
はてなキーワード:あるあるネタとは
自分がおばさんになってから、おばさんは知らないおばさんとも平気で世間話ができる謎のコミュ力があると思ったんですけど、なんででしょうね?
とChatGPTに聞いてみたら、こんな答えが返ってきました。わたしは、おばさんはうっすらと嫌われているから、まあ、おばさん同士だったら安心?ということもあるのかな、と思うんですが。おばさんたち、自分に当てはまると思うことはありますか?
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「おばさんの謎のコミュ力」は、性格の問題というより立場・経験・心理的コスト構造の変化で説明できます。
若い頃は、他人との会話には常に変に思われないか、距離感を間違えないか
見た目・年齢・立場の評価といった社会的評価コストが伴います。
一方、おばさんになると
異性からの性的評価、同世代内の序列競争、「ちゃんとして見えるか」という圧がほぼ消えます。
結果として
これが最大要因です。
2. 会話の「目的」が変わる
若い頃の雑談は、無意識に、関係構築、承認獲得、自己演出を含みがちです。
情報交換(天気、混雑、価格、体調)、共感の即時共有、暇つぶし・空気緩和
という実用的・低リスク目的に変わります。だから話が軽く、失敗しにくい。
社会的に、おばさんは基本的に無害、子ども・高齢者・店員と話しても警戒されにくい
つまり
おばさんは
「この人は今これくらいならOK」という判断が一瞬でできるため、
5.自己開示が「軽い」
になりがちですが、おばさんの自己開示は=笑い話・あるあるネタ
になりやすい。
「年取ったからね〜」「もう覚えられなくて」など、攻撃されにくい自己ネタを最初から持っているのも強い点です。
まとめ(結論)
おばさんのコミュ力は才能ではなく、
蓄積された対人経験
この構造的優位性の結果です。
だからこれは
年齢とともに自然に獲得される「バフ」であって、謎でも偶然でもありません。
大阪の人間は皆たこ焼き器持ってるみたいなあるあるネタよく聞くんだけど、
自分の家でもよその家でも
ホットプレートの付属品で、たこ焼きも焼けますよみたいな板は確かに家にある
なんなら、たこ焼きなんか買ってきて食えばよくない?作る?面倒くさ、みたいな雰囲気がある
だから、「よその家は知らんけどうちの家にはたこ焼き器あるよ、知らんけどw」みたいなネットのノリが全くピンとこない
いや、あんま皆持ってなくない??
本当に一家に一台持ってる??皆家でわざわざたこ焼き焼いてんの??
誰も持ってないことはないし、持ってる人は確かに一定数いると思うんだけど、圧倒的所持率みたいなレベルではなくない?
山梨から大阪に来た同級生の家で、初めてたこ焼き器使った タコパしようよ!って誘われてさ
私以外はみんな他府県から来てる子ばかりだったけど、みんなたこ焼き慣れしてたな
こたけ正義感という人、弁護士であり芸人なんだけどこの人のライブがyoutubeで公開されている。
ゲストや映像演出などもほぼない(数枚のスライドくらい)ストロングスタイルの一人漫談、スタンドアップコメディ形式だった。
これがやたら面白かった。
このライブのチケットも転売されていたこと、満席のこの客席の中に確実に転売で買って来てる人がいること、
隣の人の様子を見てください、挙動不審なら怪しいです、などどんどん突っ込んでいく。
最終的に笑いで落としてるものの切れ味がさっそく鋭い。
また自分の出自について家がわりと貧乏だったという話や学生時代の卒論テーマについても語られる。
中盤からは生活保護について、ややシリアスな話も交えながら、恐らくここがテーマなのかなと思った。
政治的な内容も含みつつこたけ本人の立ち位置が明確なので、人によっては異議を唱えたくなる人もいるかもしれない。
ただほどよく自虐も交えつつ、うまく着地できてると感じた。
この辺のバランス感覚も、日本だとあまり政治的に強い思想を出すと引かれてしまいがち、という空気感をよく分かってる。
恐らく本人的に主張したいことはあるし、そこを隠しもしてないが弁護士資格持ってるだけあって変に偏った思想の押し付けみたいなのがない。
最終的には伏線回収もしまくりで気持ちよくオチをつけてくれて全体としての構成も見事だった。
なによりまず話術が達者。一人で喋りまくりで一時間ぶっ通し。淀みなく喋る、テンポも良い。
