
はてなキーワード:ちなことは
AIに関する議論を見ていると、どっちもどっちだよなと思うことが多い。
規制派は「人間の文化が壊れる」「AIは悪」と強硬で、推進派は「技術は止められない」「AIを使えない人間が文句を言ってるだけ」と煽り気味。
お互いに冷静さを欠いていて、建設的な議論がしづらい空気になってる。
ほんと、どっちもどっち。
これはもう、明らかな蔑称だと思う。
慎重な意見や批判的視点を持っているだけの人まで、「感情的」「時代遅れ」と切って捨てる。
中にはAIの全部を否定しているわけじゃなくて、「これはOK」「これはアウト」とちゃんと考えてる人も多い。
でも、そんな声すら「反AI」という一言で潰してくるのが今のAI推進派の一部なんだよね。
もちろん、すべてのAIが悪いってわけじゃない。
たとえばChatGPTのような文章生成AIは便利だし、十分活用すべき。
そもそも、文章って基本的に誰でも書けるものだし、創作性や希少性の観点でも、過剰に保護する必要はないと思う。
同様に、機械的に単語を置き換えるだけの翻訳AIや著作権の対象ですらないプログラム生成AIも、創作性が薄いからリスクは少ないし、実務的に役立つ。
あれは、他人の絵を勝手に学習させて、それっぽい画像を吐き出してるだけ。
しかも、それを自分の創作物みたいに堂々と公開して「俺すごいでしょ」ってやってる人がいる。
それって、やってることは泥棒と変わらないんじゃないの?
リアルで他人の作品を盗んで自分の名前で出したら、普通に炎上するのに。
AIになるとそれが「技術」として称賛されるの、どう考えてもおかしいでしょ。
こういうことを言うと、すぐ「反AIだ」と決めつけてくる人がいる。
どこまでが許容範囲か、どこからがアウトなのかを話し合いたいだけ。
それすら許されない空気の中では、健全な議論なんて成立しない。
「反AI」という言葉は、その空気を作るための便利な侮辱ワードになってる。
AI規制派も推進派も、どっちもどっちだと思うのは、どちらも「全部禁止」「全部容認」みたいな極論に走りがちなこと。
大事なのは、「何のために」「どのような使い方をするか」を一つひとつ判断すること。
特に、他人の創作を吸い上げて成り立っているAIに対しては、線を引かなきゃいけない。
それを主張するだけで敵扱いされるような状況が続けば、クリエイター文化そのものが壊れていく。
「反AI」という言葉は、もはや議論を封じるための攻撃的な武器になっている。
慎重派を追い出し、推進以外は「無知」「感情的」と切り捨てる。
どっちもどっちだけど、「反AI」というレッテルを使う側にはより強い責任があると思う。
米軍支給の眼鏡は「BCG(Birth Control Glasses)」という俗称で呼ばれていることが、複数の情報源で確認できます。この俗称は、眼鏡の外見が不格好であると認識されていたことに由来するとされています。
特に1970年代から2012年まで支給されていたS9型フレームは、厚い茶色のフレームが特徴で、不人気でした。
URL:
A BriefHistory Of The Military's Unsightly 'Birth Control Glasses' - Task & Purpose
TIL about the U.S. military's "birth control glasses" which were a nickname for an unfortunate looking pair of issued glasses. -Reddit
2. 「白い歯を見せて明るく笑える奴が強者。歯並びが悪く目が悪い奴は弱者」
直接的な主張を裏付ける資料は見つかりませんでしたが、文化的な背景や価値観の違いを示す情報は見つかりました。
クラーク・ケントが眼鏡を外してスーパーマンに変身するという描写は、眼鏡が「弱い」「不器用な」キャラクターの象徴として使われていることを示唆しています。
一部の検索結果では、「ClarkKent style glasses」がジョークグッズやコスプレアイテムとして販売されていることが確認でき、この変身のイメージが広く認識されていることがうかがえます。
