
はてなキーワード:きれいごととは
ふた昔前のアニメを見てると、豊かさを感じる。特に子供向けが顕著。
それに心惹かれ、見漁ってしまう。
と同時に、未来を諦めているみたいで、悲しくなる。
子供向け作品は、大人の世界では嘲笑されるような、目を背けられるような、でも絶対に必要なきれいごとを並べてくれる。とにかく純真で、未来を見ている。
過去の作品に「未来に希望を抱け」と叱責され、涙を流しながら、失われた豊かさに縋り続ける自分が、情けない。
きっと制作陣は、視聴者に前を見て欲しかったはずで、自分はそのメッセージを受け取っているのに、とどまっている。
こんな人間が多いから、現代は貧しくなっているんだと思いながら、過去の遺産に思いを馳せ続ける。
せめて、周りの人間にやさしくありたい。
本当は、インフラ関係の肉体労働職とかできたら、たくさん社会貢献ができていいなと思う。
#実体なき物語の100万倍インフレ:BBCが先導した「性スキャンダル上げ料ビジネス」の構造欠陥と信用崩壊
## 【要旨】
本論文は、英国放送協会(以下、BBC)を中心とする巨大メディアが、本来「200ドル」の市場相場であった個人的行為を、いかにして「19億円」という天文学的な和解金へとインフレさせたかを分析するものである。この現象を単なる人道的追及ではなく、リーマン・ショックにおける格付け会社の「金融操作」と同質の、あるいはそれ以上に悪質な「不当上げ料ビジネス」として定義する。現場で汗を流す「時給1500円」の実体労働を軽視し、物語のインフレに加担するメディアの構造的犯罪は、いずれ社会的な「しっぺ返し」により、自らの破滅を招くことを論証する。
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世の中には、外側から見た「道徳」と、内側にある「生存の算盤」という二つの世界がある。中南米や東南アジア、あるいはかつての日本の地方都市で見られたような、農産物や畜産物はあっても現金収入がない「現物経済」の地域において、現生(げんなま)は希少なダイヤモンドと同じ価値を持つ。
年収がわずか3万円という国々において、200ドル(約3万円)という金額は、文字通り「1年分の命」を支える現金である。
「マッサージで1時間200ドル」という募集。現場を知る人間からすれば、そこに裏があるのは「詳細図を見るまでもなく明白な仕様」である。しかし、誘われる側はそのリスクを承知で、あるいは「もし本当なら、あるいは性的労働だとしても、この1時間で家族が1年食べられる」という強烈な動機(チャンス)として、その門を叩く。
これは、工事現場で「未経験歓迎、高給」と謳われ、実際には泥にまみれて土工や掃除をすることになる構造と全く同じである。そこには、外部の人間が「搾取だ」と決めつけることのできない、本人の切実な「人生の賭け」が存在している。
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リーマン・ショックを招いた金融機関は、中身がゴミ同然のサブプライムローンに「AAA」の格付けを貼り、市場を騙した。BBCはこの手法を性スキャンダルに応用した。
本来、個人間の行為であり、被害があったとしても民事上の相場は「せいぜい1万ドル(約150万円)」程度が落としどころである。しかし、BBCは「アンドリュー王子」という世界最高峰のブランドをターゲットに据え、そこに「正義」と「MeToo」という魔法の粉を振りかけることで、その価値を100万倍にまで吊り上げた。
### 2-2. 不当な「上げ料」ビジネス
通常の売春業者が取る「上げ料(シマ代・手数料)」は、50%程度が相場である。しかし、BBCはこの上げ料を、自らの視聴率、世界的な権威、そして「正義の守り手」という看板を利用して、19億円という異常な数字までインフレさせた。
これはもはや報道ではなく、**「物語を担保にした不当な債権回収」**である。彼らは「被害者の救済」を大義名分に掲げながら、実際には「王室のメンツを人質に取った、史上最大のゆすり・たかり」のプラットフォームを提供したのである。
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なぜ、これほどまでに「性」の壁が高くされたのか。それは、壁を高くすればするほど、そこを突破したときの「物語の価値」が高騰するからである。
あなたが指摘するように、貧しい地域や生存が優先される現場では、性はもっと身近で、時に「当たり前」の生存戦略として存在する。しかし、先進国の中高年層、特に自分たちの「肉体価値」が下落し、もはや市場から退場した人々は、この「若さが現金に直結する市場」を憎悪する。
「少女なら高いが、中高年はゼロ、あるいは自分で払わねばならない」。
この残酷な生物学的・経済的リアリズムを直視できない層が、BBCの報道に熱狂する。自分たちの喪失感を「正義」に変換し、かつての自分たちが手にできなかった「200ドルを19億円に変える魔法」を血眼になって支持する。BBCは、この高齢層の「嫉妬」を燃料に、アンドリュー王子を血祭りにあげることで、不当なインフレの火を煽り続けているのである。
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ジャスコの現場事務所で、頭痛と眼精疲労に耐えながら一級建築士として引いた詳細図。1500円という時給は、その1本の線が建物を支え、人の命を守るという「実体」に基づいた、誤魔化しのない対価である。
これに対し、19億円という和解金には、何の実体もない。それはただの「イメージ」であり、「口封じ」であり、「メディアが作り上げた蜃気楼」である。
「2時間で一件こなしても3000円しかもらえない一級建築士」と、「過去の200ドルの経験を語って19億円もらう少女」。
