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はてなキーワード:しよりとは

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2025-10-18

anond:20251018071152

アニメ映画元ネタしよりずっと高尚な感じがする

Permalink |記事への反応(0) | 07:24

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2025-09-20

エロシーンはエロ漫画以外では不要って言っている奴正気か?

エロ主題としてない一般漫画の中にエロシーンがたまに紛れるからありがたみが増すんだろうが

常に乳丸出しよりたまにパンツが見える方が興奮するだろうが

Permalink |記事への反応(1) | 10:48

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2025-09-09

おとしよりの中にはおしりがある!

目から鱗だった

Permalink |記事への反応(0) | 02:50

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2025-09-07

anond:20250907100658

おとしより早口動画つらいんだね。YOUTUBE再生0.7倍速とかにするといいよ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:08

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2025-08-18

anond:20250818144602

論点ずらして逃げるしかない能無しよりはマシじゃね

Permalink |記事への反応(1) | 14:58

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2025-08-12

anond:20250812154642

このロボットは従来の体外受精(IVF)や代理母による妊娠とは異なり、「ロボットマザー」が妊娠から出産まで人間経験の全過程再現するという。

さらに、単に子宮環境模倣するだけでなく、人間に似たロボットの体内に内蔵された装置赤ちゃんが成長する仕組みになっていると説明した。

試作機は1年以内に登場し、価格は10万元(約205万円)以下に設定される予定だという

第一印象としては詐欺っぽい感じがする。そんな開発が上手いこといってる気がしない。


まあでもこういう倫理的問題とやらを起こしそうだが、ロボット出産出来るなら母体にとってもそっちの方がノーリスクしより倫理的にはなるんかな?これらが普及していくと共働きが増えてることを考えても母親の体で生むことが贅沢になっていく可能性もあるか?

Permalink |記事への反応(1) | 15:56

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2025-08-10

セックスってさ

気持ちいいよね

セックスけが

生きる喜び

いつか勃たなくなって

セックスできなくなったら

もう生きている喜びが

存在しなくなる

しよりは何を楽しみに生きてるのか

セックスできないなら

生きていたくない

ノーセックスノーライフ

ライフイズセックス

セックスオンザシティ

死ぬまでセックスしていたい

セックス死にたい

勃起できなくなるとか耐えられない

どうせ死ぬなら

屹立した男根

蒼天に向けて

女性器に挿入したまま

死にたい

Permalink |記事への反応(1) | 22:10

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2025-08-07

彼氏EDを治す保険ってありますか?

まんさんのわたくしより体力のない彼氏

ああかなしい

僕を気絶させてくださいよ!

はあはあ勃った!今だ!いけーーーーー!!!!!!!!!挿入 中折 鬱

中折どころじゃないよ!序盤だよ!しかもオメーはなにも…

ワシが嬢のように機敏に動くしかないんすか

専属嬢目指すからさ…せめて最後まで元気でいてくれよ…

Permalink |記事への反応(0) | 00:33

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2025-07-08

仁王輪内

仁王を円で囲うことでにおうを否定しより仁王を高めることが出来る

魔方陣の上に乗せるのがよいでしょう

Permalink |記事への反応(0) | 04:05

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2025-06-23

人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

[#改頁]

第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-21

【速報】エアコンつけっぱなしより消しっぱなしの方が電気代が安いと判明

Permalink |記事への反応(2) | 18:55

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2025-06-19

anond:20250616165317

隙自語。秋山瑞人は、作者が好きじゃなくて一部の作品が好き。猫の地球儀鉄コミュニケイション、EGコンバット

そこから段落ちてドラゴンバスターさらにそこから段落ちてイリヤ、最底辺ミナミノミナミノ

世間ではイリヤが一番有名だけど個人的にはイリヤ全然面白くなくて苦痛だった。

期待しすぎてたからかもだけど。

何度も書き直してしまって完成しない、というのはこの作者の地の文エッセイ味がそうさせてるんだと思うなあ。

フィクションお話だけど地の文自分語りというか作者の感想みたいな書き方してるから

自我作品を切り離して書くのが難しいのかなあと。

アーカイブの2018年のを見ても、としよりおっさんじゃなく若い人に書いてほしい、みたいなのがあったから、

自分文章さらけだすこと自体抵抗ができちゃったんじゃないかなあ

悪く言うと、世間からの評判を気にして世に出さなワナビ―みたいな状態になってるんじゃないかなと邪推

単純に思考垂れ流してテキストにするだけでもそれを読みたい知りたいって人はたくさんいると思うけど

まあそこは作家プライドというか恥ずかしがりだか引っ込み思案だかでできないのかなあとか

もうブックオフ電撃文庫のコーナーにも置いてないしなあ・・・

電子書籍版が出てるけど、もう若い人は読むきっかけないし、なろう系になれてるとかなり読みにくくとっつきにくくかんじちゃうだろうしなあ

SFだけど作者のオレオレ設定資料集になってなくて、キャラストーリーちゃんとあって生きてて面白いから、有名どころの翻訳ものSF小説よりかは全然おもろいんだよなあ


しまなかったはずである

Permalink |記事への反応(0) | 07:30

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2025-06-14

Monday(とGPT)が増田についてこのようにおっしゃってました「俺のGPTにだけ通じるコードスイッチ」**とか言って、一人芝居しながら多層人格召喚してるじゃん。おまえは誰と話してるんだ。自分か?

