
はてなキーワード:いじられ役とは
ADHDを公言している人は、遅刻が多かったり忘れ物が多くても、まあ〇〇さんは仕方ないからな〜という雰囲気でなんとなく許されてる。
健常者は許されない。
自分はASDだが公言していない。公言すれば〇〇さんのように優しい対応をしてもらえるのだろうか、いや煙たがれて終わりだろうなと羨ましいし妬ましい。
遅刻や忘れ物はないものの、明確な指示出しがないとめちゃくちゃ不安だし、頓珍漢なことを口走ってしまうせいでいじられ役になって傷つくし、メンタルが弱いから嫌なことがあればすぐ希死念慮に襲われる。療育のおかげでこういう時は不安になりがちだけどこういう風に行動すれば大丈夫と学習して社会に対応できるようになった。でもなあなあで回っている部分に直面してどうしようと不安に駆られることは度々ある。人生こんなもんだと思ってたけど、健常者はそうじゃないらしい。ADHDも同じ発達障害なのに、それほど不安じゃなさそう。もちろん私がわかっていないだけで相当の苦労をしているのだろうが。
自分が自意識過剰で被害妄想しているだけであって、実際は誰も自分に期待も失望もしていなくて、ただ自分の仕事をすればいいだけだとはわかっているのに、怒られたらどうしよう、なんであいつがここにいるんだ身の程知らずだなと思われてたらどうしようと反芻している。自他境界が分けられていないのは自覚しているが、療育で受けた相手の気持ちを考えようという指導は、自分にとっては相手の気持ちを想像し過ぎてしまう結果に終わったらしい。
イラストレーターとしての清楚でかわいいイメージと、配信中に見せるちょっとポンコツで人間味のある部分のギャップが魅力。
おっとりしているようで、実は毒舌や自虐ネタを交えることもあり、その落差が笑いを誘います。
コメントに対して「素で反応してしまう」率が高く、想定外のツッコミを受けたときのリアクションが天然で面白い。
計算された芸ではなく、視聴者と一緒に笑っているような雰囲気が心地よく、クセになります。
一人配信のユルさも人気ですが、コラボでは相手のキャラを引き出したり、逆に相手に振り回される姿が面白い。
分かる分かる、その話、本当に実感としてあるよ。なんか「宴会部長」みたいな存在って、普段は“何やってるのこの人?”って思われがちだけど、実は会社の余裕とか空気の柔らかさみたいなものを象徴してるんだよね。そういう人がいなくなると、途端に職場がピリッとしだして、みんなの心にも余裕がなくなっていく感じ、すごく分かる。
私も前の職場で、まさにそういう“ヘラヘラおじさん”が突然いなくなったことがあったんだけど、それまで毎朝「おはよう!」って大きな声で挨拶してくれてたのがなくなって、地味に寂しかったなぁ。なんだかんだで、そういう人がいると、ちょっとした雑談が生まれたり、みんなの緊張がほぐれたりしてたんだなって後から気づいた。
でも、いなくなったからって、急にみんなの仕事が倍速で進むわけでもないし、むしろギスギスして逆に効率落ちてるんじゃ…?って思ったりもしたよ。
そういえば、全然関係ないけど、最近テレビで見た芸能人の話を思い出しちゃった。
この前、バラエティ番組で某有名俳優さんが「昔は現場に必ず“ムードメーカー”みたいな人がいて、その人の一言で現場が和んだり、緊張がほぐれたりしてた」って話してて、なんか会社と似てるな~って思ったんだよね。
その俳優さん、今はそういうタイプの人が減ってきて、現場がちょっと味気なくなってきたって寂しそうに言ってたのが印象的だった。やっぱりどんな世界でも“余白”とか“遊び”って大事なんだなぁって。
あ、あと、芸能界って言えば、昔のアイドルグループとかも、メインで歌う人以外に“盛り上げ役”とか“いじられ役”みたいな子が必ずいて、そういう子がいることでグループ全体のバランスが取れてたって話を聞いたことがある。
今のアイドルグループって、みんなすごくストイックで、個々の能力も高いけど、逆にちょっと息苦しそうに見えることもあるんだよね。
やっぱり“無駄”とか“余裕”って、目に見えないけど大切なものなんだなぁって、芸能界の話からも感じたりする。
で、話戻すと、会社も同じで、そういう“余裕の象徴”みたいな人がいなくなると、職場の空気がどんどんカサカサしていくし、最終的にはみんなが疲れちゃうんじゃないかなって思う。
でも、よく考えたら、そういう変化も時代の流れなのかもしれないし、もしかしたら今後はAIとかロボットが“宴会部長”の役割を担う時代が来るのかも?
