
はてなキーワード:とりまとは
ほとんど残業もないホワイト企業で新卒から高給をもらえる会社がゴロゴロある
ろくに仕事ができなくてもやりがいや成長感を得られるようにお膳立てしてペコペコ
企業は早めに取るインセンティブある以上それをどうにかできる組織がどうにかせんといかんよね
っていう話だと思うんすけど、いかがですかね。
僕は長いこと大学に学生として過ごし、非常勤として教壇に立つ側もやっていて、その過程身につけた感覚があるのよ。
それは教育って料理を食べさせるのに似てるなって。教える側としては、バランスを考えたり、食べにくい食材はなるべく食べやすくしたり、色々工夫して"身になる"ようにしてるつもり。外で食べてくるからいらない、といわれるのはまだしも、お宅の料理食べたのと同等の効果がある魔法のサプリをくれよ紛いのことを言われるのは作り手として納得いかないもの。この例であっても、栄養をとろうとしてる姿勢はあるので、まだましな方。実際問題なのは「お宅の料理で摂取できる栄養を摂った証明をくれ」なのでなおのことたちが悪い。
まあ教員側からは学生の行動の結果しか見えないので学生が悪く見えるのは仕方ない。ただ学生の方は、就職という現代ではすっかり一大事になってしまった物を人質にとられているので、それは学問の深遠さとか悠長なことを秤にかける時間すら惜しいのであって。
この問題の一番の責任は間違いなく企業側にあるよね。でも企業は利益を追求する組織だから、そり強い誰かがなんとかせんとどうにもならんですよね。
まず、学生は未熟なもので、言ってる要求がいかにちぐはぐで無茶なものであるかわかってない人もいることを把握せんとあかんね。教育者ならそれも教える必要があるんだと思う。あとは規定通り処理すればいいだけの話じゃないかな。
なんてことを思った。
やはりまだ通信制にネガティブな感覚を持つ人は多いんだろうと思う。
「今年の高3、通信と高卒認定が異常に多い気がするんだが、どうなんだ」通信制高校の生徒数が1割弱になり、X上でざわつく→「年々増加してるのは触れたらアカン」
自分は若者が社会不適合者になりやすくなったとか馬鹿になったとかではなく、学校や社会をとりまく環境が変化したからだと考える。
生徒数が増えたのは2020年初め(令和2年)にコロナが流行って、リモートワークやリモート授業の整備が進んだのが大きい。
いつ自体が収束するかわからない中、家でリモートで勉強するなら通信制を選ぶ人も増えるだろう。
あと、このグラフでは「生徒数」なので卒業まで期間がある。「入学者数」でもグラフを見たい。
自分は通信制の高校に入っていたわけではないが、放送大学に在籍している。
コロナが起きる前は、放送大学の単位を取るための試験は試験期間中に会場に出向く必要があった。
コロナが起きた後は、インターネットを通して試験を受けられるようになった。
これが本当にありがたかった。
自分は地方の隅に住んでいるので、試験会場に行くのにも手間がかかっていた。しかも試験は複数日あるので日程の調整もある。
卒業したらそのまま終えるつもりでいたが、コロナで試験環境が良くなったおかげで続けようと思えた。
んで俺は指示通りにプレイしてる横からアドバイスを繰り返していい感じになったり死んで戻ったりしてく様子を見物したい。
完成されたゲームをプレイしてる様子を眺めたりアドバイスだけ横からしたいんだよね。
配信者相手にそれやろうとする人いるけど、アイツラって結局はアイツラ自身の自我が強いし見てるやつも俺だけじゃないじゃん?