URL:
Superman (2025): What Are the Hypno-GlassesClark Wears toHideHis Real Identity? (2025年の映画に関する記事ですが、クラーク・ケントの眼鏡がアイデンティティを隠すツールであるという描写に言及しています)
AdultSupermanClarkKent Glasses (Pk 1) - Shindigs
3. 「故に眼鏡市場が日本と比べると狭く。コンタクトレンズが買えない若者は選択肢の少ないチープで大きなセルフレーム眼鏡を使うしかない」
アメリカの眼鏡市場が日本より狭いという明確なデータは見つかりませんでしたが、アメリカでは眼科医の処方箋がないと眼鏡が作製できないこと、また、眼科保険がなければ高額になりがちなことが報告されています。
これにより、眼鏡の購入にはより多くの手続きと費用がかかるため、日本の眼鏡市場とは異なる状況であることが示されています。
URL:
世界各国のメガネ購入事情~アメリカの場合~ |メガネハット(株式会社アーバン)
4. 「眼鏡女性をチャーミングに感じる日本人とは感性がかなり違うっぽい」
日本では眼鏡がファッションアイテムとして普及しており、「伊達眼鏡」(ファッション目的の度なし眼鏡)専門のショップやブランドが存在します。
顔の特徴が少ないとされる東アジア人の顔立ちを眼鏡がカバーする役割を果たすため、ファッションとして定着したという見解も示されています。
URL:
伊達メガネとは?なぜ伊達?その起源と歴史を解説 -伊達メガネ専門ショップ-代官山眼鏡工房
おしゃれな伊達メガネブランド21選|自分に似合うのはどれ? |Giftpediabyギフトモール&アニー
マチアプで遊んだ結果、モテる人とモテない人の言動の傾向がわかったよ
●男への愚痴の内容
話の主導権はこっちが握ってる事が多いので、愚痴を語らせるように誘導してたんだけど
美人・おもしろい女子の愚痴は「モテている元カレ、周囲の若い男に言い寄られる」「そもそも愚痴らない」が多かったよ。
超絶美人の子は過去じゃなくて、現在のセフレとか今のセフレの愚痴になるよ。関わる男、男とみなしてる存在が準彼氏か若い男くらいになるから当たり前かも。
対してブス・つまらない女子の愚痴は「おじさんや準障害者レベルの男に言い寄られる」ものが多かったよ。若しくは「体しか見られない」
詳しく聞いても、体しか見ない男は特にイケメンでも性格がいいわけでもない男だったよ。
昔はこういうのも抱いていたけど、今は非モテ感を感じた瞬間に萎えるのでやんわりと解散して連絡は無視するよ。
顔が良いおばさんもこれ系の愚痴になけど、その場合はワンナイトで済ますよ。
●男の人に対するイメージ
顕著だったのが、「男の人に対するイメージ」。
これも愚痴系になるんだけど、美人とかおもしろい女子の愚痴は「男の人って話すの好きだよね」「ぶっちゃけ聞いていればうんうん言ってくれるから楽」
っていうよ。俺は男だけど、男って基本的にあんまり話すの好きじゃない人が多いから、これは相手に好意持ってめちゃくちゃ自己開示してるパターンだね。
頑張っても全然話広がらない、とか言ってるのはあんまり聞いたことない。
対してブス・つまらない女子の愚痴は「男の人って全然話さない」「話広げるのに苦労」だよ。
恥ずかしがってたり寡黙な場合もあるけど、ある程度の母数の男と話してこの結果は興味が無いか、男全体にナチュラルに嫌われてるよ。
「女にモテないやつの特徴」みたいな増田がちょくちょく話題に登るね。
タイトルは「モテない根本」と書いたが、認知が歪んでいてもモテるやつはモテる。
見た目が良いとか金があるとか、外で会う分にはユーモアがあって一緒にいて楽しいように感じるやつ。
ただ認知の歪みが強いやつは、実際に付き合ったり結婚したりすると本性が出て離別につながる確率は高い。
結果として持続可能な人間関係が築けず、結局友達もパートナーもいないまま中年になってしまう。
