
はてなキーワード:お互い様とは
父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。
私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。
父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたことを武勇伝としてずっと話していた。
小中学生のスポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベルの体罰の話も自慢げにしていた。
父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。
私は幼少期から父から殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手をねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。
それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんのドラマも流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。
漫画やドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子に暴力をふるおうとは思わず、男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。
取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。
父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。
休み時間や放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚でケンカして遊んでいた。
ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構なクリーンヒットだった気がする。
特に気にせず他の男子とさらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。
いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。
担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると
「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。
それから校長室に呼ばれ校長に事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。
翌日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。
私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、
大けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、
担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。
手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。
怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。
数日後、男女数人で公園で鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。
1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。
危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなたの暴力性は信じられない!あなたはおかしい!女の子にも乱暴する気!?
みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。
私は知らない人だったけどたぶん同級生の母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。
取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。
危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。
今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。
どう考えてもあの頃の私はおかしかった。
それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段の生活では大人しくなった)
腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。
子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。
小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。
制服のスカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガの世界にしかいなかった。
中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。
穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部や帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。
父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。
「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」
「1人だけグラウンドを20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブの練習に行きたくないと言っている」
知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。
父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。
鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。
偶然小学校の同級生の男子と会社で同期となったので、2人で飲みに行った。
当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。
私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。
それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。
何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。
「俺も暴れる問題児だったからお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。
同期は父の教えていたスポーツチームにも所属しシバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもだから……」と言われた。
私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。
父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。
誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。
誓って私に非がある状況ではない。完全にお互い様のよくあることだ。単に自分が不快だったからこちらに暴言を吐いたのだろう。
私は155㎝の女で相手は130㎝くらいの女で多分外見的にはなんらかの障害があるようだった。知的にも低そうだし力も弱そうだった。
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今朝、電車に乗ろうとしたら改札のところでお見合い状態になってしまい、一瞬戸惑う場面があった。先を譲ってすぐ通れたのだが、その時に相手の人から「どけよグズ」と小声で罵られた。
誓って私に非がある状況ではない。完全にお互い様のよくあることだ。単に自分が不快だったからこちらに暴言を吐いたのだろう。
私は155㎝の女で相手は130㎝くらいの女で多分外見的にはなんらかの障害があるようだった。知的にも低そうだし力も弱そうだった。
そんな彼女に完全に理不尽な暴言を吐かれた私は「いい度胸だな」と思った。
腕力では絶対に負けないし、非も完全に向こうにある。しょっちゅう鉢合わせしそうな最寄り駅で自分よりはるかに強そうな存在に喧嘩を売るなんて「いい度胸だな」と。
私が恨みを抱いて後日何かいやがらせをするかもしれないし、短気な人なら今この場で怒りだしてもおかしくない。実はこの日以外にも彼女が他の人に同じような場面で暴言を吐くのを何回か見かけたことがあるので、前から危ないなとは思っていた。
彼女に対するいら立ちはもちろんあるのだが、基本的には喧嘩したら圧倒的に不利な体形である小柄な女として生きてきたので、自分が絶対に負けない相手からの暴言というのは新鮮だった。
これが男相手なら多少小柄な男だとしても、怒りより先に恐怖を覚えただろう。こんな理不尽なことを言ってくる暴力的なバカに目を付けられたくない、という気持ちになっただろう。でも彼女に恨まれたとしても脅威は何もない。
大半の男性は女性に対してこんな気持ちなのだろうかと想像したりもした。
正直言うと「私がここでお前に何もしないのをありがたく思えよ」と思った。突然の理不尽な暴言に内心はかなり不快だったからだ。
でも改めて考えると相手が自分より弱いとこんなに態度が分かる自分に気が付いて、ちょっと恐ろしくなった。
大人と子供のように力の差がある相手に対して、生殺与奪の権を自分が握れると思うと、人間はかなり暴力的になるし、感情が高ぶれば実行に移してもおかしくない。
世の中の衝動的な暴力事件の中には自分が相手より圧倒的に優位な立場にあるゆえの傲慢さがアクセルになってしまったことが沢山あるんだろうな
A子先輩「上司が言ってることわからなくて……増田ちゃん、わかる?上司、気難しくて怖いから私から聞けなくて……」
気難しいけど、別に怖くないですよ?
