
はてなキーワード:それからとは
朝起きたときはあまり頭が働かないのでフレンチプレスを使います。はんぶん寝ててもいれられるし、豆を挽く道具をちょっといいものにしたらじゃりじゃりと粉が混ざることが少なくなりました。でも使ったポットを洗うのがめんどくさいので昼間はドリップしたりします。20年くらいつかってたどこで買ったかわからないプラスチックのドリッパーが割れてしまったので誰でも簡単と宣伝されてた新しいやつにしたらペーパーフィルタが台形から三角のやつになりました。これはフチをうまく折らないとぴったり貼り付かないのでなかなかに扱いが難しい。三角の頂点側から円弧側に向かって折りしろの幅をいい感じで広げるのが難しいけれど、うまく折れてお湯を注いだときに隙間なくぴったり貼り付くととても嬉しい。
こないだエジプト料理屋さんで飲んだアラビアコーヒーがスパイス入ってて美味しかったので、真似をしてカルダモンとかクローブとか入れてみようと思いました。最近カレーをよく作るのでスパイスはあるのだ。食器棚の上の方にいつのまにかちいさなすり鉢とすりこぎがあったので、それで潰して混ぜるととてもおいしかった。スパイス入れるときはプレスよりもドリップの方が香りがたつ気がします。
うまく入れられたカルダモン入りコーヒーを飲みながら、はて、こんなすり鉢いつ買ったっけ?と考えてみると、そういえば4年ほど前に当時いっしょに暮らしていた老ねこのご飯としてカリカリやにぼしやかつぶしを細かく砕いて混ぜてやろうとして買ったことを思い出しました。でも、カリカリやにぼしはすり鉢で潰すには硬過ぎて、結局別の器具を購入してほとんど使わなかったので忘れてた。老ねこも最初は喜んでいたものの、だんだん固形物を食べること自体できなくなって、ペースト的なものしか食べられなくなったのでそちらもあまり使えなかったのだけども。
茶トラの老ねこはずいぶん長生きしてくれて、おかげでもうねこのいない生活など考えられなくなってしまったことと、あとちょうどたまたまよいご縁があったこともあり、彼女を失ったあと間をおかずにこんどはしっぽの丸い三毛のこねこと暮らすことになりました。それから3年ほどたって、私がコーヒー豆を挽くごりごりとした音を聞くと、こたつの中から飛び出してきて増田の足におしりを引っ付ける体制で座り込むようなとても良いねこに育ってくれました。なお豆を挽き終わってお湯が沸くまでの間、しゃがんでちょっとねこを撫でようとしてもするりと避けるくせに、お湯が沸いてポットに手を伸ばすとまた増田の足におしりを引っ付ける体制で座り込んだりします。
そういえば、歯を磨こうとして電動歯ブラシのスイッチを入れるとブーンという音を合図にこたつから飛び出して洗面台の中に飛び込んでくるようになったので、最初は水でも飲みたいのだろうかと思い、洗面台の蛇口から水をぽとぽと落としてみたりもしたけど、いまは右手で歯を磨きつつ左手でしっぽのつけねをぽんぽんとかるく叩く時間とすることで落ち着きました。あとお風呂にお湯を張ろうとして給湯器の”お湯張りを開始します”という宣言を合図にやっぱりこたつから飛び出して風呂桶のふちに飛び乗ったりするので、しばらく一緒におふろにお湯が溜まっていく様子を眺めたりしています。あらためて振り返ると自分が思っている以上に決まりきった毎日をルーティンとしてこなしているのかもしれない。ただ、ねこにとっては1日を決まったルーティンで過ごすことがもっとも幸せであるという話も聞きますし、それは私にとっても一番良いことであります。
合理性を掲げる彼らの実態は、既存の非効率なシステムの温存にほかならない。掲げる看板と中身が完全に矛盾しているからだ。
本来は簡素・公平・中立的であるべき税制において、事務負担が多大な現行消費税やインボイス制度を維持しようとしている。これは納税者に莫大な管理コストと労力を強いるだけでなく、消費行為に課されるペナルティ的なコストを上乗せする構造だ。景気の腰折れを招きやすい欠陥を抱えている。
ベーシックインカムに見られる徴収から給付というサイクルには、必然的に巨額の行政コストが発生する。まさにアーサー・オーキンの「漏れのあるバケツ」そのものだ。減税なら行政コストは省けるのに、あえてコストのかかる再分配ルートを選ぶ選択は非合理としか言いようがない。高コストな給付を選ぶ理由は、行政が市民の生殺与奪の権を握るためだろう。
結局のところ、目的は法人税減税の穴埋めに消費税を充てるという旧来の構造の維持である。デジタルやデータドリブンといった横文字を並べたところで、政治の本質は権力を巡るゼロサムゲームであり、それからは逃れられない。
彼らの言う合理性とは社会全体の最適化ではなく、特定の既得権益層にとって都合の良いポジショントークに過ぎない。今回の選挙で、消費税減税に反発する有権者が首都圏の一部地域に集中している事実が露呈してしまった。
俺はさ!!
