
はてなキーワード:お祭りとは
月額1200円で14400円。これに神社費1000円と交通協力金が3000円かかる。年二万円。今は事情があって200円余分にとられてる。
要するにお祭りの補助金。屋台が練り歩く大きなお祭りと、季節ごとのお祭りがある。
なんだかんだと伝統がある。
1000円は自治会費として回収するもので、実際にはさらに寄附を集めている。ワイはさらに1万円と酒を出してる。商売のお付き合いです。
地域の道路の修繕費。カーブミラーを整備交換したり、消えかかった表示を直したり、落書きを消したり、崩れかかった路肩を治したり、防草シートを貼ったり、と言う地域でやっている活動に使われる。
住民税払ってるんだから自治体に出させろ、と言うのは正論で本来そうであるべきだが、昔からこう言う予算が集められていて過去の経緯。ただこれのおかげで道路や側溝が小ぎれいにメンテされている。
https://togetter.com/li/2617426
こんな記事があったので。
で、これたぶん事実じゃないよ。
自治会加入が100戸ととして3万円とったら300万の予算なんだけど、ビールとか出した程度でそんなに金いらないからそれにしか使われてないなんてことは考えられない。
なんつうかいつもの、よくしらんし知りもしないのに妙な言いがかりつけてる奴じゃないかと思った次第。
なお、ワイの自治会も、公式の懇親会は年に2回、花見と忘年会をやる。単位は「隣組」単位なので10戸とかでやる。会費制で補助は出ない。
これが日本にやってきた外国人のよくわからないお祭りだったら、同程度の音量でも我慢できないと思う。
「法律の範囲内なんだから自由じゃないのか。日本人がお祭りをするのは良いのに、外国人は駄目なのか」
それに対しては「伝統文化が新興文化より優遇されるのは当然のことだ」と言いたい。
例えば日本人だって、伝統でもないお祭り騒ぎを始めたら迷惑だと批判される。
同じように外国人にとって伝統文化でも、現地人にとっては新興文化なんだから、迷惑な騒音としか感じられないのは仕方ない。
以前、なんかめちゃくちゃ熱心にアイカツを語る増田がいたから、今回もいるかと思ったけどまだ来てないか。プリパラは管轄外なのか、そもそもアイカツのあかり世代は管轄外なのか。
両方知ってれば楽しいお祭り映画だったけど、片方しか知らないとあの映画は楽しめるかな。アイカツの曲をプリパラ側のキャラが歌う(もしくはその逆)、お互いの似たような設定のキャラが絡むっていう、特別感は良かった。でもやっぱり両方知ってることが前提だからな。
今日2025/10/12、IPAが実施している情報処理技術者試験の秋の試験が実施された。
先日、応用情報と高度区分の試験について、CBT化されることが発表されている
https://www.ipa.go.jp/shiken/2026/ap_koudo_sc-cbt.html
CBT化の実施は来春からであり、つまり今回が、試験会場にみんな集まって一斉受験する最後の機会であったのだ.
今までの一斉試験では、今回はどんなテーマが来るか、掲示板やXで予想を立てたり
試験後に、「この選択問題は難しかった」「今年はクソ問」などと感想を述べたり
自分の解答を晒して、「これは間違ってる」「この解釈はどうなんだ?」と問題の中身を議論し合うのが恒例であった。
なぜなら、CBT化すると、問題の内容を公の場で発言することができなくなるからだ。
今回のCBT化では、いつでも自由に受けられるようになるわけではなく
複数日の日程の中から1日を選択し、テストセンターに行って各自バラバラの日時で受けることになる。
そのため、試験問題は全員同じものになるか、何パターンか用意されるのか公表されていないが
先に受けた人の話を聞いて受験するといった問題流出を防ぐため、問題の内容に関わることを言えなくなる.
