服が好きなんだけどさ。
こないだタックインがどうのこうのという記事がホットエントリに入ってて、そこのブコメとか眺めてて思うんだけど。
一つの流行を取り上げて、そんな流行に左右される人間は云々みたいな批判を平気でしてる人たちが一定数いるけど。
そういう人達って流行が何なのか理解できてないと思うんだよね。
そもそもファッションの流行っていうのは「流行ってる状態でそれに乗るもの」ではないんだよ。
流行っているということはもう大衆に広まりきってる状態なんだから、そこでその流行に乗ったところで「それがお洒落だ」とはならない。
それはそれで「着こなせている」ということにはなるけど、お洒落か否かで言えばただの「フツーの格好」でしかない。
もちろん服好きも流行は取り入れるけど、世間に定着した流行なんて俺らにとっては何年も前から当たり前にあるトレンドで、もう食傷気味なことが多い。だからその時点で「その次」を求めてる。
某YouTuberの言葉を借りれば、お洒落っていうのは人と差別化を図る行為そのものを指すわけで。
流行になる前、ハイブランドなんかの方向性を感じ取って世間に先駆けて流行の兆しを取り入れて周囲と浮いてるけどちょっとカッコいいよね、という状態がお洒落と言えばお洒落なのか?
実際はそういう着こなしを世間はお洒落とは認識しないが、服付きが好むのはそういう方向性だ。
でもそれって別に感度ビンビンにして流行を全力で追いかけてる状態かっていうと別にそんなことないのよ。
そりゃ流行は流行として文脈はあるけど、服好きはみんなそれぞれ自分の文化圏があるんだからさ。
普段は自分の好きなブランドだとか、セレクトショップだとか、古着屋だとかを観測しながら、ゆるく流行と付き合ってるわけ。
だからファッションの流行という現象は、流行が流行として定着した後、はじめてそれを追いかけている大衆が醸しているものだと思って間違いない。
そもそも服好きにとってタックインかアウトかで「ダサいか否か」なんて判定は無いよ。
着こなしなんて自分の意図が全てなんだから、その意図通りに着れていればそれいい。カジュアルかキレイめか、どっちのラインを出したいか、みたいな思考しかないよ。上下関係は無い。
四六時中服のこと考えてる人間にとって流行っていうのは服のほんの一側面でしかないんだけど、ある種の「正解」を求めてる大衆にとっては強いニーズがあるんだろう。
だから正直、流行を取り上げてファッションをどうのこうの論うこと自体筋が悪いんだよね。それを求めてるのは服好きと言うより大衆だし、服の文脈はもっとたくさんあるんだから。
タックインって言ったらFF車の挙動かと思ったんだけど違うの?