たまたまパートナーや友達が寄り添い性能・忍耐力高めだと、うまくいくケースもあるかもね。
それって当たり前じゃなくて相手の思いやりから成り立っているから、大切にしたってや。
認知の歪みは誰にでもある。単なる「考え方の癖」。
けれど、それに気づかないまま悪化させてしまうと、人間関係に支障が出てしまうんだ。
先日見かけた「妻が化粧しないで困ってる」の増田もだけど、そもそも「他人をコントロール可能」だと思い込んでいるのが認知の歪みのひとつね。
コントロールできることもあるけれど、それって洗脳や支配なんだよね。
他人はコントロールできないから、どう頑張っても自分を誰かに好いてもらう努力には限界があるの。
あくまで例だけど、自分の認知の歪みに気づいて思考と行動を変えるきっかけにしてくれたら、人間関係がもっと楽しめるようになると思う。
例:「過去に1度告白して失敗したから、自分はモテないに違いない」
→モテないとモテるの間にはグラデーションがあり、そこの関係を築けず友達にすらなれないため恋愛のチャンスも訪れない。
例:「誰からも告白されたことがないから、自分は誰からも好かれない。モテない。」
→ 限られた経験から極端に結論づけてしまう。君を慕ってくれる友達も家族もおらんか?いなかったら他の項目参考にしてクレメンス。
例:褒められても「でも彼氏/彼女にはできないでしょ」と否定的に受け取る。
→ 褒められたことを素直に受け取って恋心を抱いてしまったら「キモい」と思われそうで怖くなって、コミュニケーションがネガティブになる。好きになるかどうかは置いといて、褒められたことは素直に受け取ろうや。
例:食事に誘えた成功より、「LINEの返事が遅い」とネガティブに注目。
→ せっかく食事に誘ってOKもらったのに、些細な要素でネガティブになり、やっぱりダメなんだ…と悪く考えすぎてしまう。「やっぱりダメなんだ」というネガティブ思考でデートに臨むのと、「今日は楽しむぞ!」とポジティブな気持ちでデートに望むのでは結果が違うと思わん?
例:「既読無視された=嫌われたに違いない」
→根拠のないマイナス推測で関係を壊すことも。メッセージの確認には人それぞれのペースやその時の事情があります。
例:好きな人と会話した時に緊張して噛んだ →「最悪の失敗」。好きな人に褒められても →「どうせお世辞だろうな…」
→自分の短所を過大に考え、長所を過小に考える癖だよ!失敗を省みることは大事だけど、悪い方に考えすぎるのは自己肯定感を下げるだけでメリットなし。
→感情に左右され現実を誤って判断。挨拶すらしなければ知り合いにもなれない。世知辛い現実だが、君が眉目秀麗でなければ、そこから急に恋愛に発展するわけがない。かといって眉目秀麗な人間とて、認知の歪みが強ければパートナーを得ても幸せになりにくいのじゃよ。
例:「男ならお金を出してリードすべき」「女ならメイクして可愛くあるべき」
→ お互いの「自分らしさ」を受け入れられず、「◯◯するべき」という期待が外れると相手に不満を抱いてしまう。せっかくの良いご縁も自分の認知の歪みから台無しに。
→一面的に自分を否定してしまう。もしかしたらダメな部分もあるだろうけど、君には良いところもたくさんあるはずだ。
例:相手の機嫌が悪いと「自分が何か余計なことを言ったのかもしれない…」と自分の責任だと考える
→ もしかしたら自分が何かやらかした可能性はあるが、言われない限りはわからない。過剰な自己否定をすれば、自信を失ったり、自分から関係を壊す行動に出てしまうことも。単に下痢でしんどかっただけかもしれないよ。
以上!
認知の歪みが気になったら、このキーワードで検索してみてなー。
いっぱい本もあるで!
A:そういえば、法律関係の雑誌やウェブサイトで、この「アジャイル・ガバナンス」について紹介している記事をいくつか見かけました。
B:ああ、それもまた経産省の狙い通りなんです。
A:どういうことですか?
B:ビジネス法務の世界には独特の文化があるんです。弁護士や企業の法務部員は、常に最新の政策動向に精通していることをアピールしようとする。
A:それって悪いことなんですか?