宇宙=愛
と思ってたわけよ!!!
でもさ!!!
1億年経ってやっと星が生まれてさ
宇宙=愛
愛って、
ジョンレノンが「Loveis なんちゃら〜」って歌ってたけど
悲しい!!!😭
愛なんてないんよ
人間の中にあるのかもしれんけど
悲しい!!!😭
中道(立憲)がやらかした政策の180度転換、これだよ。政治家にとって一番やっちゃいけない禁じ手なんだよ。
朝令暮改なんてレベルじゃない。昨日まで右だと言ってた奴が、椅子に座った途端に左だと言い出す。
これじゃあ、信じて付いてきた連中が馬鹿を見るのは当たり前だわな。信念がないっていうのは、要するに何のためにそこにいるのかが自分でも分かってないってことだ。
特にジャパンファンドとかいう、いかにも景気の良さそうな名前の公約。あれ、中身をよく見てみりゃ、財源の裏付けも怪しいし、結局は票を集めるための打ち出の小槌を演出しただけだろう?現実を知ってる人間から見れば、そりゃ詐欺って言われても文句は言えんわな。金は天から降ってくるわけじゃないんだ。
それから宗教アレルギーの問題。これは日本特有の難しさがあるが、そこを曖昧にしたままおまかせくださいで通るほど、今の有権者は甘くないよ。一度不信感が植え付けられちまうと、どんなに正しい政策を言っても裏で誰が糸を引いてるんだ?と勘繰られる。政治ってのは信頼の積み重ねなんだから、そこを軽視したツケが批判として噴き出してるんだろうね。
まあ、政治の世界は綺麗事だけじゃ回らんが、少なくとも自分の言葉に責任を持たない奴に、国のかじ取りは任せられんわな。
ところで、最近はこういう公約の空文化を防ぐために、ブロックチェーンで公約の進捗を監視しようぜなんて議論も出ているらしい。政治家も嘘がつけなくなる時代が来るかもな。
昨日は一日寝てたがあまりよくならない。
今日はあいにく休めない。あわよくば午後から帰るかと思いながら会社に着く。
パソコンの様子がおかしい。自動処理が普段止まらないところで止まってる。
電源入れなおせとしか言われない。
昼過ぎに何とか修理のめどが立つが、NTTが来れるのが金曜とか言われる。
いつの間にか追加されてたチル、ウェルビーイング、安眠、仕事効率化のためのBGM達。
環境音機能もあってそっちの需要が高いのは分かるけど、この音楽サブスク全盛期になんでこんな機能足したんだろう???
