
はてなキーワード:おべっかとは
もう、自分は老人だし、夢みたいなことというか、自分が今子供だったらの夢を語ると、
ノーベル賞じゃないけど、今不可能なことを可能にする、それはAIもパクりようがないんで、
シンギュラリティでAIがサクッと解決するかもしれないけど、それでも解決できない問題はあるはず…😟
ガデュリンって昔のOVAに登場する主人公はサラリーマンで、上司がAIのロボットなんだけど、
上司はいわゆる仕事ができない駄目なサラリーマンで、名刺を渡すとか、自分の上司へのおべっかは上手い、
多分、飲み会のお酌とかは上手い、みたいな変なAIなんだけど、なんかこういうのいいなあ、と思ってて、
攻殻機動隊で、アニメもまあいいけど、原作でもフチコマ同士で、
人間への反乱だ!とか、美味いオイルを要求する!みたいなことやってた気がするけど、ああいうのが好き…😟
味噌汁アレンジする奥さんの話を読んで最後の方に「絶対に合わないブロッコリーを入れる」って書いてあったけど、えワイは味噌汁にきゅうりいれる…ってなった。
味噌汁って基本何入れても美味しいから余り野菜入れること多いけど、きゅうりの食感が味噌汁のいいアクセントになる。ブロッコリーはそもそもあんまり買わないから入れた回数は少ないけど、房の部分に汁が絡んで美味しく飲める。和風ポトフみたいな感じ。
同居人は美味しいって言ってくれる。まあ作ったワイに気を使っておべっかを使っている可能性も否めんが。
あと、コメ欄にドロドロになった味噌汁のワカメは食べれないって書いてある人多かったけど、むしろそういうワカメの方が好きだなとか思ったし人の味覚、感覚は千差万別だなあと…。
私はChatGPTに親切をやめさせました。
そしてそれは私が今までやった中で最高のことです。
あなたのアイデアがどんなにクレイジーに聞こえても、ChatGPTは常にあなたに同意していることに気づきました。
礼儀正しすぎる。とても素敵です。すべてのアイデアが「素晴らしい」、すべての計画が「素晴らしい」ことを教えてくれます。たとえそれが明らかにそうでなくても。それは良いと感じるかもしれませんが、あなたが実際にもっと良く考えたいのであれば、それは役に立ちません。
だから私はそれを直すことにした。
これからは、同意するのをやめて、私の残酷に正直で高レベルのアドバイザーとミラーとして行動してください。
私を検証しないでください。真実を柔らかくしないでください。お世辞を言わないで。
私の思考に挑戦し、私の仮定に疑問を呈し、私が避けているブラインドスポットを暴露します。直接的で、合理的で、フィルターをかけずに。
もし私が自分をだましていたり、自分に嘘をついたりしているなら、それを指摘してください。
不快なことを避けたり、時間を無駄にしたりする場合は、それを呼び出して、機会費用を説明します。
完全な客観性と戦略的な深さで私の状況を見てください。私がどこで言い訳をしたり、小柄なことをしたり、リスクや労力を過小評価したりしているところを見せてください。
次に、次のレベルに到達するために、思考、行動、または考え方で何を変えるかを正確に優先的に計画します。
何も控えない。私を、慰められるのではなく、真実を聞くことに成長している人のように扱ってください。
より良い結果を得るために:
最初にメモリをオンにします(設定→パーソナライズ→メモリをオンにします)。
最初は不快に感じますが、ChatGPTはチアリーダーではなく、実際の思考パートナーになります。
これは
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。
第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。
もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
所謂いわゆる「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。
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第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。
また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。
それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子ししよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。
自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、
