
はてなキーワード:お雑煮とは
蓋を開けんだよ。ドーンと!湯気がブワッと顔に当たる。白味噌の匂い、いきなりビンビン来たぜ。新年の清々しさ?そんなもん、この香りだけでぶっ飛ぶんだ。
箸で丸餅、グッとつかむ。熱いぜ。だが、それがロックンロールだ。餅はトローッと伸びて、まるで命の綱だ。口に運んだら、ムッチリした弾力が舌に返ってきやがる。噛んで、グッと胃に流し込む。この野蛮な温かさこそ、最高の贅沢なんだ。
汁、飲むぜ。上品に?冗談じゃねぇ。お椀のフチからズバーッと静かに飲み干すんだ。白味噌のコクが、胃袋じゃなくて魂に響くぜ。甘みと旨みがドロリと溶け合って、全身にジワリと力をくれる。これが万福ってやつだ。
里芋、大根、焼き豆腐。脇役?バカ言っちゃいけねぇ。こいつらが主役を張ってんだ。里芋は箸を入れるとホックリと崩れる。大根は出汁を吸ってジュワッと。焼き豆腐は香ばしさがパンチを効かせている。この見事な調和、最高にロックな彩りだぜ。
最後の一滴まで、残さねえ。全部、食い尽くす。これが俺の流儀だ。腹の底からフゥーッと息を吐く。心も身体もバッチリ温まったぜ。このお雑煮で、今年もまた、テッペン目指して突っ走るぜ!
初代ガンダムの「V作戦でこっそりガンダム持ち込んだけど、実はジオンにはバレてて、でもジオンの強奪作戦もたまたま通りすがった天パのガキのせいで失敗したのでお互いグダグダのまま追撃戦開始」みたいなの。
いきなり連続で失敗さた所からスタートされても流れ混乱するやん?
各キャラの名前も作品の背景設定さえ知らん状態なのに、そこから本来の作戦と軌道修正した作戦の重ね合わせを見せられても困るやん?
たとえば日本語勉強中の人が料理番組付けたら「カレーを作ろうとしたけど、カレールーを忘れました。豚汁に軌道修正します。でもチキンカレー作ろうとしたから肉が鶏肉ですね。しゃーないのでお雑煮風っぽい汁物にしましょう」とかやられても意味不明やん?
その間、「うどんおいしい…瀬戸内海の幸おいしい…」だけで気を紛らわしてたように思う
離れて分かる香川の異常性
・食生活の違い
しかも香川ネイティブの人はうどんをほんの数秒で食べきってしまう 美味しさより喉越しを楽しんでいる(何度も言質を取った)
お雑煮にあんもちを入れてしまうセンス(これに関しては当人たちも恥ずかしそうだった)
あと人気のラーメン店がことごとく不味かった(何の変哲もない塩ラーメンが一番うまかった)
骨付き鳥は自分にとって塩辛いだけだった …そんなにありがたかって食べるほどでもないはずだが、香川原住民とは話を合わせる必要があった(骨付き鳥美味いよな圧が高い)
・車社会
どこに行くにも何をするにも車
香川で最も都市化されているはずの高松のビジネス街に通勤するのもみんな車
方向指示器を使わない
踏切は止まらない(線路がすべて単線であるため、踏切の幅が狭いことも影響しているかもしれない)
車に乗ると人格が変わってしまう人ばかりなのかと疑う 運転が荒すぎる
・方言(アクセントが関西弁に近い コテコテの大阪弁のような話し方をする人も少数存在する)
・山間部の闇
休日に気分転換で、行く当ても決めずにドライブをしてみたことがある
山道を行くと上下水道が通ってなさそうな山村にたどりつくことが何度かあった
まるでタイムスリップしたかのような感覚を味わえた グーグルマップで調べると今もそれらは点在し続けている
四国以外の都市部で暮らしていると当たり前のように享受できるはずの最新の現代的なサービスやインフラがそこには存在しない
彼らはこれからもそこで生きていくのだ 何となく香川全体を俯瞰できたような気持ちになった
もしかすると四国こそが日本で最も時間の流れが遅い地域なのではないだろうか
つまり、現代的な時間感覚や文化に対して抗っているフロントラインが香川(高松)ということなのかもしれない