試験問題を話題にして、多数の人間が一斉に話すという、試験後のお祭りという文化が失われるのだ。
この変化は、先にCBT化した基本情報技術者試験でも起こったことだ。
また、これは俺の個人的な楽しみだったのだが
証明写真機で作成して余った写真を保存していくと、自分の見た目がどんなふうに変わっていったのかが、定点観測のように可視化されるのだ
太ったり痩せたり、髪の毛が減っていく様など、これが感慨深かった
テストセンター受験になると、写真付き身分証で本人確認が行われると思われ
CBT化の裏で、情報処理技術者試験という、年1回(or2回)のお祭りがなくなるのを少し寂しく思いつつ
まだ外国人比率が全然少数派だし、地元住民の間に「乗っ取られるのでは?」的脅威を感じる人はあまり居ないと思われ、ことさら多文化共生って叫ばれてはいないけど融和的だわなー
町内会の役員に外国人家庭のオトーサンが参加してまぁそこそこ活躍してくれてたり、地元神社のお祭りで舞を奉納するメンバーにも外国人家庭のご子息がいたり、地元小学校区の住民運動会にもインド系?アフリカ系?かと思われる肌の黒い人々が参加して跳んだり走ったり活躍してるよーw
ほんで、時々、ビン・カンの資源ごみ回収の日に、ルール・マナーがなってない捨て方してるのは、ほぼ日本人。オレんとこの回収場所の周囲に住んでる外国人いないハズだからな。
「ビン専用」てはっきり書いてあるコンテナに空き缶入れてんじゃねーよアホかw あと、空いてるコンテナあるのに、ビンを山盛り積み上げて行くのやめろよバカかw そのコンテナは、何段も積み重ねてトラックとかに乗せて運ぶんだよ! 山盛りにしたら積み重ねできないだろって!!
私が小5、兄が中2。この頃は兄妹(兄、私、妹)が同じ部屋で寝ていた。度々、深夜に手やお尻にぼんやりとした違和感があり妙に不快だったことがあったが、夢だろうと思いあまり気にしていなかった。
ある夜、指先でつつっと円を描くようにお尻をなぞられた感覚で目が覚めた。兄だと直感した。未知の恐怖で頭が真っ白になり気づいていないフリをして過ごした。
その数日後の夜、右手が気持ち悪くて目が覚めると、兄が私の右手を陰部に当てたり押しつけたりしていた。言葉も発せず反射的に振り払い1階へ走って降りた。母が入浴していたので、上がるのを待つようにリビングで伝説のスタフィー 3の攻略本を開きながら、さっき起きたことの整理と兄への恐怖と驚愕と、とにかく色々な感情や考えが一気に溢れパニックになり泣いていた。お風呂上がりの母から心配されたが、小学生ながらに「これを話したら家族がバラバラになるのでは無いか」と思い、怖い夢を見て眠れなくなったと嘘をついた。
この頃は思春期を迎える前だっため性知識に乏しかったが、兄に対して本能的な恐怖を感じた。同時に、小1の妹ももしかしたら同じ被害を受ける(もしくは既に受けている)かもしれない、私が兄から守らなければならないと思った。両親にあれこれ理由をつけて(ほぼ駄々をこねて)物置部屋を整理してそこに妹と私は移動した。兄とはそれから1週間ほど話さなかったが、徐々にあの時のことはなかったようにお互い今まで通り接するようになった。
大人になり、私の結婚が決まると兄は明らかに私を避けた。結婚のため県外へ引っ越した翌月、兄からは結婚祝いを現金書留で貰ったが「金 ◯萬円」の文字は明らかに母の筆跡だった。
その後、お盆やお祭りの時に帰省するが兄は顔も出さず目も合わせず完全スルーされている。声をかけても最低限の返答だけ。両親は「独身で妹に先越されて不満なんじゃないの?」と言っていたが仮にそうだとしても良い歳した大人がとる態度ではない。