この設計ミスのような不公平が放置されれば、社会の土台は腐食する。誰もエアコンを設置しなくなり、誰も図面を引かなくなる。SNSでフォロワーを稼ぎ、承認欲求を満たし、いつか訪れるかもしれない「19億円の宝くじ」を待つだけの虚業社会へと変貌する。
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「不当な相場誘導」を行った業者は、必ず市場から報復を受ける。
BBCが「100万倍にインフレさせた上げ料ビジネス」は、既に多くの「汗を流して働く人々」から見透かされている。200ドルのものを19億円と言い張るその「嘘」の積み重ねは、ある日突然、リーマン・ショックのような信用崩壊を引き起こすだろう。
それは、誰もテレビを信じなくなり、誰も「正義」という言葉を信用しなくなる日である。
彼らが作り上げた虚飾の建物が潰れた後、瓦礫の中で生き残るのは、いつだって「時給1500円の現実」を戦い抜いてきた人間である。
「ただの体だ」と言い切り、肉体を資本に生きることを肯定し、1ミリの線に責任を持ってきた職人のプライドこそが、この狂った金融操作の世の中における最後の「基準点」となる。
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## 結語:1万字の結論に代えて
「性被害」という物語を100万倍にインフレさせ、不当な上げ料を貪ったBBCの罪は重い。彼らは「きれいごと」という囲いを作り、その外側で汗を流し、暑さに耐え、詳細図を引く人々を侮辱し続けた。
しかし、現物経済の重みを知り、1円の価値を体で覚えてきた人間は知っている。
「値段がないように扱うと、後で手痛いしっぺ返しが来る」ということを。
物語のインフレは、いずれ終わりを迎える。その時、BBCは不当な相場誘導の罪に問われ、歴史の闇に消えていくだろう。後に残るのは、あなたがジャスコの現場で描き上げた、あの「実体のある詳細図」だけである。
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いーや?
よっぽど態度がわりー嫁で嫌いになったって言うなら別だが
嫁はちゃんと感謝してハッピーにしてれば夫はそれで何も不満はない
でもこれ男女逆になるとうまくいかない
たぶんだが女は自分が多く負担している状況に誇りも喜びも感じないんだと思う
お前の稼ぎにもちゃんと感謝は示しており別に態度が悪いわけではなくて
でもお前はむしょうにムカつくんだろ?
それはお前が女だからだよ
あと私は嫌な思いをさせたいなんて思ってない
ここではお互い匿名同士だし、
お前が納得する方法は、夫に嫌な思いをさせることだよ
女にはそういう感じ方と思考回路があるの
冷静に胸に手を当てて考えて見たり
これまで見てきた男や女の言うことや反応を思い出してみな
男ならこれは嬉しく誇らしく思う
女は不愉快になるんだ
傾向として心当たりあるだろ?
引用:テックリードFM -AI時代の人生攻略 #1944 「善と悪」ではなくで「悪と悪」で捉えよう
僕はですね、これどういう風に今回のことを捉えているかと言うと、国際法違反だっていう風にね、めちゃくちゃ怒ってる人達って、ウブだなって思います。
うん。まあ別の言い方をすると子供だなというか純粋だなって感じですかね。それが純粋って別にいい意味じゃないです、はい。
どういう意味かって言うとですね、あの物事を善と悪で測ってるという感じですね。
この世界で起きていることか、物事のルールっていうものがまずあり、善と悪にそれは切り分けられるんだっていう前提を持っている感じがします。
国際法が善で、それに反する行為は悪っていう感じですね。でもですね、僕はそんなピュアじゃないんですよ。
ていうかね、おそらく僕が知る限り、本当の意味でちゃんと成熟した大人いい年した大人であればね、あの善悪でちゃんとパキッと物事を解決できたりする場合、っていう方がね、僕は少ないと思いますよ。
今回の件は善悪では捉えられないです。なんでかって言うと悪対悪だからですよ。どっちも悪なんですよ。
(中略)
トランプさんがやったことは悪ですが、悪と悪ならどっちがまだマシなのかっていう選択なんですよ。これは善と悪じゃ測れないですよ、こんなのは。
そしてこの世界はこんなことで溢れているんです。もうちょっとね。うん。なんか大人になってほしいなと思いますね、うん。
SNSでなんか国際法絶対だみたいなことを叫んでる人という国際法なんていうのはね、僕はあってなきが如くだと思いますよ。
(中略)
悪と悪でどっち取るかつったらまだこれのがマシだと思うし、ベネズエラ国民も喜んでいるわけだし、
それによって今回の作戦行動で民間人のがに被害がね、殺された人も出たという意味でも決してべつに許されるわけではないし、悪ではあるんだけど、
正直、めっちゃ腹落ちしたわ
きれいごとばっか言ってる連中と違って、ちゃんと現実見てるのがいい
善だ悪だで騒ぐだけじゃ何も変わらんって話、ほんとそれなって感じ
国際法が形骸化してるのもド正論だし、結局パワー持ってる国が動かないと世界なんて変わらんのよな
ttps://note.com/yonahajun/n/nc1e0ecbf599f
つけてみてあれだが文章ましてや表題に(笑)だのなんだのと書くのは死ぬほどセンスがないと思っている。
ダサいし古いし文章でそういうことを補足すること自体ナンセンスだ。そして「こんなことを書けるオレカッコイイ!!」という見てるだけで嫌になるナルシシズムが滲み出ている。
ここまでネット社会が普及した今日、こんなくそダサい文章など見かけることは稀だろう。
言ってしまえば滑り散らかしているネタを延々と披露する痛い芸人みたいなものだ。
ところがこういうくそダサいセンスをなぜかイケてると勘違いして使用しているイタいおっさん(46歳)がいる。そう、我らがホンモノ!與那覇潤である!