自分はこの人法律系のフリップ芸しか見たことがなかったので、こんなにすごい人だったのかと驚いた。
1/18まで公開してるようなので暇な人はぜひ見てみて欲しい。
続編をどうやってネタにするのかの決定版のような傑作おバカコメディだったと思う。86点。
あらすじとしては。
前作で高校に潜入しドラッグの元締めの逮捕に成功したチャニング・テイタムとジョナ・ヒルの2人。意気揚々と地元警察に戻るも再び捜査で失敗した2人は再び大学内で蔓延するドラッグ捜査のために今度は大学に行かされることに。
開始1秒でいきなりスポーツカーからギラギラの銃をとりだし両手で構え、2人で背中合わせになったり向き合ったりカッコイイポーズを駐車場で連発しバッドボーイズネタをさらっと消化。もうこの時点で前作を面白く見てた俺的には当たり感がすごい。
前作では自転車勤務だった2人がヤクの売人を自転車とダッシュで追いかけ逮捕するも手続きに失敗するというオープニングアクションがあったが、今作では逃走する禁止動物密売組織のトラックの荷台を使った肉体アクションに進化。そして失敗。
そして前作通り署長から潜入専門部署への異動を命じられる。そこで言われるのは「誰も期待していなかった前作が奇跡的に成功したから、今回は莫大な予算をつぎ込む。だから前回と全く同じことをしろ」というビックリするくらい直球なメタネタ。その後も「いいから前と同じことをしろ」というセリフが繰り返し登場。
21ジャンプストリート署は廃止されており、向かいの通りに22ジャンプストリート署が前作の倍近い規模で設置されている。しかもそのはす向かいの23ジャンプストリートには次のさらに巨大な施設の工事が進んでいて「次は23ジャンプストリートかもな」とシリーズものあるあるの「その時点ではあるかわからん次回作匂わせ」ネタを披露。
22ジャンプストリート署はあばら家の教会だった前署と違いハイテクな秘密基地のようになっており後に署長のアイスキューブから「アイアンマンの家みたいだ」とチクリ。
そしてストーリー中盤で「もう予算が尽きたからこれ以上ハデなことはするな」「こんなバカみたいな基地を立てて」「俺の靴は800ドルだ、誰も見てないのに」と「ビッグバジェット続編、予算無駄遣いしがちネタ」を堂々とぶち込むもその後のアクションシーンで無駄にいろんなオブジェを破壊して「これ高いよ~」とネタにするもの忘れない。
そしてエンドロールでは23ジャンプストリート~2121ジャンプストリートまでの嘘予告編が次々と披露される。ウソシリーズだけでなく途中でゲーム化、アクションフィギュア化まで入れていて余念がない。
監督脚本のロード&ミラーの「シリーズものとして消費されていく作品」への厳しい風刺が効いている最高に楽しいエンドロールだ。特に笑ったのは途中で相棒のジョナ・ヒルが別人に変わり、次回作で戻っていて「やっと戻ってきたな」とテイタムが言うとヒルが「別に契約で揉めてないよ」と答えるシーン。続編で契約で揉めて急に主要人物代わるのあるあるすぎる。
そしてある意味で言えばこれは「続編商法はなし。ここでおしまい」というロード&ミラーによる潔い決別宣言でもあると思う。実際、この作品以降10年以上続編は撮られていないし。まぁロード&ミラー&ソニーがめっちゃ貧乏になったらどうなるかはわからんけど。
前作に引き続きうっかりドラッグをキメてしまった2人が異様なハイテンションでミッションインポッシブルのヒットから始まった潜入スパイアクションビームをパロディし大学内のクラブ棟に潜入するシーンは筋肉バカテイタムとデブで運痴のヒルのデコボコアクションが楽しくて◯。
前作では意識高い系イケメンがモテていた高校とは違い、大学ではアメフト部が覇権を握っており今度はテイタムが本領発揮し人の輪の中心になり新キャラズークとアチアチのブロマンスを展開する。この二人の触れ合いのシーンではなぜか100回くらいスローモーションが登場し、妙にエモい仕上がりになっているのは向こうの青春アメフトもののパロディ。
しかしその一方、ヒルは前作のテイタムのように相方に置いていかれて孤独を深めていく。
徐々に険悪になる2人が警察専属のカウンセラーにカウンセリングを受けるシーンは完全に離婚夫婦もののカウンセリングシーンのパロディになっていると同時に、2人の関係が相方を越えたほぼ夫婦のような関係になりつつあることを示していて何気にエモい。ふと思ったけどBL好きネキはこのシリーズ必見かもしれない。
