しゅんきが終わった
ディスコードのサーバーにはその性質から、観客を「身内化」する傾向があった。
だが、あるファンに振られた後のしゅんきは、その傾向を極限まで推し進め、完全に境界を引いてしまった。
信者か、そうでないか。
しゅんきがどれほど面白いことを言っても、
それを信者が「さすがしゅんき」と称賛する構造そのものが、笑いを無効化している。
外から見れば、それはもはやカルトだ。
しゅんきを芸人として楽しむには、内側に入るしかない。
しかし、そのためには次の二つの条件を受け入れなければならない。
①しゅんきの過去のスキャンダルを一切不問にすること。
②しゅんき(表向きにはしゅんきの相方)に気に入られること。
この二つを超えた先にようやく内輪の笑いが待っている。
そしてその構造の中で、しゅんきは固定化された信者から小銭を回収しながら生きながらえる。
世の中によくあるビジネスモデルの一つとして完結した。
今までありがとう。
昔は面白かったよ。
Permalink |記事への反応(0) | 23:59
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