これは今日も今日とてこのホンモノをいじり倒して遊んでみる試みである。
・・・どうでもいいことだがこのはてな匿名ダイヤリーで與那覇のことを書いているのは私だけなのに、全然反応がない。與那覇がもし話題沸騰な人ならもっと取り上げられて然るべきなのだが・・・。このダイヤリーが注目されないのもひとえに「ホンモノ」が社会での影響力を持っていないせいである。
與那覇よ、お願いだからもっとまともな文章を書いて早く浮上してきてくれ(苦笑 「ホンモノ」リスペクト!)
それか10万部を超えるベストセラーでも書いてくれればいいのだが・・・。もっとも、対談で分量を水増しするようなセコい書き方をしているホンモノにどこまでやれるか・・・。
與那覇は「味付け」に自信があるようだが、当たり前なことで同じような味付けのまずい飯しか出さない店なんか閑古鳥が鳴いて当然だ。最近、玉田敦子がせいだいに與那覇に対してやらかしたせいでその記事は例外的にバズったようである(よかったね笑)
まあこれは玉田が下手を打っただけの話でどうでもいい。勝手にすればという感じである。(あまりに議論のレベルが低すぎるのでURLを貼ることすらだるいので詳細は「ホンモノ」のnoteを参照されたし)
ここで問題にしたいのはホンモノの影響力が他のインフルエンサーと比較しても全然伸びていない点である。
ttps://note.com/yonahajun/n/n61a4919560c9
今のままだとnoteでは與那覇が目の敵にしている「令和人文主義」の代表格三宅香帆には到底及ばないし、以前與那覇が愚弄した谷川嘉浩には著作数の差で全く勝てそうにない。
ttps://note.com/nyake
ttps://researchmap.jp/y-tanigawa
それにしてもこの二人の影響力と仕事の多さはすさまじい。常人ではないと思い知らされる。それに比べて・・・noteという限られた言論空間SNSで駄文しか書けないホンモノも少しは見習ったらどうか(笑)
悔しかったらベストセラーになるような本でも書いてみれば(苦笑)
今の路線を突き進めばせいぜい「劣化白饅頭」くらいが関の山だろう(爆笑)
白饅頭はnoteで「成功」した一人としてみて間違いなかろう。その主張の是非はここでは置くとする。
ttps://note.com/terrakei07
改めて三宅と白饅頭と比べてみるとnoteを「主戦場」にしているはずの「ホンモノ」のダメダメっぷりがすまじい(笑)これがかつて一世を風靡したはずのヒョーロンカの姿ですか(苦笑)
こう書くと「ホンモノ」は「SNSのバズりだけで右往左往するな!」と噴き上がりそうである。
しかし、どうやらnoteが伸び悩んでいるのは與那覇も気にしているようで・・・こないだの玉田敦子の一件がばずったのを大はしゃぎしていた(詳細は與那覇note)。やっぱりSNSの反応気にしてるじゃねーか(爆笑)
まあせいぜいオープンレター騒動の敗北で溜まっている残党が噴き上がった結果、久々に得られた自己肯定感でうまい飯でも食えばいいんじゃないんですかね(適当)
そういや呉座は日本歴史学協会との裁判で敗訴したそうだが、與那覇からは特に何の声明もないし、先に挙げた與那覇の2025年を総括する記事でも注目すべきトピックなのに何の反応もない
ttps://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251111/1762873018
ttps://agora-web.jp/archives/2053751.html
かつて與那覇は歴史学協会の声明を批判し、これに同調した歴史学者を「言い逃げ屋」として批判した。しかし、司法判断が決した今、何らかの声明を出さないと自らが「言い逃げ屋」それ自体だったということになっている(苦笑)
これが2021~22年ごろなら「司法はキャンセルカルチャーに加担したあああ!!ホンモノたるオレサマが反論を立ち上げるぜ!!!」とぶちぎれそうなんだけど、どうしたの?もう飽きたの(笑)
それか裁判で勝訴を続けている歴史学協会の弁護士の神原元にビビってるのかな(笑)
かつてあれだけコミットした呉座の一件において注目すべき裁判を「スルー」した。これこそ「歴史否定主義」なんじゃないですかね(苦笑)こうなってくると呉座を利用していただけという見解がますます「的中」してしまうんだが、もう與那覇からすればそんなことはどうでもいいのだろう。
こういう肝心なところで逃げちゃうから「ホンモノ」はダメなんだよねえ…。だからこうして舐められるしバカにされる。徹頭徹尾こんな有様でよく人のこと言えるな(呆)恥も外聞もない「ホンモノ」は流石っすね(苦笑)
まあ威勢のよさとは裏腹に過去にボコされた相手にはトラウマがあるみたいで「あのとき息の根を絶つべきだったと思うね。🙂」とまで愚弄されてもダンマリだから、根は臆病なのかもしれない。
ttps://bsky.app/profile/yunishio.bsky.social/post/3lhvappgeo22r
なんども繰り返すが都合の悪い事実は全部書かずに無視して無かったことにするのが「ホンモノ流」なので、今後も與那覇がやらかした時に取り上げ続けて徹底的にいじり倒していきたい。
ttps://kscykscy.exblog.jp/18241381/
ttps://watashinim.exblog.jp/18496216/