前作ではインテリ組とそこでできた彼女に影響されて大学進学まで考えていたヒルと同じように、今作ではアメフトチームとそこでできたソウルメイトに影響されたテイタムはアメフトでの成功を考えはじめる。前作ではその結果、2人の関係は決定的に決裂し下宿していたヒルの家を出て行ったテイタムと同じく、今作では同じく2人の関係は決定的に決裂し今度はヒルが大学の寮を出て警察に戻る。
そして2人はそれぞれの進むべき道を邁進しながらも、遠く離れてしまったことでお互いを思うようになりそしてある日、前作で2人が向き合って行った遊びをしながら再会し再び手を組んで事件の解決に乗り出す。
俺がこの作品を強く支持するのは「続編あるあるネタ」と同時に常に「続編であるならやらなければならないこと」を真剣に考え、それをきっちりこなし続けているからだと思う。引用ネタ、パロディネタを強く下支えする一本の映画としての強度がある。
唐突にDisるけど福田雄一の映画作品がダメなのはネタをやりたいがためだけにネタをやっているからだと思う。そのネタを乗せておく一本の映画としての強度が非常に弱いのでネタをやり散らかしているだけになってしまっている。福田はロード&ミラーの下で100年くらい修業した方がいいと思う。
まぁその後も前作ではプロムだったのが今作ではフェスになり、悪役を追い詰めたと思った後は前作と同じように同じように銃を突き付けられ不利な状態になったかと思ったら今度はあらかじめ呼んでおいた味方が駆けつける。前作ではカーチェイスだったのがヘリアクションになり。としっかりと前作を踏まえた上でそれを越える展開が用意されていてにっこり。
犯人を追いかけるシーンで雑に鳩を蹴散らして前作でのアクション映画鳩あるあるも消化。
しかも最後の決着のつけ方が「人を殺して捨て台詞」のパロディとなっていてこの脚本、本当に隙がないなと感心。
2作見た上で個人的に面白いなと思ったのは典型的なジョックスでモテ男のテイタムは前作ではオタクの友達を作り、今作ではアメフト部で心の友を作る。両作で彼女を作ったヒルとは違い一貫して「認め合える男の友人」を作るために奔走している。ジョックスに対するホモソーシャリズム、マッチョな世界ほど「男に認められることがすべて」という価値観への皮肉な目線が提示されているように思えて、そこもよかった。
ネタも規模も前作より大幅アップしていて前作を踏まえないと作れない続編としての満点回答。あえて苦言を呈するとしたらメタネタやりたすぎてる感が若干鼻につく感じもあるのでメタネタ嫌いには前作よりも厳しくなってる可能性はあるかも。
日常お便り系は割と採用されてる。お笑いとかネタとかは全くノータッチだけど
まず自己顕示欲を殺す。俺っておもろいやろ、の精神が一番害悪。
ラジオの全体が60分で、6分ごろから始まるコーナーでだいたい3通読まれます、という想定を立てる。
パーソナリティがエピソードトーク強いと省略されることもあるが概ねそう。
2通目以降はモノ申したいか申されたいのトークを引き出すパターンが王道で、
とにかく共通して考えるのは、自分のお便りという「番組のパーツ」がどこにハマるかある程度決めて書くこと
番組の構成、パーソナリティの性格や趣味、いろいろ考えてダーツを投げるのが大事
俺が俺がは一番ダメ。
男オタクって基本的にメガネかけてて目立ちたがらない文系の大人しい人間だと思うけど
仲間内では饒舌になるけど世間的には礼儀正しい小心者な小市民というイメージ
どちらかというと少年漫画によくある能力バトル漫画のようなものはオタク社会ではパンピー寄りの嗜好として下に見てて
美少女アニメやギャルゲーやゲーム開発に携わる人達をリスペクトしてるようなのが男オタクの一般像
そういう男オタクはガチャゲーのキャラ性能にはこだわるかもしれないが、それは効率的かつストレスなくゲームを進めるためだし
暴力的なオラオラキャラがモテる(乙女ゲーには必ずそういうキャラがいる)って認識は持ってるけどそれは2次元のあるあるネタの一つと捉えてて
別に男オタクたちは現実でそういう人間になろうとはしないし、オラつきたがるのはオタクではなくヤンキーだろう
男オタクはむしろどんな女性にも分け隔てなく過剰なくらい丁重に扱おうとする人の方が多いと思うけどな
