
はてなキーワード:さん付けとは
原神6.0始まったばっかなのにもうルカキリやらファルフリやら言い出してる奴が大量に湧いてて草
ファルカ、6.0で一言しか喋ってないし、フリンズのキャラスト見てもちょっと会っただけ、何ならさん付けで全然親しい感じじゃないのに一体彼らには何が見えてるの~!?
ホヨバのゲーム割とCP匂わせっぽいの多いし、GL好きがいるならBL好きがいてもいいとは思ってるんだけど、マジで顔カプは滅びた方がいい
中村と杉田がリアルで仲がいいからとか、この二人が揃った作品は演じたキャラ同士が必ず絡むからとか、中の人ネタは止めてほしいね
中の人ネタでCP作るって、それなら中村×杉田か杉田×中村でもかいてればええやん
中の人ネタでCP作るって、ぶっちゃけ原神に出てくるフリンズとファルカが好きなわけじゃないじゃん
今後のストーリーでフリンズとファルカが本当に絡んで親しくなったとしても、6.0で推してた時にこいつらが顔カプだった事実は変わんないよ
■息子が「女さん」と言い出したときのこと
https://anond.hatelabo.jp/20241216194633
そう言えば。
中学生の息子が特定の人を指して「女さんは〜」とか言い出してさ。
ビックリした私は
「そんな言い方は女性差別でしょ!」
って叱ったんだけど。
ここで女性差別に当たるか・女性差別的意図と推定できるかどうかは
であるのに一番肝心なそこが書いてない。
・彼我の持ってる情報の違いが区別できず説明の必要性がわからない発達障害
夫にも相談したら
「男さん、と呼んでもいい」
「男女平等だ」
とのこと。
えぇ・・・。
この女の主張はわかった。
文脈や具体的な発言内容にかかわらず”女さん”自体が女性差別である。ね。
そしてそれを夫にも同意してほしいらしい。
「なぜ”女さん”が単独で性差別になるのか」という理屈や論拠の展開であり、
たとえば「”女さん”はこれこれのネット空間で広く慣習的に、女性差別の意図にのみ使われている言葉である」
といった事例やデータの提示が必要なのに、それをした形跡が見られない。
おそらくは
妻「”女さん”は差別!」
夫「なんで?」
なにこれ?
夫は妻と違ってネットのドブのような男女論を見ていない可能性であり、
その場合は「”女さん”が女性差別的ニュアンスである」という妻の主張は全く意味がわからず、
「さんづけのなにが差別なの?」という回答になるのは当たり前だ。
(この夫婦は妻の方が夫よりだいぶ暇なのかもしれない)
であるのにこの女は
夫と自分の認識が大きく食い違ってる原因について探ったり解き明かしたりする様子もなく
「えぇ・・・。いやどう考えても〇〇でしょ」 「今更思い出してモヤモヤしたわ。」
とフラストレーションを募らせているだけ。
話にならない。お前が。
人間の知能はグラデーションなので、手帳が出ない程度の障害はどこにでもあるしみんなある。
追記・
え?そっち?
お母さんが子供の躾けや行く末について悩んでる話、
そういう話題かと思ったわ。
それなら多少頭が悪くたってお母さんの悩み苦しみを上手く取り除いてあげたいと思うし
そういう方向の助言をしようと思ったけど、そうじゃねーのな。
歳だけ成人のガキ女が「中学生の言動で傷ついた!」 「私の辛さが理解されない!」って吠えてる話だったのな。
これ本当凄い性格してるんだよな。
親(でなくとも周囲の大人)は「この子を社会でやっていけるようになんとかしてやらなければ」 ということで頭を使うもんなのに
頭は悪い、了見も腐ってる、お前の美点はどこなんだ。
俺が菩薩でもお前のなにに対して糸たらしたらいいのかわかんねえ。
ちょっと対話が自分の思い通りにならなかった(ほぼ自分の知能のせいなのに)というだけで
途端に被害者ヅラの傷つき仕草を始めて夫や息子を「ウチの男」と呼ぶ癖に
自分は「人間扱いされる前に、まず女性として扱われてしまう。」とほざけるの本当にすごいだろ。
脳にトコジラミの巣でも出来てんのか?
この女はノー手加減でスペックを査定する限り成人として知的能力が「低」なので
人間として扱えと言われれば評点は最低、「ただの愚図」になるしかない。
夫はこの愚図人間が女でなかったらこいつと親しくしたのだろうか?
息子はこの愚図人間が母でなかったらこいつに敬意や愛着を持ったのだろうか?
