
はてなキーワード:きたろうとは
と、タイトル通りの失敗をした。
見たいと思っていたのは、『ワン・バトル・アフター・アナザー』だった。だけど、佐藤二朗『爆弾』がすごい興行成績を上げているというニュースを見て、ネット予約だけど、迷った末に後者の方を選んだ。
結果、「金返せ!」と鑑賞後に入ったトイレの中でおしっこしながら叫んだ、心の中で。
時々駄作にぶち当たるのはしょうがない。見るまでわからないからだけど、私は貧乏人なのでそんなしょっちゅう今時の鑑賞料金の高くなった映画館には通えない。だから駄作だと、ほんとにクソ腹立つ。
今回の『爆弾』はまさにそうだった。
佐藤二朗や、山田裕貴などの俳優の演技が絶賛されていたが、それはそうなるわ。だって、映画は俳優の演技に完全に依存しており、監督を含めた制作側は俳優に任せときゃ大丈夫だろう、程度にしか考えていなかったのではないかと邪推せざるを得ないほど酷かった。
まー酷い。話の辻褄はとんでもなく合ってないし、「あれ何だったの?」と思う伏線ぽいのが山のようにあって、何も回収されない。
どうやら評判をつまみ食いして読んでると、小説の方も大概酷いらしい。
ともかく、何度も何度もしつこく佐藤二郎の顔のドアップばかり見せつけられると、飽きてくるわけ。で、ほんとは違う(何が違うのかは言わないが)ってラストの方で明かされるんだけど、それはないだろ!と、謎が明かされてもカタルシスどころかがっかりするというエンターテインメントとしては全然納得のいかない展開。
そんなの現実的にあり得ない、っていうのは映画なら全然いいと思う方なんだけど、いくらなんでも「そんな馬鹿な」としか思えない展開は流石に呆れてしまう。
これは一つだけネタバレすると、爆弾事件が起きまくってて死傷者多数の状況で、爆弾が爆発するかもしれない電車の即時運行再開を客が求めるか? あるわけないだろ!w
それでもまだ、肝心の爆弾爆発シーンは、タイトルがそれの映画なんだから見せ場になってるはずだと思っていたら……とんでもなくしょぼい、しょぼい、しょぼすぎる!
今時、ハリウッド映画クラスの爆発シーン程度、CGで安く作れるだろ。なんなら今時は生成AIですら分で作れるぞ。
俺なら観客が予想もつかないタイミングでとんでもない豪勢な爆発シーンを仕込んだだろう。だが、警察を騙すのに観客を騙さないという、作り手はほんとに何も分かってないとしか思えなかった。
ほんとにこの『爆弾』って映画はクソ映画、駄作としか言いようがないほど酷かった。
でも、これがどうして絶賛されているのか、訳がわからないというのがいちばんの謎。ある映画レビューサイトでは五つ星評価で平均で4つも取っていた。考えられない。何故?
追記:
tomiyai小説は普通に面白かったけどね。想像で補ってるところはあるだろうが。素人が個人で作ってる爆弾って設定でド派手な爆発シーンを期待する方がおかしいでしょ。
いや、そんなのいくらでも出来るでしょ。ガソリンスタンドに爆弾仕掛けるとか、色々。実際、あの新聞配達用のカブ一台の爆発シーンは最も良かった。だから飛び込んだ先がガソリンスタンドとかの設定にしたら大爆発は全然可能。ていうかね、『爆弾』てタイトルなんだから、そこを見せ場にしなきゃダメだと思う。
それにね、名前忘れたけどほんとの犯人だったやつが爆発で死体が木っ端微塵になるシーンは、多くの人が言っているように傑作映画の『スピード』の真似だけど、真似ならもっとド派手にできたろう。『スピード』の場合、家の外からも撮ってあって大爆発がよくわかるようになっていた。だけど『爆弾』のはショボすぎるよ。
ここではないあるところで似たようなレビューを書いてアップした(あんまりにもつまらなくてムカついたからw)けど、少しとは言えそれなりに共感してくれる人はいたよ。
囲碁だってカジュアルなゲームのひとつなのに、なぜか難解な学問のように思われている節がある
昭和に1000万人も囲碁を打つ人がいたのだからそんなわけがない。未就学児でも打ってるし大人が出来ないということはない
こんなの思ったことないし聞いたこともない…。やってる側が最初にこれ持ってくるのは何か感じ悪くてちょっと笑う。そういうところでは…。
ええ….この増田は実際にあったブコメへのアンサー記事なんだが
ちなみにブコメ以外にもSNSとかリアルでもこの手の意見は大量にあるからね。
自分の視野狭窄を棚に上げ「そういうところ」という言葉を使うあたりにまさに従前からの偏見が滲み出ている。自分こそ初手で他人をディスる前にもうちょっとよく調べよう
なんか囲碁は将棋と違ってAIへの対応が遅れてるみたいなのをよく見かけるけど、棋士がAWS使って囲碁AIと検討してるくらいにはAIに慣れ親しんでるからね
→囲碁AIブームに乗って、若手棋士の間で「AWS」が大流行 その理由とは?