母になぜ3人兄妹が同じ部屋だったのか、と聞いたら「私は一人っ子だったから別室にするって発想がなかった」と。
…いやいや思春期を迎えた異性と同室にさせるか?しかも父はたくさん兄妹いるでしょ、何かアドバイス無かったの?と思った。同室だったから、あなたたちがそういう予測を充分にしていなかったからこういうことが起きたんだよ、と喉元まで言葉がのぼってきたが飲み込んだ。事実を話して解決まで向き合う勇気がなかったのと、両親に精神的な負担をかけたく無かったからだ。
アラサーになった今でもあの日の右手の感覚をはっきり覚えている。
精神的に落ち込んだ日は芋づる式にこのことを思い出して余計に病んでしまう。あの頃、トイレしてる時にカギを閉め忘れると兄がドアを開けて「わっ間違えた、ごめん」と謝られるイベントが頻繁にあったけど今思えばあれもわざとかもしれない。下着が度々紛失していたのも兄が原因かもしれない。今となっては分からないし、事実を本人に確かめる勇気もない。
小さい頃、兄にはたくさん面倒を見てもらったし今でも実家のことを色々としてくれているので、感謝はしている。
全く嫌いというわけではないし家族としては大切だと思うけれど、あの頃の出来事から嫌悪感も同時に持っている。
夫にも誰にも話せていないままずっと兄のことでモヤモヤしているためここに吐き出した。
現代のネットでは「2000年代の個人サイト時代、同人サイトは2ちゃんねるの男オタクに荒らされまくった」という話がよく語られる。でも、当時を知る者として、その記憶には少し違和感がある。
確かにVIPPERが同人サイトへ突撃したりブログを炎上させた事件はあった。しかし、当時無数に存在した、一日数十PVしかないような弱小同人サイトを荒らしていたのは、本当に外部の男オタクだったんだろうか?むしろ、もっと根深い「内部抗争」が原因だった。当時のネットの構造から、そう結論付けられる理由を説明したい。
まず前提として、2000年代初頭の個人サイト文化、特にジオシティーズに代表される世界は、現代のSNSとは全く違う。
発見が極めて困難:Google検索は今ほど万能ではなく、サイトのURLもランダムな文字列に近い。アルゴリズムによる「おすすめ」なんて存在しない。
孤立した文化圏:サイトを見つけるには、特定のジャンルに特化した「リンクサイト」や、サイト同士で張り合っていた「リンク集」をたどるしかなかった。つまり、そのジャンルに詳しい人間しか、そもそもサイトにたどり着けなかった。
この環境は、外部の人間(例えば、なんとなくやってきた2ちゃんねらー)に対しては、事実上「不可視」だった。しかし、同じジャンルを愛好し、アクセス方法を知っているファン同士にとっては、お互いの存在は筒抜けだった。この構造が「蛇の道は蛇」――つまり、荒らしは内部の人間だった、という仮説の土台になる。
世間で言われる「2ちゃんねらーによる襲撃」は、その性質が弱小サイト荒らしとは根本的に異なる。
目的は「祭り」:彼らの「突撃」は、大企業や有名人など、話題性の高い相手を標的にした「お祭り」だった。参加者が一体感を楽しむためのパフォーマンスであり、誰も知らない個人サイトを叩いても、彼らにとっては何の面白みもない。
女性オタクは一方的に弱くなかった:歴史的な事実として、VIP板がやおい板(801板)に戦争を仕掛け、返り討ちにあった事件がある。801板の住人たちは、暴力的な言葉ではなく、VIPPERを題材にしたBL妄想を即興で展開するという「文化的な攻撃」で相手を混乱させ、降伏させた。これは、彼女たちが独自の結束力と強さを持っていた証拠だ。
VIP板が女性向けまとめブログを攻撃した事例(第一次ブログ連戦争)もあったが、これも標的は「ある程度有名なサイト」だった。無名の個人サイトを狙う動機が、彼らにはない。