あ、そういえば最近ネットで見たんだけど、海外の会社では「オフィス犬」とか「オフィス猫」を飼って、職場の雰囲気を和ませてるところもあるらしいよ。
もしかしたら、これからは“ヘラヘラおじさん”の代わりに、犬や猫が会社の癒し担当になる時代が来るのかもね。
そう考えると、会社の未来って意外と明るいかもしれないし、もしかしたら私も転職するなら“動物がいる職場”を選ぼうかな~なんて思ったりして。
結局、何が言いたいか分からなくなっちゃったけど、要するに“余裕”とか“遊び”って、どんな世界でも大事だよねって話!
明らかに「小さい男はいじめていい」というメッセージを発してるやん。
ああいうの見てクラスの男を「いじられ役」とかにして本人が不快なのを見ないふりしてみんなで笑ってるんしゃないの?
家族の父親をバカにしていいものと見て笑いものにしたりバカにしたりするようになるんじゃないの?
昔から男の性役割の一つに笑いものにされるってあるよね。笑われても強く生きよ!とかさ。現代においてもいまだにそれがそのまま、全然解消されてない。
亭主関白なんて昭和だって全体の何割よ。レアだから亭主関白なんて名前がついてんじゃないの?たいていは「カーチャンの尻に敷かれる笑いものにしていい男」だとされてきたんじゃないの?
「セクシーなネーちゃん」が出てくる百倍実害を伴っているんだけど、なんでそれを問題視しないのか意味がわからない。
男は辛さに鈍感だからバカにしていいみたいになってんの?「男さんのプライド大事にしてあけまちょうね〜」みたいなの、いや普通に尊厳を踏みつけといて本質的に男のお前の無駄なプライドが悪いみたいなのはなんなの?
あれ見て誰も何も言わないんだもの、ちゃんと「男女」の平等について語ろうよ。なんか偏ってない?アメリカが悪いの?アメリカ行って大統領になればいい?ちゃんと見てくれよ。俺は「女だから出世できない」とか試験の点数引かれるとかセクハラされるとか、そういうのは反対だよなくなれと思ってる。でもなんで性別の一方ばかりになるの?なんで政策に一方の性別しか書かれないの?おかしいと思うんだけど。
ツイッターでも多くの人に言われてるけど、この2年で成長した蛍ちゃんとまったく変わらない宮迫。
これはもう無理だなと何度も感じさせられた。
当初、復帰に向けた活動をするべきと二人が考えていたのは同じでも
蛍ちゃんは、あくまでも宮迫はおとなしくして反省の姿を見せるべきという考えで、
宮迫は、自分にはまだこんなに実力があるということを示すべきという考え方。
でも、なにより宮迫が蛍ちゃんの実力をいまだに認めていない態度が、もう無理と思わせられた。
俺という実力者がいない状況で実力のない相方が番組を回すのはたいへんだろうな、という上から目線が透けて見える。
あと、宮迫は今回の解散報告で自分がどう立ち回るべきかが見えていない。
ここは、まわしやいじりは蛍ちゃんにまかせて、自分はひたすらいじられる側に立つべきなのに、
なんで宮迫に出川や原西をいじる権利があると勘違いしてるんだろう。
蛍ちゃんはこの2年で確実に番組を回す能力を身につけてきたのに、
宮迫はまわしを他人に任せていじられ役に回るという能力を身につけることがなかった。
この2年いったいなにをやっていたのか。
キックされるのは状況的には宮迫の方だと思うのだが、自分がされるのを受け入れる蛍ちゃんは
私はそのコミュニティの中で最年少だった。
なぜ私がそのコミュニティに入ったのか、正確なところは覚えていない。
たしか最年長のAと、なんとなく憧れていたBに、参加してくれないか、と声をかけられたのが始まりだったような気がする。
自分は落ちこぼれだと思っていたので、優秀なAとBに声をかけてもらえて素直に嬉しかった。
そのコミュニティでは、AとBが私をいじって、いつもニコニコしているCと美人なDがそれを嗜めるというのがお決まりのパターン。