見た目が地味なのは他のテーブルゲームも変わらない。色がついている分将棋より視認性が高い。命のやり取りをしてるので中身は実はド派手
www.algorithmicartisan.com/gostones/
最初難しいのはどれも同じ。囲碁だけ特別難しいということはない
最近ぼちぼちやり始めた
将棋の方はヘボなのに囲碁の方だけどんなハイレベルな戦いを前提としているのか。非対称性がすぎる。
10手も20手も読めるのはプロの領域。アマチュアがそのレベルで打ってるわけがない。1~3手の読みが入れば十分。
適当に打って(指して)王手飛車・十字飛車や角での両取り、ふんどしの桂など痛恨の一撃を食らうのは盤面が狭く手数も少ない将棋のほうがはるかに多い。
棒銀などで自陣を突き破られたらほぼ負けるが、囲碁は多少やらかしても盤面が広いので挽回ができる。
超大雑把に言うと、相手の近くに打ったら攻めの手だし、自分の近くや隣接に打ったら弱点を補強する守りの手だと思って間違いない
将棋→飛車先の歩を突かれたから受けないと自陣突き破られる、金上がって受けよう
囲碁→隙間を覗かれてる。次に出てこられると突き破られたり分断されるから石を追加して補強しよう
で、ここで言いたいのが将棋における経験値と囲碁における経験値の差を無視してないか?ということ
果たして将棋の何の経験がない者が棒銀をやられた時に、それが何手も先の自陣崩壊につながっていることを予測できるだろうか
将棋であなたが飛車先の歩を突かれたときに自陣で受ける手を指すことが出来るのは棒銀で自陣を破られた経験があるからだ
直感で理解したわけではなく、自覚してないだけで経験による暗黙知があるからだ
囲碁においても同じことが言える
将棋の意図がわかって囲碁の手の意図がわからないのは、あなたの経験値の差だ
囲碁だって経験値を詰めば「こうすればこうなる」「だからこの守りが必要だ」というのがわかってくるようになる
囲碁において何の経験もないのに予測や意図の理解ができたらそれは紛れもなく天才である
我々は凡人だということを忘れてはいけない、経験や知識を蓄えることでのみ上達できるのだ。
最初の段階で何もわからないのは我々凡人にはいたって当然のことであり気に病むことではない。
見て読んで経験して覚えいくことを、なぜか囲碁にだけは最初から自分が有していることを期待する人が多い
ほとんどの人間は囲碁に対して赤ちゃんと同じ状態なだけだ。麻雀だって最低限役を覚えなければ、アガリの形を目指すことは出来ないだろうし解説を聞いてもチンプンカンプンだろう(生まれた時から麻雀の役が頭に入っている人間はいるだろうか)
詳細に知るならば『一手ずつ解説! 碁の感覚がわかる棋譜並べ上達法』っていうシリーズがあるからそれを読もう。Youtubeならフワ囲碁チャンネルに初心者向けのそういう動画がある。
https://youtube.com/playlist?list=PLfxbYC-F0TEo-mDZurdutQtydSZ_G09HG
それと最近はいごもんってサイトが出来て、「なぜそこに打つのか」という意図や作戦をプロやアマ達が投稿して寄せ合うサイトがあるのでそれを眺めるのもオススメ
囲碁に対する大抵の疑問や誤解は純碁で解ける
おそらく挫折者の理解を妨げている要因であろう陣地や石の生死の概念が純碁にはない
理解を難しくしているであろう陣地と石の生死の概念も、得点を上げようと盤上を石で埋めていく過程で必ず解決されるし、囲碁の「地」や生死というのが実はこの埋める過程を省略しタイムパフォーマンスを上げているだけのものであることが、やっている内に理解できるだろう
純碁こそが囲碁入門の最強のソリューションなので知名度が上がってほしい
全くそんなことはない。アマならツケヒキや星への三々入り定石など代表的なものを数個覚えれば十分。その場のアドリブでなんとかなる。
「定石を覚えて2目弱くなり」「定石は覚えて忘れろ」という至言もある。定石を勉強するのはそこに散りばめられた手筋や考え方を学ぶためであり、暗記するためではないのだ。前者は暗記した定石を披露することが目的化し、その局面に応じて変化することを忘れて余計弱くなるという格言である。
中国の状況はこういう感じなので「囲碁だから(囲碁の特性上の理由で)人気を出すのは無理」ということはない
https://i.imgur.com/U3SPnnj.jpg
https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg
https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg
『囲碁シル』っていうAIの選択肢をチョイスするだけのバトルや、定石のキャラカードを配置するだけで対局できる革新的な対局アプリが11月5日にリリースされるらしい