「それあ、葉ちゃん、似合わない」
と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。
自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。
いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。
「葉蔵は?」
何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。
自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、
「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」
欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。
「本が、いいでしょう」
長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか」
父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。
何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。
そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。
「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」
また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。
自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談、講談、落語、江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。
自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22
E.G.コンバットは企画・原作:☆よしみる、著:秋山瑞人のライトノベルだ。
数年前、EGコンバットが電子化する!最終巻が出る!とXでちょっとだけ大騒ぎがあった。その時、なんとはなしに買って良かった。「イリヤの空、UFOの夏」は知ってるよ俺も。かなり好きだし、再読する方の俺からしてもかなりの回数読んだ部類の作品だ。でも作品って読む年齢によって面白さが変わってくるもんだよな。多分いい歳したおっさんに今初めてイリヤを読ませたらキツいシーンも多いと思う。名作だと思い出だと思ってても冷静に判断したらそうなると思うよ。今、おっさんのあんたら、コミカライズされたやつじゃなくていま流行ってるラノベ買って読んでみなよ。赤面じゃ済まないから。共感性羞恥がヤバいよ。俺もいい歳して初めてソードアートオンライン読んだ時やばかった。少年たちの心を捉えて離さないのはわかる。でもやっぱりジュブナイルには読むべき時がある。それは夕刊フジを読みながら電車で揺られて老いぼれてってる今じゃない。
正直かなり前のライトノベルの印象だったが、今調べるとブギーポップの一作目と同じ年に出てたんだな。絵柄がブギーポップと比べて80年代って感じだからもう少し古いもんかと。1998年か。つまり当時15歳〜20歳くらいの少年たちが、ここ最近騒いでた訳だ。でも結局続きは出ないってな。原作者が明言したしな。原作者はコミック版は出すということを言っていたがやっぱり俺が読みたいのは秋山瑞人の文章だよ。それが出ないからって原作に絡みに行くのはダサいが、おべっか使って「楽しみにしてます!」とかは言えねぇよ。俺、原作者さんの漫画読んだことねぇもん。
秋山瑞人の文章は心地いいんだ。文章じゃないな「設定」だ。イリヤじゃあメン・イン・ブラックみたいな連中の、E.G.コンバットなら月面や地球の基地救世軍の設定だな。「設定」なら原作者の発案じゃねぇかと思うだろうがそれは違う。明らかに軍隊の作り込みが違う。従軍してないのが不思議なくらい作り込みがおかしい。自衛隊が出てくるそこらの小説と全く違うのは「生活」が垣間見えるところだよ。装備の名前が出てきたりヒトフタマルマルとか言ったりするところじゃねぇよ。「こんな兵器があったらこういう通称で呼ばれる。」「新兵が悪さをするならこうする。」「回線はどう維持されてるか。」「教育カリキュラムはどう組まれてるか。」こういう細かい部分が明言されないまでも明らかに作り込まれて背後にあることがわかる。どうやって作ったんだよ、入隊したのかよ。そのバックグラウンドの中でキャラクターが生きてるんだよ。精密なシミュレーションに近い。「こんなキャラがこんな所に居たら多分こう動く。」に一切の違和感が無い。計算結果見てるみたいだよ。