では、誰が荒らしたのか? 答えは、同じジャンル内にいた、解釈違いのファンたちだ。
当時の同人界隈では、「カップリング論争」が今よりもずっと先鋭化していた。
固定 vs リバ:キャラの攻め受けが固定か、リバーシブルか。
これらは単なる好みの違いではなく、自分の信じる「正史」を揺るがす「異端」との戦いだった。自分の解釈と違うサイトは、コミュニティの秩序を乱す悪であり、それを攻撃することは浄化として正当化され得た。
1. 同じジャンルのファンだから、専門用語で検索して同人サイトを見つけられる。
3. どのサイトがどんなカップリングを扱っているか、詳細に把握している。
4. そして、そのカップリングがなぜ自分たちの思想にとって「許せない」ものなのかを理解している。
外部の人間には到底不可能な、極めて精密なターゲティングができるのは、内部の人間だけ。「蛇の道は蛇」とは、まさにこのことだ。
結論として、2000年代のネットには二種類のハラスメントが共存していた。
1.外部からの襲撃:2ちゃんねらーによる、有名サイトを狙った派手な「祭り」。
2.内部のハラスメント:同ジャンルのファンによる、解釈違いを理由とした陰湿な個人攻撃。
日常的に多くのサイト運営者を苦しめていたのは、後者だった可能性が極めて高い。
では、なぜ現代では「犯人は2ちゃんねらー」という話ばかりが残ったのか? それは、歴史が単純化された結果だろう。「外部の敵」という構図は分かりやすく、劇的で記憶に残りやすい。一方で、ファン同士の醜い内ゲバは複雑で、語りにくい。
そして決定的なのが、ジオシティーズの閉鎖によって、一次資料である無数の個人サイトが永遠に失われてしまったことだ。証拠が消え去った今、よりキャッチーな物語だけが生き残り、史実とは異なる認識が広まってしまった。
更に言えば、今現在SNSなどで繋がっている相手が当時の対立相手だった可能性が捨てきれないので、この内ゲバの記憶を封印し、残った2ちゃんねらーの突撃の記憶だけを語るようになった。
この事実は当時の801板の過去ログdatでも確認できて、自分の同人サイトが荒らされている理由として男性やVIPPERなどという言葉は出てきておらず、犯人として別カプや他ジャンルの名前を挙げている書き込みが殆どであることから伺える。
この記事はGoogle Gemini 2.5 ProDeep Search(課金版)で作成されました。
どうやらGeminiは「なんでB×Aなんて描いてるの?気持ち悪い。原作読めばA×Bが公式だってわかるでしょ。サイト閉鎖しろ。」とか「ここは私のサイトです。どのカップリングを描こうと私の自由です。このような書き込みは今後削除します。」とか「最近、他サイト様の日記で名指しはされていないものの、明らかにうちのことを指していると思われる批判を見かけました。『節操がない』『キャラへの愛がない』といった言葉は、とても悲しいです。」のようなやり取りもURLと共にそのデータベースへ保有している模様。
飛び石連休で旅行に行ってたら、地元今治で排外主義デモが勃発したことをインターネットに教えられて辟易した。
子供の頃から歩き回ってる風景に、嬉しそうに集まってヘイトをかます連中が映ってて最悪だった。
最近参政党が演説したりするし、目をつけられてるのはあるんだろうな。
動画見たけど、みんな楽しそうで、あれはよその土地で仲間と共に盛り上がるフェスのノリだなと思った。地元民が抗議するならもっと早い段階で起きてると思う。まあ、石を投げれば知り合いに当たる町であんなわかりやすい抗議しねえと思うけど。多分ご不満があったら直接知り合いの市役所の誰それに文句が伝わる方が早い。地元民が全くいないとは言わないけど、日程的にも遠征してきた連中が多かろうなと思った。