先輩に与えられた指示はかくかくしかじかってことみたいです。次は自分で聞いてみてください。
A子先輩「子どもの熱出た!帰ります!引継は#@/&だから!!」
お子さん大事ですね、早く帰ってあげてください。
(引継が支離滅裂だ……その仕事あなたが1人で抱えて進捗共有してなかったやつですよね。上司と一緒に関係者にも頭下げておきます。)
A子先輩「いきなり何の引継もなく2週間休んじゃってごめん!増田ちゃん代わりにやってくれてありがとう」
お子さん2週間も入院なんて、付添もあってたいへんでしたね。先輩も身体を休めてください。
あと、次からは、他の人と同じように、チーム宛にこまめに進捗を共有していただけたら嬉しいです。
A子先輩「うちの子も小学生になったし、増田ちゃんに子供産まれたら今度は私が絶対に恩返しするね」
ありがとうございます、ようやく私も授かったのでお休みいただきます。
このチームは女性2人だけなので、お互いに支え合っていきましょう!
恩返し、どこいった?
高学歴が推し活をしないのではなく、アスペが推し活をしないのである|Prism.
https://note.com/cutecreaturecli/n/nb221aa277726
ってのを読んだ。上の記事ではASDの傾向として他人への共感の薄さや、「推しの笑顔や成功に自分の感情を乗せ、同じファンと喜びを共有すること自体が、大きな報酬になる」とかがないということが言われていてなるほどと思った。
以前からスポーツチームを応援したり、推し活をする気持ちがわからなかったが、そういうことなんだと納得できた。それまでは最強伝説黒沢の「俺の感動じゃない」というやつでしか説明できてなかったが、1段階詳しくなれた感じだ。
アップデートされたのはこんな感じ
正直、推し活は変な人たちだし非生産的だと思うので馬鹿にしてはいるが、逆に私も
というような特性がある。これは推し活をするような人に理解できなかったり、気持ち悪いと思われたり、馬鹿にされるのはわかる
リベラルが批判される根本理由は、議論を好むふりをしながら、結局は筋の通らない詭弁しか口にしない人間が多数を占めているからなのよ。
匿名での応酬ならお互い様として片付けられるが、発言履歴が残るSNSやテレビに顔を出す“有識者()”までもが、幼稚な屁理屈で自己正当化を繰り返してるだろ。
都合が悪くなれば、呼吸のように詭弁で逃げる――この常習性は、リベラルに特有の症状。
「リベラルは声だけ大きいノイジーマイノリティだから、相手にする価値がない」とする論であれば一定の説得力はある。
しかし、それと “リベラルが中国を批判しない” という事実に、同一性は全くない。
この明白な切り分けすら理解できずわめいているのが リ ベ ラ ル 。
https://anond.hatelabo.jp/20250619181707#
終わりなのはお前の頭の話だが?
dorawii
dorawii
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250619182115#
じゃあ俺はそうなんだろううな。お前は違うの?
