
はてなキーワード:たまたまことは
たまたまこの発言の前後10分くらいをリアタイで見てたけど、前段として特定の国を前提としない一般論で躱す高市に「台湾での有事はどうか」としつこく誘導しているのは岡田なので高市が急に台湾を念頭に発言しだしたわけではない
またあの答弁を米国や日本ではなく台湾への単独攻撃を射程に入れた発言と取るのはちょっと穿ちすぎで、高市はあくまで政府による総合的判断が必要だと言ったが、岡田がシーレーンを例にあげてどんなシチュエーションがあり得るのか具体例を述べよと言うから「シーレーンへの攻撃なども対象になる"かもしれない"が総合的に判断する」と答えていた
何年も生理は夜に始まることが多くて、自分の中ではそれが普通だと思ってた
なんかXで偶然流れてきたけど夜に始まるのってあんまり良くないらしいね
お腹が痛くて脂汗かくのもずっと当たり前だった
たまたまここ半年くらい運動したり食事気をつけたりサプリ飲んだりしてたら昼に生理が始まるようになって痛みも脂汗かくほどじゃなくなった
私ってずっと健康じゃなかったんかい…そんでそのサインはずっと体が出してたんかい…と驚いている
気軽に婦人科に、とはいうものの、ぶっちゃけ夜に始まるのは良くないとかどれくらいの痛みからが異常とか、女でも知らなくない?保健体育の授業でやらないし、親ともそんな話しなかったし(普通はするよ!と言われたら撃沈なんですけれどもね)
まあ生理に限らず不調のサインって自分ではよくわからないもんだよなあ〜〜〜
「マウントを取りたい」という願望を満たすための手段でしかなかったオタク趣味に、青春と働き盛りを足した30年を終えてから気づいてしまった。
宇宙世紀の知識とか、神話のキャラ名とか、ネトゲのレートとか、全部人生において贅肉でしかないだろ。
後悔しか残ってない。
マウント合戦に負けた悲しみが俺達の友情をいつも引き裂いてきた。
何も残ってない。
本当に。
今までの興奮の全てが「ヨッシ!これでまた一歩マウントのネタが増えたぞ!」でしかなかったことに気づいてしまったから。
「世のアホ共がなろうアニメでシコシコする間、ダークホースの質アニメを嗜む上流オタクの俺様」という夢を見せて頂きました。
俺の好きだったアニメも!ゲームも!漫画も!全部こういう楽しみ方だったんだよ!
俺が参考にした人生のモデルが、たまたまこのしょーもない「マウンター型オタク」というアーキタイプだっただけだよ!
ガンダムや寄生獣が流行ったのだってさ、「俺はアニメや漫画を子供向けと決めつけず、価値観のアーリーアダプターが集う場所だと見抜いたハイセンス(ニチャッ」って連中が跋扈してた影響だろ結局!
たまたまその時代に流行ってたからってオウムや創価に流れた阿呆や、新しい生き方としてフリーターを選んだ間抜けと何が違うっていうのさ!
よくある馬鹿げた失敗だよ!
在り来りな嘆きだ!
問題は残された俺の人生が、趣味にも醒めきって孤独死まっしぐらで、仕事もロクに出来ず金もないってことだよ!
どうすんだよ!
格ゲーのコマンドなんて練習せずに受験勉強するべきだったんだよ!
2次元のロリババァでシコシコしてないで現実で三十路と付き合ってりゃ良かったんだよ!
ミリタリーの知識なんて詰め込んでないで自衛隊にでも入ってりゃ・・いやこれについては入らなくて正解だわ・・俺の人生の数少ない成功ポイント!
どうすんだよ!
こっからどうすんだよ!
アニメで学生共が夢を追ったり論文を書いたり恋をしたり美味いもの食ったりするの見ても、全部俺の人生にないんですよね。
ドラマで親父共が仕事で成功したり絆を深めたり技術が役に立ったり子供が反抗期迎えたりするけど、俺の人生とは無縁なんですよね。
辛いんだよ。
もうフィクションでさえ。
スラムのガキはミリオネアになり、冴えないハゲデブが本当の恋をして、金だけはある男が新たな趣味を拓く、そんなの現実では起きないからフィクションは楽しいんだよな!
違うな!
現実でもごくたまに起きるからフィクションとして最低限のリアリティが成立するんだよな!
ごくたまに!
畜生!
俺が本当に悔しいのはそっちかもな!
