名前を隠して楽しく日記。
今日はほっかほっか亭のリュウジコラボ弁当の「ツナマヨネーズのり弁当」を食べた
https://store.hokkahokka-tei.jp/menu/osaka/x00000111
前回、「しょうが焼き&エビフライ弁当(ソースなし・生姜なし)」の惨事で警戒していたので、きちんと減塩旨味しょうゆ、マヨしょうゆがあることを確認して購入。
結論は「秀逸なバランスで美味い。たださすがにマヨと醤油要素多くて飽きる」
ツナマヨはツナと玉ねぎが入っており、具材感が素晴らしい。これはツナマヨというより、むしろマヨツナ。
目玉焼きは中までしっかり火が通っている。動画はもう少し半熟だったが、弁当だから仕方ない。むしろ火が通ってる卵は好きである。
マヨしょうゆと合わせた白身フライも美味い。米が進む。冷や飯でも美味く食べれる米だな。
さすがに口内がマヨとしょうゆ味だらけになって飽きるので、そこでの磯辺揚げは癒し。こいつと海苔とおかかの力で「飽きの限界」の手前で完食できた。
バランスが秀逸。バランスがいいのではなく、ギリギリのバランスで攻めているということ。
「デザインの敗北」とは、ユーザー体験(UX)や使い勝手の観点から見て、本来の目的を果たせていないデザインを指す言葉です。例えば、以下のような例が該当します。
わかりにくいUI:直感的に操作できず、意図しない動作をしてしまう。
誤解を招くデザイン: 非常口のピクトグラムが逆向きになっているなど、本来の意図と異なる解釈をされる。
物理的な使いにくさ: ドアの取っ手が押すべきなのに引きたくなる形状になっている(ノーマン・ドア)。
この概念は、ドナルド・ノーマンの『誰のためのデザイン?』(The Design of Everyday Things) などでも議論されており、良いデザインの条件として「直感的」「分かりやすい」「誤解を生まない」ことが求められます。
予想に反してグロいという感想よりざまあという気持ちが湧きあがってきてて自分でも驚いてる
出回ってる割れた陶器みたいな死体顔画像と一緒に前日配信時の元気な時の顔も横に貼ってあるんだけど、
これがまあ調子ぶっこいた感じの顔で、貸した金返してもらえずブロックされた男の苦悩とあまりに対照的すぎて見ててムカムカしてくるわけよ
そこに割れた皿みたいな顔面になって茹でた魚みたいな白目向いてるBefore/Afterを見たら、可哀そうとかうわぁグロくて無理!という感想の前に
スカッとJapanみたいな「正義がなされた」という気持ちよさの方が勝っちゃうわけね
今この女配信者のモザ無し死体顔画像が拡散されたらマジで心当たりのある日本の女ヤバいことになると思う
写真がついてない証明書は本人が持ってきてるかどうかわかんないから本人確認にならんのだ。
保険証だけで本人確認を出来ることにしたら保険証が盗まれて手続きに使われたときに盗まれたやつもマヌケという扱いにせざるを得なくなるからそれはそれで良くはないしな。
たまにそれ言ってる人いるけどノブレスオブリージュって元々貴族の責任みたいな話じゃん…?
なんかみんな自分が生きるのにいっぱいいっぱいな一般人なのにそれ言うの聞くとなんかおかしくて笑っちゃう。
なので私も女だけど、こういうお気遣いは本当にありがとうね!ってくらいは思うよ。
だからって代わりになんか譲れって言われても、内容によってはできないこともあるけどさ。
こんなことを言えてしまう人達に対して何も言えずヘラヘラと愛想笑いを浮かべてるような人のことを応援してきたことを恥ずかしく思います。
女性でありながら党首として前線に立ち続けるその姿、年齢を感じさせないエネルギッシュな様子に励まされてきました。
昔の福島瑞穂は本当に格好良かった。
でも今はもうあの人も旬を過ぎてしまったんだなと残念に思います。
他人の体の作りを揶揄して「ウンコしか産めない」と声高に叫ぶような人を目の前に何も言えないでいる姿は、私の応援したかった福島瑞穂ではありません。
馬鹿みたいなことを言う相手がいたら若造だろうが先輩だろうがガツンと一発正論で叱ってくれる勇敢な女性だと信じておりました……。
今の彼女はいわゆるフェミニストと自称する人達を票田とすることで頭が一杯で、ただただそういった愚かな人間に対してさえ何も言えなくなっているのが本当に悔しい。
悔しいんですよ。女性という弱い立場を押して闘い続けた果てに、清濁併せ呑むとでも言うような態度でもって卑怯で愚かな人達相手に薄ら笑みを浮かべて黙りすることを彼女が選ぶようになったのが。
でもこれも勝手に期待した私の自己中心的な願望なんでしょうね。
私がずっと応援してきた女性政治家が、閉経したウンコしか産めない女の悲しみを救ってくれるヒーローとして振る舞って欲しいという幼稚な他力本願。
いい年こいたおばあちゃんなんだから、そんなのはもう卒業しなきゃ。
福島瑞穂さんを応援することを辞めると言いましたが、それについてこんな簡単に決めるのは違いますよね。
それまでには私の頭も冷えていることでしょう。気持ちは冷えたままかも知れませんが、それぐらいの方が政治参加には丁度いいですよね。
増田の「ムカつく」が言語化されていないというブコメを見たので、増田がなんで「ムカつく」のか、勝手に言語化してみようと思う。
まず、「上から掃除した方がいいよ」というタイトルに対して、増田の返事が「たしかにそうですね〜ハハハ」。言ってきた相手はため口なのに、増田は敬語で答えている。となると、そこまで仲が良い相手ではなく、かつ相手は年上か目上の相手。だから、明確にこうやって言ってきた相手がいて、それに「ムカついた」という実体験があったのだろうと思う。
だから、「そもそもその相手が嫌い」説。発言そのものではなく、そもそもその人の普段の言動(効率的なところとか)から苦手意識があって、それが嫌いなだけ説。毎回話題に効率化を求められているのがしんどいとかあるのかも。効率化うるせーってなっているようにも見受けられたし。
もうひとつは「自分が正しくないと指摘されているようで嫌」説。上から掃除した方がそりゃいいのはわかっている。なんならそっちが正しい。でも自分はしない。しないことを「間違っている」「こっちが正しい」と言われているみたいで、自分の「正しくなさ」を責められている気持ちになっている。だから「そんなに正しいこと言うなら、もっとこうした方が正しいでしょ!」という効率化の話を持ち出している。でも、たぶん相手は言ってるだけで、「おまえが正しくない」とかなんも思ってない。思ったから言ってるだけ。
さらにもうひとつは「聞いてもないのにアドバイスされて嫌」説。「掃除面倒だわ~」とか世間話で言っているところに「上から掃除した方がいいよ」とか言われたら、上から目線と感じる人もいるのかも。会話がしたいのに、一段上から言ってくる感というか。たとえば「最近このアーティスト聞いてて」とか話しているときに、「自分も好きだよ!」と言われたら楽しいけど、「それはこのアルバム聞いた方がいいよ」とか言われると「ア、ハイ」みたいな気持ちになる感じ?会話として不自然じゃないんだけど、上からの立場で発言したい人っていない?なぜか全てアドバイスしてくるというか。その感じが嫌みたいな。
椅子の数が問題なのは正しい。しかしその数を増やそうというのだからバカだと書いてあげたんだよ。
誰でも座れるわけではない椅子だから価値があるんだぞ、バカが。