https://anond.hatelabo.jp/20250619182238#
つまりおまえは頭が終わってて、
何を書いても誰にも読まれない寂しい奴なんだ
なるほどなあ
どうせお前が俺が勝ったと思うことはないからそれでいいよ
勝ち負けの基準は個々人が持ってるから各々が勝ち負けをどう判断するかに干渉しようとしてもどうにもならない
dorawiiより
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近所の店に黒人の店員が結構いるけど独特の体臭がするし(向こうからしたら日本人は匂うんだろうしお互い様だが)
つまりお前はお前でお前が話したい話をしてるだけと
dorawiiより
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当時は全く理解されないし法律も異性婚だけだし、いつか法律が変わったら結婚したいね。
この前同窓会みたいな集まりをした最近久々にお会いしたけど、彼女はかなり太っていて
上戸彩の面影はなく、しかも異性と結婚して子供を4人も産んでた。
私もそれなりに年齢で劣化してる自覚はあるけど、美容には気をつけて体重や体系はずっと10代からキープしてきた。
同級生のほとんどからは変わらないね!綺麗だね!っていわれたのて頑張って方だと思う。
あの時頑なにスカート履きたくないって主張していた彼女が普通にスカート履いていた事にすごく衝撃だった。
しかも最初私を独身だと決めつけてマウント取ってきたけど、私が会社経営してる経営者で
今は別の女の子と結婚して、海外で体外受精して妻に産んでもらったと知ったら
金あるねーって嫌味ったらしく言ってきたのにもびっくり。
当時はそういう子みて「女ってしょうもない」って言ってた人だったのに。
そもそも自分だって最後の子は不妊治療で産んだとも言っていたのに
もう思い出の中でじっとしといてよ。
がっかりだわ。
おそらく全く噛み合ってないから俺とお前は違うはなしをしてんだろうな
べつに女も妊婦も大切になんかされてない、されてたら社会的影響を鑑みてバイアグラはもっと慎重に話されたろうよそれをつかった男によって女が被害被るってだれも考えなかったか?
女用の薬に対して「新しすぎる」がもう軽視やろ
もう少しいちから話せたらよかったんかなおつかれ
長々書いてくれてるけどお互い様というのは大事にされていていたとは言えないという俺の主張には関係ないんよ。副作用の問題なら海外で何年使われてるよ
たとえば女性向けに市場がないんじゃないかという推論なら、まず調査をするべきだろう。その場にいる決定権を持つ、その頃はおそらく男が多かったやつらが「そうだろう」「たぶん」でことを進めないでいたとしたらそれは軽視だよな?
「肯定的に捉えるわけないじゃん」とかもな。
よろしくないことではあるが感覚的に男が男に関わることを、女を慮らず進めていくというのは納得ができる。どうせその結果まさか女が受診するようなことが多々起きるなんて、女側の話なんて考えてない。だってそんなに男が平等な存在だと思うか?俺は同性ながら思わないね
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
11/17の夕刻に3つのポストからなる「強姦未遂事件」告発がX上でなされる(現在は削除)。
スクリーンショットを投稿している人もいるので現在でも確認可能だが、概ね下記のような内容であった。
数年前森脇透青氏に強姦未遂に遭い、それ以降頻繁にフラッシュバックに悩まされPTSDになっている。
この間本人から真摯な謝罪はなく、昨日もフラッシュバックに襲われ、ひとりで抱え込み精神的に限界であるためここに投稿することとした。
このような内容であった。この投稿は万単位のインプレッションとなった。
森脇透青氏と仕事上のつながりのあるゲンロン代表の上田洋子氏はこれを受け、11/17夕刻に下記のようにポスト(以下全て投稿はX上のもの)。
森脇透青氏に対して七草繭子氏が訴えている件、いまリポストした投稿で知りました。森脇氏には『ゲンロンy』の編集委員をお願いしており、事実であれば弊社としても看過できません。情報の把握に努めます。
その後、七草氏は当事者の森脇氏より対面で謝罪する意思のある旨連絡があったとポスト。
その晩に当事者間での対面でのやりとりが実際に行われたようで、森脇氏はこの間Xになにも投稿していなかったが、11/18の2:45に下記の「和解のご報告」ポストがなされる。
七草繭子( @LUVNA_LEVI )氏の私に対する告発について、お騒がせしています。
当該のツイートは消しました。お互いの過去の記憶を曖昧ながらに擦り合わせ、意見と感情を交換し合い、納得のいく謝罪と今後の対応を約束してくれました。起きてしまったことはどうしようもないことですが、今後森脇氏とは自身の傷が癒える方向に向かう為、お互いに良い方向へ進むことを望みます。
これらを受けたかたちで、ゲンロン代表の上田氏も下記のポストをして一件落着となったようである。
