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2025-06-28

anond:20250628071705

そうか、焦っちゃダメなのね...!もう1ヶ月になりそうで、ず〜っと毎日ちゃらんぽらんなの見てたら見通しがめちゃくちゃ暗くて...戻れると信じてグッと待ってみますありがとう

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2025-06-21

この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代戦争体験生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d

「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦母子を撃った90代の元日本兵が謝罪

6/19(木) 6:04配信

沖縄タイムス

兵士の照屋さん(仮名)が住民あやめしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日沖縄本島(竹花徹朗撮影

 

 「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」

 2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。

 臨床心理士吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。

 参加の意思があるか、ないか体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。

 事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。

 体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。

 「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。

 それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさら申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。

 慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。

 意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。

 そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。

 「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。

■元兵士 65年後の告白 妻子は原爆で命落とす

 90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。

 所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。

 告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。

 帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまたことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。

 照屋さんは1915年沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。

 太平洋戦争東南アジア戦地出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。

 45年8月15日日本敗戦を伝える玉音放送収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。

 2人が長崎疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望から沖縄を離れたが、仕事関係で間もなく戻らざるを得なくなった。

 それでも故郷集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。

 戦時体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分行為正当化たかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。

 「照屋さんにとってこの場なら大丈夫安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班吉田伸)

この記事、読んでいて本当につらかった。

なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。

きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか?普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機さらされた極限状態では働かなくなってしまものなのだろう。

一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまり残酷すぎる結末だ。


このおじいさんは1915年まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平奥崎謙三俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれ将校が海に放り込まれエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。


戦争体験世代は、大きく三つに分けられる。

第一に、1910年代以前の生まれの「戦争指導した大人世代」。上官や責任ある立場戦争に関与し、戦後沈黙を保って生き延びた人々。戦場人間性喪失し、それでも帰ってきた。

第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫鶴田浩二吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。

第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代ギャップみえていたはずだ。


このうち、戦後戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。

特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後道徳観につながり、吉田満に代表される感性現代保守層理想視されてもいる。

しかしその倫理観には、自己満足欺瞞が含まれている可能性もある。過去自分の非を、倫理的になった「現在自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。

そして、その倫理観被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。

脚本家橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たち戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。

死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。

知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。

岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかししまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分コントロールを失って暴れた自分を自省し、本来自分倫理的で、酔って暴れた自分本来自分ではなかったという卑怯ポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。

戦争記憶も同じことがいえるはずだ。

現代SNS社会では、こうした加害者欺瞞的な贖罪被害者がつけ込む形で、この構造さらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。

ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジション依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。


でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪再生きっかけにすぎない。

この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。

この世代葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作少年寅次郎』(脚本岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらん性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場倫理破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。

これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一ドラマ男たちの旅路』も思い出す。特攻記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。

記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。

贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。

私たちは「贖罪の涙」や「被害者トラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。

「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループ存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。

被害者の側も、いつまでも被害者であり続ける」ことはできない。

辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピン住民が「日本兵に家族ブタ丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。

人生って、つらい経験ほど上書き保存楽しい記憶名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。

贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。

人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。

65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。

山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一番組降板話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。

もちろん、軽々しく比較するべきではないけれど、それでも、そう感じてしま自分がいる。

れいに生きられなくてもいい。社会も、彼のことをそっと忘れてあげればいい。そう観念して、生きていくしかない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:06

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2025-04-29

anond:20250426115156

お母様は、真面目な性格

から就職したら仕事を頑張った。自己犠牲的に頑張り続けたか評価された。

結婚して子育てすることになった。

真面目な人間は、仕事半分、子育て半分なんてちゃらんぽらんなやり方はできない。

潔く仕事を辞めて、子育てに専念し、娘をシアワセにしてやらねばと考えた。




ところが上手くいかなかった。

真面目な人間から、やらないといけないことがうまくできないと、強い苛立ちを覚える。

それが怒りの感情を産み出し続け、その感情をぶつけられる相手は、父と娘しかいない。

怒りが静まると、今度は罪悪感に襲われる。

そして、また子育てを頑張ろうと決意して、・・・失敗する。

お母様が親権を主張しなかったのは、もう上手く育てられないと理解していたから。

娘に怒りをぶつけることしかできない自分に、親権を得る資格はないと考えた。

娘のシアワセを考えたら、親権なんて主張できるわけがない。

それが真面目人間選択


母はどうしたかったのか?

