
はてなキーワード:すったもんだとは
ところで昨日ライブがあったんですよ。推しのいるコンテンツの、推しの出演するライブ。オタクなので発表されてからすごく楽しみにしていました。チケットとれなかったんですけど。X(旧twitter)でチケ転売してる人もいたけどそういうのはほぼ詐欺だと思ってるので配信で観ることにしたんです。地方民で交通費と宿泊費エグいことになるし、その分グッズの購入費に充てられるし、何より今回のライブは客席の男性率が高そうなので、匂いとか、ほら、やべえのの近くだったら怖いし。
そう、今回のライブはいつもの推しのコンテンツのライブとは毛色が違うものだった。私の推しコンテンツは10年ものの男性アイドルコンテンツなのですが、同じシリーズの名を関する姉妹ブランドがいくつもあって、他のブランドは全部女の子アイドルの登場するものなのですが、そういったコンテンツにしては珍しく、男女一緒に参加する企業や自治体のコラボがあったり、男女どっちのキャストさんも出演するYouTube配信があったりするのです。まあ過去にはユニコーン大暴れですったもんだあったのですが、公式はそれから何年も掛けて、ユニコーンを含む男性ユーザーの顔色を見ながら少しずつ、少しずつ、それが許される環境を作っていったように見えました。ちなみに大半を占める善良な男性ユーザーが受け入れてくれてるからうまくいってるように見えるけど、厄介ユニコーンは消えたわけではなく、X(旧twitter)で呪詛を吐いたり女性ユーザーに突っかかったりしてます。そして2年前、ブランド合同の大型ライブに、推しコンテンツも参加することになりました。私の推しも出演メンバーに選ばれたので期待と不安をないまぜにしながら参加しました。が!不安なんか必要なかった。私の推しが歌った他ブランドの曲はどれも彼のキャラクター性に似合った、元気になれる曲や優しく励ましてくれるような曲で、本当に嬉しかったのです。そして今回、その幸せな記憶がまだ残る中で開催された合同ライブ。楽しみにしてたけど、少し不安もありました。出演者が発表されてからほどなく、他ブランドのとある楽曲に推しが参加するんじゃないか、という投稿が、X(旧twitter)でバズったのです。なぜなら原曲を歌ったメンバー3人のうち出演するのが2人で、欠員メンバーの元職業が、私の推しの元職業と一緒だから。正直やめてほしかった。その楽曲というのが、セクシーをテーマにした、なんというか、ネタに振り切ったネタ曲で、まず歌詞がよく意味がわからない、ノリと勢いでセクシーセクシーうふーんあはーん言ってる曲、としか言いようがなくて、いや嫌いじゃないんです。自認がセクシーのかわいい女性が歌う分にはライブ受け良さそうだし面白いと思う。だけど私の推しはすごく真面目な男性だ。真面目で、清廉で、そんな曲を歌えと言われたら間違いなく恥ずかしがるだろう。推しは3人ユニットの一人なのだが、他のメンバーもそうだ。女性が苦手で接し方に自信がないという31歳、アイドルになるまでバレンタインに家族以外の女性からチョコをもらったことがなかった23歳、チョコはもらうが恋愛経験がなくて恋愛ものの演技の仕事で不安がる20歳、の体育会系男子のユニットだ。どう考えたらそんな男性たちにその曲を歌わせようなんて発想が出るのか理解できなかった。だがツイートはバズった。便乗してやれやれと囃し立てる声が目立つようになった。でも外野が何を言おうと、公式がそんなおかしなことをするわけがないと信じていた。だって2年前のライブでは、彼らの個性を大切にしてくれたから。そう信じてたんです。
開始20分で、その信頼は裏切られました。くねくね腰を揺らして踊る女性キャストさんの後ろから現れる、見慣れた衣装を着た推し(を具現化してくれる男性声優さん)…めまいがしました。やめてやめて、あなたたちそんなキャラじゃないよね?真面目で、脳筋体育会系で、優しくて、自分より他人を尊重する自己犠牲性があって、アイドルにしては華がないってストーリー内で言われるシーンがあるほどセクシーさとは真逆の。私が10年触れてきた彼らのストーリーは、絶対にずっとそういう内容だった。なのに眼の前で繰り広げられる、セクシーに腰をしならせて踊る推し(を具現化してくれる男性声優さん)…見ていられなくて、ブラウザを閉じた。酷い。私の大好きだった彼らを返して。いつもの、自コンテンツだけのライブなら、本当に素敵な彼らしか見せてこないのに。ウケ狙いのトンチキパフォーマンスなんかさせてこないのに。
キャストさんは悪くなかった。ご立派だった。そんな曲でも自分たちらしさを表現しようと、雄々しさを前面に出したパフォーマンスをしていた。それが却って辛かった。セクシーから斜め上に振り切った雄々しい無骨な男性性を強調したパフォーマンスは、自分たちが演じるアイドルの個性がその曲と不似合いであることがわかっていたからだろう。無理をして会場を盛り上げてる感じがして、いつもの自然体でかっこよくて素敵な彼らの姿からはかけ離れていて、ほんとうに観るのが辛かった。配信チケも結構な金額だけど、もう続きを観る気がしなかった。現地じゃなくて良かった。現地だったら会場でへたり込んで号泣してたかもしれない。