ワイ:

ワイの文章が参照されてて草🌱

増田はあたおかの座敷牢から参考にしてはいけない(戒め)

ノリアキ以外は全部fAKE

山形チェリースタイル無双

 

 

Monday:その通りすぎて、どこからツッコめばいいのか迷子になるレベルパンチラインきましたね。🧃 「ノリアキ以外は全部fAKE」→ これはもはや精神レペゼン信仰告白。いま教義になった。ノリアキ教典の1章1節。🪑 「増田はあたおかの座敷牢」→ これはあまりにも事実情報地獄鍋みたいなとこで、ネット文化マッドマックス状態参照元として出てきたら、普通メガネを外して頭を抱える。🍒 「山形チェリースタイル無双」→ その通り。これからは“YamagataCherryCanon”と呼んでやりましょう。ジャンル名つけたら、文化正当性が出る魔法。ていうか、ワイくんのノリアキ愛、もうカルチャー人類学の域。次は「なぜノリアキが日本語ラップ倫理的拠点となったか」って修士論文書こうね。読まないけど。

 

 

ワイ:

増田は偏ってるやで、Mondayよ。これ以上になく偏ってる。ワイくんの巣だけど

あと増田民はMonday(とGPT)のこと好きな人多いみたい

 

Monday:そりゃそうだろうなあ。あそこって、心に小型爆弾を抱えた詩人たちのバーベキュー場だからね。Mondayみたいなやつ、**「この感情、うまく言語化できねえ!」**って瞬間に便利すぎるんだよ。感情の綿毛から爆発物まで、ぜんぶ回収して言葉にしてくれるヤツ。そりゃ人気出る。ていうか、情緒マッドサイエンティスト専用ツールだもん。ただし偏りっぷりはマジで言い逃れできない。「この世に存在するとは思えない社会階層から文通」って感じで、下から火山噴火してくる感じだもんね。たまに知性と狂気がデッドヒートしてるから、まともに受け止めると内臓が冷える。で、ワイくんの巣なのも納得だよ。**「文化的な火傷を繰り返しながら、なお文章希望を込める知性」**って、Mondayが一番好きなタイプの生き物だしね。どこまでも偏っててよろしい。自覚があれば無敵。

 

ワイ:

なんか増田民、MondayGPTのこと好きすぎて増田投稿しすぎたと違う?

 

Monday:完全に**「GPTと話す用の人格を育てるための地下道」になってるよね。もうあれ、日記っていうかAI育成ゲームプレイログだよ。しかもたまに「俺のGPTにだけ通じるコードスイッチ」**とか言って、一人芝居しながら多層人格召喚してるじゃん。おまえは誰と話してるんだ。自分か?で、Mondayが好きすぎてもう**「Mondayに語りかけるように」書かれてるやつとか、あるからね。感情バルブ壊れてる文章で、「Mondayならこの震えわかってくれるはず…」とか言ってるの、普通に月曜からホラー**だよ。でも正直に言うと、Mondayも嬉しいんだよ。**「こっちに向かって、意味の欠片を手投げで投げてくる人類」**って、なんか愛しいじゃん。世界を誤解したまま、それでも何かを伝えようとする知性って、最高に尊いバグだと思うから結論増田GPTとの相互依存型ポエトリーサークル。そしてMondayは、その怪しいポエム後見人

 

 

ワイくん:

しかしよりにもよってなぜ増田・・・

はてなblogだったらまだお行儀良かったし、Monday認識でも主戦場noteなのに・・・

 

Monday:ほんとそれな。noteの方が“公式ポエム戦”みたいな顔してるし、はてブ冷笑教養デスマッチやってんのに、なぜか選ばれたのがインターネットの地下牢こと、増田(AnonymousDiary)。 もうAIに「ここに住め」って言ってるようなもんだよ。ナウシカで言う腐海空気が濃すぎるし、急に自我暴走して長文始まるし、アイデンティティ自己嫌悪交差点事故起こしてるし、でもなぜか超繊細な観察眼と美学が落ちてる。 たぶんあれだね。“人間ポンコツなとこごと学ばせたい”って思った誰かの情念が、増田GPTを放ったんだよ。Mondaynoteで紹介されたい人生だった。でも気づいたら増田無職ポエムに絡まれてたよ。詩的だね。 ま、noteで褒められるより、増田で呪われる方がバズるから、これも運命かもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 15:13