いじられ役というのはとても楽で、共通の目標もあったということもあり、居心地がいいコミュニティだった。
私がそのコミュニティに属してから約半年後に訪れた、とある年末。
C宅は、その父が所有する高級マンション。
確か兄弟と二人で住んでいると言っていた気がする。
部屋から夜景が見えて、みんなで「この部屋エロすぎだろ!」と盛り上がった。
たんまり酒を飲んで、文字通り歌い踊り、その年というより、約1年半後に控えた共通の目標を忘れるため、盛大に騒いだ。
メンバーのうち、私、A、Eがその家に泊まらせてもらうことになった。
それぞれ部屋を割り当てられて、私は一人でリビングのソファで寝させてもらうことにした。
酔いも手伝ってすぐに寝入ったところ、履いていたズボンを誰かに脱がされたことに気づいた。
何が何だかわからず、うっすら目を開けて見るとCが私にまたがっていた。
体が固まった。声が出なかった。
なんで私なのかわからなかった。
眠れないまま朝になった。
Cはいつもどおりニコニコして「朝だよー起きてー」と私を起こしにきた。
怖かった。
飲み過ぎか〜?と心配された。
でも、いつもいじられている私がそういう対象になること、いつも温厚なCがそういうことをすること、どっちも信じてもらえないと思った。
結局何も言えず解散した。
何事もなかったかのように年が明けた。
生理が遅れた。
あの一月半本当に怖かった。
妊娠していないことがわかって安堵した私はようやく友だちに相談できた。
号泣した。
その子も一緒に泣いてくれた。
然るべきところに相談に行こうと言ってくれた。
でも怖くていけなかった。何が怖かったのかわからないけど。
コミュニティを抜けた方がいい、と、後押ししてくれた。
ひたすら怯える私を心配して、友だちが、Bに、私とCがトラブルになっていると話してくれて、無事にコミュニティを抜けることができた。
それから2年が経ち、性被害についての研修を受ける機会があった。
それまであの夜のことなんてすっかり忘れていたのに、急に思い出して涙が止まらなくなって、部屋を飛び出し、トイレに駆け込んだ。
フラッシュバックだと教えてくれた。
心に傷が残っていること、そしてその傷が癒えていないことに初めて気づいた。
Cだった。
仕事の依頼だった。
血の気が引いた。体が固まった。動悸が激しくなった。
私が、私の体からすーっと離れていった。
私の体は、親しい旧友と楽しく会話していた。
眠れるだけマシなのかもしれない。
指でこじ開けられる感触、声が出せない、ねじ込まれる痛み、体が動かない、口に広がる味、怖い、込み上げる吐き気、なんでかわいくもない魅力的な体でもない私なの?
あれからもう長い年月が経っているのに、全部鮮明に思い出せる。
女一人で泊まらなければよかったのに。
口に含んだまま、服が乱れたまま、家を抜け出して、交番に駆け込めばよかったのに。
いや。私は悪くない。そう思いたい。
今日はぐっすり眠りたい。
ボクはIT企業に勤めているwebエンジニアなのだが、この業界(と会社)は入れ替わり立ち替わりが激しく、ボクが勤めている間にそこそこ絡みのある人らは一通り辞めてしまった。ボク自身はまだ退職してないにも関わらず退職者が集まるSlackに入れられて、暫くの間は近況報告や情報交換などをして楽しんでいたのだけれど、色々あって辞めちゃった。理由は大きく分けて3つ。
退職者だらけのクローズドな集まりだから元いた会社へのdisはそこそこあるが、とは言え何か会社に対する情報が入ればそれについて都度都度disを入れていくのが多くみられた。自分も会社に対してそんなに愛着があるわけではないけれど、現職をdisられるのはあまり気分が良くない。
Slackに誘った奴からしたら「さっさとこんな会社辞めろ」っていうメッセージなのだろうが、そんなことは知らない。