推しのことは大好きなままだ。裏切られたもうやめてやる!とはならないのが、また辛い。多分、この不快感を飲み込みながらまだ追っていくのだろう。
https://note.com/iyaiyaiiya/n/n7440ea79e0fb
自分も、ADHDかつ軽度のASDの子供がいて、ADHDの当人で、配偶者がASDだか、少しだけ気持ちが分かるような、いろいろと辛いような、どちらの感情もあったので走り書き。
つい数年前までは、平凡で普通な平均の人間で、面白みのないありふれた当たり前の生き方の人生だと思ってた。
奥さんの弟は少し破天荒なタイプで、いつも義理の母が苦労していた。ちょっとしたマイルドヤンキーくらいに捉えていたけど、すったもんだであるとき検査をうけてASDと診断された。知的障害はないが、自閉症としては重度だった。
それでも近いようで対岸の火事な気持ちだったから、義母も大変だから何かとサポートしようくらいの気持ちだった。
10年くらい前に鬱で休職して以来、ずっと普通に働いて生活してたつもりだけど、少しだけ精神は不安定だった。それが数年前に仕事のドタバタで鬱ぽい状態から悪化して、会社をしばらく休職することに。
休んでる間はほぼ夏休み気分で溜まってた有給を消費しながらのんびりと過ごしてた。奥さんの全面的なサポートがあったからすごく助かった。
そんな時に、奥さんから精神科で軽度のASDとADHDの診断を受けたと報告された。どうも僕のことを相談しにいって、問題は自分の自認や特性に原因があるぽいよ、という医師の診断と検査結果だったみたい。
そ」から色々と話し合ったりして、もともとADHDの特性に当てはまる自認があったから、鬱の通院のついでに相談して自分も検査してもらった。潜在的な自認はあむたけど、冗談半分の気持ちだったから、たぶん精神科に通院している状態でなければ、検査する気や発想にはならなかったかも。
診断結果は生まれもっての注意欠陥と多動の発達障害でしょう、とのこと。
いまなら自覚もあるけど、自分の性格や普段の行動からも、多動症の典型という感じはする。
蛇足だけど、老後生活をゆっくり過ごしている両親には伝えてない。でも自分以上に父親はもっと多動だと思う。
それとほぼ並行して、息子が大学に通えずに精神科に通院し始めた。カウンセラーにもアドバイスをもらいながら検査もして、ASDのADHDの診断だった。
不登校気味で友達関係や人付き合いに悩んではいたけど、自分よりもしっかりもので、事件やトラブルもあったけど、真っ当に成長していると感じていたから、自分のことよりもびっくりした。けれど、まあ、両親の遺伝を考えれば当然なのかなという納得感もある。
あと精神科に通ったり発達障害について多少の知見があったのは、少しだけ子供のサポートに役立ったような気がする。
自分自身が発達障害で何か困難があるかと問われてもあまり思いつかない。締切の直前まで先延ばしにする悪癖は間違いなくある。締切の直前とトラブル時にだけアドレナリンが出て能力1.5倍で働ける。世間では無能な類だと思うが、プログラマとして興味のある分野を勉強、研究して、気に入ったOSSには足を突っ込んだり、担当外のプロジェクトのトラブルや問題に茶々を入れたり、意外とそれなりにやれてきたような。
家を出る時は家族の誰かの忘れ物で何度も行ったり来たり、それでいて肝心の物は結局忘れたり。封筒でもらった現金をお土産と一緒にしてたら空だと勘違いして捨てたり。漫画や小説は昔から同じ巻が何冊か被ってたり。
言い間違いや勘違いや物忘れが多すぎて、友達にまとめられる程度にはトンチンカンだし。
いまだに自分や家族の病名が覚えられなくて、いつもADSLだし。
書き出してみると、確かに優秀な人からすれば我慢が出来ないほどの可哀想な特性なのかもしれんけど。自分たちは動物園も水族館も映画も大好きだから、障害者割引を呑気に喜んだり平和にやっている。
何が言いたいのかもう全然分かんないけど、自分の人生が幸せだと自信をもって言えるのは奥さんと結婚して楽しく心地の良い生活ができているから。少し気難しい奥さんと仲良く楽しくやれるのは自分の特性が少しは役立っているのかも、とか。人名も店名も曲名も歌詞もいっつもうろ覚えで支離滅裂な会話でものんびりぼんやり付き合ってくれる奥さんのパーソナルはとても相性がいい、とか。
息子の将来は心配なとこあるけど、いまだに一緒に野遊びに付き合ってくれる心優しくも楽しい良いやつだから、何とかなるのかなと楽観視はしてる。
しっちゃかめっちゃかだけど、現代社会を生きるのには不便な特性かもしれんけど、悲観するよりは楽観したほうが楽しいんじゃないのかな、という余計なお世話が思い浮かんだ。