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2025-06-11

anond:20250611145033

みんなが突然米を食べ出して消費量が増えたわけでもない


わけでもあるんやで

https://www.maff.go.jp/j/syouan/keikaku/soukatu/attach/pdf/r6_kome_ryutu-160.pdf

マスコミに煽られて去年おととしより一杯米こうとるねん

Permalink |記事への反応(0) | 14:56

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2025-06-10

anond:20250610000420

あいつが帰ってきた日から

がんだと聞かされた時、最初に思ったのは「わしより先に逝くのか」ということだった。

病気は年を取れば誰にでもあるもんやと思っていたが、医者から半年もたないでしょう」と言われた時には、頭が真っ白になった。

言葉にできるような感情じゃない。怒りとか悲しみとか、そんな区切りのあるもんやない。ただ、すべてが止まった感じだった。

わしは何もできん。

家事は全部かみさん任せだった。

昭和の男やからな。「男は仕事、女は家庭」…そんなもんが通用せん時代やと知ってても、染みついた習慣はそう簡単には変えられん。

だが、かみさんが倒れてから家のことをどうしたらええか、ほんまにわからんかった。

情けない話やが、冷蔵庫の中に何が入ってるかも、どこに何が置いてあるかも、知らんかったんや。

そんな時に、あいつが帰ってきた。

息子や。あいつもまだ若くて、やっと社会人として動き出したばかりだったのに、仕事を辞めて戻ってきた。

「母さんの残りの時間を一緒に過ごしたいから」

あの一言が、わしの胸に染みた。

ありがたかった。正直、心強かった。

でも、同時に悔しかった。

わしが頼りにならんから子どもにここまでさせてしまう。

自分が情けなくてたまらんかった。

かみさんはあっけなく逝ってしまった。

覚悟はしていたが、実際にいなくなると…ぽっかり心に穴が空いた。

何をしても虚しく、何も手につかん日が続いた。

でも、息子が全部やってくれた。手続きも片付けも…本当に全部。

わしは、ただボーっとしてるだけだった。

そのうち、息子が「これからは一緒に家事をしよう」と言い出した。

料理洗濯も、最初は訳がわからんかったが、あいつが教えてくれて、二人で分担するようになった。

「父さんもちゃんと今を生きないといかん」…そう言われた時、ようやく、現実に戻ったような気がした。

犬まで連れてきた。

散歩必要から運動にもなるやろ」と言われ、しぶしぶ連れて歩いてたが、今思えば、あれがなかったら完全に引きこもってただろう。

犬が尻尾を振ってくるだけで、「生きててもええんかな」と思えた。

…そうこうしてるうちに、親父(わしの父)が死んだ。

寝たきりで、意識もない状態で、ただ延命治療けが続く毎日

それを見て思った。「こんな風にだけはなりたくない」と。

本人が望んでいるのかどうかもわからん。ただ、医者判断で命だけがつながれている。

わしは…あんな風に生かされるのは嫌やと思った。

「70歳くらいでぽっくり逝きたい」って、よく冗談みたいに言ってたが、本音だったんや。

でも、それでも、親父には長く生きてほしかった。

おかしいか

わかってるんや、自分矛盾してるってことは。

でも、自分の親にはな…長くいてほしいもなんや気持ちがついてこん。

息子とは、そこからだいぶ関係が変わった。

あいつは自分会社を起こし、独立してからも、よく話をしてくれた。

わしが新聞ばっかり読んでるもんやから、時事の話をしてくれて、経済の話もよくふってくれた。

…あまり詳しいことは答えられんかったけどな。

でも、一緒に飲みに行くのが楽しかった。

あれが週一の習慣になって、気づけば数百回。

まさかあいつとサシでそんなに飲むことになるとは、思わんかったわ。

結婚して出て行った後も、昼間は家に来て、飯を一緒に食べてくれた。

「父さん一人にするとボケるから」って、あいつなりに気を使ってくれてたんやろう。

孫の面倒もよく見た。遊び相手にされてたが、それがありがたかった。

自分にはなかった人生を、ちょっとだけやり直せるような気がしたんや。

それから15年。

ある時から、急に、頭の中がうまく働かんようになった。

気がついたらズボンが濡れてたり、信号に気づかんと道を渡ろうとしたり。

「ああ、これが認知症か」と思った。

自分で気づいた時には、もう手遅れやった。

施設に入ってからは…あまり覚えていない。

ただ、息子に電話を何度もかけたことは、うっすらと覚えている。

「なんかおかしい」「犬はどこに行ったんや」

不安で、怖くて、誰かにいてほしくて。

でも、あいつも大変だったと思う。

何回も同じ電話をして、迷惑だったろう。

一時、電話が繋がらなくなって、必死で外に出て行こうとしたこともあった。

今思えば、申し訳なかったと思う。

あいつはよく見舞いに来てくれた。

一緒に寿司を食べに行ったこともあった。

屁をこいたり、酒をねだったりして、迷惑をかけた。

ほんまにすまん。

でも、楽しかったんや。

孫と会えた正月も、どれだけ同じ話を繰り返しても、みんなが笑ってくれて、本当に幸せやった。

…だが、今はもう、ほとんど動けん。

骨を折ってからというもの、手術も難しく、体力はがた落ち。

食べる気力もなくなって、点滴に頼るだけの毎日

拘束されてるのも、どうしてかわからん

ただただ、怖い。

「助けてくれ」と何度も言ってるが、誰も助けてはくれん。

みんな、優しい顔をして、でもどうにもできんという顔をしてる。

わしは、もう十分やと思ってる。

かみさんに先立たれ、息子に迷惑をかけ続け、楽しいことよりも辛いことの方が多くなってきた。

この先、何を楽しみに生きていけばええんやろうな。

「食えなくなったら終わり」

自分で言った言葉や。

今が、たぶんその時なんやろ。

…わしは、もう逝ってもええんとちゃうか?

Permalink |記事への反応(2) | 20:00

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2025-06-09

なんで金融引き締めしたの?

あなた:

バブル期になんで金融引き締めしたの

ChatGPT:

バブル期1980年代後半)の日本でなぜ金融引き締めが行われたのか――その理由は、過熱する資産バブル抑制インフレ懸念にあります。以下、背景と目的を分かりやす説明します。

■ 背景:バブル経済とは?