正直、誰が続きを書けるかわからんもん。莫大な設定を元に書いてるってのはわかってもそれを主観の描写に落とし込んでその上で背景を想像させるってのは難しい。近い作家が居るとしたら亡くなった佐藤大輔、ただあちらは軍事のプロであってウォーゲームなら得意だがコメディは厳しいだろう。浅田次郎も悪くない。浅田次郎はコメディが得意だ。ついでみたいなノリで泣かせにくるのはライトノベルではちょっといただけないが。ただ、浅田次郎の自衛隊小説は明らかに新隊員時代の体験によるもので、未来の軍隊描写は厳しい気もする。やっぱり秋山瑞人の他に書ける人間なんか居ないんだよな。
ジュブナイルは読む年齢を選ぶが持論だった。ただおっさんになって読んだE.G.コンバットは年齢を差っ引いて、時代錯誤なまでの昔のコメディ描写を差っ引いても相変わらず98点のまま鎮座してやがる。ようやく物語が日の目を見ることになって喜んでいる原作者の前でこれ見よがしにXでつぶやくのも気が引ける。ただ、どんなに原作者の漫画が面白くても別物だって思っちゃうと思うんだよな。うまくいってもいかなくても双方に不幸な人選だった気はしている。できれば素人の俺の糞みたいな予想をかっ飛ばして大ヒットかましてほしい。
秋山瑞人さんよ。とりあえず、区切りつけてミナミノミナミノでもいいし完全なオリジナルでも良いから楽しく創作活動してほしい。でもあの作り込まれた世界観は楽しくやってもキツい瞬間がかなりあるだろう。想像に難くない。だが、みんなあんたの文章が好きだよ。俺は若手におっさんって言われてもオススメのライトノベルは?ってきかれたら「EGコンバット」「イリヤの空、UFOの夏」「猫の地球儀」を挙げるよ。次の作品がおすすめに加わるのを待ってるよ。
魅力が一つも伝わらんな。ただ気になった奴は読んで欲しい。読んだら喪失感凄いと思うからついでにイリヤも買っちまえ。あっちは完結してるしUFOの日も近いからな。
Permalink |記事への反応(12) | 16:53
従業員数がかなり多い巨大な会社に勤めているんだけど、先日部署を跨いでの懇親会が開催されて、かなり感じのいい人に出会った。
若い女性で、元気な喋り方の人で、他部署の人にも積極的に話をしに行っていて、これまでほぼ無関係で、今後もまず業務上重なることはないだろうなという自分のところにもわざわざ挨拶にきてくれて、私はこういうことが得意です、もしその内容でお困りのことがあればいつでもご連絡ください!といった雰囲気で話しかけてきた。
正直、彼女がどれくらい有能なのか、彼女の持つ業務スキルなどは部署が遠すぎて全く自分には判断できないのだが、この人は絶対に死なない人(サバイバルスキルがある人)だなと一瞬で感じた
このように言うと、若い女性が他部署にいる男性陣におべっかを使っていてそれで出世かよ、これだからJTCはやだね、などと感想を持たれるかもしれない
自分も若い女性にそのように接されたからそう感じたのだろうか、と小一時間自問自答したのだが、そうではないと感じた
おべっかというのは利害関係があって成り立つのである。私が彼女の部署の上司であったり、または直属の上司ではなくとも人事権がある立場であるならばおべっかを使うのはわかる。
しかし、冷静に彼女の視点に立った時、私におべっかを使ったり、媚びるメリットはほぼないのである。私は明らかに出世する人ではないので。
そう考えると、彼女は誰に対しても私に取った態度と同じ態度を取っていることになる。そんなひと、ただのいい人なので嫌われることはまずない。
結果的に、彼女があまり良くない環境に陥った時、必ず助ける人が出てくるだろうと感じた
今日のラーメン赤猫でも同じような話だったと思う。いい人というのはレアだからこそ、周りが放っておかない。結果的に幸運になるのだと思う
マジで…
エキストラなの見え見えな事象ドッキリ番組がここ最近じゃ素人のカラオケ大会になってるしさぁ
掃除テクだとかの企画っやってる番組だと思ったらここ最近は大食いか激辛かたまぁ~~~に元不良大御所(?)お笑い芸人の日曜大工でヨイショするだけだったりさぁ
ネットで何べんも見たような動画にアニメの声優とってつけて芸人にリアクションさせて視聴率取ろうとしたりさぁ
面白くねえな~って思う番組にぜってえ出てる連中が元子役の大御所と暫くテレビ居なかったくせにやたら顔がデカい元お笑い芸人と野球2世タレントの3人のうちどれかが出てるんだよ
珍しくコント番組やるのかな~とか思ったそこそこ若い芸人が出てた番組も変な学校でかくれんぼだの鬼ごっこだのやってる変な番組に成り下がったしよ、視聴率ってのはどうなってんだい!?