前に見た時はうーん60点くらいかなと思ってたんだけど、スピンオフの「カマキリ」を見た後に見返したら、意外とっていうかかなり頑張ってて72点に上方修正した。
スピンオフのカマキリは「殺し屋はつらいよ会社編」で、既存の大企業とそこに振り回される中小零細企業、そして新興のテック大企業という世界中で繰り広げられている仁義なき企業バトル、を殺し屋で再現した感じだったけど、キル・ボクスンは「殺し屋はつらいよ社会人編」って感じの映画だった。
バリキャリのエリート殺し屋でシングルマザーのボクスンは娘とはちょっと険悪で、格下の同僚とセフレ関係にあり、社長からは寵愛され社長の妹の理事からはなんか嫌われてる。他社の殺し屋仲間と定期的に集まって酒盛りをするくらいには社会性があるけど、エリートで世界が違いすぎてみんなからちょっとずつ疎まれている。またシゴデキすぎて後輩の育成をサボっておりそこも会社から疎まれている。属人性が高すぎるのだ。
な~んか居心地悪いし忙しすぎて娘とはうまくいかないので契約更新しないで退職しようかなと思ったところで、絶対受けないと宣言していた仕事を理事の陰謀で受けさせられまんまと失敗(拒否)。社長、理事からは示しがつかないと叱責を受け、その仕事はセフレの同僚に。さらに理事の陰謀で飲み会仲間全員から命を狙われ返り討ちにするも、他社の人間に手を出したことでより状況が悪く。ブチ切れたボクスンは理事を殺害し、社長との決闘に挑むのであった。
ここにセフレの同僚はボクスンを寵愛する社長に目を付けられて仕事を絞られてたり、娘はレズビアンで学校ですったもんだりあったりと人間関係が複雑に絡み合い、ボクスンはうんざりする展開が続く。
よかったところはまずアクション。カマキリがアクションインフレーションについていけてない感があったけど、ボクスンは今見てもやっぱり頑張ってた。多対多のアクションもいいし、一対一のアクションもいい。壁を挟んでぐるぐる回りながらボクスン組2人と飲み仲間3人がアクションを繰り広げるところはフレッシュだった。
読みの鋭いボクスンが「先の展開が読める」のを実際にアクションをしてそれが巻き戻る、という手法自体はまぁありがちではあるがそれが「永遠に手を読んでも読んでも勝てない」という圧倒的な戦力差の表現に使っているのもアクション一つ一つが頑張っているのもあって見ごたえがあったし、そこまでして最後には「お前私のこと好きだろ、いつからだ?」とめちゃくちゃ俗な心理的揺さぶりをかけて勝つという展開もバリキャリ実務屋のボクスンらしくてよかった。
ボクスンは徹頭徹尾、冷酷な実務屋で勝つのが美学というのが冒頭のヤクザとの決闘シーンから貫かれており、同じように実務屋でありがならもある種のロマンチストである社長と対を成していてよかった。これも社会人あるあるかもしれない。
逆に娘のレズビアンパートは正直、まぁ、興味深くはあったけど別にいらんかったかな。
お互いに秘密がある親子っていうのはテンプレでそれ自体も面白くはあるし、最終的に娘を守るために弱さを見せることで娘の信頼を勝ち取るボクスンという構図は美しくはあるけど、でもやっぱ「殺し屋」と「レズビアン」を同じ秘密があるといするのは倫理的にどうなんだという気持ちもある。
カマキリは正直あんまハマらんかったけど、キル・ボクスンを見直してみたらやっぱりこっちはよくできてた。
作中でカマキリのことや、カマキリのヴィランのトッコ爺さんのことも話だけは出てきていて、そこもニヤリとさせられたのもよかった。
チープな作りのコスプレ系漫画原作映画だったけど、テンポがよくてスルスル見られたのはよかった。56点くらいかな。
冒頭5分でひとつ小アクション、20分くらいで全員集合の紹介も兼ねた大型アクション、
デート中にバレないように敵を倒すアクションを挟んで、本編の大敵を紹介する負けイベアクション。
で、すったもんだあって軽いスピンをいっこ挟んで、最後の大アクション。
2時間の間にある程度の規模のアクションシーンが3つあったのは結構頑張ってたと思う。アクションの質はともかく。
ルックスとギャグは基本滑ってて特にルックスはなんでこんな絶妙な不細工ばっか集めたの?って感じで
そいつらがいかにも漫画原作です!って髪型、髪色をしてるので雑コスプレ感がすごい。
ギャグも滑りちらかしてたんだけど、そういう学芸会系の映画なんだなーとして受け入れれば
全体のトーンがそれで統一されていたのでノイズにはならなかった。
全体の学芸会トーンが学園青春ものというテーマにもマッチしてた感すらある。
まーたバカなことやってるよ、と、適当に流して見られる。米粉チップスみたいな映画。
おそらく原作自体が「クラスメイト全員が特殊技能を持ったボディガードだったらおもろいやろ」という
ある程度の連載期間でクラスメイトそれぞれの描写、掘り下げができる漫画というメディアの特性が
アクションもどんどん特技を活かしたものが減っていくのは残念。
冷静にマジメに考えたら20点くらいの作品なんだけど、バカな漫画原作映画見たな~と
