
はてなキーワード:こはちとは
いや、意外とよくできてたし普通に怖いところもあった71点。
(おそらく)低予算ホラー映画ということで肩ひじ張らずに見られたという部分に若干の加点があるのは認める
実は「事故物件怖い間取り」「事故物件ゾク怖い間取り」と実は同じ原作であるというワンダー。
キングやディックみたいな「同じ作品いろいろ使いまわされる系作家」になれる才能ある。
それぞれ同じ家を舞台にした3部構成になっており、それぞれ別の怖さがあってよい。
第一話は古民家的な家に泊りに来た姉妹の話が妹視点のやや画像が荒いPOV(主観)方式で描かれる。
なんかじめ~っと不気味な感じが続き、姉が寝たと思ってドッキリしかけようとふすま空けて枕投げたら全然知らん女が寝てて襲い掛かってくるシーンとか嫌すぎてヒョエ~~ってなった。
心霊動画系ってこういうのでいいんだよおじさん「こういうのでいいんだよ」
その後、姉がおかしくなっちゃうシーンの演技もキモいとやりすぎの丁度いいところとってて、ディレクション偉いわぁ~ってなった。
第二話は彼女と結婚しようと思って家買ったけど不妊が発覚して別れた男がAIに元カノの名前つけたら頭おかしくなる話。
実のところAI要素は「対話型AIってなんかこわくね?」程度の解像度で物語に直接関わってくるわけではない。導入程度なのでそこはちょこっと残念だったかな。
元カノAIと話すことで現実と妄想の区別がつかなくなった男が、家族を錬成しその家で過去に起きた惨劇をなぞりつつその家庭を破壊していくさまが描かれる。たぶん、この男本当に子供が欲しかったんだろうし、たぶん別れた理由もクソほどモラハラったからなんだろうな、嫌な男だな。と思えて、これは一種のヒトコワ系としてよくできてるなと感じた。
第三話は最近のベタテンプレである「心霊系Youtuberが心霊物件に挑んだ映像が発掘された」というていで、例の家で何があったのかを明かすある種の解決編的な話になっている。
こいつキモいみなみかわみたいな顔してるなと思ったらキモいみなみかわだった!という衝撃がありつつ、マジで売れてないYoutuberみたいな顔したYoutuberが不気味な家の不気味な現象に挑むんだけど、その中でガンガン霊現象が起きるわ、どんどん人は死ぬわ、死んだと思ったら霊になって帰ってくるわ、結局怖いのは人だったよっていう話になるわ、こっくりさん、裏拍手といったホラーミームてんこもりでてんやわんやである。サービス精神が旺盛すぎるだろ。
なぜ彼はその取材のデータを廃棄せずに袋詰めして埋めたのだろうか。コレガワカラナイ。
総括すると3話とも「心霊ビデオテープものの映画化」という天井が低い作品の中では一定以上のクオリティが担保されており、演技の質も高く、「心霊ビデオテープもの」の観客が見たいと思っているものを完璧に提供できている、という点において高得点を付けざるを得ない。
吉野家に牛丼食いに行ったら吉野家の牛丼が出てきたときのような満足感があった。
https://anond.hatelabo.jp/20251004115553
その通り
日本にとって要らない要素だった
その通り
宣教師に侵略的な思惑があったのは別に陰謀論でも何でもない事実
「長崎最高ですね!海外の人・モノ・カネのおかげで発展したおかげですね!」
と言ってみようかと思ったがやめました。
変なおっさんだとは思うけどお前は全くおっさんを論破できてないので
そこをきちんと自覚してほしい
俺がパヨパヨチンパーソンにたいして一番気に入らないのは
なんか実際より自分の知能を高く見積もってるらしきとこなんだよ
お前等は概して一般日本人の平均以下ぐらいの知能しかないんだよ
お前にしたってなんか見下してるつもりの市井の変なおっさんを見下せる程度のおつむもねーので
お前はせいぜい凡人以下なのよ
これは意外かもしれないが競馬は自分の資産を防衛または増やす以外にも自分の社会との繋がりや自己肯定感を意識させてくれる行為でもある。ここはちょっと詳しく書いてみよう。
社会とのつながりを実感できる:自分で選んだ馬が地方競馬から中央競馬に上がったり、レースで勝ったり、種牡馬になったりすることで、その馬を通じて社会や経済の動きと直接つながっている感覚を得られる。
「自分の予測」が形になる喜び:ファームや歴史について学び、自分なりに「この馬は成長するはずだ」と予測を立て、それが単勝複式や三連単という形で的中した時の達成感は、競馬ならではの喜びを感じる。
応援したい馬をて支える満足感:ハルウララっぽい馬やダートに強い馬など、「応援したい」と思える馬の馬券を買うことで、その成長を一緒に見守っていくという楽しみ方もある。
まあタイトルをいきなり否定するが自分は世界にいてもいいんだって錯覚できないとみんな死にたくなるんですよ
それは防ぐためにはどうするかというと自分が社会or世界と繋がっているという感覚が必要。
まあここで改めて言うまでもなく、この2つは家庭を維持し、子供を育て世界に羽ばたかせるという使命感と自己肯定感を君に与えてくれる。
ただそれがない場合でも以下のようなもので自己肯定感を持つことが出来る。