それから謎だらけの曲の不気味さ。
大体1~3分。曲名もアーティスト名も不明。そのくせアートワークは明らかにAI生成画像。
音楽認識アプリにもヒットしない。そもそもメロディらしきものがない。リズムとアクセントの繰り返し。ずっと平坦。
Xでは通信料食う(=都度ダウンロードしてる?)って言われてるんだけど。ってことはやっぱりリアルタイム生成されてるのかな。
俺達の考えた最強の経済政策()だって実現しても経済の立て直しは不可能だからどちらにしろフフフになるんだよ
前回当選した中谷一馬氏は、マスコミの報道からすれば自民党の勢いに押されたように見えるが、それはある意味正しいが、ある意味間違っている。
私は一応中谷一馬の支持者だが(今回も入れた)、イライラしながら投票したと言わざるを得ない。
高市内閣の支持の云々は関係ない。真面目に選挙区を見ていなかった。それに尽きる。
まず、横浜市議会選挙で大野トモイ氏を一方的な理由で外した。これははっきり言って解せなかった。結果的に大野氏も当選したが、説明責任を果たしたとは思えなかった。
何より不信感を増したのは、「やってるふり演説」だった。週末に駅前に行くと本人は現れずに演説の動画を流しているだけ。いろいろと忙しいのかもしれないけど、私からすると、なめとんかと言わざるを得ない。これが地方ならまだわかるが、神奈川なら電車ですぐ来れるはず。そんなに地盤がないはずなのに、何を考えているのか。
それに、今回の選挙はほとんど駅前を張りついていた。確かに会える有権者は多いかもしれないが、そんなことでは「オセロ」はひっくり返らないのだよ。いろいろと大型団地やマンションを巡っていろいろと声を聞いてくれ。話はそれからだ。
本当に大切な人だった。きっと死ぬその瞬間もその顔を思い出すだろう。
ただ気づけば傍にいて、大きな目を細めて、猫みたいに笑うのがとても魅力的だった。
それは私が発達障害持ちで、他人の気持ちを思いやれず人間関係をうまく構築できないことに起因するのだが。
それでも傍にいてくれて、別々の大学に進学してもなお友達関係を継続してくれた、数少ない人だ。
彼女と連絡を取れなくなって、もう何年経っただろうか。
環境を変えたくない、つまり引っ越したくないのだから、転勤は避けたい。
グループ面接・ディスカッションでは初対面の人と協調できる点をアピールしなければならないが、全く話せないか変な話題の入れ方で空気をぶち壊すかだ。
それに、昔から方向音痴で地図を読むのも下手で、初めて行く場所ではしょっちゅう迷うのだが、企業を巡るために連日見知らぬ場所に行かなければならない。
しかし安定した収入を得るためには新卒カードを有効活用して、どうにかして就職先を手に入れなければならない。
苦手極まりないことを連日、本当に連日やらなければならない。
私の周りの普通の大学生が皆やっていることは、私には無理難題だった。
気づけば心は壊れていた。
彼女は慰めてくれた。
それから数カ月たって、会う予定ができた。
でも、彼女は来なかった。直前に体調不良だと連絡があった。心配した。
結婚したのだと思うが、知らせは無かった。
そしてその後、LINEの友達一覧からいつの間にかいなくなっていた。
ずっと後悔している。
中学高校時代の私は、お世辞にも友達になりたいタイプの人間ではなかった。
空気を読めず人を労わることもできず、一緒にいても何の良いこともなかったはずだ。
しかも心を壊した。
心を壊した者の傍にいることは難しい。
ましてや就活という人生の岐路で、自分にもストレスがある状態であれば、なおさらに。
