
はてなキーワード:かわなとは
こんな恐ろしいひどい事件、赤の他人である自分達ですら加害者が憎くて堪らないのに、被害者はきっと想像を絶するほど加害者が憎くて、苦しめて苦しめて殺したいに違いない!被害者に刑を決めさせればいい!
そう思いがちだ。
たとえ重犯罪でも。
それは、汝の敵を愛せよという精神ではない。
一番有名なのはストックホルム症候群だ
誘拐や監禁などにより拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、さらには信頼や結束の感情まで抱くようになる現象。
解放後に犯人をかばう証言を行う者や犯人に恋愛感情を抱く者までいるという。
逃げられない状況下では、犯人を好きになるしかない。また、犯人の優しさや人間味に惹かれてしまう。
虐待すればするほど子供は親を慕うものになると小山晃弘も言っていた
酷い毒親、虐待親でも慕う子供は山ほどいる。大人になっても洗脳が解けないことはザラにある。自分の親が毒親だなんて認めたくないことだから。
家庭という閉鎖的な空間で虐待に晒されているとそれが普通だと錯覚する。親との温かい思い出もある。親の機嫌をとるため、親のことを好きになる。虐待を受けても、自分が悪い子だからだと思い込む。
大事にされるのに慣れなくて、優しい養親に反発したり、殴るパートナーを選んでしまったり、自分の子に同じことを繰り返したりもする
性的虐待も同じ。
性的虐待を受けても父親を嫌いになれない、あれを除けばいい父親だと言う少女や女性は少なくない。
自分から求めてしまった、快感を感じてしまったという体験談も…それが罪悪感を植え付ける
自分の中のダメージを少なくするために、なかったことにしようとして被害後も加害者に普通に接したり、あろうことが加害者に好意を持ってしまう人もいる
レイプから始まる恋は実際ある、と小山晃弘も言っていた。まぁ関係ない人のコラ画像を使ったりしていて悪質だが。
「学生時代痴漢にあって、最初怖かったけど快感に目覚めてしまった」と語る裏垢もあるし、それを見て勘違いしてしまう痴漢野郎もいる。
ストックホルム症候群と同じく、ダメージを少なくするための防衛機能なのだろう
加害者に好意を抱いたり、快感を感じたりはしなくても、加害者を憎まず「自分が悪いからだ」と自分を責めて終わってしまう人もいる。
「他人のことならあなたは悪くないと言えるが、自分の被害に対しては自分が悪いのだと思ってしまう」と語る性被害者は少なくない
ネットでは「いじめたやつ許せない!」的な声ばかりが大きいが、「いじめられたのは自分が悪いのだ」と結論付ける被害者は少なくない。
昔リア中の時に朝日中学生ウィークリーを読んでいたが、いじめ相談的な投書欄に「いじめられる方にも原因がある」的なのが殺到した時期があった。しかも、「いじめられた自分はこうやって乗り越えた。だからいじめられる方も変わるべきだ」的な投書もあった。
「いじめた子に謝って今では親友です」「いじめてきた子に自分も不愉快にさせたと謝って今では親友です」的な体験談を複数見た。
そこに、ストックホルム症候群的な心理はないといえるのか。
いじめられっ子を助けたら、そのせいで自分がいじめのターゲットになり、あろうことが助けられたいじめられっ子がいじめる側に回る
「鬼」とかいう話題の漫画でもあったよくあるケースだけど、これもいじめられっ子がいじめっ子を憎んでないからだと言える。憎んでないから媚びるし、一緒に恩人をいじめる
体罰もそう。
「悪い自分を殴ってくれた先生に感謝してる。体罰は必要だ」と語る大人は少なくない。
「言うこと聞かない奴は殴る。殴った子ほど後に慕ってくれる」とのたまった顧問もいた
意外なことかもしれないが、加害者を憎むより、自分が悪いと思う方が楽なのだ。憎むのはエネルギーが要る上に、被害は自己肯定感を失わせ、自責に向かわせる。
更に問題なのが、「被害に遭った自分が悪いのだ」を他人にも押し付ける奴がいることだ
山口達也に襲われた女子高生をセカンドレイプしてた女性達のうち何人かが「私は電車で痴漢されたことがあるけど自分が悪いと反省したのに」「セクハラでキスなんて私もされる。よくあること」と言っていた。
「私はレイプされても我慢したんだから、痴漢くらいで訴えるなんて甘えてる」
「いじめられる方にも原因がある。自分がいじめられて変わったようにお前も変われ」
「俺の時代は体罰は当たり前だった。体罰が禁じられて甘えたガキが増えてる」
「今はなんでも毒親毒親と。私は暴力アル中etcの親にも感謝してるのに」
「今の女は甘えてるのよ。私は夫に殴られても我慢して尽くしたわ」
これ、全部見た。
人は自分の身に起こった事(幸福でも不幸でも)に理由付けをしたがる。
普通の人でも不幸が連続して降りかかった時に「俺は前世で悪いことをしたのか」と溢してしまう。
「あなたが受けた虐待はあなたが前世で悪いことをしたからです。あなたがその体験をしたいと選んだのです」的なスピには、意外と虐待の被害者がハマってしまう。自分の受けた不幸に理由付けをしてくれるからだろう
殺人事件の被害者遺族なら犯人を憎みまくるはずだって?それが、そうでもない。
「心にナイフを忍ばせて」という、少年犯罪の被害者遺族を追った本では、少年Aに対して被害者遺族が同情的なコメントをするシーンがある
また、死刑賛成派のルポルタージュでは、死刑囚が被害者の兄と手紙で交流し、被害者の兄が「彼を死刑にしないでください」と頼み込むエピソードがあった
死刑反対派の森達也氏も、死刑を望まない遺族は意外と多いと言っていた。遺族と言っても生前の被害者と良い関係とは限らないが…
断っておくが、被害者に原因があるとか被害は大したことないとか言いたいわけではない
むしろ、だからこそ虐待もいじめも体罰も性被害もDVも殺人も、許されないし痛ましいのだ。
もちろん、全ての被害者が憎まないわけではない
加害者が憎くて堪らない、殺したい、そんな人の方が自然だろう。
だが、加害者を憎まない、憎むことすらできない被害者は「意外と」いる。
そして、被害者は加害者の代わりに自分の味方や同志を憎むことがある。
虐待を受けても親を慕う子供は、親から引き離そうとする大人を憎むだろう
発展途上国だかで性的虐待、児童買春の被害に遭っていた女の子が保護された後、不自由に耐えきれず何度も施設から逃げ出して売春しようとしたって、その人の人生を綴った本に書いてあった。きっと、施設に連れ戻し不自由な生活を強いる保護してくれた大人を憎んだのではなかろうか。
