フランス革命期のロベスピエールは、しばしば「恐怖政治を主導した独裁者」として語られる。しかし、実際の政治構造を踏まえると、彼を単純な独裁者とみなすことはできない。
彼が属した公安委員会は合議制で運営され、国家の最高職を個人として掌握していたわけでもない。
それにもかかわらず、ロベスピエールは革命の道徳的象徴として際立った存在であり、卓越した演説力と理想主義によって議会やジャコバン・クラブから強い支持を受け、委員会内部でも路線を左右し得る影響力をもっていた。
この「制度的権力の弱さ」と「政治的影響力の強さ」というねじれこそが、彼の立場を複雑にしていた。
1794年に入ると、ロベスピエールは急速に孤立を深め、周囲に「自分は敵に包囲されている」「もう終わりだ」と弱音を吐いた記録が残る。
これは権力を持っていなかった証拠というより、むしろ突出した影響力ゆえに敵対者が増大し、公安委員会内部での対立が限界に達した結果である。
彼の掲げた「美徳と公共の利益」という理念は、他の委員たちの現実主義的政策と衝突し、その緊張が日々蓄積していた。
テルミドールのクーデタによってロベスピエールが失脚すると、革命政府は彼個人に恐怖政治の責任を集中させ、体制転換を正当化した。
しかし同時に、革命裁判所の拡権や迅速裁判法の支持など、恐怖政治の制度形成に彼自身も関与しており、責任が全くなかったわけではない。
したがって、ロベスピエールは「冤罪の犠牲者」でも「絶対的独裁者」でもなく、影響力と反発、理念と現実の狭間で揺れ動いた象徴的存在として理解すべきであろう。