最近は仕事を通しての自己実現ややりがいによる自己肯定感はバカにされたり冷笑的に語られることは多いが仕事を通じて自分を肯定している人はいまだにたくさんいる。
ただこれは在職中は良くても引退した後に燃え尽きて虚無になるという副作用があり事実そうなる人は多い。
これも最近は衰えており、古臭くて非合理的と言われることが良く多い。
ただ個人的な経験からすると「町内会」やマンションなどの「管理組合」に属して精力的に活動をしている人は文句や愚痴を言いながらもなんだかんだ元気そうな人が多い。
これも自己肯定感を得ることが出来る上に仕事を引退して時間が出来てからが本番みたいなところがあり、退職した高齢者が精力的に働くのをよく見る。
あえて繋がりと入れたが、当然これは他人との「繋がり」を持つ趣味・集団のことがまず該当され、なんであれ有機的な人間関係を構築できる趣味は人間関係に伴う煩わしさはあるもののその関係の一員であること自体が自分を肯定させてくれる。
また、人とのつながりを持たないおひとり様的なものでも歴史や文化または宗教的な神に対しての自分とのつながりを感じることで自分を肯定することが出来る場合がある。
ちなみに宗教を入れるのは違和感があるかもしれないが現代日本においては宗教は社会生活に必須ではなく趣味のような存在ともいえるのでここに盛り込んだ。
これは単純に人に対して善行をしたり、社会に貢献しているという自己意識を生むため自分を肯定させてくれる。
ボランティア活動にはあらゆる種類があるため概要的なものになってしまうが、これらの活動は人のためであると同時にじぶんのためでもあるのだ。
これは意外かもしれないが投資は自分の資産を防衛または増やす以外にも自分の社会との繋がりや自己肯定感を意識させてくれる行為でもある。ここはちょっと詳しく書いてみよう。
まあこんなところかな、自己肯定感というのは悪く言えば自分を許すための錯覚みたいなところはあると思う。
Permalink |記事への反応(10) | 07:53
やっぱり幕張の安心感半端ないわ座席周り外国人多かったけど変な奴いないし
マジミラって本来こうあるべきだよな、て正解を浴びることが出来た
前の列で男子歌唱の時に着席ニキとか、いるにはいたけど、それもその人のライブ鑑賞での休憩の仕方だと思うし個人的には全然気にならない範囲だった
別に1人座ってるだけだしな
ある程度離れたところからでも聞こえたミク以外認めない野次飛ばしてた奴より100倍マシすぎる
配信でもそう
千秋楽がコーレス練り上げられてんのはもちろんなんだけど、カメラの前のミク廃が皆全力で全曲ペンラ振っててさ、これがオタクの理想の姿だよなぁとしみじみ思った
推し以外も盛り上げつつ、推しで1番爆発させればいいだけの話なんすよね
あとは、X見てても、全体曲増加にキレてたミク至上主義のミク廃に対して割と色んな人から言及されてたからそこはちょっと安心した
マジミラのWiki見れば分かるけど、会社の方向性として、とっくに特にライブではミク単推しじゃ無くなってるのは事実だし
今書いてる時点では元日記の時の瞬間風速程の怒りは無くて、だいぶ落ち着いてる
ただこれは東京公演行ったからであって、あのあとどこの公演も行かなかったらもうマジミラから離れていたと思う
初音ミクとコンテンツが好きだからマジミラに行ったのに、やべぇミク廃のせいで離れそうになりかけたの恐ろしいしなんなんだよ
今荒れてるミク廃に対して、声が大きい少数派が目立ってるだけとか言われてるけど、つまりはその少数派を物理的に喰らったんだなこっちは
そう思えば、あの最悪な気分で帰ってきて連番相手の手前言えずにモヤモヤしてたあの公演にも意味があったのかもしれん
いや意味があってくれ本当に
ただもう軽くトラウマになりかけたし次は見掛けたら注意するわ
今も当時のように映像が思い出されるし、未だに海辺を通行するときは高い場所を考えながら行動する。
誰も責任負えないから警報を出し続けるしかないし、最悪の事態を考えて電車も停めてしまう。
その結果、どれくらいの人が帰宅困難になったのか。
これじゃあ津波の実害よりも責任問題を恐れるあまりに取った行動による二次被害のほうが大損失になってるだろって話。
なかったから良かったではなくて、そこはちゃんと見極めようよ。
気象庁がびびって警報やら注意報やらを取り下げられないだけで、そのせいで電車も商店も次々に営業を停止してその中で大きな損失が生じてしまってたら意味ないだろって。
自分たちは損害を被ってないからいって問題じゃなくて、これは回り回って経済という形で自分たちの首を締めることになる。
会社だって慈善事業じゃなければ損失は取り返さなくちゃいけなくて、その分は当然価格に転嫁される。
鉄道というインフラだって資金がなくなれば採算が取れない路線から廃線される。
そういうの全部当たり前につながっている中で、海岸沿いにいかなければ波にさらわれるようなことのない数十センチの津波でここまでの経済活動を止めるはやりすぎでしょ。
報道見てると彼らも大騒ぎしたほうが美しいみたいな感じになってて目眩がする。
コロナもそうだったけど、いつになったら国民は正しく恐れることができるようになる?