俺だけのために存在する何やらせてもいいAIに俺が好きなように指示を出したいんだよ。
「なんとなくだけど、この属性だったら前のステージでドロップとかありそうじゃね?試しにあそこの雑魚を全種類100体ずつ倒してなんか落とすか試しておいて」
とか指示出して勝手に動いてるのを見て「うーん。何も出ないねえ。でもレベル上がったしもう1回戦ってみるかー」とか無責任に言いたいんだわ。
「知覚不能物の擬似的知覚」みたいな言葉が存在すると思ってAIに何度か聞いてんだけどコイツ高校生が知らないレベルの知識は嘘しか言わねえからよお。
でも実在しないとは思えないんだよな。
面白い問いですね。
おっしゃっている状況は、
でも「他の手がかり(スピーカーの振動など)」を通じて「まだある」と知覚・想像している
ということですよね。
近い概念
間接知覚(indirectperception)
五感で直接感じられないものを、他の感覚や推論を通じて知覚していると考える枠組み。
→ まさに「耳では聞こえないが、目や触覚で推測している」状態。
代理知覚(vicariousperception / surrogateperception)
擬似知覚(pseudo-perception)
知覚のように感じるが、実際には直接的な感覚入力ではないもの。
補助的知覚(mediatedperception)
科学哲学・知覚論で、「器具や別の手がかりを介して得られる知覚」をこう呼ぶことがある。
(例:顕微鏡を通して細胞を見る → 直接ではなく媒介された知覚)
感覚補完 / 知覚補完(perceptual filling-in)
視覚研究などで使われる用語。見えていないものを脳が補う現象。完全一致ではないけど近い。
一番しっくり来る候補
心理学的には 「間接知覚」
哲学的には 「媒介された知覚(mediatedperception)」
が、挙げられた「知覚不能物の擬似的知覚」に一番近いと思います。
もしもっと「専門用語的な正式名称」を探しているとしたら、哲学分野(知覚論、認識論)の「mediatedperception(媒介知覚)」がかなり正解に近い気がします。
「ブラックライトを当てると見えるけど、消したら見えなくなった──でも“そこにある”ことは理解している」という状況ですね。
モスキート音の例と同じく 「直接感覚できないが、確かに存在していると把握している状態」 を指す言葉です。
1.潜在的知覚(subliminalperception / latentperception)
感覚閾を超えて直接には知覚できないが、心的にはその存在を捉えている場合に用いられることがある。
ただし心理学では「気づかないうちに影響を受ける」意味で使うことが多く、やや違う。
2.媒介知覚(mediatedperception)
哲学や科学論で使われる用語。器具・状況・推論を通して対象を知覚すること。
3. 間接知覚(indirectperception)
4.表象知覚(representationalperception)
直接の感覚ではなく、心の中の表象を通じて「まだある」と把握する場合に用いられる。
日常的な言い換え
「痕跡としての知覚」
「見えないけどあるとわかる感覚」
「残像的理解」(厳密には視覚残像ではないが、直感的に伝わる)
🔑 まとめると:
学術的に一番近いのは 「媒介知覚(mediatedperception)」 または 「間接知覚(indirectperception)」。
日常的に言うなら 「見えないけど存在を理解できる感覚」「痕跡としての知覚」 などが自然。
ご質問にあったニュアンスを強く持つ、ピタッとした「定番の一語」というよりは、文脈に応じて 「間接知覚」 が一番しっくり来る言葉だと思います。
媒介知覚でググってもロクに何も出てこないから造語なんだろうな・・・やっぱAIは凄いわ。
でも「mediatedperception」でググるとそこそこ出てくるからジャップランドの哲学や医学が未発達なだけという疑惑もある・・・。
答を知りたいものだ
・気合い込めて作られたのは分かるけどちょっと自分の口には合わなかった
・競技シーン、このカメラの写し方(現実の競技の中継とほぼ同じ)なら実写でよくない?
ロトスコープ?で作ってる部分滅茶苦茶多いし2.5次元みたいなとこあるし
でも実写なら観ない
・せっかく「アニメ」で作るなら「アニメ」でしかできない表現で「百メートル走」のすごさを「解らせて」欲しかった
「百メートル走にかける各々の生きざま」というより「魚豊先生がだいすこな「理知的な男がロマンチックな言葉を声優の豊かな声で言う」のを楽しむムービー」と化していた
