

佐々木寿人という化け物は別)

ところがMリーグは年間を通じてのチーム戦なので、総合スコアを主軸に戦略が練られる

1位であることに越したことは無いが、無理せず2位キープや3位キープを狙う打ち方も行われる

なんなら4位でも得点を少しでも稼ぐことは重要なので無茶な役満よりも高めで狙えそうなところを攻める戦略になる

また、順位が接近していると上位チームを3位や2位に引きずり落とすような戦略である

例えばトップを取らせたくないチームがトップ場合、2位チームにわざと振り込むことが普通にある

しかも2位チームはサポートがされる前提で牌を切ったりもするし

普通麻雀の切り方だけではない戦略が張り巡らされていて面白い

実況が五月蠅い

将棋囲碁だと実況も解説淡々としていることが多いし、何より1対1だとそれほど盛り上がらない

ところが4人対戦なのと点数による上下動が激しすぎるので実況も熱くならざるを得ない

高いリーチに対してアタリ牌を引いてきて捨てるかどうか悩んでいたりする場面なんかは見ていて飽きないし

役満テンパイしたりなんかするとどんちゃん騒ぎになる

伝説の西放銃は伝説

それと対比して対局している4人は一言も喋らないし顔にも出さな

このギャップが見ていて飽きない理由だと思う

とにかくMリーグを見るべき

別にABEMAの回し者ではないが、麻雀が分かる人はしょうもないテレビを見るよりMリーグを見た方が断然面白い

推しのチームがないならとりあえずカワイイ女の子応援すれば良い

Permalink |記事への反応(1) | 16:39

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2024-12-24

金さえ

金さえあればよお!

クリスマス大勢人間を囲ってわいわいやって!

どんちゃん騒ぎして気がついたら朝だった!

みたいなことだってできるのによぉ!

金がねぇからよぉ!

1人寂しくYouTube見ながら増田世間を恨むしかねぇんだよ!

Permalink |記事への反応(3) | 19:52

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2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

https://anond.hatelabo.jp/20240930192717#tb

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2024-09-02

anond:20240902110233

どんちゃん騒ぎ

おじいちゃんwwwwww

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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2024-08-07

anond:20240807155417

最近官能小説ならBOOK WALKERの横断検索だな。

電子化されてるなら購入してない書籍でも全文検索できる。

しか検索できたとしても実際の文章は「パンティの中はお祭り騒ぎ」ではないかもしれないからな。

記憶違いで本当は「下着の内側はどんちゃん騒ぎ」かもしれない。なかなか難しいんだよな。

ちなみに検索してみたら「子宮の中はお祭り騒ぎ」という一文がヒットした。

これかもしれんね。

https://bsearch.bookwalker.jp/search?word=%22%E5%AD%90%E5%AE%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AF%E3%81%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%E9%A8%92%E3%81%8E%22

お、Googleブックスでは本文まで読める。

https://books.google.co.jp/books?id=eOPNBQAAQBAJ&pg=PT153&dq=%22%E5%AD%90%E5%AE%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AF%E3%81%8A%E7%A5%AD%E3%82%8A%E9%A8%92%E3%81%8E%22

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2024-06-15

うちは小さな会社で、全員が知り合いだ。

そこで経理のおばちゃんと俺の先輩が今年はまだお花見に行ってないなぁ~という話をしたらしく、それならみんなで!と思って部長に話を持ち掛けたらしい。

すると部長OKを出してくれたので、あくる日の休日。俺たちは花見に繰り出した。

メンバーは下っ端のぼくと先輩、それに経理ベテランおばちゃんと唯一の若い女の子でありおばちゃんの部下の経理ちゃん

あとは部長の五人。

場所取りは僕が担当することになって、いざ始まるとみんな乗り気ですぐさまどんちゃん騒ぎになった。

「なぁ増田~お前、どんなAV好きなの?」

「えっ?」

僕は突然の質問にまごついた。

先輩は酒癖が悪くて、酔うとすぐに話題下ネタにするのだ。

「え、え~と、普通のですかねぇ…」

「んだよ、それ。つまんねぇな」

「じゃあ先輩はどういうのを観るんですか?」

「俺?俺は和姦もの

「それ、ただのレイプものじゃないんですか」

「いや、はっきり和姦だね」

そこまで自信満々に言われるとこちらも何も言えず、黙ることにした。

経理ちゃんはどういうの観るの?」

「ちょっ!?」

完全なセクハラだ。しか経理ちゃんは何でもない様子で「わたしは男同士のとか観ますね」と淡々と答えた。

「あ、ふーん…」

少し変な空気になってもお酒はどんどん進み、ついには足りなくなってしまった。

そこで部長が「お酒の買い足しをしようと思うんだけど、せっかくだから誰が行くかはゲームで決めよう!」なんて言い出した。

ゲームって、何をするんです?」と先輩が尋ねると「しりとりなんていいじゃないかな」と部長

先輩は吹き出し、「それ、古くないですか?」という。

部長ちょっと怒ったように「そんなことないよ」と言って経理ちゃんの方を向き、「若くてもしりとり、やるよね?」と尋ねる。

「やりますねぇ」と経理ちゃん

ほれ見たことか!と部長ドヤ顔を見せ、しりとりが始まった。

部長、先輩、おばちゃん経理ちゃん、ぼくの順となり、まずは部長から

「じゃあ、しりとりのりだからりんご!」

ゴリラ!」

「ら、ら…ラッコ、でどうかしら?」

子犬

「ヌッ?!」

ヌ…ってなんかあるか!?