人の街で楽しくゴミカスフェスをするな。お前ら、今治が何の町かもろくに知らねえだろ。海運と造船と繊維業の町で、技能実習生の制度もない頃から外国人の船員さんに船主は世話になってるんだよ。繊維業でコラボしようとか頑張ってんだよ。毎年海運で国際会議やって、場所が足りないから老朽化したショッピングモール取り壊して会議場作るとか言うような土地だよ。遠いアフリカから将来のエリート候補が来てコネ作ってくれる話に水差すとかバカやりやがって。
ところでこういうの煽動して頑張る母校の最悪有名人黒川は、傀儡立てた市長選で兵庫県知事選の真似して鳴かず飛ばず、むしろ別れた奥さんの方が着々と市議会議員とかなってるんだけど、あいつどうなってんだろうね。
夜店で金魚すくいしたり、晩御飯食べたのに綿菓子買って食べてよかったり、もう少し大きくなると遊ぼうって約束するほど仲が良いわけじゃないクラスメイトとふと会えたり、もっと大きくなって小学校高学年くらいになると好きな子と会えるかもしれなかったり。
子供の頃はあんなに楽しみだったお祭りも、大人になると他のレジャーと比べるとそんなに魅力ではなくなった。
なのにお祭りは全国各地で開催されている。
子供が楽しみなのは先述の通りだけれど、はたして大人はなにが楽しみなのか?
盆踊りなら踊れるおばあちゃんたちが楽しみにしているのはわかる。
お神輿が出るなら担ぎ手たちが楽しみなのもわかる。
あとはなんだろう。夜店は良いけど昨今どこも高くてだったらまいばすけっとでいいやってなるしな。
https://www.chosyu-journal.jp/yamaguchi/35847
これさあ。
やぐらを組んで地上2㍍の位置に設置されたVIP席には、夕方ごろから刺青やタトゥーの入った人々が集まってきていたという話で、「反社か半グレ集団みたいな雰囲気で怖いくらいだった」などと市民のなかで話題にされている。そして、「紐パン」とか「きわどい水着」など、表現はさまざまだが、とにかく過激な格好をし、シールかもしれないものの肩や尻にタトゥーの入った女性たちが飲み物を配ったりしていた様子も目撃されている。
たぶんだけど、ちゃんと追っていくと地元の建設屋とかのやんちゃな人らだと思うよ。行動としてはマイルドヤンキーレベル。地元ダイスキ、お祭りダイスキ、お酒ダイスキ、仲間ダイスキ。ウェーイ!!!
普通に現場で見たら挨拶するぐらいで反社なんてことはないよ。本人たちは地元に貢献するぐらいのつもりでいるだろうし、花火にだって金出してるでしょこれ。
で、普段の待遇はあんまり良くないんだけど、社長さんやんちゃな若い衆をちゃんと面倒見るし、こう言うイベントの時バンバン金使ってくれるからみんな付いていくみたいなやつよ。コンパニオンもいつも言ってるキャバの姉ちゃん達に声をかけて出張ってもらったぐらいでしょう。たぶん花火が終わったら店になだれ込んでる。
ブコメでも言ってる人がいたけど、わざわざ櫓を組んで周りから目立たせてさらし者にしたのがダメだったんじゃねえの?
東京からショーガール呼んでるのもなんかストリップ呼んでるようなつもりでいないか?
そのほかのゲストは喜ばれたにせよ、果たしてROKUSANANGELは行政もかかわるイベントにふさわしいのだろうか?」「とても子どもには見せられない」という疑問の声は少なくない。
って結局何の問題もなかったってことだよね。相応しいって何?
夢グループに頼んでオールド歌謡曲歌手でも呼べば相応しかったの?
プロのショーガールを呼ぶのだってそれらと同レベルに相応しいだろうが!
