
はてなキーワード:おっさんずラブとは
ツイフェミ、腐女子、何かに真理に目覚めたと勘違いしている女…
ネットを開けば壊れたラジオのように雑音が響き渡っているのは君達もうんざりするほどご存知だろう
彼女らの主張に我慢して耳を傾けると実は全部同じことしか言ってないのである「私が不愉快だからくたばって死ね」だけである
なぜこんな感情至上主義のモンスターに爆誕したのかはそれは幼少期にヒントがあると俺は思う
気持ちが昂れば号泣しだすのは子供共通事項だろう、しかし小学生にあがっていけば男子は泣くような奴は男じゃないという今も根強い呪縛によって
不愉快だったり悲しい気持ちになってもグッと堪えるようにトレーニングを施されているのだが女子はどうだろうか
何かあればもう我泣く、ゆえに我ありというレベルで泣き出すのではないか、そうすると周囲はなんと魔法でもかかったように心配してくれたりチヤホヤしだすのではないか
これは非常に強い「成功体験」かつアヘンのようなものであると思う
見た事ないだろうか、小学校のクラスの席替えでいわゆるチー牛と思われているような男子が隣に移動してきただけで号泣しだした女子を、隣は嫌だとめっちゃ被害者ぶってるけど言ってる事は普通に最低な事である
それなのに雰囲気は泣いている女の子に同情してあげなきゃ!となるもんだから不思議なものである、チー牛男子はただ隣に移動しただけですっかり加害者の悪者扱いされるのであるなんとも末恐ろしいのである
そうして女子はこう学習するのではないか、感情を押し殺さずに開放した方が得ではないか泣きだせばもうperfect!ではないかと
落ち着いて欲しい、大半の女がこうだとは流石に言わない男よりも我慢強い女も多く存在するだろう
しかし、その成功体験をずっと引きずっている女はどうなるかというと幼稚のままで精神的に成長が乏しくなるのだ
乏しいとどうなるのか?それは自分を悦ばせてくれるようなコンテンツに飛びつくようになるのだ
推し活、ボーイズラブ、ディズニー、韓国ドラマ、男性アイドルなどなど…
決して自分を否定せずにむしろ悦ばせてくれるというそんな夢のような世界に溺れるようになり
もしそこで不快な事でも起きるとどうなるのか?そうネットで喚き散らしてお気持ち表明マシーンと化すのだ
男は幼少期から泣くな我慢しろというトレーニングを施されているおかげで例えば嫌なものを見てしまっても「あーあ、嫌なもの見ちまったなまあ忘れよう」と自己完結するようになっているのだ
自分の体験も少し語ろう、俺もいわゆるジャンプ系アンソロジーというトラップにかかったことがある、ハンターハンターのあの男キャラと男キャラが猛烈に絡み合っていたのである
当時小学生の俺は大変衝撃で、それからBLに対する苦手意識はあったが事故ったようなものでずっと黙って過去のものにしていた
それからテレビでおっさんずラブとかいうドラマを見てしまい「同性愛をこうしてコンテンツとして消費していいんだろうか?」と疑問持ちつつそれも俺がたまたま見てしまっただけでむしろ自分が事故っただけと
これも誰のせいにする気もなく、あーあー嫌なモノ見ちまったなとなんとか別の事をしたり楽しい事を考えようとするのが一般的じゃないだろうか?
しかし、精神的にお子ちゃまな女はそれができないのである、嫌なものを見てしまったら不快な気持ちになり、それをどうしても外に出さないと自分が耐えられないのである
ツイフェミも根本は幼稚性から来ているのである、だからツイフェミの主張に激しくブレが多いのも自分が不快かそうでないかどうかなので全然論理的じゃないのである
だから「私が不快になった!」という超特大前提があるので常に被害者意識が強いのである、攻撃してもまず不快させた相手が悪いという正義の味方もドン引き理論である
致命的に話がかみ合わないのも当然だろう相手は脳じゃなく本能でしか動いてないからだ、不快だと思ってもそれをいちいち外に出さずに自己完結する手段は沢山あるはずなのに
そういう手段をとらずに真っ先に感情かめはめ波をするのも泣けば周りがかくまってくれるという「成功体験」が忘れられないのだろう
大人になればそんな魔法は存在しないのである、世界を変えたければまず自分を変えるしかないのだ
それすら出来ないから終わっているのは言うまでもないが
絶対塩顔イケメン同士の顔がクッッソ近い演技を見に行ってんだろ?
