まだまだ残暑が厳しく、冷たいパンプキンスープのありがたみが身に沁みるような日が続いておりますが、サイゼリヤ様はいかがお過ごしでしょうか。
此度はお礼を申し上げたくこのようなお手紙を書かせていただきました。
「デートでサイゼリヤ」論争が下火になってもう随分経ちますが、未だ熱く疼いている火種が少しのきっかけで燃え上がりそうな気配を漂わせており、貴社の影響力の大きさを感じる毎日です。
私は女です。いわゆる私女だけどでございます。私女だけど、デートがサイゼリヤでも構わないのです。好きな人とならどこだって構いません。しかしこれは心の奥底に隠している本音であり、建前では「デートがサイゼリヤとかありえないよね」という意見を盾にして生きているのです。
私は本命にするような価値はないが一発はやってみたいと思われる、まあ言ってしまえばちょいブス巨乳でございます。ブスのくせに誰からそんなやりたいだなんて思われるのかと言いますと、モテない男性達すなわち弱者男性。「俺でもいけるか」と思える顔、一度は揉んでみたいサイズの乳房、どうせ彼氏もいないだろうし欲求不満なのだろうとアタックしやすい存在なのです。
そういう方々はまずはお食事に誘ってきます。大体は夜のお食事です。夕飯を食べて、少しお酒を飲んで、そのままホテルにしけこもうという考えです。
私は仕事が忙しい、資格の勉強が忙しい、という理由でそれらをやんわりと断っていますがそれでも日程調整をして食い下がる猛者がいるのです。
そこで私に緑の瑞々しい輝きを与えてくれるのが、柔らか青豆の温サラダ、もといサイゼリヤの看板なのでございます。
サイゼリヤは今までデートに適切か不適切かという論争でずっと矢面にたっておりました。その論争の果てに、社長や前社長が「サイゼリヤは普段使いする場所であって特別な機会には相応しくないかもしれない」と言ってくださったことは有名なお話です。その論争の末に我々の間には「デートにサイゼリヤを使ってもいいが別に相応しいというわけではない」という共通認識が育まれているように思います。
この共通認識!この共通認識こそが私を何度も窮地から救ってくださいました。
どこに食べに行きたい?と言われた時にサイゼリヤというと、これはデートであるという可能性を極限まで消し去ることができるのです。もっといいところに行こうと言う男性は稀にいますが、私はお金を割り勘したい派なので金欠の時分でも行けるところがいいと言うと黙ります。
そしてその中でもサイゼデート全然ありじゃんという猛者がいた場合、私はいざサイゼリヤに赴くことになるのです。しかし天下のサイゼリヤはここでも私を救ってくださいます。
私が頼むのはミラノ風ドリア。それ以外はお酒どころかドリンクバーも頼みません。300円であのボリューム、そしておかず+主食一体型のデザイン!私は即刻食べ終わり、美味しかったねお腹いっぱいだねと店を後にします。ここで渋る方はほぼいません。何故ならサイゼリヤは普段使いするタイプのレストラン。店内にわやわやと響く、学生のはしゃぐ声や家族連れの元気な声は、デートのムードというものをぶち壊してくれるのです。
更には金欠で割り勘派と話していたことが伏線となり、二軒目やホテルに誘われたとて金欠なので行くことはできない、と何とも愚痴や陰口にしづらい形でヤるのをお断りも可能。いえ、男性間の愚痴になっている可能性は充分にありますが「割り勘派」かつ「サイゼで喜ぶ女」という弱者男性とツイフェミが大好きな論点を残すことにより、こちらが完全なる悪者にならずに済むのです。
これがどれだけありがたいことか。私のような弱者女性にとってサイゼリヤの看板がどんなに神々しく光って見えるか。本日は何より感謝を伝えたいのでございます。
ありがとうサイゼリヤ。私は万が一好きな女の子とデートをすることが出来る機会を得たとしてもサイゼリヤを利用することはありませんが、その分一人や友達連れでたくさん行かせて頂こうと思います。その時は大好きな若鶏のディアボラ風と玉ねぎのズッパ、ドリンクバーでのモクテルを楽しむつもりでございます。