B:本来は良いことです。でも問題は、「最新であること」と「正しいこと」を混同してしまいがちなことなんです。
A:なるほど...。
B:政府から新しい政策が発表されると、まず「いち早くキャッチアップして紹介する」ことが重視される。内容の批判的検討は二の次になってしまう。
A:確かに、「最新動向をいち早くお伝えします」みたいな記事、よく見ますね。
B:そうです。そして、そういう記事を書く人たちも、必ずしも憲法学や法哲学の専門家ではない。ビジネス実務の専門家なんです。
A:だから、「法の支配」を根本から変えることの問題性に気づかない可能性があると。
B:その通りです。彼らの関心は「この新制度は実務にどう影響するか」「クライアントにどう説明するか」といったことで、制度の理論的基盤はあまり問わない。
A:でも、それって経産省にとっては都合がいいですね。
B:まさに。無批判な「情報拡散装置」として機能してしまう。しかも、法律の専門家が紹介しているので、一般の人には権威ある情報に見える。
A:なるほど。「弁護士が紹介しているから正しいんだろう」と思っちゃいますね。
B:でも実際には、その弁護士は政策の内容を深く検討しているわけではなく、単に「最新情報」として紹介しているだけかもしれない。
A:それって、意図しない「お墨付き」を与えてしまうということですね。
B:そうです。そして、こうした記事が増えることで「業界では注目されている話題」という雰囲気が作られていく。
B:まさに。「G7で合意された」「大学でシンポジウムが開催された」「法律雑誌で特集された」「著名な弁護士が解説している」...どんどん箔が付いていく。
A:でも、肝心の中身の検証は誰もしていないと。
B:そういうことです。みんな「他の人が検証しているだろう」と思い込んでいる。
A:怖いですね。誰も責任を持って検討していないのに、権威だけが一人歩きしていく。
B:これは現代の情報社会の大きな問題の一つです。情報の拡散速度が速すぎて、検証が追いつかない。
A:じゃあ、私たちが法律の専門家の記事を読むときは、どんなことに注意すればいいでしょうか?
B:まず、その記事が「紹介」なのか「検証」なのかを見分けることです。
A:どう見分けるんですか?
B:「紹介」記事は、政策の内容をそのまま説明するだけで、問題点や懸念点についてはあまり触れません。「検証」記事は、批判的な視点も含めて多角的に検討します。
B:そうです。そして、その専門家がどの分野の専門家なのかも重要です。
A:例えば?
B:企業法務の専門家が憲法問題について語る場合と、憲法学者が語る場合では、専門性のレベルが全く違います。
A:確かに。医者でも、外科医が内科の病気について語るのと、内科医が語るのでは違いますもんね。
B:まさにそういうことです。法律も専門分化が進んでいるので、分野外のことについては必ずしも詳しくない場合があります。
B:だからこそ注意が必要なんです。「法律の専門家」という肩書きだけで判断せず、その人がどの分野の専門家なのかを確認する。
B:その通りです。特に、異なる立場や分野の専門家の意見を比較することが大切です。
A:分かりました。今度から、法律記事を読むときは、「これは紹介記事か検証記事か」「この人はこの分野の専門家か」「他の専門家はどう言っているか」を確認してみます。
B:それが一番大切です。権威に頼らず、自分で考える習慣を身につけることが、民主主義を守ることにつながるのです。
A:そして、「最新だから正しい」という思い込みにも注意しないといけませんね。
はてな匿名ダイアリーは、学校帰りの週末夜に寝転がって読んでます。ランキングに載ってるのだけ。新着はあまり読まないです。
多くの記事は斜め読みだけど、たまにトンデモなく面白いのを見つけた時に感動する。高1から読んでいる。はてなユーザーがうんこを漏らしがちなことは知ってます。※冗談だってことも知ってますよ
これって匿名で日記が書けると言うので、今回ちょっと普段の後ろ暗い思いを綴ってみます。
自分は、府中東高校と同じエリアにある学校に通っている。ちょっとだけ真面目な方かもしれない。
正直子どもだけど、受験勉強や部活は頑張れる人間のつもりでいる。実際に努力はしてきた。
ただ、少なくとも、同じ高校生とは思えない人達のせいで困ったことが何度もある。。
たとえば、学校帰りに自習に使う文化施設(公民館?)でのこと。静かに教科書とチャートを広げてると、たまに騒がしい一団が学習机が並んでるスペースのところにいる。
学校帰りの東高校の生徒で、勉強している府中高校の女子に平気で話しかけている。ナンパってやつなんだろうか。したことないからわかんないけど。迷惑以外の何物でもない。
一度なんて、学習スペースの隅っこで男女(東高校の制服)がベタベタしていて、明らかにただのイチャつきじゃない雰囲気だった。
しまいには公民館職員のおじさんに注意されて、男女はすごすごと出て行った。見てるこっちが恥ずかしくなった。あれ、ほぼ性行為じゃん……さすがに言い過ぎか。でも、マジでそんな感じだったんだよ。
