
はてなキーワード:きょうだいとは
7歳と3歳のきょうだいを育てている。下の子が3歳くらいになってから子育てが劇的に楽になった。食事の時はずっと座ってくれるし、ある程度2人で遊んでくれるし、熱を出す頻度も劇的に減った。
下の子が保育園入園するくらいの頃は毎日が地獄で精神が壊れかけていたのが嘘のようだ。
ということで、なんか勢いで3人目ができてしまった。再度の地獄が始まるような気もするが、なぜか楽観の方が優っている。
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。
恋愛弱者に対して語る人間って、どうして恋愛できない人間がある程度平均的なスペックを持っているという前提で語るのかねえ?
どんなに可愛くても、みいちゃんみたいな境界知能の女とは結婚しないだろ?
どんなに綺麗事を言ったところで、きょうだいに障害者がいる人間とは結婚したくないだろ?
山上徹也のように、親が統一教会に洗脳されている人間とは結婚したくないだろ?
恋愛弱者の大半はそういうふうに個人の努力ではどうしようもない底辺境遇にいる人間なんだよ
勿論そういう人間はどれだけ支援があろうが恋愛も結婚もできないと思われるが
「きょうだい」が多いと学力は低下する? 学生1900人以上を対象に調査 北大が研究発表
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2510/10/news044.html
分析は、2010~2016年にかけて実施された全国調査のデータを用い、小学1年生から中学3年生までの1971人(1203世帯)の子どもを対象としている。マルチレベル分析という手法により、家族間の違いを統制しながら、同一家族内のきょうだい同士を比較することが可能となった。
分析の結果、きょうだい数については負の影響を確認。算数・数学では一人っ子と2人きょうだいの間に学力差は認められなかったが、国語では2人きょうだいの時点から学力低下が表れていた。3人きょうだいになると両教科で学力低下が見られ、4人以上では更にその傾向が強まった。
少子化対策として、未婚率を下げるよりも既に産んでいる人に2人3人と産ませるべきだという声が大きいが
それをやっていくと優秀な子供の数は減るのでは?
小説を書いてて時々めんどくさくなるのが男女別に単語があるやつ。
兄弟、姉妹はその典型。兄と弟と妹とか姉と弟と弟とか、単語がないんだよな。兄弟をひらいた「きょうだい」で書いてるけど、男女混合の単語があってもいいだろうと思う。
血縁関係がない若い女性を娘さんと呼んだりするけど、これに対する男性を表す単語もない。息子さんだと血縁関係あり限定だ。坊っちゃんはもっと下だし嬢ちゃんに対応する言い方だし。
男を見せろとか男になれとかもそうだ。女版がない。厳密には女になるは表現として存在してるが、性的なニュアンスが強いから使えないんだよな。少なくとも男になれとは使う場面が違いすぎ。
こういうのって自分がオリジナルな表現を作りゃいいって話じゃないからな(それだと通じない)。
あと、書き始めるまで気づかなかったけど、女性蔑視的な表現は結構多い。雄飛の反対が雌伏とか、女々しいとか女だてらにとかな。変な色つけたくないから避ける表現って多い。
・どこで気が合ったの?
ちんぽは普通です。彼女曰く自然体でいられるのがいいとか。一頃は毎週末デートしてたしちょっと遠出して泊まりがけの旅行も行った。会話としては「浴場デカくて良かった……」「わかる……」とか「ここの按摩師さん寡黙じゃね?」「いや自分はすげえ喋りかけられたけど」とか。本当に他愛も無い。オフの日に丸一日通話繋ぎっ放しにしてたりするけど、別に常に喋ってるわけじゃない。すごくのんびりした付き合い方をしてると思う。正直どこが好かれてるのかわからない部分はあるから、今ある好感度をなくさないように努力したいと思う。
────
・きょうだいがいっぱいいる、全員大学出てて実家でニートやってるのもいる
・俺より年収がある
・俺より健康で体力がある
・俺と同い年
・かなり頻繁に「金がない」と言っているが、多分相当溜め込んでる
・無職になることを異様に恐れている
俺
・アラサー
・精神障害者3級
・年収400程度
・貯蓄は諸々合わせて200程度
・無職になっても最悪ナマポになってもいいと思って生きてる、最悪の最悪は死ねばいいし
・彼女にはある「金を貯めなきゃ!無駄遣いしないようにしなきゃ!」みたいな感覚が培われていない、だから貧乏なんだろうな
所々フェイク入れてます。なんかさ、実家太い人の方がお金のありがたみ?みたいなもんを分かってんだろうなと思う。スーパーで売ってるシャインマスカット高いよねって話とかフツーにするし、と思えば実家から贈答用の果物来て食い切れんみたいな話もされるし。かといって今の所価値観の相違で揉めたこともないし、俺が「あっそういう感じなんだね」と思った回数と同じくらい向こうもそう思ってんだろうな。
俺も金に対しての危機感的なもの備えた方がいいのかなー。今より節約しなきゃとか、もっと稼がなきゃとか。でもさぁ、週5フルタイムで働いて申し訳程度の残業してる現状で身体の方はいっぱいいっぱいなんだよな。もっと頑張れる人間はいくらでもいると思う。でも俺は頑張ったら即潰れると思う。その自信がある。結局、現状そんな困ってることないしまあええか……になる。親父が今の俺と同い年くらいの頃は、多分俺の倍は稼いでた。でも毎晩深夜まで働いてたし、なんなら土日もしょっちゅう潰れてたよ。数だけ比較して劣等感みたいなものは感じれど、そこまでできる能力は俺にはない。なんの話だっけ。金に対してのモチベの話か。
彼女は良くも悪くも期待してる、自分に何処までできるのか目標を持って楽しんでるように見える。勿論辛そうにしてる部分見えてて、そこは労ってるけどね。
対して俺は全部諦めてる。できることしかやりたくない。会社に利益をもたらしたいとは思ってるけど、楽できるなら楽してたい。特殊な分野だから新卒より貰ってる額低いんじゃないかとか思うけど、どうでもいい。
https://anond.hatelabo.jp/20251001090238
この話に似てるので聞きたいんだけど、親離れっていつしたらいい?