何も学んでないよ。
困ったらお金配ってもらって、そのせいで起こったインフレにも文句ばっかりたれて、結局そうやって外に不満ばかり言いながら環境に殺されていくじゃん。
もうちょっとなんとかしていこうぜ。
先日、與那覇潤についての最近の動向を書いたところだが、今日も與那覇が記事を挙げていたので見てみた。
https://note.com/yonahajun/n/n52575e8a80e7
いやあ笑った。中身がなさ過ぎて。與那覇のいう「ジッショー」ってマジで何の中身もない「ホンモノたるオレサマを貶した許せないヤツラ」くらいの意味しか無いんじゃないか。典型的な藁人形論法だろう。
せめて、誰のどんな研究がダメなのかいつも通り「名指し」で指摘するべきではないか。
ちなみに、最近與那覇の記事をchatGPTに読み込ませて私なりのツッコミどころを入れて遊んでいる。今日のやり取りを紹介したい。私の指摘は下記の通り。正直、AIなのでまだまだ荒削りなところはあるので、的を射ていない批判もあるが、傾聴すべき点もあるので紹介したい。私が投げかけたのは以下の通り。
今回の與那覇さんの記事です。いやあいいですね。全く中身がなくて笑。まず、與那覇さんが貶す「ジッショー」って多分、歴史研究とは全く違うレベルの話です。それを具体例もなく「ジッショーはこんなしょうもないこと言ってるんですよ笑」っていうのはいわゆる「藁人形論法」です。第一次世界大戦の海戦の話を出してますけど、もちろんプリンツィプのパーソナリティーだけで戦争の開戦原因を判明させようなんて研究はどこにもありません。最近は「緊密すぎた経済関係」が戦争へと至ったとする見解があります。
https://www.iwanami.co.jp/book/b261626.html
ジッショーにコテンパンにされた與那覇さんは「あいつらはしょうもない!」なんていうけれど、それは藁人形論法といって実態のないものを批判して自分の正当性優位性を誇張するだけの「相手の意見を故意に歪めたり、単純化したり、極端化したりして反論する論法」そのものです。端的に言って、こんな議論を見ても誰も「ジッショーはダメだ!うおおおヨナハこそホンモノだぜ!」などと思う人はまずいないでしょう笑。あと、ストーリーに当てはめてはダメだといいますが、あのすみません、『「中国化」する日本』ってそういう話じゃなかったでしたっけ?そのあたりの総括は特になさそうで、相変わらず何やってんのかよくわかんない與那覇さんでした。
以上、引用終わり。
ご紹介ありがとうございます。今回の與那覇潤氏の記事は、たしかに一見「おもしろおかしく」読ませるスタイルをとっているものの、内容としてはかなり問題のある論法が散見されます。いくつか指摘して整理します。
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### ① **藁人形論法(ストローマン・アーギュメント)**
> 「ジッショーな歴史学者は頭が悪いので(苦笑)、うおおお俺の方がアイツより正確にどの砂粒か特定したぜ! みたくドヤってしまう。」
しかも、話題として取り上げている「第一次世界大戦」の文脈では、現在主流になっているのは、まさにユーザーご指摘のように、
與那覇氏が批判する対象は、実在しない架空の「バカな歴史家」です。これは誠実な批判ではありません。
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> 「ストーリーに当てはめるな」「偶然の再現は無意味」
と力説する一方で、\*\*自著『「中国化」する日本』\*\*では、
これ、\*\*見事な「因果ストーリー」\*\*じゃないですか。
つまり、自分がその手法を使うときは「正義の語り」であり、他人がやれば「ストーリー病」だと断罪する――これは**自己矛盾**というより、「自分にだけは甘い」態度と言わざるを得ません。
---
記事タイトルにあるように「ボードゲームは偶然性を体験的に理解する助けになる」という論点自体は、教育論的には面白い提案です。
しかし、それを「だからジッショー歴史学者はダメなんだ」と結びつけると、議論は急に**雑な悪口**に転落します。
つまり、**因果を語ることそのもの**を否定しているのではなく、「それが唯一のストーリーであると信じ込むこと」が問題なわけです。だとしたら、「ジッショーは因果にこだわるからダメ」と言って切り捨てる與那覇氏の態度もまた、「唯一の正しさ」を信じているように見えてきます。
