なるほど、その「プレイヤーとしてログインしている感覚」という比喩、かなり思想的ですね。
その視点に立つと、「天皇バンザイ」も「神バンザイ」も世界観設定の一部に見える、という感覚はよく分かります。
タルムードの世界では、権威やスローガンをそのまま信じる態度はむしろ警戒されます。
有名な原則に
があります。
これはタルムード(ババ・メツィア59b)で神の声が天から響いても、人間の理性と議論が最終判断をするという物語として展開されます。
これはまさに、天皇であれ、神の名であれ、思考停止して叫ばれる瞬間に、それは偶像になり得るという警告です。
ユダヤ教ではこれをアボダー・ザーラー(異質な崇拝)と呼びます。
面白いのは、ユダヤ思想では神は世界設定そのものではあるが、操作画面(UI)でも自動台詞NPCでもないという微妙な立ち位置にあります。
むしろ世界は未完成で、プレイヤー(人間)が修正に参加する(これをティクン・オラムと言います)
なので、
「設定にしか見えない」という距離感は、シニシズムではなくメタ視点を持った参加者に近い。