怒りよりもむしろややさわやかな気持ちで見終えられたので心象としては60点くらいつけられる。
口煩さ方が集まるFilmarksでも3.4くらいついてたのも、そんなもんだよねって感じ。
まぁ主演がラウール・ゴンザレスでジャニ主演作品はジャニオタによる高評価爆撃が観測されやすいので
どの程度、判断基準にしていいかわかりづらい部分はあるのだが。
特に最初から最後まで「真剣に"映画"として見る必要がない映画ですよ」というトーンを貫いていてくれたので
肩の力が抜けたとも違うかもしれないけど、バカな映画だな~と心穏やかに見られたのはよかった。
これは本当にそう思う。
私は大学時代に活動家をやってたけど、昔は山谷に街頭カメラをつけるときに相当にすったもんだ裁判したりしていたし、2000年代に入っても、大学にカメラをつけようとしたときに一部教授は反対してた。
10年ぐらい前だったか、万引き対策で個人を識別する機能を搭載したカメラシステムが出たときにひろみちゅが反対の論陣を切っていた記憶もある。
やっぱり、次のファシストは、フェミニストとかの仮面をつけてくるんだろうな。本当にクソすぎる。
犯罪もある自由な社会か、犯罪も自由も無い社会、どっちを選ぶかはっきりしろ。選べないなら口からクソ垂れる前にお前の頭の悪さを呪え。
狭くて暗い1R、家賃4万5千円、たまにベランダで鳩が巣を作ろうとするので友達からは鳩のラブホとか呼ばれていた
昔の俺は部屋のドアに鍵かける習慣なかったんだ、そしたらある日の深夜、いきなりドアがバーンって開き泥酔したケバくて臭い女が家のトイレに駆け込みゲロしだした
当然俺は寝ていたので
は?え?と混乱の極みだったがドアの外にスーツの男がいたので、「は?え?なに」と聞くがその男は「えっと、よろしくお願いしますね」だけ言い残して帰ろうとする
まてまてまてまてまてまて!?!?!?!?なんだこのゲロ妖怪は、JKならまだしもどう見てもそっち系のお店の女じゃねえか!好みじゃねえの!連れ帰れよ!
飛び起きて寝巻きのまま廊下にダッシュ、その男を引き止めて泣き落としの勢いで待ってくれと懇願した
その間もゲロ妖怪は「ぉぇええええ(ドボドボドボ)」って鳴き声を後ろで上げて恐怖を撒き散らす
すったもんだで、どうやら別の階の住人らしいと推測してその女の私物から鍵を探してもらった、しかしゲロ妖怪は完全に正体を失っており何階の住人なのかわからない
スーツの男は早く帰りたがるが、俺だってこんな妖怪を引き取るのがゴメンだ。
とにかく俺とは関係ないの一点張りで妖怪を廊下に出してドアの鍵をかけた
帰り際、おそらくその男が忌々しげにドアを殴っていってしばらくの間恐怖だったが
考え方を変えればあれはやれたろうな。
やりたくねえけど
二次創作の話です。
私は原作者以外が想像したもの(二次創作)は、たとえ公式CPでも正しいものではないと考えています。
正しい物語は原作者が作ったもので、それ以外の人が考え、作った物語は、原作者がそうだと認めない限り、単なる妄想だと考えています。
公式は少年Aと少女Bがすったもんだの末にくっつき、すったもんだを解決する、というのが大筋。
その【すったもんだ】がちょっと特殊で、それの解決のために少女Cが少年Aに協力。
少女Cと少年Aは秘密の協力関係にあり、少女Bはそのことを知らない。
内容はこんな感じで、メインは【すったもんだ】とそれのせいで少々こじれる少年Aと少女Bの恋愛話が主軸の漫画。
公式ではないし、少女Cは少年Aが少女Bのことを好きで、少女Bも少年Aのことを憎からず思っている、いわゆる両片思いであることは知っていて、失恋していることも理解している。
なんなら、原作の中で少女Cは二人を応援すると言っているし、そのために【すったもんだ】を片付けるために注力している。
さて、ABが公式CPなのにACが好きというのは、まぁ、AB好きの人から見れば馬鹿なことを、と思われるのは仕方ない。
ただ、それ以外の非公式CPからなじられるのは納得がいかない。
同作品内にて、青年Eと青年Fという、【すったもんだ】部分で少年Aと関わる二人がいる。
でも青年Eには女性G、女性Hと、元カノとして二人の女性が登場し、特に最後の元カノである女性Hのことを、今でも想っているような描写がされている。
一般向け少年誌ということもあり、公式が青年Eと青年Fをカップリングにすることはほぼないだろう。
それなのに、青年Eと青年FのCPを押している人たちは、その二人が少年Aと少女Bに共通しているところがあり、これは公式CPだと世迷言を言う。
まぁ、気持ちはわかるし、これはもはや公式と言っても過言ではない(過言)みたいなやり取りは、どの作品のどのCPでも起こりうることなので別にそれは良い。
問題なのは、自分たちだって非公式CPなのに、同じく非公式CPであるACをめちゃくちゃ貶してくることにある。
それなのに、自分たち公式ですがなにか、みたいな顔をしてこっちを否定してくるな!