そんでそういうシーンになるたびに「ヒェー」とか静か~な映画館で嬌声上げるんが痛い腐女子やなホンマ
女様のために性自認ゆがめてまで演技せなあかんのは普通に人権侵害やろ
性自認っちゅうんはガキ作るためにめっちゃ重要なもんなのわかっとるやろ
女もガンで子宮が無くなったらクソほどヘラり散らかしてテインコンカンコン騒ぐやろ?
ああいうBL好きだとか言う輩に寄った映画やらドラマがまん延してもうたら
日本滅びてまうわ
というわけで
見ても居ないのにイメージだけでそれっぽい御託並べ立ててぶっ叩きまくる
本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものでアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマは脚本家のものだと思っている。
トレンディドラマの代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ「月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大の若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。
こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢の叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS『高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司の時代があった。
田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜のコメディ。ホームドラマや恋愛ドラマなど、会話による人間関係の機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーのダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカのコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。
他のタイトルに合わせて脚本家をクレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦の出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。
「テレビドラマ」というフォーマットを映画館に拡張した功罪ある作品。テレビドラマのメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作の作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画の歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。
21世紀最初の朝ドラ。シリーズ化され、現在も再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代のテレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。
クドカンは物語自体の面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタやギャグがストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎の共同体の風景がドラマになるということは革命的出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。
遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出は賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。
2000年代後半に停滞していた朝ドラの復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃん』ブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムエブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味でハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラの復権は同時にその後のNHKドラマの復権を意味していた。
TBSドラマの復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場の系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。
本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率や知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子的ファンタジーをブレンドさせ、ドラマが物語る対象を変えてしまった傑作。
90年代と10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグのレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太と風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在のドラマシーンは、坂元裕二のフォロワーで溢れている。
これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。
坂元裕二と並び、この時代の天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。
あるいは今作か。トレンディドラマと2000年代の間には間違いなく北川悦吏子の時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子を擁護し続けていきたいと思う。
この10選からは確実に存在していた深夜ドラマの文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマの系譜。『時効警察』はシティーボーイズの放送作家三木聡の最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディをNHKドラマ⇒映画化までさせているが、盛大にスベっている。
一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ。岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン。渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれてしまったとも言える)