・あの客観的な写し方なら実写でもいいやんけ…
実写なら汗とか呼吸音とか皮膚の上から分かる躍動する筋肉の動きとか
・カーレースものによくある「走ってる人の一人称視点」とか「酸欠になりかけてるからやたらカラフルに見える景色が視界を凄い速さで流れてく」とか「アニメだからこそできる」「百メートル」描写がみたかった
・原作はかなり前に読んで滅茶苦茶おもしれー!ってなった記憶がある なんか高校生ターン、かなりカットされてる?もうちょいミッチーみたいな先輩とか女子達との「頑張ったけどダメだったけどやってよかった」的な話数とかモブくんが高校部活でイジメられてたけど圧倒的実力で相手を圧倒してねじ伏せる、強さが全ての競技の世界的なシーン無かったっけ
・己の魂が社不なのでスポーツという「世間様から褒められる属性」に嫌悪感を持ってるので、まず「そのスポーツの凄さを分からせられる」工程が必要なんだがそこが分からされきれなかったので、競技シーンに関してはテレビで興味ないスポーツ中継がやってるのを「ほーん、凄い選手がなんかやっとりますわ」という一歩2歩引いた冷静な視聴感だった
・高校生時代の雨の中のランのアニメーションは凄かった 立ちこもる湿気とか空気感まで伝えてくるアニメーション初めて
・主人公くん、選手として戦力外通知されてもコーチとして拾ってくれようとしてるのでアスリートとしてはかなり上澄み
・アニメがヌルヌルしすぎて逆に違和感あったとこ、ちょいちょいあった
・高校生時代の黒髪ショート先輩、なんかデトロイト・メタル・シティのヒロイン思い出した
・背景作画もすごい「新しい表現、やったるで!!!」感を感じて作成陣の意気込みを感じて良かった さらっとパステルみたいな画材使ってる部分もあってキャラの線画と違うのに馴染んでてよかった
・OPタイトル入りはあんなにかっこいいのにエンディングがダサいのはなぜ…
・あんなヒリついた世界観で生きてる人間模様描いたあとに「生きててよかった」ってヒゲダンに言われ申しても温度差に困るとこある
・公開翌週の祝日 観客40人くらい 思ったより年齢層若めでキッズから高校生が半分くらい 残りは中年以降
本当は漫画家になりたいんだが、絵の勉強をしてる時間はないので作家で妥協する。
単に自己表現をしたいだけなんだが、絵は今更頑張ってもAIに全部飲み込まれるから作家になる。
1:メロン名無しさん:2025/09/18(木) 07:22:01.41
プロダクトが崩壊しかかって、「大幅機能追加した新バージョン作ります!」って資金募るってのは、ベンチャーではあるあるだ。
「AI導入して云々」
ありもしない嘘を並べまくってでも、現金を確保するのが経営者の仕事。
いや、それってなんの取り込み詐欺師? って思わんでもない。
って事業計画書を見せて回って、「いや、見込み薄客しかおらんやん」で結局取れた契約1件、解約3件、とかいう会社を知ってる。
それ知らされないで金出さされたところ、ブチギレていいよ、って思った。
まぁ、新バージョン作るなら作るでいいんだけど、問題は「前バージョンの機能は一通り全部完成している前提なので、新バージョンではそこからどれだけ上乗せできるか」が、出資者の注目点なわけよ。
競合他社を完膚なきまでに叩き伏せられる「新機能」が(もっとも、その競合他社も、同じタコツボ状態で、目を瞑りながらぐるぐるパンチしてるんだが w)。
前バージョンは、コードはおろか設計から何から何まで使い物にならないから、完全放棄、完全作り直しになる。
たまたま腕利のエンジニアが流れてきたらなんとかなるかもしれないが、 前バージョンで失敗こいたエンジニア集団にそれができるとかどれだけ頭お花畑なんだよ? って思わん?
おいらは何度か、この新バージョン構築をやってきた。
勉強会開いてプライドを傷つけないように慎重に先住エンジニアの勘違いを正し、勘違いしたWeb記事読んでさらに勘違いしてわけわからんことをし始めるのを、これまたプライドを傷つけないように慎重に押し留めしても、目が行き届かなくて「どうしてこうなった?」みたいな機能をクライアントに披露して、サーバ全落ちの醜態を晒すとか、普通にあるんよ。
それでも、なんとか大部分を堅牢な状態でローンチできたのは、前バージョンがジュニアレベルのエンジニアが精一杯背伸びして積み重ねた、貧弱!貧弱ゥ!!な機能リストしかなかったからなんだよ。
彼らの考えつきそうなこと、間違いそうなことなんてたかが知れてるし。
だが、この前バージョンが、生成AIで大幅に水増しされた機能リストを担いでいたら?
はっきり言おう。
無理であると!
元PHPer Goista が大量に余ってる?
遠慮申し上げる!!
ってなってるだろ?