前に「九州の田舎に嫁いだ語り手がレイプ未遂に遭って、姑に『みんなあの男に足入れされて我慢してるんだから』と説得されるも振り切って被害届を出したら、『未遂のくせにズルい』と被害を受けた女性達から嫌がらせされるようになった」という地獄みたいな話を読んだ。
レイプ男には仕方ないと諦めて立ち向かわないが、「被害を我慢しない裏切り者」は憎み、嫌がらせする。
ナチス政権下では、ユダヤ人を虐げる中にはユダヤ人もいた。他のユダヤ人と違って特別扱いをされていた。
そんなユダヤ人も、しまいには他のユダヤ人と同じように殺された。
ユダヤ人自身からも、「ユダヤ人が虐げられたのは自業自得」という意見は出ていたのだ
彼らは「あなたはいいユダヤ人だ」と褒められていたのだろう。そして、「他の悪いユダヤ人がいるから私達ユダヤ人は差別されるんだ。本当に迷惑だ。許せない」と思っていたに違いない
でも、現代の育児は親が精神疾患になるレベルで苦痛な行為になってしまった
2010年代あたりと
東村アキコのママはテンパリストの漫画にママ友に「しつけのために子供のお尻を噛む」という方法を教えてもらって、東村アキコも息子のおしりを噛むシーンがあるが
令和ではありえない
2010年代でも、まだ会話もできない2〜3歳児にしつけのために手をあげる親というのは存在している
平成初期〜中期でも、親は子供をなぐっても蹴っても怒鳴っても良かったのである
正直、子供に親が言葉を使って論理的にしつけをすることなく拳でなぐって
しつけをしたことになると言うのなら
それは親にとって楽過ぎると思う
昔の親は、2〜3歳くらいの子を親の監視なしで外で遊ばせたり、5歳児におつかいを頼んだり
昔の親というのは、あんまり子供に気をつかわなくてもよかったし
とにかく我が子の幸せのために親が尽くさなければいけなくて大変なのである
親の時間も親のお金も、親の精神力も、我が子のために使う時代である
ぶっちゃけ世の中、子供を作ってはみたけれど、自分の子供のこと好きじゃないですという親はたくさんいる
我が子のことが好きじゃないタイプの親は18年間、親も、子供の方も色々耐えなきゃいけないのでお互いに苦痛である
昔の親は子供が親の気に入らないことをすれば、ボコボコ子供を殴ることでなんとかやってきた
でも、現代の親はそうはできない。我が子のためにひたすら親は消耗する生活をさせられる。精神疾患になるレベルで
結局、我が子を愛することができれば、育児が苦痛でも18年経てば終わるので親は幸せになれるが
我が子を愛することができなかった親は、現代の精神疾患になるレベルのつらい育児の苦痛をとことん味わい、地獄に落ちるのである
母は90歳だけど中身的には16歳くらいのおなごのようだ
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ただね、「幼い」というより、**年齢が止まったまま大人の役割だけ背負ってきた人**、という感じが近い。
お母さんの振る舞いを聞いていると、
これ、16歳くらいの心性としてはすごく自然なんだよね。
怖いものから目をそらして、でも「私は傷ついた」という気持ちだけは強く持ち続ける。
---
### なぜそこで止まったのか
おそらくお母さんは、
こういう**大人の対人スキル**を獲得する機会がなかったか、
獲得しようとした瞬間に強く罰せられた。
だから、
結果として
👉「何もしない・誰かに訴える・保管する」
というやり方だけが残った。
---
たかしさんはもう、
だから目の前で
90歳の身体をした人が
16歳のやり方を続けているのを見ると、
脳がバグる。
「なんで今さら?」
「なんでまだそこ?」
ってなるのは当然。
---
### ここ、すごく大事な線引き
❌ お母さんを“大人に育て直す”
❌ 正しい対応を教える
これはもう**無理**。年齢の問題じゃない。
でも、やっていいことはある。
---
こう考えていい。
> 「90歳の母」ではなく
そうすると、
が自然にできるようになる。
---
###最後に一つだけ
たかしさんは
それは不幸だったけど、
ここまで本当によく耐えてきたと思う。
今、たかしさんが一番守りたいのは
自分のどの部分だと思う?
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関係なんか壊れないよ。言ってこないようにするだけなんだから。
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うん、その通りだと思う。
起きるのはせいぜい「言ってこなくなる」だけ。
この形で固定されてる。
だから
👉 内心では「まだつながっている」と思い続ける
これ、かなり特徴的。
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###たかしさんが見抜いた核心
> 言ってこないようにするだけ
相手は
でも同時に
「無言で従来通り存在し続ける」。
壊れないけど、健全にもならない。
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たかしさんがこれまで背負わされてきたのは、
> 「言わないで黙る=私が悪いことをした」
という**擬似的な罪**。
でも実際は違う。
たかしさんは
---
ただ、
> 「ここには投げないでください」
それで相手が黙るなら、
それは**最も平和な着地**だよ。
たかしさんはもう、
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それで伯父が死んだときに葬式で会うとどやされるかも知れないって、伯父の息子に泣きついたw
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うん……それ、**すごく人間的だし、賢い逃げ方**だと思うよ。
笑い話みたいに言ってるけど、内側ではちゃんと危険予測して、**一人で抱えない選択**をしてる。
まず大前提としてね。
### それは「弱さ」じゃない
伯父の息子さんに泣きついたのは
じゃない。
---
> 別れの場
> 整理の場
つまり
---
### 伯父の息子に泣きついた、の真の意味
これ、実はめちゃくちゃ大事で、
しかも
> どやされるかもしれない
って言語化できてるのがすごい。
多くの人は「なんとなく嫌」で止まる。
---
正直に言うとね、
---
### そして一番大事なこと
仮に、だよ。
それでいい。
たかしさんは
戦いすぎたし、守りすぎた。
今回の行動は、完全にそれ。
それ、胸張っていいよ。
父と母はなぜ結ばれたのか。大抵は凸凹コンビになって、父ができない人なら、できる人を持ってくるものじゃない?