結局思い付かず時間切れとなって僕の負け。

仕方がないので近くのコンビニまでひとっ走りしてお酒を買ってきた。

それぞれが注文したお酒を渡して回ると部長が「ん?」と声を上げた。

僕のミスで、違うお酒を買ってきてしまったらしい。

すみません、すぐに買ってきます」とぼくが言うと部長はいいよと手を振り、それから「あっ!」と声を上げた。

「肴もなくなってきたし、今度はそれを買ってくるってことにしようか」と部長提案する。

その際にお酒は買ってくればいいから、と僕を止めたのだ。部長…やさしい!!

再びしりとりが始まり、順番も前と同じで部長、先輩、おばちゃん経理ちゃん、ぼくの順。

まずは部長から

「じゃあ、お酒のけからで毛虫!」

「し?し…しりとり!」

「り…リボン、じゃなくて…リール!」

ルシファー

「ファッ!?」

ファ…と詰まってしまい、言葉は思い付かず再び僕の負けとなってしまった。

仕方なくコンビニに向かおうと立ち上がると部長が僕を止め、「あと、おでんも頼む」というので僕は頷いた。

コンビニに行って酒の肴おでんお酒と買って戻るとおでんに歓声が上がり、僕よりも歓迎されていた。

「俺、ゆで卵もらっていいですか?」

「駄目だよきみぃ、それは私の―」

「なら外側だけでいいんで」

「あーわかった。でも…また黄身かぁ」なんて部長と先輩がわちゃわちゃやり取りをしていて、おばちゃんはそんな光景をほほえましく見守っていた。

日は既に暮れかけていて、僕は時間が気になって経理ちゃんに聞こうと思って声をかけた。

「ねぇ、今なん―」

デモ行ったよね?」と経理ちゃんが突然先輩に聞き、その場の空気が固まった。

「え?」と先輩は動揺し、「この前のデモ行進の動画に先輩さん映ってましたよ」と経理ちゃんが言う。

先輩は脂汗を掻きながら、「べ、別人じゃないかなぁ~」と目を逸らす。

なんだか妙な雰囲気になってしまったので助けを求めて部長の方を向くと…居ない!?

つの間にか居なくなっていて、何処に行ったんだと周りに目をやっていると「お~い」と声が聞こえて振り返るとこちらに小走りする部長の姿が目に入った。

部長、どこ行ってたんすか!?」と先輩がいの一番に声をかけ、「ごめんごめん」と部長

両手で平皿を持っており、その上にはマグロかぶと煮。

「いやぁ~肴が物足りなくてね。ちょっと検索したら近くにスーパーあったから、ちょっと行ってきた」

そう言って手に持つお皿を中央に置く。

「これ、かぶと煮ですよね!?

「そうそう。ちょうど安くなってたから、買ってきた」と部長は得意げに言う。

かにまり食べたことないし、結構おいしそうだ。

僕は気を利かせて付属のしょうゆをかけようと封を開けた。

「あっ、顔にかけて顔に!」

部長が慌ててそう言うので僕はマグロの顔にしょうゆをかけ、それから皆でかぶと煮を食べはじめた。

Permalink |記事への反応(0) | 16:54

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2024-05-19

anond:20240519122057

いからそういうの!

ガンダムもそうだけど昔からのそーいうのは古いもんなの!

タイトル変えてだした完全新作じゃないならもう古いおじいちゃんおばあちゃんモノなの!

ガンダムとかサーベルどんちゃんやってるだけなのみんな変わんないでしょ!

アイマスもただ踊って歌ってるだけ!!

!?

本質を見て!

Permalink |記事への反応(0) | 12:24

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2024-05-12

キャンプブームって本当にあったの?

だって面倒臭せーじゃん、当時コロナ中でも謎だった。今思えば自粛自粛って言われてる中、合法的どんちゃん騒ぎ出来るのがキャンプ(野外メシ)だったってだけよな。

Permalink |記事への反応(1) | 15:03

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2024-05-08

部長「今から花見!? たまげたなぁ」

これはGWよりちょっと前の話。

うちは小さな会社で、全員が知り合いだ。

そこで経理のおばちゃんと俺の先輩が今年はまだお花見に行ってないなぁ~という話をしたらしく、それならみんなで!と思って部長に話を持ち掛けたらしい。

すると部長OKを出してくれたので、あくる日の休日。俺たちは花見に繰り出した。

メンバーは下っ端のぼくと先輩、それに経理ベテランおばちゃんと唯一の若い女の子でありおばちゃんの部下の経理ちゃん

あとは部長の五人。

場所取りは僕が担当することになって、いざ始まるとみんな乗り気ですぐさまどんちゃん騒ぎになった。

「なぁ増田~お前、どんなAV好きなの?」

「えっ?」

僕は突然の質問にまごついた。

先輩は酒癖が悪くて、酔うとすぐに話題下ネタにするのだ。

「え、え~と、普通のですかねぇ…」

「んだよ、それ。つまんねぇな」

「じゃあ先輩はどういうのを観るんですか?」

「俺?俺は和姦もの

「それ、ただのレイプものじゃないんですか」

「いや、はっきり和姦だね」

そこまで自信満々に言われるとこちらも何も言えず、黙ることにした。

経理ちゃんはどういうの観るの?」

「ちょっ!?」

完全なセクハラだ。しか経理ちゃんは何でもない様子で「わたしは男同士のとか観ますね」と淡々と答えた。

「あ、ふーん…」

少し変な空気になってもお酒はどんどん進み、ついには足りなくなってしまった。

そこで部長が「お酒の買い足しをしようと思うんだけど、せっかくだから誰が行くかはゲームで決めよう!」なんて言い出した。

ゲームって、何をするんです?」と先輩が尋ねると「しりとりなんていいじゃないかな」と部長

先輩は吹き出し、「それ、古くないですか?」という。

部長ちょっと怒ったように「そんなことないよ」と言って経理ちゃんの方を向き、「若くてもしりとり、やるよね?」と尋ねる。

「やりますねぇ」と経理ちゃん

ほれ見たことか!と部長ドヤ顔を見せ、しりとりが始まった。

部長、先輩、おばちゃん経理ちゃん、ぼくの順となり、まずは部長から

「じゃあ、しりとりのりだからりんご!」

ゴリラ!」

「ら、ら…ラッコ、でどうかしら?」

子犬

「ヌッ?!」

ヌ…ってなんかあるか!?

