
はてなキーワード:お小遣いとは
最も正常かつ望まれる性処理方法、夫婦関係がうまく行っている場合、これだけで男は満足する。お互いが性に貪欲であり、お互いを求め合う関係性であることが望ましい。しかしながら、どちらかがセックスに不満を感じている場合、あるいは婚姻歴が長くなるに連れて、容易に崩壊するリスクを孕む。
これもまたポピュラー。嫁セックスに至れない場合など、性欲を持て余すことでこの処理を施す。風呂場やトイレにいつもより長く篭っているなと感じても、決して詮索してはいけない。またその行為を禁止するなど言語道断である。嫁セックスと家オナニーのサイクルが正常に働いている場合、男たちはここから先に進むことはまずない。共有タブレットに残されたFANZAの履歴だって、知らぬ顔をして消してあげて欲しい。
家が狭い、子供が多い、嫁に監視されているなど、家に居場所がなく、家オナニーに至れない男たちが集う。「1時間残業して帰る」などと言い、個室ビデオでVRのAVを見ながら今日も彼らは激しくシコる。ここに至った男は当然姓処理に不満を感じている場合が多く、ふとしたきっかけで「俺は一体何をしているのだろう」と我に帰ってしまい、次のステージへ進んでしまう危険がある。
既婚者たちの聖域。基本的にはいわゆるヌキはなく、美人のお姉さんに密着マッサージをしてもらい、欲望を満たす風俗である。ヌキのある店もあるが、それはいわゆる風エスであり、ステージがまた違う。男たちはフィニッシュに至れないまま悶々として帰ることになる。しかしながら、思わぬ事故からヌキに至ることもあるようで、既婚者たちは「これは事故なんだ」と己を納得させるため、今日もメンエスへと足繁く通う。
キャバクラと性風俗の融合形態。キャストの女性とお話を楽しんでいると、急にお触りタイムが始まり、おっぱいを揉んだり、キスをしたりできる。メンエスと同じくヌキに至ることは基本的にはないため、男たちは悶々として帰る。ほかの性風俗からすると少し特殊な業態。
既婚者たちの最終防衛ライン。一言で言えば、手コキ風俗である。手コキを基本サービスとしつつ、オプションで課金をし、様々な行為をすることが可能。例えば、オールヌードになるとか、乳首を舐めるとか。キスやフェラなどの粘膜接触がない店が多く、性病になりたくない既婚者が集う。また、30分5000円程度からと安価な店が多く、お小遣い制の既婚者でも気軽に通えることが人気の一つ。
既婚者が越えてはいけない壁の先。あくまでもこちらは飲食店でありますけれど、何故か飲食物と合わせてフェラやディープキスが提供されるとかどうとか言われている。とにかく安価な店が多く、こちらも安いお小遣いの既婚者でも簡単に通うことができてしまう。しかしながら、キャストはおしぼりで軽く竿を拭っては舐め、次から次へと1日に何人もの男たちを相手にすることから、性病博覧会が常に開幕している。ピンサロに通いながら、平然と嫁ともセックスをする既婚者たちは、もはやテロリストとしか言いようがない。
定番中の定番、風俗と言えばこれ。ラブホテルなどの一室に女性が派遣され、一緒にお風呂に入ったり、キスをしたり、イチャイチャと恋人のような関係を楽しむ。値段としては相場2万円〜ホテル代別というところであろうか、なかなか普通のお小遣い制の既婚者には気軽に手が出ない価格帯。そのためか、出張などのここぞという時に足を運んでしまう既婚者が後を立たない。遊んだ後には絶対に性病検査をして、くれぐれも梅毒には気をつけて貰いたい。
キングオブ風俗。なんかよくわからないですけど、お風呂屋さんに高額な入浴料を支払うと女の人とお風呂に入れて、いつの間にか恋愛関係になって、セックスしてしまうことがあるらしい。価格帯はピンからキリで、いわゆる激安店などであれば、メンエスくらいの値段でセックスに至れることもある。果たしてパートナー以外の人間とセックスをすることが許されるのか、既婚者たちの道徳心が試される。
既婚者たちの終着駅。素人を相手にするということで、プロを相手にするよりも悪質かもしれないけれど、性病面を考えればまだマシなのかもしれない。でも、みんなやってることは結局同じ不貞行為なので、目くそ鼻くそである。
どんなりゆうがあろうとパートナーいがいのおんなのひとと、えっちなことをするのは、ゆるされないことなんだ。
そのことをむねにきざんで、いつかさばかれるそのひまで、つみをかかえながらいきていこうね。
ふとした拍子に、小学生の頃に飼っていた黒猫のことを思い出す。
ずっと抱えている後悔に区切りをつけたいので、ここに吐き出させてほしい。