もう40手前で所帯もちなんだけど、親が離婚すらしないで揉めてて、母は専業主婦だったから離婚後のお金をどうするかとか、一人暮らししたら孤独で不安だとか、父が離婚に反対しそうだからそうしたらどうするかとか色々問題があって
はじめはきょうだいで色々調べたり、どうやったら力になれるか色々考えてたんだけど
関わるうちに父親が「俺らの話に口を出すな」ってわたしらきょうだいにも攻撃するようになってきたんだよね
きょうだいの家族やうちもその攻撃にすごく迷惑していて、母を助けたい気持ちもあるけど、自分の家族を困らせて巻き込んでまで親の離婚の手助けをした方がいいのかもうよくわからなくなってきて
配偶者に相談したら「もういい加減大人なんだから子離れすべきだし、あなたも親離れすべき。自分の人生なんだからお膳立てされず自分でどうしたいか覚悟して決めなきゃじゃないの?」って言われて、さらに悩んでる
自分としては母親大好きだしお世話になったしで力になってあげたいけど、子供もいるし色々犠牲にしないと力になれないからどうしたもんか。。
一応シェルターの存在を伝えたり、弁護士のこと調べたり、こういうのが証拠になるからねとかやれることはやったし伝えたんだけど。。
配偶者としては一旦両親共に距離置けば?毎日のように連絡取ってるから、それはまた巻き込まれるの当たり前だよと言われてる。
親が困ってても自分の家庭を優先して、大人なんだから自分のこと自分でちゃんと責任とってね、という態度でいるのは親離れ?なんか心が痛む。。。
Permalink |記事への反応(12) | 13:13
https://anond.hatelabo.jp/20250928215209
まずはじめに、私の個人的な一例なので増田姉にピッタリ当てはまらないと思う。妄想だと思う。だから「こんな人もいる」ってことにしてくれ。
吐き出したくなっただけだから。
母親が「あんたたちきょうだいなんだから仲良くしなさい」ときょうだいに責任投げしているあたり、なんとなく察する。
この二つだけでも「あ~もうダメだ~」って感じ。
何で『普通に幸せそうな家族』を築いた姉さんがグチグチ言うのか。そりゃ自分の家族を見て、実家がいかに自分を苦しめていたかわかったんじゃない?
実家の中では「お姉ちゃんだから」と言われ続けていたんだろう。まぁ弟さんは記憶がないかもしれない。0歳~小学生くらいまでの記憶はあんまりないだろうし。
でも弟さんが自覚できる程度には「「お姉ちゃんなんだから」的な育て方」をしていたんでしょう?
親に「お姉ちゃんだから」と言われたら反論できない。弟は自分より年下だから、親の手伝いが必要だし、自分も大人にならないといけない。
って言われたら何もできない。私の経験だから増田姉さんがそうかわわからん。
そして親の中ではずっと弟が年下だから、弟はずっと子どもと思っている。大人になってもやっぱり末っ子は子ども。しかも長男。「お姉ちゃんに比べて面倒見ないと…」と無意識に思う。
しょうがないんだよ。しょうがないことだが、姉からすれば「私の面倒を親がみなくて済んでいるのは、あんたらが放置したからなんだよ」と怒りになる。自活したのは私の努力!だから褒めてほしいのに、「お姉ちゃんなんだから当然」なんて言われる。
6歳差だと弟さんが一番大変な2~5歳(幼稚園児くらい)の時、姉さんは8~11歳だよね。思春期に入る女子が親から「お姉ちゃんだから(我慢しなさい・やりなさい)」って言われるの苦痛でしかないんだよね。
だって自分の好きなことを自分の意思でようやくできそうな時期なのに、家では弟が~弟に~と親は言い、「私だって親に頼りたい・甘えたい」なんて言えば「お姉ちゃんなのに」「お姉ちゃんでしょ」と言われる。私の経験だから、増田の姉が実際そうなのかはわからない。でもこういうパターンもある。
大学受験なら17歳、で弟さんは11歳。まぁ親は弟さんの面倒を見るよね。むしろ姉さんには「あいつは大人だから自分でやるだろう」と放置されてたんじゃないの?