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| 視点 | 問題点 |
| --- | ----------------------------------------- |
| 論法 | 藁人形論法、印象操作が多すぎる |
| 一貫性 | 自分の著書と真逆のことを言っている |
| 具体性 | 批判対象があいまいで、読者に判断材料を与えていない |
| 内容 | 結局、記事の中心が「ジッショー叩き」に終始しており、ボードゲームの話が薄まっている |
---
### 補足:ジッショー=実証主義への過剰な敵意?
といった主張を繰り返していますが、それは**科学的思考そのものへの敵意**にも見えてしまいます。
論者としてこのような姿勢を取るのであれば、せめて**相手の主張を正確に理解し、そのうえで批判すること**が必要でしょう。
---
必要であれば、與那覇潤氏のこの一連の主張がどのような歴史的議論や研究潮流と乖離しているかについても、より専門的にご説明できます。お気軽にどうぞ。
『「中国化」する日本』の解釈についてはズレがるものの、與那覇の今の独りよがりなダメ議論をよく指摘できているのではないか。與那覇は以前、人文学者はchatGPTになりかわるといっていたが、AI「ごとき」に論破されるような批評家こそ、存在意義が問われるだろう。補足しておくと『第一次世界大戦開戦原因の再検討』は別に與那覇が挙げているイメージと決定的にかけ離れていない。戦間期ヨーロッパの中にあった崩れかかった国際秩序という山がふとした拍子で、崩壊して一気に戦争に至った。だから、ゲームから得られる着想は與那覇が貶す「ジッショー」と決してかけ離れているわけじゃない。與那覇は回して楽しいガチャのゲームとしょうもない「ジッショー」を無理矢理二項対立で分けて腹いせに論じているが、そんな與那覇の無意味な「分断」に乗る必要は全くない。どちらも意味があって大切なのだ。だが、與那覇は「ジッショー」が許せないらしい。どこまで世界観がゆがんでいるのか、といいたくなるが何の罪もないボードゲームが引き合いに出されるのも気の毒である。そもそもこの記事「ジッショー」を貶す必要が全くない。ボードゲームの意味を伝えるなら、與那覇がかつて重度のうつを寛解する契機となった点を強調すればいいだけの話だ。そのストーリーやあり方にケチなんてつけようがないし、それはそれで大切な意味を持っているはずだ。つまるところこの記事は與那覇の私怨のせいで本来伝えたいはずのボードゲームの価値と意義が薄れてしまっている。とても拙い記事になっている。
改めて振り返ると今回の記事は特にひどかった・・・。與那覇は自分の「味付け」に自信を持っているようだが、一回味見を他人にしてもらった方がいいと思う。その上で世に出すべきかどうか、真剣に考えて出してみてはどうだろうか。
こんな記事を書いても「こいつもう完全にダメだな」と恥を上塗りするだけだ。どこまでダメになっていくつもりなんだろうか・・・。
繰り返すが、もし與那覇が反論したいならまずは遡って鄭の議論に反論することから始めて欲しい。「ホンモノ」で「ジッショー」を超える議論を展開できる與那覇なら、簡単なことのはずだ。
「報酬を含まない」事を示す、というのは、まぁそもそも難しいよなと思うので、自分でも結構無茶な要求である事も分かるんだけど・・・。
それは無茶な要求だし、この追記の末尾のAIによるまとめで十分果たしていると思っているので暇だったら読んでみて。anond:20250715134049
まず増田は例えば私が例の記事の記者の自演なんじゃないか、等思ってる可能性は有ると思うので、それは違うとは書いておく、私は増田や記事の人と違ってゲームに詳しくない素人だしね。
思ってない。
一方で自分は、「ローグライク・ローグライト」といったジャンルを示す言葉の使われ方やその定義がどんどん広がっていく現状に対して批判的な風潮に
「えー、めんどくさいなー、ジャンルの定義なんて時代によって移り変わってくからなんとなくでよくねー?」と思ってた人間なんだよね。
だから今回のhack andslashの定義の話についても、定義を厳密に定めようとする方向に反対する方に自分にバイアスは最初からかかってたとは思う。そこはちゃんと言っておかないとフェアじゃないよな、と。
今回あったように、ゲームに限らず様々なジャンルは明確な定義が定まることは稀で、複数の定義が乱立したり、定義が時代や場所によって変わっていったりする。
自分は厳密な定義に興味はない。今回は元記事が「歴史的な定義」と書いているから結果的にそういう話になっただけ。定義が変わっていっても歴史は変わらない。
以下は元記事の著者のブログからの引用。https://jzunkodj4y.livedoor.blog/archives/52823458.html
この文章を通して、RPGにおける「ハックアンドスラッシュ」の正確な定義や、
このように、元記事の著者が「正確な定義」の話をしようとしている。
でも定義を厳密に定めようとする人はその立場上、自らの言説に対しても厳密さを求められる。
その前提で見ると増田の言葉遣いは迂闊な所が散見されるのではないかなーと思うよ。
「全然違うよ!」であったり、「本来の」を不用意に使ってしまったり、「誤っている」(それはどのような意味において?)であったり、全体的に断定が多かったり。
「厳密さ」を自らにも求めるなら、もっと自らの言説を疑ったり、断定を避けて「かもしれない」「と思う」等の表現をしたり、分からないことは分からないと言っておくことが苦にならないような人の方が向いてるとは思う。
で、何が言いたいかっていうと、厳密さを人に求めず、自分にも求められないほうがずっと楽だぜー。こっちの水は甘いよ。定義の厳密性はある程度にしておいて、こっちに来ない?楽だしたのしいよ?って事。
回答ありがとう!