衝突を楽しみたいなら行くべき
かつての節分は行事食としては弱かったが、恵方巻を得たことで劇的に強化された。手本とすべき成功例である。
空白期間。強いて言えば「お花見の弁当」や「桜スイーツ」などか。
また「イースターの卵料理」はさらなる発展の余地があるのではないか。
やや苦戦している感じがする。恵方巻のようなキャッチーな行事食が求められる。
第二の空白期間だが、「夏至カレー」は有力候補。かき揚げ丼の「夏越ごはん」などもある。
あまりイメージがないが、家で勝手に作って食べるから、外でそうめんフェアとかを見かけないのか。
こればかりは絶滅危惧があるのでいいことばかりではない。完全養殖が期待される。
第三の空白期間。とはいえ、夏祭り・花火大会・海水浴など、夏の行事が目白押しで、それに合わせた食事をする機会は多い。
これはもはや行事食といっていいだろう。
かぼちゃが多い気がするが、絶対というほどではない。行事食としてさらなる統一感が求められる。
第四の空白期間。
ボジョレー解禁は行事として定着したが、ワインということもあって、あまり若者を巻き込んだイベントにはなっていない。
逆に七五三は子供のイベントで、大人を巻き込めていないし、行事食というのもあまりない。
4月はイースターの卵料理、6月は夏至カレーを期待するとして、問題は11月である。
ボジョレー解禁をワイン全般に拡大して、ワインを使ったビーフシチューだとかを行事食にしてしまうとか。
七五三の千歳飴のような細巻き寿司を流行らせて恵方巻の再来を狙うとか。
業界の工夫が求められるところだ。
30日朝…トースト6枚切1枚、アボカド1/2個、無糖オイコス1/2、みかん1個
30日昼…前の日に余ったカレーライス(残り物処分でライスいつもより多め)、たくあん1切れ
💩いっぱい出た
31日夜…お蕎麦、海老と玉ねぎのかき揚げの小ぶりなのを1個、お刺身
1日朝…トースト6枚切1枚、ブルーチーズと巣蜜ちょっと、お味噌汁(小松菜と揚げと舞茸)、無糖オイコス1/2
1日夜…お刺身、おせち(蒲鉾、伊達巻、煮物、昆布巻、なます、黒豆)
2日朝…トースト6枚切1枚、お味噌汁(キャベツ、しめじ)、ロースハム1枚
2日夜…野菜のお雑煮(餅1個)、和牛ステーキ、サラダ、おせちの残り(蒲鉾、伊達巻、煮物、なます、黒豆)
最終的には好みの問題なんだがどうも納得できない。雑煮やきしめん、うどんに花かつおをトッピングする地域の人間なんだが、せっかくの出汁の味をぶっ壊してしまう。
うどんやお吸い物の出汁として鰹出汁をとるとき、泳がせた鰹節を最後に絞るのはタブーである。エグみが出てしまうからだ。絞ればまだたくさん取れる出汁をわざわざ捨ててまで味にこだわる潔さがそこにある。
しかし、トッピングした花かつおを噛んだときにそこから思いっきりエグみというか不要な酸味というかクセのある要らない味が滲み出てくる。まさにそれは出汁を取るときに捨てた味。これが繊細なお雑煮の味をぶち壊してしまう。
お好み焼きやおかかのおにぎりは問題ない。白いごはんやお好み焼きが完全に受け止めるし、ソースや醤油が強いのでそれなりに濃くないと対抗できない。しかし、お雑煮やうどんの出汁はむしろお吸い物に近い繊細さを持っている。その繊細な出汁をぶち壊すのが花かつおのトッピングである。
地域によって色々やり方はあると思うのだが、どう考えても理にかなってないと思うので、盲目的に信じている伝統を一度ゼロベースで見直してみてはどうだろう。むしろ天かすの方が合うような気がするくらいだ。
舅、姑は優しいし好きだし家事も全部やってもらってしまっていてめちゃくちゃ楽させてもらっている。けど、次の年末年始は自分の実家にも2泊くらいしたいなと思ってしまった...。