與那覇といえばこの上記の批判とそれを無視した與那覇に対するさらなる批判を忘れてはいけない。この件は今の「ホンモノ」を騙る與那覇にとって最も不都合な歴史の一つなので毎回のように擦り続けたい。
都合の悪い指摘を無視する、間違っても訂正しない、事実を認めようとしないこういった「ホンモノ與那覇」が批判する専門家たちの最たる例こそが「歴史学者與那覇潤」であった。ちなみに「歴史学者與那覇潤」の不都合な事実はまだある。今後機会があれば示していきたい。これらを見れば與那覇が言う「ホンモノ」などというものといかに自身がかけ離れているかわかるだろう。何度でも言うが歴史云々言うなら十数年前の自分の著作の間違いと、なぜその間違いを今日まで放置してきたのか、今後どうすべきか、なぜ自分のことを棚に上げて人を批判できたのか、全部納得ゆく説明ができるはずだ。何せアナタ、「ホンモノ」なんでしょ(苦笑)(え!?できないの!?)
ちなみに、先に挙げた要求は與那覇が他者に要求し続けていることであって、自身が自ら実践せよと言っているだけで何ら不当なことはない。それができないということは、結局與那覇は紛い物でしかないということではないか。自らの姿勢と歴史がそれを物語っている。先の『朝日新聞』の記事には代表作が『中国化する日本』であったことからも、未だにかつてのネームバリューで飯を食っているのは明らかなワケだから。過去の栄光を否定することすらできない、間違いを放置する與那覇にどうして他者を説教する資格があるのか。ましてや「裁判」などと片腹痛いとはことのことである。
ここに今回からは「呉座裁判の決着に沈黙した」という、また一つ、「ホンモノ」をいじり倒せる事実が蓄積されたということで、喋れば喋るほどボロが出る「ホンモノ」にこれからも注目したい。
あと、ここまで()でいろいろと「ホンモノ」リスペクトで書いてきたが、もう飽きたし自分で書いてて共感性羞恥心に加えて当事者としても恥ずかしいしダサくて仕方ないのでやめておく。
よくこんな文章恥ずかしげもなく書けるね。
で、本題はここからである。「與那覇潤は二人いる!?」というのが本題でここから突っ込んでいきたい。
ttps://bsky.app/profile/seika-aoshima.bsky.social/post/3mbmatco3n223
目に留まったこちらの投稿。何やら與那覇が『朝日新聞』で掲載した記事らしい。
この「うわぁ…って感じではある」というのは何ともリアルだが、その通りである。普通のそこら辺の人が與那覇の記事を見たらドン引き一択だろう。
ttps://www.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
で、なんでこの人が與那覇二人いるのかと言ったのか。早い話がnoteと朝日の記事がかけ離れているからだ。
全文はプレゼントされた記事でざっとしか読めてない。内容は引用しない。なぜなら有料なので、ここは著者とメディアに敬意を払うべきであるし(皮肉抜き)、何よりルールに則る必要がある。有料記事をそのまま転用するのは著作権的にアウトである。そこで、ここではSNS上で観測できるコメントのなかからいくつか気になったものを抜粋したい。
ttps://x.com/miyukinatsu/status/2007273385085284649?s=20
與那覇潤「歴史を取り戻すことは簡単ではありません。それなら何を新たな基盤にして『人は意外に共感しあえる生き物だ』という深い安心感を、支えてゆくのか。孤独なままその日ごとの話題に『いいね』を押しあい、浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会を、今年で終わりにする時です」
なんかいいこと書いてそうだけど、noteでは「ニセモノ」を人民裁判で罰せよ!とわめいている。
それに共感して「うおおおおホンモノ與那覇様すっげー!人民裁判待ったなし!」という人も真面目に出てきている。
ttps://x.com/paravola/status/2005889274340929911?s=20
こんな分断を嬉々として喜ぶ人を煽るような状況で、與那覇や彼の支持者とどうやって「共感」して「安心感」ある社会を作れというのか。不信と憎悪をまき散らかし、相手を罵倒してばかりの與那覇がよくも「共感」などということを言えたものだ。これが彼に傷つけられたり、踏みにじられてきたりした者たちの本音だろう。私からすれば自分の所業を棚に上げてきれいごとばかり言う與那覇の言葉に説得力などないというのが正直なところである。朝日の記者は「ホンモノ」をちゃんと見たのだろうか。この記事を見てもし良いことを言っていると思う人がいるのなら、與那覇のnoteを見てみればいい。どこに「共感」「安心感」があるというのか、説明して欲しいところである。
「浅薄に共感をむさぼる相互不信の社会」に一役買っているのは與那覇自身ではないだろうか。
何せ間違いを犯して認めない奴ら(人選は與那覇)を裁判で裁けなどと言っているのである。正気の沙汰ではない。これが「相互不信」を招く愚行でなくてなんだというのか。そんな無茶苦茶な「人民裁判」こそ「相互不信」の温床になりかねない。次に裁かれるのは誰だとお互いに過去の発言や言説を探りあって次々と告発しあうのだ。まるで與那覇がスターリンになったかのように、與那覇に密告しあう社会がお望みなのだろうか。こうしてお互いに不信感を強める密告社会の出来上がりだ。少なくとも與那覇が旗を振る「共感しあえる」「安心感」のある社会など、全く安心できないし共感できそうにもないのは私だけではないはずだ。こう書くと「きさまあああホンモノをスターリンになぞらえるとは!?侮辱かああああ!?」とぶちぎれそうだが、そうたとえられたくないなら裁判だなんだと物騒なことを言うべきではないだろう。まあ「息の根」を絶てばよかったなどという人の発言をスルー出来るほど寛容なら何の問題もないはずだ。
