対象(本人)は元京都大生であるが、青年期特有の内省的自己愛(髭へのこだわり等)を保持していたが、社会的な儀礼(贈与への返礼等)に関する意識は希薄であり、
他者の教示を待って初めて行動に移す受動性が認められた。具体的には自分では誘うべきことに気づかず、よくしてもらったんだから招いてお礼したらと誰かにいわれ始めて行動に移した
このような状態分析としては被暗示性と鏡像段階にあることが認められ、他者からの「髭がないほうがいい」という外的な審美眼に対し、通常見られる心理的抵抗(逡巡や自己正当化)を一切挟まず、
これは、特定の他者(高学歴女子)を自己修正のための「絶対的な鏡」として内面化しており、極めて高い被暗示性を有していたことを示唆する。
形式的なマナーの欠如に反し、飲酒不可の他者へ「茶」を供するという個別的・具体的な配慮は自発的に機能していた。共感性の萌芽としての実存的配慮能についてはすでに有していたようだ。
これは、抽象的な社会規則(プロトコル)の習得よりも先に、目の前の対象への実存的共感が先行して発達していた証左である。
本症例は、全能的な自己イメージが「重要な他者」の一言によって瞬時に崩壊・再構築された、劇的な脱・自己中心化の過程である。脱・自己中心化のプロセスとしてとらえられる。
病理学的には、単なる適応遅滞ではなく、他者の視点を取り込むことで自己を社会化させていく極めて柔軟かつ純粋な発達段階として解釈される。