家族円満子育てがしたかったに決まってるやん。

ただ、上手くいかなかったとき対処方法を知らなかっただけ。

妊娠出産ホルモンの影響があったのか、甲状腺病気感情制御ができなくなっていたのか、

なにか他に原因があったのかもしれんけど、それは分からない。

Permalink |記事への反応(0) | 02:13

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2025-04-11

anond:20250411123504

大学時代の恩師を偲ぶ会が盛大に行われるらしく、供花料として5千円を納めてきた。

大学卒業してから卒論を完成させていただいたり、ちゃらんぽらん修論でも卒業させていただいたり、

本当に世話になった。

Permalink |記事への反応(0) | 13:09

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2025-02-24

県内最難関の高校受験するとき推薦出してもらえなかった

テストは常時学年最上位だったし生徒会副会長+部活部長やってたけど教師陣に嫌われてて高校受験とき推薦出してもらえなかった

放課後(下校時刻前)に体育館で遊んでたら教頭にいきなり蹴り入れられたのを騒ぎ立てて教頭謝罪させた事件があったのが原因だと思うんだけど

俺よりよっぽど頭も悪くてちゃらんぽらんにやってた奴らが推薦入試させてもらえた一方で真面目に生きてて怒るべきことに怒っただけの俺は裸一貫で受験に挑むしかなかった

結局自力合格したけど今でも教師という存在を憎んでる

Permalink |記事への反応(4) | 13:03

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2025-01-26

こういう三角関係BLが読みたい

・A

名探偵。助平でちゃらんぽらん適当だが、ひとたびピンチが来ると銃を抜き颯爽と事件解決する。推理力よりも暴力、人たらし力、非合法な仕掛けなどで活躍するタイプ

サモサした雰囲気なので第一印象はよくない。

・B

超優秀な刑事だが、事件にAが絡むとババを引いてしまう。頭が冴え部下からの信頼も厚く、シュッとした外見からモテる

違法手段も厭わないAには困らせられることが多いが、内心では悪いやつでは無いと思っている。

実は学生時代はAと付き合っており、向こうがヨリを戻したいと言ってくれば喜んで戻すし、実は今も内緒で泊まりに来る日もある。

・C

ワトスン役。ギーク気質メガネ君インドア派。昔、Aが関わった事件で助けてもらって以来、転がり込んで無理やり助手になった。

実家が太い上に良い大学に通っていたが、Aの活躍に惚れて彼の元で暮らしている。

AとBの関係は知っているが、今は縁が切れてるから自分にもチャンスがあると思っているし、事実時々優しくしてもらっている。

こういうBLが読みたいんだけど、増田ブクマカBLのこと知らなそう。

俺も知らんけど。

Permalink |記事への反応(0) | 21:59

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2024-12-25

世界破滅するタイプアニメに出てくる老人みたいになりつつある

例えば悪の組織があって、悪い大人が居て、少年少女がソレに立ち向かった時、自分はどのサイドにいるか

 