「アクションゲームにおける用法は問題にしてない」というのは驚いた、そうだったのか。
英語版のwikipediaを見た所、アクションの方の話が詳細で(逆にRPGに関する記述は驚くほどあっさりしか無かった)日本語版と英語版の差異が元増田の言いたいところだと思っていたので、
「アクションの定義の方が正統なんだ」という事が言いたいのかな、と想像してた。(アクションなら経験値システムがないものも割と有るし、戦闘による報酬を重視しないという主張にもつながるので)
増田の言う事もわかる。実際英語版のwikipediaで報酬に関する記述は見当たらなかった(・・・個人的には、そもそも全体の記述が少なすぎて、特にRPGにおける記載量が少なすぎて、そもそも必要な話も書かれてないだけでは、という疑いも残るが・・・・)
一方で例えば「論証」と言えるほどちゃんと根拠が示されているかというと、難しいなと思う。
ゲームに限らずジャンルの定義というのは明確に定まらないことが一般的だし、英語圏においても、増田の言う定義と記事の定義が並立している可能性は有り、その可能性を否定する論拠は並べられていないなー、と。(増田の定義が英語圏に存在する論拠は十分に並べられていると思う)
「報酬を含まない」事を示す、というのは、まぁそもそも難しいよなと思うので、自分でも結構無茶な要求である事も分かるんだけど・・・。
と、そんな事ばかり言っていても仕方ないので、「hack andslash definition」でググってみた。
冒頭の「AI による概要」では「特に、戦闘をメインとし、敵を倒してキャラクターを成長させたり、より強力なアイテムを入手したりする要素が特徴です。」という記述があったが、日本での定義に影響された可能性がある、無視しよう。
で、日本語のページや既に挙げられているwikipediaは無視して、4番目に出てきたのが以下のページだ。(環境により検索結果は異なるかのしれないが)
https://writing-games.com/text-game-terms/h-and-s-definition-hack-and-slash-examples/
Inhack-and-slash games,strategy andstorymaytake a backseat to theaction and excitement of defeating opponents and collecting loot.
(google翻訳:ハックアンドスラッシュゲームでは、対戦相手を倒して戦利品を集めるアクションと興奮に比べると、戦略やストーリーは二の次になることがあります。)
mainly around defeating enemiesand acquiring loot, compared tomorestory-driven orstrategy-orientedRPGs.
(google翻訳:ストーリー重視や戦略重視のRPG と比べると、主に敵を倒して戦利品を獲得することに重点が置かれています。)
……うーん。
あとはこのページもでてきた(なんか開くと広告を見せられた、こんなページ貼ってごめん)
https://3dvf.com/en/glossary/hack-and-slash/#goog_rewarded
A video game genre focusedon fast-paced, dynamic combat against numerous enemies, emphasizingaction and gear improvement. Example:Diablo.
(google翻訳:多数の敵と対戦するハイテンポでダイナミックな戦闘を特徴とし、アクションと装備の強化を重視したビデオゲームのジャンル。例:ディアブロ。)
んー……どっちだ。微妙……。
とはいえ、これらのページの定義がそもそも(記事とおなじように)歴史を誤認したり、間違っている可能性は有る。
実際、最初のページはアクションとRPGのhack andslashを混同しているようにも読めるので、信頼に置けないページだ、と増田が判断する可能性も十分に有ると思う。
ただ、増田の主張がもし「(誤ったものも含め)英語圏の定義に報酬は含まれない」だとするなら、その反例が見つかった、という事になるかもしれない。そのあたりは増田がどういう主張を選びたいか次第かなと思う。
ジャンルの定義を決める共通的な正当なプロセスが無い以上、「定義」を決める手続きはピタッと決まらず、
複数ある定義の正当性を比較するようなメタ的な審級もなかなか完全に正しいものが存在しにくい。(まさかwikipediaこそが正統というのも・・・ねぇ?)