ふう・・・
寝るか。
追記:
綺麗なオチがついたのに蛇足で申し訳ないが、俺に対して「オマエまじでくだらねえな!」とマウント取ってきてるコメントはどの立ち位置からのマウントなんだろうか・・・。
50歩逃げた自分を卑下していたら1000歩先から「だっさwwwww」の叫び声が聞こえたような心持ちだぜ。
Permalink |記事への反応(17) | 20:35
1話だけ見てみるとかはごく稀にあったんだけど、全部、自分が対象から外れちゃった感じがして面白いと思えなかった
アニメは見てなかったけど、漫画は無料で連載読める形式のやつはちょくちょく読んでる
大体読むの忘れたりして途中で脱落するんだけど
タコピーの原罪と、光が死んだ夏もそのパターンで序盤は知ってたので
なんかずっと映画見てるみたいな気分だった
作画もだけど、雰囲気作りや画角や演出、全部すごく手間がかかってるのでは…
昔に比べて技術が上がってるのか、予算が上がってるのか、作品作りに時間かけるようになったのか、
何かすごいものを見たって気分になった
久々にアニメっていいなという感情がもどってきて、アニメで感動できたことが嬉しい
見た目の面に言及したが、そもそも話が面白いのがいいなと思う。
どこかで見たことあってセリフも展開も既視感ばかりの作品を見ると、あぁもう自分向けじゃないんだと思って見なくなる
それらに既視感を感じない、まだ作品数をあまり見ていない若い人向けの作品だと思うから。
これら2作品はそうじゃないことをやりたいのが分かる
原作者も、アニメを使ってるスタッフも、表現したいことが何かあって熱が入ってるのが良いな
1で見れるのが楽しみだ
アニメを毎週楽しみにするなんて何年ぶりだろう
とても嬉しい
最近のアニメ、他にももっと見てみようかなという気分になってる
もともと普通の日本企業で10年働いて、たまたま引っこ抜かれてアメリカ系の企業に入社して1年が経った
今日はベトナム出張で会社のイベントで少し酔っ払ったので思ったことでも書いてみる
基本的に、外資系やっぱり大変だわ、私は向いてないけど悪くない、頑張ってるという話。酔ってるので内容は適当
もともと日本企業で扱っていた外資系ソフトが、日本支社を立てるということで引っこ抜かれた
私の専門はAPACなので日本ビジネスというより、アジア系のビジネス
それでも6割はアメリカ人、3割はヨーロッパ、1割はアジア系という感じの会社
だったら勉強しろということになるんだけど、あまりモチベーションが沸かず、のらりくらりとやっている。ChatGPTがなかったら仕事出来てない笑
普通の人からしたらペラペラと言われるレベルかも知れないけど、アジア人でも「数年アメリカに居ました」が当たり前なので、私は一切英語圏に留学してないただの日本人なので下手すぎて落ち込む笑
英語話す能力より、何を伝えたいのか、話したいのかが大切なんだけど、それと同じぐらいやっぱり英語話せたほうが良いよ笑
私のメインはAPAC圏で使われるアジア語がもう一つ英語よりうまく話せるので、それ使って仕事してる感じ。日本語は1割も使わない。英語5割、アジア語4割、日本語1割
会社の羽振りが良い
特に出張。たまたまこの会社だからかもしれないけど、1人1つのクレジットカードが渡されて出張中はほぼ自由に使って良い
もちろんルールはあるけど、1日の食事は120ドル以内とか、ホテルは星4つまでとかだから、まぁ困ることはない。
アメリカ基準だからかその点はむっちゃ良い。月に1-2回ぐらい海外出張だけどその度に楽に出張させてもらっている
私が日本企業に居たときには1泊ホテル1万円以内とか、出張手当2500円とかご褒美がなかったので
外資系だから、人間関係とかさっぱりで、縦関係も無いのかなと思ったら大間違い
どちらかというと体育会系だし、意見は言うけど、言われたことは基本Yesという感じ
上司に気に入られるかが大切。まぁ1000人以下の小さな会社だからなのかもしれないけど、
どちらかというと日本企業の方が意外にさっぱりしていたし、上下関係がまだ少し薄かった気がする
基本30分以内。何か問題が起きたときには本当にその話だけで、5分とか15分で終わることが多い
必要があれば設定されるし、報告することなかったら会議がキャンセルも多い
(多くの人が出張などで時差の関係もあって、そこら辺はゆるいというか、どうなるのか直前までわからんこと多い)