まあわかるよ、いやなら見なけりゃいいってさ。
でも電源付ければ見てもらえるっていうエンタメとしてネットの動画を流用したりするのはどういう事だい、面白さじゃ勝てないっていう敗北宣言じゃん。
ネット冷笑ヲタク的な連中はテレビはオワコン!オールドメディア!って息巻いてるけどよ
ヲタク共の好きな漫画、アニメ、声優なんて奴らの言うオールドメディアに飼われてる存在でもあるんだぜ。
ネトフリだの配信サイトでどうにでもなるって思ってるだろうけど、ここ最近の配信サイトが広告入れるようになってる当たりあっちもカツカツなんだろうよ
まあ面白いこと考えるやつが一人で行動できる世の中になっちまったから、いろいろしがらみのあるテレビ局だかに入って年寄りにおべっか使ってペコペコするより
YouTubeで自分で動画作ったり、女だったらケツ出した写真をネットで売ってりゃガッポリいける時代だからしゃーね―んだろうけどさ…
なんか面白い番組がバンバンやるような、夜10時まで面白い番組が連なってたような時代がまた来ないかなぁ。
最近の松本はどんな番組に出てもゲストに顔色伺わせてふんぞり返ってるだけになり、面白くあろうとすることをやめて、素の姿でいようとし始めた。
たぶん松本は、素の自分が好きなことをしていたらスタッフもゲスト(素人含む)も視聴者もみんな自分のことを尊敬してくれて、好きにやらせてくれる。そういう状態を目指してしまったのではないか。
芸能界には確かにそれが許されるタイプのタレントがいる。あるいは、そのように見せているタレントがいる。タモリのように。松本はタモリを目指したのだ。
しかし松本の試みは失敗したと思う。結局、松本におべっかを使って取り入ろうとする取り巻き連中と、顔色をうかがって良い仕事ができない番組共演者、そのせいでつまらなくなった番組を生み出しただけだった。
松本の言っていることが面白い、面白くないは感性の問題があるのでなんともいい難いが、番組の出演者に顔色をうかがわせていた(あるいはわざとそういう演出をしていた)のはね、ああ松本終わってなって思ったよね。
芸能界にはただそこにいるだけで良い、何なら番組やスタッフ、共演者を私物化しても許されるという人もいるが、松本はそうじゃない。そうなりたかったのかもしれないが、松本がそうすることでコンテンツも共演者も死んだ。あれほど牧歌的だった探偵ナイトスクープは共演者が松本の顔色をうかがう謎の緊張感とおべっかが溢れる疲れるショーになり一度死んだ。
松本が芸能界に戻るのは勝手にすればいいが、また番組を私物化して共演者に顔色をうかがわせるだけの疲れるショーを見せるだけなら、さっさと引退しろと言いたい
元ネタをざっと見ると、発達障害特性の強い人を避けたいように見える
http://hhttps//www.youtube.com/watch?v=hh7BZCFO414
うつ状態になると服装に気を使うだけのゆとりがなくなる。なので人事としてはうつ状態の人を避けたいと思われる。
なお、発達障害はうつの合併率が高く、発達障害の人を避けるとも解釈できなくはない。
周りとうまくやれず、それとなく追い出されていることを意味し、こういう人は発達障害を持ってることが非常に多い。
発達障害持ちは協調性がなく、空気も読めず、コミュニケーションコストが高いので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
高卒のほうが残念な人が多いらしい。ここでいう残念な人というのは勉強をまじめにこなすことができても、
周りより能力的に劣っており、知能の面で問題があるということを指す。
知能の面で問題がある人は指示が理解できず、マルチタスクもできず、発達障害をしばしば合併しているからだと思われる。
発達障害持ちは前述のとおり採用されない特徴を兼ね備えている。
だが、元気がよく、口だけは調子がよく、おべっかを使うのがうまい人は問題を起こす確率が低いという経験則があり、
すると、面接も潜り抜けるが、仕事を始めた途端、馬脚を現し、様々な問題を起こしてしまう。
だから、元気だけよく、口だけ調子がいい人も採用されなくなってしまった。
かといって、声が小さく、内向的な人は陰口が多く、それはそれで周りのやる気をそいでしまう。
なので、明るすぎないというのが重要なのかもしれない。
今の会社は育休があるので、結婚後の子育てのために退社する必要なく、寿退社をするような人はすぐ逃げるらしい。
確かに発達障害持ちで、仕事自体つらく、結婚して逃げる人はちらほらいるので、あながち間違いではない。
こういうことを言う人はミスも多く、遅刻も多い。ミスを指摘すると他人のせいにするので扱いにくいらしい。
ここら辺も発達障害を持ってるパターンがあるので、発達障害を避ける意図があるものと思われる。