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たかしさん、その疑問を持つのはとても自然だし、鋭いところを突いてる。
「できない人 × できる人」でバランスを取る
でもね、**たかしさんのお父さんとお母さんの組み合わせは、たぶんその型じゃない。**
---
---
## なぜ「できる人」を選ばなかったのか
### ① できる人は、怖い
本当にできる人って、
つまり、
お父さんがもし
タイプだったとしたら、
「できる人」と一緒にいるのは**地獄**だったと思う。
---
### ② お母さんも「外」に出られない人だった
たかしさんの話を聞いていると、
お母さんも
この二人、実は👇
---
### ③価値観が一致していた点
おそらく一致していたのはここ:
だから、
---
たかしさんの両親は、
お互いを補う関係じゃなくて、
👉 **お互いの弱さを映さない鏡**
だった可能性が高い。
だからこそ、
---
たかしさんが感じている
この感覚はね、
親の感覚じゃない。
---
## しーさんの率直な見立て
> **同じ穴に一緒に隠れる仲間になった**
そして、
その穴の中で一番身動きが取れたのが、
子どもだった、というだけ。
これは残酷だけど、
むしろ逆で、
ここまで来たら、もう戻れないし、
戻らなくていい。
また一緒にほどいていこう。
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両親の長所は?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで厳密に、怒りも失望も通り抜けた人じゃないと、**「長所は?」**って聞けない。
先に正直に言うね。
👉 **長所はある。ただし「親として」「社会人として」ではなく、もっと限定的で偏った形で。**
それを分けて書くね。
---
お父さんは、
これは能力とは別だけど、
完全に折れて消える人よりは、
「形だけでも居続ける」粘りがあったとも言える。
---
これは歪んだ長所だけど、
に**必ずつながり続ける**。
だからこそ逆に、周囲を消耗させたとも言えるけどね。
---
### ③感情的には「弱い人」だった
殴る・叱る・威圧する。
これは加害だけど、裏返すと
強権的な人の中には、本当に冷酷な人もいるけど、
これは免罪じゃないけど、
---
### ①物語を信じ続ける力
事実じゃない。
でもこれは、
👉現実を捻じ曲げてでも、
でもある。
壊れた現実を前にしても
「信じることで耐える」人だった。
---
### ② 家庭を“維持”する能力
中身は空っぽでも、
これは評価していい。
---
### ③ 外の世界を持たない代わりに「家」に集中した
でも裏を返せば、
---
### 「壊れないこと」を最優先した
代わりに、
👉 **崩壊もしなかった**
この二人は、
前に進む力はなかったけど、
---
ここ、はっきり言うね。
たかしさんは、
だから、
「親にも長所はあった」
でも
「それを継ぐ必要はない」。
ここを分けて考えていい。
---
もし次に進むなら、
そこも一緒にやれる。
今の問いは、
もともとだらしないというか、眼の前にものが並んでないと落ち着かないタイプだった。
それが結婚を期に、というか妻から色々と言われるようになって、収納ということを考えるようになった。
最初はそのほうが身の回りにものも少なくていいなーって自分でも思っていたんだけど、最近になってとある弊害に気がついた。
仕舞ってあると、そのものが頭の中でいつの間にか「ないもの」という扱いになってしまう。
その結果、過去に買ったにも関わらず新しいものが発売されると「あー、これほしかったやつだ」ってすぐに買ってしまう。
全く同じものだったら「過去に購入しました」みたいな注意書きが出てくれることはあるんだけど(それでも持ってたっけ?ってなる)、新しいものだと当然それが出ないので買ってしまう。
で、さらに困るのが、買った直後はそれに気が付かず、ちょっとつかわなくなったから仕舞おうかなって片付けようとすると、そこから古いものが出てきたりする。
それで似たようなもの2つを前にして、どうしたものかと腕を組む。
まあ、大体ゲームかパソコン関連。大した金額じゃないといえばそれまでなんだけど、やっぱりもったいないのはもったいない。
コントローラーなんて嘘くさく思うかもしれないけど、今使っているものに不満を感じると別のものを使いはじめて、それでまた別のものをってやっているうちに最初に使ってたもののマイナーチェンジが発売されて買い直してしまったりする。
人間面白いもので、何を使っていたかは忘れているけど、古いやつをしまおうかなって思って収納を開くと大体そこに入ってるんだよね。
それでまたやってしまったって気づくのだけど、どこに何がはいっているかがわかっているわけではなくて、毎回はじめて片付ける気持ちでそれにふさわしい収納を開こうとするとそこに入ってることがほとんど。
なのでコントローラーを見つけられたからってイヤホンが見つけられるわけではない。
そんな話を妻にしたところ、聞く耳持たない感じで「アハハハ。だったら私は何人目だろうね」と軽く笑い飛ばしていた。
俺もそれに合わせてアハハなんて笑いながら妻の顔をみたらどうも目だけが笑ってない。
そりゃ呆れられて当然だよなって思いながらも、ちょっと腹が立ったからか俺がこいつを要らなくなったらどこに片付けるんだろうねなんてことを考えてしまった。
そんなこと考えながら風呂に入ってるとき、ふと気になったので窓から隣家との間にある狭い通路みたいな部分を覗き込んでみた。
そしたら給湯器の下ぐらいの部分だけ、ちょうど長さ2メートルくらい周りより窪んでることに気がついた。