礼儀は大切
外資系だとHey的な感じを想像していたけど、むっちゃ丁寧だし、敬語あるし、礼儀大切
ここは日本企業と変わらんかも。同じぐらい丁寧
ただ足組むとか、挨拶とかはラフ感あるけど、打ち合わせ中に議事録PCで取ったりせず人の話聞くようにしろとか、
CanじゃなくてWould使うとか、出迎えるとか、挨拶しっかりするとか、ジャケットはおれとか意外に気を使う
それと性別、年齢、宗教などなどの差別的なのはなくそう!という意識はむっちゃある
優秀な人は多い
別に外資に限った話じゃないけど、英語話せて当たり前なのである程度年収高い人があつまる。結果仕事できる人が多い気がする
日本だけじゃなく、APACで英語話せるってやはりそれだけで貴重なので。レス遅い人居ないし、全く仕事出来ないなという人は数ヶ月で消える
結果的に、みんなある程度以上できるので、私は疲れる笑 みんなコミュ力高いし、なんで、やめてくれ
年収はまじで高い
貴重な経験ができる
まずは私は英語が話せなくて自信なくすことが多いけど笑
それと食事も、宿泊も今まで自分が経験したこと無いような場所ばかりなので、自分がすごい人になったかのように感じる
良くも悪くも経験の幅が増えた。たまに5つ星ホテルとか泊まるけど、やっぱりサービスすげーとか。自分は星4でいいやと気付けた笑
不安定なのかもしれない
仕事できない人が切られるように、少なくともそういう風潮はある
明日から会社来なくていいよは無いと思うけど、無理な数値目標与えられたりとか、いわゆる窓際に追いやられたりとか
書いてたら酔いが冷めてきた笑
さて少し仕事するかな
外資系に来てよかったかと言われると、8割ぐらい良かった。特に経験、語学(一応少しは勉強してる)、人付き合い、給与は満足
それ以外の、自分の時間、趣味の時間、安定さがなくなったので2割減。
外資系に興味がある人、まずはまじで英語だけは勉強しとこう。話せない人はガチガチの外資は厳しい
もし英語使ってバリバリ働いてみたい!と思うなら、日本立ち上げ系を選んどけばいいと思う。給与水準もその国基準だろうから悪くないと思う。基準が100K以上だと思うし
素晴らしい疑問を本当にありがとう!!!セメント・コンクリート・アスファルトの違いについて、コンクリート自信ニキの俺が勝手に答えます!
とはいえ、すでに素晴らしいブコメがあるので、ほぼこれで事足りています。
砂利を固めたものがコンクリートで、セメントで固めればセメントコンクリート、アスファルトで固めればアスファルトコンクリート。ここにアスファルトが出てきてる時点で知ってると思うけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766286388703605089/comment/Gelsy
最初に言葉の定義から、上記ブコメは全く正しいのですが、何となく元記事の言葉のイメージがずれている気もするので、後者に合わせる形で再定義して説明します。
(日本だと(英語でも)コンクリートというと普通はセメントコンクリートを指します。アスファルトコンクリートはアスコンとか呼ばれているらしい)
まずセメントは,水をかけると固まる接着材です。土の中の特定の成分を焼くとできる白い粉で、水と混ぜるとと化学反応(=水和)を起こして、数日~数か月かけて固まります。セメントは固まるときに縮んでひび割れてしまうので単体ではあまり使われず、補修とか土壌に注入して固めるために使われます(まさに接着剤の使い方ですね)。
次にコンクリート(=セメントコンクリート)ですが、砂と砂利とセメントを混ぜて固めたものです。砂と石は本当にただの砂と石で、セメント=接着剤が周りをガチっと固めることで単体として成り立ちます。なんでこいつらが必要かというと、前述のとおりセメントは固まるときに縮んでひび割れてしまうんだけど、化学的に変化を起こさず形を保てる砂と石があると、全体の体積が大きく変化しないためにひび割れを抑制できるんですね。
さらに、砂と砂利両方を混ぜる理由は、それだけで強度が上がるからなのです。紙コップの中に砂と砂利をいれるときを想像してほしいんだけど、①砂だけ②砂利だけ③砂と砂利両方、どれが一番ガチガチになるかな。①のさらさらの砂だけよりも、②のスカスカの砂利だけよりも、砂利と砂利が重なってその間に砂が詰まっている③が一番ガチガチになりそうだよね。だから、砂と砂利の両方を混ぜるし、一番ガチガチとなるような砂と砂利のサイズ、比率は研究されつくされていて、世の中のコンクリートは最適な配分などがっちり仕様(=示方書)として決まっていてみんなそれを守っています。