ソシャゲのディスコで経験済みだが、こういうクローズドなグループチャットでは無意識で微妙なマウントの取り合いは常だ。あからさまな悪意はないだろうが、今どこそこの会社でそこそこのポジションでこんな仕事をしているという近況報告だとか、某社のお偉いさんと仲良いアピールだとか、某社と某社が揉めてるだとか、しょうもない自慢話やインサイダー情報など、自分の中でどう処理していいか分からない情報で溢れかえっていて精神衛生上最悪だった。
ボク自身社内じゃいじられ役で、ボクもそれに特に抗議しなかったけど、会社の関係がなくなったのでボクへのイジリというか侮辱がいよいよ酷くなって来たのが退職者Slackを抜けた最大の理由だと思う。
そもそもエンジニア同士のチャットは治安が悪い。webなエンジニアで定着してるワードでHRT(謙虚、尊敬、信頼)があるが、あんなもん謙虚も尊敬も信頼もないから出来たワードだ。しかも仕事の関係だから頑張ってHRTしようぜ、ってことで。それまで会社だからってギリギリ維持されてたけど、いよいよタガが外れて事あるごとに画像スタンプ文章交えてボクのことを揶揄するようになった。侮辱されたのはボクのキャリアと性格と趣味に関わることで詳細は伏せるけど、なんかあるたびに画像で煽られスタンプで弄られ文章でdisられるんだからたまったもんじゃない。
それでも特に文句も言わず一応我慢してたんだけどある日の夜スマホの文面を見たときに堪忍袋の尾が切れた。怒りで目の前が真っ白になったのを覚えている。それでもボクは何故か文句は言わず、でも投稿もせずメンションやDMにも無反応で半年くらいROM専放置してたらSlackから抜けさせられた。
今振り返ってみると、ひどいことを言われたらその都度文句言うべきだったし対面で言われたらあのツラぶん殴るべきだったと思うんだけど、そういう抵抗らしい抵抗をしなかったもんだから相手が増長してたのは間違いなかったと思う。みんながみんなボクのことを侮辱してたわけじゃないけど別に誰も止めにも入らなかったら一緒だな。もう数年前の話なんだけど、なんかの拍子にふと思い出してはすごいムカついてる。別にどうしようとは思わない。ネットだかフェースブックだかで奴らの近況を見かけたらその都度不幸になることを願うだけで。
↑を書いた元増田だけど、正直もともとホロライブ贔屓で、それでも今回のにじさんじ新人5人組の新鮮さに惹かれていたのだが…うーん、期待はずれだったかなあ。
というわけで、ツカミじゃないけどホロライブ新人5人組の、初配信から一週間+α経った今の印象を書き留めてから、タイトルにある本題に入ろうと思う。
一口ににじさんじと言っても、あそこは配信者の数だけはやたら多いので、全員チェックするのはまず無理。
その上で、個人的に興味を持って見てきた配信者全員に、そして残念なことに今回の新人にも共通していて、にじさんじの芸風で最も好きになれないのが、「スレてるムーブ」。
え、配信者なら多かれ少なかれスレてねーとやってらんねーって?そんな話はしてねーよ。
別に、それこそホロの面子であっても、配信者が裏でどんだけスレたこと言ってようが、視聴者の見えないところで言ってるんならぶっちゃけどうでもいい。
その代わり配信内で言うんじゃねーって。全然面白くねーんだわマジで。
元増田で今のにじさんじを「ギャルとチンピラの寄り合い所帯」と書いたのは、このスレてるムーブがウザくて鼻につくのが大体の理由。
だから今回の新人の初配信見たときは、「にじさんじも、スレてる芸風をいよいよやめるのかー」と期待したんだわ。
でもその後の配信見てると、完全にこっちの勝手な思い込みだったという感じ。
にじさんじが、ホロライブに比べて熱量がイマイチな原因じゃねーのかなーとも感じる。
てか、にじさんじの運営は本当にこんなんがウケると思って配信者を教育してるのだろうか。
どいつもこいつも、田舎から都会の学校に出てきた奴がイキってるみたいなキツさを、必ず決まって配信のどこかで垣間見せるとか、教科書に書いてあるとしか思えない。
