17年前の10月21日の15時23分ごろに路地に落ちていたプラスチックの破片について気になりだす。その破片はなんでもなかった。17年前のことだ。それはなんでもない。それを気にすることが、本当にどうでもいい。だってそこに私はいなかったし、私はそこにそこいったことすらない。なんの縁もない、変哲もない住宅街。そこに行くべき理由は全くもって見当たらないし、何より17年前のことだ。路地に名前はない。行ったことがない。17年前のその数分後プラスチックは風に飛ばされなくなる。それはなんでもないのだ。 なぜなんでもないことに思考を向けているのか。そのことについて80億人は考えたことがないが、私だけが意識を向けている。そもそも、17年前の10月21日は今どれだけ意味をなしているのか。みんな忘れていないか。17年前の10月21日の15時23分ごろに路地に落ちていたプラスチックの破片について、誰も意識を向けてくれないのだ。可哀想じゃないか。まるで僕みたいだ。