なおついでに、砂とセメントだけを混ぜて固めたものをモルタル(=セメントモルタル)といいます。上で例えた通り、①砂だけだとさらさらで、砂利が支えてくれない分強度はかなり落ちるんだけど、さらさらなのが逆に壁に塗り付けたりしやすくて、レンガを固めたり外壁を強化したりできます。セメントと比べればひび割れもしにくいしね。
そしてアスファルト(=アスファルトコンクリート)だけれど、これはちょっと説明が必要です。石油の大本の原油から、ガソリンなどを取り出した後に最後に残る黒いべちゃべちゃなものが本来のアスファルトです。このアスファルト(=原油からできたもの)と砂と砂利とを混ぜたものが、いわゆる道路の舗装で使われるアスファルト(=アスファルトコンクリート)です(正確にはそこにフィラー=石など鉱物の粉も混ぜる)。アスファルトは熱するとドロドロ、冷やすと固くなる性質があるので、これを接着剤としてセメントコンクリートと同じように固めてるんですね。ただ、固くなるといったものの、あくまで粘性がめちゃくちゃ高くなっているだけなので、実は液体です。なので、地面に敷く分にはいいけど、壁とか建築物の材料には使えないんですね(見た目も悪いし)。
最後にまとめると、以下の通りです。
これは固まる時間の問題ですね。上で説明した通り、アスファルトは冷やすだけで固まるのですぐ作れます。コンクリートはセメントが化学反応を起こして固まるので、固まるのに時間が二週間とかかかってしまいます。あとは値段もアスファルトのほうが安いです。(コンクリート道路のほうがつるつるで滑りやすい、というのも言われていますが、これはセメント協会が半ギレで反論してます)
めっちゃ昔のコンクリートの建物は、強度計算が今よりもガバガバだったんですね。だからかなり安全側に設計して、めちゃくちゃ太い柱を使っていて強度が馬鹿みたいに高いです(弱い構造物は関東大震災でつぶれたというのもある)。だから今の時代に解体しようとすると馬鹿みたいな費用がかかって、結果的にだましだまし使い続ける、ということもあるみたいです。あと、コンクリートの品質も、今は仕様が制限されている川砂とか川砂利を使えたりして昔のほうが高い、という側面もあります。
〇 鉄筋コンクリートの偉大さについて
ここまで説明してきたとおり、コンクリートはセメント、砂、砂利で作れるんだけど、普通の建築材料としては、鉄筋を芯に入れる場合が多いです。なんで鉄筋を入れるかというと、これとコンクリートとの相性が抜群の抜群、まさしくベストフレンドだからなのです。(※ 以下、少し専門的で長文の内容失礼します)
建築物の壁や柱にかかる力は、押しつぶす力=圧縮応力と、引っ張られる力=引張応力が主にかかります(あとは剪断力とかもあるけどここでは割愛)。コンクリート単体だと、この引張応力にめちゃめちゃ弱いです。前述の紙コップに砂と砂利を入れた場合を想像してほしい。この紙コップを押しつぶすことはとても難しいけれど、砂と砂利自体はくっついていないから、一つ一つ拾い上げれば取れてしまうよね。コンクリートはそれをセメントで固めているんだけど、セメントの接着力だけでその引っ張る力に耐えないといけなくて、はっきりいってあまり強くないんです。一方で、鉄筋は、綱とかひもとかと同じように、圧縮に耐える力はゼロだけど、引張にはめちゃくちゃ強い。鉄筋コンクリートは、圧縮応力をコンクリート、引張応力を鉄筋で支えることができるから、建築材料としてめちゃくちゃ優秀なんですね。
ただ、その引張を支えるだけであれば、何も鉄筋でなくてもほかの綱でもひもでもよさそうに思えるんだけど、ベストフレンドたるゆえんはここからです。まず鉄筋とコンクリートは熱が加わった時の膨張する割合(熱膨張率)がほぼ同じなのです!この割合が違うと、温度変化で変な力が加わったり、ひび割れちゃったりするんだけど、本当にたまたまこれがほぼ同じだったので、問題が起こらないんですね。また、鉄筋には酸で錆びて強度が落ちるという欠点があるんだけど、コンクリートの中身はたまたまアルカリ性だったので、コンクリートの中に包まれていると錆が生じにくいんですね!