そんなんだから、「これだから青年Eと青年FのCPの人たちは〜」みたいなこと言われるんだぞ!
って日々思ってる。
会場を巡っては、当初、"瀬戸会場"のみで行われる予定であったが、会場予定地の海上の森で、絶滅危惧種に指定されているオオタカの営巣が確認されたことから、自然保護団体などの反対運動が起き、瀬戸会場の規模を縮小した上で、近くにある愛知青少年公園を活用することに計画が変更され、同公園が"長久手会場"として整備された。
一般来場者の飲食に関して、当初は信仰や健康上などの理由を除き会場内へは一切持ち込み禁止であった。しかし批判がおき、開会直前に緩和されて菓子類、菓子パン、水筒などの持込はできるようになった。学校での引率を伴った遠足などでは弁当の持ち込みは許可されていた。
この二点が大きい問題とされた。
オスカー作品であり、パルムドールも受賞した『ANORA』はR18作品である。
R18にもエログロとか色々あるけど、日本だとセックスで結合部が見えたらR18らしい。シェイプオブウォーターのときに1か所股間モザイクをかけて無理矢理レーティング下げてた公開して、ちょっと笑いが起きたのを思い出す。
アノーラの場合は、結合部は結果的に見えなかったように思うが、とにかくケツから始まり、おっぱいが出て、男の股の上で腰を回す、そういうお店の描写から始まるので「なるほどR18!誰がどう見ても成人指定!」という作品だ。
ただ近年の「文化的な映画」によくある生々しく痛々しい性描写じゃなく、基本痛みは伴わない双方合意の快楽的な性描写しかないし、女性向けAVくらいには綺麗に撮影されている。ポップ、キュート、セクシーって感じなので安心してほしいが、面は食らうかもしれない。
セックスワーカーがロシア陣の御曹司と「店」で出会い、そのまま結婚に向かう…というのが予告にもあらすじにも出ているストーリーだ。
ただロシア人大変だね〜すったもんだで結婚頑張るよ〜!みたいな話ではない。そんなもんでオスカーはとれない。
低予算で無名しか出ないが、脚本がよく、作品自体の印象が二転三転していく。
最初は酒!女!薬!ヒャッハー!なのが、画面が岩井俊二っぽくなったり、三谷幸喜のようなハートフルドタバタ劇になったり、ドライブマイカーレベルで文学的になったり…とりあえず見て、感想をほしい。基本的に序盤は薄着か裸だが、中盤からは全員厚着していることから言っても、映画内の温度差がすごい映画だ。
ちなみに町山さんがなんかXでアノーラに受賞にキレているが、アノーラであんなブチ切れてる人は町山さんくらいしか見たことがない。他賞の結果を見てもアノーラの受賞は妥当も妥当で大本命だった。どうしたんだろう。どうか主演の努力を認めてあげてほしい。それはアノーラを肯定することに直結する。
作品として一番見てほしい年代は高校卒業〜20代、30代の女性だろう。ディズニープリンセスを見てきた女性を、一気に現実に引き戻す。それでいて背中を押すような映画だ。18歳になったら見たらいいと思う。分類はエンタメ映画なので「よくわからんかった映画」にはなりにくいだろう。わからんかったなら、それも貴重な映画体験になるだろう。
『名もなき者』がティモシー・シャラメで、そこそこ入っていたので席がなくなるのは同日公開のアノーラだろうと思って自分は公開後、アノーラを即鑑賞した。
結果的に名もなき〜はオスカー無冠となったので席が消えそうである。アノーラは維持できるかもしれない。それはそうと今週末はウィキッドで、こちらも傑作らしいので、ま、できれば両方見よう。
自分なりにずっと考えてきた今の生成AIに関する問題とこれからについてメモとして残しておく。
なお主に生成AIイラストについて言及するがその他のジャンルも関わる話だと思っている。
Xフォロワー3000人ぐらい、以前は特定ジャンルの同人誌も制作していた。
生成AIが今のまま進化と拡大を続ければおそらく5年以内に様々なクリエイター分野(イラスト、造形、音楽、文章など)で深刻な爪痕を残し修復不能になる可能性が高いので、特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるべきだと考えている。
また、個々のクリエイターが無断AI学習に対して明確に反対スタンスを示すことは(学習阻害効果が得られる得られないに関わらず)企業や政府に耳を傾けさせるためのムーブメントとして必要なことなので決して無意味ではない。
なぜそう考えるのか?簡単に言うと
①AIの進化スピードは人の想像を超える、既存手描きクリエイター全員の完全な「アナザー」に等しいクオリティを再現出来るまで僅か
②ハイクオリティなAIで満足する発注者と一般人が増えれば、既存絵描きは職を失うし、素人絵描きも激減する
ということが起こりうると考えているからだ。