夫や息子がこの知能の低い奴と付き合ってるのはこいつが女だからで
男だったら「話になんねえ」と一切相手されず息子は生まれてない。
「私の気持ちが受け止めてもらえなかった!」エピソードだったところで
当人は騙す気も釣る気もなかっただろうがだからこそ意表を突かれた。
女全員がひとからげの低能扱いされたりバカにされたりする謂れはないわけだが
この人物は控えめに言って誠に”女さん”だと思う。
山積した課題に向き合うことなく生きていられるのは運よく女性だったためだが
人間でも母でもなくオンナ。
ただただ女だったおかげで低能のまま生存出来て家族まで持てている。
能力が低すぎてオンナでなければとっくにくたばっていそうだが
これで「女性として扱われてしまう辛さ」とかほざけるのが女さんの真骨頂だ。
というかこういう、
周囲が厚意と配慮でオミソとして遇しているのに
オミソ扱いに不満を表明するちっちゃい子に似るている。
ちっちゃい子は成長してそのうちオミソを卒業するだろうが
こいつに卒業の日は来るのか怪しい。
正面衝突で人死なせるのも過失運転致死には変わりないと思うんだけどそういう場合で運転手死亡した場合は被疑者死亡のまま書類送検ってならないんだよな。
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自分としては、広く国民に反移民・反外国人の空気が生まれるのは至極当然に見える。
自分は企業の人事担当。今の会社で、企業買収後の統合プロセス(PMI)を何回か担当したことがある。
うちは買う側だったんだけど、買われる側がスムーズに我が社の一員になるように、心理的なサポートとして実にいろんなことをやった。
こういうことを色々やって1年くらいするとようやく元〇〇の人ではなく我が社の一員になる。
一方で、さぼるといつまでも摩擦や軋轢が発生して、買収された側とした側がそれぞれ派閥を組むようになってしまい、関係修復が無茶苦茶難しくなる。
同じ業界で働く会社員が仕事する時ですらこれくらい時間と労力を使う必要がある。
ましてや、言葉も文化も違う外国人同士が一緒に暮らすのであれば、この何倍も統合のために時間と労力を使わないと関係構築は難しい。
にも関わらず、今の日本って住民側にも大したアナウンスをせず移民側にも日本のルールを教えず、苦情や悩みを相談するホットラインも設置せず、地域みんなで協力し合うようなプロジェクトも用意しない。日本語教師すら不足している。そりゃ軋轢は生まれるし反移民の空気が醸成されるよ。
最近話題の小学生いじめ問題について思うこともあったので一言物申す。
大人の目の前で普通に暴力振るうなんで馬鹿なことしませんし、当然大人から見えない形でいじめは行われる。
ある二人がメチャクチャ喧嘩して泣く程の事態になっても次の日には仲良く登校してくるとか普通にある。
今の時代小学生が金髪にしても注意出来ないプラス全てさん付け呼びなので、基本的に大人を舐めてる奴が多い。
そんでトラブルも増えるんだけど体と頭はガキのまんまだから正論言っても話にならないんだよね。
ある時クラスのAさんがBさんから仲間外れにされてるからなんとかして欲しいと保護者から要望があった。
そんでお互いの家庭に話を聞いたら、どうやらAさんが放置子で休みの度に家にノーアポで尋ねてくるんだって。
Bさん家は最初対応してたけど、休みの度に来るし飯まで強請るようになったから流石に無理になって最近は遊ぶの断ってたんだって。
それをAさんが勘違いして仲間外れにされたと思い込んで相談してたってわけ。
こんなの解決無理でしょ。
もう嫌だよ。
新卒から社会に出てもう7年とかそのくらい経つのだけど、一向に職場の人を役職で呼べない。
ふつうの人は、苗字に役職を付けて○○部長とか××課長、とか言うんだろうけど、それが全くできない。全部苗字にさん付けで呼んでしまう。
書いてて気づいたけど、全部ではなかった。俺が役職で呼べる人もいる。どういったパターンの場合、俺はその人を役職で呼んでいるのか考えてみた。
その人の肩書がもう今後変わる可能性がゼロに近い場合、さん付けではなく肩書で呼んでいるっぽいことに気づいた。
例えば今の職場のボスの肩書は所長だ。この所長の上のポジションは全く外部の組織からやってきているので、所長まで行ったら実質的に役職すごろくはあがりである。
この人の役職はもうずっと変わらないのだ、ということが確定すると、自然と役職で呼べるようになるようだ。
役職すごろくを上がった人にありがちなのだけど、○○をしている××です、みたいに名乗られることが多い。そうやって名乗ってきた人は、その後も役職で名前を呼んでいるようだ。
新しいことを覚えられない頭の弱さと、呼び方を変えるのってなんか恥ずかしいよね、という思春期みたいな感情が相まって、俺は30歳にもなろうとしているのに、職場の人を○○さん、と呼び続けている。