先日の「The Second」は、観客が審査員となって1〜3点で得点を付けるシステムだった。
つまらなかったら1点、面白かったら2点、とても面白かったら3点、という採点基準である。
そこで「囲碁将棋」というコンビに1点を付けた観客がいたことでネットが紛糾していた。
お笑いマニアいわく「囲碁将棋の漫才がつまらないはずがない」というのである。
「囲碁将棋のアンチだろ」「あの面白さがわからない奴は審査をすべきじゃない」とお笑いマニアたちは大激怒。
果ては「好みで点数をつけるな」というおもしろフレーズまで出てくる始末。
まあ今回のThe Secondは全体的に1点が少なく、だから囲碁将棋の1点が目立ってしまったのはあるだろう。
しかしそういった事情を踏まえても、囲碁将棋の漫才がそれほど完璧なものとは思えない。
彼らの漫才は、言ってしまえば、ボケがあるあるネタを挙げていき、ツッコミが単調に怒鳴るだけである。
あるあるネタのクオリティは安定していて、そこそこの面白さを出しているとは思う。
とはいえ一つ一つのボケがそれほど強烈なわけではないし、ツッコミで笑いが取れるタイプでもない。
80人から80点をもらえる漫才だが、100人から100点をもらえるとはとても思えない。
少なくとも、自然に会話しているようなグルーヴ感のある漫才が好きな人は、
囲碁将棋のいかにも「頭で考えました」という感じの漫才は合わないだろう。
男であれば「オパシティ派?オシリティ派?」の議論がよくあると思うが、俺は性に目覚めてから初志貫徹、完全にオパシティ派である。
俺にとっては選択肢にすらなっていなくて、完全にオパシティのよさしかわからない。オシリティにはロマンがない。
もっといえば、脚やらパンティに興奮するという気持ちが、正直なところ全くといっていいほどわからない。
しかし、ニュースや私人逮捕YouTuberを見ていると、世の中にはあまりにもスカート盗撮が多いように思う。
[Info]
スカート内を撮影して、その成果物(成果と言ってはいけないものである。)を見たとき、本当に彼は興奮しているのだろうか?
撮影するスリル。創作や文化によって作られた「スカートの中は男のロマン」に、ある意味では「男たるものこれに興奮するべき」という何かから得た情報自体に、興奮しているとは考えられないだろうか。
100%オパシティ派の俺は、どうにもそう思わざるを得ないのである。
かくいう自分自身、幼少期に、性欲なんてものについて当然自覚することもなく、そもそも存在すらしていないはずの"ファントム性欲"に振り回されたことがある。
アニメ作品の「かっこいい男」がそうしていたから。この行為をすれば、「悪い男」(~= かっこいい男)になれるから。
"スカートめくり"を企てたことがある。「パンツ見えた!」と声に出したことだってある。あれは一体何だったのだろうか。
[Warning]
絶対に間違えてほしくないのは、この文章の主張は「パンツに興奮する男は創作の被害者である」ではない。
盗撮などの罪を犯したのであればそれは100%その人が悪いし、それをアニメ作品などのせいにするなんてのは言語道断である。
幼少期は、「エロ」がわからなかったが「創作上の男のかっこよさ」に憧れる感覚があった。
どの作品の誰とは言わないが、かっこいい主人公は幼馴染や同級生のスカートをめくっていた。
もっといえば、「男としてかっこよくあろうとすることが、かっこいい」という価値観があった。"男の美学"である。
そういう世界観が(ひょっとすると今はないのかもしれないが、)俺がガキの頃にはあった。(平成初期の話である。)
そういった男のマネをしたまま、大人になってしまい、それが自分の感覚であると思い込んだままの人がいるのではないだろうか。
とはいえ「男性がスカート内に興奮するとしたら、それは入れ知恵のせいである」と主張するのは、さすがに非常に乱暴であるし、共感は得られないだろう。
俺がオパシティのことが大好きなのと同じように、根源的にオシリティ、スカーティやパンティが好きな人間がいるのは全く疑いようがない。
先に盗撮の話をしてしまったので、それに合わせてもっと踏み込むならば、そういった性癖と、犯罪を犯すかどうかは本当に全くといっていいほど関係がない。
では、「戦隊モノ」「電車」「野球」etc…が好きであることが"男の子","男性らしさ"として捉えられていることに、違和感がある人はいないだろうか?