これで囲碁を「追体験」するだけでも何か囲碁に対する緊張感が解けてブレイクスルーのきっかけになるんじゃないか?
https://x.com/hjjgo_japan/status/1983758121828020381
一力四冠がLG杯決勝に進出し、応氏杯以来二度目の国際棋戦優勝を目指している
Permalink |記事への反応(28) | 13:05
BSジャパネクストがリニューアルBS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 [3択]ニューヨーク?
・04DJ KOO ディージェーコー
・05 あご
・03丸亀(市
・05ゴジラ
・06ブルスケッタ
・08一青窈 ひととよう
・09 [近似値]1億417万9275人
・11 ユウガオ
・13スカーレット・ヨハンソン
・14 『カグラバチ』
・16モヒート
・22 三叉(神経
・25カボチャ
・27マグナ・カルタ
・29 闇(もなほ
・30 ヤジマリー。
・32ジャッキー・チェン
・33e 7(枚
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(日曜本放送)このあとは「BS10からのお知らせ」→ジャパネットたかたテレビショッピング→ジャパネットたかたのテレビショッピング
16時からは「VS 今平周吾 #7」
実況側はちょっと待って
続き
姉が売られた先の国で幸せに暮らしているのが微笑ましくて面白いけれど、
残された妹が元凶である自国の第二王子を失脚させるべく立ち上がる今後も面白そう。
最近、宇宙猫的な演出が多い。例えば阿波連の1話、ウマ娘の3話、ワタルの15話であった。
このアニメにおいては毎回ある気がする。
OPは「わたしの幸せな結婚」ではお馴染みだったりりあ。この人の作詞と歌声はかわいらしいですね。
カメラがテーマとちらっと聞いてたので、銀塩かと思ってたら最近のアクションカムや全天球だとは。
私もTHETAを持っているので親近感を持って見てる。後で聞いたら作者はガジェットが好きなのね。
女の子が観光して飲んで食っての方が多めなので、「ざつ旅」と「日々は過ぎれど飯うまし」と被るところがある。
主人公っぽい子、影が薄いっすね。男子高校生の日常のようにならなければいいけど。まあ全員が主人公でいいか。
全12話。最終回めっちゃ面白かった。それにしても桜子は便利でいいキャラよね。
全13話。第2期は来年。面白かった。師匠は闘う理由がなくなったのでここで終わりか。いいキャラだったなー
軽めのワンダーエッグプライオリティ。または少し大人のおジャ魔女どれみか。
与えられたお店に来る客の願いを叶えると魔法のポイント、略して「マポ」が溜まって魔法使いになれるらしい。
でも面白いところはそんなファンタジー要素ではなく、彼女達が抱える悩み。ヤングケアラー、SNSによる身バレ、なかなかの社会派アニメ。
この辺りはただ人を選ぶだろうとは思う。舞台はタイトルどおりの前橋。
いやー、驚いた。視聴前、キービジュアルやPVを見た感じだと私には絶対あわないから見ないだろうと思ったらめちゃくちゃ面白かった。
これじゃ結局問題は解決しないだろ~と思うことが、ちゃんと何も解決されてないところもいい。
だよな、そんな簡単に解決してたまるか。ただ、自分が問題に向き合ったり、周りに相談して彼女達の悩みは少しずつ軽くなっていく。
回を重ねるごとにメンバーの本当の姿が明らかになっていくんだけど、ピンクの子はどんな感じなんだろ。
シャインポスト7話みたいに皆への裏切りを見せてくれたら個人的には嬉しい。かも。
AnisonDaysと1年間ものコラボ企画があるらしい(なんだかヒーラーガールズを思い出すね)
ピンクはあの性格の所為で今まで友達ができなかったという悩みがあったけどさらっと終わったな。
ヲタク気質のくノ一が男の家に転がり込んで、だらだらイチャイチャしながら過ごしつつ
妖魔が現れたらしっかり戦闘して倒したりして過ごす日常アニメ?の2クール目。15分アニメ。
美男美女しかいない紫雲寺家7兄弟姉妹、ある日突然父親から「実は君達は本当の兄弟姉妹ではない」と告げられる。
それまで "きょうだい" だと思っていた家族だが男女として意識しはじめる。長男を中心に「恋の争奪戦」が始まる。
マイクラみたいなブロックでものづくり、ユーチューブみたいに動画配信といったネタが結構入っており時代に合わせている。
特別面白いとは感じてないんだけど何となく見てる。前クールと比べOPが変更になった。
全24話。OPにSE、仲間との出会いと別れとパワーアップ、クライマックスで初期OPが流れるとか古き良きテンプレ満載で面白かった。
ウチではテレビで見れないけど好きそうなので後で見るやつ
