山上徹也被告の裁判について報道が見られるようになった。彼の生い立ちを含め他人事だと感じない。メディアでは、山上徹也被告はまじめな人物だと報じられている。私も同じ印象を受けた。
「兄の自殺への責任感、経済的な困窮が重なり、本来の標的ではない安倍氏につながった」
「私も肉親を亡くしたので、弁解の余地はない」
(出典:https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20251205-GYO1T00008/)
他にも、個人のNote記事を拝読した。彼の家庭環境についてまとめられている。
山上徹也被告の父が幼少期に自殺。これを契機に母親が統一教会に入信し、多額の献金。父の遺産まで失い、破産するほどの貧困状態に陥った。
彼は複数の資格を保持しており、努力家であることは十分に伺える。(出典:https://note.com/fukushimatakuya1/n/n894a829add3f)
すまないと思ってる。
ただ、彼と似た家庭環境に置かれた身として彼の気持ちがよくわかる。他人に機会を奪われ続ける人生、身を結ばない努力、大事にしていたものの喪失。俺も「なぜこんなにもうまくいかないのか」を考えると憎悪ばかりが募り、正気を保つのに苦労している。
山上徹也被告やその母親、統一教会。誰が悪い、誰が善いのような二元論では語れない。世の中にはそういう悲劇があると思う。
彼も自分がやっていることがまともじゃないことくらい、とっくに自覚していただろう。それでもなお実行に移すに至る動機が彼の生い立ちから垣間見える。
俺には嫌いなものがたくさんある。
「自分のふるまいが他人の人生を苦しめている可能性、加害性への自覚の薄さ」
「自分が理不尽なことをしている自覚がありながら、それを正当化する行為」
世の中には「そんなこと気にしなければいいじゃん、前向きに行こうぜ」とお気楽に言う人がいる。それは確かに正しい。理解されるなんて期待したところで無駄、気にする時間が無駄なんだ。
けれども。
それでも俺は時折許せなくなる。自分が、他人が、それを取り巻く全てが。その苦しみは「気にしなければいいんだよ」なんて言葉では片付けることができないほど、重く、正気を奪うほどドロドロとした汚泥なんだ。