そう妄想したときに、今なら通りすがりちゃらんぽらんな老人だろうと思った

彼らは悪の組織も興味ないし、地球がどうなろうがあまり関心がないが、頑張る若者応援しているイメージがある

Permalink |記事への反応(1) | 15:55

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2024-12-15

自分で何も選んでこなかった独身40代無職の話し

3ヶ月ほど前に会社を辞めた。

事業がなくなるからということで会社都合退職になった、一応余分に金はもらった。

辞めたタイミングで面倒な病気にかかって今は療養中。

日常生活を送れるくらいには回復したので、いい加減職探しを始めようと思って準備を進めている。

問題は次に何をしたらいいかって話しだ。

自分自己都合、会社都合を半々くらいの割合で職を転々としキャリアが虫食い状態なのだ

必ずしもそうではないが30才くらいまでに今後のキャリアというのはある程度決めておくべきだと思っている。

だがリーマンショック世代自分は「とにかく食えればなんでも良い」と

目先のことだけ考えてとりあえずどこかしらで働きながら常に条件の良い転職先を探していた。

幸い働いた分だけ蓄えはあるし、友達もいて趣味もあるから日常的にそんなに暗い気持ちにはならないが

実際これからどうしたらいいかなと頭を抱えている。

から親に言われた通りに勉強し推薦で高校に入り、大学自分学力で行けそうなところに適当に入った。

何もやりたいことがないので就職先も入れそうなところで適当に決めた。

転職先にしても「やりたいこと」ではなく「食えそうなところ」をこれまた適当に選んだ。

自分意志を強く持って物事を決めたことが基本的にないのだ。

30代まででなんとなくそれでこなせていたかもしれないがもう40超え、流石に厳しいと痛感しているがどうしたら良いかからない。

なんでこんなことを思ったかというと先日、近所の友人宅で飲み会があった。

参加者は全員パートナーいるか子持ち。

ありがちな話だが当然、話題の中心は家庭と仕事

適当愛想笑いしていたがどうにも気まずかった。

ちなみに自分は4年くらい彼女がいない。

20代丸々付き合った相手もいるが結婚意識できなかった、一人で生きていくので精一杯だったからだ。

うだつのあがらないおっさんではあるがありがたいことに10代で初めての彼女ができて以来

大抵の期間は彼女がいたが最近はそういった欲もなくからっきしだ。

(2年ほど前に告白されたが一緒にやっていけそうな相手ではないので振ってしまった)

話しを戻そう。

家庭のことは良いとして飲みの場で出た仕事の話しというのが

大学研究室ではこういう分野をやっていて今はこんな仕事をしている」という話しが中心だったのだ。

モラトリアムを延長したいか適当文系大学に入って対して勉強もしないままなんとなくIT企業に入って遊んでいた自分と違い

彼らは10代の頃からきちんとキャリアプランを練って今の地位にいるのだ。

40になるまでちゃらんぽらん意識適当リーマンやってた自分が勝てるわけがないし

職種も業種も頻繁に変えてきた今の自分転職市場における価値など塵芥なのだ

一応いくつか資格は持っているのと一番歴が長いのがITなのでそっちの線で行ってみようと思っている。

週明けはエージェントと打ち合わせだがどうなることやら。

という独り言

Permalink |記事への反応(23) | 17:13

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2024-12-14

なぜ入れ墨タトゥー)を入れている人が銭湯出禁になるのか

入れ墨タトゥー)を入れている人は銭湯出禁ですよ」という情報を事前に持っていながら、入れ墨タトゥー)を入れるような人だからです。

体に墨を入れるかどうかを選択する時、その人は「銭湯出禁になってもいい」という意思を持って入れているわけです。

まり、その時点でその人は「僕は一生銭湯には行きません。自分自身にそう誓います」と決めたはずなんですね。

もしもそうでないのならば最初から銭湯ルールなんて破ればいいだけでしょ?番台のババァときが俺を止められるかよ」とルールを破る前提で考えているわけです。

自分の中で決めた誓いを破る人、ルールを破る前提で人生設計を考えている人、そういった人達に来てほしくないか銭湯では入れ墨出禁ルールがあるんですよね。

入れ墨をしていたら銭湯に来てはいけない」という文化が根づいた国に暮らしてきておいて、自分意思入れ墨は入れたけど銭湯には入りたいですなんて人を他のお客さんと接触させるわけにはいかないんですよ。

大事なのは自分意志入れ墨を入れたということですね。

もしもこれが生まれついての身体的特徴に対してのものなら差別しょうが入れ墨自分で入れようとしなければ入れることが出来ません。

ヤクザの子どもとして産まれて親に強制的に入れられた人は可愛そうですが、そういう被害にあった人達であれば「ヤクザカス共と一緒にお風呂なんて入りたくない」という感覚もご理解いただけるのではないでしょうか?

