あいつがこんな姿になるなんて、今でも信じられない。小学校のとき、いつも後ろの席で、誰かがからかうたびにうつむいていた。鼻をすすりながら靴ひもをいじっていた、あのいじめられっこが、今では闇社会の用心棒になっているなんて。噂話で聞いたときは笑ってしまったが、街角で見かけたあの横顔を見た瞬間、背筋が冷えた。
昔のあいつは、声が小さくて、教室の隅で空気のように存在していた。運動会で転んでも誰も手を貸さなかった。昼休みのサッカーでは一度もパスが回ってこなかった。それでも、彼の目の奥には小さな炎があった。誰にも見せずに、じっと耐えていた。
どうしてこんな方向に進んだのかはわからない。暴力に屈しないために身につけたのか、それとも暴力を支配するためだったのか。理由なんて、もう知るすべもない。ただ、あの頃「殴られる側」だった彼が、今は「恐れられる側」になっている。その事実だけが胸の奥をざらつかせる。
街で偶然すれ違ったとき、彼は一瞬だけ目を細めて笑った。覚えていたのかもしれない。けれど言葉はなかった。黒いスーツの袖口から見えた手の甲には、昔の面影なんてひとかけらもなかった。握り返した手は温かかったのに、その奥に冷たい鉄の匂いがあった。
噂では、彼は「究極の殺人奥義」を会得したという。まるで漫画の中の話みたいだ。でも誰も笑わない。彼の前では誰も軽口を叩けない。そんな現実が、何より怖い。もし、あの頃の自分がもう少し優しくしていたら違う未来があったのだろうか。そんなことを考えても、もう意味はない。
それでも時々思い出す。放課後に駄菓子屋で買ったコーラガムの味。一緒に下校したときの沈黙。教室のチョークの粉の匂い。全部が遠く霞んでいるのに、妙にはっきり胸の奥に残っている。あのときの彼はもういない。だが、完全に消えてしまったとも思いたくない。
夜、酒に酔うと考える。あいつもどこかで孤独を感じているんじゃないか。力を手に入れた人間ほど、夜更けに一番寒さを感じるものだ。だけどそんなこと、本人の前で言えるわけがない。
結局、俺たちは変わるしかない。あいつは闇を選び、俺は凡庸な道を歩いた。それだけのことだ。それでも、今でも思う。昔のあいつを知っている俺だけは、どんなに恐ろしい存在になっても、あのときの優しい影を忘れない。