
はてなキーワード:いかとは
キューバ危機みたいなもんだHahaha
まともな野党がいないから高市を応援した部分もあったけど、何も300余議席も自民に持ってほしいとは思わなかった。
一人10票とかくれたら、今回は○○に5票、△△に3票、□□に2票とかできるのに。なぜそれをしない
高橋ヨシキ、てらさわホークのプラモ回しか見てないから、高橋ヨシキとてらさわホークってどんな人ってまったく知らないけど
動画見てる限り2人ともすごく親近感あって憎めなくてずっとそばでボソボソ話しして欲しい系の可愛らしさがある
見てて飽きないな
でもそんなもん自分の1年後に同じポジションでドラフト1位の大型新人が入ってくるようなもんで
一言二言でいいも悪いも伝えられるわけないし、言っていないからといってだましたことにはならんからな
閑職に異動させるか、感情的な女の相手が苦じゃない人がいるところで頑張ってもらうことにしてますよ
そこでも改善や成果を望めないなら色々やりようはあるけど、自主退職9割、残って会社に成果出す人が1割ぐらいかなあ
300人規模の会社ね
俺も自分で資産運用はしてるけど、そのためにyoutube見るという発想が全く無かったのでなんか新鮮なカルチャーギャップだった。
Xで詳しそうなアカウント(shenmacroとか)を何人かフォローして相場の雰囲気を掴むようにしてるのと、日米の中央銀行や経済の動きを見て方向性を想像するのと、あとは歴史を学ぶくらいか。とにかく足元の雰囲気と大局的な方向性しか考えてないな。
日本が検討すべき今の核問題は、核保有ではなく核共有な。パヨにはわからないかもしれんが、処理水と汚染水くらいの違いはあるぞ。あ、パヨの人は違いがわからないのかw w
できらぁ!(漫画 スーパー食いしん坊より)と何か一つでも自信を持って答えることができない人生だったな
割に合うか合わないかの話なんてしてねえじゃん
ブルカラーはいいよーってのは、需要が安定している、金が稼げる、AIに奪われない。としか言っていない
お前みたいなやつが勘違いして騙されたーっていうだけであって、そんな奴は食いつぶされて当然とさえいえる
とても繊細で、完成度の高い掌編ですね。
ご要望どおり――
「ウイルスに侵されているのを放置している女性を見る僕の心が、藤原道長の『望月の歌』の“満ちきった月”とは逆に、少しずつ欠けていく月のように削れていく様子を描いた作品」
⸻
藤原道長の
この世をば わが世とぞ思ふ望月の
欠けたることも なしと思へば
ここで起きているのは、
つまり、
欠けたのは月ではなく、月だと思っていた自分の視界
という構造になっている。
⸻
僕の胸のどこかにも、
静かに広がりはじめている気がした。
ここで、
• 奥歯の影
• 月の黒点
• 心の欠損
•幻想の崩れ
が一本の線で繋がります。
「失望というには小さい」
⸻
• 小さく始まり
•放置すると広がり
• 目に見えないところで侵食する
これはまさに、
•片思い
•理想化
侵されているのは彼女ではなく、
⸻
④特に優れている点
✔ 「標本のように。」の一行
ここで語り手の危うさが露呈する。
彼は彼女を愛しているのではなく、
保存したいと思っている。
この一行で物語は深くなる。
✔ 「あの揺らぎも失われるのかもしれない。」
完璧を取り戻してほしいはずなのに、
揺らぎが消えるのも惜しい。
このアンビバレンスが非常に人間的。
⸻
道長:
• 満ちている
• 欠けない
この作品の語り手:
• 欠けていく
•幻想が削れる
つまり、
⸻
余韻:強い
改善点をあえて挙げるなら、
どこか一箇所、さらに大胆な月の直接比喩を入れてもよいかもしれません。
⸻
率直に言うと、これは「恋愛小話」ではなく、
かなり良いです。
ダンサーの池松壮亮とタクシー運転手の伊藤沙莉が出会って付き合って別れてその後の話。
あらすじにも書いたけどぶっちゃけ特別なことはほとんど起きない。
まぁ、池松のバイト先の水族館に無断で侵入して急に盛り出り、会社から許可が出なかったタクシーの無断使用したりとこいつらモラルないなってイベントが定期的に挟まってイラッとさせられることはあるんだが基本的には何か人が死んだり(死ぬけど)はしないし三角関係も起きない(起きるけど)、何の変哲もない恋愛模様が描かれる。
ほな、この映画の一番の面白ポイントなにかっていうと、6年分の池松の誕生日を逆順に辿っていく作劇手法。