結局思い付かず時間切れとなって僕の負け。

仕方がないので近くのコンビニまでひとっ走りしてお酒を買ってきた。

それぞれが注文したお酒を渡して回ると部長が「ん?」と声を上げた。

僕のミスで、違うお酒を買ってきてしまったらしい。

すみません、すぐに買ってきます」とぼくが言うと部長はいいよと手を振り、それから「あっ!」と声を上げた。

「肴もなくなってきたし、今度はそれを買ってくるってことにしようか」と部長提案する。

その際にお酒は買ってくればいいから、と僕を止めたのだ。部長…やさしい!!

再びしりとりが始まり、順番も前と同じで部長、先輩、おばちゃん経理ちゃん、ぼくの順。

まずは部長から

「じゃあ、お酒のけからで毛虫!」

「し?し…しりとり!」

「り…リボン、じゃなくて…リール!」

ルシファー

「ファッ!?」

ファ…と詰まってしまい、言葉は思い付かず再び僕の負けとなってしまった。

仕方なくコンビニに向かおうと立ち上がると部長が僕を止め、「あと、おでんも頼む」というので僕は頷いた。

コンビニに行って酒の肴おでんお酒と買って戻るとおでんに歓声が上がり、僕よりも歓迎されていた。

「俺、ゆで卵もらっていいですか?」

「駄目だよきみぃ、それは私の―」

「なら外側だけでいいんで」

「あーわかった。でも…また黄身かぁ」なんて部長と先輩がわちゃわちゃやり取りをしていて、おばちゃんはそんな光景をほほえましく見守っていた。

日は既に暮れかけていて、僕は時間が気になって経理ちゃんに聞こうと思って声をかけた。

「ねぇ、今なん―」

デモ行ったよね?」と経理ちゃんが突然先輩に聞き、その場の空気が固まった。

「え?」と先輩は動揺し、「この前のデモ行進の動画に先輩さん映ってましたよ」と経理ちゃんが言う。

先輩は脂汗を掻きながら、「べ、別人じゃないかなぁ~」と目を逸らす。

なんだか妙な雰囲気になってしまったので助けを求めて部長の方を向くと…居ない!?

つの間にか居なくなっていて、何処に行ったんだと周りに目をやっていると「お~い」と声が聞こえて振り返るとこちらに小走りする部長の姿が目に入った。

部長、どこ行ってたんすか!?」と先輩がいの一番に声をかけ、「ごめんごめん」と部長

両手で平皿を持っており、その上にはマグロかぶと煮。

「いやぁ~肴が物足りなくてね。ちょっと検索したら近くにスーパーあったから、ちょっと行ってきた」

そう言って手に持つお皿を中央に置く。

「これ、かぶと煮ですよね!?

「そうそう。ちょうど安くなってたから、買ってきた」と部長は得意げに言う。

かにまり食べたことないし、結構おいしそうだ。

僕は気を利かせて付属のしょうゆをかけようと封を開けた。

「あっ、顔にかけて顔に!」

部長が慌ててそう言うので僕はマグロの顔にしょうゆをかけ、それから皆でかぶと煮を食べはじめた。

突然のかぶと煮には驚いたけどとっても美味しく、なんだかんだで今年も楽しいお花見でした!

Permalink |記事への反応(2) | 23:11

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2024-03-16

中食などを自炊に含むのか問題そもそもなぜ自炊VS外食で争うのか考えればすぐ解決する

中食冷凍食品とか惣菜)とか冷凍食品などを自炊に含むのかどうか、というのがちょいちょい話題だけど、そもそもなぜ「自炊VS外食」という対立軸で戦うのか考えると

外食は高い!自炊やすい!おまえは自炊をしないだらしない人間!!!

一方的マウントを取るためである、と考えると中食などを外食に含むかは

中食を取る人間生活保護受給者貧乏を訴える人物であれば冷凍食品中食外食という高級品であるため批判対象であり、中食を取る人間がそういったことを訴えない一般大衆であれば時短のための賢い自炊として褒められる」

結論付けられる。

まり冷凍食品自炊外食のどちらであるか」は「お前の属性によって批判対象かそうでないかは決まる」のであり議論無意味なのだ

仮にお前が生活保護受給者のような嫌われ者属性があると冷凍食品だろうが野菜だろうが自炊だろうが批判対象になるし、自民党政治家上級国民、人気者であれば料亭どんちゃん騒ぎしても批判されない。

これだけである

Permalink |記事への反応(0) | 15:23

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2024-01-21

anond:20240120201839

糖質が「隣人が毎日どんちゃん騒ぎしてる!!上階の奴もだ!!」って主張するのはよくあるけど「静かすぎる、陰キャに違いない」っていうのは珍しいパターン

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2024-01-10

飲み会の「幹事」は、店を決めて予約してお金を集めるだけではダメ


20代前半の知人が愚痴っていたのだけど、

度会社の部署で行われる送別会が、会費6,000円らしい。

送別される人の分をみんなで持ってあげるからちょっと高めになった、と。





幹事無能すぎる




送別される人の分込みで、高くても5,000円に抑えてくれよ。

うーん、5,000円でも高いけど。俺なら行かないかな。

(一応補足しておくと、特別に金回りの良いような業界企業ではない。あと首都圏大都市でもない)

まぁ百歩譲って、見栄とか、送別される人のために、良い店を選んだのかもしれない。

それでも俺が幹事だったら、20代前半のやつから6,000円は取らない。

年齢で傾斜つけた会費にする。

まさか傾斜つけた結果、20代前半の会費が6,000円なのか?