だから、積もり積もった不満がコップの淵から溢れて、ついに距離を置くと判断したとしても何もおかしくない。
当然だとすら思う。
私は彼女を不快にさせ続けていたのだろうとわかっていてもなお。
もう連絡とる手段が無くなって何年も経つというのに、なお。
いつか私が孤独で気が狂いそうになったとき、たとえば金に任せて探偵に居場所を探すような狂気じみたことをしないか、怖くて仕方がない。
夜眠っている間、夢の中に彼女が頻繁に登場する。
目が覚める度に恐ろしくなる。
非科学的な物言いをすると変な笑いが出そうになるが、この気持ち悪い執念が生霊にでもなって、彼女を苦しめていないかとすら思って怖くなる。
いつか私が認知症にでもなったとき、譫言で彼女のことを好き勝手喚くバケモノになるのではないかと怖くなる。
これが友情なのか愛情なのか、もはや悍ましい執着なのかもわからなくなっている。
バケモノになりたくない。いや違う。私がバケモノになるのか構わないのだが、彼女に危害や恐れを与えたくない。
そうなる前にどうか、誰でも何でもいいから私を消し去ってほしい。
単純に「観測範囲の問題」だと思う。要するに、問題視してる人たちもインターネットのオタクと同じ観測範囲でものを見てるから、実写版のレズAVが視界に入ってないんだよ。ある意味では、オタク同士の内ゲバなんじゃないかな。
それから、BLがあれこれ言われることが多いのは、BLファンの中に、一定数「政治的正しさ」を掲げて政治的に正しくない創作を攻撃する人がいるから、カウンターとして言われてるっていう面もあると思う。
「やおい論争」だって、フェミニズムの同人誌に載ったゲイからの批判が発端だったじゃない。
……オジさんが女性のヌード眺めて喜んでいるの見たら、変態ジジイ! と叫びたくなるくせに、暗い青年が部屋でしこしこと、女同士がセックスしてる漫画描いてる図を想像したら、大概の女性はゾゾッと体をなめ回されたような不快感を覚えて、やめろよなー、お前! とド突きたくなるくせに、自分たちも平気で同じ次元まで堕ちてしまう。こういう男たちと同じなんだ、という自覚があるのかね? 俺たちから見たら同じよ。わかってんのかね?
もしも、男性向けのエロ創作が女性から何も言われてこなかった世界線なら、BLについてあれこれ言う人の数は少なかったはず。
もちろんほとんどの腐女子にとっては「何それ、知らん」と言いたくなる話だろう。それはわかってる。ほとんどの腐女子が男性向け表現に寛容なのは理解してる。BLを愛好しつつ男性向け表現を叩くなんていう特級呪物がごく一部であることも理解してる。
ただ、フェミニストでありなおかつ腐女子であるというごくごく例外的な一部のアレな人たちがいるせいで、「じゃあBLもダメじゃねーか」っていう反論が生まれてきちゃう構図にあるんだよね。
一般的な、男性向けへの攻撃に与さず、コンビニのエロ本とかも気にしてこなかった多くの腐女子の皆さんが、そういう連中のツケを払わされるのはすごく不当だよね。それはよくわかるよ。男性も、ごくごく一部の痴漢のせいで通勤時に乗りたい車両に乗れないっていうツケを払わされてるから、「なんで自分とは関係ない一部のキチガイのせいで不利益を被らないといけないんだよ。そんなん不当だろ」っていう気持ちはよーくわかる。腐女子叩きも女性専用車両もどっちも不当だよね。そういう差別は認めちゃいけないと思う。
だから、「レズAVも叩けよ」じゃなくて、「BL・GLを叩くな。男性向けも女性向けも叩くな」という方向で、いっしょに声を上げていこう!