それか今まで弟ファーストだったのに急に大学進路に口出してきたとか。
部屋に納得いかない事を今言うのもわかる。だって当時言ったところで「お姉ちゃんなのに文句言うなんて…」とか言うんだろう。
父親と喧嘩していたってことだから、きっとお姉さんは昔から文句は言っていたんだと思うよ。
でも全部、親は心の中で「お姉ちゃんなのくせに」って思っていた。それを姉さんは感じていた。
だから自分が姉と言うポジション決めをした弟である増田も憎いわけ。
「弟に来させる」って言ったら「お姉ちゃんなんだから」とか言われる。だから我慢したのでは?
私の母もガンで入院していた時、「他のきょうだいに来させていい?」と言ったら「あんたお姉ちゃんなんだから」とか「女同士仲良く…」とかぬかす。いまさら。病人と喧嘩なんてしたくないし、親だから少なからず情があるのでその時は何も言えない。どうせ反論しても「お姉ちゃんなのにきょうだいの悪口を!!」って言われるから。
(というか増田は見舞いの頻度は姉と比較してどんなもんだったんだ…?)
ここで「気にせず弟にやらせればいいじゃん」とも思うんだけど、やっぱり親に怒られるって嫌なんだよね。だから我慢する。せめて愛情を貰おうとする、でも辛いから憎い。
増田、弟さんよ。これはもう積み重ねが爆発したんだ。噴火したものだから、もう収まるのを待つしかない。更年期だねはいはいで終わらんよ。
姉さんは新たな家庭という味方を得たから、実家家族がますます許せないんだ。
新しい家族で過ごしているうちに「なんで私は過去にあんな我慢させられたんだ!?」ってなったんだよ。
増田は「一番困りそうなのは今は元気な親に何かあったとき…」「うっすらしか覚えてねーよ」と思い、
父親は「そんな話今更されてもなんなんだよ今更…」と姉を避け、
3人とも「なんだこいつ」って目で姉さんを見ている。それが更にムカついているんだと思う。
いじめっ子に「過去に私をいじめていた!」って言ったら「はぁ?そんな過去の事」「と言うか覚えてねぇし」「私じゃないし、あいつが謝ればいい」って言われているようなもん。現に「更年期障害か、はいはい」となっている。
家族の中で姉なんていなくてもいいと言う感情が見え透けている。
だから姉さんは腹が立つ。そして新しい家族と言う味方ができた今!お前らに強く出れる!私は自分の子どもにはできた!できなくて私の人生を苦労させたお前らが憎い!せめて言わせろ!は?知らないわけないだろ!こんな苦労したのにまだ私を認めないか!となるわけ。
もう言わせておくしかないんだ。「受け入れろ」っていうコメもあるけど、そんなのはいらない。ただ増田や両親が自分の言葉でしゅんとして、ちょっぴり自分より不幸であればいいだけ。もうそれしか思っていない。
私はいえるもんなら家族に言いたい気もある。でも過去のことだから言っても無駄だと思って言っていない。(怒るのも面倒だし、今は仲良くやってるし)
でも増田の姉さんの気持ちはすごくわかる。姉さんの味方にはならんが、原因が全て姉さんにあるとは思えん。
カウンセラーなんて勧めたらもっと怒ると思うよ。「お前らのせいでこうなったのに、私が頭おかしい認定かよ!!誰のせいだよ!!!!!」って。
放置かもう会わない事だ。
別の解決方法なんて介護・親の面倒は全て愛情を貰った増田がやるしかない。ちゃんと相続は姉さんにもしたうえでな。子どもってのはいつまでも親の愛情が欲しいんだ。でも姉さんに愛情をあげるにはもう遅い。手遅れ。この年だと愛情=金でしかないんだ。
大体きょうだい間のいざこざは親起因が多いけど、増田を見ただけでも親から姉へ対する無関心さがそれを表しているよ。増田も両親に文句を言うんだ。
たくさんの方にコメントもらえて自分の気持ちが救われました。ありがとう。
・更年期障害について
年齢的にも影響はあるのかも。自分は男だし分からない所あるから、まずは母親にでもキーワードとしてインプットしてみる。あと家庭内の状況は、姉旦那や親に聞いてみる。
・親の育て方について
皆さん指摘の通り、原因はこれが大きいと思う。姉とは6歳差で、小学校入るくらいまでは一人っ子扱いだったと思うが、自分が生まれてからは「お姉ちゃんなんだから」的な育て方と思う(赤ちゃんと小学生なら悪いこととは思いつつ、自分もつい言いそうだなとは思う…)。
以降も姉と父親は事あるごとにぶつかってた。だからこそ私ばっかり苦労してあんたはズルいと言われる。
(仕事でも正面突破せず、ちゃんと事前にネゴる癖はこの影響なのか??)