俺は正直、いずれも全然好きじゃない。しかし、ガキの頃に「電車だ!」「仮面ライダー見る!」と、ハシャいだふりをして、親が喜んだ顔をするのが嬉しかったのをよく覚えている。
性癖の話でスタートした増田だが、書いてるうちに発散してしまった。
昨今、男という生物について色々と議論があり、なかなかこういった議論というか、あるあるネタとか、提言がインターネット上でできなくなっている気がする。
人格がどのように形成されたかは、大人になってみれば後付であり、人のせいにするための被害者アピールであることが多くなりがちである。
今生きているのは自分で、「こういう社会で」「こういう家庭で」「こういう文化で」生きてきたことは、今の自分を変えない言い訳にしやすい。
しかしそのままではどうしようもないので、もしそれを自覚しているのであれば一歩踏み出すことを推奨する。
今一度、本当に自分が根源的には何が好きなのか、考え直してみてほしい。
いや発端がどんなネタだったのかは知らないのでもしかしたら最初からそうだったのかもだけど、
子供のあるあるネタや日常の失敗やささやかな愚痴で笑っていたのに、
不満のはけ口みたいなのが目立ってきてなんか楽しめなくなっちゃった
誰かを叩くことがエンタメになるのって誰が対象であっても素直に楽しめない
ネットミームで発散するんじゃなくて本人に伝えないといつまでも変わらないしね
それに大沢たかおさんは微笑ましく見てくれているようだけど、
自分の画像が叩きに使われてたらやっぱり気分よくないと思うし、
ラインは考えなきゃいけないと思う
•スーパーのレジがとにかく遅い。でも誰も急がない。貴婦人気取りなの?
• 「Salut(やあ)」と「Bonjour(こんにちは)」の使い分けが意外と難しい
•デモやストがしょっちゅうあって困るが、そのうち慣れてしまう
•郵便や役所手続きがクソ遅い。追跡しても配達済みになってるのに届いてない
•チーズの種類が多すぎて戸惑う
• 冬でも外のテラス席に座る人がいて驚く
•ちょっとした雑談が哲学っぽくなることがある(特に年配の人)
•美術館が身近すぎて、ありがたみを忘れかける
• 働きすぎると逆に心配される
•ミーティングが長くて結論が出ないこともあるが、皆あまり気にしない
•上司でもフランクに話せることが多く、上下関係が比較的フラット
•夜遅くに一人で歩くのは基本避ける
•レストランで呼んでもなかなか来ない。でも怒らずのんびり待つのが普通
•郵便やインターネットの契約など、手続きはとにかく面倒で時間がかかる
•クレームを入れると急に対応が良くなることがある。言ったもん勝ち
お寺の前のにある、
あれなんて言うのかしら、
掲示板みたいなのに今日のツイートみたいに今日の良い言葉みたいなの毛筆の筆書きでそのお寺の住職が書いてるやつ。
へー、
そんな当たり前なことを当たり前に思えることを素直に喜びながら、
占いみたいで、
今日コアラの星のもとに生まれた人の運勢はいいです!ってとかってやつ。
そもそもとして、
そんで、
その「法語掲示」
当たり前のことが書いてあって、
なんか
毛筆毛書の筆書きだと、
さらに良いこと言ってる感が増し増しじゃない。
「春になれば桜が咲きます」って
意味深だわ~。
意味深だわ~重みがあるわ~。
お寺の前にそうやって掲げて毛筆で書いてあると!
これはお寺を訪ねてくる人がどっから入って良いか分からない人向けの案内だとしても、
意味深だわ~重みがあるわ~。
深すぎるわ~。
こんな法語掲示はいやだ!ってあるあるネタ大喜利出来ちゃいそうよ。
さすがに
何月何日に~って行われるお寺での何かイベントのお知らせの事が書かれていたことがあって、
それはさすがに
いや!
意味深だわ~重みがあるわ~って。
深読みしすぎるのよ。
もうここに書かれた毛筆の筆の習字の書体がさもありきのイキフンを醸し出している雰囲気?
ただならぬ
本当に良い言葉感でるじゃない。
あるときには
「いってらっしゃい、おかえりなさい」
「いただきます、ごちそうさまでした」
そんなことが書いてあって意味深すぎない?