バブル崩壊直後の1990年代、日本社会には「豊かさへの違和感」があった。家電は揃い、街には商品が溢れ、平均的な生活水準は世界的に見ても高かった。それでも人々は「心が満たされない」と語った。競争の激化、長時間労働、成果主義の浸透により、豊かさは数字や所有物に還元され、人間関係や安心感は後景に退いたからだ。物質は増えたが、それを分かち合う余白が失われていった。
それから30年。今や日本は、実質賃金の停滞、将来不安の常態化、社会保障への不信という「物質的な貧しさ」に直面している。だが不思議なことに、心は回復するどころか、さらに貧しくなったように見える。理由の一つは、希望の縮小だ。かつては努力すれば報われるという物語が、社会の共通言語として存在した。今はその前提が崩れ、努力は自己責任へと押し返される。結果、人は他者ではなく自分を責め、孤立を深める。
もう一つは、つながりの質の劣化である。SNSは人を結びつけたが、同時に比較と分断を拡散した。承認は数値化され、共感は即時性を求められる。ゆっくり育つ信頼や連帯は、効率の悪いものとして排除されがちだ。物質的に貧しくなった社会では、本来なら支え合いが価値を持つはずだが、競争の論理がそれを許さない。
心の貧しさは、個人の弱さではなく、社会の設計の問題である。物質の量でも、精神論でもない。安心できる未来、失敗を許す制度、評価されない時間の尊重。それらが欠けたままでは、豊かさを取り戻しても心は満たされない。問い直すべきは、何を「成功」と呼ぶ社会なのか、という根本なのだ。
美術館へ行き、モネの絵に出会った。200円ぽっちの小さな常設展だったが、だからこそ出会えたのかもしれない。美術に疎い私の心を鷲掴みにするのには十分だった。
それから1週間経ち、図書館で再会を果たした。大きな画集が置いてあったのだ。すぐさま手に取り、机へ向かい、画集を開いた。そこにはありありと150年前のフランスの生活が描かれていた。
私はどことなく、150年も前の地球は現代と隔絶されたものだと偏見を持っていた。しかし、絵を通じて写真よりも正確に伝わってくる。この150年で進化した部分は多いが、今と地続きである姿がほとんとであると。この絵にある橋は今もきっとあるだろう。この絵の景色は今も拝めるだろう。日曜午前、そう思いを馳せた。
金曜日、21:21。
僕は今日という日を、いくつかの確定事項と、いくつかの許容できないノイズの除去によって完成させた。世界は混沌を好むが、僕は世界を甘やかさない。
まず進捗報告から書く。午前中に洗濯を済ませ、タオルを用途別に畳み直した。世の中の大半の人間はタオルを大きさで分類するが、それは分類学の敗北だ。
タオルは水分吸収後に人体へ与える温度変化のパターンで分類すべきだ。僕はその分類をすでに完成させている。
昼は例のプロテインとナッツ。ルームメイトは「鳥かよ」と言った。僕は「鳥は飛べる。君は飛べない」と言った。会話終了。
最近、僕の頭を占領しているのは、もはや弦が振動して粒子になるみたいな子供向けの比喩ではない。
そんなものは学部生の精神安定剤に過ぎない。今僕が追っているのは、弦理論の存在論そのものが、より抽象的な数学的構造に吸収されていく瞬間だ。
従来の弦理論は、時空を背景として仮定し、その上でワールドシートの共形場理論(CFT)を構成する。
僕が最近読んでいる議論は、その揺らぎを、もはや幾何学ではなく圏論とホモトピー論の側から扱おうとする。
弦理論の真の姿は、たぶん幾何学的対象ではなくある種の高次圏の中の関手だ。
例えば、Dブレーンは単なる境界条件ではなく、導来圏の対象として現れる。
これは有名な話だが、僕が今考えているのはその次の段階で、ブレーンを対象として並べるだけでは足りないという点だ。
重要なのは、それらがなす安定∞-圏の中での自己同値性、そしてその自己同値群が物理の双対性を生成しているという構図だ。
つまり、S双対性もT双対性も、時空の幾何学変形ではなく、圏の自己同値の作用として理解されるべきだ。
幾何学は副産物だ。主役は圏のオートエクイバレンスで、その影が僕らに空間や次元という幻覚を見せている。
この視点に立つと、超弦理論は10次元の時空の上で定義される理論ではなく、あるモジュライ空間上で定義される圏の族になる。
しかもそのモジュライは通常の多様体ではなく、スタック、いや派生スタックとして扱わないと整合しない。量子補正が幾何を壊すからだ。クラシカルなモジュライはもはや粗すぎる。
そして今僕が面白いと思っているのは、物理的な散乱振幅やBPSスペクトルが、派生代数幾何の言語でいうコホモロジーの生成関数として現れるのではなく、より根源的にスペクトル代数幾何として再解釈される可能性だ。
普通の環ではなくE∞環、そしてそれを層化したスペクトル層の上で物理が書かれる。
これが意味するのは、弦理論の量子性が、確率解釈とか演算子代数とかのレベルではなく、もっと深いホモトピー論的ゆらぎとして実装されているということだ。
観測値の不確定性ではなく、構造そのものが同値類としてしか定義できない。
だから時空は何次元か?という問いは、すでに古い。正しい問いはこうだ。
この物理理論は、どの∞-圏に値を取る関手として実現されるのか?