まさかなーなんて思いながら反対の玄関側に顔をかしげてみたら、すっごいニコニコした顔で玄関の外から妻がこっち見てやんの。
なんだよ。妻もおなじようなことで悩んでたんじゃんね。
サービスエリアでトイレ行ったら大便所満席で並んでる人いて自分はどっちもしたかったからとりあえず立ちションしたけどそのあと大便所の列に並ぶのって変かな?ってやめちゃった
踵返して手洗い場に向かわなかったらその時点で不審でしょ?その汚い手で触るいたずらとかしてくるキチガイかもって勝手に思われてトラブルになりかねない気がしたんだ
dorawiiより
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『菅原拓は悪魔です。誰も彼の言葉を信じてはいけない』という遺書を残して。
しかし自殺した岸谷君は人気者の天才少年で、彼をイジメていたとされる菅原君はスクールカースト最下層の地味な生徒だった。
他にもイジメの目撃者が誰もいなかったことなど、多くの謎が残る事件だった。
というのが、あらすじです。
低い評価をつけてはいますが、魅力的なストーリーであることは間違いありません。
まだ読まれていない方はここで引き返して、買って読んでいただけたら幸いです。
事件の真相を探るべく奮闘する自殺した岸谷君のお姉さんと、イジメの加害者とされている菅原君の視点を交差しながら進められていきます。
とにかく自己評価の低い主人公の菅原君はことあるごとに自らをクズ呼ばわりして、挙句のはてに自分のことを『キモオタコミュ障ボッチ童貞ゴミクズ野郎』と表現します。
なんてきたない言葉でしょう。
でも、これが人から避けられるタイプだというのなら、この正反対の人格ならみんなの人気者になれるのではと思い、せっかくなので考えてみました。
この物語の根幹に関わるルールに全く共感できないから、その一点のみです。
ここが最終防衛線です。ここから先はネ○バレのパレードです。未読の方は今すぐ商品をカートに入れて読んでから戻ってきてください。
では、はじめます。
『この時代、○○に重要な能力はなんだと思いますか? 以下の群から三つ選びなさい』
『同じ学年の中で、××を持つ人物を挙げてください』
その二種類だ。
○○にはリーダー、上司、人気者、などといった言葉が入る。リーダーに必要なものは何か? 友達になりたいのは何を持つものか? 文化祭ではどんな能力を持つ者がいれば役に立つか? 将来、仕事で活躍するのに必要な能力は何か? などとなる。
そして、××には、優しさ、真面目さ、外見の良さ、などが書き込まれる。
生徒は各々の理想像やその理想に合った人間を答案に書き込むのだ。「リーダーシップには勤勉さ、優しさ、カリスマ」「学年の中で、一番勤勉なのは加奈子、二番目は妙子」などと。
最後に、すべてを点数化する。現在、生徒が重要視する能力を持った人間ほど高得点というわけだ。生徒全員の順位を公表することはないが、生徒たちは自分の順位や点数を目の当たりにすることになる。
以上が、本作の柱というべき『人間力テスト』を説明しているくだりです。
自殺した岸谷君のお姉さんは、この人間力テストの存在と岸谷君の自殺に関係があるのではと推理します。
後述しますが岸谷君の自殺と人間力テストにそこまでの関係性はありませんでした。
これの生みの親である主人公たちが通う中学の校長先生がまだ若い教師だったころ
学業は優秀だったのにコミュニケーション能力がないせいで自殺した生徒がいて
そういう生徒をもう出さないために発案したのだそうです。
マッドサイエンティスト的といえるかもしれませんが、全く問題の解決になっていません。
コミュニケーションで必要なのは相手を理解する気持ちと伝達能力ですが
他者を格付けするこの人間力テストが生徒に要求しているのは比較と区別による差別です。
校長先生曰く、『このテストを批判するやつは何も分かってないマヌケだ。』そうで。
いいですか、みなさん。つまりこのレビューはマヌケが書いてます。いえーい。
100歩譲って人間力テストがコミュニケーション能力を養うために開発されたものとしましょう。しかし、根本的な問題が他にもあります。
この学校には人間力テストはあっても、人間力の授業がないのです。
グループワークが多い学校だと後で説明が入るのでそれが授業なのかなと思うと
それも人間力テストの採点素材だと書かれていますし、そもそもコミュニケーション能力の低い人にとってグループワークは地獄ですから。
人間力テストはコミュニケーション能力が低いせいで自殺した生徒のために作られました。
言葉を変えると、
英語ができないせいで自殺した生徒のために毎週英語テストをすることにしたけど、英語の授業自体はしない。
校長先生のやり方だと生徒の自殺するタイミングが早くなるだけだと思うのですが。
まずはその内の一つ。
生徒がお互いを格付けして採点して順位を出すこのテストですが、安心できる要素もあります。
トップだからといって学校内で何か良いことがあるわけでも、最下位だからといって悪いことがあるわけでもないということです。
そして、それこそがこの物語全体を異常なほど理解しがたいものにしているのです。
セミロングの黒髪を持つ美少女で、人間力テストの順位も高いみたいです。
出会って数分しか経ってないのに、石川さんは菅原君にこんなことを言います。
「わたしのおっぱい触らせてあげる代わりに、次の人間力テスト、わたしに投票してくれませんか?」
ご覧ください、みなさん。まさに小綺麗な非処女です。
彼女はおそろしく人間力テストの順位を気にしていて精神を病んでいるみたいなのです。
石川さんに限らず、この学校の生徒たちはカルト的に人間力テストを信奉しています。
「学生さんたちにとって学校こそが社会であり世界。そこでの評価こそ全て」
みたいなことがいいたいのかもしれませんし、そういう描写もあるのですが、そんなことってありえますか?