・姉に共感してあげるべき
攻撃的な目で態度で来る人に対して共感は無理よ…。弟って弱い立場扱いだし、第三者だったらできると思うけど、この状況で自分はできない。
最初書いてなかったけど、姉がこんな状態で一番困りそうなのは今は元気な親に何かあったとき…。今は実家まで4時間のところに住んでるので。
表面的にでもコミュニケーション取れるくらいにしておきたいんだがなぁ、怖いんだよなぁ。
■■追記ここまで■■
田舎の実家の近くに住んでいる姉は、結婚して子供も三人いて長男は地元で一番優秀な高校に行ってて、普通に幸せそうな家族だと思う。
ただ昔から弟である私に対して姉は、私はこーんなに苦労しているのにあなただけズルい、と言い続けてきた。高校まではお互い同じような感じだったけど大学は姉は相当苦労して浪人して女子短大、こちらはストレートで地元の国立に入ったりはして、それに関してもズルいズルいと何度も言われた。
けど姉もちゃんとした職について今も働いてるし、劣等感を抱くようなところは一切ないと思う。子育ても実家の両親に頼りつつ3人も育てていてすごいと本当に思う。
で、まぁそんな感じてズルいとはたまに言われつつ、仲良くはないけど悪くもない感じで過ごしていたんだが、ここ5,6年くらい年々姉からの怒りが増え続けていて怖い。
怒っているのはいずれもとても古い話。
たとえば2年前くらいに泣きながら言われたのは、20年前に母がガンになったときに、あなたは見舞いにあまり来なかった、それを私は怒っている。とか言うわけ。(母は以降再発もなく元気。)
別のときは、こちらが小学一年生だったときにものすごい駄々をこねたらしく、姉がやりたいことができなかった過去があったらしい。それを今でも本当に怒っている、と40過ぎの私に問い詰めたり。(その時姉の隣には小学高学年の長男がいるジョークのような状況)
最近親に対しても、古い前の実家の自分の部屋が気に入らなかった、あの部屋を割り当てられたのは今でも納得できない、と言ってきたそう。
これらの話を泣きながらものすごい深刻な感じて怒りながら言ってきたりするわけ。許せない!キーー!って。
父親も困り果てていて、そんな話今更されてもなんなんだよ今更…と言っていて、自分も姉からそんな話ばっかりされるから、避け気味にしてたらより一層攻撃が激しくなって手に負えなくなってきた。というか、とにかく怖い。目がマジ。
母親はあんたたちきょうだいなんだから仲良くしなさい、としか言わないし、悲しいわと言って泣き出すし、あなたが謝ればいいのよと言われても、そんな20年前のこと謝るのも素直になれないし、というかうっすらしか覚えてねーよ、という気持ちしかない。
自分も含め多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていくものだと思うんだけど、年々増していくのはなぜなんだろう。
母親の病気も、母が退院して数年後にはこちらの結婚式をしていて姉も普通に参加して楽しんでいた(ように見えてた)し、以降もお互い子供が生まれて、実家に集まったりもしていた。まぁ普通だったんだよ。それがなぜここ数年で爆発するのか。
年に2、3回しか会わないし、もうイライラされるほど接点ないんだけど、会うたびに関係が悪くなっていく…というか、あちらの怒りがマグマのようにあらゆるものを溶かして巨大化しているような…。
普段の仕事のストレスあるのかもしれないけどそこまでは知らないし、怒りをぶつけやすい弟に照準が合ってるのかもしれないが、ちょっと最近は度が過ぎる。
メンタル的な話なのかもしれないし、カウンセラーとか医師に相談したらいいだろうけど多分それを言ったらめちゃめちゃ怒ってきそう。
これ、誰か姉の状況をわかる人いれば助けてほしい。同じような状況の人っているのかな…、どうしたらいいのか教えてくれる人いませんか。困ってます…。
Permalink |記事への反応(30) | 21:52
単一時点(妊娠初期の受診時)での助産師面接+処方記録が中心。面接は「その時点までの使用経験」を聴取する形式で、その後のOTC使用や断続的使用を取りこぼしやすい設計。継続的な再聴取・日誌・薬剤スキャン、あるいはバイオマーカー(臍帯血・胎便・尿)などの客観指標が使われていない。これでは非差別的誤分類→効果推定の希釈が強く起こる条件がそろう
実際の曝露率は7.49%と極端に低い(2,480,797例中185,909)。著者は「“1回でも”使った人(ever use)と“実質的ユーザー(複数日使用)”を区別せよ」と反論するが、曝露の少なさ自体が測定体制の感度不足を示すサインでもある。スウェーデン同時期の別コホートでは母親申告や尿中濃度で使用率が大幅に高い報告がある(例:SELMA、母体報告+尿で曝露評価)。