だとしたら店選び間違ってるよ




こういうことやってるからさ、若い人が飲み会に来なくなるんだよなーと思った。




飲み会の良し悪しは幹事で決まる


俺はギリ昭和生まれで、

会社飲み会をやりたい上の世代気持ちも、そんなの参加したくない下の世代気持ちも、どちらもわかる気がしてる。

幹事をやることも多い。

幹事は奥が深い。

飲み会名目や参加するメンバーによって、適切な店の雰囲気費用感ってものがある。

参加するメンバー属性(年齢、地位所属金銭感覚)が近ければ近いほど店選びは簡単だが、

人数が増えるなどでバラけてくると、どんなに店を厳選しても、ヒットしない人がどうしても出てきてしまう。

それでも、そういう人たちにもなんとか気持ちよく参加してもらって、楽しく帰ってもらうのが幹事の腕の見せ所なわけで。

今回のケースだと、送別会は送別される人が主役だから、店選びがそちらに寄ってしまうのは仕方ない。

仮に主役が中堅~ベテランだとしたら、「飲み放題付3,000円(生ビールなし)」みたいな、大学生どんちゃん騒ぎするような店は使えないだろう。

だとしても。

会社部署に若手もいて、みんなで送別しようっていう会なのであれば、その若手も参加しやす費用感や雰囲気の店にするのが、俺はあるべき姿だと思う。

もし高級店でやりたいのであれば、それは上の年目の人たちだけを集めて、別にしっぽりやればいい。

あるいは、上司管理職からお金を引っ張るのも幹事仕事

「若手の負担減らしてあげたいんで」ってストレートに言って、多めに出してもらう。

ふつう上の人は出すだろうし、万が一渋い顔するなら、それも店選び間違ってるってことだ。

あるいは部署会社から接待費みたいなものを出してもらうとかさ。イマドキそんなのあるのか知らんけど。







ただでさえ若い人は飲み会積極的に参加したがらないと言われてるこの時代に、

こんなクソみたいな飲み会セッティングしてたら、そりゃ若手は飲み会に来なくなるよ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:57

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2024-01-07

山本太郎を叩いてるバカ

石川県が来るなって言ってるのに行った!←現地で被災者のために実際に汗をかいて働いているNPO要請を受けて能登入り。つまり必要だし急を要する。6党合意(笑)れいはいないので

被災地カレー食べた!←本人の文章読めばわかるが、被災者が誰かに喜んでもらうことや被災者を世話される立場にばかりさせるべきではないという考えがあってのこと

教会知能(統一教会自民党脳死で支持してる境界知能のバカ)のネトウヨには理屈通用しないんだろうけどさ、山本文章をせめて読めよっていう(笑)

たかが一杯のカレーヒスってる境界知能どもって羽田飛行機いっぱいの支援物資燃えたことについてどう思ってんの?

つーか石川県庁って馳浩だろ?IOC委員20万のアルバムしました~w←事実誤認です文科省から言われたので撤回します。←やっぱり文科省から何も言われてないです撤回します。の馳だろ?

こいつの言うこといつ撤回するかわからんやんwwwwつーかボランティアくんな!とか言ってて今人手が足りません!とかギャグなん?6日になって緊急事態宣言wwwボランティアも今から募集しまーすwww

実際に今日長文のレポート山本太郎が出していたが、これだけでカレー一杯分以上の価値はあったよね。ほんま山本太郎は仕事してるわ。「野党は対案を出せ!提案しろ!」←してるよね?

なんか苦し紛れに「こんなこと現地に行かなくても書けるだろ」とか言ってる奴らもいたけど、実際に現場を見たという説得力が違うよね。境界知能は東スポこたつ記事でも読んでろよ


ていうかさ、避難所で一人亡くなったよね?今情報が錯そうと言うか、言うことコロコロ馳浩のおひざ元での公式発表がどうなるのか知らんが、低体温症で死亡。避難所ウイルスも広がってるってさ。どうすんの?ビニールハウス避難してる老人共もいたけど、今日石川県雪降るよね?どうすんの?

まあ、極論石川県って自民王国じゃん。自分たちが選んだ自民党新年会どんちゃんしてる中で投票した本人たちがビニールハウスの中で凍死しようがどうしようが自業自得だよね。彼らは今わの際にこれも自己責任だったって思うんだろうね、きっと

実際に元プロレスラー馳浩選んだのも石川県民だしね(笑)

で、れいアンチ教会知能はこの俺の偽悪的な書き方を見て「れいわ支持者はモラルが終わってる!こんなやつらが支持しているれいわなんかありえない!」とか言い出す(笑)