坂元裕二、岡田惠和、宮藤官九郎、遊川和彦、木皿泉、渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子の名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線は人生の因果に映り、プロットは運命へと変貌する。TBSドラマの復権のきっかけとしても、今作を挙げておきたい。
野木亜紀子を10選から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマの次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作ものの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。
Permalink |記事への反応(20) | 09:34
久しぶりに見る春田と牧のわちゃわちゃは、相変わらず尊くて、一緒にいて幸せなんだな、一緒にいるから幸せなんだな、と思わせてくれた。
私にもそういう相手がいた。その人の前では素でいられて、しょうもないおふざけばかりして、癒されて、ふたりでいると笑ってばっかの相手。
2018年のおっさんずラブをその人と夢中になって見た。最終回で彼は泣いていた。優しい人だった。「優しいね」と言うと嫌そうだったけど。だからあまり言わないようにしてたけど。そういうとこが大好きだった。
もう、5年経ったんだ。あの時みたいに、おっさんずラブを純粋に楽しめない。2人で過ごした楽しかったなんでもないやりとりとか、思い出しちゃうから。
綺麗な思い出だけ、思い出しているんだろう。月日は思い出を補正する。久しぶりに連絡をとりたくなったけど、やめたほうがいいだろうな。私のこともう嫌いだろうし。
以下は、ジャニーズ事務所に所属していない30代の日本人男性俳優が主要な役割を演じている映像作品や舞台作品の一部です:
ドラマ『恋はつづくよどこまでも』3
海外ドラマ『神の雫/Drops ofGod』(Huluオリジナル)2
映画『イン・ザ・ヒーロー』『神さまの言うとおり』『好きっていいなよ。』2
映画『湖の女たち』2
松坂桃李13:
田中圭3:
三浦翔平3:
ドラマ『奪い愛、冬』3
ドラマ『M 愛すべき人がいて』3
神木隆之介14:
ドラマ『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜 』で白洲次郎役を演じました。4
坂口健太郎2:
生田斗真3:
ドラマ『アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜 』で白洲次郎役を演じました。3
それなりにいそうな気もするがギリ食えそうなちょい役ってのが難しいのかな
例えばイギリスなんかでシェイクスピアの舞台で主役とかできる役者は超一流とされているんだけど
(有名どころだとドクターストレンジやってSHERLOCKってドラマで主演はったベネディクト・カンバーバッチとかがハムレットやってる)
役者としてなぜ超一流かと言われるとシェイクスピアのあの小難しいセリフをものすごい綺麗な発音でとても流暢に感情を乗せて説得力のある演技ができる、という点において超一流とされているのよね
さて、ではこの技能はリアリティ重視の演出に逢いますか?と言われると実はかなり難しい
例えば本邦に置いてシェイクスピア俳優で有名な俳優をあげていくと吉田鋼太郎と藤原竜也だ
この二人、ドラマとかにもよく出ているので皆さんもご存じの方が多いと思うが、この二人が画面に出るとそれだけでリアリティラインが難しくなるのが皆さんお判りになるだろう
いや、この二人の舞台演技めちゃくちゃにうまいんだけど、ドラマに出た時画面として、リアルというよりも芝居じみた豪奢なセットの中で映える演技だというのはなんとなくわかるだろう
なのでリアリティラインがリアルに近い作品(もしくは静かなドラマ)にこの二人が出るとちょっと画面としてリアルからかけ離れてくる
(それでも吉田鋼太郎とかは、おっさんずラブとかでドラマヒットしてるわけだけど、あれはおっさんずラブというある種の漫画的な演出が多用された作品に置いて吉田鋼太郎という芝居じみた重厚な見た目とコミカルさがとてもよくバランスとして当てはまったからだ)
では、ここにおいて「役者のうまさ」とはなんなのかという話になってくる
どの作品に出てもある程度作品の色に合わせられる、とする人もいるだろう
リアル調の演技ができる、自然な演技ができる、という人もいるだろう
シェイクスピア俳優のように長いセリフを情感を込めて言い立てができる、という人もいるだろう
このように、求められるプラットフォームやジャンル、場面において役者というものの演技はかなり異なってきており、ともすれば作品にあってないというところで下手と言われることもままあるのだ
んで、こっからは本邦の問題なんだけど、日本のドラマに置いてのキャスティングっていうのがかなり話題性重視になってしまっていた時代が長く続いていた時期がある
いわゆるキムタク筆頭のジャニーズ使っておけ時代だったり、アイドルや話題性の芸人だしておけ時代である
いや、ジャニーズでも森田剛とかシェイクスピア俳優ちゃんといるし技術つ的に高い人もいるから一概に悪いとは言えないが、とりあえず出しておけという時代があったのだ
それにより、すこぶる作品にマッチしないけど客呼べるから作品に出しておけで作品に起用されていた人々というのが結構いたのである
というのが量産されて行ってしまい、本邦のドラマのクオリティが一時期下がり、それでも客がそういうものの方がつくのでそういう作り方をせざるを得なくなってきたという側面があり、
求められる役者像がどんどんと変な方向に行っていったというのが「日本の役者は演技が下手問題」の根本にある
つまり、ことこの問題に置いてはキャスティングをしたプロデューサーがゴミな人間が多かったというのがこの問題の本質なのだ
なので、自分の好みだなあ、このキャスティングいいなあと思ったプロデューサーの名前をチェックしてドラマを見ていくと、かなりの確率でいい役者を見れるので皆さんも参考にしてほしい
『この世界の片隅に』:日本の新しい名匠、竹内涼真監督の作品で、優しい物語と美しい映像が魅力。
『おっさんずラブ』:人気コメディアンたちが出演する、楽しいラブコメディ。
『おおかみこどもの雨と雪』:宮崎駿監督の作品で、感動的な物語と美しい映像が魅力。
『ハリー・ポッターと賢者の石』:世界的に大人気のファンタジー映画。
『トコトン』:毎回異なるテーマを扱い、見事な演技で話題をさらう、本格派推理ドラマ。
『ラストサマー』:夏の終わりに、4人の少年少女たちが巻き起こす、恋と友情の物語。
『となりの怪物くん』:自閉症スペクトラムの主人公が、自分らしさを追求する姿を描く、感動的な作品。
めちゃくちゃじゃねーか!