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< ■ |anond:20251201145013 >

2025-12-01

映画監督作家ではない問題

もしくは映像作家ではあっても物語作家ではない。

もちろんごくまれにその両方の才能を持つ傑出した天才というものも現れるが

多くの場合映画監督演出家というものは物書きとしての才能はない。

ワイ氏の尊敬する作家深沢美潮氏が「誰でも一生に一作は小説を書ける」とい名言があり

これは一生を生きていれば一作の小説になるくらいにはドラマティックなことが起きるはずだという希望提示であり

逆に一生に一作しか書けないようでは作家にはなれないという警鐘でもある。

多くの映画監督はこの「一生の一作」を作り上げる能力はある。

しかし彼らは作家ではないので一生の二作目くらいまでは行けても三作目、四作目は厳しい。

はっきり言ってしまえば、むしろそんなに書くことがある人間のほうが異常なのだ

細田守の新作の果てしなきスカーレットを見たけど、いや、竜とそばかすの姫の前の未来のミライから

もう明らかに細田守には書きたい作品がないんだろうなということを感じている。

からそばでは美女と野獣をパクったし、果てスカではハムレット神曲をパクった。

未来のミライ最後のあがきだったと思うが、むしろあれで自分の中がスッカラカンなのを確信したのだと思う。

細田必要なのは脚本家だと言われ続けているけど、それは彼の作劇が酷いからというのはもちろんあるとしても

描きたい物語がない人間物語をひねり出すことほど苦痛なことはないと思う。

しかし彼には突出した演出力がある(と世間ではされている)。

山崎貴なんかもそうだけど本来その能力を持たない人間に無理やりなんかやらせるべきじゃないと思う。

そりゃ黒澤明宮崎駿天才だったよ。

でもそのごくごく珍しい天才のせいで「作家性」というものが過剰に信奉されすぎている気がする。

映画監督映像作家なんだから映像作家性を表現すればいい。

脚本プロに任せていいんだよ。

どうしてもやりたい渾身の一作が書けた時だけ自分で書けばいい。

細田山崎みたいにその辺のパク、オマージュみたいなスカスカ作品を無理に作る必要はない。

そういう意味では脚本家映像技術を身に着けたほうが"成り"やすいな。

海外でもその系統両刀使い監督が多い気はする。

からたぶん本来映画監督演出って技術職なんだよ。

 

まぁワイ氏の所感としては細田守っておジャ魔女デジモンでも「敢えて人がやらないことをやってドヤる」タイプ逆張りおじさんとしての評価が高いだけだと思っているので、あん大衆監督として評価すべきじゃないと思ってるんやけども。

Permalink |記事への反応(0) | 14:58

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