入れ墨出禁文句を言う人達の大部分は自分意志入れ墨を入れておいて「入れ墨ぐらいであーだこーだ言うな」と言ってる意味不明ちゃらんぽらんです。

そもそも自分が先に「銭湯ぐらいどうでもいいか入れ墨入れちゃおう」とやった結果でしょう。

自分の中で「入れ墨を入れることは銭湯プールよりも優先順位が高い」と判断したことに対して責任を持てないような人間未来を読めず過去無責任人間から出禁なんだって話なんですよ。

Permalink |記事への反応(2) | 10:08

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2024-12-03

俺の10代後半〜ハタチまでの青春音楽遍歴

高校1年の頃、高校生活に馴染めない中でバンプ天体観測を聴いた。

たぶんそれがちゃん音楽に向き合った始まりだった。

なんかそれまでは音楽に関しては受け身なことが多かった。

クラシックやらカービィ星の泉のBGMやらビリー・ジョエルやらポケモン言えるかなやらモー娘。やらはちゃんと聴こえてたんだけど、たぶん音楽として認識してなかった。

それからしばらくしてからケーブルテレビが家に入ってきて、スペシャMTVが見られるようになって、そこでミッシェルとかくるりとか10-FEETとかACIDMANとかゆらゆら帝国とかコールドプレイとかレディオヘッドとかBlurとかBeckとかアンダーワールドとかジャミロクワイとか色々なPVを見るようになった。

あの頃は9.11があって(日本場合3.11ときもそうだったけど)、音楽シーンはモロにその影響を受けてたり受け流したりしてた記憶がある。

ワールズエンド・スーパーノヴァ、Virtual Insanity、Rabbit In Your HeadlightsのPVは今でも初めて見た時の衝撃を覚えてる。

それと前後して高校を辞めて、俺はしばらく引きこもってYahooゲームのブロキシーとかFlash見ながらくるりアンテナヘビロテしてた。

今でもアンテナ聴くとブロキシーのちっさいチャットネカマイチャイチャしてた過去を思い出す。

紆余曲折あってバイト始めて、お小遣い制の頃より圧倒的にお金がある状態になった俺は、音楽雑誌を買い漁った。

つってもお小遣い月1000円の頃の貧乏性がなかなか抜けなくて、買ったのは新品のロキノンじゃなく、古本屋無造作に置いてあったSNOOZERバックナンバーだった。

編集長のタナソーは昔からエモいんだかキモいんだか意識高いんだか低いんだか意味分からんことばっか言ってるけど、それが無理して村上春樹とか野坂昭如とか読んでた16〜17の頃の俺にはドストライクだった。

古本屋に足繁く通っては欠けてるバックナンバーを買い集めて、いつまでもちゃらんぽらんチバユウスケチキンボイスをからかわれてもどこ吹く風なジャックホワイトや延々ダサいばっか言ってるギャラガ兄弟やタナソーにジェリーフィッシュを勧めたら「リズム隊軽くね?」って言われてちょっと凹んでるっぽい岸田繁を堪能してた。

そこからSNOOZERに載ってるCD片っ端からレンタルしてMDに入れて(勿論4倍モードにして)ひたすら色々聴きまくった。

ビートルズ聴くようになったのもこの辺で、曲間で音が途切れないタイプのコンセプトアルバムが好きだったのと村上春樹が何かの小説あとがきでそれ聴きながら書きましたとか言ってたので、Sgt.Pepper's LonelyHeartsClub Bandから入った。