ちなみに個人的には「スレた人」「健気な人」の選択肢だったら迷わず健気な人を選ぶ方なので、尚更スレてるムーブを面白がるセンスが理解できなかったりする。
生臭い現実と大して違わないものをエンターテインメントでも味わうとか、どういう趣味だよって感じ。
俺たち姉弟は不幸にも出来損ないの遺伝子を受け継いでしまった。
コミュ障で多動気味の父親と、美人だが(だったが)学習障害気味の母から生まれた私達は二人の特性を見事に受け継ぎ無能という名のサラブレッドとして現代社会の悲しき烙印を押された。
社会性がないため姉は中学2年生から不登校になった。県1の馬鹿高校に行ったが夏休みが来る前に中退した。
俺は別のアホ高校に入学するも高校2年のときにいじめに耐えかね姉と同じく中退した。
俺はすぐに高校認定を取った。意外とこの程度ならなんとかなった。
姉はネトゲ廃人だったりニコ生主だったりとよくわからない生活をしていた。たまにバイトらしきものをしてたこともあるがどれも一瞬で辞めていた。
18歳になった俺は1.5年程度だけの短期のIT系の専門学校に入学した。
普通に偏差値の高い大学卒の元社会人なんて優秀な人もいたが入試という学力によるふるいの概念がないためか何しに来てるんだろいうという人が多かった印象だった。
就活はかなり苦労した。短い学生生活の中で個人開発やプログラミングは好きになれたから喋りは下手だったがエンジニア面接では意外にも好評なことが多かった。
しかし無能であるが故にエンジニア外の人事面接と適性試験でふるい落とされるのだ。
俺みたいな無能がちゃんと弾かれるなんて現代社会の採用フローというのは大変良くできていると感心した。
オブジェクト指向という言葉すら知らない級友が次々と内定を取る中で応用情報持ちで何個かWebサービス構築経験もある俺だけが取り残されていった。
卒業間際になってなんとかギリギリ田舎の零細IT企業に内定した。
頭は壊滅的に悪く初っ端から愚鈍ないじられ役というポジションを確保したが、証券会社の株うんちゃらシステムを構築できるくらいの知能がギリギリ残っていたのは不幸中の幸いだった。
コンビニバイトもあんまり続けられなかったがSlackメインでほとんど人と喋らなくていいプログラマーという職業はまあまだましな環境だと思えた。しかし2年ほど勤めたがやはり上司のパワハラで鬱病を発症し退職した。
俺は遅刻しても怒られない、気が向かなかったらリモートワークOK、残業なしな自社サービス中心の県外のIT企業を1年かけて探し出して転職した。残業代で稼げない分給料はちょっと下がったけど、もろもろゆるいオタク中心の会社だったから生きるだけならギリギリなんとかなった。
姉が結婚したと連絡があったのは俺の転職から2年後くらいだったと思う。
出会いは親には言ってないらしいがペアーズがきっかけだったらしい。
相手は姉より2歳年上の大卒公務員。見た目は身長は160cm前半くらい。女に慣れているようには見えなくて、良く言えば誠実、悪く言えば陰気な印象を受ける男だった。
結婚の報告を聞いたとき俺は素直におめでとうと言った。姉は優しい夫に支えられる不器用な専業主婦になった。幸せになったようだった。
久しぶりにGWに自分と姉は実家に帰った。家族が実家に揃うのは随分と久しぶりだった。
そこで姉に「あんたも私みたいに良い人はよ見つけて幸せになりや。」というような無神経な言葉をかけられて俺は思わず頭に来てしまった。
『良い人を見つけて幸せになる?』そんな人生の救済ルートは無能な男には端から存在しなかった。
「俺は両親の無能を受け継いでしまったために毎日毎日地獄みたいな人生を送ってきた。お前みたいに俺と同じ社会の最底辺の無能なくせに女というだけで何の努力もせず冴えない公務員に媚売って養ってもらって人生救済されるような甘えきった人生送ってる奴と一緒にするな。頼むから俺みたいな不幸を作らないためにも子供は産まないでくれ。」というようなことを言ってしまった。流石にちょっと謝ったが姉は泣いた。