バッカじゃねーかと思うわ。
https://www.youtube.com/channel/UCadLKUqnLPdZDdJ_B9crOgw
商売は、ウェーイ!、ヤカラ系の会いに行けるアイドル商売だよ。46シリーズはオタク系に対してこっちはヤカラ系マイルドヤンキー向け。商売としては地下アイドルとか悪質ホストとかよりよほど健全だよ。
インテリ連中とは水と油にしても、ヤカラ系は別に長州新聞の様な共産党崩れを「ふさわしいだろうか?」とかいって排斥したりはしねーよ。
たぶんね、花火大会に金を出して口もだして人でも出して貢献している人たちがヤカラ系マイルドヤンキー連中なんだよ。あるいは昔はそう言うやんちゃだった地元ダイスキおっちゃんおばちゃん連中なんだよ。
だから自分たちが楽しめるものをやって自然とこうなる。さらにVIP席も売れなかったら自分たちで引き取るつもりで企画してるよ。で、仲間で引き取ったんじゃないの?
地元でもそうなんだよね。
だけと口を出す連中はそうじゃないだろ?見るだけなんだろ?ちゃんと祭りを作り上げてもりあげるためになにやってる?
揺れ胸(モガドール)
https://shop.yostar.co.jp/products/detail/3336
https://shop.yostar.co.jp/products/detail/3335
正直買いたい
Wi-Fi専用機になってる古いiPhoneにくっつけてぷるんぷるんって遊びたい
はてブでは超絶不評
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.inside-games.jp/article/2025/09/08/171441.html
めちゃくちゃキショがられてるけど、まあキショイねんけど普通に
でも8周年記念ってことでさ
お祭りってそんなもんやない?それにアズレンってエロいゲーム(エロゲではない)なんでしょ
ま。よくない?っておもうけどぼくは
こういうのを正義の剣で叩き潰してよっしゃーーー!ってなるんかな、みんなそういうふうにしたいのかな
道頓堀に飛び込むという行為を、ひと事のように笑い飛ばす風潮に、静かな怒りを募らせている。
人は自らの愚かさを露呈する。
先人はこう嘆いたものだ。
──十九世紀末、戯作者式亭三馬が描いた講釈本に、道頓堀の名物「堀の人」を捉えた一節がある。その男、名を柄井丈吉という。酔客の好奇心を満たさんと、夜毎鏡川の艪から身を投じ、人々を驚かせたという。だがその飛躍は賢慮に欠け、川水に呑まれて三度、死の淵をさまよった。生還したのは奇跡か、それとも文字の海に生き永らえた噂話の宿命か。
増田はこれを「芸」と呼ぶ者の無知を嘆く。柄井丈吉が生き延びた後の話を誰も知らないのは、川底に沈んだ教訓ごと人々が忘却の淵へ投げ捨てたからだ。堀に飛び込むという演出の下敷きには、「他者の目を引きたい」という極めて卑近な動機があり、自尊と無謀が拮抗する。知らず識らずのうちに、飛び込む者は己の無恥を世界にさらす。
現代の道頓堀もさほど変わりはしない。SNSに映る若者の楽しげな姿は、泳ぐことのない浅瀬へ足を踏み入れる蛙めかしい所作に他ならない。お祭りの喧騒が「涼」の幻想を煽るたび、飛び込み願望は膨れ上がる。だが、そこで待つのは得難い涼恵(りょうけい)ではなく、ヒルの如き流れの冷酷さと、下流の水路に隠れたゴミと油膜の毒気だ。
かつて文人たちは、水底に深く潜ることの危うさを讃えた。芭蕉は河畔を歩き、川音に耳を澄ませながらも、決して淵には近づかなかった。川は人の軽率を見透かし、冷たく拒むからである。増田は言う──「淵から身を引く勇気こそ、本当の度胸だ」と。
道頓堀の水は、観光資源としての華やかさと同時に、都市の猛毒を内包している。下水が混じり、水質汚濁が進む夏場には、病原菌の巣窟と化す。飛び込んだ者は、無邪気な快楽を追い求める一方で、自らの体に細菌の羅列を招き入れる。病みつきになっても、川は返歌など持たない。
そして、思い出せ。かつて柄井丈吉が三度、川に呑まれたのは、彼自身の好奇心が引き金だった。三度生き延びたのは幸運だが、誰もその後の彼の生涯を語らない。転じて言えば、飛び込むことの代償は後生にまで残るが、その傷跡は誰にも見えない。