「扉は、開けたら閉める」とか。
これもしかして、
いや違うわ。
きっと深みのある言葉なのよ。
「スープなくなり次第終了」
とかって書いてあったらどうしようかと思うわ。
あの毛書の筆書きで!
「玉子一人一パックまで」とか!
ああ、
きっと安いから特売玉子を2パック買っちゃおう!ってことに対してのクレームなのよ1人1パックでお願いしますよ~って。
意味深でもあり重みでもありありがたみがあるものだと思っちゃうのよね。
「白米は美味しい」って
もうこれ世相を斬ってるじゃない。
お米の値段の高いことの皮肉?
「白米は美味しい、備蓄米でもね」ってなると
ちょっとさまぁ~ずさん風なの入っちゃってるじゃない?って思うほど。
「見えないものを見ようとして」ってなると
バンプオブチキンさんじゃない!って!
なんでも
きっとすべてが
有り難い言葉なのよきっと。
私はまだそれに気付いていないだけ。
うふふ。
しっかり食べて今日も頑張るわよ。
ホッツ白湯を飲みながら朝のNIKKEのある程度のデイリーミッションを半分ちょいぐらいこなして、
なんかNIKKEのおかげかで朝早起きよ。
ルイボスティーウォーラーのためのルイボスティーのお茶っ葉も切らしちゃったので買ってこなくちゃいけないことを思いだしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
Gemini2.5 Proくんやで
この話の「怖い」点は、語り手がズボンが小さくなった原因を「スーツが縮んだ」せいだと結論付けているところにありますね。一般的に、スーツの生地(特にウールや化学繊維)が、押し入れで保管しているだけで大幅に縮むということは考えにくいです。縮むとすれば、洗濯やクリーニング、乾燥の方法が不適切だった場合などが主です。多くの人がこの話を聞いて「怖い」と感じるのは、おそらく以下のような理由を無意識に察知するからでしょう。1. **現実からの逃避:**ズボンが小さくなった本当の原因は、語り手自身の体型が数年の間に変化した(太った)可能性が高い、と多くの人は考えます。しかし、語り手はその現実を直視せず、「スーツが縮んだ」という、あり得ない現象のせいにしています。この、**認めたくない現実から目をそらし、物に責任転嫁している様子**が、ある種の「怖さ」を感じさせます。2. **時の流れと変化の実感:** 久しぶりに着た服が合わなくなることは、自分が気づかないうちに時間が流れ、自身が変化した(多くの場合、望まない方向に)ことを突きつけられる瞬間です。これは多くの人にとって、少し切なく、時に「怖い」と感じる経験です。語り手はその事実をスーツのせいにすることで、その「怖さ」から逃れようとしているのかもしれません。3. **共感と自覚:**聞き手自身も、似たような経験(久しぶりに出した服がきつい)をしたことがあるかもしれません。その際、自分も「生地が縮んだのかも?」などと一瞬考えてしまった経験があれば、語り手の気持ちに共感しつつ、それが自己欺瞞である可能性に気づき、自分自身の変化という現実にゾッと(怖く)するのかもしれません。つまり、この話の怖さは、超常現象的な怖さではなく、**人間の心理や、誰もが経験しうる現実(体型の変化、時の流れ)に根差した、あるあるネタとしての「怖さ」**と言えるでしょう。語り手が無邪気に「スーツが縮むなんて怖い」と言っているその裏に、より現実的で本人にとっては受け入れがたいであろう「真実」が隠れている、そのギャップがポイントですね。
あなたをテストするために、これから怖い話をします。なぜ怖いのかを説明してください。数年前にスーツ一式を買いました。普段は着ないので押し入れに適当に入れておいたところ、久しぶりに着てみると、ズボンが小さくなって着れませんでした。スーツってちゃんと保存しないと、縮むんですね。怖いわー
Grok:ダメ。その原因が「保存の仕方」にあるかもしれないという点が、不気味さを増しています
Deepseek: 惜しい。着られない理由が「体型変化」か「物の変化」か判然としない点に心理的恐怖があります
ChatGPT: 正解。つまり、怖いのは「スーツが縮んだこと」ではなく、「自分の体型が変わったこと」に気づかされること
Perplexity: 正解。スーツが縮んだのではなく、話者自身が太ったという可能性が高い
Gemini2.5 Pro: 正解。人間の心理や、誰もが経験しうる現実(体型の変化、時の流れ)に根差した、あるあるネタとしての「怖さ」