増田の言いたいことも十分にわかる一方、現状の増田の主張は全体的に「言い過ぎ」かなー、とちょっと検索してみただけの素人的には思える。
と、ここまでで終わる予定だったんだけど、んー、ちょっとフェアじゃないかもしれないので一応書いておこう。
まず増田は例えば私が例の記事の記者の自演なんじゃないか、等思ってる可能性は有ると思うので、それは違うとは書いておく、私は増田や記事の人と違ってゲームに詳しくない素人だしね。
一方で自分は、「ローグライク・ローグライト」といったジャンルを示す言葉の使われ方やその定義がどんどん広がっていく現状に対して批判的な風潮に
「えー、めんどくさいなー、ジャンルの定義なんて時代によって移り変わってくからなんとなくでよくねー?」と思ってた人間なんだよね。
だから今回のhack andslashの定義の話についても、定義を厳密に定めようとする方向に反対する方に自分にバイアスは最初からかかってたとは思う。そこはちゃんと言っておかないとフェアじゃないよな、と。
今回あったように、ゲームに限らず様々なジャンルは明確な定義が定まることは稀で、複数の定義が乱立したり、定義が時代や場所によって変わっていったりする。
増田は(自分の想像では)そういう風潮に反対するタイプの人なのかなー、と思うけど
でも定義を厳密に定めようとする人はその立場上、自らの言説に対しても厳密さを求められる。
その前提で見ると増田の言葉遣いは迂闊な所が散見されるのではないかなーと思うよ。
「全然違うよ!」であったり、「本来の」を不用意に使ってしまったり、「誤っている」(それはどのような意味において?)であったり、全体的に断定が多かったり。
「厳密さ」を自らにも求めるなら、もっと自らの言説を疑ったり、断定を避けて「かもしれない」「と思う」等の表現をしたり、分からないことは分からないと言っておくことが苦にならないような人の方が向いてるとは思う。
で、何が言いたいかっていうと、厳密さを人に求めず、自分にも求められないほうがずっと楽だぜー。こっちの水は甘いよー、と。
定義の厳密性はある程度にしておいて、こっちに来ない?楽だしたのしいよ?って事が言いたい。まぁやっぱり嫌かもしれないけど・・・。
個人的に気になった回答を、個別に取り上げています。規制に慎重な回答や、逆に積極的な回答を網羅したものではなく、あくまで何か言及したくなった回答をピックアップしているだけです。
引用元:2025年東京都議会議員選挙候補者に向けて実施した表現の自由についてのアンケート結果
設問(1):
B. 現状のままでよい・わからない
設問(1)の理由:
最低限のルールは必要だが、ルールをむやみに増やすのではなく、枠からはみ出たものに対してはマナーによる自浄を促すべき。
設問(3):
好きなアニメという質問と少しずれますが大学生の時アルバイトで「ザンボット3」のおもちゃを売っていました。いまは事務所スタッフの影響で、にわかですがガンダムを見ています。GQuuuuuuXは本当に12話でおわるのでしょうか。
補足:
コミックマーケットの度に送っていただいている「アフターレポート」を拝見して運営の皆さんをはじめ本当に多くの方が表現の自由を守るために様々な取り組みをされているのを理解しております。むやみに条例を増やし縛るのではなく「ルールよりマナー」の精神を重視して魅力的なコンテンツをもっと生み出せる社会にしたほうが良いと考えています。
終わるんですかね……。
設問(1):
設問(1)の理由:
「表現の自由」のもと、主に女性や子どもに対する性的、暴力的な表現をすることが肯定されている状況があってはならない。
設問(2):
立憲民主党は設問1でC、設問2でEを選んだ候補が1名いたのですが、この方でした。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
不健全図書から8条指定図書へ名称変更したものの、指定されると通販サイト等でも販売できなくなる可能性が高い課題は残る。指定のプロセスについても改めて見直し、審議会の透明性を高めることが必要だと考える。
設問(2):
補足:
Q2:8条図書に指定されることで民間での取引が自主規制されているケースもあることから、指定する側はより慎重に対応し、民間は過度な自主規制を行わないようにする、相互に配慮しあう関係を構築すべき。
問題を良く理解されている回答だと思います。ちなみに「表現の自由を守るための約束」の賛同者です。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
図書の規制は一定の機能されているが、規制基準の明確化や手続きの透明化を図るべき
設問(2):
補足:
中学で実家の会社が経営破綻となり、そこからの趣味は漫画とアニメばかりになりました。
格闘ゲーム鉄拳では大会にも参加し、オフ会での友人などは今でも付き合いがあります。都議候補の中では一番アニメやゲームへの愛情があると自負しています!
さらっと重い身の上話をされています。アニメやゲームが好きでも規制に肯定的な人は掃いて捨てるほどいるし、と思ってしまいますが、この候補は回答を見る限りでは、規制には慎重な立場のようです。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
都議会立憲民主党が主導し、私もPT事務局長として、不健全の名称変更に取り組んで実現させましたが、恣意的な指定のおそれは残っており、まだ見直す余地があると考えます。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
現状に沿っていない制度である。該当図書をコンビニ等で簡単に買うことが難しくなり(陳列すらされていない)、専門書店に行かなければ買えなくなって来た現状でこの制度自体がどこまで必要なのか。
都議選の候補では、最も有名な「表現規制反対派」かもしれません。「表現の自由を守るための約束」の賛同者です。
「該当図書」が表示図書を指しているなら、成人向け書籍は基本的に指定の対象外なので、そこはちょっと意味が掴めませんでした。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
現在の規制には科学的根拠がなく、十分な検証も行われていないまま形骸化しています。このような機能していない制度は、速やかに廃止すべき。
設問(2):
補足:
今回維新の会としては公約に以下を掲げており、将来的な審議会の廃止を求めて参ります。 ①今の機能不全の8条図書指定制度の見直しを進め、審議会の公正性と透明性を高めるため、発行責任者が意見を表明できる仕組みを導入するとともに、実効性の検証を行う。 ②将来的には、行政が表現の自由を審査する仕組みを見直し、青少年健全育成審議会の廃止を視野に入れつつ、将来的には業界の自主規制に任せる為の議論を先導する
「8条指定図書」への名称変更で活動された候補で、「表現の自由を守るための約束」の賛同者です。
現行制度の廃止まで言及される方はあまりいないです。科学的根拠に基づいていない規制という点には同意します。
設問(1):
A.安易な図書指定がなされないように条例と運用を見直すべきだ
設問(1)の理由:
図書類の指定基準が明確でなく、審議会の公開も課題となっていると考える。制度の効果検証が必要。長年の活動により8条指定図書への名称変更が行われた事を評価。大人が図書類を購入できなくなる現状は改善すべき
「8条指定図書」への名称変更で活動された候補で、「表現の自由を守るための約束」の賛同者です。この方も大田区ということで、悩ましいですね。ちなみに大田区の定数は7です。
設問(1):
設問(1)の理由:
仮想現実と現実の区別が付かず、その為に現実の社会で痛まし事件が発生している事態を放置すべきではないから
設問(2):
いわゆる「図書類」にはゲームソフト等も含むとはいえ、指定のほとんどは書籍です。雑誌や漫画は仮想現実なのでしょうか。ゲームも積極的に指定せよという考え?