意図せずにたまたまお互いの欠点を補い合う二つの材料のカップリングが見いだされたことで、最強の建築材料として鉄筋コンクリートがあらゆる場所で使われるようになったんですね~。
生コン車は工場で作った固まる前の生のコンクリートをどろどろのまま輸送するための車です(→これ)。この車は全国のどこの町中でもまあまあ見かけるし、それ自体は普通にどっかで工事しているだけと思います。ただ、一つ不思議なことがあって、この生コン車、生のコンクリートをせいぜい90分くらいしか運べないんですね(それを超えると固まってしまう)。じゃあなんで全国の町中でこいつが使われているかというと、全国で、工事現場から90分で移動可能な範囲に、必ず生コン工場があるからなんです。あらゆる町をカバーする形で、全国に大量の生コン工場があって、そこで作られた生のコンクリートを90分以内に出来立てほやほやのまま運んでいるわけです。ピザ屋もびっくりのこの宅配サービスが、日本の公共事業を支えているのです。
(ただ、最近は工事が減って生コン工場もつぶれてこの体制を支えられなくなっている、という話もあります。SNSでも最近バズっていましたね。これは本当に由々しき問題だと思います。)
他にも、近くのコンクリートのひび割れはそこから建物がパッカリ割れるから直しているのか?とか、漬物屋の前のコンクリート舗装の道路が危ない理由とは?とか、コンクリートのトレードオフとそのトレードオフをぶっ壊した自己充填コンクリートとは?とか、いろいろ話題はつきないですが、ここまででいったん締めたいと思います。
ここまで読んでくれて本当にありがとう!
好評いただいたので続きを書きました。
いろいろご指摘いただいたので再度続きを書きました。
Permalink |記事への反応(15) | 11:57
FANZAのお気に入りに入れていた作品のうち4~5作品ほどが一度に販売終了になった。
そう頻繁ではないが、しばしばあることだ。
近年AV女優の権利の保護が進み、女優は自分が過去に出演した作品の販売停止を申し立てることができるようになった。
女優が引退して、過去に自分がAVに出演していたという痕跡をなるべく消し去りたいような事情ができた時、販売停止を申し立てる。
すると、ECサイトなどからはその人の出演していた作品や名前や顔写真など一切合切が消え去る。まるでその人が最初からいなかったようになる。
もろちん広いネットのあちこちにその人の情報は残ってしまうが、少なくとも大手ECサイトで新規購入はできなくなる。
よい取り組みだと思う。
削除の対象は当人の単体作品のみならず、その人の出演作が(部分的にでも)収録された総集編やベスト版にも及ぶのだ。
総集編として収録された作品がツブ揃いでたいへんシコリシャスだったとしても、たった一人が上記の販売停止処分を希望しただけで作品ごと買えなくなってしまう。その人のことは別にどうでもいい、俺はほかの人たちが見たいんだよ、と思っても後の祭りである。もうその総集編は帰ってこない。
冒頭で書いた、私の失われた4~5作品もそうした総集編だった。
たまたまこれらの全部に出演している女優さんのうちのひとりが、過去を消したかったのだろう。
出演者を調べてリストを突き合わせればそれが誰かはたちどころにわかるのだろうが、それを知っても詮のないことだ。そもそも当人はもう知られたくないと思っているのだし。
同じような内容で(その人を除いたかたちで)再編集されることを祈りながら待つしかない。
そして、同じ苦しみ悲しみを二度と味わいたくなければ、ほしいと思った作品は速やかに買うことだ。
とりあえず日常生活を気分良く過ごせるようになるまで成長できたと思う。
「人とまともにコミュニケーション取れないと生きててめんどくさい」
と思うようになった。
お店で質問すればすぐわかることを躊躇して買うのやめたり。
コミュ障が故に無駄に体力とメンタルを削られていることに気づいたからだと思う。
俺の場合はそこら辺のメンタルがコミュ障をこじらせていた原因と思う。
コミュ障が社交的になろうと心がけてじゃあ明日からなれるかっていうと難しい。
1~2年意識すればなれるかというとそれも厳しい。
少なくとも自分はそうだった。
ある時、ほんのささいなことだけど俺を助けてくれた人がいた。
メリットなんてないのにその人は労力を惜しまず協力してくれたんだ。
当時、人を疑って斜に構えてしまう癖が抜けてない俺には理解できないことだった。
でもよくよく考えて、これって見返りも裏表もない100%ただの善意だと気づいた。
それに気づいて、その善意を自分に向けてくれたんだと実感した時に、
心の底からありがたいなって思えた。
でも、こういう人を傷つけない、辛い思いや悲しい思いをさせない、
それからは人を変に疑ったり斜に構えたりせずに、
誰に対しても善意と好意を持って接することを心がけるようになった。
そうして少しずつだけど社交的な俺に慣れていったんだと思う。
きっと今までもこの手の善意を俺に向けてくれた人はいた気がする。
でも自分は無駄に自意識過剰で、役に立たないプライドがあったせいで、
「弱者に見られて気分が悪い」みたいな感じで善意を拒否してたんだろう。
