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2025-09-04

日本人は頭が変(アンラーニングすべきものの話)

差別とかそういう話じゃなく、日本人は頭が変。変な考え方を学校日常インストールされている。

 

変な考え方というのは、非効率夢想的な、あえてそこにある答を遠回りして避けるような、ストレート論理忌避のこと。

最初から包括的に条件を整理して、「論点は三つくらいある」など客観的なまとめ方をするのを、最早本能的とも言って良いくらいの刷り込みで避けている。

そのせいで、常に「たったひとつ真実」を求めながら、もちろんそんな単純な答はないので「より曖昧で常に揺れ動く答」をなんとなく信じて日々をやり過ごしている。

 

ある意味で言えば、これは科学的な問題にも常に文学的な答を求めようとしているとも言える。

ある意味で言えば、これこそが欧米にかつて(今でも一部に)神秘的と崇められた『禅』の、もしかしたら正体なのかもしれない。

でもそれが今では、経済科学技術という、純粋論理計算)で突き詰めないとうまくいかない世界での遅れに繋がっている。

 

困ったことに、かつて讃えられたこれを、今でも日本美徳として固執している層の存在が根強い。

論理的にストレート損得勘定社会構築をする欧米中国などを、むしろ見下す心理にすら繋がっている。

ある種の宗教としてそれを認めることもひとつ多様性なのかもしれないが、一方で日本人は、そういう日本的な曖昧な考え方が、経済力や科学力の源泉でもあると信じて、今でも経済大国、科学立国であるつもりでいる。

それはいくらなんでも幻覚に過ぎる。

日本はかつて経済大国、技術立国であったかも知れないが、それはむしろ社会欧米化が進み、合理的投資が行われる風潮が一瞬わき起こっていたからだ。

 

日本宗教国家として、科学的なストレートな考え方を否定し、曖昧もの見方を大切にする文化固執すること自体は誰にも否定できるものではないが、それは経済合理性否定し、科学技術の発展を拒絶することとほぼ同義なのだという自覚くらいはもって主体的に選ばなければならない。

宗教であることを科学であると思い込むことまで認めるようになると、それは自滅的、加害的なカルト化に繋がりかねないことは、歴史に何度もあらわれている事実である

単純かつ曖昧科学的真理などというものを常に求めている日本文化的風潮こそが、アンラーニングすべき異常な思考なのだということに、そろそろ気づかなければならない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:35

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記事への反応 -
  • 安心しろって お前如きがそういう話をインターネットで書き散らす程度には、普通に広まってる考えだよ。   ただ世代の考えってのは、その世代が死なないと変わらないからな。 お前...

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