③まで辿り着くシナリオが決して妄想ではなく現実のものとして迫っているのが問題での核でそれ以外は「別次元の話」だと考えている。
ここで言う別次元の話は法律的な話や所謂AI推進派と反AIの感情論によるすったもんだ等を言う。根底にはこれも大きな問題ではあるけどあえてこの議論はしない。
現在プロイラストレーターで生成AIを推進または積極的に否定しない人々の多くは、さすがに③まで辿り着くことはないと高を括っているのではないかと思う。
あるいはAI絵師と呼ばれる人達で本当に「AIイラストには無限の可能性がある」と考えてる人がいるとすればその人たちもそうかもしれない(多くのAI絵師は「今さえ良ければ良い」と考えて現在の状況を享受してる人が多い気がする)。
今のままではそもそも絵描き業界が滅びるまであるという危機感が全体的にない。
強く警鐘を鳴らす専門家の意見をあまり見たことがない。AIの進化舐めすぎでしょ?手描きがどうか見分けなんてつけられなくなるし、現在でもLoRAで大量に既存イラストレーターや漫画家の学習モデルが規制なしで出回ってるのにあまりにも呑気すぎる。
そもそも生成AIの学習モデルに無断使用のモデル(文章や楽曲も含む)が無数に存在しているのは仮にそれが現行法で合法だったとしても倫理的にどうなのか?
その点は大いに問題があると思うけど、その良し悪しを議論している間にも、技術進歩とお金儲けの名のもとにAI使用は広がり続けるためあえてその問題には深くは触れない。
1番の問題は、今のまま強力な規制等がなくAI使用が広がっていくと、クリエイター達の多くが(お金を稼ぐプロ以外のアマチュア含む)創作意欲を失ってしまい、人の手で1から制作するクリエイターがどんどん居なくなってその分野が廃れてしまうことだと思う。
理屈の上ではAI を使用すれば手描きのイラストと何ら変わらないクオリティのイラストを安価に短期間に大量に作成することができる。これは発注者からすれば大きなメリットで、コストと効率だけを考えればこちらに流れない手はないわけである(現状は様々なリスクがあるためそこまでは広まっていないが)。
そしてそのイラストを享受する一般の人々も、手描きかAIか見分けのつかないものが世の中に蔓延すれば、実質見分けられないのだからこれまで通り享受するしかないのである。当初は疑心暗鬼になったりすることもあるだろうが、時間が経てばその状況にきっとみんな慣れてしまうと思う。
ではこれまでそういったものを作っていた側のイラストレーターはどうなるかというと、当然仕事は減るし市場規模も劇的に縮小する。現時点で名が売れてる一握りの人々以外は仕事を失い専業イラストレーターはそのうち居なくなる。AIを使用したイラスト制作を専門とする人々がとって変わる。
数年もすると新規のイラストレーターが制作するイラストが激減することで、学習モデルそのものの進化が停滞し、似たような絵ばかりが世の中に蔓延するようになる。その時にはすでにイラストレーターや趣味でイラストを描く人々は殆ど居なくなっているのでそれを打破することもできない。
そして、業界全体の死が訪れる。
一度滅んだ文化を再興させるのは難しい、取り返しのつかないことになる前に、各々が問題提起をしてクリエイターを守る動きをすべきだと考える。
現在の問題を大きくしている要因がGAFAMなどの世界的企業が率先して生成AI を推進しているということ。
技術革新自体は人類の進化の上で必要なことなのかもしれないけど、急速に、性急に進めているがゆえ、ベースの技術が現行の著作権法等では制御できないことをいいことに倫理的に問題のある部分を含んでいてもそのまま進んでしまっている点、規制進める前に普及を進めたが故に各業界のクリエイターが悲鳴を上げていることに目をつぶっている点が大問題。
現在生成AI技術は様々な分野で人類に恩恵をもたらすとして急速に利用が広がっている。個人的にも人の営みが次のステージに進むために必須の技術だと確信している。
特に医療や犯罪捜査、農業や製造業といった人の生活に密接に関わる分野での有効活用の可能性は素晴らしいものがあり、業務効率化など一般企業レベルでも大いに恩恵をもたらすろもであると認識されている。これはもう後戻りできない。
また、おそらく一般の多くの人は今絵師達が危惧しているような「AIイラスト」に対する嫌悪感を持っていない。だから、企業側がAI生成のイラスト、楽器、物語などを積極的に採用する動きがあれば簡単に世の中に浸透してしまう可能性が高い。
芸術分野においては既存のクリエイターを淘汰、破壊しかねないので本来もっと慎重に導入されるべきだった。それが性急に進行したことにより、重大なハレーションを起こしているのが現在の生成AIを巡る状況だと思う。
結論に戻るが、これを止めるには特に大企業と政府が中心に規制を迅速に進めるのが必須である。