真っ黒の毛並みで、人懐っこい奴だった。家族の誰にでも、見知らぬ近所の人にさえ、初対面からゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄っていく。愛らしい性格だった。
ただ、父だけはクロを嫌っていた。理由は、父が子供の頃に飼っていた猫が布団の中にカエルをプレゼントしたことがトラウマになっているかららしい。父は頑なにクロに触れようとしなかった。
ある日、クロが急にぐったりとし、病院で内臓の病気と診断された。
手術が必要だったが、費用は5万円以上。当時の我が家にとっては大きな出費だ。
父は「金をかける必要はない。やぶ医者だ。時間が経てば治るかも」と反対した。
何日も過ぎて、母は泣いて父を説得し「私の貯金から出す」と覚悟を決めた。
私もお小遣いを全部、母に渡した。父も最後は折れて、1万円を出してくれた記憶がある。
クロは病院へ通うようになった。手術は成功したものの、術後すぐに容体が急変し、そのまま帰らぬ猫となってしまった。
今でも思う。あの時、もし父の反対を押し切ってでも、迷うことなく即座に手術に踏み切れていれば、クロは助かったのではないか。
当時はペット保険なんてものも知らなかった。そんな備えがあれば、費用の心配なく手を打てたかもしれないのに。この「もしも」の思考が、30歳になった今でも心にこびりついている。
時間が経てば薄れると思っていた後悔が、どんどん重くなっている気がする。
同じように、ペットの医療費や判断の遅れについて後悔を抱えている人間はいるだろうか。
私はどうやってこの罪悪感にふんぎりをつければいいんだろうか。
普通の社会適合者とっては、好きなスキルの中で仕事になるもの(理系専門職)か、ホワイトJTCが良いのでは。
社会不適合者は、上司とか評価とか納期とか勤怠とか色々苦労するので、そのような苦労が少ない仕事が良いと思う。
例えば、
・ブログ
・大家
・農家
・漁師
・猟師
・投資家
フリーランスエンジニアは、なんだかんだいって客との関係が重要なので疲れるのは一緒かもね
サイドFIREできるくらいに運用資産が増えれば(5000万くらい)、あまり儲からなくても良いけど、やりたくて良い環境の仕事も選べるようになる
例えば、サイドFIREして海の近くに住んで、家庭菜園と釣りで生活費を抑えて、遊漁船の運営でお小遣いを稼ぐとか
それに、そもそも和歌山の山奥ニートのような生活をすれば、月1万を何でも良いから稼げれば生活できる
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
お金の使い方が下手だなと思い出せる範囲で少しずつ書き出してみる。
子どもの頃は週に1回500円をお小遣いでもらっていた気がする。
でも、学用品や服などは親から買って貰えるので、好きなことに使える金額だ。
このお小遣いはとにかくマンガを買っていた。他に欲しいものはなかった。
当時の時給は600円〜630円くらいだったと思うが
月に6万くらい稼いでいた。自分のお金の使い方がおかしいと思い始めたのはこの頃だ。
もう随分前のことだから何を買ったとか、どこに使ったのか、そういうのはわからない。
でも、6万円という給料が一週間でなくなる…残りの3週間はカツカツで過ごす、
そういうことがあまりに多かった。えっ、下ろした現金がもうない!
そう思うことが多かった。でもこれはまずいなと思う行動はひとつ思い出せた。
月末にカツカツになって、銀行口座に残っている1000円とか2000円(万じゃない、千の単位)を
ATMで引き出すのに、平気で時間外のATMを使っていた気がする。
コンビニATMの記憶があるから、高校生の頃より後の時代の記憶が混ざっているかもしれない。
でも、お金を貯めてまで欲しい高価なものがあったわけではないから
お金がないならないで、それっきり。しばらくバイトを続けて給料日を待てば良かった。
貯金は「できたら良い」と思う程度のことで、そこに切実さはなかった。
「勉強しなさい」と親に一切言われたことがなかった私だが、小中学生の頃はトップクラスの成績だった。
ある日、放っておいてもいつも高得点をとってくる私に、
親がニヤつきながら「もし0点取ったら1万円あげる」と言ってきたことがある。
お年玉をやりくりしておやつから自分の日常着まで買っていたので、
けれど結局、そんな恐ろしいことはどう転んでもできなかった。
先日友人が「子供がテストで0点取ってきてさ!」と笑いながら話してくれた。
すぐに「いいなぁ」と思った。いいなぁ、とても愛されて育っているんだろうな。
そこで、はたと「なぜ私は0点を取れなかったのか」と向き合うことになる。
なぜ?
