私は、佐藤太郎、45歳。人生のピークを過ぎた男だ。20代で出会った妻の美香と結婚し、娘のあかりが生まれた。あかりは今、10歳。明るくて賢くて、私の誇りだ。仕事はITエンジニアとして順調で、投資も上手くいき、40歳になる頃には十分な資産を築いていた。会社を辞めても、家族三人で悠々自適に暮らせるくらいの貯えがあった。
それが、問題の始まりだった。仕事がなくなると、毎日は単調になった。朝起きて、散歩をし、読書をし、夕食を家族と囲む。幸せではある。でも、それ以上は何もない。目標を失った私は、どこか空虚を抱えていた。美香は「もっと趣味を見つけたら?」と優しく言ってくれたが、私の心は満たされなかった。
そんなある日、安楽死が合法化されたというニュースが流れた。セルフキットの薬が薬局で販売されるようになり、世間は賛否両論で沸いた。私は新しいもの好きだ。好奇心から、薬局に足を運び、キットを購入した。説明書には「服用後24時間以内に安らかに逝去します。後悔のない選択を」と書かれていた。家に持ち帰り、棚の奥にしまった。飲むつもりなどなかった。ただ、持っているだけで、何か「選択肢」が増えた気がした。
一年が過ぎた。生活は変わらず平穏だったが、ある夜、家族の関係が少しこじれた。些細なことだった。あかりの進路について、美香と意見が食い違い、口論になった。私は苛立って酒を飲み過ぎ、普段の穏やかな自分を見失った。「もういいよ、こんな人生!」と叫んで、棚からキットを取り出し、薬を飲んでしまった。酔いの勢いだった。後で思うと、馬鹿げた行動だ。家族の問題など、時間が解決するはずだったのに。
翌朝、目が覚めると、頭が痛かった。昨夜の記憶がよみがえり、胸がざわついた。24時間後、私は死ぬ。美香とあかりはまだ寝室にいる。私は台所でコーヒーを淹れながら、震える手で薬の箱を眺めた。どうしよう。家族に相談せずに、こんなことをしてしまった。パニックが襲ってきた。
リビングで美香が起きてきた。「おはよう、太郎。昨夜はごめんね。私も言い過ぎたわ」と彼女は微笑んだ。あかりも目をこすりながら現れ、「パパ、今日公園行こうよ!」と言った。その瞬間、涙が溢れた。私は膝をつき、二人にすべてを話した。「ごめん…薬を飲んじゃった。安楽死のやつ。24時間後だって…」
美香の顔が青ざめた。あかりは意味がわからず、目を丸くした。「パパ、何言ってるの?死ぬって…どういうこと?」美香は私の肩を抱き、「嘘でしょ?太郎、冗談よね?」私は首を振り、謝り続けた。「酔って勢いで…本当にごめん。後悔してる。君たちがいなくなるなんて、考えられなかった…」
三人で泣き出した。あかりが私の胸に飛び込み、「パパ、行かないで! 私、パパがいないと嫌だよ!」美香は涙を拭きながら、スマホを手に取った。「待って、解毒剤があるはずよ。ニュースで見たわ。緊急で病院に行きましょう!」
私は呆然とした。解毒剤? そんなものがあるのか? キットの説明書を読み返したが、確かに小さく「服用後12時間以内であれば、専用解毒剤で効果を無効化可能」と書かれていた。希望の光が差した。私たちは急いで車に乗り、近くの専門病院へ向かった。道中、美香は私の手を握りしめ、「太郎、私たち家族よ。一緒に生きて。昨日みたいに喧嘩しても、きっと乗り越えられるわ。あかりのためにも、あなたのためにも。」あかりは後部座席で、「パパ、絶対生きてね。約束だよ」と小さな声で言った。
病院に着き、医師に事情を説明した。幸い、服用から10時間しか経っていなかった。解毒剤の注射を受け、ベッドで待機した。医師は「効果はほぼ100%です。でも、二度とこんなことはしないでください。人生は一度きりですよ」と言った。私は頷き、家族の顔を見つめた。美香の優しい目、あかりの無垢な笑顔。それが、私のすべてだった。
数時間後、検査で異常なしと診断された。私は生き延びた。家に帰る車中、三人でまた泣いた。今度は、喜びの涙だった。「パパ、ありがとう。生きててくれて」とあかりが抱きついた。美香は「これからは、もっと話そうね。目標なんて、一緒に探せばいいわ」と囁いた。
あの出来事から、私の人生は変わった。単調だった毎日に、感謝の気持ちが加わった。家族との時間を大切にし、新たな目標を探すようになった。ボランティアを始めたり、旅行を計画したり。安楽死のキットは、処分した。あの薬は、私に「生きる価値」を教えてくれた。失いかけたからこそ、得られた宝物だ。