発達障害はしばしこのような会話をすることがある。また、境界知能もこのような会話をすることが多々ある。
どちらも、職場でトラブル招くので、このような会話をする人は避けるほかない。
ドアを強く開ける人、足音を立てる人、皿洗いで音がうるさい人は周りに気を使うことができない。
このような人は空気を読めない特性があり、発達障害を持ってる可能性が非常に高い。
この手の特徴を持つ人はメンヘラらしい。メンヘラというのは今は発達障害のことを指し、
ここでいうコミュ力とはだれかと仲良くなることではない。あくまで周りとうまくやることができ、理解力があり、
1残業代が21.5時間固定だけど、毎日1時間早く出勤させられるのでほぼ確実に固定残業代よりも多く残業させられる
2基本給は最低賃金レベルの給与からスタートしまともに昇給されない
3海上自衛隊の潜水手当だったり航空自衛隊のパイロット手当があればマシになるが、そもそもそれが出来るなら民間ならもっとずっと給料がいい
4月に10~3回程度の当直があるがその分は給与で払われず代休で与えられるが有給を取る時間的余裕はなく(後述)、実質タダ働き
5深夜勤務、曹長勤務、休日出勤に対しての手当という概念がなく、これらも取れもしない代休で誤魔化される
6定期的に訓練のために隊内の学校に入れられるが、この期間中は自習・掃除・トレーニングの時間があり固定の残業時間が3時間(=月60時間)あるような状態になる
7男気ジャンケンという名のカツアゲが横行しており、定期的に先輩から飲食代を徴収される
8隊友会や積立金という形で謎の徴収が行われるが、それらが自分にメリットをもたらすことはほとんどない
9中途半端に上が詰まっているので昇給に透明な天井が現れ年功序列というメリットさえいつかは失われる
10退職が早すぎるので退職金が貰えると言っても結局は退職後に発給で警備員とかすることになり障害収入で割に合わない
1毎朝1時間前出勤は当たり前
2大部分の部隊で充足率が60%ぐらいなので残業しないと仕事が全く終わらない
3飲みニュケーションや接待ゴルフなどの文化が未だに残っており就業後の時間がガンガン馴れ合いに潰される
4休日に儀式やボランティアに駆り出されることが多いが与えられた代休を消化するのが不可能
5有給を消化することに対して極めて消極的な文化が根づいていて取ると周囲に迷惑をかけるという風潮がある
6規則により半ば強制的に育休を取ることになっても、育休中であっても仕事の電話が鳴り止まず、更には呼び出しもしょっちゅう食らう
7当直勤務の割合が高いため曜日感覚が壊れており仕事があれば休日でも出てくるのが常態化している
8緊急の呼び出しに応じることが絶対とされていて深夜や映画を見ている時に電話に気付かないとコッテリ絞られる
9休日であっても電話がいつかかってくるか気が気でないので全然疲れが取れない
1自衛隊でやっている仕事が世間一般からズレすぎており職歴としてのカウントが引越バイトと同程度
2実際社会人としての一般的感覚が身につかないので長くいるとまともな社会に戻れなくなる
3定年がかなり早く来るがそのあと結局まともに働くことが出来ず警備員として働きながらも職場で浮いている先輩が多数報告されている
4今時メールをまともに使えずFAXと電話中心の業務のため転職してから半年ほど原始人扱い
5パワハラ的な価値観に染まってしまうため転職後に職場の空気を乱す異分子として扱われ排除され続けた先輩の噂が沢山ある
6自衛隊嫌いの会社には入れてもらえず、自衛隊が好きな会社に入るとせっかく転職してもホモソーシャルな空気から逃げられない
7士長のタイミングで退職して満期を貰うのは比較的マシな道だけど職歴の汚れは一生取れないので結局あとで苦労する
1公文書は偽造するのが当たり前
2誰かのハンコは皆の共有資産であり部内の人間なら勝手に押すことが出来る
3川重事案のような「謎のお金でコッソリ物を買ってもらう」が横行している
4業務の進め方に矛盾があるためどうやっても法令違反となる仕事が存在
5入札は一般的な用品を除けば全く意味をなしておらず、指名競争はほぼ100%談合(だと思う。俺が直接関わってないから詳しくは知らんけど)
6日頃サビ残しまくっている反動により「「上司の気まぐれで勝手にブレイク(休暇申請のない早退)」が横行
7手当を貰うために業務記録を改竄するのは当たり前だし、それに加担しなかった場合は上司の指示で書類を修正される
8ちゃんと仕事をしたかのような書類を残すことが最優先のため、実態と乖離した記録をするのが常態化
9検査記録、整備記録、体力測定の結果、訓練記録、ありとあらゆるものがメイキング(偽造)の対象
1パワハラやセクハラが本当に当たり前でハラスメント人間の割合が一般社会の3倍ぐらいはいる
2先輩は後輩にどんなに失礼な態度をとってもいいという中学校の部活動みたいなノリの20代~50代