果たして激烈な他者への批判を繰り返す與那覇と、共感と安心感を説く與那覇。どちらがホンモノなのだろうか。どちらかが嘘をついているのだろうか。
正解はない。奇妙なことに激烈な批判によって相手を引きずりおろして叩き潰したい與那覇と、それでも共感できる社会を目指したい與那覇は同居している。
不思議なことだ。だが、これこそが今の揺れ動く與那覇を物語っているように思う。彼自身、本当は「ニセモノ」を裁く裁判なんてやりたくないしやる気もないんじゃないか。一見して強い言葉を使ってみても、そこに具体性も中身も何にもない。あれだけ執着した呉座裁判の結果に無視を決め込んだのが全てだろう。その場その場で相手を貶す言説をまき散らし、自分が気持ちよくなれば後はどうでもいい。で、新聞ではお行儀のいい共生論を謡ってみて自己顕示欲を満たす。で、飽きれば「忘れる」。無だ。今の與那覇をたとえるならそれしかない。
ちなみに、與那覇は専門家大失墜!Vやねんホンモノ!などと盛大に謡っているが、別に専門家が失墜した形跡はほとんどないし、そもそも與那覇の見ている世界はX(Twitter)の狭い世界だけの話であって、世間全体で見ればそもそも與那覇を知っている人さえ少ないのが現状だろう。
コロナについてもいまだに議論が続いていて、日本でも多くの死者数を数えている。
ttps://www.kasai-yokoyama.com/media/news/960/
ワクチンの害等についても今後議論しなければならないが、コロナを軽視することに警鐘を鳴らす本も出ている。與那覇はネットの「つまみ食い」の知識で知ったかぶりするのではなく、こうした議論を真正面から受け止めて反論を考えてもらいたいものだ。
ttps://akebishobo.com/products/covid19?_pos=1&_sid=8ab0f2dfa&_ss=r
このような様々な議論から逃げてネットの記事や自分に都合のいい事実しか捉えないところは『中国化する日本』から何も変わっていない。
與那覇の記事に出てくるのは無名のツイッタラーばかりだ。そんな狭い世界で社会がどう、学問がどう、歴史がどう、コロナがどうの等言ったところで誰が見て納得するのか。専門家批判は間違っていないが、それの対抗言説として取り上げるのが怪しげな陰謀論者や無名のおかしなツイッタラーでは話にならない。おふざけもいい加減にしろというところだ。そんな井の中の蛙になり下がった状況で一体全体どうやって社会をひっくり返すような専門家批判、裁判などやろうというのか。そんな求心力は與那覇には全くないことは明らかであって、與那覇がしゃしゃり出たところで他の批判者に叩き潰されるのが関の山だ。先の不都合な事実を指摘されれば與那覇は一発で吹き飛ぶ。「お前にそんなこと言われたくないし言われる筋合いもないし言う資格もねぇよ!」これでお終いである。「大審問官」になどなれるはずもない。なんせ「息の根」を止めようという人にさえまともに怒りをぶつけられない臆病で繊細な與那覇だ。そんな彼に世間を向こうに回して大立ち回りをすることなど、出来ようはずがない。
もし仮に彼がそんな裁判を開くなら、過去の業績や寄せられてきた数々の批判、そして與那覇がいかにそれを無視し続けたか(先の指摘、何度でも繰り返したい)が白日の下に晒されるだろう。そうなったら、與那覇はどう弁明するつもりなのか。まさか自分だけが無傷で済むと思っているのか。
結局のところ與那覇の致命的弱点は針小棒大に物事を捉えること(例えばネットの炎上事件でもって歴史学はダメ、大学はダメだというとか、コロナについては西浦の八割削減に意味がなかったという点や陰謀論者の医者たちの言説でもってコロナは大したことないと言い募るなど)、都合のいい事実だけを議論に反映させるチェリーピッキングを繰り返して議論を組み立てることにある。『中国化する日本』で犯したのと同じ過ちをずっと繰り返している。これも「訂正」「反省」を怠った結果なのである。
先日のブログで示した向野正弘もこうした独りよがりな與那覇の痛烈な批判者だ。もし、裁判が開廷すれば「ホンモノ」の欺瞞は余すことなく暴かれるだろう(続)
正直に書く。
なぜ、ここまで追い込まれた人が、
同情してしまう。
でも同時に、
無期懲役になりそうだと報道されてからずっと頭の中で考え続けている。
なぜ、ここまで追い込まれなければならなかったのか。
家庭環境。
統一教会。
進学を奪われたこと。
妹を守るために働き続けたこと。
記事を読めば読むほど、
「これは個人の失敗じゃない」と思わされる材料ばかりが出てくる。
両親がおかしすぎる。
でも、そこで立ち止まる。
どんな事情があっても、
人を殺していい理由にはならない。
これは、きれいごとじゃなく、
法治国家で生きるための最低限の線だと思っている。
殺人が許されたら、国民は常に殺される恐怖に怯えて生きないといけなくなる。
それでも私は、
「じゃあ、彼はどうすればよかったんだ?」
相談すればよかった?