きょうだい内比較は家族共有の交絡を消せる反面、曝露測定誤差にきわめて弱い。Monte Carloシミュレーションでは、曝露信頼性が下がり、同胞間で曝露が似ているほど、真の関連があっても「無関連」に見えやすいことが示されている。スウェーデン研究のようにOTC・タイミング・用量の不確かさが大きい状況は、“無関係”という結論を偽陰性にしやすい設計だと言える。
曝露は「有る/無し」や処方ベースの平均日量など粗い指標で、トリメスター別・発熱時の頓用・高用量連用など、神経発達に効きやすい“臨界期×用量”のシグナルを潰す。用量–反応が見えないのは、測定側の解像度不足の可能性を排除できない。
臍帯血・胎便などの客観曝露指標を用いた研究では、ADHD/ASDとの正の関連や用量反応が繰り返し観察されている(BostonBirth Cohort 等)。客観指標が陽性、自己申告+処方の粗測定が陰性という“ミスマッチ”は、後者の曝露測定誤差をまず疑うのが王道。
著者はレターで「“1回でも”使用と“複数日使用”を分けるべき」「NINFEA では1回でも:31%/5日以上:5.5%」と主張。しかし、だからこそ“5日以上の確度ある使用”を把握できる設計(反復聴取・電子記録の統合・バイオマーカー)が必要で、単一時点聴取+処方記録では高用量・臨界期曝露の抽出力が不足している点は覆らない。
「測定誤差を想定したシミュレーションでも無関連は説明困難」との主張は、どの程度の誤分類を仮定したかに依存。7.5%という低曝露率とOTC断続使用の取りこぼし構造を考えると、現実の誤分類はシミュレーション想定を超える可能性がある。**外部妥当化(他研究の曝露率・バイオマーカー)**を踏まえた再検証が必要。
スウェーデン研究は規模と統計手法の洗練という点では重要だが、曝露測定の解像度不足、同胞比較の測定誤差脆弱性、時代トレンド混入、一般化可能性の乏しさという構造的限界が重なり、小~中程度の真の有害効果を“見逃す方向”にバイアスしている可能性が高い。
よって、「因果なし」の決定打として持ち出すのは不適切。少なくとも客観曝露(臍帯血・胎便・反復尿)を備え、臨界期×用量を追える設計で再評価するまでは、“安全宣言”に使えるエビデンスとは言い難い。
Ahlqvist VH,et al.JAMA 2024:スウェーデン全国コホート本論文(同胞比較では無関連)。
Ahlqvist VH,et al.JAMA 返信レター:曝露率と“ユーザー定義”の主張(NINFEA例:5日以上5.5%)。
Gustavson K,et al. 2024:同胞比較×測定誤差のバイアスを示すシミュレーション研究。
SELMA ほかスウェーデン系コホート:母体報告+尿での曝露評価(ever useの高さ、言語発達との関連)。
Icahn School of Medicineat Mount Sinai
一晩経って読み返したら追記しないとなあ、あそこも書くの忘れてたなあ、ということが山ほどあったので岩手の他の場所のこと書く前に追記・補足しておく。
あと、「地元の人が行く店を避けている」という言及があったけど別に避けてない。忍ばせている。
まず補足から、
神子田朝市: 朝は早い(3時台)。朝8時にはほぼ閉店している。ホテルが近くにないので前日のうちにタクシーを予約しておくといい(たぶんホテルの駐車場は一時的に出すと損になる)。
盛岡駅の店が10/1境になっている理由: 駅の改札口フロア北側で大改装工事が予定されていて、その予定地になる店が軒並み閉店するから。改装工事は既に始まっていて南側には新しい店が増えている。
わんこそば店:わんこそばそのものとは関係ないが、東家はカツ丼の評判がいい。あと直利庵のオニオンそばは今上天皇絡みで隠れた名品だったりする。
じゃじゃ麺: "折り返すまでは大した列ではない"は、混んでない時に座っても15分待つがたいていはその客が食べだした後に並んでいるので食べ終わった後に座る人たちにはすぐ出てくる、ということ。なおあなたが玉子アレルギーでないなら「ちーたんたん」は必ず注文すること。
ヘラルボニー:岩手発のブランドなのでコラボ製品はあちこちにある。IGRの車体とか、盛岡バスセンター宿泊施設の内装とか。
坊っちゃん:つまみの定番は「ライスコロッケ」と「生ラムジンギスカン」。あとはお好みでどうぞ。