新聞配達カブを走らせながら爆音音楽聴いて、夜明け前の街をひたすら大声で歌ってた。

その後別の高校に入り直した。

昼間働いてた職場音楽好きの人がいた。俺の住んでた田舎SNOOZERを知ってる人に会ったのは初めてだった。めっちゃ盛り上がって、Sparklehorseとかレイ・ハラカミカセットを借りた。特にSparklehorseカセットとの相性良すぎてヘビロテしてた。書いてても懐かしい。

その後人生最初最後彼女ができた。2人きりの車内でシガー・ロスを聴かせたのはちょっとイタかったかなと思うけど、誕生日栗コーダーカルテット空気公団だったかも)のCDプレゼントしたのは喜んでくれてたと思いたい。

だいたいこんな感じ。

ゲーム音楽クラシックレゲエ雅楽とか民族音楽ゴリゴリパンクとかメタルはもうちょっとおっさんになってから好きになった。

その辺の良さは初期のニコニコが教えてくれた。

ボカロ全盛期も好きだった。アンハッピーリフレインかいーあるふぁんくらぶとかドーナツホールとか今でも歌う。ごめんね歌うのがおっさんで。

今はあんま拗らせてない(と思いたい)ので、売れ線の音楽普通に聴く

車内でまっしろわーるどとか君に、胸キュン。まりほりVer.)流してもキモいとか言われなくなったので、良い時代になったなあと思う。

みんなの音楽遍歴も聴きたいなあ。

Permalink |記事への反応(0) | 00:06

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2024-10-03

男、女をつまらないことにしたいやつ多すぎ

女の話はつまらない、とか言うが男も大概じゃないか

気が合ってるだけでは?

会社で考えても話が面白い人、ちゃらんぽらんのおじさんが1人いるくらいで他は別に面白い!と言うほどではない

一方女は楽しそうに話を聞いてくれる割合が高いから話してて楽しいのは女の人の方が多い

男の話は面白いっていうやつは友達以外で考えてみろ

気が合えば面白いのは当たり前だから

それでいえば女は女友達の方が面白いっていってるやつが多い

Permalink |記事への反応(2) | 14:19

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2024-10-01

人間観る眼がヘボすぎる。

ひとりの人間と共同生活程度で良いなら、同棲経験のある独身とか、現在進行形同棲してる独身とかもいるだろ。

子ども作って数人所帯で暮らしてたって、結局その家族破綻させるやつもけっこういるし。

仕事漬けで家庭をかえりみないやつもいるし、家族第一仕事ちゃらんぽらんなやつもいる。

独身には管理職やらないでほしい。1人の他人と共同生活する器量のない奴が組織運営をできるはずがない。

anond:20241001232236

Permalink |記事への反応(0) | 23:31

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2024-07-27

ハーレム系以外をもとめてたはずだったのに

主人公は誠実風。戦いの中でいろんなヒロイン候補と絆を深めつつ、最後は正ヒロインと結ばれたた…。しかし結局正ヒロインがほかのヒロインを許容してハーレム形成→𝓗𝓪𝓹𝓹𝔂 𝓔𝓷𝓭…

というのを読了した。

そのあと、ハーレムにならないぽいやつを読み始めたんだ。

主人公が憧れている関係値の低い正ヒロインらしき子との描写が濃くなる前に、冒険先で出会った新しい子との数々の事件を通じて関係値が高まり、その新しい子と主人公が付き合う…という展開が長々と続く。二人は清く正しく、共に成長していくが、新しいヒロインは若干依存気質で束縛がひどいため、読み手としての好感度は低い。

それでも主人公はそんな彼女の一面も「可愛い」と思っているので、「恋愛は二人のものだもんな」という温度感で読んでいた。ところが、唐突に(いや伏線はあったけど)主人公病気により物語の始まりまで飛んでしまい、これまで読んできた関係値が主人公の中でリセットされてしまった。

