歳をとったら、すっかり落ち着いてしまった、と思う。
希死念慮は随分薄れ、落ち込む事もあるけれど、一晩寝ればなんとかなる。
言いたい事も言えるようになった。怒る事もできるし、不愉快なら不愉快と言えるようにもなった。
自傷したいという衝動は今もあるし、たまにやってしまうけれど、フラットに生きる事ができる時間がかなり長く続くようになった。
私がずっと望んでいた事なのに、同時に日々の感動ややる気、そういうものがすっかり消えてしまったようにも感じる。訳もなく見えるものが全て美しいように見える事も、今この時がずっと続けばいいのにとか、色んな思いをそのまま文章にして、誰にも読まれない小説を書いたり。そういうものが全てなくなってしまった。感情が溢れる事がなくなってしまった。
全て、まあこんなもんか、とか、何者にもなれない事に焦ることもなく、こんな人生もありか、とか。
それはとても良い事だと思うのに、つまらない。つまらなくて、日々をただ消耗してるだけ。そしてそれになんの疑問も抱かず穏やかに生きている。
平和ボケしてると言えばそれまでで、日々を必死に生きている人達からすれば贅沢な悩みだ。だったらせめて人に役立つ事とかでもすれば、と思いつつ、いいじゃん別にと怠惰な方へと流れる。
結婚もしてない、子供もいない、パートナーと呼べる人もいない、孤独死まっしぐらだというのに恐れつつも諦めて、世界から取り残されているのではと不安になるけれど、私の周りにいる人が他人である事、彼ら彼女らが決して私になり得ない事、私の存在を脅かすものではない事を知ってしまっている。(思い込んでいる)
この世界に意味を全く見出さなくなってしまった。生きる意味なんてどこにもないとも思うようになった。
死にたいとかではない。今の私は死ぬのが怖くすらある。例えば、死んだ後に燃やされる事に対して、もし生き返ってしまったら、とか、そんな可能性の低い事を恐れてみたり。
今まで書いた事が、全て歳をとった事に起因するのなら、私の悩みは何だったんだろう。昔の私だったら全て意味づけて、私の苦しみを意味のないものにするなんて絶対許せなかったし、受け入れられなかっただろう。
そもそも、若い時の私は世界に苛立っていたけれど、世界は何も最初から私に意地悪ではなかった。文句は言いたいが、たまたま、だとか、偶然に文句をつけても虚しくなるだけだ。
歳をとって、経験を積んだ事により許容範囲が広がったのか?いや、私はどんどん意地悪偏屈になっているし、平気で他人に嫌味を言えるようになってしまった。
心の中にどうしようもない幼い自分がいるのは日々感じている。
気力がなくなったのだ、というのが一番分かりやすい結論だし、それが一番しっくりする。苦しみを手放す事は許しだけじゃないのかもしれない。体力がなくなった時もあり得るのか。
苦しみを土台にした、キラキラとした世界には帰りたくない。ただ記憶がある限り遊園地のようなそこをもう一度もう一度と、思う。