ベアレンビール:ネギトロとアボカドのタルタルがあるのは盛岡駅前地下の店だけ。つまみメニューについては全店舗方針が違う。なお材木町店は現在貸し切り営業以外はしていない(春から秋の土曜は"よ市"で店前に出店をだしていて飲める)。あと市内の工場では100年前の設備の見学対応している。
小岩井農場: ここは観光農園である前に商業農園なので、口蹄疫騒動以降動物との触れ合いは最小限になっている。牛の乳搾り体験とかなくなった。その分遊具を増やしているので子供連れは遊ぶ場所はある。
紹介していなかったものについて書く前に少しだけ。岩手の観光地は「一箇所でたっぷり楽しむ」というよりは「薄く広く見て回る」という施設が多い。たぶん宮沢賢治とかあたりは来る前に生涯について調べて来たりするほうがいい(妙に偉人が多いので、そのための先人記念館、という説はある)。NYタイムスが「歩いて楽しめる街」として紹介したのにはそういう面があるのかもしれない。
三ツ石神社: "岩手"の語源となった、鬼の手形がついた岩が祀られている。ただ、ここ5年くらい、「手形が見えなくなった」という話題でもちきり。今後見えたならかなりラッキーかもしれない。
盛岡天満宮:狛犬の風貌が変かわいい、ということで最近少し話題になっているが、その横にいる撫で牛が地味にかわいい。
住吉神社: 併設されている"体操神社"の御神体が意外なもの(意外ではない)。誰でも扉を開けて御神体を眺められる。
岩手公園: "六三四の剣"で主人公が登った石垣がある。啄木が学校抜け出して寝転んだのもこの公園。
喫茶店:クラムボン以外にも珈琲店紅茶店を含め「文化」として売り出しがかかるくらいあちこちにある。
ハンバーグのベル:びっくりドンキーの1号店。ただしメニューは店名が違う以外はびっくりドンキーとほぼ一緒。
五百羅漢: 三ツ石神社近くの報恩寺にあり、宮沢賢治石川啄木ゆかりの地でもある(観覧は有料)。実は500体ない。
十六羅漢:あさ開そばの公園にある(ただで見られる)。実は16体以上ある。宮古までの旧街道は実はこの公園とあさ開の間にある細い道だったりする。
とふっち:岩手をPRするキャラクターとして「わんこきょうだい」というキャラがあり、お椀の中に豆腐がある"とふっち"は盛岡近辺地域の担当。実は盛岡市は全国有数の豆腐消費地で汲み出し豆腐の"よせ豆腐"がうまい。
岩手山:盛岡駅周辺に茶色の建物が多いのは、北上川の背景に見える岩手山の光景を邪魔しないように建物に色制限をかけたから。駅の北の方には"六三四の剣"で主人公が通った道場のモデルがある(現在増築中)。
高松の池, 小鹿牧場:マンガ「とりぱん」で、「T松の池」とか「O公園」とされているのはこの2ヶ所。小鹿牧場は実はもう牧場ではないので小鹿公園と名称を変更している。おそらく作者が住んでいるのはこれらの近辺。どちらも桜の季節には桜が見られる。
岩手大学農業資料館:岩手大学の敷地は無駄に広いがその南端にある古い建物。前身となった学校の旧本部で宮沢賢治にもちょっとだけ関わりがある。昼間だけ有料で見学可能。
盛岡駅: "滝の広場"は東京制作のロケ番組で挨拶に頻繁に使われるほか、呪術廻戦を始め盛岡絡みではこの近辺の絵がよく使われる。理由は「もりおか」の文字(石川啄木による)がここの場所でよく見えるから。
マリオスとアイーナ:盛岡駅西口の公共施設。背が高いほうが盛岡市絡みの「マリオス」で最上階は無料の展望台。ガラス張りのほうが岩手県絡みの「アイーナ」で最近ネーミングライツで名前が変わった、県立図書館が入居している。カタカナ名前のせいか、なぜかよく取り違えられる。
プロスポーツ:サッカーチームはJ3からJFL落ちして1年で復帰を目指していたが9月末現在かなり厳しい。バスケチームは今シーズンよりB2入り。どちらも盛岡だけではサポーターブースターが足りないので岩手県全体をフランチャイズにしていて、ホーム戦でも盛岡で試合が見られるとは限らない。
盛岡手作り村: つなぎ温泉とダム湖を挟んだ対岸にある。南部曲り家が移築保存されているほか、盛岡の伝統工芸関係の工房が集まっていて一部は体験も可能。たぶんいちばん手軽なのは南部せんべいの手焼き体験(焼くのはクッキータイプ)。周辺というか行くまでのところにはラブホテルが集まっている地域があってこの地域のことが「子作り村」と地元では呼ばれている。
多分また追記するかもしれない。
飼える住環境だったり、適性がある人のところに猫が送り込まれてくるとかいう都市伝説、NNN。信じていない。猫のことをやれ構成員とか諜報員、エージェントって呼んだり、ニンゲンは常に見られているとか、こんなのぎりぎり陰謀論じゃない?
