彼はひとりごとのように語った。
「わたしの背は曲がり、足はしばしばつまずく。
それでも働きに行けと呼ばれるのだ。
なぜなら子らは少なく、若者は足りず、
だがその声は笑みを含んでいた。
まだ生きている理由を示す証のように。
けれど昼の光の下で、影は長くのび、
そこには痛みもともに刻まれていた。
落ちる鉄の破片や、崩れた足場が彼を試し、
そのたびに骨と肉が危うく裂けそうになった。
「働くとは祝福か、それとも罰か」
彼はまた同じ問いを繰り返す。
「もし祝福なら、なぜ多くの老いた者が
血を流し、倒れ、誰にも気づかれずに
消えるのか。
もし罰なら、なぜそれを背負うのは
この国の最も弱い者たちなのか」
そして彼はさらに続ける。
だがそこに刻まれたのは、終わりの見えぬ
ような雇い入れである」
問いは答えを持たず、
答えはまた問いを生む。
それでも彼は明日も歩み出すだろう。
椅子を埋めるために、あるいは
夕陽は赤く、彼の影を地に広げる。
そこには問いと答えとが重なり合い、
終わりの見えぬ労働でありながら、有期契約である事の歪さ。 すべての労働は「正しい努力には祝福がある」信仰が招く罰。