お前ら境界知能に「感情を極力排して政策を見て投票先を決める」なんて芸当最初から求めてないからwww

「むきー!れいわ支持者が不謹慎なこと言った!論破された!くやしいかれいわには絶対に入れないもん!」←期待してないからw

つーか支持者のモラルとかで投票先決めるんならまさしく統一教会自民党支持してんだからその点でも自民党が一番あり得ねえだろwww

ちなみに国会議員として一番モラル終わってんのが自民党なwどんだけ逮捕者出しとるんwww今日も一人逮捕されたwwww

教会知能さん 「自民党議員政治資金規正法違反逮捕!」←しーん・・・ 「山本太郎が一台の車で渋滞寄与カレー一杯を被災地からゲット!」←ギャーギャー

お前らの親ってクズだよね。遺伝子から腐ってるからそうなってるんだろうな

論理的思考ってのができないんだろうな



追記

特に具体的な反論、なし!w

ブコメ福島ガ―とか言ってる奴いたけど、福島にはれいわの市議会議員がいますけどね。きっと福島に住んでるわけでもないお前らが福島のことを山本太郎の叩き棒にするのいい加減辞めたら?当の福島県在住の人々は普通に山本太郎のれいわ選んでるけど?

あとレポートに中身がないってのはそもそも反論にはならない。それってお前の感想ですよねなんで具体的反論とは思わなかったんだが一応補足するけど

レポートの中身を言い出す奴ってのは「中身がないレポート」と「車一台の渋滞寄与カレー一杯」を天秤にかけてるわけだけど、よしんばレポートの中身がゼロだったとして、山本太郎は被災地での手伝いや情報発信はできているので、それだけで車一台の渋滞寄与カレー一杯分の価値はある

そろそろ車一台・カレー一杯とかいうあまりにも些末なもので大騒ぎしてきた愚に気付いてきた?天秤にかけるにはあまりにも軽すぎるよね?教会知能にはそこら辺の計算は難しいか

そこからレポート提案価値でどれだけこの能登訪問の意義を上乗せできるかっていう話なので、そこは各々評価の違いはあるだろうね。提案価値については教会知能たちはテコでも認めないだろうがそれはそれでいいとして、

山本太郎を叩きたいがためにレポートの中身がないとか言っても、そもそも訪問すべきだったのかの議論フェーズは終わってるから。車一台・カレー一杯で叩くのは最初から無理があるから

ま、反応はあっても具体的反論はないって言うのが、アンチれい教会知能たちの震え声だったんだろうなあw

悔しいね

追記

ちなみに境界知能って言葉堀江貴文あたりが言い出して、こないだ池田信夫が「れいわ支持者は境界知能」と言っていたんですね

それを流用したもの教会知能ってわけ

https://anond.hatelabo.jp/20240107061612

なので俺のモラルでんでん言うならこいつらにも同じ態度取れよw

あっこのでんでん解説必要?アホの安倍の言い間違いが元ネタだけど

Permalink |記事への反応(20) | 23:59

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2024-01-04

正月祖母の家で集まるとフェミニズムの敗北を感じる

祖母の家も義祖母の家も実家義実家も、女性料理を用意する風潮は変わらなすぎて、男性どんちゃん酔っ払うばかりだし、私が都会で学んだフェミニズムとは何だったのか…と圧倒的敗北感を覚える。

しかし私は祖母の家でも義祖母の家でも実家でも義実家でも料理の用意を手伝わない。何もせずお皿を並べる孫ポジションを夫と一緒に確保したい。だがこんなこといつまでやってられるんだろう。さすがに手伝ったほうが感じいいのはわかってる。で、でも他人の家の調理場に立ちたくない、普段から料理してないのに他人の家の台所なんて迷惑かけるしかないに決まってるだろ……!

いつかは料理を手伝うムードになるんだろうか。子供ができたら変わるんだろうか。私が夫と同じ手伝わないポジションを確保することはフェミニズムだろうか。ただの怠惰でもある。でも台所入りたくないよおこわいよお。

はあ、お正月なんてなくなればいいんじゃ。ほんとは自宅で夫とまったり紅白見ながらお酒でも飲みたいよ。

Permalink |記事への反応(0) | 01:15

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2023-08-12

古のツイッタラー表現する方法

語尾に「なう」を付ければOK

奴らはどんちゃんの「ドン」や昔の中国人キャラクターの「アル」みたいに「なう」を語尾に付け続けてた

もう絶滅したけどあれ何だったんだろう?