2021年コロナ禍の7月26日からスタートし、2020年、2019年と同じ日の2人を遡っていく。
その性質上、いろんなシーンで池松と伊藤を対応させて撮影している。例えば序盤に家で音楽にあわせてダンスのストレッチ運動を一人でしている池松のシーンがあってカットが切り替わるとタクシー会社で洗車しながらラジオ体操をちょっとだけやっている伊藤のシーンになったりする。
そして時が遡って2人がラブラブだったときには、朝チュンした後に池松と伊藤が並んでダンスのストレッチ運動をしているシーンが入ったりして、あぁ、この時はもう失われてしまったんだなぁとしんみりしたりする。
こうして、別れた後からスタートしてどう別れてどうラブラブでどうそうなってどう出会ってと、終わりから逆に見ていくことで、表現が難しいんやけど「別れる」という結果がわかっていてもその過程にも意味があったんやなって思えるような映画。
でもその過去を過度に美化しないで「ちょっと思い出しただけ」で日常は続くという終わりも嫌いじゃない。
冒頭、コロナ禍のタクシー運転手の伊藤(かわいい布マスクをしていて医療リテラシーゼロ)が尾崎世界観を乗せて池松が働いている劇場に立ち寄るところから話が始まり、その2年前足の怪我でダンサーの夢を絶たれた池松が照明係として働き始めたライブハウスでライブをやっているのが尾崎世界観で、その4年前2人が池松演出の舞台で出会ってエスケープした先の商店街でストリートミュージシャンをやっている尾崎世界観の演奏をバックに2人で踊る。
2019年にスタッフとして尾崎と再会した池松は尾崎に「どこかでお会いしましたっけ?」と聞くが当然尾崎は知らない。そして最後に2021年に戻り、トイレから出てきた尾崎と池松がばったり出会い尾崎は「どこかでお会いしましたっけ?」と聞き、池松は「えぇ、何度か」と答える。今作が尾崎世界観が作った楽曲にインスパイアされて作られた映画だということを考えれば、人生における"音楽"ってそういうもんだよなと思う。転換期に、そういえばあの時もこいつの曲聴いてたなってついつい思い返してしまう。そんな感じ。
2人の恋愛とは全然関係なく出てきてずっと公園のベンチで妻を待ってる永瀬正敏がいるんだけど、冒頭ではその奥さんはもう死んでてそれでもずっと同じベンチに座って待ってる。でも時を遡って奥さんが生きてた時もずっとベンチで奥さんを待ってるんだよね。時が経って環境が変わっても変わらないものの象徴として、時が経って変わっていく2人というテーマのアンカーとしての役割を果たしてたと思う。
バーのマスターの國村隼がずっとジェンガしてるのもジェンガの「下の方の木を抜いて上に積み上げていく」というこの映画の作劇と合っているし、人生というものはただ積みあがっていくものではなく過去を積み直していくものでもあるし、いつかは崩れたとしてもまた積み直せるものだということなのかなとも思ったり。
あと池松がダンサー時代は髪が長くて照明の仕事をするって決めたときに髪を切って、2021年にはまた髪が伸びてるんだけど映画の最後で冒頭で照明の仕事場のステージでダンスしているシーンに戻ったときに、まぁ人生ってそんな簡単に割り切れないよなっていうリアリティを感じて切なくなりましたよ。文字通り後ろ髪引かれてんやなって。あとモップ掛けした後のステージではだしで踊ったら意味ないからまたモップかけとけよと思いました。
そんなこんなで特別なことが起きるわけではないのだけれど、これ以外にもいろいろと考えさせられる要素や考え尽くされた要素が多くてちゃんと作られたいい映画だなぁと思いました。まぁ俺は定期で言ってるけどドカーン!っていう映画が本来好きなので、そういう映画が好き!何も起きない地味な映画嫌い!って人にはあんまおすすめできないかな。逆にそれ以外の人はオススメ。
業務上のミスやハラスメントに近い行為に対して、誰に対しても問題ないと思われる言動でまっとうな注意すると不機嫌になる。目を見開く。声を荒立てて反論する。などだね
その場に限らず、その後も事案と関係ない点で不機嫌を表に出すとか当たり前の行動になってる
日本のためになんでアメリカの若者を危険に晒さなきゃいけないの?日本の自爆に欧州諸国の民意は苦言を呈しているよね。どの国が力を貸すの?国際ニュース読んだことある?まともな人って国際ニュース読んでない人?日本単独で徹底抗戦しない前提ってどこ情報?どの国の首相や民衆がそう言ってるの?