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2025-10-22

地頭という言葉が嫌い

地頭がいいですね」と言われるたびに、どこか引っかかる。

それは照れでも謙遜でもなく、もっと構造的な違和感だ。

地頭という言葉は、しばしば“努力を見ない称賛”として使われる。

結果だけを切り取って、その背景にある思考筋トレ経験の積層を無視してしまう。

まるで一瞬の走りを見て、「もともと足が速いんだね」と言うように。

地頭は「環境適応 × 高負荷学習」の産物

僕は、地頭という概念存在すると思う。

ただし、それが意味を持つのは“極地”にいる人間だけだ。

人の能力差なんて、たいていは小さい。

ではなぜ「地頭がいい」「悪い」と言われるのか。

それは結局、

1. どんな経験をしてきたか環境適応

2.思考の深さと長さに耐えたか(高負荷学習

この2つの積み重ねによって差が生まれているだけだ。

例えば新しい環境へ向かうための不動産契約経験を通じて、別の契約理解への転用ができるようになる。

受験勉強で脳に高負荷をかけることで、思考の持久力がつく。

まり地頭の良さ」とは、過去思考履歴の総和なのだ

からこそ「地頭がいい」という称賛は軽すぎる

人の歩いてきた道を見ずに、結果だけを才能と呼ぶのは、

その人の時間を削る行為だと思う。

本当に地頭がいい人(極地にいる人)は確かに存在する。

ほとんど努力せずに高次元理解を示す天才もいる。

でも、僕自身や周囲の多くの人はそうではない。

努力して考え、失敗してまた考え、

そうやって“11秒台”まで辿り着いた人たちだ。

ボルト9.58秒と、僕らの11秒台

一般人努力しても100mを9.58秒では走れない。

それが極地だ。

でも努力すれば、11秒台では走れる。

それは立派な到達点であり、努力結晶だ。

そんな人に向かって「もともと足が速い」と言うのは、

その人の過去をまるごと見落とす、極めて失礼な行為だと思う。

地頭という言葉が嫌いな理由

僕が「地頭がいい」という言葉を嫌うのは、

人の積み上げた努力や、過去の負荷、思考歴史

“才能”という軽い言葉で上書きしてしまうからだ。

11秒で走れるようになるまでの年月を想像せずに、

「足が速いね」と言う。

それと同じように、

地頭いいね」と言う人は、

その人の“思考履歴”を見ていない。

Permalink |記事への反応(3) | 23:44

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記事への反応 -
  • 守護ならいいのかよ

  • 自称ジアタマのいいと思い込んでいるますだーが議論を戦わしているのと思いきやどうした!!!!

  • つまり学歴で頭がよくみられてなかったってことだからじゃない?

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