そいつは卒業後数年経った今でも連絡が途切れていない、かつ高校時代(自分にとっては)かなり親交の深かった、数少ない人間のひとりである。ありがたい。
ひたすら飯食ってだべってとても楽しかった。
そこには卒業式の時のキラキラとした投稿がピン留めされている。
「え、お前写ってるじゃん、いいなー俺この時めっちゃ病んでたから写真とか1枚も残ってないわ」
「草、別に僕も病んでたよ、ただ友達といるのが楽しかっただけで」
ちなみに俺のメンタルがどのくらいやばかったかというと、卒アルの10年後の自分へのメッセージを書こうコーナーに「生きてる?」と書くレベル。恥ずかしすぎて発狂ものである。
そんなこんなで中高6年間の話題になった。
受験してこの学校に入ってお互い友人には恵まれたけど、失ったもの(キラキラした青春、一般常識、精神衛生)や代償(歪んだ学歴観、若干の異性不信)がデカすぎると言い合ってやけに盛り上がった。
改めて思い返すと、高校時代の記憶で真っ先に思い浮かぶのが「病んでたなあ」「受験やばかったなあ」だし、何ならそれ以外の記憶が朧げである。
世間では「青春」と言われ、人生で最も楽しい時期とされるが、自分にとってはただただ終わりの見えない鬱屈とした箱庭の日々だった。おまけに自分自身についての理解も及ばなかったし。
それでもどうして卒業できたんだろうと考えると、やはり今日遊んだ奴のような数少ない友人が偉大だったのと、あとやっぱり自分の場合は恋だったのかなと思う。
別学だったけど、かれこれ5年くらいクラスメートに片想いをしていた。(今日会った友人ではない)
告白も進展もクソもねえような、誰にも言わない完全自己完結型の恋愛(なのか?)だったし、正直自覚してしばらくはアイデンティティクライシスの方面で精神崩壊してたけど、高校生になり受験の足音が近づき学校生活全体が鬱々としていく中においては、何も起こらない、ある意味凪いだ穏やかな恋情こそが通学の原動力で、心の支えだったのかもしれない。