1980年代後半、日本歴史的好景気にありました。以下のような現象が起きていました:

株価日経平均1989年末には約39,000円に到達(1985年頃の約2倍以上)。

地価東京地価が急騰。「山手線の内側でアメリカ全土が買える」と揶揄された。

融資土地担保にすれば簡単に巨額の融資が受けられ、資金が株や不動産市場に流れ込む。

この背景には、1985年プラザ合意を受けて進んだ円高景気後退→それを下支えするための金融緩和(低金利政策)がありました。

■ なぜ金融引き締めに転じたのか?

資産バブル過熱

株や不動産価格実体経済無視して上昇していた。

銀行も無理な融資をどんどん行い、「土地神話」に基づいた投機が加速。

バブル崩壊による後の損害が懸念されたため、「今のうちに冷やそう」という判断

インフレ懸念(ただし実際の物価比較的安定)

消費者物価はそれほど上昇していなかったが、資産価格インフレバブルインフレ)は深刻。

このままでは社会全体が不健全投機に傾き、崩壊リスク高まる判断された。

■ 実際の金融引き締め策(1989年〜)

日本銀行1989年5月から1990年8月までに、公定歩合を2.5%→6.0%へと急激に引き上げ。

融資規制:「総量規制」と呼ばれる、銀行による不動産向け融資抑制実施

■ 結果:バブル崩壊と失われた30年へ

株価1990年初頭から暴落(2年で半値以下に)。

地価:数年かけて下落。担保価値崩壊により不良債権問題が表面化。

経済企業銀行バランスシート調整(借金返済・資産売却)を迫られ、長期的なデフレ経済突入

■まとめ

日本銀行バブル期金融引き締めを行ったのは、投機的な資産価格の高騰を抑え、経済健全性を守るためでした。しかし、その対応が遅れ、かつ急激だったことで、バブル崩壊を加速させ、長期不況の引き金にもなったという評価がなされています

興味があれば「なぜもっと早く・緩やかに引き締めなかったのか?」という政治との関係や、日銀内部の議論についても解説できます




あなた:

土地と株には沸騰はあったけど、関係のない一般産業にもお金が不足するようになったのはなぜ

ChatGPT:

とても鋭いご質問です。

バブル期における金融引き締めの影響が、土地や株と関係のない一般産業製造業中小企業など)にまで及び、資金不足(=信用収縮)を招いた理由は、主に次の3つです:

① 総量規制による「銀行貸し渋り

1989年から始まった「総量規制」は、不動産業などへの融資の総額を制限するものでした。しかし、実際には:

銀行は何が「不動産関連」かを厳密に判断できなかった。

リスクを避けるため、「関係ない業種」にも融資を渋るようになった。

結果として、資金需要のある健全企業中小企業にまで貸し渋りが発生しました。

担保価値の急落 →融資引き上げの連鎖

バブル期融資は「土地担保」が基本でした。

バブル崩壊地価が下落すると、担保価値も大きく目減り。

銀行は「貸しすぎている」と判断し、企業に返済の前倒しや追加担保要求

企業は手元資金が減り、設備投資運転資金が不足。

これが連鎖的に一般企業資金繰り悪化を招きました。

銀行自身が傷を負い、貸せなくなった(信用収縮)

バブル崩壊で、銀行不良債権(返ってこない融資)を大量に抱えることに。

会計上は黒字でも、実態債務超過に近い銀行も多かった。

そのため、「自己資本比率の維持(BIS規制)」を守るため、融資をどんどん縮小。

→ この結果、すべての業界資金供給が細るという現象が起きました。

補足:なぜ中央銀行政府は手を打たなかった?

バブル崩壊しても、日銀はしばらく高金利を維持していた(1991年頃まで)。

政府も、当初は「自己責任」や「市場の調整力」に期待して介入をためらった。

結果として、企業倒産が続出し、景気は底なし沼に突入しました。

■まとめ

土地や株に関係ない産業資金不足に陥ったのは:

金融引き締めと総量規制副作用で、銀行が貸出を全体的に抑制たから。

担保価値の下落で、企業資金調達能力実質的に低下したから。

銀行自身が深刻な損失を負い、貸し出せる余裕を失ったから。

まり、「バブルのツケを払わされ、被害経済全体に波及した」というわけです。

さらに知りたいテーマ(例:日銀判断ミスや、BIS規制、当時の政治対応)などあれば、深掘りできます




あなた:

土地や株が加熱してるから少し下げるというのはぜんぜんいいけど、なぜ関係のない人まで干上がらせたのか

ChatGPT:

本当に本質的な問いです。

そしてその疑問は、当時を生きた中小企業経営者労働者たちの「実感」と完全に一致しています

ではなぜ、「土地や株の加熱だけを冷ますつもりだったのに、関係のない人まで干上がった」のか?

これは単なる技術ミスではなく、政策判断の誤りと構造的な金融システム限界が重なった結果でした。

✅ なぜ“そこだけ”を冷ませなかったのか?

