まるで世界が彼女の神経に直接ワイヤーを繋いでいるかのようだった。14歳の“みっちゃん”——本名は美都。
中学二年生。軽く猫背で、前髪は少し長め。クラスでは特別目立たない。目立たないように、いつも慎重に息をしている。
けれど彼女の耳だけは、どこまでも正直だった。
机を叩く指。ビニール袋のくしゃりとした音。誰かがスナック菓子を噛む湿った衝撃。
特に最悪なのは、背後の席の男子が時おり鳴らす「口を開けたままの咀嚼音」だ。
音が空気を伝う前に、まるで皮膚の下から湧き上がるように、怒りとも嫌悪とも区別できない灼熱が身体を駆け抜ける。
「また変だと思われたくない」
その恐れが、彼女を席に縛りつけていた。
ピアノの柔らかな旋律が流れ込み、世界のノイズが一枚薄い膜の向こうへ追いやられていく。
“ミソフォニア”という言葉を知ったのは、数か月前の深夜、眠れないままスマホを眺めていたときだった。
画面に映る説明は、彼女の内側を正確に、少し残酷なほど明晰に写し取っていた。
自分が「変」なのではなく、名前を持った現象なのだと知ったとき、みっちゃんは声にならない安堵を感じた。
それから彼女は、耳の奥に巣くう怪物と“共存する技術”を、少しずつ学び始めた。
深い呼吸。
イヤーマフをポケットにしのばせ、必要なときにそっと装着するための小さな決断。
どれも派手ではなく、みっちゃんの存在を変えるほどの劇的な力は持っていない。
ある日のこと、背後の男子がまた口を鳴らし始めた。
声はかすれていたが、確かに彼女自身の意思で発されたものだった。
その言葉は、まるで鍵のかかった扉にそっと触れる手のようだった。
みっちゃんは、胸の奥から少しずつ言葉を取り出し、ミソフォニアについて話した。
ただ「それは苦しかったね」と言った。
人は自分の痛みを説明するとき、その痛みが本当に存在するのかをどこかで疑うものだ。
怪物は今も消えていないし、咀嚼音はあいかわらず世界のあちこちで息づいている。
対策を持っている。
少しずつではあるが増えていく。
掌の中のその小さな道具は、彼女が自分の生き方を選びとった証のように感じられた。
世界の音は、まだうるさい。
けれど、その中でどうやって息をするかを、みっちゃんは確かに学びつつあった。
苦痛の正体に名前を与えることは、自分自身を救うためのもっとも静かな革命だ。
物語はここでいったん区切られるが、