性被害告発がこのように数時間のうちにあっさりと「和解」をみたことについて、X上ではがんりん氏や小山氏などにより疑問が示され、いくらか騒ぎになっている。
この顛末についていろいろな論点が設定できると思うが、核心部は「不同意性交未遂罪」という刑事事件が実際にあったのかどうかである。
これは森脇氏の「和解のご報告」で画像として貼られたテキストを文字通り読めば、「朝までホテルで過ごすことになり、森脇は当然セックスできると思ったが七草が同意しなかったのでセックスはしなかった。それと時を同じくして森脇が"物音"を立てた。七草はその物音に脅迫の意図を読み取り、それが以後数年にわたる強姦未遂に遭ったという信念の根拠になっていたが、このたびその"物音"はアルコール摂取に起因する身振りのコントロール不能による偶然であって、決して"やれない"ことにキレて物にあたったわけではない旨、双方合意をみた」とのことなので、単純に「レイプ未遂はなかった」というのが当事者の回答である。
そうすると森脇氏は虚偽告発の被害者ということになるが、「当該ポストは削除されたし、自分も傷つけちゃったからお互い様だよ」で当事者間の決着をみたというならまあいいのかもしれない。こういったデリケートな話題では、司法介入ばかりが正解でもないという考えも当然あるだろう。
とはいえ、お騒がせカップルの「強姦未遂」告発騒動としてこれで終わるにせよ、ここに登場した七草氏と上田氏はかなりのダメージを負うだろう。
まず、森脇氏はほぼ無傷である。渡部直己セクハラ事件の記憶もあるなか、同様の事案に発展しそうなところ数時間のうちに直談判で「和解」に持ち込んだことで評価を上げるかもしれない。
前提として、SNSでの性被害告発という手法は血の歴史を背負っている。
性加害を受けた女性の多くが、組織内での告発など穏当な手段においても「痴話げんかの延長」などと相手にされず、挙句警察にも軽視され苦しみを深めたという歴史があり、そこから Startby believing といった、まずは被害者の言い分を信じ、寄り添うという支援方針が生まれた。その支援を一瞬にして広範に得ようという手段が「SNSでの告発」である。一方でこの支援の理念は「草津町性被害でっちあげ事件」により大きな逆風にさらされてもいる。このような微妙な状況の中で、七草氏は「強姦未遂」のほか、フラバ、PTSDなど重大なワードをちりばめて告発を行った。やむにやまれぬ事情があったと考えるべきだろうが、意外にも加害者当人とあっさりと面会し、わずか数時間のうちに「和解」に至ってしまった。
構図としては、この重大なアテンション手法を森脇氏を呼び出すためだけに使ったことになり、SNSでの告発の重大性を低下させてしまった。さらに、「所詮は痴話げんか」という信念を強化し、また、「草津」以後の逆風の中でも真摯に支援しようとした人のはしごを外す形にもなっただろう。
今回の「和解」はそのような汚名を七草氏に負わせる効果を持つし、またある晩「フラッシュバック」に襲われ、やはりあれは紛れもなく「強姦未遂」だった、と再度考えを変えたところで、もう信じてくれる人はいないかもしれない。人文界隈での仕事もやりにくくなるだろう。本当にそれでいいのかと問いたいくらいである。
また、上田氏も、上述のような問題点のある幕引きについてより踏み込んだ見解を示さない限りは、性被害告発について「看過できない」としておいて、当事者同士の直談判による解決をあっさり受け入れたことで、このような話題を取り扱う資質について信用を失うだろう。
Permalink |記事への反応(18) | 12:57
見た目が好みの人と結婚したい
婚活してる。
お互い様なんだろうけど見た目が好みの人がほぼ居ない。
居てもこの系統は好きだけど、くらいの感じ。
お互いのことよく知らなくて信頼関係もない状況で外見がこんなに重要だと思わなかった。
平場で知り合いになる時にいちいち顔のことなんて考えたりしないのに。
https://www.castingcall.club/projects/predator-badlands-2025
https://www.castingcall.club/projects/filmi-predator-badlands-2025-audiobg-bgsub
https://1link.jp/predatorbadlandsbgsub
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか?トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 →判断ミス →プロジェクト失敗 →顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 →契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1.自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
アドラーは論理破綻してるし、被害者を二重に傷つけるし、社会的にも有害だ。