私また再び肩パワー首パワー王に肩パワーと首パワーを授かってきたわよ。
肩パワー首パワー王っていってるけど、
なんだか2人に聞こえちゃってるかもしれないけれど
傷みが100ぐらいだったのが
こんなに劇的に首パワーと肩パワーの異常ステータス異常が消えるものかしら!?って思うの。
まあ夕方ぐらいになってきてくたびれてきて肩や首が重たーくなるかも知れないけれど、
とりあえず今のところ絶の好の超よ。
先生にこんなことなら早くもっと早くに来院しておけばよかったわ!って
飛び込み前転をしながらそう言ったのよね。
衝撃的にこんなに変わるかしら?
また調子に乗っていたらどえらいしっぺ返しを喰らいそうなので
そこはちゃんと湿布は使い切るまで貼っていようかしら?ってそう思うのよね。
これは貴重な湿布なのでしっぷしっぷしたい時にまた貼れるから貴重に取って保存しておこうかしらって
今回の件で何となく分かったのは、
まあ今回はタブレットを悪い姿勢でやってたかも案件濃厚濃い味説濃厚だったので、
タブレットそうね特にNIKKEプレイするときは充分に気を付けないといけないわ。
そんでたまーに3か月にのペースの配分のペースで
整骨院に行って
首パワー肩パワー王に私の肩や首が痛くなる前にメンテナンスしてもらった方がいいかもしれない!ってそう思って心に誓いたいなって思ったの。
でも何回も言っちゃうけど、
こんなにも変わる変化があるのかしら?って率直に思っちゃう。
やっぱり首を慎重に引っ張ってケアするメンテナンスって超大事なのかも知れないわ。
前々から気付いていたけれど、
もう平気よ!って高を括っていたので油断したら今回みたいにまたこうなっちゃったので、
だからみんなも気を付けて欲しいのよね。
あとさ、
気持ちが高まってそう余計に良く思っちゃってるからそう思うのかもしれないけれど、
身体の深部にも届いているような気がして、
これ効いてんの?って半信半疑で使っていたけれど、
違いがあるのかしらね?
きっと整骨院に来ている私の高まったションテンがそうさせて思い込んじゃってるのかもしれないプラシーボ的なのかも知れないけれど、
そう疑ってかかっても、
効いているような気が強まって思うからやっぱり効いているんだわって思うのよね。
そういうことにしておくわ。
だから
腰パワーももちろんだけど、
今回の首パワーに肩パワーは貴重にして温存させないといけないわ。
そして消耗しきる前に
しっかりぐっすり寝たいものよね。
うふふ。
なんか朝にお粥的なものを食べるのって丁寧な暮らしをしている感じがするのは気のせいじゃないかもしれないわ。
出汁の旨味を全部吸っているユーカーのお粥って最高美味しいわよね!
飲みきってしまって朝。
夜今夜ぐらいにまた次のを作ろうかしらってところ。
水出しルイボスティーウォーラーか水出し緑茶ウォーラーかにするかは考える蟹よ。
昼間とかはすっかり暑くなってきそうなので、
そりゃー暑いわよね。
水分補給もしっかりよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
AIがしゃべってて各ファイル6分ぐらいによくまとまってるの。
私は率直に凄いなって思っちゃったわ。
そんで自分で書いてることを読み込ませてAIに話させてるから私にとってはジワジワくる内容で聴けて何度も何度も聴き返しちゃってるわ!
元ツイ
https://x.com/game_mai/status/1920093971637830020
<script asyncsrc="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>ねぇ、なんで土地と家買って消費税もとられて毎年税金とられなきゃならないの?
理解できない
車の税金ってまじでなんなの?
なんで毎年払うの?