そして粒子とは何か?はこうなる。
スペクトル化された圏の中で安定化された対象の、ある種のトレースとして現れる量が、観測可能量として抽出されるのではないか?
この辺りまで来ると、たぶんウィッテンでも「面白いが、それを計算できるのか?」と言う。
僕も同意する。計算できない数学は、芸術に片足を突っ込んでいる。
もっとも、芸術を嫌うわけではない。ただし芸術は、計算不能であることを誇るべきではない。誇るならせめて証明不能で誇れ。
さらに言うと、AdS/CFT対応も、境界CFTが重力をエンコードしているという話ではなく、境界側の圏論的データが、bulk側の幾何の生成規則を決定するということに見える。
bulkの時空は、境界の量子情報から復元されるというより、境界の圏の中の拡張のパターンが距離を定義してしまう。
距離とは、メトリックではなく、圏における対象間の関係性の複雑さだ。
局所性とは公理ではなく、圏がある種のt-構造を持ち、かつ心臓部が準古典的に見えるときに現れる近似現象だ。
つまり、局所性は幻想だ。役に立つ幻想だが。そして役に立つ幻想は、だいたい人間社会と同じだ。
昼過ぎに友人Aが来て、僕のホワイトボードに勝手に謎のロボットの落書きを描いた。
僕は当然、ホワイトボードをアルコールで拭き、乾燥時間を計測し、表面の摩擦係数が元に戻ったことを確認した。
友人Aは「こわ」と言った。僕は「科学を怖がるな」と言った。
そのあと友人Bがオンラインで通話してきて、「今夜FF14で極いかない?」と誘ってきた。
僕は予定表を開き、金曜夜の21:00〜23:00が知的活動に適した黄金時間であることを説明した。
友人Bは「お前の人生、イベントトリガーが厳しすぎる」と言った。僕は「君の人生はガチャ排出率みたいに緩すぎる」と言った。
とはいえ、FF14は僕の中で単なる娯楽ではない。あれは人間集団の協調行動の実験場だ。
8人レイドの失敗は、ほぼ例外なく情報共有の遅延と役割期待のズレで起きる。
つまり、ゲームではなく組織論だ。だから僕は攻略を感覚ではなく、ログを読み、DPSチェックを式で理解し、行動をプロトコルとして最適化する。
ルームメイトはそれを「楽しんでない」と言う。僕は「最適化は楽しみだ」と言う。
そして隣人は昨日、廊下で僕に「また変な時間に掃除機かけてたでしょ」と言った。
僕は「変な時間ではない。床の振動ノイズが最小になる時間帯だ」と説明した。
隣人は「普通に生きて」と言った。僕は「普通は平均であって、理想ではない」と言った。
僕はデッキのマナカーブを見直した。土地事故の確率を計算し、初手7枚からの期待値を再評価した。
僕は「確率分布を無視して勝てるなら、人類は統計学を発明していない」と言った。
アメコミは少しだけ読んだ。
スーパーヒーローの倫理体系は大抵破綻している。正義を掲げながら、法の外で暴力を振るう。
それは秩序のための例外という名の危険物だ。僕は物理学者なので、例外を嫌う。例外は理論を腐らせる。
だから僕はヒーロー物を見ると、いつも「この世界の法体系はどうなっている?」が先に気になる。
友人Aは「お前は物語を楽しめない病気」と言った。僕は「病気ではない。解析能力だ」と言った。
習慣についても記録しておく。
今日も、夕食の箸は右側に45度、箸置きは正中線から3センチ左、コップは水位が7割を超えないように調整した。
水位が8割を超えると、持ち上げる際の揺らぎが増える。揺らぎが増えると、机に微小な水滴が落ちる確率が上がる。水滴が落ちると、紙の上のインクの拡散が起きる。インクが拡散すると、僕のメモが汚染される。
誰も理解しない。だが宇宙も僕を理解していないので、引き分けだ。
さて、昨日の日記の内容は正確には思い出せないが、たぶん「量子と日常の無意味な会話」について書いた気がする。
ルームメイトの無駄話と、僕の理論的思考が衝突するあの感じだ。昨日の僕は、おそらく世界の愚かさに苛立ち、同時にその愚かさが統計的に必然であることに納得しようとしていた。