・最強の王様、二度目の人生は何をする? フジテレビ +Ultra枠。全国ではないので見れない。 チラっと見たけど、今期はオグリキャプみたいに超前傾姿勢で走るアニメ多いっすね
全12話、続編となるSeason2が決定している。アーサー&ジャスミンいいなー
・アポカリプスホテル 日本テレビだけの放送なので関東圏以外では放送されてない(他はAT-X)。夕方の全国ニュースでは宣伝してたのにーゆみみみっくすファンなので何とかして見る。OPとEDはaiko 全12話。漫画版ナウシカを読んだことある人は、人類の変化についてある程度予想できたろうな。
・九龍ジェネリックロマンス テレ東でBSでもやってないので見れてない。TVerで見るか。中国の九龍城が舞台。クーロンでクローン
全13話。きれいに終わったんじゃないかな。サクセスの声、まさかの吉岡里帆なのね。今度の実写映画版で鯨井令子を演じるから、その繋がりでしょうね。
・LAZARUS これもテレ東系。アニマックスに入っていれば5月中旬から見れる。カウボーイビバップを感じるやつ。EDの1カット映像はエウレカセブンの初期EDを思い出す。全13話。アクションが凄くたいくつしなかった。最後は落ち着くところに落ち着いた感じ。面白かった。
・未ルわたしのみらい MBS/TOKYO MXということなので放送されてなくて見れなかったけど、何となくまあいいかなと。
・俺は星間国家の悪徳領主! 3話まで見た。面白いとは感じたけど世界が私には合わなかったかなぁ
・炎炎の消防隊 参ノ章 2期の弟が出てきたくらいから眠くなって見てない
・この恋で鼻血を止めて 3話くらい見て断念。ノリが私にはあわない感じ。海外のアニメを見た感想としてはよくある
・やたらやらしい深見くん
・GUILTY GEAR STRIVE: DUAL RULERS BS松竹東急が放送してくれたので何とか見れた。へーGUILTY GEARってこんな話だったんだ。一作目のゲームから知ってはいたがストーリーは知らんかった。という感じて見てたけど途中で断念。
・ちょっとだけ愛が重いダークエルフが異世界から追いかけてきた エロすぎるだけで感動もしなければ笑えもしないという印象だったので3話でやめた
・かくして!マキナさん!! 同上
・#コンパス2.0戦闘摂理解析システム どうもソシャゲ発アニメは、プレイしている人、知っている人しかターゲットにないのか、説明があまりないのが多い。置いてきぼり感を受けてこれも3話でやめた。
・WIND BREAKER 1期は見てた
・TO BE HERO X
・一瞬で治療していたのに役立たずと追放された天才治癒師 ブラックジャックみたいなやつ。実際にブラックジャックとのコラボイラストが5月5日から11日まで東京・池袋駅オレンジロードに登場する
・Aランクパーティを離脱した俺は、元教え子たちと迷宮深部を目指す。 前のクールからやめていた
・華Doll* -Reinterpretation of Flowering-
追記ですが、後悔がやっぱりすごい 4/29
次の出勤日に、上司か人事の方に正直に告白しようと思います。自分がやったことは取り返しがつかないかもしれないから。
胸の中に抑えておくより、正直に言って公僕としての裁きを受けたい。
(本文)
とあるYahoo!ニュースを読んだ。いわゆるAED問題に近いものがある。
今、頭がグッチャフルになってる。文章が読みにくかったら申し訳ない。
ひろゆき氏「女性にとって損」女性を介抱しながら男がわいせつ行為未遂疑い逮捕の報道受け
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202504100000126.html
※Yahoo!ニュースが消えてたので代わりに日刊スポーツ
この記事を読む前にも、当方もはてなユーザーだから、いわゆるAED文学とか揶揄されるものを読むことはあった。AED文学というのは、「男性は倒れている女性に(逮捕リスクを冒して)AEDを使うべきか?」を扱った文学らしい。
はてな匿名ダイアリーでもたまに、男性がAEDを女性に使用することや、したことについての日記があった。
覚えてる限りだと、(AEDを使ったことを後悔してるかもしれない https://anond.hatelabo.jp/20230524192008)だろうか。これ以外にもいろいろあったけど、ブクマしてなかったので今ではわからない。
自分は一応、公僕のひとりである。ピンチの人がいたら、自分とこの住民でも、住民でなくても助けてはあげたい。
こうした問題について、これまで個人的に考え悩むことはあった。でも、そういう機会に遭うことはまずないと思っていた。そしたら、先週末についに起こってしまった。
世田谷の東端であった職場の飲み会の帰りに、ついでに二次会のバーにも行って、ほろ酔いで道路を歩いていた。もう深夜が近かった。