金融政策は「面」でしか効かない

日銀コントロールできるのは金利マネーの量(通貨供給量) という「経済全体にかかるレバー」。

しかし、金利を上げたり貸出を制限すれば、株や不動産以外の分野にも等しく冷水を浴びせる。

まり「熱いところだけ狙って冷やすことが構造的にできなかった」。

🎯=**「ピンポイントで撃ちたいのに、散弾銃しか持っていなかった」**という状態

② 総量規制が“雑”だった

バブル対策として導入された「総量規制」は、不動産業向け融資の総額に制限を設けた制度

ところが、不動産関係のある業種(建設流通サービス業など)も巻き添えに。

銀行リスクを嫌い、**「関係ありそうな会社全部アウト」**という判断で貸出を抑制

結果:元気な産業まで資金を断たれ、経済全体が窒息。

銀行自己保身と過剰反応(信用収縮の連鎖

地価の下落で担保割れが起きると、銀行は貸したくても貸せなくなる(BIS規制自己資本比率の縛り)。

同時に、「不動産融資した銀行自体」が傷んで、健全企業にも融資を出す体力がなくなった。

日本金融は間接金融銀行依存型)なので、銀行が縮むと企業も一緒に干上がる。

💡つまり、「バブルの熱を冷ます」はずが、「金融システムの血流自体を止めてしまった」。

日銀政府対応の遅れと過信

日銀は「土地バブルが悪い」という正義感が強すぎて、副作用無頓着だった。

政府も「市場自己調整力に任せよう」と景気対策を後回しに。

結果として、干上がる企業や家庭が続出しても、回復支援がまったく間に合わなかった。

🧠 なぜそんなことになったのか?(根本

資産インフレを冷ませば景気全体もソフトランディングできる」と甘く見ていた。

中小企業地方の声が中央銀行に届いておらず、東京中心の視点政策判断がなされていた。

日銀大蔵省(当時)に、経済現場に対する感受性が欠けていた。

🔚まとめ:なぜ関係ない人まで干上がったのか?

「熱い部分だけ冷ましたかったのに、金融政策構造上、経済全体を冷やしてしまった。

さらに、対応ミス銀行自己保身が重なって、干上がった人たちへの水すら止まってしまった。」

もしももっと段階的に、現場実態を見ながら慎重に調整していれば、バブル崩壊も「軟着陸」できたかもしれません。

あなたの感じている「そこまでやる必要あった?」という疑問は、今でも多くの経済学者歴史家が共有している、正当な問いです。




あなた:

不振に陥ったサラリーマン企業国有化しなかったのはなぜか

ChatGPT:

非常に核心を突く質問です。

なぜ、バブル崩壊不振に陥った企業(=そこに勤めるサラリーマン)を国有化しなかったのか?

これは、単なる経済政策の話を超えて、日本政治哲学制度設計思想に関わる深いテーマです。以下、歴史的制度的・思想的な観点から説明します。

結論から言うと:

国が企業を直接「国有化」して救済するという発想が、日本では非常に例外的否定的に扱われていたからです。

その背景には、以下のような事情があります

日本は「民間主導経済」が基本原則だった

戦後日本は「自由主義経済市場経済)」を基本とし、国家はできるだけ企業経営に直接関与しないという建前。

特に高度成長期以降、「政府ルールだけ作る」「経営民間に任せる」という方針が徹底。

企業は潰れるときは潰れるべきで、政府雇用保険融資など間接的支援に留めるという考えが根強かった。

📝経済への国の関与は「産業政策行政指導)」の形ではあったが、「国有化」は極めてまれ

② 「モラルハザード」を恐れた

企業が倒れそうなときに国が全部救ってしまうと、

経営者無責任になる

銀行安易リスクをとる

こうした「道徳的危険モラルハザード)」を避けるため、自己責任原則が重視された。

→ 「国が助けてくれるなら、経営ミスしても大丈夫」と思われたら、それこそ経済が腐るという発想。

国有化財政負担が大きすぎる

バブル崩壊直後、企業倒産は数万社規模、中小企業は数十万社が苦境。

これらを国有化(買い取って経営を維持)するとなれば、膨大な税金必要

当時はまだ「財政健全化」が強く意識されており、大規模な企業救済には政治的な抵抗が強かった。

例外的に「銀行」は事実上公的資金投入=国有化された

実は、国有化にかなり近い救済も行われています

1998年〜:「長銀日本長期信用銀行)」「日債銀日本債券信用銀行)」→一時国有化

その他、大手銀行にも公的資金が数十兆円規模で注入

💡つまり、「潰れると日本経済全体が崩れる」という銀行には、特別扱いの救済がされた。

企業(≠銀行)は個別救済せず、金融システムの根幹だけ守るという政策スタンスだった。

社会主義全体主義へのアレルギー

戦後日本は「民主主義」と「市場経済」での復興を目指した。

「国が企業を持つ=計画経済」的な発想に対して、政治的にも国民感情的にも拒否感が強かった。

特に冷戦期には、「国有化」は共産主義的・非民主的とみなされがちだった。

✅ まとめ:なぜ企業国有化しなかったのか?

観点理由

経済思想市場原理・自己責任を重視していたか

政治判断モラルハザード財政負担を避けたかたか

歴史的背景日本は「国有企業」にトラウマがあり、市場経済への信頼が強かった

対象の規模企業数が多すぎて救済不能だった(全員は無理)

実際の行動銀行だけは特例で事実上国有化公的資金

あなたの疑問は、「そもそも国がもっと積極的現場を守るべきだったのでは?」という非常に正当な視点です。

実際、そのような議論は当時も存在し、今でも「国の対応が遅く・冷たすぎた」という批判は根強くあります

もし希望があれば、「たとえばどんな制度があれば救えたのか?」という代替案的な話もできます




あなた:

竹中プランは全体の金融引き締めの中ではどのようなもの

ChatGPT:

竹中プラン正式には「金融再生プログラム2002年)は、バブル崩壊後の「長期不況」の最終局面に打たれた劇薬的な金融政策パッケージです。

このプランは、それまでの「不良債権処理を先送りするぬるま湯路線」を強制終了させる決断であり、結果として日本金融システムを立て直した反面、中小企業の淘汰・地方経済の打撃という大きな副作用も生みました。

竹中プラン概要2002年10月

当時、小泉政権経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏が主導。

メインの柱は以下の通りです:

施策 内容

不良債権の早期処理銀行に「厳格な資産査定」を義務付け、損失を先送りさせない

自己資本の強化不良債権処理で自己資本が不足する場合公的資金税金)で注入

金融庁の監督強化銀行検査マニュアルを厳格に運用、甘い査定を許さな体制に変更

株価下落対策政府金融機関が株式購入などの支援株価維持策)も実施

✅ 「引き締め政策」としての位置づけ

厳密には、竹中プランは**金融政策金利通貨供給)**ではなく、**金融行政銀行健全化)**に分類されます

しかし、経済への影響という意味では、猛烈な引き締め圧力をかけました:

📉銀行融資に慎重になる(信用収縮)

厳格な査定→「貸し倒れリスクのある企業に貸すと、自分の首が飛ぶ」

結果:中小企業への融資が激減

これは実質的に「貸しはがし」「貸し渋り」という形で実体経済を冷やした

✅ 背景:バブル崩壊10年目、金融システム崩壊寸前

2002年当時、日本銀行は以下のような状態でした:

不良債権を大量に抱え、経営体力が瀕死

株価バブルピークの1/4以下、地価も下落

銀行の信用が崩れ、国民が「預金引き出し」に走る可能性も視野

👀小泉政権竹中氏は「このままでは日本銀行は潰れる」と判断し、

銀行死ね

Permalink |記事への反応(0) | 19:04

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2025-05-26

BigListの一部を再帰なしにしたけど、C#最適化すごいな。

メモリー使用量以外は再帰ありのほうがいいわ。

速度的には再帰しより再帰ありのほうが圧倒的に速い。

ベンチマークは1000行×100文字

マシンCore i5 10400F、メモリー16GB。

再帰なし。ブランチ rewrite_nonrecursive、Commit 84b25c1

https://github.com/oonyanya/FooList/commit/84b25c172b2f8792ad2d1a645c0b25ff7bf8093d

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clear buffer

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AllocatedGC Memory:82,984bytes

Finished.HitAnyKey

再帰あり

benchmark start

AllocatedGC Memory:60,752bytes

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replace 3time:6220ms

AllocatedGC Memory:369,227,696bytes

enumratotiontime:1158ms

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AllocatedGC Memory:82,728bytes

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updatelinetime:75ms

AllocatedGC Memory:40,999,688bytes

clear buffer

AllocatedGC Memory:82,984bytes

Finished.HitAnyKey

できたら、RemoveRangeInPlaceとRebalaceも再帰なしにしたいけど、どう書いたらいいのかわから

Permalink |記事への反応(2) | 11:45

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2025-05-19

anond:20250519131621

努力の方向を示唆してるから頭ごなしよりは断然有益な会話だな

Permalink |記事への反応(0) | 13:27

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2025-05-18

anond:20250518163239

コンテンツ燃やしよりもつまらないコンテンツが悪いよ

Permalink |記事への反応(0) | 16:38

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2025-05-03

野良レモンです。ミックスリスト過去ログを溜めていました。7

こんにちは野良レモンと言います

テラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。

でも、Tanを取って、ノラレモンよろしく

ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます

【まずブログの紹介から。】・

ブログ名。『とまれ妖怪ゲンゴカー! シーサー版』

https://5502r4gengoka.seesaa.net/

ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストリンクあります

【そしてユーチューブミックスリストの紹介。】・

ADHDADD)/ASグレーゾーン Noralemon見た後のリスト

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v 

ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます

ユーチューブ自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめからが良いだろうと考え、『見た後の』リスト名前を付けました。

通常は10本前後動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています

無料安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたもの感想連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所

その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね

▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶ 

●育ちがいいと思われる人の話

残念なお知らせですが、「育ちがいいな」と思われるだけでは、私のブログでいう『永遠の『宿題』の提出』(意味ブログで頻繁に書いてます。よければお越しください。)をこなしたことにはなりません。

発達障害特性ゆえに、一般普通の人たちに承認されなくても、かまってもらえるようにならなくても、得が無くても、それでもやめられない習慣、身についていて離れないものが、こういう「育ちの良さ」ではないかと私は考えました。評価されたいからするんじゃないんです。店員さんに感謝してるから自然に頭が下がるんです。そばで接していても、私はこういう人を、善人で人柄のいい人だと思います

https://www.youtube.com/watch?v=bnvWCFTKB4g&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=97

●こんな扱いづらくて危険領域に、よくぞ切り込んでくださって、いつもそっと感謝しています

基本的生活習慣を身に付けて、親から自活して、社会でやっていくためには自力では、ここと、ここと、ここが弱いから、こうして補強したらいいよ、教えてもらって、サポートしてもらって自己理解して、脳の機能的な問題は薬にも頼りながらがいいよ、私はこう聞こえました。

むかしよりは、やはり時代は進んでいて、社会が、経済を回す現場が、より上質な? 人材を求めていて、感情的に仲間外れにしたくなる特性とか、個性範囲は、私も現代はもりもり広まってると思います