宇宙が示すのは、美しさとは、人間の圏が勝手に定義した関手にすぎないということだ。
これからやろうとしていることも書く。
まず、FF14の週制限コンテンツを消化する。効率的に。感情は挟まない。
次に、MTGのサイドボード案を2パターン作り、友人Aのプレイ傾向に対してどちらが期待値が高いかを検証する。
そのあと、超弦理論のメモを整理し、派生スタックとBPS状態のカウントがどのように圏の不変量として抽出できるか、もう一度筋道を立てる。
うちの妻は小説家だ。
といってもプロでなければネットの何処かで公表しているわけでもない。
彼女は常に、自分だけのために書く。だから他の誰かに見せたり、何処かで発表するようなことはしないと、そう小さな声で断言していた。
遊ぶようになって、付き合うようになって。それから放課後の教室。二人きりになったある日、書いた小説を読ませてもらったことがあった。
小説はよく書けていて普通に面白い。才能あるじゃん!と褒めると顔を真っ赤にして照れていた妻の表情を今でもよく覚えている。
昨日は詩を書いたといって、読んで聞かせてくれた。言葉の響きは良かったし、列びも快い。でも◯◯の部分、どういう意味?と尋ねると妻は顔を背けて「意味を説明するって、すごく恥ずかしいんだよ!」と照れていった。
妻は物書きの才能がある。
1995年当時まだ誰もビジネスに使うようになるなんて想定じゃなかったインターネットを仕事にして、
それから特にすごい技術とかを身に着けたりとかは何もなかったけど、まあそこそこ給料をもらえるようになったからIT業界には感謝してるよ
https://go2senkyo.com/seijika/122032/posts/1285587
↓
しかし31日の午前、井原ゆたか氏(埼玉5区)の応援演説に駆けつける
https://go2senkyo.com/seijika/157281/posts/1286095
ここでは朝とだけ書かれているが午前10時の演説であることは下のページでわかる
https://go2senkyo.com/seijika/157281/posts/1285854
午前10時に埼玉で演説するためには三重を遅くとも早朝6時には出発しなければいけない
ということは、代役の打診はもっと早い時刻か30日にあったと考えられる
※念のため補足
https://go2senkyo.com/seijika/122032/posts/1286918
━━追記━━
ブコメでkalcan氏が示してくれた記事によると、どうやら田村氏は1月30日に東京へ行っているそうです(2月1日に至るまで関東から離れなかったかは不明)
まず前提として、ローソンのサンドウィッチって美味すぎる。美味すぎるのよ。iPhoneのメモでは追いつかないほど、美味すぎる。それにしても、ローソンのサンドウィッチって美味すぎない?
他を考えたこともないかもしれない。サンドウィッチって、別に答えもないし外れもない。食べるべき時もなければ、食べない方がいい時もない。なんか食べるならおにぎりの方が胃に溜まる、サンドウィッチって食べたのか食べてないのかわからない。なのに夜中は食べない方がいいっぽい。
だからなのかな、駅から家まで、最短距離だと寄ることのない、ローソン、そこに心惹かれる、とか理由を考えたけどそうでもないな、昼だろうが夜だろうが、深夜だろうが早朝だろうがローソンのサンドウィッチ、美味すぎませんか?美味すぎますよね?
きっかけも、いつ、何サンドを食べたか、わかりません。具が美味いかもパンが美味いかも、食べ比べたことないからわかりません。でも、ローソンのサンドウィッチ美味すぎません?これ普通なんですか?コンビニのサンドウィッチですよ?何がきっかけかもわからない、でも、ローソンのサンドウィッチ、美味すぎる、違いますか?
