鬱が寛解に向かい、幸いにも在宅仕事が軌道に乗って一人暮らしできるかなというときに難病がわかって、手術や治療のために一旦引き続き実家の世話になることになった。
両親とも健康に働いているので在宅の私が家族の炊事、掃除をしてる。
少し遅れて、一人暮らしで引きこもりだった兄弟も実家に戻って来た。
家事は全部免除。洗濯も放置。自分の昼食作りで汚したキッチンも放置。油汚れに気づかず私が夕飯の支度をすると私が怒られた。
自分で洗濯させたら?と聞いたら、一人暮らしで頑張ってきただろうから…って。私も頑張ってたけど、自分で洗濯してるよ。
夕方にカーテンを閉め忘れただけで廊下を踏み壊さんばかりの足音で歩かれ嫌味を言われた。
鬱病で戻った時、母の気に障り、殺してやる!!!!と言われた。母はその時のことを覚えてない。そんなこと言ったっけ?って。この差はなんだろう。
家族で食事を囲んで、私が話すのを遮ってあ!そういえば兄弟のあれはどうなった?と話をそらされた。
いじめを受けてることを母に打ち明けると、ええええええ!????!?ってヒス声を上げられて怖くなって、なんだかそれでもう、話す気力がなくなって、そういえば話なんか聞いてくれない人だって諦めたんだった。
ブラジャーを買ってもらえなかった。小学校からそれなりに大きかったが、スポブラをつけるべきだという意識もなかった。
恥ずかさを押して、ようやく相談したとき、連れていかれたのは雑貨屋兼服屋みたいなところで、胸が大きいのが恥ずかしくて自分はBカップだと思い込んで2着買ってもらって、それを何年もつけてた。
私のようなブスが下着屋に行って、可愛い下着を自分で選んで着けることは恥ずかしいことだと思ってた。
ニキビで脂っぽいことをからかわれたけど、しゃぼん玉石鹸で洗う以外の知識がなかった。
腋毛を剃るのをやめたほうがいいと言われて、除毛クリームを使っていた。肌が痒くて、生えたまま登校したときもあった。
喘息がひどかったけど、病院には連れていかれず、当然それが喘息とも思っていなくて、夜中に母が面倒見てくれてた。
マラソンはビリで、体育教師に気持ちの問題と言われた。その後の授業が発作で苦しかった。優しい先生に背中を撫でられながら授業を受けたときもあった。授業中みんなに迷惑だっただろう。なぜか親には言えなかった。
父は単身赴任でいなかった。いないほうがマシだった。無神経な父に怒り散らす母の愚痴を聞くのがつらかったから。
部屋にいて、親のなんでもない話し声や物音が怖い。
恥ずかしながら在宅の仕事を始めた年は年収100万だった。世帯年収で計算されるので年金は免除されないし、国保もしっかり払った。もちろん私費もすべてその中でやりくりした。
兄弟はどうか。仕事は始めたがそもそも家族と一切会話をしない。税金は督促がきても放置していたので払えと言っても無駄らしい。国保も親負担、携帯料金も母が払って、その上お小遣いも与えてることを知った。
払わせないの?と聞いたら、なんか言いづらくて…と返って来た。私にはどんな文句も言ったのに?
夫婦の愚痴も、父の不倫メールが誤送されてきたときも、母のヒステリーも、私が受け止めて来た。
病気のことを含め、子どもの頃から金銭的な不安なく暮らせてたのは親のおかげなので感謝している。たまたますごく収入が上がって、温泉旅館のスイートルームをプレゼントしたこともある。喜んでくれるのが嬉しい。
でも、私の入院、通院費のことは一切気にかけないのに、兄弟に今度車を買ってあげるんだって。
鬱病が揺り戻してきて起き上がれない日が増えた。軌道に乗ってたはずの仕事なのに、上手く頭がまわらなくて苦しい。
私の意思ってなんだろう。
医師の話で、悪化しやすい体質だから、場合によっては何度も手術する必要があると思うと言われてて、その度に親に保証人とか付き添いを頼まないとならない。