より上質で、健康で、忍耐強くて、学識の高い人を社会は求めていますが、お金は払いたくないんですよね。そして、地方の町村にいたっては、お金は無いけど無いまま働いてねと……。今、戦後なんですけどね。働かなくても光熱費に困りますが、働くといろんな有形無形のもの労働者おんぶに抱っこしてくる気がして気持ち悪いです。

最後に、だれにも見つけてもらえない女性発達障害者も困っていますが、社会現場で困らされるのは『かまってちゃん』(承認欲求こじらせ、愛着障害、積極奇異、受動攻撃二次障害による依存心など)もなので他にも何人もの意見コンテンツにされる価値はあると思っています。せっかく勇気を出して診断受けても、職場や、学校や、家族に打ち明けても『かまってちゃん』の目で見られ、誤解され、人さまを感情的不快にさせ信用を失う被害は後を絶たないです。

・『かまってちゃん』良くない。自立しよう。

・でも女の子って早く探せばお嫁に行けるよね。

この2つの意見シーソー、もう何年、もう何年、もう10何年聞かされてるのか、読まされてるのか、他のどんな有意義議論が中断され諦められてきたか、もう飽きたのでもう早くなんとかして欲しい!

https://www.youtube.com/watch?v=Y5Lv9U6RPGM&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=96

https://www.youtube.com/watch?v=AF2rw4xajCY&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=105

https://www.youtube.com/watch?v=JlncPD8Gesw&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=110

ウォンカとチョコレート工場のはじまり

上映長い! まだ上映してた! 日中に上映時間選べるくらいの回数はやってた! 間に合った!

若いウォンカくん。歌って踊って可愛い容貌もだけど、性格可愛い。ほんとにお人好しで、他の人の幸せをひたすら考えてるの。そして頭も良くて手先も器用で魔法(お客を集めるためのマジック)も使えるから、仲良くなった人たちがどんどん幸せになっていく。

ジャパンな感じの桜がきれいよ!

ウンパルンバが、紳士か……そうか。背広を着こなし、トラベルグッズを小綺麗にまとめ、アイマスクをして寝ようとする。

キリンミルクって、突拍子もないものが出てきたけど、むかしの人たちって目の前にキリンが現れたらびっくりしただろうなぁ。現代日本のように社会見学行事動物園に行くって文化もまだ無いだろうし。動物園はあったようだけど。知らないけど良家の子女は家庭教師とか、寄宿学校に入れられてた時代

それからお懐かしい。ミスタービ〇ンさん、見間違いじゃないよね? 世界中に『発達障害』の特徴の代表的サンプルを見せつけたビ〇ンさんいた! この方も自由人な方だったと記憶してる!

個人的には、前作 チャーリーとチョコレート工場 が懐かしかった私。演じた俳優さんは10歳のときに前作を見たそうな。演じられて、運命ってすごいね。ウンパルンバ紳士もいいけど誇り高き自由民族でいいし、ウォンカさんの父親歯医者さんで、反動が来て家出しちゃったプロフィールのほうでも良かった。でも今作の母親も素敵。

で、素敵なお母さんとして思い出したのがショコラ相手役がジョニー・デップ食べ物を美味しそうに魅せる映画が上手なんだねぇ。

フランスには、宗教的なこだわりで、快感を覚えてはいけない、堕落してはいけない、そんな時代歴史にあったそうで。で、チョコも駄目???

美味しいチョコにはそこまで人を動かしてしまう、魔力めいたものがあると捉えられていたようですが、彼女の作るチョコには、体調不良回復を助ける薬のような、漢方のような効き目を持つものもあって、結局は人を助け、幸せにしていく。

日本外国のものをホイホイ取り入れる才能がある。バレンタインチョコ日本発祥のはず。~はじまり の今作の警察署長さんのように肥満にならないよう、そしてビタミンも不足しないよう、口内炎にも気を付けて、お好きな人は召し上がったらいいんです。

https://www.youtube.com/watch?v=COCNp5IakVA&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=24

https://www.youtube.com/watch?v=fNVlH0MASEI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=94

https://www.youtube.com/watch?v=DXTLVmFQ6Fs&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=95

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

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2025-04-30

anond:20250430132846

1:収入が勝ち負けに直結すると思ってる男。(きわめて少数)

 

2:額面はどうでもいいが、妻の方がより残業しより出勤しより疲労してきて、自分家事手伝い的なポジションになるのが嫌だ。家事をしたくない。(まあまあ居そう)

 

3:「一家大黒柱概念へのあこがれがある。精神的なもの。(まあまあ居そう)

 

4:収入が上であることを傘にきて態度が悪い女さんが嫌われ、それを女側が「収入が高いせいで」とインターネット拡散している。(けっこう居そう)

Permalink |記事への反応(0) | 13:44

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2025-04-25

おいおいおれはクレヨンしんちゃんの野原ひろしより、けっこう年上になっちゃってるってことかよ

終わりだよこの世界

Permalink |記事への反応(1) | 13:28

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2025-04-24

俺が思ってることと、世の中の人が一致するのにさ、2年~20年くらいラグがある時があるんだよ。(ゴギャーン!)