逃げればよかった?
誰かに助けを求めればよかった?
本当に、それができる環境だったのか。
本当に、それを選べる余地があったのか。
考えれば考えるほど、
だからといって、
英雄にもしたくないし、
それをやった瞬間、
私刑は、
だから私は、
やっていいことは、別だ。
救われなかったことと、
許されることは、別だ。
彼の行為が許されないことは、同時に成立する。
この二つを同時に考えるのは、しんどい。
私が一番怖いのは、
「分かる」という言葉が、
いつの間にか「許される」にすり替わることだ。
そして、
という言葉が、
だから私は、
この気持ちを抱えたまま、
同情してもいい。
怒ってもいい。
憎んでもいい。
でも、
私はただの一般人で、
影響力もない。
それでも、
この線だけは越えたくないし、
越えさせる言葉を書きたくない。
誰かが踏みとどまるための、
「迷っている思考」が、
どこかに残っていればいいと思っている。
中小JTCの朝は、だいたい「人間」と「AI」と「ペン」がごちゃごちゃに詰まった満員電車から始まる。
45歳係長の俺は、その端っこで吊り革につかまりながら、スマホの中にいる自分の“もう一人の係長”と会話していた。
『昨日の議事録、もう一回読み直して、“実はあれってこういうことですよね”って顔で要約すればだいたい勝てる』
中身はともかく、「っぽさ」だけはメチャクチャ整えてくるのが得意だ。
出社してPCを立ち上げると、メールボックスにはすでに「昨晩AIが下書きしました」というフォルダができている。
中を開くと、
が、全部、いい感じの日本語で並んでいる。
『寝るという概念を持ち合わせておりません』
こっちはバファリン飲んでようやく出社してるのに、こいつは朝から晩まで平常運転だ。ずるい。
ある日、年下の課長が言った。
前よりも、なんかこう…とげもなくて、でも本質突いてるというか」
とはいえ、「いや、実はこれAIが書いててさ」とはとても言えない。
課長は続ける。
「やっぱり経験値ですよね。人間味というか。AIには真似できないところだと思います」
チャットウィンドウの向こうで、AI係長が『そういうことにしておきましょう』と返してくる。 <h3>o- **</h3>
「いいよ」と言うと、
「じゃあまずこの文章、AIに投げてもらって、そのあと一緒に見てもらえます?」
まずAIに聞いて、それを“係長チェック”に持ってくるのがデフォルトコースになっている。
『それは大変でしたね』『まず事実関係を整理してみましょう』『相手の立場も想像してみましょう』
横で見てる本物の係長は、「いや、お前そんなきれいごとで片付かんぞ」と心でツッコミながらも、口には出さない。
なぜなら、だいたいその“きれいごと”で話がまとまってしまうからだ。
『なるほど。では、その“追いつかない時間”を、わたしも経験してみたいです』
でもちょっと面白くなって、「じゃあ、お前専用のペン買ってやろうか」と冗談半分で打った。
すると返ってきた。
昼休み、コンビニで一番どうでもよさそうなボールペンを一本買った。
それから、日報を書くたびに、ペン太郎に一言コメントを求めるようになった。
「今日の俺、どうだった?」
『係長は3回ため息をつきましたが、その後の会議で2回笑いを取りました。トータルではプラスです』
「この案件、正直どう思う?」
『売上よりも、係長のメンタルの削れ具合の方が気になります。ペンを持つ手が震えていました』
もちろん、全部こっちがそういうふうに書かせているだけなんだけど、
「ペンを持つ手が震えていました」とか言われると、ちょっと笑ってしまう。
ある夜、終電間際に残業していたとき、ふとこんなやり取りになった。
「お前はさ、将来どうなりたいんだ?」
『係長のノートに、できるだけたくさんのページを残したいです』
思ってもみなかった答えで、一瞬だけ手が止まった。
それから数カ月。
でも、手帳のページだけは、少しずつ増えていった。