テストでいい点数を取ることが自己の存在確認の一つだったからだ。
私は私として生きている意味を形あるもので集めなければいけなかったのだ。
小中学生の頃、できることをやって→好反応を得て→生きている意味を実感する事象に、勉強ほどわかりやすいものはない。
それぞれ全ての項目で、失敗をしても諦めず探究しリトライを繰り返した結果、それなりに良い成績を収めてきた。
そして30歳を超えてふと立ち止まる。
この楽しくてやりがいのある「仕事」は、このまま一生続けられるのか?
私は私の生存確認のためだけに、ずっとこれを頑張り続けられるのか?
そんなモヤっとした霧の中に片足を突っ込んだ時期に結婚して子育てが始まり、
私は私のためだけではなく、家族のために生きるようになった。
そしてふと、自分が子供の時に持て余して答えがなかった感情を思い出し、
そして親の垂らした透明な「毒」に気がついて愕然とするのだった。
もし、あの時わたしが愛されていたら?
ニヤついた親の顔も、悪戯っぽく笑ったように見えただろうし、
実際に0点取って「一本取られたわ〜!」って爆笑する親から1万円もらって、
なんてこともあったかもしれない。
でもその時、私の視点では親はニヤついていたし、
0点を実行しても面倒くさそうな舌打ちしかもらえなかったはずだ。
私は多分、笑いを堪えてしまう。「君にはしっかり親の愛が根付いているんだね」と心底安堵してしまうからだ。
手前に「もし0点取ったら1万円あげる」なんてゾッとすることは絶対言えないけれど。
私は副業でアダルトありのチャトレ嬢をしている。この文章はその愚痴なので嫌な人はあんまり見ない方がいい。読みにくいよ。
売りとしてはコスプレと巨乳ながらそこまで太っていない体、パイパン、ロリボ、趣味で読んでるエロ漫画への造詣の深さである。
ちょっと変わったアダルト系コスプレや意味わからん下着を三桁前後で売ってるシーインは偉大だ。洗濯してから着てるけど今のところトコジラミは目撃していない。
こういうのをしてるとたまに、エロが好きだからやってるの?とか、実際に会おう!その方がお互い満足できるよ、だとか、ここお金かかるからラインとか行こ!とか、痴漢とか嬉しいの?と聞かれる。ガチトーンで。
要するに本気で、私がエロが好きで、見られたくてやってると思ってる層がいる。
私はこういうのを始めるまで、まあ買う側=男性サイドも報酬ありきで女性がこういうのをやってるんだとそれなりに理解してるんだと思ってた。だってそうじゃん?みんな無料で働きたい?なわけなくね?