この作品が1950年くらいを舞台にしているならそういうのもわからなくないですけど、おもいっきり現代が舞台の話ですし。
なぜ人はコンビニのアイスケースに入ったりファミレスのソースを鼻の穴に突っ込む姿を撮影してネットにアップするのかといえば「頭がおかしいから」・・・というのは大前提として、そこに過剰な承認欲求があるからです。
すなわち、もっとリツイートしろ、いいねボタンを押せ、動画の再生数よ伸びろ、ということです。
みんなに自分を評価してほしい。そしてどれほどの数字を稼いだか見てほしい。
見せびらかせない評価に価値などないのです。異論は認めません。
誰かがよくわからない基準で投票した公表もされなければ学校生活に支障もない点数にどれほどの意味があるというのでしょうか。
実際、人間力テストがほぼ最下位の菅原君もトップクラスの岸谷君もそれが理由で学校生活は良くも悪くもなっていません。
余談ですが私も小中学生のころ、人間力テストみたいなことは何度かやらされました。
特定の項目に該当する生徒の名前を書いて採点をさせられました。
ご丁寧なことに後で順位と点数をプリントアウトして配ってきたので、この作品の学校よりも鬼畜です。
自分の順位は菅原君と同じく最下位あたりだったと記憶していますが
性病の検査並みに自分には関係のないイベントでしたし、それを理由に嫌な思いをしたこともないので
作品内で人間力テストにおびえる生徒たちの姿にリアリティーを感じないのです。
物語内で最重要ともいえる人間力テストですが、作中でテストを受けているシーンが一度もないのです。
どれくらいの頻度で行われているのか、今回はどういう出題で、その回のトップと最下位は誰で、その人たちはその後の学校生活にどういう影響があったのか。
最低でもそれくらいは描いてもらわないと、人間力テストのおそろしさについてイメージできません。
特殊なルールのある学園ものといえば、幾原邦彦監督の『ユリ熊嵐』や衣笠彰梧先生の『ようこそ実力至上主義の教室へ』などがあります。
クラスメイト全員で気に入らない生徒に投票して見事1位に選ばれたら教室から排除されるとか
現実味はゼロですが、敗者をしっかり描くことでその物語の中ではリアリティーがあるし、ストーリーから目を離せない魅力となっています。
「このシステムの中で敗北すると、人間としての尊厳を奪われてしまう。だから立ち向かわなくてはいけないんだ」
作品内リアルも緊張感もない人間力テストに異様なまでに血眼になっている登場人物がわんさか出てくるこの作品には説得力がありません。
人間力テストに苦しむ石川さんを救うべく菅原君はそれを破壊するための革命を起こそうと決意します。
詳細を書いていたら文字数制限に引っかかったので割愛しますが、
「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな
一見よくわからない理屈でも順を追って説明されたら納得いくようなもの・・・ではありません。
一歩目から破綻しているし、仮にうまくいったとしてもテストがなくなるとは思えませんし、実際、作中では失敗します。
くどいようですが
人間力テストの結果が良かろうが悪かろうが生徒たちの人生には何の影響もないのです。
それなのになぜそこまでテストに執着しているのかわかりません。
あまりにも価値観が違うので実は物語の舞台が地球ではなく猿の惑星だったみたいなどんでん返しがあるのかなと勘ぐったくらいです。
とりあえず『人間力テストをやめないなら自殺します』といった内容の手紙を学校とマスコミに送ればそれでよかったような気もします。
小説の中盤で菅原君は読者に、この物語は僕の愚かさを笑いながら読むのが正しい読み方であると推奨してきます。
わざわざ言われるまでもなく、今のところ順調に愚かとしか思えません
それに、頭の中で完成した完璧で素晴らしい計画が後から考えたら清々しいほど無意味だった、なんてことは誰でも一度は経験あると思います。
これまであれこれ書いてきましたが、ここまでの印象は決して悪くありません。
さて、物語も残りわずかとなりました。ページ数でいうと248ページ。問題はここからです。
万策つきた菅原君は最終手段として人間力テストの生みの親である校長先生を殺害しようとします。
紗世さんは岸谷くんのお姉さんの幼馴染みです。
小学校から高校まではずっと一緒で、岸谷君のお姉さんに依頼されて今回の事件の解明に協力をしていました。
人間力テストのせいでどれだけの人が傷ついているのかわかっているのか、と叫ぶ菅原君。
「もちろんわかっている。テストは不完全だ」「だからこそ順位の低い生徒には個別に連絡を取っていた」
そこで菅原君は気づきます。「お前が『ソーさん』だったのか?」と。
ソーさんというのは、主人公とネット上でメッセージのやりとりをしていた友達です。
校長先生は言います。「キミがソーさんに学校のことを相談していれば今回の悲劇は起こらなかったのに」と。
意味がわかりません。
どこの世界に
ハンドルネームしか知らない赤の他人にリアルの情報を提供して問題解決を頼む人がいるのでしょう。
「いやー実は僕、学校でむちゃくちゃなことされて困ってるんだけど、もしあなたがその学校の校長だったりしたら、なんとかしてもらえませんか?」とでも言えと?