Permalink |記事への反応(0) | 11:59

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2023-07-14

家族が欲しいなと思った話

私が大人になってから、母はたまに「自分毒親育ちだった」と言うようになった。

もう何年も前に亡くなったが、私にとっては少し偏屈なおじいちゃんしか見えなかったけれど、たまに母が語る。


本当はやりたいことがあったのに女は勉強などするなと女子大に進むことしか許してくれなかった。

勝手に家に芸者をよんでどんちゃん騒ぎをしていた。

かなりの偏食家で、みんなで食べる夕飯のはずなのにおばあちゃんに必ず自分専用の別メニューを用意させていた。


そんなことを、ポロポロと話してくれることがあった。

でも決して感情に任せて私にぶつけるのではなく、わりとコミカルに話してくれる。

私にとっての「おじいちゃんの家での思い出」が壊れないように、上手に話してくれる。


私がまだ子供だった頃、母はなかなかヒステリックだったと思う。

私の軽はずみな一言や行動で感情が一気に昂り、大声で怒鳴り、思わぬ行動に出る。

部屋を散らかしっぱなしにしていると図書館で借りてきた本を捨てられそうになったり。

ランドセル油性ペンテストで取った取ってしまったひどい点を書かれたり。

学校から手紙をかなり溜め込んでしまっていたのがバレて、怒鳴りつけられ物を投げられ3日ほど口を聞いてもらえなくなったり。


原因は全て私だが、母の地雷がどこにあるのかあの頃のアホな子供の私には分からなかった。

些細なことで怒る、そして怒ったらどうしたら落ち着くのか分からない、厄介で恐ろしく思えた。

正直、これが原因で私は親くらい年齢の離れている女の人が少し苦手だった。


でも、もちろん年がら年中怒っているわけではない。むしろ怒っていない時のほうが多い。

料理がうまくて、裁縫もできて、絵もうまくて、映画趣味が良くて、話が面白くて、頭の回転の速い、大好きな母だ。

から、母が「毒親育ち」のイメージがつかなかった。


母は言う。

「私はお父さんと結婚できたか普通になれた。お父さんがすごい」

かにと思った。父は“普通”の人だ。

おだやかで優しくて、家族が大好きで、お酒あんまり飲まなくて、しっかり者で誠実で、たまに天然でおちゃめ。

働き者で、愚痴はほぼ言わず休日は一緒に遊んでくれた。最近では早起きしてコーヒーをいれて掃除をしたり洗い物をしていたりするらしい。

不機嫌なところなんてほとんど見たことがない。普通……じゃなくて聖人だ。


受験期間という誰もがナイーブになる数ヶ月。

私が模試でひどい点を取ったか何かで(そしてたぶんそれを隠そうとしてバレて)母が私の存在をまるっきり無視していた日があった。

家の中がピリついて居心地が最悪な日に帰ってきても、穏やかにかに、けれどちゃんリビングに居た。

これってすごいことだったと思う。仕事で疲れて帰ってきたのに家の空気が最悪だったら収まるまでどこかで時間を潰してきたって良かったろうに、あの嫌な空気を一緒に耐えてくれていた。


「母を怒らせたのは私の落ち度だけど、なにもあんなにヒスんなくても良くない?」と父に愚痴たこともある。

「確かにあれはちょっと異常だと思うよ」と父が言ってくれて、私はそれにすごく救われた。

そうか、あれってやっぱ変だよな。私だけが悪いんじゃないよなってほっとした。


夜中、トイレに起きて自室からそっと廊下リビングを隔てるドアに耳を当てると、母が泣きながら父に相談しているのが聞こえた。

私のことについて相談しているのがわかって心臓が痛かった。

父は寄り添うように母に何かを答えていて、父は私だけの味方じゃなくて家族の味方なんだなぁと思ったのを覚えている。


大人になるにつれて怒られる回数も減っていき、穏やかな家になった。

私は実家を出て一人暮らしを始めて、そしてたまに実家に帰ると仲のいい両親が迎えてくれる。

子はかすがいなんて、たぶん嘘だ。少なくともうちは当てはまらない。私がいない方が両親はきっとずっと仲が良かったろうにと思う。

私がいなかったら母はあんなに怒鳴って泣いて過ごすことにはならなかったし、父も居心地の悪い家に居る必要もなかったはずだ。


それでも、実家に帰ると二人は私を歓迎してくれる。

母は料理を張り切ってくれて、父は「iPadの設定がわかんないから教えて」と私を頼ってくれる。

良い家族だ、すごい。一人も壊れることな暖かい家族ちゃん形成するってすごい。

私には、こんなすごいことできないなと思うようになった。


子供の頃の恐ろしかった母親を思い出す。

怒って泣いて「そんなにお母さんのことが嫌い!?」と叫んで、違う、お母さんが私を嫌いなんでしょう!と言い返したくて、胸につっかえた言葉を言わなくて本当に良かった。

母は私を嫌いだったんじゃなくて、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。

母親だって、ただの一人の未完成人間なんだものね。


私はもう母が私を産んだ年齢を超えてしまっているけれど、独身だ。彼氏が欲しいとも思えなくなった。自分一人で生きるのに精一杯だ。

告白された流れでなんとなく彼氏ができてもしっくりこなくてすぐ別れてしまう。

学生期間が終わって、合コンなどにはいかないもんであまり出会いもなく、思い立ってマッチングアプリを使って婚活してみたことがあったけれど、ヤリモクだとかモラハラだとか奢り奢られやら、育児がうんぬんだとかの情報twitterに滝のように溢れていて何を信じていいのかわからなくなってやめてしまった。父のような穏やかな人を探したいと思ってしまって、比べてしまってだめだった。

会社であまり接点のない人から急に距離を縮められて気持ち悪くなって上司相談をしてなんとか追い払ったこともあった。

あん聖人はどこにもいないんだ。いいなあ、母は。父と結婚できて。心底羨ましい。


そもそも他人に話を合わせたり予定を合わせたりするのが苦手なのもあったし、もう恋愛がとにかくめんどくさいと思ってしまう。楽しくない。

赤の他人から性的感情を抱かれるのが気持ち悪い。というか、その前に手を繋ごうと誘われるのが気持ち悪い。手なんか繋いだら歩きにくいだろと思ってしまう。(実際断ったら文句を言われてかなり面倒だった)

彼氏の家に泊まった時にシングルベッドで一緒に寝ようと言われ、ちゃんと寝たいし狭いから嫌だと断ったら「俺のこと本当に好き?」と聞かれて面倒だった。好きなら強要していいのかい、というか一緒に寝られるほどは好きじゃなかったわごめんね、としか思えないまま床で寝た。

もしかして「男」がダメだったのかも、と思って女の子と付き合ってみたこともあったけれど同じだった。

性的な目で見られるのは居心地が悪いし、手を繋ぐのはやっぱり嫌だった。会話をするときトーンがどんどん下がっていって、喋り方が怖いと言われて喧嘩になったりもした。

そんなことが続き、向いてないなら無理に相手を作るもんでもないなと思ったし、私は人を好きになれないんだなと思い知った。


父も母も、私に結婚しろだとか孫を見せろだとかは言わない。

いい歳をした娘が独身なのって気にならない?と母に聞いてみたら「東京女の子一人暮らしをしてること自体心配だけど、好きに生きて欲しい。我々のことは我々で何とかできるからやりたいことして好きに生きな!」と言ってくれた。孫とか見たい?と父に聞いたら「まずは自分のことをできるようにね」と言ってくれた。