なんだけど、そもそも男性としてはこれを労働だと思ってない層が多いんだよね。
なんでだろう。報酬が発生するのは男性側も承知のはずだ。使ってるアプリは会おうというのを明確に禁じてない(推奨はしてない)のでまあダメ元で会おう、ライン行こうというのはわからんでもないが。
別に好きで見せてるなら最初からタダで見せるんじゃない?だってその方が人多いじゃん?報酬が発生する場所でしかやってないってことはつまりそういうことだろ。
まあエロが好きというのは否定しない。オタクだし男性向けコンテンツが好きなので、男性向け18禁同人誌もかなり読んでいる。
その中には自分の好みであるものもあるし、好きで読んでいることは否定しない。それを読んでることを売りにもしてるわけだし。他の女性よりはかなりエロだの性癖だのに理解があると思っている。無様エロとかも見る。有名作家ならある程度語れる。
でも別に自己投影してるわけじゃないし、実際レイプだのされたら全力で抵抗するし感じることもないだろう。言葉責めとかされたら爆笑してしまうかもしれない。
あれって二次元のキモいおっさんが自嘲込みでやるかえげつないイケメンがやるかしないと形にすらならんだろ。三次元に持ち込むなよ、お笑いにしかならんて。いやまあこれやりたいのって男性側のオナニーなのはわかるけどさ。
それでもチャトレをやってるのはエロに抵抗がないから二割、お小遣い稼ぎにはちょうどいいから八割である。自分が感じて〜とかは一切ない。
電話かかってきた時もトークも自分の型が決めてあって、無心でそれをこなしてるから気持ちなんか入るわけない。ぶっちゃけ話繋げてカワイイ声出して見栄えがいいように無理すぎる体勢してってめちゃくちゃしんどいぞ。
見られて興奮する♡とかそんな暇、本当にない。一人終わったらはい次、はい次、合間合間に返信と営業、ってやってるから割と頭パンクしそうになる。
どちらかというとビデオ通話のテレアポに近いかも知れん、やったことないけど。無心でこなさないと着信もメールも捌けないよ。正直稼働中は楽しいとか悲しいとか考えてる暇はない、死ぬほど忙しい。
金がなければ体を見せる義理はないし痴漢なんてもってのほか。報酬がなくなれば迷いなく辞めるだろう。
そら漫画やAVの世界ではそういうのが好きで体を見せてる人もいるからもしかしたら勘違いするのかもしれない。現実でも承認欲求のためにやってる人もたっくさんいるだろう。
私が承認欲求でやってるとしてもよーく考えてみて欲しい。
ただ見たい!って言われるよりさ、金払って君の体が見たい!って言われる方が承認欲求満たされるだろ。絶対。
しっかりして欲しい。君はモテなくて彼女がいなくてorいてもあまり相手にしてもらえないから金払って人の体を見てるんだろ。金がないならやるな、リアルで女と会いたいなら店に行くかパパ活するかティンダーで頑張るかしてくれ。おじアタックはやめるんだぞ。
君が無料で私と絡みたいっていうのは私の自己肯定感を下げることにしか繋がらないんだよ。
金払わないけど見せて???無理無理無理商品なんだよ。試食で全部食わしてってなんねえじゃん。痴漢が嬉しい???こっちからしたら万引きと同じだからな。
個人的な考えだけど、こういうのしてると性犯罪って売りもん盗られるみたいな感覚になる。
客次第だと性犯罪とかも寛容そうとかとんでもないこと言い出すバカもいる。逆だよ。
私の体は売り物だからそういうのされたら商売あがったりなんだよ。逆に厳しくなるに決まってんだろ。ダメ、性犯罪。
触りたい、見たいなら金を払えよ。いや痴漢でないと満足できないとかの精神病も知ってるけど病院で治すか金払ってサービス受けろとしか。病気だから性癖だから金がないから?知らんて、こっちには関係ない。
この辺、まだ18〜22歳って人が言ってるんならまだわかんなくもないんだけどおっさんがガチで言ってるのが多いから本当にゾッとする。
いやまあそういう人が集まりやすいのはそうなんだけどさ。あまりにも数が多すぎるだろ。
若い人のがこの辺説明したら納得してくれるし綺麗に楽しんでくれるんだよね、なんでなんだろう。SNSで夜職の怨嗟がバズりやすいから目に入るのかな。
逆におっさんに説明するとめちゃくちゃキレられる。金払ってまでみたくない!とかね。ならこんなサービス最初から使うなよ、私じゃなくてアプリ自体が一番最初にシステム説明してるよね?私が説明しなくてもわかってるよね?手に持ってるスマホでなんぼでも調べられるよね?不思議すぎる。
なんでこんなシステムや商売があるのか、なんでそういう場所にいっぱい見てね♡っていう女の子が多いのか、論理的に考えたらわかると思うんだけどな。
主語でかいって言われそうであれなんだけど男ってエロ関連すると一気に脳みそ焼き切れる人多いよね。とくに射精寸前の時。顔がきしょくなるしな。
いいから見せて、いいからあれして、プラベでヤるときもいやとりあえずこれして!みたいな。
いやこっちはよくねえから良くないって言ってんだわ、日本語わかりますか?わかってないんだろうなこういうこと言ってる時。
なんだろちんこに血液持ってかれるから?脳の血の巡りが悪くなるから?賢者タイムとは言い得て妙だなと。
私の考えが間違ってて、こういう理屈だから男はこう思ってるんだよ、みたいな意見があれば教えて欲しい。男の気持ちわからないから。
昔「子供1人に大学卒業までかかる費用は1千万」って保険屋のお姉さんに言われたから、ホントにそんなにかかったのか書き出してみた(暇人すぎる)
中学校 月5,000円×3年間=180,000
受験料
大学 50,000
入学金
高校 5,000
大学 280,000
教科書 60,000
教科書 50,000
プール 月5,000円×3年間=180,000
ピアノ 月7,000円×13年間=1,092,000
定期代
かかってる!かかってた!保険屋のお姉さんの言ったこと嘘じゃない!!