少し前に生後4ヶ月いかないくらいの子猫を拾った。(拾ったていうか、通勤で何回か見かけていた子猫を餌やり好きな近所の人が捕獲して、通りすがった自分のところに回ってきた…という流れだから正確には少し違うんだけど)
たまたま、自分の住んでいるワンルーム賃貸はペット可で、猫じゃらしやら洗いたてのシステムトイレやら、成猫用ではあるけどフードやおやつもある。そこで今は3段ケージで家猫修行中のキジトラが自分の一挙一動を監視している。しかもきょうだい2匹。
猫がいない生活って思いつきで旅行に行けるし、早起きも強制されないし、残業もやり放題で、ここら辺で少し稼いで貯めつつ適度に楽しく使って…なんて穏やかなものだった。2ヶ月弱しか続かなかったけど。
四十九日を過ぎたばかりで新しい、しかも若い猫を連れ込むなんて、君は呆れるだろうか。光源氏でももう少し節度があったんじゃないか?先代って呼ぶにはまだ距離が近過ぎて、冗談に包んだ「〇〇大明神」とか「〇〇大権現」なんて言わないと次のことばが出なくなる。ここ五十幾日は人生迷走していて、家賃を払った記憶が丸ごと抜けていて焦ったり、冷凍庫に記憶に無いパンが入っていたり、挙句の果てには航空券のチケットの姓名を逆で予約したりしていたよ。ここで幼猫2匹抱えてもう一回地に足を着けて生きていけって言われているみたい。この滅茶苦茶が避妊去勢の準備とか、ばりばりのカーペットとか、カーテンは登らないで!に変わるんだろうか。
最近まで一緒に暮らしていたのは、こっちは正真正銘自分で拾った猫で、ずいぶん賢くてニンゲンの言葉を理解し、小さな顔に長い手足としっぽが際立った綺麗な白黒だった。
それが某区猫スラングを使い、寝るとか食べるとかの生活動作以外は「うなる」コマンドで済まそうとする、区中の縞猫を集めたら見分けがつかなそうな柄×2だ。可愛い顔をしてはいると思うけど、保護猫の譲渡会に行くことがあったとしたら、きっと選ばなかった2匹だろうから、何があるかわからない。
こんな調子で本当に「NNN」なる組織があるというなら、一生であと何匹の猫に捕まるんだろう。今回と前回はただ偶然の、星5を連続で引いた事象であり再現困難であって欲しい。思えば自分の親も猫を複数回拾った人だった。末代まで祟るって、もしかして子々孫々纏わりつき倒すって意味だったんだろうか。
そろそろ家を買うのもありだななんて思って不動産探しをしていたところだから、複数飼育可の細則で、猫用ドアの設置も検討する必要が出てきた。嘘みたいなタイミング。こうして人は陰謀論者になるのかも。
元気かどうかは日によるけど、後輩どもを何とか立派な家猫にしてやるから、見守っていてくれよ。万が一の次の話だけど、君の生まれ変わり以外を送り込むのは、どうかご海容ください。
【追記】おい、まて、今日の、任天堂ダイレクト、おい、ありがとう、子供の頃の自分が聞いたら喜ぶよ。生きていてよかった。人生のバイブルでよかった。
ーーーー追記終わり
父が新しいもの好きの機械好きだったからゲームは小さいころから遊んでいた。でも母は気に入らなかった。だって勉強時間がゲームに奪われてるから。テレビも漫画も嫌な顔されていたのを覚えている。
でもゲームがなければ小学生の頃、楽しく友だちと遊んだ思い出はない。いじめられていた中でも、ゲームを持ってる人が遊んでくれた。無かったらどうだったろう。きっと不登校になっていただろう。
今もゲームが好きで好きすぎて自分で作るのが楽しいって思えるのはゲームをしていたからだと思う。イベントに出展して、新しい友人ができ、大事な存在になったというころにようやく母は「ゲームもまぁ、するのは構わないとは思う」と歯切れの悪い事を言う。「でもゲームがなければもっと頭がよくなって、大企業に入れたのよ」と続く。
母は私(やきょうだい)がハイレベル校に入れなかったのがどうしても嫌みたいだ。
じゃあ私らは底辺の学校に入ったのか?と街中の人に聞いたら2000人中1990人は「十分な学歴・良い学歴」と答えるはずの学歴である。母的には中堅未満らしいが。
会社だって大満足なのだが、母は「そんな名の知れない中小企業に入るなんて」と就活時期に言っていた。母の中ではしょぼい経歴らしい。
母は娯楽になんか興じず、難関校に入ったことをいつも自慢する。「本を読め」と言ってた。