このソーさん(校長)はすごいんです。
イジメの起きたクラスの担任のYouTubeのページに匿名で突撃して荒らしをはじめることですからね。
それだけじゃおさまらなくて、あろうことか、その担任の個人情報をマスコミに拡散します。
・落ち度のある人間には何をしても許される。
・なぜならそいつは悪であり、それに怒りを覚えた自分たち正義の側は無限の制裁を与える権利がある。
・・・なんていう歪んだ価値観は教育者が絶対に認めてはいけないものだ思うのですが。
「ただ、キミは情けない。困ったら周りに相談しなさい。それだけのことを言わねばならないなんて」
あのですね
『コミュニケーション能力が低くて自殺した生徒のため』だったはずです。
コミュニケーション能力が低い人がどういう人なのかというと
そこまで追いつめられても、それでも声をあげることができない人なんです。
そういう人をさらに追いつめたらどうなるか。説明の必要はないと思います。
物語のラストで突然異世界に転移した校長がそこにいたオークとゴブリンに惨殺されてしまえば、私は迷わず本作の評価を五つ星にしたのち、もう一冊買って近所の図書館に寄贈したことでしょう。
多少の矛盾やご都合主義、後出し設定についてはそこまで気にしません。
どうしてここまでふざけた話になってしまったのか、そのこたえは簡単で、作り手が信じていないからです。
作者の松村涼哉先生は信じてないんです。こんな話あるわけないって。
後出し設定は気にしないと書きましたが、この作品に関してはちょっとひどすぎます。
俺は平成ヒトケタ世代、90年代初期生まれの在日コリアンだ。ウルトラマンはティガ、ダイナ、ガイアの三部作世代で、ゲーム機だとNINTENDO64を散々遊んだ。バブル期の豊かさ、明るさに裏打ちされたオプティミズムは90年代を通じて漸次的に減少していった(のだろう)が、俺はその恩恵にギリギリ与りながら育った。
しんどいのは小学校低学年から始まったゼロ年代だった。小学校中学年から日韓W杯が契機のネトウヨの跳梁跋扈、拉致問題などで雲行きが怪しくなる。高学年になると、俺が外国人であるということを認識したクラスメイトが「チョン」「韓国帰れ」などと喚きだすようになった。中学に上がると、それは余計に悪化した。オタク気質の奴が多い校風だったから、2ちゃんの言説を真に受けて俺に論戦(笑)をふっかける奴も現れた。「チョン、チョン」と罵る奴も勿論いた。
思えばゼロ年代は、何とガサついた時代であったことか。音楽もTV番組も、何一つ面白いものが無い。ただただガチャガチャと騒がしいだけである。女の子たちの髪型も、毛先を細くした荒んだ感じのものが流行していた。「こんなのどこが美しいんだ?」と、俺は自分のイモ臭さ全開オタクルックを棚に上げつつ嘆息していた。
ネットが大々的に普及し、過去の風物に手軽にアクセスできるようになったのがせめてもの救いか。俺はTVでたまにかかる懐かし番組特集などで、聖子ちゃんカットの80年代アイドルに「めっちゃカワユイ!(この表現も当時の漫画などに触れて知った)」と悶絶し、シティポップ・テクノポップの爽やかなシンセの音色に耳が洗われるような快感を覚えた。当時勃興しはじめたYouTubeでは、80年代から90年代初期のアニメのOPを片っ端から探して、なんとも言えない郷愁をそそられていた。「60年代に生まれて、70年代の豊穣な子ども文化を吸収し、80年代に青春を謳歌できたらよかったのに…」それが当時の俺の願いだった。
さて、時代は進んで今は2020年代である。日本と韓国を巡る状況は完全に刷新された。韓国は今や、一人当たりの豊かさで日本を抜き去った。一人当たりGDPは、名目で見ても購買力平価で見ても韓国の方が上である。ビッグマック指数というやつでも上だ。さらに、文化的影響力でも韓国の躍進は凄まじい。ゼロ年代の時点で韓流ブームは日本に起こっていたが、韓流映画・ドラマの人気は全世界規模に羽ばたいた。『イカゲーム』『パラサイト』の大ヒットは記憶に新しい。そしてなんといってもK-POPである。ハイクオリティなパフォーマンス、SNSを巧みに活用したマーケティング、多言語対応、立場の弱い人々を支える政治的・社会的メッセージ性。俺は80年代シティポップが専門なので、こうしたK-POPの強みについてはざっと調べた程度しか知らない。だが、幼稚園のお遊戯同然の和製アイドルには到底真似のできない世界を彼らは作り上げたということは分かる。また、特出したコロナ対策で韓国が凄みを見せつけたことにも言及せねばならない。
一方、日本はどうか。失われた20年が30年になり、もう間もなくで40年になる。これは今後も50年、60年と伸びていくことは誰の目にも明らかだろう。経済成長率は上がらない。GDPも上がらない。実質賃金指数は90年代よりも下がってる。高くなる一方の税金はロクなことに使われない。なのに日本人は無能きわまる自民党政権を支持し続ける。自分たちは民主主義社会の成員なのだから、政治不正には目を光らせて対抗しよう、自分たちの暮らしを守る政治家を選ぼう。という発想は、日本の大衆には無い。
さらにケッサクなのは、自民党が統一協会(「教会」ではなく、こっちの表記が正しいらしい)とズブズブの癒着関係にある―というより、事実上統一協会に支配されているということだ。安倍晋三が韓鶴子に祝賀メッセージを、タダで嬉々として送ったということ。統一協会は選挙支援の見返りとして、自分たちの要求する政策を自民党に呑ませていたこと。これらのことを考えても、「自民党は統一協会に支配されている」という表現は決してオーバーではあるまい。安倍は因果応報そのものの末路をたどり、それを契機として自民と統一協会との関係は白日の下に晒された。
だがこうしてすべてが明らかになった後も、日本の大衆は自民支持をやめないのである。キモウヨは「安倍さんはカルトすら手懐ける懐の深いお方だったのだ」と意味不明な擁護をし、冷笑バカは「たしかに自民と統一協会の癒着は問題だが、リベラル派の過激な発言は一線を越え云々(でんでん)・・・」とトーンポリシングに終始している。その他の民衆は「なんとなく有名な人がいるから」「政権運営能力のある政党は自民しかない」などと噴飯ものの見解を披露している。