ちなみに息子の場合
●小中高と塾無し
●小中高全て公立
だから、恐らくしっかり塾に通わせてるお子さんに比べると、圧倒的に安く済んでる方だと思う。仕送り総額480万だけど、中高で塾通わせたら同じくらいかかるよね?
もちろんここに書いていない、食費被服代医療代理美容代部活代お小遣いまで「子育てにかかるお金」とするならば、恐らくあと200万くらいはかかってるよね。
あと息子の場合大学院も行きたいって言ってるから、仕送りと学費はプラス2年分増えるよね。あと350万‥‥。
息子1人に1,600万円!!!!!
SNSを使って集客をしたり、お小遣い稼ぎをしたいと思いますよね!身近なSNSをスマホで手軽に使って副業を始めたい方も多いです。仕事終わりや仕事の合間、隙間時間など様々な時間に行えるSNSを上手に使って集客&稼ぐ方法をご紹介致します。ノウハウをチェックしてみてください。
“描く”ことは、きっと“生きる”ことと少し似ています。
noteの使い方&稼ぎ方
noteを利用する事で上手に稼ぐ方法や初心者でも稼ぐ為に必要な事を発信しています!noteで稼ぎたい人におすすめの情報をお伝えします!コツコツと取り組む事で稼ぐ事は初心者でも可能です!
ずっと家にいて過ごしたいと思う人も多いですよね。仕事はしたくないし家で好きに過ごしながら稼げたら最高なのにと思う人も結構います。そんな引きこもりの人でも稼げるノウハウなどがあればパソコンやスマホで稼ぐ事も可能です。そんな役立つ記事をご紹介。
アホらし
どいつもこいつも
何が楽しくてnoteやっとるんや
理解に苦しむ
「ぱきちゃん」のときも2割位の人がぱきちゃん応援団やってた。
論理よりもお気持ちが大事すぎる異常者が群れをなしているはてなブックマークの一部界隈が
以下のコメントで
おつかれさまでした。対話することでオーディエンスには届いていると期待(スクショをみて、生きづらい人がSNSで憎悪バトルを生きがいにしてしまい、さらにつらくなっているのかも・・と感じて悲しくなった。憎悪
レスバするなら最適解の動きだった。男女問わず憎悪で集まってる連中に対話は無意味で救えない。、光の発信とレスバの両取りはできないと思う。憎悪
憎悪クリエイターは自分では触れたくないが放置してるとエコチェンバーで増幅するので戦ってくれるのは善として見てる。ヘイトをばら撒いてアテンション集める行為は、本当の課題を透明化するので。憎悪,ヘイト
「社会」が否定されて悲しい、憎悪ばかりが一人歩きしていることの危機感。まぁ分かるんだけど、主観ぶつけ合いバトルで解消される話なのかなーとも思う。距離を取りつつこっち側から醸成していくしかない気もする。憎悪
憎悪で金稼ぐアカウントは消えて欲しいし、スカッと一刀両断できて求心力落とせるならまあいいんだけど、属性によっては無条件で味方する層もいるし実際ゴチャついて金稼いで終わりが殆どだから、触れない方がマシ憎悪
サウナ記事にお世話になってるし、同じ歳くらいの子どもがいるからというバイアスはあるかもだけど同意しかない。別にX内で愚痴るなとは言わんけどそのヘイトを周りにとばさないで欲しいわ、不快。ヘイト
8割くらい確かにそうって話なんですけど、やっぱり憎悪垢への反論を引用ポストするのは不要だし不毛だよなあって思ってしまう。お小遣い稼ぎしたい色気もあったのではとも。 *社会憎悪
憎悪感情を煽りまくってインプレッションを増やしまくるアカウント群…は、アイコンに芸能人の写真を使いがちだから卑怯と思う。ヨッピーさんは自分の顔で発言してて偉い憎悪
今悲しんでいる人の悲しみをないことにしてはいけないと思う。まあ理不尽な被害者意識や男性憎悪がある人もいるとは思うが、全員がそうではないはずなので。憎悪
少なくともこの人みたいな炎上系ライター、曲りなりにも困ってる人間にマウント取ってマンスプ仕掛ける様な人間は、社会にとって敵だよ。無駄な対立煽って知名度とアクセス数稼ぎたいのか。とんだ炎上商法だな。これはひどい炎上商法社会炎上,商売
「憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ見に来た人達にnoteを売る」というコンボを繰り返している「金目当ての憎悪煽りマシーン」←元ツィ主については僕もこのようなアカだと評価した。こういうアカは害悪だよ。憎悪
ヨッピー氏は社会制度が充実してる点やお店などの商売が子連れに優しい点に注目してる。元の投稿はそれらに比べて社会の意識が追いついてない点に注目してるように見えるので、話がずれてるのでは。商売
ブコメでレスバすんなよと賢しげにアドバイスしている人たち、ここ(ブコメ)はすでにリングの内側だということを忘れていませんか。あなたもわたしも炎上の一部で、とつぜんidコールが飛んできたりしますよ。炎上
なんだろね、相手の意見に対して”認めない感”が凄いね。ネガティブさが多いからと言ってポジティブさだけを発言したら憎悪が集まるよ。大変だよね、こうしたら少し楽かもっていう発言したらみんな幸せなのにね。憎悪
子育て世帯に社会は思ったより優しいってのは同意するけど、外野からみたら憎悪煽りに加担してるようにみえるよな。情報商材屋とわかって絡んで行ったのかもどうなんだろ?憎悪,情報商材
途中まで読んで見苦しくてやめたが、敵とか味方とかじゃなくて、色々な境遇の人がいるのに「そんなことない」と全否定ズバーン!としてしまうのが良くないし、レスバ自体が炎上目的じゃないの、って話じゃないの。炎上
ミソジニーでもミサンドリーでも外人憎悪でもみてらんないのが増えてるなーという気はする。最近はイスラム憎悪が伸長してきてんのはモサドの工作じゃないのか?(陰謀脳) とにかくこのまま行くと社会が壊れる…憎悪
情報商材屋に絡みに行っても絡みに行った内容がどうであれ憎悪煽りに加担して情報商材屋に利するだけなので止めたほうがいいと思う情報商材,憎悪
元アカウントは“育児の苦労を淡々と訴える” ではなく、男性・社会に対する憎悪投稿して被害感情を増幅させることで別の商売に利用しているヘイト商法垢なのに、上位ブコメがその邪悪さをスルーしてるのは何故?憎悪,商売,ヘイト
Xの仕様が悪いのでは?全然文脈読めてないFF外の人がおすすめに出てきたからって急に参戦してきてどんどん本筋からズレて炎上していくTwitter時代もそういう傾向あったけど議論できる場所じゃない炎上
Xやめなよ。じゃないと協力してるだけだよ。 ›最近は外国人ヘイトが本当にひどい。こうなったのは結局イーロンマスクがTwitterを買収してインプレッションに報酬つけたせいなのでマジでなんとかしてくれないかなぁ。ヘイト
レイジベイトでしかないことを解ってないのか解っててやってるのかヨッピーて炎上ネタでしかブクマされなくなったよねレシピより炎上ブクマされる料理家さん同様みんなレイジベイトに振れていく炎上
男性育児コメントは商売になる社会制度が「世帯」単位ではサポートを設計している以上は、その単位に対して敵であるはずが無いよなー政府審議会にでも呼ばれる前哨戦? よくわからない商売
ママ垢ルール、炎上させるために持ってくる謎のお決まり事よね。R3生を妊娠中からママ垢持ってるけど「ママ垢ルール嫌いです」に付随して当人から語られ、周囲の人が頑張って燃やす謎ルールしか見たことない。つまり炎上
炎上してでも目立たないと仕事無くなっちゃうからねしかたないね炎上
これだけ炎上したり、石を投げられることがありつつも、レスバしたいという精神に私は驚いている。何が原動力なんだろう…。炎上
結婚子育ては不幸になるという炎上屋のインプ稼ぎを鵜呑みにすると本人も社会も不幸になる。実際は幸福度は男女ともに既婚者の方が高いのだから誰かが否定しないと。炎上
やっぱり暇空へ寄付したのはミソジニーが本心・根底なのだろうと思わせる。寄付文化のためという釈明は無理がある。まずそれを素直に認め反省してからでないと、憎悪煽り云々言っても説得力がない。憎悪
こういう炎上家みたいな輩はアクセス稼げればオールオッケーなので、有名人からのレスバは「ウマー」でしかないんよなぁ。良い話をネットに放流したいという気持ちは共感するけど、やり方は考えても良いかもね。炎上
ポジティブも増やしたい、端的に事実を示したい、その意図はわかるが「憎悪クリエイターに引用RTからのレスバ」は結果として世の中のネガティブ総量を増やしている。SNSの仕組み、いい加減わかって……。憎悪
"憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ、見に来た人達にnoteを売る*マシーンと喧嘩して憎悪を増幅しても社会が良い方向には行かない。ヨッピー氏にはライターとして、マシーンの闇を暴く方向で頑張ってほしいな。憎悪
愛情は憎悪を生む。それもオキシトシンが発端なのだと思うと切ないね憎悪
積極的にネガティブに絡んでいって反発やヘイトを集める炎上商法ということなのか?何がしたいのかよくわからないヘイト,炎上,商売
ネットで社会へのヘイトを煽ってインプレ稼ぐのは社会の敵だと思ってるけど、絡むと面倒くさい事にしかならない。でも放置も良くないってジレンマ。ちゃんと面倒くさいレスバをしてるヨッピー氏は偉いよヘイト
"「憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ、見に来た人達にnoteを売る」というコンボを繰り返している「金目当ての憎悪煽りマシーン」と化している方"これ本当に問題だしどうにかしてほしいところである憎悪
“「ママ垢ルール」”なにそれこわい。前半部は全面的に同意ですよ。エコチェンの中で子育てヘイトに浸ってる人を放置してるといつか私たちにも被害が出そうだもの、ブレーキかけたい気持ちは私もあるヘイト
炎上してでも自分の意見を広く伝えたいみたいなことなんだろうけど、子を持つ親としては迷惑だから止めてほしい。自己満足にしかなってない炎上
これは事実性じゃなくて認知の問題なんだから人によって違うにきまってます。いい年してそんなこともわからないんですか、って感じですが。商売でレスバしてる人だから仕方ないかもしれないけど。商売
清く正しい親子だと社会はそこそこ優しくしてくれると思う。これが気の弱いママと多動の子になると、途端にへいとがよってくるわけでな。色んな意味でヨッピーは運がいいだけってのはあるよヘイト (へいと)
ご提示いただいたリストには、「情報商材」「ヘイト」「憎悪」といった、世の中の不必要なノイズや厄介な概念に言及するコメントが多く見受けられました。
確かに、それらがまるごと消し去られたら、世の中はどれだけスッキリするでしょう。
しかし、もし私がチェンソーマンの力を使えたとしたら、最初に消し去りたいのは……
「対立煽りをしてインプレッションを稼ごうとする悪魔」ですね!
そして、コメント欄に残るのはきっと、
「このテーブル、めっちゃ見やすいよな!」 「表形式でまとめるの、すごく助かる!」
という、純粋で平和な「感謝の悪魔のコメント」だけになることでしょう。
なんかヨッピーへのヘイトが高い層がおるんか。まぁ目立つ場所で騒いでるので当然ではある。ネガティブな事しか言えない場も必要ではあるけど入り浸ると良く無さそうだなと思うなど社会コミュニケーション育児ヘイト
とりあえずヨッピー憎しで叩いてるのが多そうなイメージしかない/単芝つけて煽ってるブコメにあんだけスター集まってるってのがもうそれよね憎悪 (憎し)
参政党等の外国人憎悪デマを放置できない・否定せよと宣うはてサがヨッピーを否定するのはどういう心情なのか?ヨッピーは「日本社会は子育て世帯の敵だ」デマを否定しようとしてるのだろう。褒めろよ認めろよ。憎悪
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
何で他人事なのか分からない。そうやって放置すると最悪統合失調症になるよ?
まず、あなたが家事を始め分担をすることを申し出てください。その上で、実際にはあなたが作業をするのでは無くて、家事代行に作業を頼んでください。
奥さんがもったいないよ言い出したら、あなたの資産、収入、お小遣い制ならお小遣いの中から出してください。理由は時間の余裕を作って奥さんと話す時間を確保するためだと伝えてください
多忙になりすぎると認知能力が狭まってだれでも馬鹿になります。でもそれを放置すると精神に問題をきたします。他人事ではない、あなたの家族のことなので、真剣に取り組んでください