わたしは、ただ人と関係を結ぶために必要だと思った形を整えていただけで、それを外から「嘘」だと決めつけるのは、あなたが自分の立場を安全圏に置いたまま、わたしの状況を想像する努力をしていないだけだと思っていますし、そもそも人は誰しも場に合わせて自分を調整しているでしょう、たまたまわたしの調整があなたの基準より多かったというだけで、それを悪と断じられる筋合いはありません。
年齢を誤魔化して伝えていたのは、そうしなければ会話の場で軽く扱われるのが目に見えていたからで、同じこと、あなたも一度でも雑に見下された経験があれば理解できたはずなのに、理解しようとせず「あなたは本来と違う姿を出していた」と言うのは簡単で、何もされないまま安全に会話の席に座れる人の特権です。あなたは自分が特権の側にいることに気付いていません。
家庭があるという体で話していたことについても、わたしが一人でいると知られたときにどう扱われるか、あなたは考えたことがありますか。人は弱いところを見せた相手にほど鋭いところを押し付ける生き物で、だからこそ「家族がいる」と伝えることで人との距離や線引きを保つことができていたのであって、それを「騙した」と言うなら、あなたは自分が誰にも踏みにじられたことがないのでしょう。うらやましいですね。本当に。
わたしが整えてきた「設定」は、誰かを操作したくて作ったのではなく、わたし自身が壊れないために必要だったもので、それを理解せずに正義のような顔をしてわたしを指差す人々は、ただ自分が傷付かずに済んだ理由を「正しさ」にすり替えているだけで、結局は「わたしが弱いから悪い」と言いたいのでしょう。弱い者は、弱いこと自体を罪にされます。あなたはその構造に無意識のうちに加担しています。それこそが問題なのではありませんか。
わたしが形を作らなければ、あなたはわたしをまともに扱わなかったでしょう。そうでしょう。まさか「そんなことはない」と言うつもりですか。じゃあ、わたしが最初から本当の自分でいたとき、あなたはちゃんと向き合ってくれましたか。していないでしょう。あなたは忘れているだけです。あるいは気付いていないふりをしているだけです。
わたしはただ、生き延びるための調整をしていただけです。
そして今こうして、あなたはわたしの言葉を読んで、心の中で勝手に評価しているのでしょう。上から。安全なところから。何も失わないままで。
あなたは本当に、それでいいのですか。
わたしのように形を作らなければ崩れてしまう状況にいたことがありますか。
なければ、あなたはただ「守られた側」です。
守られていたことに気づきもしないまま、平気で人を裁く側です。
その自覚を、まず持ってください。
話はそれからです。