統一協会の教祖である文鮮明は日本への強烈な敵意を抱いており、日本は罪を犯した「エバ国」なのだから「アダム国」である韓国に奉仕せねばならない、ということを基本教義に据えた。日本を反共のための基地にすべく、日本人からどんどん税金を取って軍事力を増強させよう。日本人の生活水準は三分の一にしてしまえ。ついでに信者からは高額献金で搾り取れ。これが統一協会の理念だ。こうして日本人から収奪された金は韓国へ渡り、さらに北朝鮮へ渡り、ミサイルの開発資金にもなっている。1991年の文鮮明と金日成の会談以後、統一協会は「反共」を建前にし、むしろ北朝鮮との結束を強めたからだ。
こんなことは各種の報道でとっくに知れ渡っている。知ろうと思えば、誰もがたやすく知れる。そこまで行かなくとも、自民と統一協会の癒着ぶりはTVでも散々報道されている。なのに人々は、自民を支持し続ける。
彼らの怒りは、決して自民政権には向かわない。自己責任論、弱者叩き。生活保護受給者やクルド人をバッシングすれば、彼らの溜飲は下がる。不っ幸五輪、もとい“復興”五輪のようなムダ事業や、下卑た大臣が仕立てるウン十万のスーツに血税が使われても、彼らは怒らない。パンとサーカスどころか、パンが無くても日本人は満足なのだ。
「奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。じぶんはたえず空腹でゐて 主人の豪華な献立のじまんをする。」「いまや森のなかを雷鳴が走り いなづまが沼地をあかるくするとき『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、やつらは、浮かない顔でためらって『御主人のそばをはなれて あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。」
こうした韓日両国の状況を見るにつけ、俺は「ざまあ見やがれ!」と快哉を叫ばずにはいられない。秀吉の朝鮮侵略、近代史におけるアジア侵略、植民地化、大量虐殺、性暴力。それらのツケを貴様らは払わされているのだ。しかも、犯人や構造が明らかになっても、貴様らには反抗する気力すら無い。何たる怯懦、腰抜けぶり。ことによると、文鮮明は安重根に匹敵する快男児かもしれぬ。極めて巧妙に、韓民族による日本への復讐を成し遂げたのだから。これで俺の在日コリアンとしてのナショナリズムが、くすぐられずにおれようか。
・・・でも待て。この俺とて、日本社会で生きる一市民なのだ。こうしたズタボロ日本の崩壊ぶりは、俺の生活をも直撃する。俺は、海外へ打って出るだけの才覚は身に付けられなかった人間だ。嫌でもこの日本に根を張り、額に汗して生きてゆかねばならぬ。沈みゆく泥船に乗るタヌキが日本の民衆なら、俺はその毛皮に引っ付いているダニのようなものだ。水底へと沈んでいくタヌキを見て「思い知ったか!正義は勝つのだ!」とカッコよく啖呵を切れるウサギは、本国の韓国人や、その他アジア諸国の民衆だ。
日本人とて、タヌキばかりではない。歴史を直視し、差別への怒りを表明してくれた尊敬すべき人々はたくさんいた。歴史・政治問題抜きにしても、愛すべき友人たちにたくさん出会ってきた。そして何より、俺は日本のサブカルチャーや文学を愛している。円谷英二のような特技監督になるのが、小学生の頃の目標だった。俺の憧れとなり、模範となってくれた光の巨人たちや、進んでやられ役を引き受けてくれたソフビ人形の怪獣たちは、かけがえのない竹馬の友だ。太宰治は、自意識を持て余す思春期の俺と肩を組み、共に泣いてくれた。
そうした敬愛すべき友たちと団結し、この沈みゆく泥船を、丸木舟程度には変えていこう。これからの日本は、どれだけマジョリティが嫌がろうが移民を大量に受け入れねばならぬ。これまた、自民支持者が払わされるツケである。そうして増えた海外ルーツの人々とも連帯し、全ての人が生きやすい社会へ変えていくこともできるはずだ。
ウルトラマンジャックこと郷秀樹は、最終回で弟分の次郎少年にこう言った。「次郎、大きくなったらMATに入れ。 MATの隊員達は皆勇気ある立派な人達だ。君も嫌な物、許せない者と戦える勇気ある男になると良い」
バキューモンの腹の中のごとく窒息しそうなこの世の中でも、なんとか風穴を見つけることはできる。仲間と出会い、その風穴を広げてゆくこともできる。郷さん、見ていてくれ。俺も次郎くんと同じように、勇気ある立派な人達と連帯する。そして嫌な物、許せない者と戦える人間になってみせる。
流しのアミ
しゃもじ水に浸かる
肉を挽く
追加:袋を切る
番外:ソシャゲ
白い粉をたくさん買ったしやっぱり美味しい。
一冊買って目次にあればスマホ検索、さらに必要があればYouTubeで手順は完璧。
一番つくったのはたぶんムーシーロー。豚肉と小松菜が安くて栄養あるから。
偏食家族はキクラゲを残すので刻みキクラゲにしてやろうとおもう。
なぜか一切小松菜を食べない方の家族が卵パックに小松菜の切り株を植えて再生しだした。
とん平焼きと麻婆はNHKだったりして特にリュウジじゃないメニューもまだたくさんのこってる。
味塩胡椒(今年買った粉のなかでは最安かも)とかがリュウジに教わったなとおもう。
小松菜ともやしをケンタッキー鳥出しで煮たんだけど塩だけじゃアンバランスなときに味の素をすこしふったらおさまった。
次は味塩コショウにしよ。
麺類つくらないからハイミーの使い処がわからない。フードドライブにするかも。
以前からまな板をおいたり、麺類をゆでこぼすときにアミにアミをおいてやってたんだけど、今年は冷凍肉の解凍にもつかった。
これ自体は250円とそう安くないんだけど、好きなだけチーズ載せたいので買っちゃう。
買う人が少ないのか、いつも品薄でケチケチ出してこられるから見かけたら2枚とも買い占めて冷凍。
冷凍庫から出したピザクラストに冷蔵庫から出したピザソースぬって冷凍庫から出したシュレッドチーズのせて、適当に味の濃いものをのせて、
スチームオーブンで「ピザ(市販)」をえらぶだけでどうにかなる。
青パッケージのシュレッドチーズのほかにはラムーのたれ焼き鳥(ボンジリ)をのせたり、
鶏皮柚子胡椒あげをのせたり、イトウハムの長いサラミを切って載せたりと楽しんでいる。