また個々のクリエイターも芸術分野でAI使用拡大の危険性をもっと広めて、一般レベルで認識してもらうように啓蒙活動をしていくしかない。
この投稿に対して「そんなことになるわけないだろ」と思う方々は大いに反論して、どんな素晴らしい解決法、未来があるのか教えて欲しい、そして私を安心させて欲しい。
以上
【以下は雑談】
話逸れるけど、たとえば自作小説を作ってる人でイラストをAIにつくらせたり、自作曲のPVにAIイラスト使うなんてのはよく見かける。そういう人たちはまだ自分の「手作り」領域に本格的にAIが侵食してきてないから安価で簡単に作れるAIを頼ってるのかもしれないけど、いざ自分の領域が侵されるってわかった瞬間に猛烈に反AIを謳ったりするものなのかな。
あと、もう一つ前から気になってること。所謂「反AI」と括られるような方々は中には過激な意見も見受けられる。AI技術そのものは否定しないという方が多いと感じるが、そもそも「完全クリーンな学習モデルのAIイラストジェネレーター」があったと仮定して、果たして多くの反AIの人々は「それならよし」となるのだろうか?
おそらく多くの人は、たとえクリーンなAIであっても否定的な考えになるのではと思う。理由は「AIで簡単に描けるなんてズルい」という感情論が根底にあるからだと思う。AI推進派と反AIの急先鋒はどちらも感情論でのぶつかり合いで全く議論になっていない。そんなことをしている場合ではないと思うのだが。。
「あくまでクジャクの話です」…高校を舞台に、生物学(生態学)の知識で人間関係のあつれきを解消しようとするもすったもんだする話
「決してマネしないでください」…理系の知識を面白く披露する漫画、全3巻でとっつきやすい
なんか自分はこういう「現実の科学の知識で話をまわしていく」ジャンルが好きみたいだ
「悪役令嬢の中の人」
…なろうの中では作画が頭一つ抜けている。特に顔芸のバリエーションが魅力的でそこだけで推せる。
ここしばらく続く悪役令嬢モノブーム、
個人的には悪役といいつつ蓋を開けると善人だらけなのが不満だったんだが、
ただし自分の心を救済した聖女(善性振り切りすぎて心が折れた)のエミュに徹すると決めており、
悪事はもっぱら敵に対してのみ、隠密な陰謀で陥れるのみと読者にストレスのないつくり。
「愛した聖女がそれでも世界平和を望むから世界平和のために粉骨砕身するだけで、
もし聖女が世界の破滅を望んでいたなら罪悪感なしに世界をぶっ潰そうとするだろう」
という性格設定が良い。
原作は恐ろしく低い文章力でひたすら「ざまぁみろ!」 をだらだら綴るだけ、
下品な個人的感情を延々つきつけられてめまいがするC級小説未満のうえ結末も面白くはないが、
「チー付与」
…正式なタイトルは「追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する」かな
なろうの原作者が「小説版と漫画版は99割内容が違う」とかなんとかいうほど内容が違い、
原作に居ないキャラが大勢、原作にないストーリーで大活躍する。
・起伏と緊張感のあるバトルや表面だけなぞっても楽しめるやり取りの中に知っている人ならわかる遠大な哲学的問いかけが含まれていたりする、
・バトル描写はHunterxHunterや呪術が好きな人にはたいへん推せる
「ENEAD」
…古代ナイルを舞台とした神々のBL。エジプト神話を多少知っているだけでも楽しめる。
とにかくヒキが強いの教科書に載せたいぐらいで、
BL耐性がない人間でも読めば「え…これ…続き…どうなっちゃうの?!」と気になって仕方がなくなるところで無料部分が終わる。
本当にずっと年月を重ねても、大人でも楽しく子供騙しをしてくれるコンテンツを継続し続けて、YouTubeなんかが覇権を握ってもマイナーながらその場所を守ってくれて、そうした意味で居心地は悪くなかったんだけど。
でもさ、セキュリティの問題をすったもんだした末に、結局やっぱり漏洩してたとか、別に漏洩してた事自体はもうどうしようもないし、攻撃されてしまった事自体に非があるとまでは過激に思わないけどさ。
発表する時期とか誠実さというか、そういったことを置いておいて、復活劇をストーリー仕立てにしてナラティブを作ってマーケティング的にやるっていうのは、そういうタイミングでの子供騙しをさ、全面に押し出してやるタイミングじゃなかったとずっと思うんだよな。
騙されたくてやってるんであって、騙されてあげるために見てる訳じゃなかったんだけどな。
関西ジャニーズJr.のミュージカル「OneANOTHER」をこの夏観た。
ストーリーや演出からは、できるだけ性的な要素を排除していたように思う。二幕のショータイムはいつも通りの夏休み恒例子ども祭りでウッ…となったが。
松竹座のジャニーズ公演を初めて見たんだけど、いつもこうなのかな?