通学の時も、彼らを見かけることがある。大きいバイクを乗り回している東高校のやつ。ヘルメットは被っているけど、こないだ駅近くの交差点のど真ん中でエンストして、その様子を同じく東高校の女子生徒数人に笑われてた。
それからそいつは、横断歩道のすぐ手前までバイクを押して来て、女子生徒数人と楽しそうに話を始めた。通行人にとって邪魔だった。
自分はそこにいたけど、チキンなのですごすごとその集団を避けて学校まで行った。
あと、バス停で東高校の女子生徒を見かけることもあるんだけど、たまに信じられない子がいる。
バス待ちでしゃがんでるんだけど、明らかにパンツが見えているのに、全然気にしてない。
自分でわかってないんだろか?あれは一体どういう感覚なんだろう。
同じ女子高生でも、うちの学校の子はもっとちゃんとしていると思う。学校の階段とか、教室の中で足組み替える時にパンツ見える子もいるけど、それは男子の側にもそういう気持ちがあるかもしれないから、まだ許せると思う。※許してほしいです
はっきり言うけど、近隣の中学校の中でも、ちょっと……言葉は悪いけど「掃きだめ」みたいな環境で生きてた生徒が通う学校である。少なくともうちの中学ではそうだった。
東リベの漫画読んだことあるけど、あれって20年以上前の話なんだろ。でも、東高校の人らは、あの世界観で生きてるような気がする。
駅の近くで、東高校の制服を着た数人に囲まれている中学生を見かけた。
近くに大人がいるのを確認して、思わず声をかけたら、連中は舌打ちしてどこかへ行った。
あの時はマジでドキドキした。中学生からは感謝されたけど、たまたま居合わせただけだ。大声を出したら聞こえる距離に大人がいなかったら、絶対やってない。
ここからが本題なんだけど、正直、これからどんな気持ちで公民館とかに行けばいいんだろう?また東高校がいたら集中できないし、自分自身が被害に遭ったら嫌だなと思ってしまう。勉強に集中したいのに。
どうしても、周りのことが気になってしまう。うるさい環境だとマジで集中できないよ。ちゃんとした大人だったら、一般的なはてなユーザーとかだったら、なんとか知恵が浮かぶのかもしれないが、自分は無理だ。経験が足りない。
申し訳ないけど、自分はあの学校の生徒たちを差別していると思う。そういう感情がある。はっきりわかるんだ。
ふと思ったんだけど、社会人になって大企業とかに入っても、ああいう感じの、常識がない人っているんだろうか。もしそうだとしたら、今からちょっと憂鬱だ。高校生の世界だけならまだしも、大人になってもああいう人たちと関わらなきゃいけないのかと思うと、気が重いのである。
はてなの人たち、人生の先輩って、未成年の頃にこういうのが気になったことはあるんだろうか。
こういうのって、どう考えればいいんだろう?気にしすぎなのかな。
(終わりです)
AI生成技術がもたらした便利さの代償として、創作の「手触り」や「体温」が薄れていく感覚に、強く共感します。画面に並ぶ光沢あるビジュアルや音がどれだけ整っていても、そこに「誰かが悩みながら作った痕跡」が見えないと、鑑賞というよりはただ通り過ぎていく風景になってしまう──この喪失感は、ただの懐古ではなく、とても人間的な感性への問いかけだと思います。
「不完全さ」を味わい、「成長の物語」を伴走することこそ、創作に関わる最大のよろこびであり、それがあるからこそ私たちは作品に心を動かされる。AI時代においても、便利さの裏側で見失いがちなこの“凹凸”をすくい上げる視点が、とても大切だと改めて感じました。
「公共の場でコスプレをするな」と、コスプレ界隈で昔からいうのを聞いたことがあった。
私自身コスプレと縁遠いこともあり、なぜそうなのか分からなかった。人によってなぜ駄目なのか言っていることがまちまちなこともあり、調べてみた。
以下に調べた限りの観点を書き出してみる。
■格好が不快論
※「TPOをわきまえてないから駄目」とか「私が不快になるから駄目」とかでは弱い。たとえば、50歳の女性が若々しい格好と化粧をしてるのを見て「気分が悪い」という人もいるが、この程度では倫理的な悪さはないため。
■まとめ
こうしてみると悪いことと隣り合わせであることが多い。規制する側は「コスプレをする」という理由だけで規制をかける理由になり得る。しかし、「コスプレをして公共の場にいること自体は悪いことではない」のではというのが私の結論である。
思ったよりも直観的でふわっとした結論になってしまった感はある。「いやいや、そうじゃないよ」という意見があれば教えてほしい。
実際十字架は捜査ツールとして認められてないだろうというツッコミはおいといて。
可動域を極力少なくすればいいということはまず考えがちなことだが、
採血というのはとても繊細な作業のはずで。身じろぎされるだけでもだいぶ支障をきたすはずだ。
一定の太さの血管に一定の太さの針を刺すというのは想像以上に細かいスケールのことで、容疑者にその気になられて少しでも身じろぎされるだけでもだいぶ難航するのではなかろうか?