増田は総括する。――夏の道頓堀に飛び込む愚かさは、江戸時代の戯作者も、現代の若者も変わらぬ。見せ物小屋の梁の上で綱渡りを披露するような輝きはない。自ら選ぶ快感の陰に、いつか病苦と後悔だけが残る。
涼を求めるなら、橋の上から川縁の縁台に腰掛け、水面を眺めよ。そこに映る蜃気楼のような涼しさは、安全と礼節を兼ね備えた、もっとも賢い愉しみ方なのだから。
現代のように海外旅行も盛んではなく、ましてやインターネットなどない時代。
世界各国の工業技術や文化を持ち寄り展示しあう博覧会(=展示会)であった。
各国の文化や産業について紹介し、開催国とのつながりについても扱っている。
海外旅行に行き慣れるとふと現地の博物館に立ちよることもあるだろう。
コモンズ(複数の国が出展する大展示室)は企業の展示会そのもの。
どれもインターネットや書籍で触れられる情報の100分の1以下である。
後述するが、同じ大阪にある国立民族学博物館のほうが実物もよく見られるし、文化に触れられると思う。
これもひどい。10分、20分の行列でも炎天下なのでさらにきつい。
日本でもお役所(公共機関)のカスタマーサポートがひどいのは皆が共感できるだろう。
それが外国ならなおさら、さらに自国民からは文句を言われない遠い東方の国でならなおのことである。
・実際にあった例①:インド館
突然入館が止まったり再開したりしているのでどういう仕組みか聞こうと思いスタッフ(日本人)に尋ねると、「私たちも振り回されてるんです!そんなのわかりません!」と逆切れされた。
・実際にあった例②:トルコ館
自分がトルコ館の行列に並んでいるとしばらく列が停止していることがあった。
しびれを切らした老人が係員(日本のアルバイトスタッフと思われる)に何分くらいかかりそうか聞きに行くと「5~10分くらい」と返答があった。
それから20分待っても行列が動かないため、自分も先頭に様子を見に行った。
すると、どうやら本国の関係者が展示を閲覧している間は行列の進行は止まるらしい。
そんなことも知らずに50m以上の行列は黙々と並び続けているのである。
入場の予約だけではなく、各パビリオンに予約システムが導入されている。
2か月前、7日前の抽選はどちらも難関で、かつそれぞれ1パビリオンずつしか予約枠が取れない。
3日前、当日の先着予約もとれる枠は1つずつで確率も1%以下といわれる。
とれたとしても夜間になる可能性が高いし、真剣に予約を狙っている人にはかなわない。
予約のとれたパビリオンに入ってもせいぜい30分くらいで終了するため、それ以外の時間はまたひどい行列に並ぶことになるだろう。
これは各所で言及されている。
「こんなお安め価格のところもあるよ」の記事に騙されてはいけない。
そんなところは例にもれず大行列だし、売り切れや量が少ないなど実際注文するまでわからない問題点も多い。
スシローは朝10時台までにはその日の整理券がなくなる場合がほとんど。
ミャクミャクのグッズを身に着けたり「万博を楽しんでいる自分」に酔いたい人は一定数いるので好きにすればいいと思う。
ただし「日本でめったに開催しないし行ってみたい」程度のモチベーションの人は上記の理由からやめることをお勧めする。
万が一行くとしても17時以降入場の夜間券で十分だ。
夜間券で入っても10個以上のパビリオンはほとんど並ばずにはいれるし、熱中症などの心配も日中に比し格段に少ない。
食事もあらかじめとってから行けば空腹に困ることはないだろう。
モデルコースとしては、午前中は万博記念公園にある国立民族学博物館(世界中の文化・衣装・音楽などが展示されており実際の万博よりも圧倒的に充実している)、午後は海遊館などを回り、夜に万博を夜間券で雰囲気だけ見るのがベストと考える。
おそらく実際に行った人の半数以上がつまらなかったと感じているはずだが、「つまらなかった」感想が盛り上がらない理由はわからない。
おそらくサンクコストや同調性バイアス、確証バイアスが影響しているのだろうが定かではない。
いかがだったでしょうか?最後までお読みいただきありがとうございました!