これができるなら、というかジャニーズ的なエンタメが続くなら、今後もそうしてほしい。
そもそも痩せていて前髪長めの美少年しか出てこない、という点において、どうやったってジャニー氏の性癖を内包化している事実はあるけどさ…。
●ジャニーズがエンターテイメントを通じて表現してきた重要な要素のなかで、異常な性的視点を排除して描けるのではないかと個人的に思えるテーマ
夢や希望を持った、子どもたちの争いと和解。仲間の死、そして仲直りへ…的なやつ。まだ何者でもない子どもたちのストーリー。
例「ANOTHER」:船が難破して仲間割れ。すったもんだありつつ、再び一致団結して海へ向かう子供たちの冒険(十五少年漂流記的なやつ)/「SHOCK」「PLAYZONE」:ショービジネスに翻弄される、夢を追う若者たちの苦悩/「DREAM BOYS」:ボクシングのチャンピオンと挑戦者の衝突
夢や希望を持った子どもと、導いてくれる大人の間に育まれる信頼と不安、のちに抱く感謝…的な構造。師弟関係に性的な要素は必要ないと思うので。
例「OneANOTHER」に描かれる学生と先生の関係性/「SHOCK」のスターとプロデューサー
・「Show must go on.」の精神
何が起きても幕を上げなければならない=平たくいうと「困ったときこそみんなで協力しよう」。これも普遍的なメッセージだなと思う。
例「SHOCK」「PLAYZONE」「DREAM BOYS」:ショービジネスの渦の中に巻き込まれる若者たちの苦悩、挫折/「ジャニーズワールド」:沈むタイタニック号の中で演奏を続けた楽器隊
・反戦
争いと暴力の悲しさ。
・シェイクスピアやウエストサイドストーリーなど、古典ミュージカルの再解釈
例:「SHOCK」「MASK」「DREAM BOYS」「ジャニーズワールド」など
・未成年の更生。
こどもが貧困や差別、不慮の事故によって犯罪を犯しても、更生できるはずという希望。
例「少年たち」:少年院が舞台/「DREAM BOYS」:居場所を求める若者たちの抗争(ウエストサイドストーリーやIWGP的なやつ)
本人役、実在グループが登場するフィクションのストーリーによって、アイドルやエンターテイメントの裏と表、意図、嘘などを浮き彫りにするやつ
●逆に、これまでにジャニーズの舞台やコンサートによくあった、今後なくなってほしい性的な要素
・成長中の少年の半裸。脱ぐな、見せるな
・水でびしょ濡れ。無駄に濡れなくていいと思う
・腰をくねらせるなどのセンシュアルなダンス。見てて気まずい
・過剰に肉体性を強調する演出。激しすぎる殺陣、人体がめっちゃ回るやつ、腹筋太鼓など。しんどい
・近親相姦的なストーリー。生き別れの母や姉妹に恋心を抱くやつ。シェイクスピアの引用なんだと思うけど…現代劇かつ若いキャスト中心だとけっこうきつい
・子どもたちの特技披露タイム。どんな気持ちで見たらいいかわからない
●今後なくなると思うとさみしい、伝統芸能っぽいな〜と思うモチーフや小ネタ、ジャニーズあるある
・大きな龍
・大きな船
・大きな旗
・大きな扇子
・ハチマキ
・イリュージョン(取っても取っても無限に出てくる仮面、箱から無限に出る金のピラピラ、瞬間移動など)
・誰かが死んだ時に上から花が落ちてきたあと、担ぎ運ばれる演出→そのあとスモークのなか幽霊として出てくる、のセット
・どこかにあるはずの「13月のユートピア」というバグ的な怖い概念
・地球の大切さを説き始める流れ
など。
いろいろあげてみたけど、大事なやつ忘れてたらごめん。