ふとした拍子に、小学生の頃に飼っていた黒猫のことを思い出す。
ずっと抱えている後悔に区切りをつけたいので、ここに吐き出させてほしい。
真っ黒の毛並みで、人懐っこい奴だった。家族の誰にでも、見知らぬ近所の人にさえ、初対面からゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄っていく。愛らしい性格だった。
ただ、父だけはクロを嫌っていた。理由は、父が子供の頃に飼っていた猫が布団の中にカエルをプレゼントしたことがトラウマになっているかららしい。父は頑なにクロに触れようとしなかった。
ある日、クロが急にぐったりとし、病院で内臓の病気と診断された。
手術が必要だったが、費用は5万円以上。当時の我が家にとっては大きな出費だ。
父は「金をかける必要はない。やぶ医者だ。時間が経てば治るかも」と反対した。
何日も過ぎて、母は泣いて父を説得し「私の貯金から出す」と覚悟を決めた。
私もお小遣いを全部、母に渡した。父も最後は折れて、1万円を出してくれた記憶がある。
クロは病院へ通うようになった。手術は成功したものの、術後すぐに容体が急変し、そのまま帰らぬ猫となってしまった。
今でも思う。あの時、もし父の反対を押し切ってでも、迷うことなく即座に手術に踏み切れていれば、クロは助かったのではないか。
当時はペット保険なんてものも知らなかった。そんな備えがあれば、費用の心配なく手を打てたかもしれないのに。この「もしも」の思考が、30歳になった今でも心にこびりついている。
時間が経てば薄れると思っていた後悔が、どんどん重くなっている気がする。
同じように、ペットの医療費や判断の遅れについて後悔を抱えている人間はいるだろうか。
私はどうやってこの罪悪感にふんぎりをつければいいんだろうか。
後悔あるけどこんなとこで語れない 克服はされない ただ自分の中で目を背けてあんま考えないようにするしかできない。 いくら考えても納得いく答えなんかないから。 あんま考えな...
猫は気にしてないよ
父が病気になった時「治療」をしなければ等価交換
😺ヒトを呪わば穴ふたつニャン