すると、自販機のあたりで若い女性の人が倒れていた。素人から見ても危うい様子だった。しゃがんだ状態から立ち上がったけど、またゴロンと路上に転がってしまった。スカートじゃないのが幸い?だった。これはやばいやつだと感じた。
心配だと思って、その子の近くまで寄った。近くに歩いてる人は少ない。おかしいな、普段はもっといるはずなのに~!!と頭にきていた。女性の人がいたらヘルプの声をかけようと思ったけどいなかった。いや、何人かはいたけど、お水風の人だった。もし仕事中だったら申し訳ないし、雰囲気が怖かった。
その倒れた女性を見ると、咳き込んでいた。またゴロンと路上に倒れた。さっきは見えなかったけど、よく見たらそのへんにゲロ吐いてる。
心臓がバクバクして、本当にどうしようかと思って、助けようとしてカバンの中のタオルを探し始めたところで、上のひろゆき氏のYahoo!ニュースを思い出した。
結局、女性を助けずに帰った。スタスタとその場を離れて、数分も経つと何事もなかったみたいに、心臓がスッと楽になった。
でも、後悔してる。「なんで、あの時助けてあげられなかったんだろう」とか「救急車を呼ぶことならできたろう?」とか、後悔の念が頭に昇ってる。
あの人、大丈夫だったんだろうか。死んじゃいないと思うけど、でも絶対とはまで言い切れない。あの後吐いたりして、吐しゃ物が喉に詰まっていたらと考えると……
腐っても地方公務員である(※世田谷区の職員じゃありません)。あの場所で倒れていた女性は、うちの区民である可能性が普通にある。でも、助けるという選択を取れなかった。もし、上司や同僚がこのことを知ったらどう思うんだろうか。
これは重大なことかもしれない。もし、彼女がうちの区民で、当方が助けなくて重体になったことを立証されたら……厳重注意では済まない。多分、上司からも人事からも退職勧告を受けると思う。金曜日に当方がしたことは、公務員業界においては、それくらいひどいことだ。
「職員は路上で倒れている人がいたら救護せねばならない」という法律・条例・規則は存在しない。それ以下の内規すらもない。なんでないのかって、「当たり前」だからだ。公務員が、それも自分とこの市区町村の住民が倒れていたら救護をするのは。当たり前すぎて、法規にしたらむしろ不適切だと思う。
自分は、その義務を果たさなかった可能性がある。それが何よりもつらい。
でも、増田の人にだけは信じてほしい。怖かったんだよ。女性を介抱して、トラブルになって、警察に逮捕されるのが。
そんなことになったら、職場にいられなくなるじゃん。公務員になって、父親も母親もばあちゃんも、喜んでくれたのに。
今、罪悪感がすごい。
もし、自分がちゃんとした行動ができる人だったら、あの女性をきっと助けることができたんだと思う。
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、あの世で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の死を前にして悲しみに暮れるはずなのに、その言葉に不謹慎にも笑いを抑えることができなかった。人の心とは、かくも複雑なものである。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、天国で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
https://x.com/ojo199654/status/1892440495546122421?t=2nZevO9ivsRfKIaq3QWGVA&s=19
日本人のロリコンが田舎で小学生とやった漫画を上げ、海外に見つかり燃えている。
海外の美少女アイコンも驚愕し気持ち悪がっているし、これに7万いいねがつく日本や日本男性やロリコン男への軽蔑や殺意を隠さないツイートも多く支持を得ている。
生きたまま皮を剥げ日本男の絶滅を願うなど過激なバッシングも目立つし、これに七万いいねがつくロリコンの国日本への嫌悪も目立つ。
驚くことに外国人男性も普通にロリコン犯罪妄想を吐きまくる日本男を嫌悪してロリコン犯罪漫画バッシングに参加している。
この日記書いてる間に1.2万もいいねが増えていたくらい猛烈に伸びてる。
Weneed to start killingmore child predators. I’mbeing so serious
私たちはさらに多くの子供たちを捕食する者を殺し始める必要があります。すごく真剣なんです
https://x.com/E1ZOUKEN/status/1893362550097494460?t=OzRgLC8oOv07ZfqlJAvk6g&s=19
確かにとても気持ち悪いが、日本のロリコン作品ではよくあるレベルの表現だ。
直接的なエロシーンも描かれてない、それでもこうなるのが普通の感覚なんだと衝撃があった。