依存気質の新ヒロインは真っ青。主人公は好きな子が正ヒロインらしい子になり、性格も今までの努力を忘れてしまい、急に力を手に入れた感覚なので「え?俺ってすごいんです(ドヤ)」とまでは行かないが…少々ちゃらんぽらんになってしまっている。

依存気質で束縛系のヒロインをあまり好きではなかったものの、支援してトラウマを克服してきた経緯があったので、「うそだろ」と感じている。

さらにこの後どのヒロインちゃんとでも、関係値を高めていけるようになってるので「あれ?結局ハーレム系??」という気持ち

ハーレム系を見抜く力が欲しい…。

完結から読むしかいか〜。

Permalink |記事への反応(0) | 16:57

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2024-07-01

anond:20240630151830

30になってもちゃらんぽらんに生きてるワイよりはやってるだけマシだから安心しろ

Permalink |記事への反応(0) | 15:35

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2024-06-29

anond:20240629181333

ここまで子供奴隷にならなきゃいけないなんて知らなかった、という感じの人が子供持っているように見える

バカ無知な人をどうやって騙して子育てしてもらうかみたいな話が多いよな、ネット議論って

でも子育ていかに大変か知ったら欲しくなくなるもんなのかもしれん

後は多産の地域はある程度大人ちゃらんぽらん地域が多いように感じる

でもそれは人のマインド変えるってことになるし、ルールをきっちり守らせることで過密を乗り越えてる東京とかでできるわけがない

まあどう考えても詰んでる

Permalink |記事への反応(1) | 18:20

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2024-05-20

恋愛的に無風の人生

言い寄られたこととかマジでないし、自分も驚くほど興味がなかった故に言いよったこともない

よく食べよく飲み仕事にも前向きだったのでそっちはそこそこ成功し、いま年収1000万くらいなんだけど、すべてにおいて驚くほど無風で平和なんだよね

それで貶されたこともないし

色んな人の話聴きながら、みんな苦労してんだなあと思うと共にそもそも機会を作りにいける社会性があるんだから自信を持っていいんじゃないかな……と思ったりもしている

まりにもちゃらんぽらんすぎてむ風ならそれはそれで楽しめばいっか!って思考だよこっちは

Permalink |記事への反応(0) | 13:12

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2024-03-21

anond:20240321170255

慶應中退して東大に入った身からすると、慶應東大の間には大きな隔たりがあるから、迷うことはおかしいと思う。頭が悪いなら慶應に行けばいいし、東大に行ける学力があるなら、特に理由がない限りは、行けば方がいい。高校生の頭でどう考えたところで、結婚とか彼氏とかベンチャーとか頭ちゃらんぽらん価値観しかないけど、自分価値観大学出るころには大きく変わる。割とがんばらないといけない時点で、東大通ればラッキー、滑り止めで慶應ってところか。

実際、東大青天井で、天才っぽいのがたまにいる。慶應より授業のスピードも二倍ほど違う。

Permalink |記事への反応(1) | 17:10

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2024-01-18

anond:20240116194927

FallenAngel2オタクちゃらんぽらんフランス人留学生高校レベル)を世話したことがあるが潜在スペック日本の同学年同レベル男子の数倍だった。この差はなんだ?と驚いた経験がある(n=1だが)