母は自分が受けた不条理人生を私に負わせまいと、毒親連鎖を断ち切ってくれたのだと思う。

父は私の未熟さをちゃんとわかってくれているのだと思う。


こんなできた両親がこの世に居るかい。居るんだよ私には。大好きな両親だ。

大好きすぎて、失ったらきっともう立ち直れなくなってしまう。

実家に帰ると幸せで、美味しいご飯を食べてテレビを見ながらたわいのない話をして笑って。

用意してもらったお風呂に入ってると「こんな大好きなのに父も母もいつか死んじゃうんだよな……」と考えてしまって涙が止まらなくなる。


両親が死んじゃったら私も死んじゃいたい。ごめんなさい、30過ぎた大人の癖にこんなことを考えてしまって。

ああ、だから人は結婚をして自分と生きてくれる家族を作るんだなぁと思う。

いいなぁ、家族粘土とかで作れたら良かったのにな。


追記

ちょっと感傷的になったタイミングでわーっと書いてしまったので、補足というか気になったコメントに関してちょっと追記を。

書いてしまってから、そっか、こんなふうに書いたら親が叩かれるよな……と納得したし、少しほっとした部分もある。

自分では許せていたつもりでも、心のどこかであの頃の自分のやり場のない感情成仏させたいと思っていたのだと思う。

母親に直接過去の話をしても何か得られるものがあるわけではないし、直接傷つけたくもなかったから、知らない誰かに母親批判してもらうことで救われたかったのかも。

とはいえ、私は自分母親毒親とは認識できないんだよな…金銭をせびられたわけでもないし、跡が残るような傷をつけられたわけでもないし。

好きなことをして飯を食ってく選択肢を後押ししてくれたり、趣味理解してくれたり、私にとっての母はやっぱり最高で大好きだと思ってる。あの一時期だけがしんどかっただけで。

親に完璧なんか求めない派です、自分が親になる機会があったって、完璧にやれるわけないだろうし。

今はネットがあるからいろんな知識を得られたり、同じような境遇の人を調べて安心できるだろうけど、今から●年前じゃそうもいかなかったろうし。

……って考えるとほんと親ってすごいよな……ものすごく探り探りで子育てしていくって、灯りのないトンネルをずっと歩いているようなもんじゃんか。大変だったろうな。

自分を愛せない〜に関しては、自分を愛してないってどっかに書いたっけ…?愛してないつもりはないんだけど、そんなふうに読み取れるように書いてたならごめん。

自分のことは自分なりに愛しまくりです。それ以外は手が回らんわって話で。

小説進めてくれた人ありがとうちょっとずつ読んでます

あと、ヤングケアラーではないです。

Permalink |記事への反応(10) | 00:42

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2023-05-15

どうして病原菌は今もそこにあるのに防護手段外してどんちゃん騒ぎして勝手にかかって文句言ってるんかなあ

意識レベルの圧倒的な差を感じる

Permalink |記事への反応(0) | 19:54

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2023-05-13

会合と称した接待で顔を覚えてもらえないと自民党は動かない」ってコト!?

例の水産業応援どんちゃん騒ぎパーティーについての個人的感想です。

利益に一切絡まない飲み会政治家がするはずがないので、単なるどんちゃん騒ぎというのは小市民目線の無価値揶揄だというのは全くそのとおりだと思います

ですが、「自民党の偉い先生たちが惨めな一次産業の連中に面通しをする機会を与えてやってるんやろありがたいやろ」という部分があることについては暗い気持ちにならざるを得ません。

日本という国を支える数多くの産業国民の全員に対してその重要性を尊重する意識が薄く、自分に媚びへつらう態度を取ってきたお友達であるかどうかが支援における第一条件となってしまうような状況はどうなんでしょうか?

人間なんだから顔も見こたともないような相手を助ける気にならない」といった小さな枠組みを脱して、国家を回すためのシステムに組み込まれ覚悟を持って国会議員としての職務にあたって欲しいものです。