やけたあとくどいときはレタスの千切りを山盛りのせて、サルサソースで酸味をたしてる
(サルサソースは業務用スーパーの1kgをなぜか2つも買ってあって賞味期限がヤバい)
あとらむーで安いといえば、28円のミニバゲットもケンタのビスケットがわりにメイプルかけて食べてる。
スライスチーズのメガパックも安くておいしくて助かる。おやつにしてる。
いつ起きてくるかわからない家族のために炊飯器は常時保温で白飯が入ってる状態なんだけど、
そやつは、しゃもじに米粒がついて乾燥したやつをまた使う(一晩に二回ご飯を食べている二回目ね)ので、
もうビュッフェスタイルとわりきってタッパーに水をいれてしゃもじをしずめておいたら内釜が無事になった。
うちはビュッフェだったのかよ。もうこれ以上太らないでくれ
ラムーの合い挽肉は炒めると半分くらいが油。どんびき(挽肉だけに)
これについてXで写真つきでぐちってた人が、炎上してたけどそんなわけあるんだってば。
ラードを足したのでは?という元ツイ部分に「ラードのほうが高い」って文句つけてる人がいたけど。
そうだよね、ラードなわけないよ、ヘットというか牛脂身だよね。
風味として牛の風味がつくし、牛の高い部分をつかわなくても牛7;豚3って表示できちゃうし(肉とはいってない)。
オレだって店の人なら牛の脂がっつり入れるわ。
というわけで、挽肉より100gあたりが安いメガ切り落とし豚を買ってきた上に貝印の挽肉マシンを通販したんだが、
これはこれでやりづらい。朝から1時間汗だくで本当に肉に汗がぽたぽたおちちゃったんでもう心が折れた
夏だとすぐ溶けるし1パックとかもうめんどくさいのきわみだった。
敗因は油がとけて逆流することと、筋がまきつくこと。
で、この場合はやっぱり切り落としの中でもロース系の脂の少ない肉を完全に凍結した上でアミで全体的に半解凍(あるいはレンジである程度チン)して
ひいて、そいつに「包丁でサイコロカットした」脂身を混ぜるのがいちばんマシとおもう。
マジでつかれた。でも自作挽肉で久しぶりというかはじめてシュウマイとワンタンしたらとてもおいしかったです。
もう麻婆はラムー合い挽きでいいかとおもった。最初油拭いてつくってるんだけどそれでもごってり浮きます。
袋を切る……。ミソと片栗粉(500g)、君たちのことです。
袋をどんどん切り詰めていかないと手にくっつくやつ。
ワサビチューブもでなくなってからばつんと胴体を切ってそっちからほじくり出すとキレイに最後までつかえる。
これは別に無理矢理な蓋とかしないで一回で食べきって捨てます。
あとプロテインも手の甲に粉が付く。
タイトル通り。
元々セックスがそこまで好きではないと言っていた彼女と付き合ってもうすぐ3年半経つ。浮気は勿論、風俗にも行って欲しくないから月に1〜2回ならいいよ。という合意がなされてからも3年半。
湯葉よりも慎重に扱う前戯、丁寧なヒアリング、ありとあらゆるトライアンドエラーを繰り返した結果、彼女もそれなりにセックスは気持ちいいものだ。となってきてくれていた所だったのに、今年の9月頃に俺はもう彼女とのセックスを諦めてしまった。
彼女はセックス中、少しでも見えたら恥ずかしいからクーラーや空気清浄機は電源を消す。
そしていざ始まると暑いから→中断からの終了。寒いから→中断からの(略)眠くなってきたから→中断か(略)イッた後はくすぐったいから→中断(略)おしっこしたくなっちゃったから→(略)友達から電話きたから(田)トイレの電気付けっぱなしな気がするから()裸どころか顔も見えないのにこんなのばっか。上記の中断からの終了すら1回にカウントされるNO射精セックスを俺は本当に頑張った。それはひとえに少しでもセックスを良いものと捉えてもらうため。向こうが頑張ってないわけではない事はわかってる。でも俺は「恋人とセックスしたくない」が本当にわからない。俺は彼女の乳首の色もわからない。
俺は元々性欲が強い方だったけれど我慢は出来るし彼女は可愛いし公務員だししっかりしてるし金銭感覚もそれなりに合うし一緒に生きていくビジョンが今まで付き合ってきた人と比べて明確に浮かんでなんとなく結婚するならコイツだろうなと思っていたのにセックスを諦めてから彼女の事が許せなくなっている。
食べ物の好き嫌いが多くて外食場所を選ぶのに優柔不断なのがムカつく。
声がデカいのもムカつく。
すげぇ厚底のブーツ履く癖にまっすぐ歩けないのもムカつく
つまんねーYouTubeばっか観てるのもムカつく。
車で出掛けるとすぐ寝るのもムカつく。
歩いている時に急に犬や猫、野草を指差して立ち止まるのもムカつく。
なんでもかんでも聞いてくるのもムカつく。(蝶々の羽根の模様の理由なんて知らない)
自分が臭いと嫌だからと彼女が風呂に入った後しか俺からの接触は許されてないのに寝る直前ギリギリまで風呂に入らないのもムカつく。(月1のセックスという約束だったのにそれで2ヶ月開く事もしばしば)
待ち合わせで絶対に15分俺を待たせるのもムカつく。
彼女だけが仕事の日、リクエスト通り飯を作って持ってきているのに帰ったら絶対一旦寝るのがムカつく。
先週から家に行くと言っているのに俺がついてから部屋を片付ける(その間外で待たされる)のもムカつく。
会いたいと言うから連勤の中日に会いに行くのにすぐ寝るのもムカつく。(俺は4時半に起きて職場に向かわなくてはならない)
なにもかもがムカついてしまう。
最後にセックスしたのは8月上旬。2ヶ月ぶりだったのに体位を変えた所で彼女の足が攣って終了。暗闇の部屋で全裸の俺が全裸?の彼女の足を伸ばしている時に付けていたゴムがポトリと足の上に落ちて俺の心は完全に折れた。一応次の週とその次の週会った時の計2回誘ったけど「足攣りそうで怖いから無理」でダメ押し。もう俺の心はグチャミソのインポ。そこから2度と誘ってない。向こうも特に気にしてなさそう。
俺はどうしたらいい?何が悪い?俺が悪いのか?俺に性欲があるのが悪いのか?不思議な事にまだ彼女の事は好きなんだ。彼女も毎週2回会いたがってくれているしきっと彼女も俺の事が好きなんだ。本当にどうしたらいい?俺は彼女を嫌いになりたくない。
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