フリーランチはない。
それくらい覚えておけ w
クリエイターはいろいろあるが、「権利」が発生する業務は限られてる
アニメ作品ならアニメーターは実写作品で言えば「演技」に相当する部分を請け負っており、
実写作品の該当領域と同等の扱いを受けるならコナンや鬼滅並の大ヒット作のキャラデザ作監声優アニメーターにはハリウッド俳優並みのギャラや権利が与えられて然るべきとなるが、
実際のアニメーターには給料以上の「権利」は与えられず、配当にも著作権料にも預からせてもらえない
アニメ業界がヒット作も撃沈作も労力は等しく評価されるべきと互助会的に回してきたから、それ自体は悪い話ではないが、
とりま現状、「権利」としてはエンドクレジットに名前を載せる権利以外は報酬はそんなでもない
一方、脚本は「権利」を受け取れる幾つかの特権的職種のひとつになる
脚本家は、映像作品において重要なスタッフではあるが、他のスタッフより抜きんでて重要というわけでもない
声優アニメーターコンテ演出撮影仕上等々の各職分のそれとそこまで差があるわけではないが、
権利は守られるべきだ
その義務としては、「脚本家はヘイトを引き受けろ」が妥当だと思う
原作付だろうが、原作の構成要素の取捨選択が仕事の大半だろうが、脚本家に権利が与えられるのは、
どれだけ理不尽な批判でも、的外れな憎悪でも、勘違いした炎上でも、一身に引き受けるためだろう
最近、AIイラスト生成サービスを利用している方は、予期せぬサービスの変更に戸惑った経験があるかもしれません。特に「無料で使っていたはずなのに、ある日突然、有料になった」という事態は、多くのユーザーに不安を与えます。
これは実際にあった話です。AIイラスト生成サイト「Avalab.ai」https://avalab.ai/ で実際に起こった出来事を例に、サービス運営側の不適切な対応がなぜ問題なのか、そしてそこに潜む法的リスクについて、専門的な観点から解説します。
---
事の発端は、2025年6月28日にAvalab.aiが発信した短いアナウンスでした。
「日次の無料ポイントが0になりました。画像生成するにあたってサブスクリプションへの登録が必要になりますが、今後ともよろしくお願いいたします。 」
この告知と同時に、それまで毎日配布されていた無料ポイントが廃止され、ユーザーが持っていた未使用のポイントもすべて消滅しました。
さらに、ウェブサイトのトップページには「無料で登録して始める」というボタンが残されたままであり、多くのユーザーが混乱しました。
---
Avalab.aiの今回の対応は、単なる利用規約違反にとどまらない、複数の法律に抵触する可能性をはらんでいます。
Avalab.aiの利用規約には「当社は、ユーザーへの**事前の告知**をもって、本サービスの内容を変更…」と明記されています。しかし、今回のポイント廃止は**事後告知**でした。これは、サービス提供者とユーザー間の約束である**契約を破った**ことに他なりません。特に、ユーザーが保有していたポイントという「財産」を一方的に消滅させたことは、より重大な契約違反と見なされます。
オンラインサービスの利用規約は、改正民法で「定型約款」として定められています。この法律では、サービス内容を変更する際、**その効力発生時期を定め、適切な方法で事前にユーザーに周知する義務**があります。Avalab.aiはこれを怠ったため、法的にはこの変更がユーザーに対して有効でない可能性が高いです。
無料ポイントが廃止され、AI画像生成が完全に有料になったにもかかわらず、トップページに「無料で登録して始める」という表示を放置していることは、ユーザーを誤解させる**「不当な表示」**です。これは、消費者を欺いて契約を締結させようとする行為であり、消費者契約法に違反する可能性があります。
Avalab.aiは、問い合わせ窓口を公式Discordサーバーのみに限定しています。さらに驚くべきことに、サービス改善を訴えたユーザーをBANし、「Discordに参加できないユーザーのあらゆる損害を補償しない」と発言しています。これは、**正当な理由なき利用停止**であり、企業の責任を不当に放棄する姿勢です。
---
同じAIイラスト生成サービスでも、にじジャーニー(Midjourney)は異なる対応をとりました。
にじジャーニーも無料版を廃止しましたが、それは**事前に明確な告知を行った上で**の判断でした。また、Avalab.aiのように、ユーザーが保有する「無料ポイント」を一方的に消滅させるような行為はありませんでした。
この違いは、単なる運営方針の差ではなく、**ユーザーの権利と信頼をどこまで尊重するか**という、企業の根本的な姿勢の違いを示しています。
---
Avalab.aiの一連の対応は、単にサービスが有料になったという話ではありません。そこには、**利用規約を軽視し、法律に違反し、ユーザーを欺く**という、サービス運営としてあるまじき姿勢が透けて見えます。