私がファンだった時期は2009~2014くらいなので元増田とはファンの時期が違うかな。
なんか変な感じになったってのはすごくわかる。私のファン時期ではスマスマが2階建てではなくなった後に変な感情を覚えたかな
そして中居さん(私は癖で芸能人もさん付けする派なのでさん付けにする。あとすごく年齢が離れているので。自由にすればいいと思う)がジャニーズ内部の話をするときが一番「ん?」ってなることが多かった。
あのね、なんか男社会や権力に揉まれていて、そこに対する怒りもあったとは思うんだけど、どうしてもそこに属していたせいで影響されているんだよね。
最初はバラエティにもよく出る人で、そこからファンになった人間ではあるんだけど、年を重ねるにつれて「ん?」ってなることは多くなってった。
2009~2014って丁度世間のセクハラへの考え方が変わった時期でもあったから、違和感があったんだと思う。
木村さんが28時間テレビで深夜時にセクシー女優に囲まれてトークしていたやつ見たことある人は分かると思うんだけど、あれ中居さんだったら気持ち悪かったと思う。あの時に私の中で何か感じるものがあったんだよね。(というかそん時からフジすげーことしていたな…)
幼いながらに「木村さんは結婚しているんだし、他のメンバーも結婚しちゃえばいいのに」って思っていたけど、あの時の木村さんを見て草彅さん、香取さん、吾郎ちゃんは大丈夫そうでも、推していた中居さんにはなんか無理そうだなと思ったんだ。あ、吾郎ちゃんまだ結婚していないけど。でもヒロちゃんいるから少し違うか。
今の結果を見ると結婚ができない性格だったのが理解できたよ。女性を権力で動かしたい、動かせる。そんな昭和な権力が身に染みちゃったんだなって。
令和になってもそれが抜けなかった、染みてしまっていた。そういうことなんだろうな。
2009年以前、それこそ元増田の時期の中居さんを見るとなんか違う感じするもん。スマスマがどったんばったん料理中のつまみ食い上等ハプニングが徐々に無くなり、ただ綺麗な料理とガチガチな脚本を提供する番組に変わり、迷走時期になり、そこから解散するまで、そして解散してずっと芸能界にいる中居さんはどこか演技臭くて、どこかきな臭いかんじがして行っていた。いつの日か「余計なことをしないでほしい」と中居さんに思っていた。
中居さんは黒バラで野球についてずっと語っているだけでいてほしいと願うようになった。すでに黒バラは終了していたけど。
本当に「余計なことしないでほしい」と願い始めてから私は押し付けがましいことを中居さんに思うようになっていたことに気が付き、ファンを辞めた。
解散した後、ジャニーズに縋らない選択ができる人だったら違う結末だったのかなって今でも思うよ。
ファンとして見ていて、年を重ねるにつれて木村さんとちょっと距離が開き始めているなって思ったのは間違いじゃなかったのかもしれない。
でも、中居さんは元々趣味もなさそうで、仕事人間だったからなって何となくこの結末は理解できるんだよね。
よくジャニーズ内の権力について話していたし(面白く話していたけど、気にしているからよく話していたのかな)、元増田の通り『昔のまんまで生きてしまった。』
だからもう表舞台には帰ってこなくていいと思う。そんな権力は昭和で終わったんだって。
でも思い出がよみがえって悲しくはなる。今でも一度だけ行けたコンサートのペンライトを飾っているけど、これでいいのかなと思ってしまう。楽しかったんだけどな。楽しかったんだという思い出に「でもお前の推し、こんな結末だぞ」って思いもあって辛い夜もある。
まるで我が子のような距離感だ。
我が子であってもさん付けで呼ぶカードキャプターさくら方式であって欲しかったんだけど、まあそれは一読者のつまらん願望だ。
米津玄師がいのりさんのことをいのりちゃんと呼んでいて、なんか馴れ馴れしいなと思ってしまう。
子供のことを小さい人として尊重するか、社会に守られた未成熟な存在として扱うか、そんなのは個々人が心の中で決めるべきことなんだろうけどさ。
でもやっぱり少しだけガッカリしちゃったんだよな。
メダリストって物語の中で描かれているのは、大人のいいなりになるのではなく自分の意志で道を選んでいく子供の姿だったから。
それを読んで自分は「子供には子供の人生があって、それぞれに重い決断をしているんだ。その重さは大人と変わらないんだ」と感じたんだよ。
子供相手でもさんを付ける司先生の価値観こそが、あの物語における基本的な世界観なんだなって。
でも作ってる人達、関わってる人達はそうじゃなくて、呼び捨てにしたりちゃん付けだったりなんだな。
そうなんだ。
じゃあきっと俺の読み方の側が主人公キャラクターに過剰に感情移入して狭い視野で物語の一側面だけを見続けていたしょーもないものだったんだろうな。
悲しくなってきた。
突きつけられたよ。
キャラクターをどう呼ぶかということを通して、俺は自分の感性の小ささを叩きつけられた。