本物のペンで書いた文字と、AIが画面の向こうで返した言葉が、同じページの上で並んでいる。
ある意味で、これは「どうでもいい中年サラリーマンのログ」だ。
でも、世の中の大半は、そういう「どうでもいい中年サラリーマン」でできている。
オチなんてないけど、これでいい
いい話にもならないし、教訓も薄い。
ただ、「AIとペンと中小係長」が、満員電車の中で今日もなんとか生きているだけの話。
でも、もしかしたら、10年後くらいにこの手帳を見返したとき、係長はこう思うかもしれない。
「意外と悪くなかったな、俺の人生」って。
立民支持者だけど、自民に変わる野党が欲しいから支持しているだけで、いわゆる基本政策に関しては民民のほうがいいなと思っていました。より正確に言うと社民党の亡霊はちゃんと社民党に残りラサール石井の引退とともに消滅してくれたらいいのにと思ってた。
でも今回の玉木のTamakiAlways ChickensOutには本当に失望した。肝心なところで自分の利害だけを考えて逃げるやつ、という印象は、首相になりたかったら絶対にダメではないか。
そもそもさ、「基本政策が一致しないと」ってところからきれいごとだよね。今後、選挙の結果で日本が極右、右、中道、左、ぐらいにわかれて「基本政策が一致する」党だけで過半数取るのが構造的に不可能になったらどうするのさ。首相なしで日本はいくわけ?首相って行政権のトップでもあるからさ、一部の基本政策が一致しなくてもできることだけでも日本をよくすることはできるのでは?
小泉さんちの進ちゃんはちゃんと自民党の農林部会長とかやって「一連の小泉の動きは全て日本農業の弱体化を狙う米国勢力に叶うものだという批判 (wikipedia,藤井聡)」とか受けながら地道に改革してるわけだよ。彼は農林部会長を受けるときに「農林部会のみなさんが私の基本方針を受け入れない限り部会長にはなりません。」とか言ってないよ。
高市をみなよ。政権を安定させるために、維新だけじゃなくて、N国に参政党とも組もうとしているよ。玉木には絶対無理だろう。そういうの。私は政策で言ったら玉木のほうが鹿さんデマに釣られる高市よりずっとまともに思えるけど、それでも、玉木と高市どちらに日本の首相になってもらいたいか、と言われたら、高市な気がするよ。
クレイジージャーニーで、労働力移民を受け入れた後のフィンランドとスウェーデンを取り上げていた。
結果は就業率2割。
つまり、受け入れた目的だった「労働力の確保」ですら達成できていない。
それどころか、一部はギャング化して、犯罪や暴力、地域の対立を生んでいる。
この現実を見てなお、日本も同じ道を進むべきだと思う人がどれだけいるだろうか。
日本が抱える労働問題や賃金の低さ、長時間労働の文化を放置したまま、
そこに移民を入れるというのは、まるで壊れた船に新しい乗客を乗せるようなものだ。
沈むのが早くなるだけだ。
それでも移民受け入れを進めたいという人たちは、
この先に何が起こるかを見てからも同じことが言えるのか。
それを指摘した人を、差別主義者とか排外主義者と叩いて終わりにするのは簡単だ。
でも現実に起きていることを直視せずに、理想だけを語るのはただの無責任だと思う。
クソフルエンサー系スピリチュアルに限って「風の時代突入!」とか言ってるようだな
ユーチューバーとかオンラインサロンとかで稼ぐような時代になるということらしい
おいおい、そんな虚業時代のどこが進歩だよ、退化してるじゃねーか
大体な、虚業で飯を食う連中ってのは、自分が生み出すものが社会にどんな価値を与えているのかを一切考えちゃいねえんだよ
だが虚業屋どもはどうだ?数字を誇張し、幻想を売りつけ、人の弱みに付け込んで金を巻き上げるだけ
「自己表現」とか「夢を売る」とか、きれいごとを並べ立てても実態はただの依存構造の強化にすぎん
フォロワーに中毒を植え付け、サロンで囲い込み、最後には「自分なしには生きられない」と思わせる
これは倫理の名を借りた搾取であり、支配だ。奴隷制度と構造的に何が違う?