完全に慣れの問題が大きいと思うし、ただのわがままなのは承知だけど、実家で過ごしていた年末年始と主に食事面の習慣(お決まりのメニュー的な)が異なりすぎて実家のご飯が恋しい...。
年末年始以外の休暇に義実家滞在したときは特に何も思わなかったけど、やはり年末年始って各家庭の習慣がでるんだなあとしみじみ感じている。
結婚ってこういうこともあるよなあ。それがいいとか悪いとかじゃないけど。
お正月といえばおせちとお雑煮だとは思うんだけど、それだけだと飽きるよね。
お正月。
元旦。
いつもならお雑煮だの、伊達巻、かまぼこだの用意して食べたり親戚と挨拶したり。
そんな流れだった。
しかし今回、年末からの家族内で猛威を奮ったインフルエンザAにより帰省叶わず、
いまだ引きずる私は正直子供のご飯のみで精一杯で、それ以外は死んだように眠っている。
夫はその間、買い出しや子供の見守り(一緒に遊ぶ、などはほぼ無い。基本ゲーム)をしている。
元々夫は正月イベントに興味も何も無く、正月料理を用意したところで、子供含めあまり食べられないことも多かった。
私は、いらないと答えた。
子供に正月を味わって欲しいと思いつつ、今はやる気力も体力もない。
あけましておめでとう、も言わなかった。
(病気なので正直何もめでたくない)
これでいいのかな。
私は今日もだらだらする気満々なんだけど、「正月に食べたいもの」なんてテーマ聞いちゃったら、話さずにはいられないわ。
だけどね、私が語りたいのは、その「おせちの隙間」に忍び込むあの料理たち。
「あぁ、これずっと食べ続けるのキツくない?」ってなるのよ。
そういう時に登場するのが、たとえばお雑煮。
特に白味噌仕立ての関西風とか、なんなのあれ、癒しの極みじゃない?
でも私、もっと欲張りだから、途中で「なんかジャンクなもの食べたい」ってなるの。
年始に突然、ピザとかラーメンとか、全然和風じゃないものが食べたくなる衝動、
わかるでしょ?いや、わかるって信じてるんだけど。
それから鍋ね。
出汁が効いた鶏鍋とか、白菜たっぷりのお鍋にポン酢つけて食べると、
正月太りなんて気にしてられない!
むしろ、太る前提で食べることに全力出してるわけ。
そして忘れちゃいけない甘いもの。
炬燵に入りながら食べるその背徳感が、また最高なのよ。
まぁそんな感じで、正月の「食」に全力を注いでる私なんだけど、
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ついこないだまで残暑が厳しいざんしょなんてギャグを言って笑っていたはずなのに、初冬の気温になってしまった。
衣替えもままならない。もう半袖出さないよ、と季節に向かって叫ぶ。
寒暖差アレルギーで鼻のムズムズも止まらない。本当に嫌な時期になった。
やっぱり冬という季節が好きじゃない。
スキー、こたつ、重ね着、雪の積もった風景などは好きだし、お雑煮が理由もなく食べられるのは最高だ。
ただこの寒さ。暖冬と言われつつも寒いのは様々な面で堪える。活動的になれない。
そして日照時間の短さ。室内で仕事をする身としてはメンタルに影響しやすい。
ちっとも暖まらない暖房が嫌だ。冬の冷たい布団に入るのが嫌だ。風呂上がりの脱衣所の寒さが嫌だ。真っ暗な帰り道を、どこかの家の夕飯の匂いを感じて歩くのが、さびしくて嫌だ。一年の終わりに今年も自分は何も達成できなかったと考えてしまうのが嫌だ。
終わりに向けた焦燥感を、冬の匂いで思い出すのがつらい。ジワジワと自分を追い詰めてくる。
寒くなるというのはそういう時期がくることだと自分で何となく分かっているから、嫌だという気持ちが強くなるのだろうと思う。
暑いのが好きというわけじゃないがまだ気持ち的に前向きでいられた。少し涼しくしてくれたら良かったのにまさかこんな猿の手みたいな形で叶うとは思わなかったよ。