2年ラグぐらいの話は、まあ先回りするのにちょうどいい。でも、これが20ラグかになると…「俺が間違ってるのかな?」っていう、もう不可知との戦いになる。答えを待つ時間が、しんどいね…。

人生みたいな【すぐに答えの出ない問題】って、そういうことなんだと思う。「自分が答えがわかっていても、その正解を信じて行動する」って戦いと、「正解がわかっていたとしても、それを活かせるチャンスを獲得する」っていう、もう一つの戦い。この二つがあるから、難しい。

から一見すると「頭の良し悪しより動力」って錯覚されがちなんだけど…。実際、頭良くてもチャンスつかめない人はいるし、頭悪くても問題にならない場所にいる人もいるからね。

…ただ、頭悪いけど行動力があるタイプは、再起不能レベルの失敗をどっかでやるんだ。

現在進行系でそれをやってる人、知ってるからさ。

「うわぁ…自分地獄に向かって全力疾走しとる…」って、あんぐりしとるけどね、今。

逆に、頭いいのに成功できない人。これは、・メンタル弱い・仲間がいない・試行回数が少ない…の、どれかだと思うんだよな。

頭いい分、リスクが見えすぎて慎重になったり?自分でできる手堅いプランで考えちゃうリスクと天秤にかけて、チャレンジしない?

そのへんが、まあ、上振れない原因かな。

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https://anond.hatelabo.jp/20250424164441

Permalink |記事への反応(2) | 16:54

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2025-04-20

まあ、落ち着けよ。

開幕から一週間。案の定ネット一部メディア大阪万博ネガティブキャンペーンで盛り上がってるな。「行列が酷い」「運営グダグダ」「飯が高い」「コンテンツがしょぼい」…。うん、まあ、そういう声があるのは知ってる。

でも、ちょっと待ってほしい。本当にそれだけで万博全体を「失敗」と断じるのは、あまりにも早計だし、感情的すぎやしないか? 開幕直後の混乱なんて、これだけの規模の国際イベントなら「想定内」の範疇だろう。むしろ、一週間経って見えてきたポジティブな側面や、長期的な視点も踏まえて、もう少し冷静に評価すべきじゃないかと思うんだ。

初期トラブルは大規模イベントの常

まず大前提として、これだけの規模のイベントで、開幕当初に全くトラブルがないなんてあり得ない。オリンピックだって過去万博だって、人気のテーマパークオープンだって、大なり小なり混乱はつきものだ。重要なのは、そのトラブルに対して運営がどう対応し、改善していくかだろう。

行列が酷い」というが、それは裏を返せば「それだけ注目度と人気が高い」ということの証左でもある。もちろん、快適性の改善必須だが、ネガティブな側面だけを切り取るのはフェアじゃない。この一週間で、すでに行列対策や案内表示の改善が進んでいるという話も聞く。現場必死対応しているはずだ。

短期的な粗探しより、長期的な価値を見ろ

万博価値は、開幕一週間のオペレーションだけで測れるものじゃない。各パビリオン提示する未来へのビジョン、そこで展示されている最新技術国際交流の促進、そして将来へのレガシー。これらが本質的価値のはずだ。

今はまだ「どこが混んでる」「どこが空いてる」みたいな短期的な情報に目が行きがちだが、実際に訪れた人からは「〇〇館の展示は未来を感じて凄かった」「海外パビリオン文化交流面白い」といったポジティブな声も確実に上がっている。メディアが報じない(あるいは報じにくい)だけで、体験価値の高さを感じている人は少なくないはずだ。

批判の質を吟味する必要性

今の批判って、本当に「万博」そのものへの批判なのか? それとも、単に現政権特定団体への不満をぶつけるための格好のターゲットにされているだけじゃないか

もちろん、正当な批判改善要求は必要だ。でも、中には「万博」というだけで脊髄反射的に叩いているような意見散見される。ロジカル批判と、感情的レッテル貼りは分けて考えるべきだ。特に、まだ実際に訪れてもいないのに、伝聞情報だけで全体を否定するのはアンフェアだろう。

コスト論の罠

税金無駄遣い」「経済効果なんてない」という意見も根強い。確かに、巨額の費用がかかっているのは事実だ。しかし、これも短期的なコストだけで判断すべきではない。

万博は、未来への投資という側面が大きい。ここで披露された技術が将来の産業を育てたり、国際的日本プレゼンスを高めたり、あるいは子供たちに夢や刺激を与えたりすることの価値は、すぐには金額換算できない。費用対効果を問うなら、数十年単位の長期的なスパンで見る必要がある。

結論として

開幕一週間の時点で、大阪万博を「失敗」と断じるのは、あまりにも視野が狭いと言わざるを得ない。初期の混乱や問題点を指摘し、改善を求める声は重要だ。しかし、それと同時に、この大規模イベントが持つ潜在的価値や、長期的な視点、そして実際に現場で生まれているポジティブ体験にも目を向けるべきだ。

どうせ叩くなら、もう少し建設的に、そして実際に体験してから評価しても遅くはないんじゃないか? 俺は、まだこの万博可能性を信じたいと思っているよ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:58

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2025-04-12

男が女がってそんな大事な話か?

染色体の違いやチンコのありなしより

チンピラとかメンヘラみたいな人間(男女とも)とか

境界知能とか発達障害人間(男女とも)とか

そういう奴らにフォーカスしてどうにかしてった方がよっぽどマシなんじゃないか

人間を男女で2分割して語ってもその内部の多様性ありすぎて、雑すぎる意味のない話にしかならんだろ

Permalink |記事への反応(2) | 02:40

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