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2025-08-31

灯の国 —the Nameless Work—

私の人生は、世間的には成功と呼ばれるものかもしれない。

有名企業で働き、現役でエンジニアをしている。

マンションも買った。貯金もある。

副業収入もそれなりだ。

周りからは羨ましがられることもある。

「順調ですね」と言われることもある。

でも、私は疲れていた。

毎朝起きて、満員電車に乗り、会議に出て、コードを書く。

評価され、昇進し、給料が上がる。

その繰り返しの中で、ふと思う。

これが私の残すものなのだろうか、と。

華やかな経歴、立派な肩書き銀行の残高。

でも、私がいなくなったあと、それらに何の意味があるだろう。

私は「私」であることに疲れ果てていた。

このまま生き続けるには、何か決定的なピースが足りないのだ。

令和の時代キラキラした成功者ばかりが目に入る。

SNSには輝かしい実績が並び、誰もが特別な何者かになろうとしている。

だが、ふと立ち止まって足元を見れば、私たちが立っているこの地面は、名も知らぬ誰かが積み上げてきたものだ。

誰が最初文字を教えてくれたか、覚えているだろうか。

誰が道路を整備し、水道を引いたか、知っているだろうか。

誰が辞書を考え、教科書を作ったか、顔を思い出せるだろうか。

私は気づいてしまった。

自分は華やかな花を咲かせているが、地中に石を積んではいない。

先人への感謝を忘れ、ただ恩恵の上に立っているだけだと。

足りないのは、肩書でも評判でもない。

名を置いてきても働き続ける、静かな「役目」だ。

人の営みの本質は、令和になっても変わらない。

誰かが道を作り、誰かがその上を歩く。

誰かが種を蒔き、誰かが実りを得る。

その連鎖の中で、私たちは生きている。

朝食のパンも、通勤電車も、職場建物も、全て誰かの仕事だ。

夜明け前に起きてパンを焼く人、線路保守する人、ビルを清掃する人。

彼らの顔も名前も知らないが、その静かな仕事の上に、私の一日がある。

彼らに感謝しているだろうか。

そして私は、次の誰かのために何を積んでいるだろうか。

では、何を残せるのか。

記念碑ではなく、誰かが明日ふと助かる「当たり前」のほうを。

名前が消えても続く作法、壊れにくい約束、弱い側から見ても正しい道筋

大きな旗より、小さな灯を増やそう。

遠くを照らす光はまぶしいが、足もとは案外暗い。

引き継ぎ資料を丁寧に書く。

後任が困らないように、要点を整理する。

新人には、聞きやす雰囲気を作る。

使った道具は、次の人のために元の場所に戻す。

そんな地味な作業こそが、実は土台になる。

名もなき先人たちがそうしてくれたように。

失敗も隠さないでおく。

うまくいかなかった設計、言い過ぎた言葉、迷った跡。

それらを洗って、乾かして、次の人の手に届く場所に置く。

武勇伝より、転び方のほうが役に立つときがある。

キラキラした成功談はあふれているが、

臭い失敗談こそ、実は誰かを救う。

急ぎ足も、少し緩める。

今日の成果を積み上げるより、土を耕す日があっていい。

目に見える花は咲かなくても、根は静かに伸びる。

若手の相談時間を使う。

地域活動に小さく貢献する。

次の世代のために、道を整備する。

これらは評価されにくい。給料も上がらない。

だが、これこそが地中に石を積む作業だ。

夜になったら、ノートに一行だけ書く。

「誰かの一日を、ほんの少しだけ軽くすること」

それができたかどうかだけを、静かにかめる。

大きな何かを背負う必要はない。

ただ、小さな息遣いを残していけばいい。

私たちは皆、見えない恩恵の上に立っている。

水道をひねれば水が出る。

スイッチを押せば電気がつく。

コードを書けばライブラリが動く。

これらは全て、名も知らぬ誰かの静かな仕事だ。

彼らへの感謝を、次への貢献で返していく。

それが、人の営みの本質ではないだろうか。

祖先に追いつくことはできない。

ただ、次の誰かが迷わず歩けるように、石を一つ置く。

名を刻むためではなく、足をくじかせないために。

明日はまた、誰かが落とした書類を拾う。

駅で迷っている人に、道を教える。

重い扉を、後ろの人のために押さえておく。

明日はまた、使った場所を少しきれいにして去る。

次に使う人が、気持ちよく始められるように。

私がいたことを誰も知らなくていい。

それで十分だ。

私が望んでいるのは、そういう静かな息遣いだ。

大きな波紋ではなく、後世に残る小さな配慮

キラキラしなくても、確かにそこにある営み。

そして気づく。

名もなき先人たちも、きっと同じことを思っていたのだろう。

彼らもまた、誰かへの感謝を胸に、静かに石を積んでいた。

その連鎖の中に、私もいるのだ。

特別である必要はない。

ただ、次へつなぐ一人であればいい。

ある日、古い引き継ぎ書を見つけた。

十年前の前任者のものだ。

丁寧な文字で、注意点が書かれている。

「ここでつまずきやすいから気をつけて」

「この手順だと後の作業が楽になります

名前は覚えていない。

顔も思い出せない。

でも、この引き継ぎ書のおかげで、私は何度も救われた。

そして今、私も引き継ぎ書を書いている。

X年後の誰かのために

その人は私の名前や顔を知らないだろう。

でも、この書類が、その人の一日を少し楽にするかもしれない。

そうして考えると、私は現状に悲観することはなかったのだ。

キラキラした人たちを見て焦ることもない。

SNSの輝きに目を奪われることもない。

記憶歴史に名を残すことが、人生価値ではない。

大切なのは、次へつなぐこと。

成果、記録、知識、そして日々の所作

それらが誰かの土台となり、未来への礎となる。

いずれ「私」という存在は忘れ去られる。

でも、私の仕事は残る。

誰かの中で、形を変えて生き続ける。

銅像はいらない。

伝記もいらない。

ただ、私が整えた道を、誰かが気持ちよく歩いてくれればいい。

私が残した手順を、誰かが「助かった」と思ってくれればいい。

そう考えたとき、初めて前を向けた気がした。

「私」であることに疲れていたのは、見当違いな場所を見ていたからだ。

上を見るのではなく、次を見る。

横を見るのではなく、先を見る。

そして今日も、未来への小さなパーツを置いていく。

明日、誰かがそれを使うかもしれない。

使わないかもしれない。

でも、それでいい。

「私」は今日も、静かに生きている。

前を向いて、次へつなぐために。

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