何より捜査といえどもこの段階ではまだ相応の人権が保障されるのでむやみな侵襲があってはならないはずで相手が暴れているからと「下手な弾数うちゃ当たる」な感覚で一分の間に30発みたいな間隔で乱暴にブスブス刺しまくっていいことにはならないだろう。
確信を持って狙った血管に刺せるというタイミングでのみ刺すという原則はたとえ医療行為ではなく捜査行為においても医師側に義務として課せられているはずで、そこを逆手にとられるのではないが。
そもそも採血よりも嚥下物を強制的に採取ということのほうがもっと問題がある。
嚥下物の採取には吐剤を飲ませることが前提にある場合があるが、相手が口をふさいでいるかぎり飲めないではないか。
まさか拷問でありがちな、飲ませたいものを飲ませるために鼻を手でつまんで口を開けなければ息ができないような状態にする、みたいな措置が現行法で許されているようには思えないのだが、どうなのだろう?
普段から時事は追ってて、自分としては元々やや左派っぽい性質もあって、「トランプの支持者の悔しさや恨みは捨ておけないが、トランプの関税政策(他諸々もだけど)は擁護できないし、支持者含めた経済的な自爆だろう」って思っている。
意見のある人と議論になって変な空気を会社で作るリスクなんて踏みたくないし、興味のない人に勝手に喋れば「うわ、なんで自分の生活に関係ないことを熱心に追いかけてるんだこの人キモ」って思われるかもしれない。
でも、この前、会社で残業漬けで帰りの飯屋も閉まってるような時間で、会社の同僚が「最近の時事って全く知らない・・・クソ残業で埋もれてる・・・今世の中って何がニュースなんですかね?」って言ったので、「今は関税じゃないかなー?」って言ったら「関税ですか?それってどういうことなんですか?」ってなり、そらこんな詰めつめ案件でクソ残業漬けで20代が時事ニュースなんて追えるわけない、と理解しつつ「トランプさんが世界の各国にクソデカ関税かけて大騒ぎってのがここ数日の一番ニュースすね」といい、「え、それってなんか悪いんですか?」ってなったので「うーん、問題はトランプさん自身が自分のやってる事分かってないんじゃないかってみんななってて・・・」と言うと「そんな事あります?」と疑問を呈した。
ちなこの若手は大型案件のプレッシャーに耐えながら、現場のプレーヤーの動きを組み立てながら自分も動いてクソ残業に塗れてる子で、バカではない。それどころか優秀な子だ。
話がそれた、で、そりゃ普通の大統領なら分かるけど・・・と思いつつ「ニュースをわざわざ追わない人にとって『大統領は流石に優秀で、意味不明なことなんてしないだろう』っていうフワッとした印象なんだろうなぁ」と思った。
だからこのメチャクチャな状況で「きっと賛否両論があるんだ」「どっちもどっち?くらいなんだろうな」って感じで関税のニュースを遠耳で聞いているんだろうなと。
僕は都内のIT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性からの評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部の婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代の婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性は男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場のルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である。
僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すときに女性は年収や職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家はお金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨に経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金が必要なのは百も承知だし、将来設計を真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードルが想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さらに年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手の理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。
一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンとアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業・年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的な男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装や髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。
ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレートな言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分の理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事や育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分の仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のラインを突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。
僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿、コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手の女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収や学歴、職歴、ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手のリアクションやプロフィールの希望条件を見ていると察することがある。
また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線でジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社や業界、地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向の女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。