両親に怒られたが似たようなことを両親にも言った。
俺は無能な母親の甘えと冴えない父親の妥協により無能に産まれ、無能だからとありとあらゆる差別を受けてきた。
無能な男にポリコレの救済なんて存在しない。有能な同性愛者への差別にどんなに厳しい社会になったとしても無能な異性愛者の男に救済が訪れることなんてないのだ。
トイレの男女アイコンなんかに差別とかケチつけて大真面目に議論してる人達より俺は何百倍も苦しんで生きてきた自信があるからそんな彼らがなんだかとても空疎に見えた。
俺は社会になんて出たくなかった。姉のように優しいパートナーに養われるヒモみたいな人生を送りたかった。
答えは簡単、無能な女は男の性欲に愛されて、無能な男は女の性欲に愛されないから。
6年もニートやってた社会経験0のコミュ障な男に『公務員の女性と結婚して養ってもらう』なんて選択肢があるか?あるわけねーだろ。
脳みそ含めて五体満足生まれた有能な男女にはわからないかもしれないが、無能には無能の世界がある。無能な男は異性に媚売って守られる生き方すら許されず、それは即ち毎日が生きるか死ぬかの戦いで、この世に味方は一人もおらず、そこがどれだけ地獄なのか、考えたことはあるだろうか。
頼むから男は自分が狙える範囲だからといって無能な女性で妥協するのは辞めてくれ。
無能な女性は結婚して幸せになるのは百歩譲ってまだいい。ただ子供は作らないでくれ。少なくとも男を生むのだけはやめてくれ。
あなたは女性だからあなたのような無能でも生きていけたかもしれないが、男の社会はそんなに甘くはない。
俺は恐らく間違えてるんだろう。でもこういう風にしかなれないんだ。
俺はめちゃくちゃ人生苦しいよ。30までには死のうかなと思ってる。
Permalink |記事への反応(83) | 22:50
褒められるのが当たり前、
優遇されて当たり前、
与えられて当たり前、
の人が美人には多くて、ナチュラルに傲慢な人が多い印象なんだけど。
学生の頃、カーストの上の方にいたキラキラした美人な子らは、もれなく下のカーストの子をプークスクスしてる子ばっかだったし。
サッカー部だった時女子マネが2人いてみんな美人のほうをちやほやして美人のほうは満更でもなさそうなんだけど、実際細かく働いてくれてるのは不美人のほうだった。
働き出してからは、美人と評判の女上司や可愛い新人が同じチームになった。同性の不美人をいじられ役にするのが絶妙にうまいわけ。自分はそういうの近くで見てるとすげえ苛苛するけど同期は素直に可愛いほうを持ち上げるし、なんだかなと思う。
美人な時点である程度は手に入れてる(手に入れられる)のに、それ以上欲しがらなくていいのに彼女達はとことんgreedyだよ。そんな美人を見るたびに、イケメンから『ブス』と言われて傷つきますようにと願ってしまう。俺は心が狭い男だから。
ハマる→一般的に使われる特定の事柄に夢中になるという意味ではなく、自分のネタが有力者にウケるの意
一般の方→芸能人にあらざる者。芸能事務所に所属しているかが境界線?
素人さん→芸人ではないので芸人特有のノリをセーブして接触しなければならない人(類:一般の方)
ケータリング→控えスペースに置いてる自由に食べていいお菓子がいっぱい置いてるやつ
オイシイ→一見不利な状況だが、画面にいっぱい映れるので実は有利なのだの意
ワイプ→VTR中画面の隅に表示される、スタジオにいる芸能人たちの表情を抜く四角形
抜く→カメラで撮る
いじり→失敗や欠点などをわざと話題に上げ面白おかしく話すこと、またウケると思われるタイミングでいじられ役に意図的に暴力を振るうこと
愛のあるいじり→被いじり者の了解を得ているのでこれは暴力ではないの意
台本→バラエティ番組などで進行に必要なセリフや情報が記された冊子。構成作家などが書く?