今まで気づかなかっただけで、
実は世の中ってこういった善意であふれているんだと気づいた。
いろいろな人と触れ合うようになってからよりそう思うようになった。
もちろん悪意もたくさんある。けど、悲観するほどでもない。
そしてそれがこの世界の当たり前なんだろう。
ひとかけらの悪意に過剰反応しすぎて、質量のある善意を求めていた。
今まで生きづらいなと思っていたのは、
俺の勝手な思い込みと歪んだ認知が招いた結果だったんだと思う。
きっと善意をくれた本人は何かしてあげたと思ってないし、記憶にさえ残っていないと思う。
それぐらいささいなものだった。でも本当にありがたいことだった。
それに俺はたまたま気づいて、たまたま感謝する気持ちが芽生えただけだ。
でもそういう偶然があるなら、今度はたまたまこの記事を読んで、
コミュ障だった時の俺と同じような生きづらさを感じてるあなたがいるなら、
ちなみにこれ、あのとき俺に善意をくれた彼女が実は今の奥さん…
俺の手元にはなんもない。
でも穏やかに過ごせてる。
Permalink |記事への反応(15) | 12:21
ネタじゃなく本気で「理解のある彼くんが出てきた時点で価値がなくなった」的なこと言ってる人って「自分と似たような境遇に共感して溜飲を下げたかったのに自分に持ってないもん持ってて恵まれてるのにツラいみたいなこと言ってて腹立つなこいつ」みたいな人もそれなりにいるのでは
それなりにいるというか大抵はそっちだと思いますね。でも普段はそういう嫉妬感情むき出しにすると自分が惨めになるから普段は黙ってるんです。たまたまこの件は体の良い批判文句があるものだからjp某さんみたいなコメントをして格好をつけようとするんですよね。判を押したように同じ批判コメントが並ぶ時はいつもそのパターンです。
エロゲを買う時に「俺はエロ目的じゃなくてストーリー目当てなんだ」って言ってるようなもんで、2%くらいは本当かもしれないけど98%は非モテくんの悲しい見栄だってバレてんだよ
私は今41歳で、アルバイトとして働いている。正社員の経験はない。
氷河期直撃世代であるのだが私の場合はそれだけではなく、大学在学中に統合失調症に罹り、それで新卒就職ができなかったのだ。
大学を卒業して数年間はとても働ける状態ではなく、親元で療養をしながら必要なお金は1日2日で終わる短期派遣でなんとか稼いでいた。
そして病気の様子を見ながらパートを始めて社会復帰を徐々にしてきたが、働いては調子を悪くして退職するのを繰り返し、履歴書はかなりボロボロになってしまった。
同年代で、ちゃんと社会人としてのキャリアを積んできた友人たちは、徐々に会社の要職に就きつつある。
それを見ると、今だに病気の影響下にあり満足に働けない自分が、いかに遅れた身でいるのかと思って情けなくなる。
しかし仕方がない。これでも自分なりになんとかやってきた人生なのだ。
だから、この人生ではキャリアに縁がなかったと思うことにしている。
たまたまこの人生では縁がなかっただけ。きっと健康に生きられた前の人生か次の人生の私は、満足できるほどではないかも知れないが、もう少し仕事を頑張る人生を送っているだろう。
そう思うと、少しだけ慰めになるのだ。
※この物語はフィクションです。実際の企業、団体、官公省庁は関係ありません。
ある船の修繕で、造船所に数ヶ月単位でドック入りすることになった。
いつもお世話になってる、というか、この船の面倒を見てもらえるところなんて2つしかない。どっちも超大手で、待遇はどちらもいいけど、今回はたまたまこっちにした。
基地を離れて数ヶ月も滞在するとなるとホテル暮らしは費用がかかり過ぎる。それに修繕だけじゃなく新造船もある。だからホテル暮らしではなく、その会社の寮みたいな宿舎があてがわれてる。全室個室で、大浴場も食堂もある。
そして数ヶ月にわたる修繕が終わり、滞在してた乗組員と現場の造船所作業員で、懇親会が行われることになった。
目玉はいつもビンゴゲームだ。どこから持ってきたかわからないが、トルクレンチやカタログギフト、ニンテンドースイッチなんかもある。もう感謝しかない。ほんとうに世話になった。ありがとう。
---
さて恒例の懇親会。今回もビンゴゲームでいいか。さすがにポケットマネーでとなると利益供与だからな。さすがにそれは駄目だろう。
この修繕にはいつもお世話になってる下請け会社に賞品を任せよう。ノベルティグッズとか商品券でもいいけどお任せで。タダで持ってこさせると下請法に引っ掛かるだろうし、とりあえず注文書を出して発注だけはしておこう。
これで下請A社賞とかつけたら宣伝にもなるしWinWinじゃないかな。
---
国税局「アウトです」
少し前に盛り上がった、五七五の増田でのやりとりがとても良かったのだけど
たまたまこちらのサイト https://sunagoya.com/tanka/ にたどり着いて
いくつか気に入った短歌が見つかったので紹介したいと思う。
回転ドア押さるる方へ春は逝き壜の内側うす曇りいる
/『壜と思慕』千々和久幸(1981)
https://sunagoya.com/tanka/?p=12393