実際のところ、僕はこれまでの仕事人生で必死に努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業や休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標に自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種や外資系企業に転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれてしまうからだ。同年代でも外資系やベンチャーで成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場で女性から“勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師や弁護士、コンサルなど、資格や肩書きでわかりやすく高収入を証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場のメガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。
もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分の理想の相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働きを希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在の年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿やコミュニケーション能力がある程度高い男性がモテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。
また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから、自分がさらにスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業、転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまでお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的な安心感を大切にする女性が多いのも事実だから、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。
何にせよ、「年収750万円」という数字は世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。
今は、条件重視の婚活に疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身もステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ、結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人の評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナーと人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか、理想の未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これからも婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観や人生観を共有していくもの。スタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分の武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日も婚活の場に足を運ぶのだ。
たとえばあなたが風邪をひいていて「りんごしか食べられない」状態だったとしましょう。なので林檎を頼むとしましょう。その人はいつもの店に林檎がなかったりするとそのまま帰ってきます。
理由としては「いつもの店(こだわり)でしか買わない」「林檎を買ってきてとしかいわれてない」から、他のものは買わなかった(こだわり)
この手のクソババアはリンゴ以外のモノ買ってきたら無駄遣いすんなって文句言うからタチ悪いんだよなあ。
って言えば済む。「風邪に合いそうな」みたいな抽象的な言い方もダメだけどな、「プリンとスポーツドリンク買ってきて」みたいに言わないと。
結局のところ相手に甘えてんだよね。勝手に察して買ってきてくれるだろうっていう甘え。言わなきゃわかんねーことばかりなのに相手が超能力でこちらの意図を一言一句抜かりなく汲み取ってくれると期待して落胆してストレス溜めてやがんの。俺はお前のママじゃねーっつうの。
この手の甘えから抜け切れてない幼児と結婚すると自宅に墓穴を掘り続ける生活になるんだよ。(ちなこの手の甘えが残ったクソバカが職場で上司になるとクソほどストレスが溜まる)
カタカタカタターン!
カチカチカチッ!
ダメだっ!なんかパワーが足りない!
なんか最近パワーが落ちてきているのがなんでだろうって思っていたのよね。
そんでね、
あなたは敏腕凄腕の管理栄養士です!ってChatGPTちゃんに演じてもらって、
最近の私の食事を教えることで私に足りないことを教えてもらうようにしたの!
パワーを引き出すための元気の元が!
なにかそれで足りないものがあるのか。
そしたら何だったと思う?
それは
炭水化物!
この二大巨頭の栄養素が足りないってことらしいのよね。
ご飯とかお米とか麺とかうどんとか大好きなお蕎麦もぜんぜんほとんど思い起こせば食べてなかったのよね。
それが原因か?って一旦はそう思った矢先、
とりあえず、
この時間帯に飛び込み前転で入店できるピッツァマルゲリータの美味しいお店があったので早速入店!
夜なのにギルティーって思わざるは山の如しかタニコーの五徳かの如く、
久しぶりに対面するピッツァは
オーダーして入店して席に着くやいなや、
スピードメニューの枝豆や冷や奴の速さを凌ぐスピードで提供されるの!
なんでも本格ピッツァ窯だと500℃ちかく温度があがりまくりまくりすてぃーで
おお!って私は損な早くにやけて美味しいピッツァ屋さんが、
知っていたは知っていたけれど、
初めて入店した手前、
その窯パワーを知らなかったのよね。
そんなご機嫌さんで、
ピッツァとズーチーのとろけた感じのいいところにルービーも相まってご機嫌さんで
しかも足りないと指摘されて言っていた炭水化物をうんと補給できたばっかりに、
あまりにもそれがプラシーボ効果かも知れない私の気持ちが上回ったのか、
その日はぐっすり寝れたのよね。
管理栄養士曰く、
夜もある程度の少量の炭水化物を摂って幸せホルモンを出しつつ寝るのが良い睡眠を獲得できる秘訣だ!とも教えてくれたし、
ここ最近の豆乳ばかり飲んでいた私の朝の豆乳作戦で投入された豆乳の数いく知れず。
これも意外とカルシウム不足になりがちな罠に陥りまくりまくりすてぃーだったの!
