当時寿司といえば私は回転寿司で、100円のかっぱ寿司以外を知らずに生きていた。そもそも地元にそんなに寿司の選択肢があるわけではなかった。
私にとって寿司とは「そんな好きでもないが、親祖父母が喜ぶご馳走」のイメージが強く、私が寿司を好きと伝えれば、両親は健康的で大変良いと誉めてくれて、それが大変嬉しかった。ガキは単純だから。
良いことがあれば回転寿司に行くのはルーティンで、2から3ヶ月に一度食べるのを楽しみにしていた。マグロは好きではなかったが、食べれば皆が喜んだ。
100円以上のものは頼まなかった。高いものを頼むのは、幼心に申し訳なかった。うなぎの寿司を横目に、ハンバーグ寿司なんかを頼んでいた。決して我が家が裕福ではないのを知っていたから。
ある時、祖父母と従兄弟の家に遊びに行った。従兄弟は金持ち一家で、関東近辺のマンションの12階に住んでいた。
その家の夜景が好きだった。地元の真っ暗な夜と違う、人の営みに溢れた夜だ。今思えば東京と比べるレベルではないけど、それでも私にとっては『未来』の街だった。
彼らの家には書斎とコロンの香りがあった。大きなテレビとカーテンとベランダを、当然のように従兄弟は使っていた。私は気まずくて、あまりソファに座れなかった。私の知るものより遥かに柔らかかった。
内心早く帰りたいと思ったけど、でも従兄弟はいい奴だった。マンション併設の公園を駆け回り、隣の棟のインターホンを特定の順番で押すと開くことができる、なんてチャレンジに胸躍った。迷惑なガキだった。けどなんというか、地元の同級生と全然違うそれが輝いてた。
それで最終日、叔父は祖父母に「いい昼飯屋がある」と言って回転寿司へと連れて行った。私と祖父母、叔父叔母従兄弟の6人だ。
そこがまぁ、すごかった。カウンターの中に人がいて握ってるタイプのやつだ。私も凄いと思い、カッコいいなんて口にして、それでまぁマグロかなんか、従兄弟と同じものを頼もうとした。
そして目に入った。確か『240』だったと思う。重要なのは100でも105でもなかったことだ。まして98でもない、異次元がそこにあった。
結局、私が頼んだのはカッパ巻きと稲荷の2皿だけだった。卵焼きだったかもしれない。従兄弟はきっといつも通り、バカスカ高い皿を積み上げていたが、私はとてもそんなことはできなかった。
胃が痛かった。100円のコーナーをみても、子供心に食べたくないものばかりだった。多分ガリとか涙巻だったんだろう。
そして祖父母もあまり食べてなかった。年齢を考えても、いつもの量を考えてもあり得ないほどだった。もしかしたら私に合わせてたのかもしれない。申し訳ないことをしたが、当時の私は本気で罪悪感しかなかった。
机を隔てて、彼らの皿は30を超え、しかしこちらは10もいってなかった。結局、私は空腹のまま店を後にし、そのまま彼らと別れた。
帰りの車は静かだったが、祖父の「気持ちは嬉しかったな」という言葉が忘れられない。叔父は得意そうな顔をしていた。たまにしか会わない親への孝行、きっと良いことをしたと思ったに違いない。
でもあの日確かにそこは地獄だった。240円の地獄だ。けど、私が素直にマグロを受け入れれば祖父母は幸せだったのだろうか?両親がかっぱ寿司で笑う姿を思い出さなければ、私はあの日満腹で帰れたのだろうか。
今でもわからない。きっともう誰も覚えてない苦い記憶。でもあの日からずっと、心のどこかで私は回転寿司が苦手だ。100円以上の皿に手を伸ばせない。
寿司は好きだ。外食で加減しなくても良い程には財布に余裕もある。寿司と共にお酒やサイドメニューを頼むときもある。もう我慢しなくても、気まずさを感じなくてもいいのに