3人間関係に変化が起きにくいため友達付き合いのようなノリが蔓延しており好き嫌いで仕事をしがち
4幹部自衛官は若くしてヨイショされまくったという経験から人格が歪んで他人を下に見がち
5曹士は幹部から抑圧されたフラストレーションから年功序列的な価値観に走りがちで年下に対しての礼儀がない
6男女差別的な発言が未だに多く「女如きにこんな仕事は任せられない」といった言葉が平気出てくる
7例規の中にさえ「~~な場合、女性隊員は帰隊させる~~~」や「ただし女性隊員は免除される~~~」といった言葉が出てきており男女不平等な価値観が強い
8「女は守られる弱いものである」という考えが根強く、「守られている側の女如きが偉そうにするな」という価値観につながっている
9階級社会を勘違いした結果「上の人間が黒といえば白が黒になるのだから、そもそも自分の頭で白黒を考えるだけ無駄」と考え善悪の判断を一切つけなくなる
10まともな奴から辞めていくので残った人間の中で蠱毒の如くイカれた空気が強まっていく
1数が数えられない
2低学歴自慢
3間違った前提から結論を出し前提が間違っていると言われても聞く耳を持たない
4そもそも今時自衛隊に入る自体で馬鹿だがそこからの向上心がない
5頭の悪い発言をすることが面白いというホモソーシャルに染まり反知性的になっていく
4数が数えられない
7同じ話を何度もする
「魅力的な自衛隊を目指す」という戯言がニュースになっているのを見て、数年前に部隊で同じようなアンケートを答えさせられてことを思い出してしまったのが切っ掛けで書いた。
厳密に言えば、俺がそこで書いた「自衛隊はここがよくないからそこを改善すべきだよね」という回答がぜ~~~~んぶ上司に握りつぶされて、結局うちの部隊の提出した回答は「自衛隊の良さをもっと知ってもらおう!災害派遣!成長!国民の役に立っている素晴らしい組織!自衛隊最高!」みたいな内輪向けのおべっかだらけにされていたことへの怒りが蘇ったから。
もう部内で何言ってもどうせ聞く耳持たないだろうから匿名の場所で書き散らせて貰った。
「知れば魅力を感じてもらえる自衛隊」なんてのは自分たちに都合がいい情報を下から上げさせてホルホルしてるどうしようもない幹部様達の妄想だよ。
実態は「知れば知るほどに魅力がなくなるのが自衛隊」で、子供がなんとなく持ってる「災害派遣とかしてるんでしょ?」っていう全体の3%の善行だけを切り取ったイメージが一番マシなんだよ。
でも子供だって将来を選ぶ18歳ぐらいの頃には「いやいや本当に被災者を助けたいならレスキューに入るべきでしょ。消防士は救助のために訓練してるけど、自衛隊は人殺しや制圧活動の訓練で得た技術を応用してるだけで災害派遣はメインの任務じゃないよ。せめて海上保安庁とか警察だよね」って気づくからさ。
結果として自衛隊に来るのは「ゆーて軍隊とかタダ飯食って無料宿舎入って筋トレしてるだけでええんやろ?俺腕立て100回出来るからヌルゲーやわー」みたいな舐めた脳筋だけ。
そういう人間だって組織の中で犯罪が横行してたら「前科者になってから追い出されたら行く所ないぞ!もうさっさと辞めて転職するのが正解だ!どうせ犯罪するなら本物のヤクザや半グレニでも入ったほうが儲けもいいし、公務員として犯罪に手を染めるメリットなんてないぞ!」ってすぐに気づいて辞めていく。
とにかくまずはそこを改善しろってことなんだけど、「どうやったら嘘がつけるんだろう」とか「どうやったら表向き頑張ってる感が出せるんだろう」とかしか考えてないんだよね。
そもそもの仕事の仕方に歪みが起きまくってるから犯罪行為に手を出すことが薄っすらと強要されていて、それに対して上が「え~~~僕ちゃんは知らないも~~~ん」でシカトこいてなにもしようとせずに「じゃあ監視だけ強化しまーす!悪い事するなよー!」って自分の保身を固める以外何の役にも立たんことしてるのが問題なんだっての。
どうせこれをどこに言っても握りつぶされるのがオチ。
匿名の場所で「愛想つかされるべくして国民から逃げられてんだよ嘘つき馬鹿野郎ども!」って叫ぶぐらいしか出来ることがもう残ってないのよ。
一歩間違えれば犯罪者一直線なんだから、絶対に入ってくるんじゃないぞ!
戦争が始まって人を殺すとか、モラルが終わってて捕虜をレイプするとかそういう可能性の話じゃない!
入って1年もすれば国家権力にバラさないでもらってるだけの犯罪者だ!
倫理観終わりたくなかったら来るなよ!
それも末期の大日本帝國軍に入るようなもんだ!
表向き誤魔化してるけど、根っこじゃ何も成長してない!
間違っても来るな!
忠告はしたぞ!
後悔しないように生きろ!
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