ふと10年前に自分が何をしてたか疑問に思い、このダイアリーを思い出した。
奨学金を返済したというだけの内容だが、温かい反応を貰えたのが記憶に残っていたんだ。
この時には書いてなかったが、当時30歳の誕生日直前だったので、20代の内に全額返済してやろうという考えだった。
つまり現時点では丁度40歳、この繰上返済をした人間がその後どうなったか、経済的な点から振り返りたい。
繰り上げ返済した事もあって、当時の俺は貯金額が一気に100万円程度まで減っていた。
仕方がないので毎月5万円を定期預金として、コツコツ積み立てる事にした。
しばらく順調に貯金していたが、2年後の2017年秋に個別株投資に目覚めた。
最大限のレバレッジを掛けながら、決算発表の直前直後に売買するのが趣味になってしまった。
完全にギャンブルに脳を焼かれていた。
半年に1回は追証を求められる様になり、貯金をすり減らしていった。
2018年にリベ大のYouTubeチャンネルが開設され、同年10月頃からつみたてNISAを始めた。
これは後に、新NISAが開始されるまで続くこととなる。
始めた理由はハイレバレッジ投資にどこか恐怖を覚えて、安心の為に保険としてインデックス投資を始めるという本末転倒な物だった。
その後は中古マンションを一括購入して資産を減らしたりしつつ、2020年3月のコロナ相場を迎えた。
この時点では700万円程度の資産を持っていたが、日々乱高下する株価に夜も眠れず、何処かお祭り気分で日銀の黒田総裁を崇め奉り、何とかしてくれと日々祈っていた。
しかし俺は神を裏切り、3月中旬のある日全資産を担保に信用全力二階建てで日経ダブルインバースを購入した。
購入から30分ほど経つと、黒田総裁は過去最大規模である1日2000億円のETF購入に踏み切った。
1時間で100万円近い含み損を抱え、過緊張で手がこわばりスマホ操作すらままならない俺は損切りした後、ベッドに突っ伏して甚く反省した。
次の日、もう1回だけ同じ様な事をしてすぐに痛い目を見て、本当に今度こそ反省した。
俺はインデックス投資しかしない事を心の底から誓い、現在に至るまでインデックス投資しかしていない。
最初はオルカンや先進国株式で迷っていたが、次第にオルカンしか購入しなくなった。
(コロナ相場の大底で高配当ETFを買って今も保有し続けているが、これだってインデックスなんだから嘘はついていないだろう)
つみたてNISA枠では満足せず、月々のインデックス積立額は10万円、20万円と増えていった。
新NISAが発表される少し前、2023年春頃からは月30万円積み立てる様になった。
新NISA開始後はそのまま月30万円分のオルカンを購入し続け、相場や円安も追い風となり、毎年1000万円近く資産が増えた。
そしてとうとう今年8月、純金融資産が5000万円を超えて定義上は準富裕層となった。
別に自慢したいとかそういう話ではない。
奨学金の繰り上げ返済という切っ掛けが、その後の資産形成に影響を与えたのか振り返ると、借金という枠組みが消えたから
自分の金を自由に使える様になって真剣に使い道を考え……奔放に使えたんじゃないか?と俺は思っただけの話だ。
オチも何も無い話だが、次の10年でどうなるかだけは自分でも気になる。
忘れなければ50歳になった時にもう1回ダイアリーを書いてみたい。