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2025-11-25

最近、危うさを感じることがある。

うちの会社ではハラスメント相談員各課から持ち回りで選任される。

自分は今年から相談員になった。(相談員用の研修も受けた)

いろんなスタッフに定期面談をする中で

行為者を厳罰に処してほしい」「異動させてほしい」「昇格させているのはおかしい」

そんな声が想像以上に多かった。

被害者保護大事

でも誰に対しても厳罰けが正義なのか。

ずっと引っかかっている。そうじゃないと思う。

行為者にも事情があるかもしれない」

という視点が消えている気がする。

もちろん問題行為は良くない。

事情とか関係なく、自分本位で嫌がらせセクハラを繰り返す人は普通にいなくなっていい、

というのは本気で思う。

でも「全部のケースがそれ」ではない、という話だ。

こういう強い声を上げる人は

自分絶対行為者にならない」って無条件に信じすぎてないか

他人への怒りはすぐに「正義」に変わる。

自分正義の側にいると信じて相手を殴るのは気持ちがいいと聞いたことがある。

処分しろ」「異動させろ」「昇進させるな」

これって、「気に入らないから動かしてほしい」と何が違うんだろう。

もし自分が誤解されて

一気にその「悪い人」の側に置かれたら?

自分が今まで振りかざした正義が全て自分に向けられたら?

その可能性を想像したことがあるのだろうか。

人は誰でも

疲れているとき

状況が悪いとき

相性が悪いとき

その他様々な意図していない場面で、誰かを傷つけてしま可能性がある。

完璧にはなれない。

「私は絶対行為者にはならない」

と信じた瞬間に誰かへの加害が始まるリスクがある。

正義を強く振りかざす人が増えるほど

「あの人は悪い」という烙印簡単に作られて

気に入らない相手排除する空気が加速する。

その空気こそが、新しいハラスメントの温床になるんじゃないかと思う。

ハラスメントをなくしたい気持ちは本物。

からこそ、正義言葉が誰かを追い詰める武器に変わらないようにしたい。

もっと根源の問題を考えて啓蒙しないといけないな、と思う。

Permalink |記事への反応(0) | 12:01

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