多分日本人の女が騒いでいたら表現の自由戦士達が嬉々として現実と漫画の区別がつかないキチガイフェミが幼女に嫉妬ーと叩きにきたろうが、海外で燃えたからかまだダンマリを決め込んでいる。
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
今思い出しても腹が立つ。
しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。
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私と苦手な彼は同じサークルに所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。
そこで私は苦手な彼と出会った。
初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルにいるから当たり障りなく過ごしていた。
苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。
私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。
苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることなく距離をとって過ごしていた。
サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたのイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。
良い大人だからとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。
苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイムの即興対応の負担が多く管理が大変だ。
私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。
ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。
感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。
それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?
反論できたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。
ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。
苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。
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今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。
最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。
しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉の応酬するスキルがないのかもしれない。
いや違うな。自分の好きなイベントを議論して自分のイベントを否定されるような結論の可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。
議論した結果を受け入れ合えるような関係を持ってたら、私は話し合える勇気があったかもね。
権力勾配で強制性が発生するのであれば、最も大きな勾配は同業務である松本人志ー小沢一敬間にあるのだから、小沢のアテンド行為自体にも強制力が働いたと見るべきだろう。
たとえ松本からの明確な指示がなくても、公になっている過去の言動から、松本がそれを望んでいるのは明らかな訳で。
小沢は加害者でもあるが、歪な権力構造に嵌まり込んだ被害者でもある。
松本くらい権威を身に纏ってしまったら、セックスに限らず全ての行動に強制性が発生し、パワハラやセクハラの色彩を帯びることを自覚すべきたろう。少なくとも日本国内では。
関係者は多かれ少なかれ接待モードで接するだろうし、松本何か希望を口にすれば(匂わせれば)実現に奔走するだろう。飲食店や宿泊施設、商業施設でも有形無形の優遇を受けているはずだ。
比較的国内での拘束時間が少ない大物ミュージシャンが海外に移住するのは、そういったリスクを無意識であれ感じているからではないか。