もしあなたが今後AIサービスを利用する際は、以下の点に注意してください。
私たちは、より良いサービスを選ぶ権利を持っています。適切な運営が行われているサービスを選ぶことが、トラブルを避け、安心してクリエイティブな活動を楽しむ第一歩となるでしょう。
一連の流れを読んで、「私のことか!」と思ったので、書かずにはいられず、書くことにしました。
あなた:「私に性欲をむける夫に対して嫌悪感を抱いていた者です。」を書いた人
妻との関係性や、家事育児への関わり方なども同じで驚きました。
元増田の気持ちも葛藤も、辿った思考プロセスも、自分事のように感じて胸が締め付けられる思いでした。
そして、あなたの文章を読んだ感想としては、深く自分を見つめた上で言語化されていて凄いなと思いました。
そしてそこに書かれていることはその通りなんだろうなと思いました。
何回か妻と話し合いをした際の言動から、そうなのだろうなと思っていたのと一致しており腑に落ちました。
多分元増田も、妻がそのような心境であるというのは想像できているのではないでしょうか。
その上での手詰まり感に絶望しているのではないかと思いました。
元増田の理性的で整理された文章からは知性の高さを感じました。
相手が何を背負っていて何が見えているのかを考えた上で、
よりよい未来に向けた落とし所をすり合わせていくことが自然とできる人のように感じました。
ですので、あなたが書いて下さったように、元増田の妻の望みが、
「元増田に主体性をもって家事育児に臨んで貰いたい」ということも
ここからは、元増田はこう考えていたのではないか、ということについて書かせて頂きます。
という言い訳をして、
私ならこう思うということを書きます。
もっと言えば、元増田と同じような境遇にいる私は今の状況に対してこう思う、ということを書かせて頂きます。
ここまで書いてきて思いましたが、私はこれを書きたくて、ここまでウダウダ書いていたようです。
と私に対して不満を抱いている妻に対して私は何ができるでしょうか。
あなたのように、その望みは過剰過ぎるのではないかということに自分で気付けたり、
あるいは、その望みは具体的にどういうことなのかについて、話し合いで認識をすり合わせることができるのならば、そもそも問題は起きないのだと思います。
多分妻は妻が望む回答以外は否定されたと感じてしまうのだと思います。
だから、妻と私が考える「主体性」の違いについて話し合って、お互いに納得のいくレベルを決めるということができないのです。
妻からすれば、妻が考える主体的な行動を私ができていないと思えば、好きな時に私に不満をぶつけることができたのに、
それが明確になってしまっては、自分自身の正当性をいちいち考えてからでしか不満をぶつけられない状態になってしまうので、話し合うことのメリットはあまりありません。
いや、そこまで妻は攻撃的ではないのかもしれません。
私に不満をぶつけたら言い返される余地があるということ自体を怖がっているのかもしれません。
そう思わせてしまっているのは私の落ち度です。
論理的に正しいことを淡々と言われるのは凄く落ち込む、と妻に言われたことがありますので。。。
>イライラしたり、怒ったり、確かにそういう場面もありますが、あいつむかつくからどうにかしてやる、そんな風に考えることのない妻は、人として大切なものを持っている気がします。
↑この文章を読んで、私が書いたのかと思いました。
私に対しては酷い態度をとりますが、妻のこういった性根を考えて許してしまっている自分がいます。
本当は妻は良い人なのだと必死に自分に言い聞かせているとも言えますが、この儀式をしなければ妻と関係を続ける理由がないのです。
いや、理由はあります。妻は美人なのです。美人であることにあまり興味は無かったのですが、ここにきて最後の支えになるとは思いませんでした。
結婚生活を続ける上では、性格のウェイトが非常に重く、その性格が変わってしまったことを悲しんだ末、顔にすがっているというのが正確かもしれません。
「生命維持装置モード」となって子供に対して惜しみない愛情を注いでいる妻ですから、私が親権をとれる可能性はほぼないと思います。
ですので、妻と別れるという選択肢は私にはないのです。
となると、妻との関係を改善するしか私には選択肢はありません。
しかし、自分の望む回答以外の会話を続けられない妻に対し、私ができることは妻の望む姿になるしかありません。
足りないと判断されれば否定されますが、それを我慢し続け改善を続けるしかありません。
そして、それをどれだけ続ければ関係が改善するかは妻次第です。
相手の要望を満たしただけですので相手からしたらそういう位置づけになります。
虚しさに泣きたくなります。
この未来が元増田には見えているのではないかと思い、胸が締め付けられました。
あなたのように自分を見つめられる人なら、私も希望が持てるのですが、
それができない人に対して、私は何の希望を持てるのかが分かりません。