コンビニのフライドチキンを美味しいと思ったことはありません、少なくともローソンのは。それはファミマも、セブンイレブンでさえもそう。ファミチキは美味いかもしれません、でもそれは別、残念ながら。何もかも知りません、でもとりあえず、今語りたいのはローソンのサンドウィッチなんですよ。
ローソンのサンドウィッチ、レタスが入ってるような、鮮度がより限られる味でさえ、いつ食べても美味い。ツナマヨ的な鮮度がどうでもいいものも美味い。玉子サンドも美味い。要するに全部美味い。と思ってチキンカツサンドみたいなの食べたらそれは普通でした。謎、これは永遠の。
そもそもこれパンが美味いからなのか?と思ってローソンのパンを買っても別にそこまで。というかパンはセブンが一番美味くない?あとサンドウィッチのパンって、別にコンビニ毎に違いなさそうじゃない?そんなことあるのかな、あるならあるって言って欲しい。
一応パンだけじゃなくいろいろ食べ比べてるんです。おにぎりとか、スイーツとかも。流石に複数のコンビニのを同時に並べて、どれが美味いか、ブラインドテストはしてない。してないけどね。基本はセブンが全部美味いのよ、多分。
でも、異常に、ローソンのサンドウィッチが美味い。美味すぎる。シチュエーション考えても、美味すぎるのよ。ローソンのサンドウィッチ美味すぎてローソンは他も美味いかと思うと違うのよ、サンドウィッチだけ、これ不思議。
サンドウィッチは全てにおいてローソンが美味すぎる。ハムサンドも、玉子サンドも、なんでもいい。とにかく美味すぎる。チキンサンドは微妙です、カツサンドも知らない。それらは誤差でしかないと思います。とにかくローソンのサンドウィッチは美味い、他のコンビニとの比べ方はわかりません。
でもローソンのサンドウィッチは美味い、理由もないし基準もない、なんにせよローソンのサンドウィッチは美味すぎる。これに尽きる。
とにかくローソンのサンドウィッチを食べてから、全てはそれからです。ローソンのサンドウィッチみんな食べましょう、なるたけ普通のやつを。以上。
去年からずっと子供欲しいねって言いながらカフェイン少なくしたりお酒控えたりしてた。
これが先月の話。
もちろんいいよー!と送り出した。
当たり前だろうけど、この前始めた人が何年も続けてる人にコロっと勝てるようなものじゃない。それでも旦那は勝てない、勝てない、とずっと悩んでいた。それはいい。それはいいんだ。
練習がしたいと。
そこに好きな時間帯で入ってくださいみたいな感じ。
ガッツリフルで入る人もいれば、30分で切り上げる人もいるらしい。
移動時間を考えると、夕食以外ほぼ顔を合わせなくなる。
どうしてもうんと言えなかった。
旦那から言わせてみたら晩御飯も作るのになにが不満なんだという感じだった、
そりゃそうだ。平日の晩御飯をほぼ全て作ってくれる。ありがたいことだ。
今、旦那は週3で教室に通っている。その間私は片付けと、旦那のどうぶつの森の島の管理と、それから旦那が帰ってきたらマッサージをたまにする。
元々2人で遊ぼうと思って買ったどうぶつの森。
でも今は私だけが遊んでる。
なんかなあ。
そんなに勝ちたいのかな。
その人たち何年もやってるんでしょ?プロの人もいるんでしょ?
その人たちに勝つために、ずーっと平日の夜は道場に篭るってこと?今は週3日だけど、勝てないなら5日とか6日に増やしたりする?
流石に言えなかったけど。
そりゃあるけどさ。
あ〜モヤモヤする。
Permalink |記事への反応(19) | 20:31
まずは高齢者が貯めこんでる600兆円を自分たちの医療費および年金に充てて共助をしてもらってから
なんで現役世代が自分たちの貯蓄を我慢して結婚も子作りも我慢して見知らぬ金持ち高齢者の生活の面倒を見なければいけないのか
それはおかしいだろ