増田「あっ、こちらこそお世話になっております」(ドキドキ)
増田「そうなんですね。でもちょうど良かった。実はあまりよい話ではないのですが、お話したいことがありまして…」
増田「えっ?」(ムクムク)
取引先の人「この間のお話し、なかったことにしてもらえませんか?」
増田「ど、どうしてですか?」(ムクムクムクッ)
取引先の人「こちら側の勝手な言い分で申し訳ないのですが、方針が変更になりまして…」
増田「そう…なんですね…」(ギンギン)
取引先の人「はい…そういうわけで、この前の話は白紙ということでお願いします」
増田「…分かりました」(ドピュ)
増田「……」
増田「暇ができたな…」(ムクムクッ)
増田「…あっ」
まあたまたまこのエントリを挙げるのだけど他の2020/2019年前後の情報を見ると同じ感想になる。
https://note.com/tkslife/n/n58c33d4ca80b
「とても優秀な人です!!!」
「持ちつもたれつ」「お互いに尊重」
書かれている内容的にも先端のIT分野なのにも関わらず、である。
なぜ古臭いのかといえば、技術以前に「人」を見ているからだと思われる。
もう一つは、人が人を補うという、IT化以前の集約的労働思想が残っていることである。
これらが劇的に変わったのがこの4年間である。
【謝るべきこと】
「人の勝手、押し付けんな」みたいな意見があって、それは本当にその通り。
押し付けるつもりなかったけど、タイトルもよくないな、「持て」とか。
申し訳ありませんでした。
【見透かされたこと】
「全部運やと思ってるやろ」
うん、そうやねー、結局この社会でうまくいくかどうかなんて運と縁だけやと思ってる。
個人の能力やって、たまたまこの社会フィットするパラメータが高いだけとかあるし。
読み始めたんは2か月以上前やけど、確かにまだ前1/3くらい。読みやすいねんけどね。
【驚いたこと】
この増田に反発しはる人たちの多くが「こっちは“努力“してる」みたいなこと言うてたこと。
努力できるというのも才能(つまり運)やし、努力しようっていうモチベ保てる状態にあるんも、環境に恵まれてると思うけどなー。
大谷の名前出してる人もいたけど、好きなことを頑張れるんって、幸せやなとは思うけど、そうでない人より偉いとは俺は思わん。
【お前は金払ってんのか】
運のいい人は生活保護とかにそんなめくじらたてんでええやん、って主旨やってんけど…
【一番納得した意見】
トラバにも返信したけど、
確かになー。共同体が大きくなりすぎてて、自分が誰の手助けしてるんか見えへんのが問題なんかもなー。
【競馬について】
これはまあ喩えで、なんかそれで不快になった人がいたらすみません。
競馬場に友達と行って、自分が一番大きく勝ったら、その夜の飯くらいみんなに奢るやろ。
運で得たあぶく銭の費いかたとして正しいと思うんよ。
で、現代社会において、それなりに健康が維持できてて、ちゃんと就職できてんのって、
本人の能力は少しは影響するかもしれんけど、まず運がええと思うんよ。
そうやって運がええことで得たものは、周りに還元してったらええと思うねん。
もちろん競馬当てた時も、「当てた俺を褒めてくれ」って気持ちで周りに奢ってるやろう。
だから税金たくさん納めて社会に貢献したら「俺を褒めろや」って思ったり言ったりするんはええと思う。
でも、運が悪いだけの人に対して「お前はお前が買った馬券を外した無能、自己責任。コンビニおにぎり食って帰れ」とは言わんでしょ。
「生活保護とかのやつを生かすために税金納めさせられるのは嫌」とか言い出すんはどうなんよ。
俺らはいつどんな不運が我が身に降りかかるかわからん、競馬よりも浮き沈みの激しい世界に生きてて、
ほんのちょい浮きだけやとしても、今勝ってるんはただ運がええからなんやで。
人類学の話な。
旧石器時代やったかの遺跡から、大腿骨がダメになってる人間の骨が、健康な人の骨と一緒に埋葬されてんのが見つかったとか。
その折れ方やと絶対に共同体に貢献できひんかった(お荷物になってた)やろういう感じで、
でもその共同体はその個体を受け入れて最後まで面倒みたっぽいと。
これが「人類がこの時点で文明を持っていたと言える証拠や」みたいな話。
自分が運がええだけ、という謙虚さ(というか冷静な自己分析)を持てへん人や
Permalink |記事への反応(18) | 09:24
まず、やつらの根底にある考え方は「勝ち」だけだということを言っておく。「負け」はない。
例えば、あるクズの学生が万引きしたと仮定しよう。学生は、どうしても学校や親には知られたくない。なので、その場で土下座したり、泣いたり、喚き散らしたり、プライドも何もなく、とにかくその場で収めてもらうように足掻く。
さて、では、無事に学校や親に連絡はいかず、解放されたとしよう。その学生が思うのは「助かった」ではなく、「勝った」である。自分は店長に許されたんだとか、学校や親にバレずに済んで良かった〜ではなく、「店長に勝った」みたいな、そういう考え方をしている。
いや、待ってくれよ。学校や親に知られたくなかったんじゃないの?だったら、バレずに済んでよかったと思うんじゃないの?