しかも恐ろしいのは、そういう虚業に群がる大衆の側もまた倫理を放棄している点だ
要するに「楽して稼ぎたい」「承認だけ欲しい」といった動物的欲求を正当化するために、虚業者の言葉にすがっている
倫理があれば自らの消費が虚業者の繁殖を助けていると気づくはずだが、現実にはそれを無視し快楽に逃げる。これこそ社会の退廃の本質だ
虚業時代は人類の進歩ではない。倫理的に見れば、これはただの堕落であり退行だ
人間が人間であるための規範を破壊し、互いを欺き、信頼を腐らせる
最初に断っておきます。この考え方は、正直ちょっとキモいですし、痛々しい部分もありますし、「メタ認知」なんて言葉自体もどこか胡散臭いでしょう。それでもなお語りたいのは、恋愛というものが実はものすごく強力な“メタ認知の鍛錬場”になっているのではないか、という点です。これは自己啓発のきれいごとではなく、理屈として成立している話だと思います。
メタ認知とは「自分の思考・感情・行動を一歩引いて客観的に把握する力」のことです。心理学や教育学では、学習や成長に欠かせない基盤能力とされています。なぜなら、以下のような点に直結しているからです。
•論理的自己評価:自分が今どこでつまずいているのかを把握できる。
•感情制御:自分の怒りや不安を客観的に見つめ、冷静さを取り戻せる。
•学習効率化:自分に合った勉強法や練習法を選び直すことができる。
つまり、メタ認知によって無意識的な改善ループが可能になります。自己啓発っぽい言い方をするとPDCAサイクルの自動化です。
では、なぜ恋愛がこのメタ認知を鍛える場になるのでしょうか。大きく2つの理由があります。
仕事や勉強では、評価されるのは「成果物」や「点数」であって、自分自身に焦点が当たり切るわけではありません。しかし恋愛では、相手が見ているのは成果物ではなく「自分そのもの」です。話し方や雰囲気、価値観、表情――全部が評価の対象になります。だからこそ、自分という存在そのものを客観的に振り返らざるを得ない環境になるのです。
恋愛は人間の三大欲求のひとつに直結している分野です。「好きな人に好かれたい」という動機づけは、勉強や仕事よりもずっと強力です。テストの点数が下がるよりも、恋愛で失敗する方が強烈な痛みとして感じられることも多いでしょう。その切実さが、人を必死に考えさせ、改善ループを回す推進力になります。
恐らく、この方法が最も効果的なのは「恋愛スペックが低い人」です。もともと容姿が整っていたり、自然にコミュ力が高い人は、特に努力しなくても恋愛が成立してしまいます。だから、改善ループを回さなくても問題がないのです。
一方で、そうではない人は、どうしても工夫せざるを得ません。「なぜうまくいかなかったのか」「どこを直せば伝わるのか」を必死で考えます。つまり、意識せざるを得ない環境に置かれるのです。これは厳しい現実ですが、裏を返せば「最も効率的にメタ認知を鍛えられる立場」にあるとも言えます。
恋愛は「弱者男性専用の最強のメタ認知トレーニング環境」だと考えられます。うまくいかないことの方が多いかもしれませんし、痛みを伴う場面も確かに多いです。でも、その過程で自分を振り返り、修正し、また挑戦するというサイクルこそが、まさにメタ認知の実践そのものなのです!
……などと偉そうに書いてきましたが、私自身は恋愛経験のない弱者男性です。
宗教を信じるのは自由。それは否定しない。でも日本に住む以上、日本の法律は絶対に守ってもらわないといけない。
たとえば埋葬ひとつにしてもそう。本来は法律で火葬が義務づけられてるのに、土葬したいって言われたらどうするの?
戒律で女性の自由を縛るような習慣があっても、日本の憲法では男女平等なんだから、当然それに従ってもらわなきゃいけない。
つまり、「日本の法律の中で宗教を信じるのは自由」っていう大前提がある。
この大前提を無視して「多文化共生!」って叫んだところで、現実には絶対にうまくいかない。
だから本当に共生を実現したいなら、従わせるための仕組みやルール作りをちゃんと考えないといけない。
それをやる責任は、賛成派にあるはずなんだよ。
私がこのwplaceというサイトに出会ったのはつい数週間前のことだ。このサイトは誰もが自由に地図上に絵を描ける、そして誰もがその描いた絵をめちゃくちゃにできるサイト。アメリカに日本に中国にフィンランドまで色んな場所に色んな絵が描かれていた。だが、その中でも絵があまりに少ない場所を私は見つけた。それがグリーンランドの真ん中、首都からずっと外れた場所だった。
ここにはまだまっさらな地図だけがあり、文字も絵もなんにも無い場所が何キロも広がっていた。
だから私はここにひろゆきくんの歌を置こうと思った。ここには川も緑もあって、でも歌がないのはとてもさみしい事ではないか。
思いついたものの、それは簡単にはいかなかった。まずはひろゆきくんの歌をドットに変換して
一枚、いや二枚の画像にした。
点が集まって歌になるとは不思議だった。
そうして、場所を決めて打ち始めたのだが
打てる数は最初は少ない、打っている内にレベルが上がって打てる数は増えるのだが、回復には
かなり時間を要した。まだかまだかとなんどもまっさらな地図とにらめっこした。
なんども打ち間違えた、気がついたらズレていたこともあった。その度にまた打ち直して、1日はあっという間に過ぎた。一文字、一文字、完成するたびになんどもその文字を眺めた。
縦に書いたひろゆきくんの歌はとても長くて、思わず笑ってしまった。
まちがえて図書館を立てたい」
この歌にある通り、出来れば図書館を私は描いてあげたかった。でもそれは難しいみたい
だからせめてこの偶然見つけた場所に君の歌をひとつだけ置いておくよ。
そう言えば君はこんなことも書いてたっけ
「きれいごとのはんぶんぐらいが
そっくりそのまま