だから小学生の頃にギネスブックが欲しいと言ったら「そんな遊びの本を読むな」と返された。小6でも絵本が好きだったのだが「ぷwこれ?w幼稚園児ねw」って馬鹿にされ、本を読むのが嫌になった。じゃあゲームしまぁ~す。何を読めばいいかと聞けば「どれでもいい」「自分で選びなさい」と言う。
よく思い出す。母が行かせたい学校へ私を連れて見学に行きまくっていたこと。
それに対して私が滑り止めにしか受からなかった時の「はぁ、ここしか受からなかったか」という顔。合格発表の時の「当然でしょ。こんなとこ落ちたら終わりよ」という喜びの無さ。(受験が悪ではない。むしろ受験はしてよかった。それは別の話)
でもその学校は私にあっていた。今でも仲のいいマブダチはできるし、最高の青春を送った。
学生ん時は成績が悪く反抗期が長かったため「こんな学校にいれたから…」とずっと言われていたのを私は覚えている。犯罪も非行もしていないのに。
父がゲームを勧めたのは「きょうだいで楽しく遊べると思って」という理由。
今思えば、きょうだい仲はそこまでよくなかった。母がこれなので勉強関係は互いに馬鹿にし合って喧嘩ばっかりなので。ゲームで遊び始めたころから仲良く会話していたと思う。「一緒に遊ぼう」とか「ここ苦手だからお願い」とか。母はゲームを買ってくる父によく怒っていた。でも父は「楽しい方がいいだろ?」と父とも一緒に遊んでいた。
「~しなきゃもっと頭がよくなったのに」と母は大人になった今も何度でも続ける。いい加減しつこいので「抑圧され過ぎて事件を起こす人がいるし、学歴ばかり見るのも…」と言ってしまった。(逆も然りなので、勉強が悪とは思っていない。勉強は大事だ。ただ20何年もずっと言われ続けていからもう嫌だった)
だってしつこいから。まぁまぁ仲いいから遊びに来た我が子に毎回毎回そんなことをいう母がムカつくから。
「そんなのは弁護士が無罪にさせたいからの方便。そんなの信じているの?騙されてるね、頭使いなさい」と返されて面倒くさくなった。
母の中でゲームや漫画はいまだに悪であり、その存在が私らの頭脳を愚かにさせたものとしか思っていない。
トップの大学に入った友人が小学生のころゲームを持っていなかったと言えば「なんて教育熱心なお母さま!」と喜ぶ。「でも中学時代からはゲーム三昧で徹夜、授業・受験期もゲームで一緒にゲーセンによく行っていたけど」と言えば「その人は地頭がいいだけ」。逆にゲームを禁止されてた友人は難関大学に受かってないし。それを話したら「その人がただ馬鹿なだけ」と言って友人を馬鹿にしたので喧嘩になったことはある。
地頭がいい=その両親も高学歴と言うのを信じて疑わない。でも上記の地頭がいいと言われた人の両親は高卒である。そういうと「レアなケース」と認めない。
ゲームを禁止した勉強時間が延びると本当に思っている。何度かゲーム機を没収されたが、私は児童館で卓球と工作ばかりしていた。勉強時間は延びていない。
ずっと心に残り、いつも不思議な気持ちにさせてくれるゲームがある。
人生感を一気に変え、エンディングで涙を流し、無限の感覚を浴びたWiiのとあるゲームが今でもバイブルだ。今見ても泣いてしまうエンディング。何度でも見たい。あの絵本のBGMで泣いてしまう。天文学を学ぼうとしたきっかけ。これは愚かなのか?悪なのか?
大人になってやったゲームで「姫様覚悟決まりすぎだろ…」ってボロボロ泣いたのは駄目か?「誉…この選択肢…」ってボロボロ泣いたのも駄目か?
母はそれでも私らをもっといい大学に入らせて、もっと上の大企業に勤めさせたかった(そもそも上って何だよ)。ゲームで感動?笑止な人。
今になって過去を責めてくる。自分が悪いのではなく、勉強しなかった我らが悪いとしたいらしい。
謝罪して「私が悪ぅございました。やっぱりゲームはクソです!今からたくさん勉強して、高難易度資格を取ります!大手企業に入ります!世界に羽ばたくエリートになります!()」って言えば満足か?
どーせもっと要求してくるわ、目に見えている。だってすでに「~さん(私と同い年)はアメリカで博士していて(チラッ」とかぬかしている。
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