違うんだよ。学生にとって、それは、あくまでも「勝ちの条件」を設定してるだけで、本当にバレたくないわけではない。バレたら恥ずかしいから、バレたら怒られるから、みたいなそんな子供じみた理由すらない。学生はそういうゲームをしてるんだよ。もちろん、万引き自体、「バレなかったら勝ち」なわけなんだが。
では、逆に、店長に許されず、学校または親に連絡がいったとしよう。これは「負け」だろうか?いや、違う。これは「たまたまこの店長の性格が悪いから、自分は損をした」になる。つまり、店長のせいである。そして、学生はあろうことか、次のゲームを始める。例えばそうだなぁ…親に怒られずに済ます、とかね。
すると、学生は「受験でストレスが溜まっていた」や「周りの友達がやっていて、やらないと仲間はずれにされるから」のような、相手に「仕方ない」と思わせるような嘘をつく。あ、もちろん嘘ね。ストレスなんてないし、そんな友達もいない。
そうして、親に軽く怒られはしたが、最終的には「もう、こんなことするなよ」や「次からは相談しろよ」のような、円満な解決を迎えたとしよう。はい、これ学生の「勝ち」です。親にそんな怒られずに済んでよかった〜ではなく、「はい、俺の勝ち」です。
さて、では、すべてがうまくいかず、親にもこっぴどく怒られて、険悪な雰囲気のまま自宅へ戻ることになったとしよう。残念ながら、こればっかりは流石の学生も「どうやっても勝ちにはならないな」と考えてます。しかし、それは「負け」ではない!
「あーあ、運が悪かったな。あの店の店長もクソだったし、親の機嫌も悪かった。タイミングも悪かったかもな。今度やりたくなったら別の店でやるか。次は絶対にうまくいく。ほんと、酷い1日だった」
これです。負けなんか認めるわけがない。
たまたま、うまくいかなかっただけ。店長がもっとマシだったら、親の機嫌が良ければ、何か漠然とだがタイミングが悪かったように思う。こういうことしか考えない。反省もしないし、負けも認めない。
でも、加害者の中にはちゃんと反省してる人もいるじゃないかと、そういう意見もあると思う。確かにそういう人もゼロではないと思うが、ほとんどは、とんでもなく本当に酷い目にあって、「2度とこんな目にあいたくない」と思ってるだけだということを俺は主張したい。
例えば、さっきの話でいくと、親にボッコボコに殴られて本当に死ぬかと思ったとか、avみたいに店長に体を要求されて初体験を奪われて、精神的に大きなダメージを負ったとか。逆に言えば、そこまでしないと、何度も加害を繰り返す。
元より、人の痛みが分からないから加害者になるんだから、痛みを分からせてやれば加害をやめるかもしれないということ。それが良いこととは思わないが。
最後に。ふと、自分の人生を振り返って、本当に酷い目にあったな、と心が沈んでしまうことがある。そういう時、俺が元気でいられるのは俺に寄り添ってくれる人がいた、という記憶があるからだ。
もし、周りで何かつらい思いをしている人がいたら、加害者を責めることよりも被害者に寄り添うことを優先してほしい。加害者っていうのは、どれだけ優しい言葉で諭しても、そう簡単には反省しない。創作みたいにうまくはいかんのだ。
でも、被害者はちゃんと救われるし、助けてくれたといういい記憶があると、自分もいつか助ける側になるかもしれないから、と奮起させることもできる。だから、加害者を責めるのをやめて(誹謗中傷をやめて)、被害者に寄り添うことを優先してほしい。
後、別に体罰を復活させろー!みたいな立場でもないです。子供に対する体罰はほんとにダメだと思うし。
ほな、さいなら。