自分の心に固執するようでは政治家として三流と言わざるをえない。

会ったことのある相手の顔を想像して仕事をするのではなく、まだ顔も知らない1億人の国民全員のために仕事をするという意識を持っていただきたい。

私のお気持ちはこんな所ですね。

Permalink |記事への反応(1) | 18:28

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2023-04-30

コロナ陽性で帝王切開された私がノーマスク学会パーティーに思うこと

去年、出産時にコロナ陽性のため無症状であったが強制的帝王切開をされた。

私としてはお腹に傷が残るから絶対に嫌だったものの「医療従事者に感染させる可能性がある」との理由強制的帝王切開を行われた。

帝王切開をしなくても安全子供が生まれるのになぜ帝王切開をしないといけないのか、医療従事者を守るためになぜ傷を受けないといけないのか、

まったく理解できず、そこで産むしかない以上仕方なく受け入れたものの、今でも体の傷を見る度に悔しさを覚えていた。

また、入院中の母に生まれ子供を会わせたかったが、コロナ理由家族との面会が禁止となっていたため会わせることができず、母は初孫を見るまもなく昨年末亡くなった。

そんな中で、今週話題になっていた外科学会のノーマスク学会パーティー動画を見てしまい、涙が出た。

あれだけ一般人負担をしいてきた医師たちが、何百人と集まりノーマスクスカパラ演奏を楽しみ酒を飲み胴上げをしているのを見て、何も言えなくなった。

この動画写真現在取り下げられているけれど、公開したこと問題ではないし、根本的に医者たちは勘違いしているのではないかと思う。

今でもコロナウイルスはいなくなっていない訳だけど、当初から一部で主張されていた「無くなるはずがないかウィズコロナ対応するしかない」という言説を否定して、

医療従事者」「専門家」の名のもとに3年間の間、一般人にあらゆる負担を課して、行動を制限し、帝王切開強制し、面会を制限してきた。

それに対する総括もなしに、医師たちはもうコロナは終わったとばかりに、高級ホテルパーティー会場で高い酒を飲みノーマスクで一流ミュージシャンを呼びどんちゃん騒ぎをしている。

別にノーマスクどんちゃん騒ぎするな、とは言わない。「コロナはなくならないけど、もう終わりとするしかない」のだろうから

でもその前に、この3年間コロナを終わらせるためにという名目QOLを著しく制限された一般人たちがいるのを忘れないでほしい。

医療従事者に移さないためにという名目強制的お腹にメスを入れられた妊婦がいることを忘れないでほしい。

コロナはなくなりませんでした。すみませんでした。これからはみんなノーマスクで行きましょう」とちゃんと総括してほしい。

隠れてどんちゃん騒ぎする前に、総括してからどんちゃん騒ぎしてほしい。

じゃないと私のお腹に残る傷は何のためのものだったのか納得できないから。

Permalink |記事への反応(15) | 15:41

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2023-03-27

BIMを知らない建築現場の2次元CADによる設計作業

巨大な集合住宅建築現場施工設計に駆り出された記憶メモする。


1 展開図 床の間の前にある垂壁をとって床の壁の収まりを見たいから作図して欲しい。

200部屋を超える床の間の展開図から垂壁の線画を削除して、床の間の部材を延長する形で書き直し、寸法も入れ直した。所要時間は2週間以上。

BIMモデリングされていれば断面線を動かすか新設するかで瞬時に完了する。たとえ200部屋を超えても1日程度で終わったはず。


2 新たな断面図をつくってほしい

構造図、平面詳細図と展開図から要点を拾い出し繋いでゆく。複雑なので確認修正を繰り返し2日かかった。

BIMモデリングされていれば必要なところに断面線を引くだけで瞬時に完了した。


3 構造の柱と梁を階と仕様ごとに色分けしてほしい

CADデータがすべてただの線の集合体で、ここから柱や梁を指定することができなかった。1本づつハッチングをかけとか非効率も甚だしいので構造平面図と構造軸組図、伏せ図あわせて60ページほどを紙で出力しラインマーカーで塗り分けた。まる2日かけてなんとか最終確認まで持って行った。

BIMモデリングされていれば階と部材で検索し該当する要素に色をつければいい。要素が何百だろうが何千だろうが瞬時に完了したはず。


4 数千件にのぼるデータを2次元CAD使いが人海戦術修正していて何がどこにあるのか、最新の図面がどこにあるのかを正確に把握しているひとがいない。設計変更や仕様変更が反映された最新のデータのありかが共有されていない。図面探しでかなりの時間が失われる。

BIMモデリングしていればこんなことはおこらない


5 基礎梁の断面積を見たら人通口が開口できないことがわかり急遽基礎梁を下に拡張、これにともないラップルコンのレベルもかわった。ものすごい数の設計士がどんちゃん騒ぎをして2週間ほどで基礎の図面をぜんぶ修正した。

BIMモデリングしていれば、1人が1日くらいかければ完了しただろう。段取り確認時間をとっても3日以内におわったはず。


6 すべての部屋の床を種別ごとに求積・積算エクセルにまとめる。

次元CADがローエンドすぎて求積機能が貧弱、作業煩雑。ぜんぶBIMソフトにほうりこんで変換、ゾーニング作業をおこなった。取り込んだデータがぜんぶ閉じていない線分で構成されており、微細な隙間などもあったのでマジックワンド機能動作せず、ゾーン境界をポリラインで引き直した。このため2日以上かかった。

BIMモデリングされていれば何もしなくてもはじめから面積表は自動生成されていた。


没落国家建築現場ではBIMの普及ははてしなく遠い。本社が本気で取り組んでも末端の建築現場事務所が2次元CAD時代から何も進歩していない。たとえスーパーゼネコンでも。

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2023-03-03

3月3日は何の日?

両津勘吉誕生日

太鼓の達人どんちゃん誕生日

Nintendo Switchの発売日(6年前)

だんご三兄弟の発売日(24年前)

ジーコ誕生日

宮台真司誕生日

金魚の日

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2023-02-10

anond:20230210120011

タモリ森田一義)さんの弔辞(故赤塚不二夫さんへ)

弔辞 8月の2日にあなた訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではあります回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代赤塚先生作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑い世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。

 終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑い世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分人生にも他人人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております

 赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたマージャンで勝ったところを見たことがありません。

 その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります金銭的にも大きな打撃を受けたこともありますしかあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。

 あなた生活すべてがギャグでした。たこちゃんたこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたギャグによって物事を無化していったのです。

 あなたの考えは、すべての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味世界から解放され、軽やかになり、また時間前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。

 いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます軽井沢で過ごした何度かの正月伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞あなたのものとは、夢想だにしませんでした。

 私はあなた生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます

 赤塚先生本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 私もあなたの数多くの作品ひとつです。

 合掌。

 平成20年8月7日

 森田一義

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