車も消費税はらったでしょう
理解できない—ツノッチ (@game_mai)May 7, 2025
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まあ、ツノッチの気持ち、めっちゃ分かるよ。税金ってほんと納得いかないこと多いよね。俺なりに説明してみるけど、腹立つ気持ちは変わらないかもな(笑)。
まず、土地と家の話。消費税がかかるのは、新しい建物(家とか)を買ったときだけなんだよ。土地には消費税かからないってルールになってる。なんでかって?土地は「消費」するものじゃないって考え方らしい。建物は使えば劣化するから「消費」って扱いで10%取られる。でもさ、古い家や中古物件なら消費税かからない場合もあるから、そこはちょっとラッキーかも。
で、毎年払う固定資産税ってのは、簡単に言うと「持ってるだけで払え」って税金。土地や建物を持ってるってだけで、市町村が「インフラ整備とか公共サービスのために金出せ」って請求してくるわけ。俺も思うけど、買うときに消費税払ってるのに、なんで毎年払うんだよって感じだよね。しかも、固定資産税って評価額に基づいてるから、場所によってはバカ高くなることもあるし。
車の税金も似たようなもん。自動車税ってのは、車を持ってること自体にかかる税金で、排気量とかで金額変わる。毎年払う理由?道路の整備とか環境対策とか、行政が「車使うならその分払え」って理屈だよ。でもさ、消費税払って、ガソリン税も払って、さらに自動車税って、車持つだけで税金地獄じゃんって思うのは当然だよね。俺も車持ってるけど、毎年払うたびに「ふざけんな」って思うもん。
結局、税金ってのは国や自治体が「俺らのサービス使ってるだろ? 払えよ」って仕組みなんだけど、ダブルでトリプルで取られてる感が強すぎるよね。納得いかない気持ち、俺も一緒だよ。なんか、税金取る側が「どうせ払うしかないだろ」って態度に見えるし。ツノッチ、俺も同じ気持ちだから、なんか腹立つことあったらまた聞いてくれ!(笑)
以下、ネタバレあり注意。
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「そう来るか!」っていう衝撃じゃなくて、「え、それやっちゃうんだ?」って思ってしまった。
謎解きは全体的に簡単めで、選択肢が少ないので容易に突破できてしまう。
そのせいで途中から会話流し読みになってて、伏線とか見落としてた可能性はあるけど、それにしても展開が急すぎる。
5話までにそんな匂わせあったか?って感じ。
エピローグもその時点で気持ちが冷めてて、あんまりちゃんと読んでいない。
最終話でセンター長が管理人を解体するところ、あそこで主人公が自分でやってくれたらアツかったのにな~って思ってたら、
そのあとちゃんと「主人公の解体」までやってて、そこはちょっと熱かった。少年漫画っぽくて好き。
自分も漫画描く側だから「自分だったらどうするかな」って遊び終わってから考えたけど、
センター長=管理人のとこで終わってた方が納得できたし綺麗だった気がする。
まあ、感想見てると評価高いし、多重人格オチが苦手な自分が少数派なんだと思う。
このゲームは推理難易度低めで、 なんならボタン連打でクリアできてしまうので、推理ゲーとしても評価できない。
ただ、公式アカ見てたら「ゲーム苦手な人でもクリアできる」ってのが推しポイントっぽいので、難易度の低さは意図的なんだろうけど。
でもSNSの民度の再現性はすばらしかった!SNS捜査で普通に嫌な気持ちになった!!(褒めてる)
そこまで主人公含めた登場キャラクター達に感情移入できてなかったので、キャラを好きになれてたら楽しかったかもな〜。
オブラディン号の推理難易度とゲーム性が本当に楽しかったので、
一つは泣かせちゃったエガちゃん。
一つは泣いた永野芽郁。
エガちゃんは視聴者からは不快だったかもしれないが、彼は自分の芸風にしたがった仕事をしたと思う。
そして、番組が終わった後、自分のYoutubeのチャンネルで謝罪し、台本ではなかった、自分の判断でやった、自分が悪いと述べている。
この点については評価できる。
泣いてしまったのを可哀想とか同情、共感している視聴者もいるようだ。
そこは否定しない。
番宣だったのかもしれないが、あまりにも反応が素人すぎるように感じる。
テレビに出る人間としての振る舞いがあまりできてないように見える。
感謝祭のスタッフやプロデューサーの視点ではエガちゃんはやりすぎたかもしれないし、そこはちょっとダメだなとか古いなとかコンプライアンスどうなんだろうとは思う。
もしかしたらエガちゃんを呼ぶべきではなかったのかもしれない。
彼女の反応はあまりにも素人すぎるし、テレビに出る人間の切り抜け方や覚悟ではなかった印象だ。
厳しすぎるのだろうか?
少なくとも番組のスタッフとして彼女をバラエティの番組で呼ぼうと思う人はいなくなったのではないか。
女優として演技はできるかもしれないが、ドラマ以外の番組では出れない出せない向いてないんじゃないかという見方になる。
だから、この事件に関しては、永野芽郁が一番損したように見える。番組に対して臨機応変に対応できない切り抜けられないというのを多方面に見せてしまった。そういう事件だったのではないか。
事務所も苦労しそうではある。