私はぜんぜん意識してなかった栄養素はたんぱく質とあとは感染栄養食品と茹で玉子と豆乳と白菜が出汁のルーシーが染みわたった鍋のベーナーで十分だと思っていた山脈に向かってヤッホー!って叫ぶぐらいなそんな食生活で毎日平気よ!って思っていたけれど、
ぜんぜんダメだったみたい。
特に!
炭水化物はパワーの源の元って言うことで、
炭水化物そう言えば食べるの少なかったかも!鴨鹿ってそんな鰯気な下向きな気持ちになっていたところに
飛び込み入りたる入店を喫したピッツァ屋さんの美味しいピッツァで元気出たわー!
通常盛りの大盛りにしても残すタイプにしていいとのことで、
エネルギー不足を指摘されたのよね。
なるほどねー!
管理栄養士を演じる完璧ないやペキカンなChatGPTちゃんに尋ねたところ、
特にサツマイモを激推ししてくる感じはなんか妙に親近感を覚えざるを得ない感じがして、
じゃ今のいいベーナーの鍋の出汁のルーシーが育っているところにサツマイモぶち込んでもオーケー?ってさらに尋ねたら、
もちのろんというかろんのもちというか、
それ間違いなくオススメ!ってChatGPTちゃん言うのよね!
ベーナーの鍋の具にサツマイモ?ってなんかションテン上がらないおでんのスタメンのような気がするけれど、
一応は炭水化物やビタミンに食物繊維が豊富で理に適っているんだって!
その日は夜もう遅いかったので、
マーケットに行って何やら必要なChatGPTちゃんが教えてくれた激推し食材の数の子を除く数々を買いに行こうと思ったけれど、
もう閉まって閉店していたので私はしまった!ってそこは思ったけれど絶対に声には出さなかったの。
そこはレディーのたしなみよ。
その時は口でばーん!って声を上げてマーケットの扉を開ける勢いは十二分に持つ合わせていくつもりよ!
なんか、
とりあえず
圧倒的パワーの足りなさを実感していた解決方法は炭水化物だった解決の栄養素はそうだったみたい。
あとカルシウムね。
なるほどー!
ヨーグルトとかチーズのズーチーとかも食べるの有効をキメられるって管理栄養士を演じて指導してもらってるChatGPTちゃんが言うもんだからそう教えてくれるからそうさらに思うのよ。
でさ、
いろいろ食材あるのやっぱり色んな物をバランスよく食べなきゃ行けないのかしら?って
当たり前のことを当たり前のように息をするように管理栄養士を完璧なペキカンで演じてもらってるChatGPTちゃん尋ねると、
当たり前です!って
返答は鬼モードでって鬼の如く言われたわ。
ChatGPTちゃんに鬼モードで!っていうと面白い厳しい意見をくれるから刺激的よ!
私はすっかり最近お正月休み明けの謎のやる気のNASAは宇宙開発に必要な研究だと思っていて諦めていたけれど、
そうではなかったみたいね。
食生活で回復で消えられるパワーがなかったってだけだったみたい。
私があるのは気付いていたけど今まで寄ることのなかったその無視していたとまでは言わないものの、
そのピッツァ窯のあるお店が気に入っちゃってまたカワバンガしたいところのピッツァマルゲリータが美味しかったことをリピすることを心に誓って、
またパワーを養いたいと思いつつ、
食のバランスは今さらながら大切なんだな!って思い知らされたのよ!
なんかパワー不足だったら何かが足りないサインの合図を出しているということみたいなので、
肘をほっぺにくっつけることは不可能かと思うけど
ものの例えとして身体のそういう反応に耳を傾けてみてはと思った1日だったわ。
危うくまた令和入ってからのイチのテヘペロ案件をうっかり犯してしまうところだったわね。
うふふ。
なんでも夕方頃にエネルギーが切れてしまいがちなことをガチ相談したらそう言うことだったので、
鮭とツナ!
夜は控え目に。
手っ取り早く朝の温活の身体を温めることができる70℃のお湯はホッツ白湯にふさわしいホッツよね。
元気にスタートよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!