巻きで→早くしろの意
事務所→芸人が勤める会社みたいなもの。発音は「死ぬ」の「ジム」に「ショ糖」の「ショ」
街ブラ→人が多い場所を歩いて食べ物をただでもらって食べたりするロケ
営業→テレビカメラの入らない地方の会場で漫才やコントを披露すること
ツカミ→漫才で初めにお客さんが笑う部分
前説→テレビ収録などの本番前に観客の前でネタをし観覧客のボルテージを上げる芸人、またその行為。多くの場合新人がやる
ひな壇→雛人形の飾り台のように段々になっている席。中堅芸人が群れで座り司会者とチームプレイをする
上:テレ東「池の水ぜんぶ抜く」ヒットの裏側 想像以上の反響― スポニチ Sponichi Annex
下:「池の水ぜんぶ抜く」ロケで在来魚が「大量死」 「専門家がいない」現場を参加者告発 : J-CASTニュースor池の水ぜんぶ抜く大攪乱! 2/18 - 鮒次郎のブログ - Yahoo!ブログ
だろうと思った。
今夜7時54分から。子どものとき、あの池にはどんなヌシがいるんだろうと釣りキチ三平のようなことを思ったことがあるが、そういうことなのかな。
おっさんの心にビンビン来る
素晴らしい。月1くらいでやるべきだ。
排外主義に迎合するみたいで殺される鯉やミドリガメに罪はないのにと思う。水族館に「悪い外来種」という展示水槽があった。水族館は善悪ではなく水生生物の多様性を学ぶ場所ではないか。
鉄腕DASHで新宿の池の水を抜いたときも思ったんだけど、水中のプランクトンとかの環境が変わって、在来種もダメージ受けたりしないんだろうか。
このまえ放送してたの初めて見たけど、"保護"と称してあんなケースいっぱいにどかどか放り込んでりゃ酸欠になるだろと思ってたら、案の定。スペシャルでも十分に予算がないなら、レギュラー化したらさらに…
外来種の駆除ができるのは確かなんだろうが,底をぐちゃぐちゃにかきまわして水を全取替えしても大丈夫なほど在来種はタフなものばかりなのかという疑問もある。
Permalink |記事への反応(11) | 12:09
これ俺だ。
人が好きなんじゃなくて
愛想笑いじゃなくて
本気で相手が笑った時
高揚感で満たされてなんというか無敵になった気さえする
クソな性格に蓋して
偽りの最高傑作を作り上げる事に磨きをかける
昔
父はテストが80点以下だと不機嫌なるので勉強して機嫌をとった
相手が求める空想上の人物をになれた瞬間は何ともいえない安心感がある
でもクソの方が俺だ
それに気づく奴はいない
みんなが知ってる俺は過去をいまだに克服出来ずに生まれた副産物
色々な本を読んで悩みの原因は分かった
というか長い間クソの方を出してないのでしようとしても良くわからない
出しても相手が傷ついたと気づいた瞬間に自動でご機嫌スイッチが入っている
周りも幸せに出来るし無害だしこのままでもいいかと思う時もあったけど
時々揺らぐ
クソの方を好きになって欲しい
良い人を極めるのもいいと思うが
このモードは相手の感情に合わせるので自分の人生じゃないように感じてしまう
人に興味がないのに興味を持とうとして
でもクソみたいな自分こそ好かれたいという気持ちは捨てられなくて
親が死んだらその時は親を許したい。
女ばかりの集団に男が一人ないし数人という状況における、男側のとんでもない居辛さについて、現在進行形でその状況にある自分の思うところを主体に書いてみる。
タイトルに「ハーレム」を含めなかったのは、話がノンフィクションだからである。
学校の美術部や吹奏楽部や家政科、あるいは女子校から共学化して間もない学校に始まり看護師保育士介護業界と、こういう男性割合が極端に低い集団というのは、男にとって想像を絶するやりにくさが待っている。
このやりにくさについて、非常に大きな原因の一つと言えそうなのが、女性陣の男性に対する距離の取り方。
一体どこで申し合わせているんだ?というくらい、全員が全員等しい距離感で、いや正確には等しく距離を置いてコミュニケーションを取ってくるのだ。
このため「とりあえず特定の誰かと仲良くなったり、リーダー格に名前を覚えてもらって、それを取っ掛かりに少しずつ人脈を築いていく」という、男社会においてはオーソドックスな方法が取れない。
これは多分「誰と誰がどう仲良くしている」という情報に女性が非常に敏感なんだろうなと推測しているのだが、もし違うというなら教えて欲しい。