未だ顕在化していない、隠れた能力である「潜在スペック」を計測するスカウターを所持しているブクマカ

ドラゴンボール世界からやってきたらしい。

Permalink |記事への反応(1) | 11:25

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2023-10-21

anond:20231017005537

マジな話、今の30代中盤くらいまでの戦後一番他責指向の強いちゃらんぽらんかつ人口がまだ多めかつ弱者が多い世代が全滅したら上向くと思う

最後の胡座をかいてる、かつ手遅れな世代

Permalink |記事への反応(2) | 15:56

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2023-09-26

anond:20230926171409

結構前に書いたものに反応がついていて嬉しい。

これを書いた増田雑魚PGだったので雑魚範囲しか書けないことは許して欲しい。

それでも噂でIBMから派遣されるエンジニアは単価200万超えだってみたいな下世話な噂は聞いたことはある。

増田のように人生ちゃらんぽらんに生きてきたのと違ってしっかり教育体制整っているんだろうなぁ、見てみたいなぁという願望はありますね。

そういう世界からは今後もお呼ばれすることは絶対に無いですから悲しいですね。

Permalink |記事への反応(1) | 17:55

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2023-09-01

anond:20230901192120

最近若い子はしっかりしてる子多め、してなくても危機感は持ってるし、無駄人口が多い上にまだギリギリなんとかなるんじゃねの精神が骨の髄まで染み込んだちゃらんぽらんだらけの世代現在アラフォー以上がさっさとくたばればもう一度やり直せる

沢山税金収めて死んで社会貢献していけ

Permalink |記事への反応(1) | 22:31

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2023-08-11

anond:20230811214801

ほんとこれ

多分責任を取る=自死っていう切腹文化も合わさって責任感のある人間は死んで、ちゃらんぽらん遺伝子だけ強化されてるのが日本人なんだわ

Permalink |記事への反応(0) | 21:51

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2023-05-01

男性助産師やめろのやつ

産んだ人間だが男性助産師絶対ヤダの感覚全然からないし男性ってだけで無理無理言ってるママぶっちゃけキショいな〜〜〜〜て思ってるTwitterママ垢やってる増田です。

名誉男性って言われるんだろハイハイそう思いたい奴はそう思っといたらいいよ。

助産師仕事直接目の当たりにしてんなら当たり前に分かる筈なんだがあんなキツい仕事そうないでしょ。訴訟リスクやばいし体力使うし「お客様」は人生MAXに気が立ってる奴らで。自分なら年収1億円でも絶対やりたくないね

そんな仕事マン合法的にいじりてぇ〜とか若い女乳首いじりてぇ〜ウンコ出てるとこ見てぇ〜て思って続けられるってそれどんだけ強靭性癖なんだよ。それを仮にリターンと思って仕事してるとしてもだよ、そのためにかける苦労がデカすぎるだろ。イメクラとかやった方が絶対コスパいいでしょ。

男性ってだけで上記みたいな奴と思われる助産師がいたら気の毒すぎると思うんだが?

自分だってなぁ助産師にそりゃ身体弄られたよ。マンコに手入れられるし指で膣の奥グリィ!てやられて「まだ硬いですね〜」「やわらかくなってきましたよ〜がんばって〜」とか言われたしさ身体の上に乗られたり、ケツ穴も腰もバンバン触られるし、下半身丸出しでウンコも出たし爆音おならも聞かれたしさ(男性医師もいる中)

マッサージでもそりゃギャンギャン乳房触られたし、乳首乳輪も世間一般の産婦と同じようにグイーーン!バキバキバキバキ!てギャグ漫画みたいにねじり弄り倒されたよ。

マンから出る様々な体液の話も普通に聞かれたし答えたよ。でもそれをさぁ男の人にやられたらもっと傷つくかってそんなもんで傷つかねぇよ。

私のとき助産師さんはたまたま女性だったけど膣奥指でグリィ!は男性にされたこともある。産婦人科医は最初から最後まで男性だった。自分は4人の男性マンコ見られてるよハッハッハ。

でもそんなもんどっちでもいいわ。向こうも真面目にやってんだから。逆に医療従事者ってすげぇと思ったよ。

自分もさぁお客さんの持ち物とか弄らせてもらう仕事してて、まぁ実際は全然違うモンだけど例えていうならAV満載のHDDやハメ撮りデータ入ってるビデオカメラとか、そういうお客さんからしたら弄られたくないレベルのもん弄る時もあるんだけど弄る人間は内容に関してはマジで感情なわけ。そんなちゃらんぽらんな方向に意識向かないんだわ。仕事から

から属性だけで気持ち悪い無理無理無理て言うやつ何様のつもりなんだよって腹立つよな。逆に貴女の方が助産師性的目線を少しおっ被せて過剰反応してんじゃねぇの〜キショ、て思ってしまう。

まぁ女性助産師に触られるのも嫌でした…てお気持ちはそうかいうかいそりゃ大変だったなぁとも思わないでもないがそも彼女達は触るのが仕事なんだから「嫌でした…」て思われる助産師からしたらじゃあどうしたらいいんだよって話だよね。

.

