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2025-11-30

「まあ、どうでもいいか」の重要

最近、俺は自分精神がどのような状況下で動揺し、脆さを露呈するのか、その自己理解が深まってきた。具体的に、俺の心をざわつかせたのは以下のような事象だ。

これらを冷静に分析すると、共通項が見えてくる。

それは「金銭的な損害」や「実害」そのものではない。俺が真に恐れているのは、自分のあずかり知らぬところで、社会システムから不当に評価され、拒絶されているのではないかという疑心暗鬼だ。

顔の見えない誰か、あるいは無機質なアルゴリズムによって、自分社会的信用が勝手毀損され、包囲網が狭められているような閉塞感。この見えない評判への恐怖こそが、現代におけるストレスの根源なのだ

だが、こうした正体不明不安に襲われたときこそ、防衛策が必要になる。

それが、「まあ、どうでもいいか」とあえて口に出し、思考強制終了させるひと呼吸だ。

これは単なる逃避ではなく、過剰防衛する脳を鎮めるための技術である

不安が増幅すると、脳は最悪のシナリオ勝手に描画し始める。

例えば、極端な話、国家情報機関が俺を何らかの手違いで「テロリストの一味」だと誤認識し、監視対象にしていたと仮定しよう。常人ならパニックになるかもしれない。

だが、冷静に考えてみてほしい。それで一体どうなるというのだ?映画のように即座に暗殺されるのか?日本法治国家において、そんなことは万に一つも起こり得ない。

しろ、彼らが俺を監視すればするほど、明らかになるのは「俺がいかに無害で、平凡な市民であるか」という事実だけだ。24時間監視されたところで、俺の潔白性がより強固に証明されるに過ぎない。

システムが俺を敵認定し、ブロックし、排除しようとするなら、それもまた一興かもしれない。

映画マトリックスのモーフィアスのように、俺はこの管理社会にとって予期せぬバグであり、警戒すべき存在として扱われている。そう解釈することだってできる。

しかし、結論を言えば、そんなことは、実にどうでもいいのだ。

システム上のエラーも、SNSの凍結も、他人の悪意ある書き込みも、結局は俺の人生本質とは無関係ノイズに過ぎない。

他人評価や、社会システムのご機嫌取りに自分幸福を委ねている限り、この動揺は永遠に続く。だからこそ、意識的遮断するのだ。

真に楽に生きるための必要条件。それは、自分コントロールできない事象に対して執着を手放すことだ。

社会的な評価世間体といった、実体のないものゴミと割り切り、そこからかに手を引くこと。

自分を不当に扱う世界なら、こちから願い下げだと見切りをつけること。

「まあ、どうでもいいか」この言葉は、諦めではない。自分を守り、自分自身の人生を取り戻すための、誇り高き宣言なのである

Permalink |記事への反応(0) | 19:31

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