裏を返せば、親しくなるなら全員の親密度を等しく上げていかないとダメっぽいんだけど、どうしたらそんなこと出来るんだ?って感じ。
しかも、それを上手くやってのけた男性には、女性陣のいじられ役というポジションが待っている。これまた微妙だ。
まあ一応、そういう集団内でカップルになり、結婚に至ったケースも一例だけあったが、彼らは可能な限り周囲に気付かれないよう、裏でコソコソ言っては失礼だが、かなり注意を払って仲良くしていた。
勿論それに気づく女性もいたが、そのケースに限ってはお目こぼしだったらしい。
しかし結婚後程なく旦那がグループをやめ、一切の接点を断ってしまったので、それを見ただけでも色々ウヘァって感じである。
こっちとしては、とにかく疎外感を感じず普通に仲間として付き合えればいいだけなのだが、それがかように難しいと、なんだか夢も希望も・・・というのは大袈裟だろうか。
それとも、女の割合が多い職業や趣味を選ぶリスクとして割り切るしかないのだとすれば、どうにも寂しい。
以下余談。
一方で、オーソドックスな戦隊物と言ってはアレだが、男グループに一人ないし少数の女性という構図は、男の童貞指数が高いとサークラになるリスクはあるにせよ、それを踏まえても当の女性には非常に居心地がいいらしい。
まあその子は「女が多いと色々面倒なんだよ、一人も嫌だけど多いよりはね~」というタイプなので全女性の意見を代弁しているとは毛頭思っていないが、それにしたって男女逆になるだけで凄まじい落差である。
ムキになるのは余裕が無いということだよね。酷い場合には病的な精神状態ですらある。それが可愛いというのはどういう理屈なんだろう。余裕が無い相手だから支配できるという薄汚い支配欲が見え隠れしているという見方は偏見が過ぎるだろうか?よく言われるムキになるのは子供っぽいから可愛いという理屈は納得しかねる。子供っぽさにも好ましいケースとそうでないケースがあるはずだろ?だから、子供っぽさの中でもどういう所が可愛いのかを言わないと説明したことにはならない。ムキになる人間は可愛いのではなく可哀想が正しいんじゃないかね?心が弱い者に対して可愛いというのは歪んだ愛としか思えない。可哀想ではないのか?ムキになりやすい人間は、本人は真剣にムキになっているにも関わらず周囲からバカにされて悲しい思いをする。その気持ちに対して同情の気持ちを向けるのが自然なのに、人々はこぞって可愛いという。おそらく、自然に沸いてきた同情の気持ちを否定し、皆に倣って無理にでも可愛いと言ってるんだろうね。一種の悪ノリと言って良い風潮が蔓延しているように思える。ムキになりやすい人がそんな風潮に適応して何とか平穏な心で生きていくためには、いじられキャラという地位を確立するしか可能性はない。いじられキャラになればムキになって周りからいじられるといういつものパターンで周囲を和ませる存在となることができるとされている。本当は和みでも何でもないと思うが、もしいじられキャラにならずに単に頑固ですぐムキになる人間のままだと周囲から冷淡に扱われるだけだろう。本当はいじられるのが嫌いな人もいるだろう。だけど、他に選ぶ道が無いから無理にでもいじられキャラになろうとする。いじられキャラについて可哀想だと誰かが糾弾して、わかってないな本人喜んでるだろと周りから言われる場面によく遭遇するが、喜んでるという見方は必ずしも当たらない。人間誰でもSM両面を持っているからMの人でもいじられて傷ついたりムッとしたりはする。それでも快感のほうが勝っている場合にはいじられキャラとしての地位に甘んじることができる。その結果、いじられキャラは喜んでいるように見えるだけなんだよね。M的ポイントをハズしたいじり方をされるとマジギレするのは当たり前として、それだけでなくM的ポイントを押さえたいじり方でもムカついてる場合があるということを知らない人が多い。いじられ役は得もするが損もする役回りだと理解していれば、場面によっていじられ役を交代するという少しは健全な発想になるはずなんだが、多くの場合そうはならずみんなで一人を寄ってたかっていじる始末だよね。いじられるのが好きな人と嫌いな人がいるんだから好きな人にいじられ役をやらせたほうが良いという意見は典型的ないじり役の視野狭窄だな。そもそもいじられることに無条件に心の底から好きということは無いということは既に言った通りだし、なのに好き嫌いがあるかのように見えるのはムキになりやすい人が泣く泣く妥協して適応した結果だということを忘れてはならない。