一番腹立つのは時々報道される、仕事中にガチ性癖満たそうとして逮捕された奴。強靭性癖持ちでさぞ苦労されたことでしょう。かわいそうですね。最初からまれなかったら良かったのにね。

あんな奴らがいるか女性お気持ちが止まらなくなるんだよマジであいう奴らは死ね。生まれてくんな。

Permalink |記事への反応(0) | 12:35

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2023-04-30

anond:20230430075412

東「のんしゃらん」

西 「ちゃらんぽらん

Permalink |記事への反応(0) | 08:09

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2023-03-09

娘が大学合格した。

我が子ながらお世辞にも賢いとは言えない子で、優しく健康にさえ育ってくれれば、と思いながら子育てをしてきた。

娘が中学生の頃、東大王というテレビ番組をよく観るようになった。学校流行っていたらしい。

娘はその番組に出ている鈴木光さんという東大生の女の子のことが特に大好きだった。

彼女の出ている番組雑誌は必ずチェックし、今日光ちゃん可愛かった!あの難しい問題も正解してて凄かった!と嬉しそうにしていた。

彼女は常に学業を優先していたようで、試験勉強のためにとしばしば番組を欠席していた。

そんな姿も娘の目にはカッコ良く映ったのだろう。娘は彼女に憧れてか、よく勉強をするようになった。

最初こそカラフルペンノート作りをするだけの効率の悪い勉強をしているようで大変もどかしかったが、やっていくうちに要領を得ていったようで徐々に学校の成績は好転していった。

何年か前、鈴木光さんは大学卒業に伴い番組卒業芸能界引退した。その日、娘はテレビの前で声を出して泣いていた。

そんな様子を見て、勉強モチベーションが続かなくなるのではと少し心配をしたのだが、杞憂だったようで娘は引き続き毎日勉強に励んでいた。

最近YouTube等で自身勉強風景ライブ配信している人がいるようで、塾に行かない日の娘はよくそれを流しながらリビング勉強をしていた。一人でやるより集中できるらしい。

最近若い子は色々工夫しているんだなと感心した。

模試志望校評定にはいつも、第一志望の大学と、いくつかの滑り止めと、東京大学名前があった。本人は、他に書く大学もないからだとか言っていたが、本心ではずっと憧れていたのだと思う。

東大を受けることこそかなわなかったが、受験事情に疎い私でも知っているような難関大学を娘は受験し、合格した。

受験勉強をしていく中で、将来の目標ややりたいこともできてきたみたいだ。

少しちゃらんぽらんで、明るく元気なことだけが取り柄だった小中学生時代の娘から想像もできないことだった。

大学に受かったことはもちろんだが、目標に向かって懸命に励み努力の仕方を学んだこと、勉強を習慣づけ将来の可能性が広がったこと、それらを一人で成し遂げたことが何よりも嬉しく、誇らしい。

娘ひとりの努力の結果でしかないが、その大きなきっかけを与えてくれた鈴木光さんにもとても感謝している。憧れの存在になってくれてありがとう

娘のこれから人生はまだまだ長いが、この成功体験が大きな糧になると信じている。

週末は娘のリクエストで、焼肉フルーツパフェを食べに行く予定だ。

10代は胃袋のことを何も考えなくて良いから羨ましいな。

ママはパパの分までソルマックを用意しておくよ……。

追記 3/10

伸びててびっくりしました。

たくさんのお祝いの言葉ありがとうございます。

母まで褒められてしまい嬉しさひとしおです。

Permalink |記事への反応(22) | 17:36

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